9話 エインフェ祭
午前
喉に当たるくすぐったい感触に彼は目を覚ました。
金色の頭が見えた。
現状を把握する。
「ゲイル」
同じベッドで寝た。彼女が寂しいというから。だが、肩を枕にされる覚えはない。彼女の枕の姿が見えないことが察するに、床に落ちているのだろう。
「ゲイル!」
頬をつねる。
「うにゃ?」
彼女はうっすらと目を開く。
黄金の瞳がハディスを捉えた。
薄めの唇が開く。
「おはよん」
一見すれば幻想的と言っていいほど美しいのだが、口を開くとそのイメージは瓦解する。
ハディスは小さく息をつき。
「重い」
「んもう! ぼくみたいな軽い女の子に重いって失礼だよ!」
頬を膨らませる。馬乗りになってくる。
「無駄に成長しおって………」
「なによぉ」
ハディスは小さく息を吐いた。
女としての自覚がないのではない。ハディスを男と見ていないだけだ。
「バーディス、ゲイル、起きてるぅ?」
ノックもなしに突然部屋に入った来たのは、彼の母。
「あら………」
その体勢を見て、母の頬が朱に染まる。
「お邪魔みたいね」
「メルさん、おはよ」
ゲイルはベッドから抜け出して、何を勘違いしてか立ち去ろうとする母に飛びつく。
──朝っぱらから無駄に元気な……。
低血圧気味のハディスは、起きることさえままならない。
「おはよう、ゲイル。今日も元気さんねぇ」
「おうよ」
ハディスは脱力する。
馬鹿らしい。
「ハディスも、そろそろ起きなさいね。あなたも言ってください」
「なんだ、まだ寝ていたのか」
父が顔を覗かせる。
漆黒。
それが彼を表すに相応しい言葉だ。
「ゲイル、おはよう」
「おはようございまぁす」
ゲイルはメルから離れ、父に飛びついた。胸を押し付けるようにして、首にしがみ付き、頬にキスをする。
これは、理解してやっている。
ハディスは小さくため息をつき、起き上がる。
「やめい」
父からゲイルを剥ぎ取る。
「むぅ、何で邪魔するの?」
「人の父親を誘惑するな」
「いいじゃん!」
夫婦は他人事のようにその様子を眺めている。
腹立たしい。
「いいよね、メルさん」
「ええ」
こともあろうに妻が許可を出す。彼女の一族は、一夫多妻が一般的である。娘のように育てた彼女が、第二婦人となろうとも、なんら抵抗がないようだ。
幸いなことに、父は母以外の女性には一切の興味が無いらしく、関係は進展していない。
──くそっ。
「祭り、行くんだろう? お前はさっさと着替えろ」
「ほーい」
ゲイルは荷物をあさる。両親は部屋の外に行き、夜着を脱ぎ始めたゲイルを視界の外に出し、自身も着替える。
誰も彼も、ハディスの胸のうちなど知らずに、マイペースに生きている。
この一家の一員であることは、ハディスにとっては苦痛でしかなかった。
「すごいねぇ」
何がすごいか。
店、店、店。
ラァスは目を丸くした。
王都の祭りもすごいが、これは別物のすごさがある。
なにせ、売り子が大半魔道師。理力の塔の見習い、つまり学生も多く混じっている。これほどの人材が、屋台を開いているのがすごい。
「これは規模の大きい学園祭!?」
「そうとも言うわね」
ともにいるのはいつものメンバーと、保護者達。
ラァス、ハウル、アミュ、メディア。
そして保護者と言うのはアルスとミンス。本当の保護者ヴェノムは、ガーデニング教室の真っ最中だ。
「メディアちゃんはお店とかしないの?」
「私に何をしろと?」
メディアは笑いながら言う。
「どういう意味?」
どういう意味って、そのままの意味だ。
「だって、愛想笑いできるか?」
「どうしてこの私がおかしくもないのに笑わなければならないの?」
彼女に客商売は一生無理だ。できるとしたら、女王様、ぐらいだ。
想像すると、鞭を振り回す姿が似合いすぎて少し怖い。
「メディアちゃあん。アルス様ぁ」
遠くから、聞き覚えのあるようなないような声。
「げ、ハラン……」
変態のハランがいた。
しかも何やら店を開いていた。
「………何やってるの、あんた」
「はい。今日は飴細工を」
メディアは店を覗く。確かに、見事な飴細工が並んでいた。
「あんたが作ったの? これ」
「はい」
女王様の似合いそうなメディアに問われ、ハランは心底嬉しそうに頷き、実演してみる。見事なもので、あっという間に綺麗な鳥が出来上がった。
「本当はイリーアちゃんとコーウェル君も誘ったんだけど、断られてしまいまして」
「……で、私は誘わなかったの」
「メディアちゃん、営業スマイルできますか?」
「どうしてみんなそういうのかしら?」
