12話 嘆きの浜

1

 とある朝。
 ハウルは言った。
「ヴェノム。そろそろ移動した方がいいんじゃねぇ?」
 この城があるのは、山の麓にある森の中。
 最近めっきり寒くなってきた。
 言ったハウルは平然と、Tシャツ一枚で過ごしていた。
 暑さに弱いが寒さには強いと聞いた覚えがあるが、これは反則だ。
「あいつら凍えてるし」
 指し示すのは、ラァスとメディア。
 二人は暖炉の前を陣取り、元のスタイルが分からないほど着膨れするほど着込んでいた。
「ってか、なんで平気なの? こんな雪が降り積もる中で」
「まったく、だからこの化け物は嫌なのよ」
 この部屋はだんだんと暖まりつつあるので、まだマシだ。ベッドから出たときの、あの寒さ。ハウルが起しに来るまで、ベッドから出る気にもならなかった。
ここではそろそろこの上着を脱いでも構わないが、一歩外に出ると、やはり寒い。凍る。
「ここ、夏の避暑地だからな。冬いるには向いてねぇんだ」
「夏は涼しくてよさそうだけど」
「ああ、外を見て。なんか真っ白」
 背の高い木や、ところどころ蔦の絡む城壁が、今や真っ白で幻想的だった。
「雨戸閉めてないのここだけだから、空けるぞ」
 突然、ハウルが鬼のようなことを言い出した。
「ええ?」
「閉めないと、雪に埋もれたら窓壊れるだろ。城は丈夫でも、窓は普通の窓だからな」
 ──埋もれるほど降るんだ……。
 ハウルは問答無用で窓を開け、硬い木で出来た窓をはめ込み、窓を閉める。
 その間わずか二十秒。しかし、暖かい空気が抜けるのには十分だった。
「さむっ」
「そんなもの外から締めなさい」
「いや、どのみち窓を開けないとはめられないから、これが一番近道だよ」
 再び震え始めた二人は、再び温まるそのときを待つ。
「そうですね。今年は一気に寒くなりましたね」
 そう。ここ一週間だ。絶えられないほどの寒さになってきたのは。そして今日、ついに雪が降り始めた。
「二人とも、水桶持って来たよ」
 アミュが台車に二つ、水の張られた桶を持ってきた。
 彼女も寒さは平気らしい。さすがに、見ているだけで寒い服装はしていないが。
「アミュも元気だよね」
「うん」
 羨ましい。これほど火神の血が羨ましいと思ったことはない。
 火や水に属すると、体温調節するような術が得意になると聞いてはいたが……。
 アミュの場合、ただ生きているだけでそれが可能らしい。
「待っててね。今お湯にするから。足湯、気持ちいいよ」
 彼女は水に手を浸し、力をいれる。最近、呪文を唱えずに熱を微調整できるようになったらしい。初めの頃は火の玉を出せる程度だったのに。
「はい」
 アミュは二人の前に桶を置く。靴を脱いで足をつけると、背筋に寒気が走る。
「……あ、気持ちいい」
 アミュが嬉しそうに微笑んだ。
 ──ああ、極楽。
「そうですねぇ。そろそろ移動した方がいいです……ハウル?」
「ん?」
 ハウルはどこからともなく、大量の荷物を出現させた。
「あ、みんながここで震えて外に出たがらないだろうから、クローゼットや机ごと持ってきたから。ここにある以外で、他に何かいるもんあるか?」
「ないけど」
「ええ」
「はいいけど、なんで釣竿持ってんの?」
 彼はふっと鼻で笑い。
「冬といえば海! 海といえば海産物! 魚介類が俺を待っているぅ!」
 まあ、ハウルらしいといえばハウルらしい。
「新鮮な魚食わせてやるからな。まっ、嘆きの浜の方は平野だし、雪も滅多に降らないから安心しろよ」
「どうせなら、夏に行きたかった」
 そうしたらダイビングとやらもできただろうに。
「でも、海が見られるんだ! わたし海初めて!」
 アミュは泳げるわけでもないのに手を叩いて喜んだ。
「あら、そうなの? 良かったわね」
「実は僕も初めて。夏につれてきて欲しかったなぁ。そしたら泳げたのに」
 海といえば、思い起こすのはリゾート。しかもヴェノムの土地だからプライベートビーチというやつになる。
「泳ぐのか? 命知らずな……」
「……そんな……海水浴するのも危険な場所なの?」
「あそこにゃ人魚がいる」
「聞いた」
「人魚ってのは、肉食だ」
「ええ!?」
 いや、思えば当然である。魚も肉だ。
「人間は栄養にならんからあんまり食べたがらないけど、腹へって弱ってる奴は食うぜ」
「弱ってると食べるの?」
「ほら、人間って泳ぐの遅いし。力弱いし」
 確かに魚と比べれば。
「俺やアミュ食べようとする馬鹿はいなくても、お前みたいな人間は危ないぜ」
「どこの誰だよ、水妖が大人しいって言ったのは」
「食事のことに関しては別だ。好んで人間食べるわけじゃねぇし。事前にちゃんとあそこの長に話しとおしておけばいいだろうけど………ほら、人間も腹すくと自分の子供だって食っちまうし。そぉいうの、なかったか?」
 ──うち、さすがにそこまではひどくなかったです。
 戦争やっている地域、特に負けたところなどではあると聞く。さすがに都会でそれをやったら、猟奇殺人と呼ばれるだろう。
「そういえば……別にどうでもいいのですが、ここ数日カロン殿下をお見かけしないのですが……諦められたのでしょうか?」
 ヴェノムは呑気なことを言う。彼女はいつものような黒のドレスである
 ──そーいや師匠、夏でもこんなドレス着てたよーな……。
 彼女の場合、術で体温調節しているのだろうが……。
「うん。誕生日いつって聞かれたから、一週間ぐらい後って言ったら出てった」
「あら。今度は何を盗まれるのでしょうか?」
「えへへ。誕生日プレゼントなら、見返りを求められることもないし。でも盗品はやだって言っておいたから」
「そうかぁ?」
 ハウルは呆れた様子で言う。
「何言ってんの? 普通のプレゼントでも見返り求めるなって感じだけど、誕生日ともなれば、なおさらだよ。そんな度量の狭い男、いい男とは認めないね。ねぇ、メディアちゃん」
「まったくね。誕生日プレゼントと言うのは、その人が一年死に近付いたのを哀れんで送るものでしょ」
 その台詞に、ラァスは椅子からずり落ちた。
「ちょっとまって………理力の塔って、みんなそーなの?」
「何が?」
「普通、生まれた日を祝うんじゃん! その名の如く!」
「………そうなの? カオスが言ってたのに……」
 メディアは瞬きをした。
「………カオスは、無垢な子供にしょうもない嘘を教えるのが大好きな人間です」
「え? じゃあ、騙されてたの!?」
 最近、彼女はアミュに勝るとも劣らない天然であることを悟ったラァスは、諦めて座り直した。
「メディアちゃんって、純粋だよねぇ」
「ほんと。ラァスみたいに汚れきってないから、からかうの躊躇うよなぁ」
「誰が汚れきってるって?」
「はははは。自覚無いのか? 確信犯」
 確かに快くカロンを見送ったりしたが……。
「別荘に行くのは、殿下が帰ってくるまで待ちましょうか?」
「反対」
「僕も今は宝石よりも、凍えないお部屋がいい」
「そうですか。なら、置き書きだけ残して行きましょうか。殿下なら問題なくたどり着いてくださるでしょう」
 どうせカロンだしいいかという雰囲気に、ヴェノムも流される。
「しかし、出発は明日です。管理人の方にも連絡を入れて、準備をしてもらわなければ」
「あ、もうした。三日ぐらい前に」
 ハウルが挙手して言う。
「ハウル、そんなに釣りしたいの?」
「このまま寒くなるかもしれねぇなぁ、とか思ったんだよ。
 ヴェノム、寒いの好きじゃねぇし」
 こんな時にヴェノムの名を出しても、白々しいとしか言えない。
 しかしそのおかげで、雪が滾々と降る中、毛布と布団を重くて寝苦しいほどいくつも掛けて寝る必要がなくなる、ということだ。

