11話 花壇の主

 

 彼女はぼんやりとそれを眺めた。
「はあ」
 最近出来たばかりの友人は、気が小さいかと思えば、鋼鉄の心臓の持ち主だと思い知らされた。
「おじさん。お友達のメディアちゃん」
「よろしく」
 それは仮面をとり、口元だけを笑みにして言う。
 額から鼻の辺りにかけて皮膚が焼けただれている。
「……………ねえ、アミュ」
「ん?」
「何? これ」
「これって……ブリューナスおじさん。悪霊なの」
 幽霊ではなく、悪霊。
 ──そういえば、ラァスがよく悪霊云々言っていたような……。
 これだったのだ。
「うーん。ここは驚くべきところなのかしら?」
「どうして?」
 アミュは首を傾げる。
 メディアは魔力はあるが、霊感はない。アルスは霊感の塊のようなもので、よく変なのにつけ狙われるらしいが、メディアは今日初めて幽霊と言うものを見た。
「………強いのは分かるけど、足まであると怖くないわね。まあ、所詮は幽霊。人間生きていてなんぼよ。なのにさっさと成仏しないなんて、大したこと無いわね」
「……………変わった女の子だね、アミュ」
「うん。すごく面白いの」
 メディアは言葉のキツさを自覚している。
 だからこそ、こんな風に言う者が信じられなかった。
 同年代の女の子に「友達」として誰かに紹介されたのも初めてだったような気がする。
 いつもは少し年上の連中と付き合っていたから。
「んで、メディアは好きか嫌いか」
 背中に震えるラァスを貼り付けて、窓からこちらを眺めていたハウルが問うた。
「微妙だな。怯えもしなければ、無邪気でもない。
しかも初対面でこうも悪し様に言われたのは初めてだ」
 彼は仮面を装着してハウルに答えた。
「どうでもいいけど、ラァスなんでそんなところで、ヒロインチックなことしているの?」
「こいつ、幽霊苦手なんだ」
「へぇ。それは意外だな」
 ハウルを羨ましそうに眺める変態王子が呟いた。
「それでよく人……おっと、すまない」
 彼はラァスに睨まれ、言いかけた言葉を飲み込む。
「しかし、よくこんな城に住んでいるな」
「庭に出なきゃ会わないもん」
「城の中で会ったことはないのか?」
「……………いるの?」
「ああ。上半身だけの女の子が匍匐前進して『足はどこ』って言って人をつけてきたり。他には」
「言わなくていい! もう聞きたくない! カロンのばかぁ」
「いや、脅すつもりは」
「ハウル、今日も一緒に寝よ」
「そのおっさんと寝てもらえ。悪霊も追っ払ってくれるぜ」
「やだぁ」
 メディアは小さく息をついた。
 人間、苦手の一つや二つあるものだ。
「はっ。たかが悪霊の一つや二人に怯えているなんて。みっともないわね」
「あ、でも、私もごきぶりとか苦手だから」
「……あんた、フォローのつもりなんでしょうけど……いくらなんでも本人の前でゴキブリと比べるのはよしなさい。私でもそこまではしないわよ」
「ああっ、ご、ごめんなさい、おじさん」
 アミュは慌てて謝る。ブリューナスはくつくつと笑った。
「そうだな。なら、この庭の隅のある、あそこらへんに花壇があるんだ。
 もしもよければ、掃除してやってくれないか。
 歳近い女の子の方が、あれも安心するだろう」
「誰かいるの?」
「ああ。町の連中に犯された挙句殺された女の子が。たまには綺麗にしてやりたいものだから」
 その言葉に、二人は互いに頷きあい、ハウルの農具を借りた。

