9話   エインフェ祭

 最終日

 

 床に落ちた衝撃で目を覚ました。
 痛くてしばらくじっとしていると、踏みつけられた。
「ハディス、ひどい……」
「ええい、いつもいつも人の気を知らずにっ」
 彼は昔から怒りっぽかったが、最近はさらに怒りっぽい。
 ハディスにじゃれ付いても怒る。だからボディスにじゃれ付くのだが、そうするともっと怒る。しかし、メルにじゃれるのに関しては怒らない。
 彼の基準は理解不能。
「はぁ。ぼくにどうしろと?」
「いや……その」
「ハディス、ぼくのこと嫌い?」
「いや……なんだ……」
「好き? 嫌い?」
 彼は汗をかいていた。
 彼はとても照れ屋だから。
「ハディスのばーか」
 頬をつままれ、引き伸ばされる。
 こんな美少女に向かって、失礼な男である。
「いいもん。ハディスが意地悪するなら、今日もラァス君のところに行くから」
「な……またか。まあ、いいが」
 彼は女の子のところに行くのには反対しない。
 別に世の中の男全員がどうしようもないわけではないのに。彼はいつまでゲイルを子供扱いするつもりなのだろうか?
「父さんには伝えろよ。昨日は探し回っていたらしいぞ」
 帰ってくるとすぐに寝てしまったゲイルは、初耳だった。
「え、心配してくれた?」
「当たり前だろう。あいつにとってお前は娘のようなものだから」
「むぅ」
 彼は不機嫌そうに言う。
 分かっている。それでも、好きなものは仕方がない。
「ぼく可愛いもん。もう少し大人になったら、ボディス様だって、いつか悩殺できるもん!」
「馬鹿な女を可愛いと思うのは、馬鹿な男だけだぞ」
「もう、ハディスなんて嫌い! もう一緒に寝てあげないもん」
「人のベッドに潜り込んでくるのはお前だろう」
「ボディス様のところに行くもーん」
「アホか」
 ハディスはゲイルの頭をはたく。
「もういい。ハディスなんて連れてってやんない。一人で行く」
 言って、ゲイルは着替えを始めた。

「はぁ……」
 彼は大きなため息をついた。
「はぁぁぁぁ」
 こればかりである。鬱陶しいことこの上ない。
「カオス、うるさい」
「愚痴ぐらい聞いてください」
「聞いたよ。ぼく、眠い」
 ミンスは深夜遅くまで愚痴を聞かされた。途中でうつらうつらしていたら、いつの間にか日が昇っていた。カオスは一晩中何か愚痴を言っていたらしく──聞き流していたので覚えていない──晴れ渡った青空が広がるにも関わらず、彼はどんよりと曇っていた。
「………今日はアルスが司祭をする鎮魂際なのに」
 アルスの勇姿を見るのが楽しみなのに。
 ──はぁ、ちょっとメディアに無視されたぐらいで……。
「メディアも年頃なんだから、ほかに好きな男の子が出来て当然だよ」
「なぜそこまで話が飛躍するんだ!?」
 彼はミンスの首を絞める。人の姿を取っているので、普通にしていると皮膚が薄く、容易く苦しめられる。なので、皮膚を硬質化する。
「っていうか、まだ十二歳の女の子と結婚の約束なんてしてる方がおかしいんだよ」
「何を言う? 万が一誰かに寝取られたらどうするんだ? ええ? 世の中早い者勝ちなんだよっ」
 彼は地で話す。
 今の正しくない丁寧語はすっかり定着しているようだが、怒ったり興奮したりすると、するりと昔の調子が出てしまうらしい。
「んだからぁ、綺麗な生活してなきゃ嫌われるよぉ、って言ったでしょ」
 元々、どちらかといえば女好きの彼に、潔癖の生活をしろという方が無理なのだろうが。
「していたじゃないか。あれはたまたま偶然で、ルーシーが食べないと誰でもいいから取って食べたくなりそうとか脅すから……」
「いいように使われるカオスが悪いの」
「じゃあどうしろと? 生徒を餌食にされてもいいと?」
「いいじゃん。のこのこついていくほうが悪いし」
「馬鹿か。あいつの食欲は半端じゃないぞ。この僕が眩暈がするほど食うんだ。下手すりゃ死ぬんだ。だから蛇族は邪悪な種族として狩られたんだろうが」
「んなこと、ぼくに言うわけ?」
 正直に言わなくても、うんざりしていた。
 正直に言うと、殴り倒したい。
「おまえがなんとかフォローするのが、飼い主に対する忠誠ってもんだろうが」
「うわ、飼い主? ぼくをペット扱いしたね? ぼくはアルスのものなのに」
 カオスはミンスの首から手を放す。
「結局はアルスのペットなんですか?」
 冷静になってくれたらしい。
「メディアが大人になってお嫁に行ったら、考えてくれるって」
「メディアは僕の嫁です。
 それより、普通そういうのは遠回りに断られているとか思わないんですか?」
「ぼくはそれぐらい待てるもん。アルス一筋だから」
「お子様だから」
「そりゃ、竜としてはまだ成体になって間もない青二才だけど、生きた年数は君と大差ないよ」
「経験の問題ですよ」
「ぼくはアルスとめぐり合うために生まれたの! だからいいの! 純愛なの! 君と違ってね!」
「何を言います。転生体を探して悠久の時を生きることを選んだ、ロマンチストな僕に向かって」
「ロマン語ってるだけじゃん」
「ふっ。甘いですね。実際にめぐり合うところなんて」
「浮気がばれて振られて、意味の無い人生だったよね」
 ミンスの言葉にカオスは固まった。
「んじゃ、ぼくは愛しのアルスのところに応援に行くから、眠いけど。
 ばいばい」
 言って、ミンスはその部屋を去る。
 今度こそ、カオスは引き止めなかった。