 嘆きの浜。
 その名に相応しくない、とても美しい砂浜だ。
 砂は白く、海はグリーン。
 暖かい部屋の中にいると、まるで夏と変わらぬ風景に思える。
 感傷に浸るハウルとアミュの背後で、とある騒動が起きていた。
 太って見えるほど着込んでいたラァスとメディアは、コートを脱ぎ、セーターを脱ぎ、何枚も重ねて着ていたアウター、インナーを脱ぐ。メディアも平然と下着姿になった。
「メディア、恥じらいとかはねぇのか?」
「別に下着になってるわけじゃないじゃない」
 タンクトップと毛糸のパンツ。
 確かに下着と呼ばれるものではあるが、実際には下着の上に着るものだ。下着でないと主張されれば、下着だとは言えない。
「着込んでると肩凝るんだよねぇ」
「そうそう」
 二人は着る物を選別し、少し前と比べると、ずいぶんとスマートに着込む。
 しかしどのみち着込むようだ。
「そんな寒いか?」
「浜辺に行けば寒いんじゃない?」
「そうよ」
 ハウルは釣竿など持って準備万端であるというのに。
「お久しぶりです、ヴェノム様。ハウル様」
 毎年聞く、その懐かしい声にハウルは振り返る。
 昔はハンサムだっただろうと思わせる、長身の老紳士。
「久しぶり、じーちゃん」
「ええ?」
「ハウルのおじいさん?」
「違うって」
 変な誤解をする太った二人に、ハウルは呆れ半分ツッコミを入れる。
「この方は、この屋敷を管理してくださっているヨハンです」
「始めまして、ヨハンと申します」
 彼は温和とは程遠い、厳しい顔をして頭を垂れた。
「一応言っとくけど、ただ顔が怖いだけだから」
 その言葉に、二人は同時にヴェノムを見た。
 ──失礼な奴らだな。
 人のことを失礼失礼と言う奴ほど、本当の意味で失礼なことをしているものである。