 彼はそれをモノクル越しに眺めた。
「へぇ。すごいものだな」
「何がすごいんだ?」
 ハウルが問うた。その背中に、ラァスがへばり付いていた。
 脅してしまったため、一人で部屋に戻るのが怖いのだろう。
「ブリューナス子爵と言えば有名だ」
「そーなのか?」
「ああ。ここまでの経歴を持つ殺人鬼も珍しいからな。
 十五で殺人に目覚め、二十九で民に殺される。ここまで話になる人生を送るなんて、素晴らしいじゃないか」
 カロンはくつくつと笑うブリューナスを見た。
「私は有名なのか?」
「ええ。有名なホラー小説のモデルも貴方のはずだ。
 ジェームスとか言う、中年紳士の怪人」
 なぜか、背後でハウルとラァスがこけた。
「ど、同一人物?」
「どーりで。こんな殺人鬼、普通あんまりいないもんね」
 そういえば、国ではジェームスは今や伝統的な怪談話となっているらしい。
「お話の中では、娼婦ばっかり殺してけど」
「娼婦も殺したよ。大人の場合、子供のときと違って、うんと残酷に殺してやった。美少年と大人の女は、マースが好んで殺していたがね。あの子は本当に生かさず殺さすの加減が上手くてね。私は小さな男の子を、あまり長く拷問するのは好かなかったのだが」
「え? そーなん? 意外だな」
「むしろ、追い回して遊んでいたよ。城の奥で一人だけ少年を放して、逃げ延びたら勝ちという。大半は途中で罠にかかって震えているんだ」
 と、ブリューナスはラァスを見た。ラァスはふるふると震えながらハウルの背に顔を埋める。
「ああ。それでラァスを追っかけるの好きなのか」
「これは私のだ。許可なく手を出すな」
 カロンはさすがにむっとして、ラァスを庇う。
「カロンのものになった覚えは無い!」
「そんなこと言わずに。君さえ望めば、悪魔でも消滅させられる術を教えてやるのに」
「消滅させちゃダメなの。そんなことしたら、アミュが泣くし。
 アミュも成仏させるのなら、納得してくれると思うんだ」
「そうか。それもそうだな。アミュちゃんが泣くのは忍びない。
 なら、浄化される術を教えようか?
 少し難易度が上がるが、君にならマスターできるだろう」
 ラァスは心揺り動かされたのか、俯き考える。
「ほら、あそこには生皮はがされた女性が……」
「ええ?」
「気にするな。見えないってんならな」
「やっぱりいるの? ねぇ、いるの?」
 彼は蒼白になってハウルを揺さぶった。
 ──なんて可愛いんだ。
 微笑む彼も可愛いが、怯える彼も可愛い。
「あの程度なら、お前が心から否定し続けている限り、寄ってこねぇから。
 やばいのはこのおっさんとマースぐらいだから、大丈夫だって」
「え? 寄ってこないの?」
「聖眼だからな。それ自体が魔避けなんだ」
「そーなんだ。この目のおかげで、僕って得して生きてるんだね」
「だから、ここに寄らなければお前は幽霊見ることなんて無いんだって」
 ラァスは嬉しそうに笑う。
 あの微笑が、自分に向けられたらどんなに幸せだろう?
「でもさ、いい機会だから習ったらどうだ? こいつ浄化させるかさせないかは別としてもさ。せっかくタダで使えるんだ。使えるものは使うのがポリシーだろ?」
 彼はしばし迷ってから、呟いた。
「そ………だね」
「そうか、ならば」
「そのかわり、変なことしないでよ」
「ああ、もちろん。しかし私は厳しいぞ」
「セクハラさえしなければ別に」
「信用が無いな。心から愛している君に、もう嫌がるようなことはしないよ」
 やはり、笑いかけて欲しいから。
「なら、教えてもらおっと」
「よかったな。だから、ひっつくならこいつに引っ付いてろ。俺と違って嫌がらないから。んじゃな」
 言って、ハウルは風のごとく立ち去った。
 そろそろ、畑の水やりの時間だ。

 確かに、小さな花壇があった。
 可憐な花が咲いている。
「……これも毒草かしら」
「ううん。知らないからただの雑草だと思う」
「………知らないと毒草じゃないのね」
「うん。このお城の毒草は覚えたから。どんな効果があるかまでは分からないけど」
 教育基準がずれている。しかし、仕方がないことだ。
「………え? お花はそのままにしてほしいの?」
 アミュは見えない誰かと話をした。
「誰?」
「ええと………ローシャちゃんだって」
 メディアはアミュの指し示すほうを見た。すると、徐々に何かが見えてきた。
 ハウルと同じ年頃の少女。上品そうな、ごく普通のお嬢様だ。
「始めまして、ローシャです」
「こちらこそはじめまして。メディアよ」
「これはこれはご丁寧に。
 こんな端のほうに来て頂き、なんとお礼を言っていいことか」
 彼女はおっとりと微笑んだ。
 ──こんな女の子を……。
 既に死んでいる連中でなければ、報復の一つや二つや三つや四つはしていただろう。
「私、男性が少し苦手で……ハウル様たちが遊びに来ると、子爵様が喜ばれるから嬉しいのですが、私は少し怖くって……」
「辛かったのね」
「気づいてあげられなくてごめんなさい」
「いえ……あなた達みたいな綺麗な女の子たちとお話できて、光栄です」
 だから男は嫌いなのだ。
 ──無節操で、いい加減で……。
 カオスのことを思い出す。
 今でも腹は立つ。今度浮気などしたら、絶対に別れてやると思うほど。
 しかし、それでも好きなことには変わりなく、思いは複雑だった。
「………生きている方はいいですね。好きな場所に行けて。私は子爵様やマース様のような強い力は持っていないので、ここから動けないんです」
 自縛霊という奴だろう。ブリューナスよりも幽霊らしい幽霊である。
「あら、だったらこれからちょくちょく来てあげるわ」
「うん」
「本当に?」
「ええ」
 二人は同時に頷いた。

