9話   エインフェ祭

午後

 


 ラァスは、正直うんざりしていた。
 何に? もちろん周りを囲む野郎ども。
 少し中庭の様子を見に調理棟を出れば、これである。
 今までほとんど被害がなかったから、大丈夫だとたかを括っていた。それがこの悲劇を生んだのだ。まさかメディア一人がここまでの男除けをしていたとは……。
 ──メディアちゃん美人だから、性格があれでもモテてよさそうなものなのに……。
 本当に、彼らはメディアを恐れているらしい。
「ラァスちゃんは、どこの生まれ?」
「綺麗な髪だよね」
「アミュちゃんも、お人形さんみたいに可愛いよね」
 うざいし。
 アミュに触るし。
「おーい、ラァスくぅん」
 少し離れたところから、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あ、ゲイルちゃん」
「ちょっとぉ、君たちどいてよぉ。迷惑でしょ」
 ゲイルは群れを作る少年達をしかりつける。その背後に立つ、殺気すら放つハディスの存在に、少年達は本能的な部分で危険を察知し、離れた。
「おお、便利」
 ラァスもその恩恵にあやかろうと、アミュの手を取って近付こうとした。瞬間、視界が真っ黒になった。
「え?」
 目隠しされた。
「だぁれだ?」
 耳元へ。
 吐息などかかる距離で。
 ささやく。
 覚えのある、忌まわしい声。
「あ、殿下。こんにちは」
 アミュが呑気に挨拶する。
「しぃ。言ってしまっては意味がないだろう」
「あ、ごめんなさい」
「言わなくても分かるよ!」
 ラァスはカロンの腕の中から逃れようとするが、彼の不思議な力で離れられない。
「師匠〜た〜す〜け〜て〜」
 大声で叫ぶと、ハウルがやってきた。
「あ、変態王子」
「誰が変態だ」
「ショタコン」
「十年もすれば気にならなくなる」
「だとさ、ラァス」
「何がどう気にならないと!?」
 性別の差は気にしてくれないのだろうか?
「ルート、ああいう変態には近付くと菌が移るからだめだぞ」
「のんびりと傍観しないでよ!」
 カロンは後ろからラァスを抱きしめて、頬擦りなどしてくる。
 はっきり言って気色悪い。
「よかったねぇ、カロン君。愛しのラァス君に会えて」
「なんでゲイルちゃんがこの変質者と知り合いなの!?」
「さっきまた君と間違えられたの」
「………」
 ラァスは沈黙する。
 双子のように見分けがつかないほど似ているわけでもないのに、なぜ皆間違えるのだろう? 彼女とラァスは似てはいるが、血縁者かなと思う程度。他とかに背格好は似ているが。
「ふんっ。僕とゲイルちゃんを間違えるなんて、大したことないね」
「いやぁ。見事な聖眼だったから、地の気に引かれてしまってね。しかし、一番好きなのは君だよ。心から愛している」
「ふん。そんな簡単に他人と僕とを間違える人なんて、知らない。さよなら」
 カロンはその言葉に、ラァスを開放した。
 ──お、効いた?
「僕、お料理食べなきゃいけないから、バイバイ」
 アミュの手を引いて、師の元へと近付く。
「殿下も、一緒にごはん食べる?」
 アミュがにこにこと笑いながら余計なことを問うた。
「そうさせてもらおうか」
 カロンは許しをえて、女性ならいちころで恋に落ちてしまいそうな笑顔をラァスに向けた。
「お前らも食うか?」
「え、いいの?」
 ハウルに誘われ、ゲイルもぴよこぴょこと飛び跳ねながらやって来る。身の軽い女だ。
「みんなで食べた方が美味しいものね」
「アミュ……」
 彼女のこういうところは好きだ。
 しかし、カロンを嫌うラァスを、ハウルを嫌うメディアと同じような物だと判断されると、辛い。
 彼女には、カロンがただラァスをからかっているだけのように見えるのかもしれない。ハウルも似たようなものだから。
 ──うう……。
 いっそのこと、彼女に付き合ってとか言ってしまおうかとも思う。しかし、理解してくれるかどうかが問題だ。友達の「好き」のまま付き合っても、ただ虚しいだけである。だからせめて、もう少し色気を持ってくれるまでは我慢しよう。そう思い今まで黙っていたのだが。
「お久しぶり、邪眼の魔女殿。そしてお初にお目にかかります、黒の賢者殿」
 ──そういや、賢者だっけ。
 これでとりあえず緑、黒、黄の半分が揃った。
 ある意味、豪華な一角といえよう。