 祭りがあるせいかほとんど人のいない食堂で、ラァスはため息をついた。
 あまり眠れなかった。カロンが部屋にいたから。
「ラァス、元気出せ。ちょっとヤられたぐらいで」
「ヤられてない!」
「……なんだ、つまらん」
「…………」
「冗談だよ、冗談。カロンは何もしないって、確信あったし」
「なんで?」
「少なくとも、約束は破らないと思う。魔道師っていうのは、口で宣言したことを、破っちゃいけないんだ。賢者ともなると、それに反したりは出来ないだろうな。精霊たちに嫌われるから。んで、あのにーちゃんは口説き落とすまでは手を出さないってヴェノムに言葉で約束したろ?」
 つまり、今後落ちるまで口説こうとする、という意味なのだろうか?
 ──うう、それはそれで嫌だし……。アミュがいるのに。
 かといって、カロンにそう宣言する気は無い。アミュに敵意を持たれたりしようものなら、申し訳が無いから。
「はぁ……」
「んで、そのカロンは?」
「用事があるんだって」
「へぇ」
 ハウルはくつりと笑う。
 何を考えているのやら……。
 そのとき、ハウルの顔が引きつる。
「ハウル様ん」
 いつものごとく、彼はイリーアに抱きつかれた。
 いつも思うのだが、自分が女性なら、自分よりも綺麗な男に自分から寄ってなどいかない。恋人になりたいなどとは思いもしないだろう。何しろ、秘密のこととはいえ、彼の美貌は神の美貌である。人間、身分相応という素晴らしい言葉があるのだ。それを自覚せねばならない。
「ハウル様。今日はアルス様の鎮魂の儀式を見物なさるのですよね?」
「………ああ。メディアたちと」
 こういうときメディアの名を口にするから、嫌われるのである。
「私もご一緒いたします」
 させてくださいではなく、断言。
 ──つ、強い。
 押しが強い女の子は、ラァスの好みではない。元々年上よりも年下なぐらいの方が好きなのだ。
「ラァス君。昨日の男性はみえないの?」
 男の子のような話し方をするということで、ラァスは君付けで呼ばれていた。だが、男だとばれたことは一度も無い。
「うん。用事があるんだって」
「あんな素敵な方が恋人で、羨ましいわ」
「違う、断じて。僕の好みの真っ対照!」
 イリーアはくすくすと笑う。
 ──絶対に信じてくれてないし……。
 いっそのこと「男の子でぇす」とか言ってしまえばいいのだろうが。
 それでは、部屋に帰るまでにこそこそしていた意味が無い。授業で着替えが必要なとき、トイレで着替えていた意味も無い。
 それ以上に、ホモ疑惑をかけられることがたまらなく嫌でなのだ。
 ラァスは泣く泣く、カロンを呪いながらも諦めた。