「へぇ、婚約者がいるのですか。羨ましい」
 彼女は照れたように小さく頷く。
「アミュ様は?」
「様はいらないよ」
「いいえ。そういうわけにもいきませんわ」
 彼女はしゅんとした。
 神の娘を自分と対等に扱ってはいけない。
「アミュ様はラァス様のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
「え? ラァス君?」
 しばらくして、ようやく言葉の意味を理解し、彼女は赤面した。
「わ、わたしみたいなブス……ラァス君みたいな綺麗な男の子と……」
 彼女は首を横に振る。
「あら、何言ってるの。アミュは可愛いじゃない。ラァスと並んでも遜色劣らないわよ」
「そ、そんな。わたしなんかと比べたら、ラァス君に失礼だよ」
「まあ、アミュらしいわね」
 メディアはくすくすと笑う。
「で、ラァスのことはどう思っているの? 好き?」
「好きだけど……」
 彼女は首をかしげた。
「ハウルとどっちが?」
「同じぐらい好き」
 今のところは脈なし、のようだ。
「そういうの、よく分からない」
「まあ、そのうち分かるわよ」
「そうかな?」
「その前に、ラァスの方からプロポーズしてくるかもしれないけどね」
「そんなことないよ。ラァス君綺麗なもの好きだから」
 彼女は断言した。
 メディアはくすくすと笑う。
「なんか、こういう話するのって、始めてかもしれないわ」
「わたしも」
「私もです」
 ローシャは可愛らしい少女二人を目の前にして、楽しくて仕方がなかった。
「今までの女の子はこの城にいるだけで怯えて、ろくにお話をしてくれなかったもので」
「…………あの男がいればそうでしょうね」
「せっかく子爵様から頂いても、助けてだの帰してしてだのとうるさかったり、怯えて面白いお話をしてくれなかったり。
 私が、せっかく愛してあげると言ってさしあげましたのに……」
 かつてを思い起こすと、興奮する。
 男など汚らわしい。気を許せたのは子爵様だけだった。マースも隙あらばこちらを殺そうとする。
 綺麗な穢れの無い女の子が好きだった。
 この二人のように。
「で、どうしたの?」
「無駄にある舌を切って差し上げましたの」
 そのときの彼女達の、美しいこと。
「……それだけ?」
「いえ、時折マースに捕まり、拷問死させられる子がいましたので、そうなる前に私と一つになってもらいました。マースみたいに食べてしまうのではうつくしくないので、針だらけの箱に入れて、その子達の全身の血を浴びましたの」
 全身で命を受け取るその快感。
 思い出すだけで、胸が躍る。
「………」
「今でもその装置は残っていますのよ」
「あ、穴がいっぱい開いた女の子、地下室の前でよく見る」
「あんた、そんなもの見えて、よく平気ね」
「どうして? 前に住んでいた村の側にも、頭や背中に矢や槍の刺さった人をよく見たけど」
「……そう。つまりは慣れなのね」
「メディアちゃんは見ないの?」
「ぜんぜん」
「そっかぁ。ハウルおにいさんも見えるみたいだけど、おにいさんを見ると向こうが逃げていくから、あんまり見ないみたいなの」
「へぇ」
 メディアは男たちだけで話し合っている三人を見て、呟いた。うち一人は、目を閉じてカロンの腕にしがみ付いているが。
 そのとき、悪寒を感じた。
「マース、そこにいるわね。出てらっしゃい」
 ローシャが二人の背後を睨み、声を低くして言った。
「おや、気がついた?」
 憎き少年が地面から水の形をとって湧いて出る。やがて生来の姿をとる。
「アミュ、こんなレズ女の側になんて寄らない方がいいなぁ」
「マース君。こんにちは」
「テンポずれてるよ」
「あの……ごめんなさい」
 アミュが謝ると、マースはローシャを見た。
「アミュ様。こんような穢れた輩の傍に寄ってはなりませんわ」
「どっちもどっちじゃない」
 メディアは冷たく言う。
 やはり彼女は普通の人間だ。怯えないだけで。
 やはり、アミュがいい。
「アミュ、そんなのほっといて、俺と遊ぼう」
「何を言うの? 貴方みたいな下品な方と遊んでは、アミュ様に悪い影響しかありませんわ」
 メディアは立ち上がった。
「そろそろおやつの時間よ」
「そっか」
 アミュは目を輝かせて立ち上がった。
「おねえさんを手伝ってくるから、明日また来るね」
「行かなくていいわよ」
 メディアは冷たく言い、アミュの手を引いて立ち去った。
「ああん。メディアちゃんったら、可愛い」
「ああいう女の子泣かせるのって、楽しいんだよなぁ」
「お前ら、黒魔術師にそんなこと言ってると、消されるぜ」
 いつの間に近くにいたハウルが、呆れ半分呟いた。忍び寄るのが好きな少年だ。見ている限り、珍しいことではない。
「……そうね。諦めましょう」
「さすがに消されるのは嫌だな。んじゃ、俺池に戻るから」
 こうして、再び彼女の一人きりの時が戻ってきた。

 翌日、アミュは可愛らしい人形を持ってやってきた。
 一人でも寂しくないようにと。
 その心が嬉しくて、受け取った。

 だけれど私は寂しくなど無いのよ。
 彼女にも見えないようにしているが、ここにはいっぱい恋人達が眠っているのだから。

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あとがき