「お荷物は私が運んでおきます。皆様は、観光でもなさってください」
「ああ、行って来る」
 ハウルは皆を引き連れて、外に出た。
「あ、あんまり寒くないし……」
「むしろ暑いわ」
「着込んでるからだって」
 二人はコートを脱いだ。
「ここって、そんなに離れた場所なの?」
「けっこうな。深淵の森から真南だから気温が高いのは当然だ。地形的なものもあるし、魔術的な部分もある」
「師匠、そんな大地主なの?」
「もちろん途中でいっぱい途切れてるぜ。町とかあるしな。貸しているところもあるみたいだけど」
 それでも半端ではない大地主ということには変わらない。数世紀にわたり、土地を買いあさった結果である。
「まあ、全部面積あわせると、国一つ出来上がるぐらいはあるな」
「……………」
 呆れて口を開けっ放しにする三人。
 ハウルは満足し、前方の海を見る。
 屋敷から海は近い。そういう場所を選んで建てたらしい。
「おにいさん。海、さわってもいい?」
「波に気をつけろよ」
「うん」
 アミュは微笑み、浜辺に寄る。
 ラァスもそれに続き、二人はしばし波を見ていた。やがて決心し、近付く。波が来る。逃げる。それを何度も繰り返し、波が引こうとしたときに海水に手を浸す。
「無邪気ね」
「お前ははしゃがないのか?」
「塔から海は遠くは無いわ」
「そっか」
 まあ、彼女がはしゃぐところは見たことが無い。海ごときできゃらきゃら笑ってわいわい騒ぐのは、彼女らしくないだろう。
「ハウル! 本当にしょっぱい!」
「おにいさん。お塩ってどうやって作るの? 水分飛ばせばいいの?」
「いいや。にがりが入ってるからな、ただ水分飛ばしても苦い塩が出来るだけだ。後で塩田に連れてってやるよ」
「あら、塩田は私も見たこと無いわね」
「明日な。先に連絡入れとかないと、失礼だしな」
 世の中、親しい仲でも最低限の礼節は必要だ。急を要するならともかく、時間があるなら最低限のマナーは守らなければならない。
「お前ら、あっちの岩場行くか? 面白いぜ。カニとか貝とかいっぱいいるし。貝とって、夕飯の材料にしてもらおう」
「うん」
 二人は目を輝かせて頷いた。
 ──ふ……ラァスもまだまだ子供だな。
 ハウルは釣り道具を持って、岩場に向かう。
 岩場は、彼の釣りスポットの一つだった。