「うふふふふふふふふ」
 メディアは笑っていた。その足元に、ハランがいた。低めのものだが、ヒールで踏みつけられて恍惚としている。
「なんか、見てはいけないものを見ているような気がする……」
「言うな」
 コーウェルは完全に顔が引きつってもどらないイリーアに言い聞かせる。
「下手に止めるとどうなるか……」
「ええ、もちろん止めないわ。とばっちりなんて冗談じゃないもの」
「下手にここを出て行くために動くのも、危ない」
「そうね。ここはアルコールが抜けるか酔いつぶれるのを、暗がりで待っているのが一番ね」
 ここは、とある酒場。
 もっと酒をよこせというメディアのために連れてきた。逆らうと、何をされるか分からなかったから。
 そして、このSMショーが始まった。だんだんと観客も増えてくる。祭りだけあり、昼間から酒を飲む者が多いのも、それに拍車をかけた。
 いつの間にやら鞭を持ち、しかも華麗に操りハランを責める。おそらくは客の誰かが渡したのだろう。
「………実はあいつら、お似合いなんじゃ……」
「カオス様もとんでもない女に、とんでもない約束をなさったものね」
「てっきりロリコンだからだと思ってたけど、大人の女が好きだったとは……」
「どのみち、悪いのはカオス様だわ」
「まったく」
 メディアは近くの男が差し出すカクテルを一気に飲む。
 酔うのは早かったくせに、つぶれない。先程からかなりのアルコールを摂取しているはずだ。しかし、彼女の平衡感覚は変わらずしっかりしている。ハランをぐりぐりと踏みつけて、鞭で首を絞められるほど。
「………ハラン、死なないかしら?」
「まあ、死んでも本望だろ。本命に殺されるんなら」
「至上の喜びってやつかしら?」
「どうでもいいけど、あの子他人蹴ってるわよ」
「世の中、ああいう趣味の奴って多いんだな」
「ああ、今度はクラスメイトの……」
 二人はただ、傍観していた。
 少なくとも、寝ぼけて呪文を唱えたりするよりは、ずいぶんとマシな状況だと言えたから。
「啼け、嘶け、跪きなさい! ほーほほほほほほほっ!」
 二人はあまりの痴態に、二人は耳と目を塞ぐしかなかった。