「メディアちゃんを誘うなら、もっと別なものに誘います。人間、向き不向きがありますから。お客さん逃げちゃいます」
「イリーアには向いているって言うの?」
「少なくとも、愛想笑いはお出来になります。元々商家のお嬢様ですからね」
メディアは悔しげに顔をゆがめた。
「ムカつく」
どこからともなく取り出した杖で殴ろうとして……思い止まった。
相手はマゾ。罰どころか、喜ばれる。
「メディアちゃんって、ハランさんと仲いいの?」
ラァスは意外というか、マッチしているのか分からない組み合わせに疑問を持つ。
「こいつは、私の班の班長なのよ」
「班長?」
「未成年は仕事をするに当たって、班を作るの。班長には、一定以上のクラスの魔道師が選ばれるのだけど……それがこれよ。こう見えて、実は腕だけはいいから」
「はは……」
──本当に、腕利きだったんだ……。
依頼人の娘にいたぶられて喜んでいたような男だが。
「今日はヴェノム様は……ああ、園芸教室ですか」
やはり誰も、あれを講義とは言わないようだ。
「アルス様、お一つどうですか?」
「そだな。ねずみが欲しい」
「ええと……透明なのでいいですね?」
「ああ」
彼は器用にねずみを作る。可愛いというよりもリアル。見事なものだ。
「………あんた、どこでそんな技を」
「ははは。それは教えられません」
ラァスは動物の形をした中で、赤い鳳凰のような飴細工を二つ発見した。
「これ頂戴」
「はいはい」
二つ分の代金を払い、勝手に取る。片方をアミュに差し出した。
「え……」
「なんか、アミュの目みたいに綺麗な色してたから」
「えと……、その、ありがとう」
彼女は恥らいながらそれを言う。少し前なら、遠慮してなかなか受け取ろうとしなかっただろうに……。
アミュはハウルを見上げた。それに頷くハウル。
何か、あったようだ。
「んじゃ、商売がんばれな」
「はい」
ハランは手を振って一行を見送った。
「どうでもいいけど、普通に働くのに比べてもうけ小さいのに、なんでみんなこんなことしてるの?」
「趣味でしょ。サークル活動単位なのが普通なのよ。普通の生徒は滅多に仕事に就けないから、お小遣い稼ぎにしている人もいるみたいよ。私みたいに優秀だと、よく仕事に出かけるから問題ないけれど」
アルスが苦笑した。
慈愛に満ちた視線を、実の娘へと向ける。
普通ではないが、信頼し合っている母と娘。
「ん? どうした?」
アルスはラァスの視線に気づき、問う。
「いや……」
羨ましい。
一瞬だけ、そう思った。
本当に、一瞬だけ──母親を思い出した。
料理大会。
物珍しいそれを、彼は見に来た。
以前から来たいとは思っていたが、色々とあって来られなかったのだ。束縛から抜け出し自由になってからも、ここに来ることはできなかった。来てみると、とてもおもしろいと思った。普通の祭りに見えてそうではないという奇妙な雰囲気が実におもしろい。
「お兄さん、飴なんていかがですか?」
男性の売り子が声を掛けてきた。
──ん、いまいち。
顔立ちは悪くはないのだが、好みかと言われるとそうではなかった。しかし興味を持ち店を覗くと、思った以上に出来のよい飴細工があった。
「一つ貰おうか」
可愛らしいひよこを見て、それを買った。
なんとなく、愛しい人を思い出したから。
「お兄さん……どこかでお会いしませんでしたでしょうか?」
「さあ」
手を出した記憶はない。第一に好みではない。
「あははは。お兄さんみたいな人と会っていたら、忘れませんよね」
青年は笑う。
「当然だ」
彼は言い、その店を後にした。
飴を舐めながらしばらく歩き、都を見物する。建築物自体はどこにでもあるようなものだ。だが、町の造り自体は非常に面白い。公共施設が多いのだが、そこがこの都の結界を作り出す要となっている。
──実に面白い。
この町を設計した闇の賢者というのは、真の天才だ。でなければ、このような見事な都は作れない。
「一度お目にかかりたいものだ」
チャンスがあれば。
──さすがに、喧嘩を売るのは得策ではないな。
本当は、欲しいものがあるのだが……。
「おや?」
見覚えのある顔を見つけた。
見知らぬ少年に、擦り寄る金髪の美少女。何かをねだっているらしい。
──おお、我が愛しの君。
彼は美少女へと忍び寄る。どうやら、焼き菓子が欲しいらしい彼女に、後ろから目隠しをした。
「だぁれだ?」
「だぁれ?」
「何だ、貴様」
珍しい毛色の少年が睨んでくる。美形だが、目つきが凶悪だ。好みではない。
──水妖のハーフかな?
