12話 嘆きの浜

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 ──なぜだ?
 彼は思う。
「ハディスよわーい」
 ゲイルにぐりぐりされながら、ハディスは考える。
 ──なぜ私はこんなところで、このメンバーとババ抜きを?
 子供五人で呑気にババ抜きを楽しんでいた。(ハウルのみは料理をしているので、ここにはいない)
 しかも、五回連続の負けだった。
 嫌な感じだった。
「私は抜ける」
 ハディスは立ち上がった。
「そだねぇ」
「止められないよね」
「さすがに哀れに思えてくるほど弱いとね……」
「ババ引かせちゃってごめんなさい」
 そこまで同情され、ましてや謝られる。ハディスはさすがに傷ついた。
 傷ついた彼が向かった先は、続きの部屋で酒盛りをしている大人たちのところだった。
「あら? ハディス。どうしたの?」
 ヴェノムが、いつもとは少し違う調子で話しかけてきた。
「べ……べつに」
「ハディスも飲む? 美味しいわよ」
「ヴェノム様。子供にお酒なんて……」
 真面目な母は、無責任に酒を勧めるヴェノムを睨んだ。
「ヴェノムは酔うと人が変わる。気にしないのが一番だ」
 ボディスは涼しい顔をしてワインを飲む。
 ──酔っているのか、この人は。
「私は酒は飲まない」
「真面目ねぇ」
 グラスを持ったまま立ち上がった彼女は、ハディスの頬にキスをした。
 ──へ?
「ヴェノムが酔ってるだと!?」
 どんな耳をしているのか、突然ハウルが押しかけてくる。なぜかピンクのエプロンをして、血の付いた包丁を持っていた。
「ああっ、マジに酒飲んでるっ!
 おっさん、なんてことすんだっ!?」
「お……おっさん……」
「ハウル君。ボディス様になんて失礼なことをっ」
 ゲイルが抗議する。しかし、ばっさりと袈裟懸けに切るぐらいの勢いで彼は言い切る。
「おっさんはおっさんだろ。ジジイとか言われないだけマシだと思え」
 振り返れば、皆がずらりと並んでいた。そろそろゲームにも飽きてきたのだろう。
「師匠が酔うと問題でもあるの?」
「キス魔になる」
「いつもされてるじゃん」
「無差別になるんだ」
「ああ、それでハディスのほっぺたに口紅が……」
「何ぃ?」
 ハディスは慌ててそれを拭う。
「と、とれたか?」
 ラァスは常に持ち歩いているのか、携帯用の鏡を取り出した。
 広がっただけで、落ちていない。
「ハディス、なんかいやらしぃ」
 ゲイルが言う。
「そういや、今日は口紅してんのな。いつもは荒れるから嫌だとか言って、クリームしか塗らないのに」
「お出かけするときは口紅ぐらいするわ」
「えい、顔を近づけんじゃねぇ」
「本当にハウルは可愛いわね」
 ヴェノムに捕まったハウルは、必死になってヴェノムから逃れようとする。
「っていうか、師匠って口紅しててもしてなくても、元々唇の色いいからわかんないよね」
「……止めなくてもいいのかな?」
「いいんじゃない? さっ、僕達は今のうちに避難しようか」
「そうね。行きましょう」
「ハウル君、ばいばーい」
 見捨てていく仲間達を、ついには壁際まで追い込まれたハウルは、忌々しげに見送った。
 ハディスは皆の後には続かず、一人水場へと向かった。
 顔を洗おう。

 