 遅かった。
「メディア、本当にどこに行ったんだ?」
 アルスは呟いた。
「メディア?」
「昨日いた、黒髪の態度のデカい女の子だよ」
「ああ。あの『お黙りっ!』て子」
「そうそ」
 ラァスとゲイルの会話。
 ──ウチの娘の印象って……。
 さすがに将来が心配になってくる。
「あいつも美味い物好き仲間なのに……」
 ハウルは呟く。
 彼はメディアの罵りを笑ってやり過ごすどころか、時には反撃することすらある少年だ。メディアにとっては、張り合いのある相手ということになる。彼女は否定するだろうが、母親としては好ましい。
「カオスの部屋に向かってから姿を見ないのですが」
 ヴェノムが小さく呟いた瞬間、カオスは飲んでいたお茶噴出した。
「……ぼ、僕の部屋に?」
「ええ」
「いつごろ?」
「あなたが来る三十分ほど前です」
 カオスの顔色が変わった。
 その様子は子供たちですから怪しんだ様子で、
「うわぁ、素直な人」
「これが黒の賢者とは……」
「カオスさん、大丈夫かな?」
「大丈夫だよ、別に体調が悪いわけじゃないんだから」
「おっさん、何してたんだ?」
 子供たちは好き好きに言う。
 カオスは答えない。
「何をしてたんだ? うちの娘がショックを受けるようなこと、していたのか?」
 アルスはついカオスの首を締め上げた。
「いや……その」
「カオスぅ、何アルスちゃんに締め上げられているのぉ?」
 間延びした女の声。苛々するほどのんびりとしたその話し方が、今のカオスの神経を逆なでしたようで、彼は彼女をにらみつけた。
「なにぃ? そんなに睨んだら、い・や」
 男を何人か引き連れて現れたのは白髪の女。襟口のゆるい覗き込めば胸の見えてしまいそうな、挑発的なローブを着た女性。ただし、その瞳孔は縦に走り、人間でないことは明らか。北長、蛇族のルシアル。
「…………納得しました」
「しないで下さい!」
 カオスは一瞬にしてことの成り行きを悟ったヴェノムに詰め寄った。
「可哀想に、メディア」
「あらぁ? やだぁ、先生。どうかしましたぁ?」
 とろんと緩んだ顔で、彼女はヴェノムに抱きついた。どんなに顔を緩ませていても、彼女は妖艶という言葉が似合う。そういう種族だ。
「ルーシー。カオスと何かしていましたか?」
「お食事ぃ」
「その光景を、メディアが見ていたようです」
「メディアちゃんってぇ、カオスのお気に入りのぉ?」
「そうです」
 彼女は小さく首をかしげ、言った。
「そのメディアちゃん? なんかぁ、噂になってるわよぉ」
「う、噂?」
 カオスが上ずった声を出した。
「そぉ。バーでぇ、ドミナルックですごいことやってるってぇ」
 ドミナ。女主人。すごいこと。
 なんとなく、思い出したのは先ほど会った飴売り男。
「生徒達が言ってたわぁ」
 カオスとアルスは迷うことなく近くの生徒を捕まえまくり、その真相を問いただした。

 見ているうちに、だんだんと本格的になっていく「プレイ」。
 暑いと言って服を脱ぎ出したメディアに、ハランがこれに着替えてくださいと渡した、皮製の服。それを着てから、さらに客が集まり、なぜか客の持ち込んだ道具が増え、ハランは押し出されてここにいた。
 今はクラスメイトの一人を相手に、口にはできないほど過激なプレイを行っていると思われる。
 コーウェルは、三十分ほど前から振り向いていないのでよく分からないが。
「羨ましい……」
「だったら、もっかいやってもらいに行ったらどう?」
「実力行使で」
「はい」
 ハランはその言葉に勇気付けられたのか、果敢にアタックを始めた。
 痴態の痕が残る男が、目の前でうじうじしているという状況から解放されて、二人はほっと息をつく。
 台詞内容から察するに、鞭に電流など流す過激な試みをしているらしい。
「何が楽しいのかしら?」
「知らねぇよ。俺、ノーマルだもん」
「私達の班、そのうちアブノーマルチームとか呼ばれないかしら?」
「うう。一人の変態で十分後ろ指されてたっていうのに……」
「酒が入ってとはいえ、ここまでするなんて……」
 しかし、やめさせるのは怖い。
 しかし、ここを去るのはもっと怖い。万が一何かあった場合……。
「もしも何かあったら、アルス様に顔向けできないわ」
 その通り。
 女性のイリーアはともかく、男性の自分は半殺しにされかねない。
 そのときだった。
「なんだこれは!?」
 びくっ。
 二人の身体が同時に震えた。
「あ、あああああ」
「先生」
 絶望が胸のうちに広がる。
「お前ら……何なんだ、これは?」
「メディア、酒飲んで酔っ払って……いつの間にかこんな風に」
「なんでドミナルック!?」
「なにそれ」
「女主人!」
 自分で言って精神的ショックを受けたらしく、アルスは頭を抱えた。
 ちなみに今一瞬見たのだが、メディアはこちらの様子に気づいていない。完全にバラ鞭の心地よい音に酔いしれている。相手は上半身裸のハラン。
 隣では、いつの間にか混じっている、本物の女王様に縛られたクラスメイト。
 ──ど、どおりで激しいと思ったら……。
「メディア、何してんだよ?」
 容赦なく転がった男など踏み越えて近付くのは、ハウル。
「ああ、ハウル様カッコイイ」
「うわ、勇気あるな」
 さすがに称えざるをえない。
「あらぁ、ハウル?」
「………お前、酔ってるのか?」
「お前も飲め」
「やめい」
 無理矢理酒瓶を口に押し込もうとする彼女の腕をハウルが掴んだ。
 コーウェルたちは、ひっそりと拍手喝采する。音の出ないように。
「あたしの酒が飲めないっていうの?」
「飲みます!」
「てめぇは黙ってろ、この変態野郎ども!」
 ハウルは寄って来る男たちを蹴散らし(もちろんハランを含む)メディアから酒瓶を奪い取る。
「胸もないくせに、そんな格好しても馬鹿みたいだぞ」
「なくて悪かったわね! どうせあたしは胸ないわよ! はっ!」
 逆切れした。
 しかし、これはハウルが悪い。
「ハウル様。この無いに等しい胸がいいんじゃあないですか」
「そうだそうだ」
「ぺたんこバンザイ!」
「お黙りっ」
 ぴしぃ!
「お、お前どこでそんなことを覚えたんだ?」
「あ、俺だ」
 アルスが言った。彼女なら、どんな武器でも扱える。
「………アルス」
 母の姿を見て、彼女は鞭を取り落とす。
「どこでそんな服を……」
「ハラン」
「いつか着て欲しいと……」
 ハウルは見向きもせずに、何かの力を使い、彼をたたき伏せる。
「メディア、帰ろう」
「……………」
 彼女は首を横に振った。
「アルス様、これには深い事情があるんです。実はカオス様が……」
「やっぱりカオスが原因かっ……」
 イリーアの言葉を遮りアルスは言う。メディアはアルスを見上げた。
「奴のことはもう気にするな。信じた俺が馬鹿だった」
「フォローは!?」
 突然、カオスが酒場の入り口に顔を出した。
 メディアの目に、殺意の光が灯る。
 ──ああ……逆効果……。
 修羅場は、確実だった。