 ハディスはすることも無いので、両親の部屋へと赴いていた。
「ゲイルは?」
 父が問うた。
 また行き先を伝えるのを忘れて行ってしまったようだ。
「いつもセットでいるわけではない。あいつは最近出合った従妹のところに遊びに行った」
「従妹? 初耳だぞ」
「当たり前だ。言った覚えは無い」
 親子の間に沈黙が落ちる。
「ゲイルの従妹って、どこで会ったの?」
「あれは瓜二つだから、この町に来てから二度も間違えられた」
「………まあ。じゃあ、ご挨拶に行かなきゃ」
「ゲイルに瓜二つの従妹か」
 心なしか、父の顔が緩む。
 彼はゲイルを気に入っている。始めは、母が「金髪の子供が欲しかったの」と言ったのがきっかけで、森に迷い込んでいた男装の少女を拾ってきたくせに。聞けば身内は皆亡くなっており、ろくでもない主に仕えていて、男のこの格好をしていたゲイルにまで手を出そうとしていたらしい。母親がそれを心配して男装させていたらしいが、それも意味が無かったようだ。それで彼女はいまだに自分を「ぼく」などと言い、小さな男のこの話し方そのままだ。
 その後、当然のごとくメルが彼女を気に入り、引き取った。金髪で、女の子だ。気に入るのも当然だった。それ以来、彼女は外見だけは女らしく成長した。
 道を歩いているだけで、男の群れができるほど。
「………」
「行くか?」
「行く」
 心配なのは、相手の男のほうである。断じて、彼女を心配しているわけではない。
 あんな、人の気を知ろうともしない女など。

 鎮魂の儀観覧用特別席にて。
 ヴェノムはその光景を見て、人はこういうときに微笑むのだろうと思った。
 弟子達と、それに加えて理力の塔のメンバー、そして金髪の可愛い女の子が、仲良く遊んでいるのだから。余分なのも数人いるが。
「ラァス君。今日も可愛いね」
「用があるんじゃなかったの? 一生をその用事に費やしていればいいのに」
 こちらはまだ微笑ましい光景だ。
「メディア、機嫌を直してください。蛇族というのは」
「知っているわ。男性の精気を食らうんでしょ」
「知っていたんですか? なら話が早い。蛇族というのは、男性に取り付いて殺すといわれていたほど、食欲の旺盛な種族です。毎日のように食事をしていればそうでもありませんが、しばらく食事を抜くと、下手をすれば人を殺してしまうほどの力を食らいます。彼女にもいろいろと事情がありまして、毎日の食事が出来ない状態にあり、下手に野放しをすると死人が出そうだったので、仕方なく」
「嫌そうじゃなかったわ」
 しつこく言い訳をするカオスに、メディアは冷たく言い放つ。
 しかし、多少は心が動かされている様子だった。
「彼女とは、師匠に指示していた頃からの付き合いなので。その頃から、食料庫扱いされるのに慣れてしまい、嫌な顔をするのも馬鹿らしくて……」
「………ルシアル様って、そんなにお年を召しているの?」
 その言葉に、ヴェノムは自身を省みる。
 お年を召している。
 女性としては、言われて傷つく言葉である。
「友人と一緒に、日替わり定食扱いされていました。あんな女、可能なら縁を切りたいぐらいです」
「…………」
 懐かしい。あれはどれほど前のことだろうか? 思い出すのも忌々しい記憶もあるが、昔は可愛かったのだ。
「あれ……あれってハディスじゃない?」
 ゲイルはラァスのその言葉に顔を顰め、次の瞬間は微笑んだ。
「あ、ボディス様」
 ゲイルは無邪気に言って手を振った。
 ──ボディス……。
 相手もこちらに気づいたようで、足を止めてヴェノムを凝視していた。
 黒髪に赤い瞳の長身の青年。その容貌は端正だが、人を寄せ付けぬ気を撒き散らしていた。
「おや、ボディスお久しぶりですね」
 友人であるカオスは、ボディスに気軽に声を掛けた。
「……なんだ、あいつ」
 ハウルもその『異常』さを感じ取ったらしく、小さく呟いた。
「なんか……よくない感じがするぞ」
「当然です」
 何せあれは……。
「ではやはり、あれが赤の賢者。リッチー、ボディス?」
 カロンが問うた。
 実物を見て、その出来の完璧さに驚いたのだろう。
「リッチーってあれ? 完全なる不死者?」
 ラァスが問うた。ブリューナスの対策の一環として、アンデットについて調べたのだろう。
「そうです」
 己の明確な意思を持ち、そして絶対の魔力を持つ、決して死なぬ存在。ヴァンパイアと混同されがちだが、彼らは何を得ずとも支障は無く、そして弱点は無い。だからこそ、完全なる不死者。
「………普通リッチーって、干からびてるんじゃ……」
「ええ」
 その通りだ。魔力を求めるが故に邪法により自らを変える。その程度なら、これほどまでにも怒りはしなかった。
「どうして帰るんですか? 会いたがっていたじゃないですか」
「しかし……怒っているようだ」
「まったく、無茶ばかりするくせに、師匠のこととなると押しが弱くなるんですから。こんなチャンス、二度とないですよ」
 カオスに背を押され、ボディスは彼女の前までやってきた。
「お久しぶり」
「久しぶり」
 それきり、会話が途切れる。
「ボディス!」
「………会えて、よかった」
 再び沈黙。
「………あちらの女性が奥方?」
 ヴェノムは彼の後ろに立つ女性を見た。
「ああ。メルディーフィという」
「水妖ね。高位の」
「ああ」
「よく、そんな女性があなたに嫁したものね」
 メルディーフィは複雑そうな顔をしている。人を好きになるというのは、理屈ではない。
「水妖の王を食らったあなたを」
 儀式の際の生贄として。それにより、彼は人としての姿を崩さぬまま、不死と魔力を手入れた。
「………反省しているが、後悔はしていない。私はあなたと同じ時を手に入れるためなら、今でも同じことをしていたから。それに、この赤い瞳も気に入った」
 可愛いと思う。しかし、それが彼を非行に走らせた。育ての親として、後悔している。そこまでさせてしまったことに。
「分かってくれと、言うつもりは無い」
「もちろんです」
「だが、私はあなたが好きだ」
 臆面も無い。ハウルがむっとした様子で、ヴェノムの袖を掴んだ。
「……たまには、ゲイルをつれて遊びに来なさい。血の繋がりというのも、心のよりどころとなります」
 彼には血の繋がる者がいないから。だからこそ、それをヴェノムに求め、執着した。それがどんな感情であるかは、分からない。今でも、あれがどんな思いであったか、理解できないのだから。自分のことさえ理解できないのに、人のことなど理解できるはずもない。