 ラァスは廊下を歩いている最中、はたと気がついた。
 ──なんかいつの間にか、女の子ばっかの中に混じってる。
 悪い気はしない。みんな可愛い子だ。
「おにいさん、楽しそうだったね」
「まあ、あれでもハウルにとっては楽しいのかな……。
 でもアミュ、君はお酒飲まないでね」
「どうして?」
「なんか、僕の身の回りって、酔っ払うとろくでもない人多いから。アミュのそんな風な姿、見たくないし」
「うん、分かった」
 その中の一人にというか代表に、メディアやらハウルやらがいるのだ。ハウルは、少しハイになる程度だが、メディアはまずい。思えば父親もアルコール中毒だった。ラァスは酒というものとは、相性が悪いのかもしれない。
「おや、お嬢様方」
 正面から、ヨハンがやってきた。
 ──気配感じなかったぞ?
 やはりヴェノムの知り合いなだけはある。
「ちょうどよかった。浴室の掃除がすみました。広い浴室ですので、皆様で入られてはいかがでしょう? ここ周辺の温泉は、美容によいと評判ですよ」
「あら、いいわね」
 風呂好きのメディアが微笑んだ。
「皆では入りま……」
 彼女の視線がこちらに向いた。
「…………」
「……そういえば、あんた男だったわね。時々忘れるのよね」
「え? 男?」
 今までずっと勘違いしていたのか、ゲイルはただ首をかしげた。
「……うそ」
「ホントだよ。僕は男。君とか言ってるから、てっきり分かってるのかと思ってたよ」
「だって、男の子みたいな風にしてるだけだと思ってたから……」
 ラァスはため息をついた。
 ──ってことは、ハディスも分かってないよな……。
 許しているのだと思っていた。もしもばれたら、きっと嫌われるだろう。
 ──内緒にしとこ。
 ラァスは方向をあっさりと決める。
「さて、僕は部屋に戻るよ」
「そう、じゃあね」
 ラァスは部屋に向かう。
 この屋敷もなかなか広い。幽霊が出そうとかそういう雰囲気がないのが救いだ。
 しばし歩いて、部屋に着いた。
 窓から外を見ると、夜の海が見える。月に照らされなんとも言えぬおもむきがあった
「綺麗だな」
 綺麗なものは皆好きだ。
「よし、行ってみよ」
 上着を取り、外に出た。
 寒いには寒いが、まだまだ耐えられる寒さだ。
「なんか、これぐらいだと、逆に頭すっきりして気持ちがいいな……っと、光よ」
 ラァスは手の平に光を生み出し、海岸へと歩く。
 夜の浜辺は神秘的だった。
 月明かりを反射して、わずかにきらきらと光っている。
 光って……。
 ──って、本当になんか光が……。
「ひ、火の玉!? オーブ!? 漁火!?」
 そんな名称などなんでもいい。
 ラァスは急に恐ろしくなり、駆け出した。しかしそれでは意味がない。謎の発光体の正体は、もっと別のものである可能性もあるのだ。ラァスは自分に落ち着くように暗示をかける。
 ──大丈夫。あの程度の心霊現象、あの悪霊トリオに比べれば可愛いもの。我慢してカロンに習った事を思い出すんだ。
 足を止め振り返る。
 よくよく見れば、馴染み深い魔法の光が浮いているだけだった。
「あ、船がある。なーんだ、恐がって損した」
 ラァスは安心して、屋敷へと戻る。
 結局、一人でいるのが恐くなったのに変わりは無かった。

 