「おにーさん、誰?」
彼女が振り返り、首を傾げる。
「忘れたのかい? カロンだよ」
「誰?」
彼女は白を切る。それからしばらく見つめ合い、自分の間違いに気づいた。
「……なるほど。お前、人違いだ」
少年は言う。
「人違い?」
目つきの悪い少年は頷く。
「それはラァスではない」
「……ラァス君ではない?」
「はじめまして、ゲイルでぇす」
それは、元気に自己紹介した。
確かに、ラァスではない。しかも、よく見れば本当の女の子だった。
「……君はラァス君の何だ?」
「ラァス君の従姉みたいなの。昨日判明したんだけど」
カロンはしばし沈黙する。
親戚。認めよう。同じ気配がする。
「昨日判明?」
「うん。昨日初めて会ったの。昨日も間違えられたんだ」
てへへと笑う彼女。
基本的に女性には興味はないが、ラァスに微笑みかけられているようで嬉しくなる。
「ラァス君がどこにいるのか、知っているかい?」
「さあ。でも、理力の塔の施設のどこかにいるよ」
「そうか」
「ラァス君に会いに行くの?」
「ああ。ここにいるのなら」
「なら、ぼくも行くぅ。いちおー、どこに住んでるか知っときたいし」
ゲイルはカロンにしがみ付く。目つきの悪い少年は、忌々しげにカロンを睨んだ。
──青春だな。
女性には興味はないが、この柔らかい身体は好きだ。
「少年、安心しろ。私は女性に興味はない」
「…………」
「男の人が好きなの?」
「ああ」
「そーなんだ。ぼく、ホモの人と初めてお話した! ホモって不細工ばっかだと思ってたけど、見直した!」
「ははは。さすがはラァス君の従姉。面白いね。男の子だったらタイプだったな」
「ははは。女の子でよかった」
彼女はけらけらと笑う。ラァスに似ているが、楽天家だ。それだけがまったく違う。ラァスは物を深く考える方だと認識している。
──可愛い子だな。
人間としては、好きなタイプだ。
「よし、じゃあ一緒にラァス君を探そう!」
「おう」
「……おいおい」
目つきの悪い少年は、顔を引きつらせる。
「私はデートのお邪魔かい?」
「デートじゃないよ」
少年は忌々しげにゲイルを見る。
「青春だな」
自分はろくでもない青春を経て、家出などというものをしたのだが。
「探すならとっとと探せ」
「ああ。一番の可能性は、分かっているから安心するといい」
メインイベントに出るのは間違いないのだから。
一通り町を見て、一行は寄宿舎へと戻った。
ヴェノムも園芸教室を終えたらしく、無表情に弟子達を迎えた。
ミンスは当然のようにアルスにまとわりつく。メディアは一人、師の姿を探した。今はフリーのはずだ。彼の仕事は、自分が作ったイベント、料理コンテストの審査員長だけだ。だから、人気の多い場所にいると思ったのだが……。
「ヴェノム様、カオスはどこに?」
「部屋にいると思います」
「そうですか」
メディアはカオスの私室へと向かう。土産に買ったカオスの好きそうなお茶葉を持って。
──薬もあるし……。
腹を壊さぬように。
メディアは小さく笑い、カオスの部屋まで全力で飛ぶ。
──去年お腹壊していたものね。
食べすぎで。
ヴェノムにアドバイスをもらいながら、特殊な薬を作ってみた。きっと喜んでくれる。ちなみに実験台はハランである。数日前、たらふく食わさせ実験した。
カオスの部屋の窓の前まで来ると、メディアは中を覗き込んだ。寝ているのかもしれないから、それなら置手紙でも置いて、そっとしておこうと思い。窓から少し離れたところ。ベッドの脇に彼は立っていた。
女性と抱き合って。
「……………」
メディアは目を疑った。
女性の方は、カオスに積極的にキスをしていた。カオスはそれを受け入れていた。
「…………………」
知った女性だった。北の塔の塔長。カオスの恋人と影でささやかれる美女、ルシアル。
「っく」
メディアは呪文を唱えそうになるのを堪え、その場を後にした。
カオスはしきりに周囲を見回していた。理由は分かっている。
「メディア、どこに行ったんだろうな」
ここに帰ってきてから、姿を見ない。ふと気がつけば、いなかった。コンテストが始まれば帰ってくると思っていたのだが、姿は見当たらない。
毎年、アルスやカオスの側にべったりだったのだが。