 儀式は始まった。身内が何かもめたが、それも今では納まり、ぎすぎすした空気を撒き散らしていたが、ミンスは気にも留めなかった。
 始めに巫女達が踊り、場を清めた。それから、アルスが出てきた。
 いつもはくくっている長い髪を下ろし、女性らしい白の法衣を着て。
 服装と化粧一つで、彼女は完璧に女性だった。
 メディアとは違い、女性らしい体のラインをしている。そして、あの美貌。
 聖女らしからぬ常日頃を知る者でも、今は彼女を聖女として見る。
 多くの者は彼女が一児の母であることを忘れる。
「アルスさん、綺麗」
 アミュが呟いた。
 当然だ。彼女は美しい。その美貌に、一目ぼれしてしまったのは自分だ。
 あの時は、すごかった。
 半死半生のまだ幼い少女が、突然現れた自分達に向けたあの瞳。そして助けに来たと言ったとき、己のことよりも、真っ先に娘を頼むと言ったときの、嬉しそうな顔。壮絶なまでに美しく、母親の強さというものを感じた。親のいない彼には、そんな風に守ってくれる存在はいなかった。知らなかった、そんなことがあるなど。
 あのときから、ずっと彼女が好きだった。都合よく、メディアの父親は死んでしまったようだった。それを聞いたとき、正直喜んだ。
 浅ましいと思いながらも。
「これから、奇跡を起すんだよ」
 ミンスは初めての子供たちに教えてやる。
「え? 女神降臨はやらないんじゃ」
「それは最終手段。他にもいくつか手はあるの」
 彼女は墓標の前に立ち、呪文を唱える。
 多くの者が息を呑む。
 町で奇跡を待つけが人や病人も。
 不幸を背負った身内を持つ者も。
 女神降臨ほどではないが、しかし確実に奇跡を起すこの儀式の完成を待つ。
 歌うような美しい調に、ミンスは聞きほれた。
 アルスのすべてが好きだ。彼女といると、暖かい気持ちになる。
 だから、そのアルスが大切にしているメディアも好き。
 カオスとは違い、純愛なのだから。