 海は満ち引きするという知識は持っていた。
 だから、岩場のくぼみの部分に海水が残って小さな池が出来るのは理解できた。だが、そこに魚がいるのに驚いた。
「間抜けな魚だなぁ」
 ラァス呟いた。
「小さいな。海に帰してやれ」
「うん」
 アミュは頷き、魚に暴れないよう説得して海に帰す。
 言葉を理解しているというよりも、神の言葉だからだろう。本能的な部分で動けないのだ。
 ハウルはそれを見てから、突然リールを巻く手を早めた。
「え? もう釣れたの?」
「ああ。お、アジだ。美味いぜぇ」
 ハウルは慣れた手つきで魚を引き上げ、針を外して氷をたくさん入れた箱の中に入れる。
「おにいさん。このつくつくの黒いのなぁに?」
「ウニだ。美味いから。高級食材だぜ」
「え? これが?」
 ハウルは海の中を見て、指でウニを招き寄せる。宙を飛んできたウニはハウルの目の前で止まり、ぱかりと二つに裂けた。オレンジ色の、気味の悪い中身が現れた。それを少し手に取り、ハウルは食べる。
「ほれ、マジで美味いから」
 三人は怪しみながらもそれを口にする。
 確かに美味しい。
「あら、いいわね、これ」
 メディアはいたく気に入ったようで、ハウルの網で、見えるところにあるウニをすくう。
 ハウルは餌をつけて、竿を振った。
「おにいさん、この星の形のはなぁに?」
 アミュが星型の生物を手に取った。
「……グロ」
 口らしきものが中央にある。
「それはヒトデ。アミュ、反対側見てみな、口あるから」
「…………」
 アミュは丁寧にそれを元あった場所に置いた。
 さすがに気色悪いと思ったのだろう。
「アミュ、そこにもぞもぞしたのがあるだろ」
「これ?」
「この棒で突っついてみ」
 アミュは言われた通りにつつく。すると、にょろにょろした触手がきゅっと閉じた。
「イソギンチャクな」
「面白い」
「素手では触るなよ。海の生物って、猛毒持ってるの多いから」
「そーなの?」
「ああ。不用意に触らなけりゃ大丈夫っと……またかかった。今日は大漁かな?」
 ハウルは笑いながらリールを巻く。
「ん………重……」
「え? 大物?」
「ってか、重すぎ……ごみ引っ掛けたかな?」
「代わろうか?」
「頼む」
 ラァスは代わると、確かに重かった。しかし、どこかに引っかかっているわけではない。
「ってか、よく切れないね、この釣り糸」
「ふっ。お前を売った分の値打ちはあるってことさ」
「って、これってカロンがくれた、僕の値段!?」
「高い上に手に入れにくいんだぜ。ハーリッヒ作の釣具」
「僕はそんなに安くないもん」
「徹夜しただけだろ?」
「徹夜したら、僕のおはだが荒れるでしょ?」
「ヴェノムにローションもらってるだろ。あれも本当は高いんだぜ」
「だろうねぇ」
 そんな会話をしながらも、ラァスは糸を巻いていく。
 おぼろげな輪郭が見えてきた。雲が突然太陽を隠して、暗さになれない目はなかなかその姿を捉えられない。
 とにかく巻いて、最後に──
「えい」
 力を込めて一気に引き上げ………。
 どさっ。
 ぴちぴちぴち。
「え………」
 人魚だった。
 しかも、魔道師の姿をした。
 しかも、知った顔。
 さらに言えば、その腰にも知った顔の人間が引っ付いていた。
「あれ? ラァス君?」
「………ゲイルちゃん………に、ハディス」
 人魚とは、ハディスのこと。
「ハディス………お前、人魚だったのか」
「男の人魚なんて、色気もロマンも無い………」
 ハディスは首元のマントに引っかかった針を外そうと、必死な形相で足掻き、ぴちぴちとしていた………。

「うちの母親が、ここの出身なんだ」
「へぇ」
 ラァスはハディスの足を見ながら相槌する。
 靴を履いていることを疑問に思っているのだろう。
 ハウルも同じ気持ちだった。
「お袋さんは海の中に?」
「ああ」
「親父さんは?」
「どこかで待っているだろう。父は昔ここの長を食い殺している。だから海に入るわけにも行かないからな」
「…………お前は入っても問題ないのか?」
 ハーフとはいえ、偏見をもたれて当然だ。腰にゲイルが引っ付いていたのも、その辺を考慮してのことだろう。
「私は現在の長の甥に当たる。以前の長の孫とも言うがな」
 それはつまり……。
「…………よく、お前生まれたな」
「私も同感だ」
 しかし、彼の母親のメルも、よく自分の母親を殺した男に嫁いだものだ。かなり仲が良かったように記憶している。
「まさか、釣られるなどという経験をするとは、思いもしなかったぞ」
「はははは。俺も人魚釣ったのは初めてだ。普通人魚なんて、そんな引っかかりやすい服着てないからな」
「釣りをやめようとは思わないのか?」
「ぜんぜん」
「…………ゲイル、危険だから散歩は終わりだ」
「うん、いいよ」
 アミュと一緒になって、開いているイソギンチャクをつつき始めた彼女は、満面の笑みで言う。
 ハディスは少なからず嫉妬した様子で、アミュを見る。
 彼女のハディスに対する無関心さは見ていれば分かるので、気持ちは理解できないこともないが……。
「そだ、今夜うちにこないか? あの屋敷にいるんだ。両親誘ってさ」
「…………」
「うん、行く」
 ハディスが答えるのを躊躇していると、ゲイルがぴょんと立ち上がった。
「相変わらずだねぇ、ゲイルちゃん」
「うん」
 ゲイルは行く気満々だ。ハディスが来なくても来るだろう。
「ちっ。では父さんを探してくる。お前はここで待っていろ」
「じゃね」
 見送るゲイルの前で、ハディスは海に飛び込んだ。
 水を媒体とした転移術。水妖独特の術だ。
 本当に、ゲイルには甘い男だ。
 ハウルは夕飯のためにも、是非にタイなど釣らなければならないと意気込んだ。

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