 ハウルは煮物の味を見ていた。
「うん。いい味だ」
 味も申し分なく、時間も頃合。
 大人たちはとっくに酒盛りを始めていたが。
 とりあえずヴェノムから酒を奪って、酔い覚ましに薬と水を飲ませまくった。なので、ひょっとしたらあまり食べないかもしれない。
 もちろん口紅からは逃れた。
 相手がヴェノムはといえ、理性がなければ敵ではない。というよりも、彼女から冷静な思想を取り上げれば、ただの人間に過ぎない。
「まぁいいか。ラァスが食うだろ」
 ハウルは火を消して盛り付けを開始した。
 魚の煮付けは大皿に盛り、先ほどさばいたばかりの鯛は、生作りにしてある。その他、数点の東方地方の流れを汲んだ、ヘルシー料理を盛り付ける。
「うーん。さすがは俺。完璧」
「うわ、自画自賛してるし」
 背後から、ラァスが声を掛ける。
 ハウルは出来るだけ自然に微笑み、
「おお、ちょうどいい。運べ、怪力」
 と、言ってやる。
「ははは。人魚釣った人がなんか言ってる」
「ははは。釣り上げたのはお前だ」
 二人はよくある言葉のじゃれ合いをして遊ぶ。そのときふとラァスが料理を見た。
「って、何? この茶系料理」
「美味い」
「ふぅん……って、この鯛、生きてる!?」
「厳密には生きていないが……まあ、生作りだ」
「生だよ」
「生が美味い」
「うそ……」
 ラァスは顔を顰めた。
「海の男を信じろ」
「君、空の男じゃん」
「気にすんな。ほれ、手伝え」
 ハウルはラァスを促す。
 二人で料理をワゴンに乗せ、ラァスに乗らなかった急須とお櫃(おひつ)を持たせて終わり。
「……なんか、そっちの方が楽そうなんだけど」
「お前に俺の大切な料理を運ばせられるか。俺の釣った魚達を!」
「……まあ、いいけど」
 ハウルの言い方に気圧されたのか、彼はすぐに引き下がる。
 趣味の事には口出ししないのが、賢い世渡りの法則である。ハウルもラァスの石マニアぶりには、何も口を出していない。
 ホラーが嫌いなくせに、いかにも呪われていそうな気配を感じる宝石を持っていても、気にしないでやっている。
「そういえばね、さっき海見に行ったんだけど、船がいた」
「は?」
「なんか、魔法の明かりを浮かべてたな。何か探してたのかも」
「馬鹿な。ここらは危険だから、船なんて出ているはずが……」
 その瞬間ラァスの顔がみるみるうちに青ざめた。
「まさか、幽霊船!?」
「うーん。それはないと思うぜ。ヴェノムに聞いてみるか」
「っていうか、師匠に近付いて平気なの?」
「ああ。酔い覚ましの薬飲ませたから」
「なんでそんなもの持ってたの?」
「ほら、万が一って事あるだろ?」
 ラァスは嫌な顔をして頷いた。何か覚えでもあるのだろうか。
 ダイニングに着くと、酒を取り上げられて、つまみのナッツを食べ続けるダメな大人と、風呂上りでさっぱりしている美少女たちがいた。
「風呂上りの女の子が色っぽいって、ホントだよなぁ」
「っていうか、なんでゲイルちゃんだけ見て言うの?」
「見りゃわかるじゃねぇか」
「まあ……ねぇ」
 ラァスもあっさりと頷いた。
「あら、夕飯? いいわねぇ。旅行気分になるわ」
 メディアが料理を見て、唇を舐める。
「ぼくらは本当の旅行中だよ。日帰り予定だったけど」
 ゲイルはアミュの少し大きめな寝巻きを着ている。日帰りでよくここに来ているのだろう。
「ラァス君。お風呂気持ちよかったよ」
 アミュに微笑みかけられ、ラァスは微笑み返す。彼女を見ていると、皆つられてほわほわしてしまうのだ。ラァスの下心ゆえではない。
「よかったね。さっ、食べよう。美味しいかどうか知らないけど」
 一言多い奴だ。これであまり敵を作ることがないのは、この少年の日々磨き上げている美貌とやらの賜物だろう。
「あら、美味しそうなお魚」
 メルが目を輝かせた。
 ──そーいや、この人海の人だもんなぁ……。
 並べていくと、少女達が物珍しげに料理を眺めていた。
「なに、これ」
「ライス」
「なんか、水っぽいわね」
「美味いって。わざわざ取り寄せたんだから」
「ハウル……本当に楽しみにしてたんだね。お茶まで用意して……」
 当たり前である。
 昔東方で食べた魚料理が美味くて、ヴェノムをそっちのけで一ヶ月ほど弟子入りしたほどだ。
「師匠の料理には程遠いがな、美味いぜ」
「師匠って?」
「神様とか言われるぐらいの料理人らしいぜ。そん時は知らなかったけど。
 もう、嫁になってもいいぐらい素晴らしい料理人なんだ」
 熱く語るハウルに、皆は冷たい視線を向けた。理解されようとは思わない。
「んじゃ、食べよ」
 ラァスが席に座って言った。
 いつの間にかいたヨハンがラァス代わってテーブルの準備を整えていた。
 無責任な男である。
 ハウルはお茶で口を潤し、作りたての料理に箸をつけようとして、ふと思い出す。
「そういえば、なんか海の方に船がいたらしいけど、知ってるか?」
「船?」
 ヴェノムは口に入れた刺身を頬張ったまま、深刻な様子で呟いた。
「こんな場所に……」
「密猟者か?」
 過去に一番の大物を密猟しているはずのボディスが問う。
「今はそんな馬鹿も減ったのですがね……」
 ヴェノムは箸を置いて一口茶を飲む。
「またですか。私めが見てまいりましょうか?」
 ヨハンが味噌汁を配る手を止めて言う。
「いいえ。私が参ります」
 ヴェノムは立ち上がり、ダイニングを出る。
 仕方なく、ハウルはそれを追った。