 その頃──
「おいしぃ」
「ん、美味いな」
「アミュ、このお菓子美味しいよ」
「本当」
「ラァス君、このケーキも美味いぞ」
「どっか行け」
「はぁ、なんと素晴らしい至福の時。この祭りを作った事に関しては、カオスをほめてやらなければ……。」
 料理コンテストは審査員長代理ヴェノムと、カロン、ウェイゼル等によって、無事進行されていた。


 沈黙が落ちた。
 二人は、ただ無言で見つめ合う。それを見つめるというかどうかは、人ぞれぞれだろうが。
 口を開いたのはカオスだった。
「メディア、あれにはわけが」
「失せろ」
 冷めていた。一瞬の殺意の後、彼女の生気に溢れた瞳が、完全に冷めていた。冷ややかな、氷の視線。
 皆も知る塔長が出てきたことにより、野次馬達は遠巻きになる。二人の距離が縮む。
 ハウルはその間に入った。
「行こう」
 ハウルはメディアに手を差し出した。
「………うん」
 メディアは素直に頷きその手を取る。
「ハウル……」
「おっさん、あんたは来るな」
 ハウルは低い声で言う。
「こいつにこんな目させんじゃねぇ。こいつがあんたがしたことを許せるような奴じゃないって、知っていて受け入れたんだろ? 理由があるにしても」
 ハランが店の奥を指差した。着替えがあるのだろう。
「覚悟もなしに、浮気なんてしてんじゃねぇよ、タコ」
 ハウルはメディアをつれて店の奥に行く。
 メディアは肩を震わせていた。
「気にするな」
「無理」
 奥へ行くと、メディアと並んでSMショーをしていた女性が手招きした。
「ひどい顔してるわよ」
「分かってる」
「お姉さんがいくらでも愚痴聞いてあげるから。とりあえず着替えなさい」
「はい……」
「ぼうや。少し、彼女をお願いね」
 言って彼女はその場を後にした。彼女も着替えるのだろう。
 メディアは個室に入る。
「ハウル……」
「ん?」
「ありがと………」
「ん」
「でもね……」
 彼女は言った。
「好きなの。どうしても……」
 大人は勝手だ。
 平気で子供を傷つける。
 子供を甘く見て、傷つける。

 

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