 ──疲れた。
 アルスは人々の手を逃れて寄宿舎に帰ると、平然を装いいつも心の中で呟いた。
「お疲れ様」
 ミンスがやって来る。ルートはハウルのところにいるのか、その小さな姿は見当たらない。
「疲れた。メディアは?」
「カオスにつれてかれた。覘く用意はしてあるよ。っていうか、念のためにヴェノム様達に監視してもらってる」
 さすがに賢者が二人揃うと、平然と高度なことをしでかす。
 アルスはミンスに連れられ、近くにある特別教室に入った。
 皆そこにいた。
「他人の泥沼愛憎劇って、面白いよねぇ」
「うん。人事だからね」
「お前ら、顔ばかりか変なところまでに似ているな……」
 などという金髪の二人と虹色に輝く髪の少年。
 誰?
 その横に、知らない男性と女性がいた。
 しかも、邪悪な気配が漂っている。
「赤の賢者、リッチーのボディスさん」
「ああ、あの有名な」
 納得。世界で最も罪深き人間の一人とされるだけはある。
「んで、そんなに泥沼なのか?」
 アルスは用意されていた水鏡を覗き込む。
 カオスは椅子に座り、メディアを膝の上に載せていた。そして
「説得に成功したらしくって、泥沼どころか、濃厚なラブシーンになっちゃったけど」
 幼い娘に、あの男は何をしているのだ。
 さすがにアルスはむっとする。
 その頃には子供もいたことを棚に上げ、邪魔しに行こうとした。
「メディア」
「ん?」
 カオスはメディアを抱えたまま立ち上がり、ベッドへと移動した。
 アルスはその様子を見て顔が引きつる。
「これからすることは、内緒ですよ」
「え? うん。でも、なんで?」
 アルスは疲れなど忘れて、窓から飛び出した。
 許すまじ。

 アルスはヴェノムの手をがっしと握った。
「うちの娘を、よろしくお願いします」
「ええ、任せてください」
 ハウルは小さく息をつく。
 あれから、ここにメディアを置いておくのは何かと危険だと判断した一児の母は、信頼の置ける女性に娘の再教育を頼むことにしたようだった。
「アルスは何を怒っているのかしら?」
「………お前さ……性教育とか受けてないのか?」
「え? どうして?」
 理力の塔でも、最低限のその手の授業はしているはずだ。
「一時期、メディアの班ばっかに仕事回っていたことがあったから、そのときに終わっていたのかも」
 ミンスが言う。
「なるほど」
 言ったのは、カオスをよく知る親友、ボディス。
「え、どうして?」
「容易に想像がつくぞ。
 あれは、白いものを汚すのが好きだからな」
「…………マジでオヤジと同種だったのか」
 こんな変態の側に、何をされようとしていたか理解していないような少女を置いておくのは、危険すぎる。
「その危険性って、アミュも高いような……」
「アミュも一緒に教育受けなきゃね……。さすがに心配になってきたよ」
 いつも一緒にいてやれるわけではないのだから。
「男性を手玉に取る方法を、みっちりと仕込んで差し上げます」
「頼もしい限りです」
 アルスは感動した様子だった。
 あの男の嫁になるのなら、それぐらいは必要だろう。才能もある。
「おにいさん。カオスさんはどうなったの? 悲鳴が聞こえてからだいぶたつけど」
「いいんだ、お前達は気にしなくても。メディアもヴェノムは好きだろ?」
「ヴェノム様に師事できるのは、なかなか素敵だわ」
 荷造りを終え、すっかり出発できる状態のメディアは、うっとりと呟いた。
 カオスのことよりも、知識欲の方が打ち勝っているらしい。
「あんたがいることだけが気に食わないけど」
 最後に毒を吐くことも忘れない。
「では行きましょうか」
 ヴェノムは振り返る。
「では私達も行こう」
 ボディスが息子達に言う。ゲイルはボディスの腰にしがみつき、手を振った。
「ラァス君、遊びに行くねぇ」
「うん。じゃあねぇ」
「失礼する」
 ボディスは家族を抱え、霞となって消えた。
 最後まで、ヴェノムを見ていた。
 やや、複雑な心境だった。
 知らない。何も知らないことが、苦痛だった。
「ハウル、行きますよ」
 ヴェノムはいつものように、無表情に言う。
 ハウルはヴェノムの元へと駆け寄った。
 気にしない。気にしていては、身が持たないから。



 ハウルの日記より

 今日、新しい妹弟子が増えた。
 クソ生意気だが、可愛い子だ。
 ボディスとかいう男には少しムカついた。嫁さんがいるのに、ヴェノムに色目使いやがって。

 ついでだが、なぜか当然のようにカロンがついてきて、ラァスが部屋に泊まりに来た。少しだけ鬱陶しいと思った。

 

back        menu        next

あとがき