 

 ラァスの言う通り、明かりを浮かべて船が何かをしていた。
「本気で密漁かな?」
 ハウルはちらと隣でに立つヴェノムに目を向けた。
「不老不死になれるような強い力を持っている人魚など、捕らえられるのはボディスぐらいだと言うのに」
「十年伸びればいいんじゃね?」
 人は長き命を求める。しかしそれを求める者ほど、それから遠い。それを求めたボディスはそれを手に入れるために水妖の長を食らった。
「人魚狩りなど船を沈められるだけです」
「俺、今日ハディス釣ったけど」
「……まあ、そういう事故がなければ、人魚など捕まりません。船での狩りは命取りです」
 つまり、沈められる前に止めればいい。
 ヴェノムはいつものように杖に乗り、ハウルは風を操り水面上を飛んだ。
 さすがにこうも暗いと、岸からでは大きさや距離が判断付かなかったが近付くと、それが小船だと分かった。
「おい、そこの」
 ハウルが声を掛けると、船の上の誰かが立ち上がる。
「ヴェノムとハウルか? 何をしている?」
「って、ハディスかよ」
 ハウルは脱力して船に着地した。
「怪しい船があるって言うから、密猟者だと思って来たんだよ」
「なるほど」
 彼は船を見回し納得する。怪しい自覚はあるようだ。
「んで、お前は何をしているんだ?」
「目立っている」
「は?」
「注意を引き付けるように頼まれてな。無意味に舟をこいだり、投網を投げたり」
 確かに、魚がかかった網が転がっている。まだ美味しそうにぴちぴちとはねている。早くしめてしまった方が美味いのだが。
「頼まれたって、誰に頼まれたんだ?」
「人助けだ」
 意味が分からない。問い詰めようとしたとき、水面から誰かが出た。
「ハディス、もういい」
「ん、了解した」
 ハディスはオールを手にし、岸へと向かう。
 おそらく人魚だろう。綺麗な顔をした少女が、その船を後押しした。
「何がどーなってんだ?」
「実は昨日、ここの付近で船が沈没したらしい」
 ──だから「また」なのか。
 ヨハンの言葉を思い出し、ハウルは納得する。
「今の王は人間嫌いで、人間を助けようとする者をよく思わないらしい」
「ああ、つまりそっちの人魚が人間助けたわけだ」
「そのようだ。
 海底にかくまったはいいが、岸に揚げるまでに見つかっては意味がない。水中で呼吸できる術も、切れ掛かっていたらしい。
 そこで昼間泳いでいた私を見つけて声を掛けようとしてくれたらしいが、お前に釣られてな。時間ぎりぎりになったので、このような強硬手段に出た」
「………ごめんなさい」
 ハウルは人魚に謝った。
「いや、こうして陸に上げるのに成功したんだ。例を言うぞ、ハディス」
 人魚は生真面目な調子で言う。
「いや、気にするほどの事でもない」
「どうせならゲイル連れてこればよかったんじゃねぇ? そしたらなんかデートっぽいし」
 常にゲイルを連れ歩きたがる男だと思っていたのだが、それは考えすぎだったのだろうか。
「無理だな。あいつは暗い場所を怖がる」
「……そーなのか」
 意外だった。しかし、ラァスという例もある。
「恐がりなのか?」
「いや。幼少時のトラウマらしい」
「そっか……」
 人には色々あるものだ。
 浜辺近くまでたどり着くと、ハウルは船の縁を蹴り、砂浜に着地する。
「その人間達ってのはどこにいるんだ?」
「あちらにある入り江です。保護していただけるとありがたい」
「分かった」
 人魚の言葉にハウルは答え杖に乗ったままのヴェノムを見上げる。ヴェノムは視線をハウルへと移し言う。
「私はその旨、ヨハンに伝え、準備しておきます。お前はその方々を連れて来なさい」
「了解っと」
 船を完全に砂浜に揚げ、ハウルはハディスと共に今度は目立たぬよう、入り江へと向かった。
「すまないな。手をかける」
「何言ってんだよ」
 ハウルは笑う。
 ゲイルに関わる事で睨まれた記憶しかなかったので、普通に会話できるのに驚いた。
 ──当たり前なんだけどな。
 恋は盲目というやつなのだろう。
 やがて二人は入り江に着くと、驚いた。
 数人の人間。その厳しい風貌。そして柄の悪いような人間の中、一人だけ知った顔を見つけたから。