「まあ、あの子も年頃だからな」
「……………何が年頃なんですか?」
「ほら、ダイエットとか」
「メディアは十分に痩せていますよ。むしろ痩せすぎなぐらいで」
カオスは小さく息をつく。
アルスは最近いつも娘と供にいるアミュやラァスの方を見たが、男の子たちに囲まれているということは、メディアはいないようだった。
「って、ヴェノム様。あの二人、ほっといていいんですか?」
二人だけでほっといて、危険はないのだろうか。
「ラァスがいれば問題ないでしょう」
彼女は冷静に言う。
ラァスは可愛らしい容姿に似合わず、罪人の術を使いこなすらしい。滅多なことでは問題ないだろう。ヴェノムがいいというなら、問題はない。
「俺、メディア見たよ」
ハウルに肩車されたルートが突然言った。
「町のほうに飛んで行ったのを見たよ。何か買い忘れたんじゃないかな」
「そうですか……」
カオスは納得しきれない様子で、呟いた。
「心配症だな」
「心配されるべきは、犠牲者のほうだろ」
アルスの言葉に、ハウルが続いて言う。
まったく持ってその通り。
──娘ながら、気が強いからな。
昔の自分に似ていると言われるが、ああも気が強かった覚えはない。
──父親に似たのかな。
アルスは昔を思い出し、笑みを浮かべた。
「どうした?」
「あの子は、父親似かなって」
「アルス……間違ってもメディアには聞かせちゃだめだよ」
娘の父親代わりであるミンスが言う。
分かっている。どうしようもない男だったのは確かだから。それでも、死んでしまえばいい所ばかりを思い出す。
「いい匂いがしてきたな」
タイムアップまでに、まだ一時間あるが。
外では試食のためのセッティングがされているはずだ。
「一時間もあれば、帰って来るさ」
カオスのことが、誰よりも好きな娘なのだから。
正直、現在ハランは困り果てていた。
「あのですね、メディアちゃん」
声を掛けると、杖で殴り倒された。
「はう……」
鈍器で殴られるのは趣味ではないのだが、メディアのようなタイプになら、撲殺されるまで殴られてもいい。
──って、違います。
なぜか突然やってきて、泣き出した。
あのメディアが。
「何があったんです?」
「お黙り、ハラン」
声に、いつもの切れがない。
ハランはちり紙を差し出した。メディアはそれを奪い取り、鼻をかむ。
飴など差し出してみる。メディアはそれを奪い取り、大人しく舐める。
商売にならない。こんな時に商売をするつもりもない。これはただの趣味である。
「落ち着いた?」
彼女は小さく頷く。こうして大人しくしていると、とても愛らしい娘だ。多くは彼女を勘違いしているが、彼女は大人しくしていればとても綺麗な女の子なのだ。
「何があったの?」
涙を拭いてやりながら問うた。
「………カオスが……」
「塔長様が?」
「…………う……」
「う?」
「浮気したぁぁぁあ」
とたんに、彼女はまたびーびー泣き出した。
──う、浮気!?
二人がそういう仲だとは聞いていたが……。
「つ………付き合っていたんですか? 塔長様と」
彼女は首を横に振る。
ハランは思わずほっとした。
「私のこと、お嫁に貰ってくれるって言ったのに……」
金槌で殴られた時のようなショックを受けた。さすがにあれは気持ちいいとは欠片も思わない。いやそうではなく。
「男なんて、みんな一緒なんだ」
メディアは泣きながら新たな飴をがりがりと屠る。
「メディアちゃん……」
「どうせ私は胸もないし、チビだし、性格きついわよ。んなこた分かってるのよ!」
確かに彼女は胸などないに等しい。だが、華奢な女の子が好きという男は山のようにいる。
「だからって、ルシアン様みたいなひとに走るなんて……」
メディアに再びちり紙を差し出した。しばらくすると、知人達が通りかかる。
「ど、どしたんだ?」
「ハラン……何メディアを泣かせているの? っていうか、どうやって泣かせられたの?」
同じ班のイリーアとコーウェルがきょっとした様子で声を掛けてきた。この二人は比較的仲がいいが、別に付き合っているわけではない。
「………コーウェル」
メディアが呟いた。
「ん?」
「貸せ」
メディアは彼の持っていたカップを取り上げた。
それは、明らかに酒だった。メディアはそれを、一気に飲み干した。