「……カロン、何してんだ?」
 確かに置き手紙はしたが、それを見てやって来たにしては速いし、何よりもそんな雰囲気ではない。
「ハウル君ではないか。君こそ何をしているんだ?」
「いや、そこにヴェノムの別荘が」
「なるほど……それは偶然だな」
「偶然って言うか……本気で何してんだ?」
 カロンは微笑んで、隣でこちらを不思議そうに見上げる少年を示した。
「実はこの少年に雇われて」
 可愛らしい少年だった。年の頃はハウルよりも上なぐらいだが、可愛い印象がある。おそらく、貴族だろう。仕立てのいい服を着て、これだけの護衛を連れているのだから。
「……ラァスへの貢物盗みに行ったんじゃ。
 はっ、そうか! タチの悪いオヤジキラーは諦めて、今度は純粋な少年に乗り換えたのか!」
「失敬だな君も。私はラァス君一筋だと言っている。
 まあ、少々興味があったので、便乗しただけだ。この少年、ネフィル君というのだが。助けたいと思ったのもある」
 彼の場合、困っている美少年がいたらいくらでも助けてやりそうなものである。
「浮気してたぞって、ラァスに言ってやろ」
「いいよ。ラァス君は気にもしないだろう」
「分かってんじゃん」
 興味ないからどうでもいい。くれるものさえくれれば、と思うのがラァスという少年だった。最近は少し懐いてきているが、やはりよそに宝石が回らなければ気にもしない姿が目に浮かぶようである。
「カロン殿。この方々は?」
「私の友人だ」
「友人になった覚えないし」
 ハウルの言葉に隣でハディスが頷いていた。
 友人ではない。ただの知り合いだ。
「んで、お前がいてどうしてやすやすと沈没させられたんだ?」
「いや、普通に座礁した。少し大きな船だったからな。襲われたというならともかく、座礁されては私もどうしようもない」
「あ、そう」
 一人でなら普通に帰れたのだろうが、大勢いたから彼も海底に留まっていたのだろう。彼にも責任感というものが存在したようだ。
「ハウル様。この人間たち、お任せしてもよろしいのでしょうか?」
 海のほうから声がした。この集団を運んだのだろう。よく見れば、海に何人も人魚がいた。
「ネフィル殿。妹君のご病気のことは、邪眼の魔女殿に頼るとよいでしょう。
 あの方なら、何とかしてくださるかもしれません」
「本当に親切にしていただき、このご恩は一生忘れません」
 ネフィルは人魚たちに頭を下げた。
「それでは、怪しまれるといけないので、私たちはこれで。ハウル様、ヴェノム様によろしくお伝えください」
「おう」
 誰かは知らないが、とりあえず任された。
「ネフィル君、寒くはないか?」
「いえ、大丈夫です」
 カロンが心配するのも当然だ。線の細い少年だ。海の中にいれば、人魚たちが何とかしてくれただろうが、陸に上がってしまえば今は冬だ。全身濡れていれば、誰でも寒い。
「ハディス。こいつらの案内頼む。このお坊ちゃまと違って、簡単には風邪なんてひかねぇだろ」
「任せろ」
「カロン。こっちだ」
 ハウルが地を蹴って宙に浮くと、カロンもそれに続いた。
「飛行術はあまり得意ではないのだがね」
「文句言うな」
 ネフィルを抱え平然とハウルの後に付いて来ながら言われても、説得力がない。
「やはり、飛行媒体は持ち歩くべきか……」
「何で持ち歩かないんだ?」
「衣装の一部のようなものだからな」
 奇妙なこだわりだ。
「普段は別のもの使えばいいだろ」
「そうだな。ヴェノム殿を見習うか……」
 その姿を想像すると、なぜか嫌な気分になった。
 女性が杖に乗るのは絵になるが、男がしてもみっともないだけだ。
「やめとけ」
「やはりそう思うか……。まあ、いい。ネフィル君。もうすぐだ」
「は、はい」
 呆然としていたネフィルは、突然声を掛けて驚いたのか、上ずった声をあげた。
「僕、空を飛んだのは初めてです。感動です」
「そうか」
 カロンは笑う。
 ──こいつも、ノーマルなら、普通にいい奴なのにな……。
 例え泥棒だとしても。

 

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