12話 嘆きの浜
3
「ああああああっ」
突然の悲痛な叫びに、ラァスは振り返る。
「はふふ。おはへり」
「てめ貴様、なんでもう刺身ないんだ!?」
ラァスは首をかしげた。
そういえば、ついつい夢中になって食べていたが、ハウルの事を忘れていたような気がした。
見た目の割りに、美味しかったのだ。
「ご安心を、坊ちゃま。二人分は残しております」
ハウルは安心したようで、ほっと息をついた。
ちなみにヴェノムは厨房に向かった。
「ネフィル君、腹が減っただろう?」
「いえ、そんな……」
「無理はよくないぞ。昨日から何も食べていないんだ」
ハウルは硬直する。
取られるとでも思ったのだろう。
いつでも釣れば食べられるのに、セコい男だ。
「ところで、なんでカロンがいるの?」
「ああ、お前からあの子に乗り換えたって」
ラァスは思わず目を剥いた。信じられなかった。
「プレゼントは!?」
「もちろん準備しているよ。その日まで、楽しみにしていてくれ」
カロンは嫌味なほど爽やかに言う。
「ならいいや」
ラァスは微笑を浮かべて再び食べ始める。もらえる物はやはり貰いたい。特にカロンなら、秘蔵の宝石の一つや二つ……。
「え? 誕生日って、マジな話なのか?」
唐突にハウルが声を上げた。
「当たり前だよ。いくら僕でも、年に何回も誕生日なんて言わないよ。一回言うからこそ、いいものもらえるんだもん。自分で価値下げてどうするの? 馬鹿にしないで欲しいな」
ハウルが顔を引きつらせた。
「さすがはラァス君。そんなところもまた可愛い」
本人の目の前で白状しても可愛いと言うのは、さすがにこの男以外はいなかった。
それであっさりと引いてくれたら、どんなに楽か……。
もちろんくれる者をくれるのなら別にいいのだが。
「あら? カロン様がなぜここに?」
湯気の立つ鍋を持ってヴェノムがやってきた。おそらく、ハウルの作ったものの残り物だろう。
「いや、実はこの少年に雇われていまして」
「あら、可愛らしい。
そうですか。ついにラァスから乗り換えたのですね。めでたい事です」
無表情でそれを言うヴェノムに、少年は怯えた。
「さすが身内だな。ハウル君と同じような事を言っている……」
それは時々ラァスもよく聞く。二人は時折同じ事をいう。
ハウルはヴェノムに育てられたのだから、当然と言えば当然だ。
「ところで、その少年だけですか?」
「いや、あと十五人いる」
「そうですか。スープを作っていますが」
「男ばかりだ。スープだけではとても足りないだろう」
「飯炊くか? パン焼くよりは早いぜ」
今からパンを焼いていては、間に合わないだろう。他の食料を調達してきた方が早い。
「そうだ。少し古いですが、パスタがあります」
「ああ、それでいい」
カロンはあっさりと言う。
彼は好みではない男に対しては、興味が無いはずの女性に対するよりも冷たい。
「ただ、このネフィル君は普通のもので」
「ええ。私の食事はまだ手をつけていません。とりあえずそれをどうぞ。殿下も」
「すまない」
カロンを横目に、ハウルは自分の席について、食べ始めた。
ヴェノムに何か言われる前に、腹をすかした男たちが来る前に、自分のものは腹に収めてしまうつもりなのだ。
「おねえさん。わたしも手伝う」
「そうね。私も手伝おうかしら」
「そうですね。ヨハン、そのパスタを持ってください」
「はい、ヴェノム様」
ヨハンは足音も立てずに廊下へと消える。
──やっぱ、ただものじゃあないな。
ラァスはキッチンへと向かうヴェノムと女の子たちの後を追った。
一人だけ手伝わないというのは、印象が悪いから。
アミュは煮込んでいる野菜を、一気に加熱する。
鍋の蓋をして、適度な熱を充満させる。それを一分も続ければ、野菜はあっという間に柔らかくなる。
「おねえさん、できたよ」
「じゃあ、パスタの茹で具合を見てください」
「はーい」
アミュは言われたとおり、パスタを一本手にし、口にしてみる。
「うん、ちょうどいいよ」
「ならあげてください」
「はーい」
男性十五人分と言うのは、とても多い。
ヴェノムはパスタに絡めるソースを作っている。
大量の野菜を切ったメディアとラァスは、食器の準備をしている。
「このスープ、持ってっていい?」
ラァスが問う。
「いいよ」
「なんか、ぞろぞろ来たよ。むっさいのばっか。とりあえず、これくばっておくね」
「そうしてください」
アミュは大きな皿三つにパスタを盛り分ける。
「用意できたよ」
「はい」
ヴェノムはパスタにソースをかける。
保存食のトマトの缶詰を使用したトマトソースだ。とても美味しそう。
古くなった非常食を片付けられて、一石二鳥だったらしい。
「じゃあ、持って行きましょうか」
「うん」
ヴェノムが二皿持って、アミュが一皿持って。
お手伝いする事はとても好き。ただ、邪魔しないようにするのは少し大変だけれども。
だけどこうしていると、本当の姉妹のようでとても嬉しい。
とても。
ダイニングに着くと、本当に男の人が大勢いた。濡れた身体をタオルで拭いたり、暖炉の前でスープを飲んでいたり。
なんだか、とても不思議な光景だった。
「着替えを用意しなくてはいけませんね」
「もうヨハンが用意してくれてる」
濡れたタオルを抱えたハウルが言った。
「そうですか。皆さん、どうぞ食べてください」
ヴェノムが皿を置くと、皆フォークと取り皿を持って、皿に群がる。
アミュがぼーっとしている間に、二十人前はあったはずのパスタが全部消えていた。
──男の人って、本当によく食べるんだぁ。
アミュは感心してしまった。
「アミュ、こっちにおいで」
ラァスがこちらに来て、アミュの手を掴んだ。
アミュはラァスに連れられ、部屋の隅に行った。
「すごいね」
「うん」
アミュは部屋を見回す。
カロンがラァスを見ていた。思わず笑ってしまう。
そこから少しだけ視線をずらすと、ネフィルと言う男の子がこちらを見ていた。
アミュは笑みを向けた。
ネフィルも微笑み返した。
カロンがネフィルを見て、それからこちらに向かってきた。
「二人とも、ご苦労様」
カロンはいつものように優しく微笑んでラァスとアミュに言う。
「んで、なんでカロンが雇われてたの?」
「このネフィル君の妹君はとても重い病気にかかっている。人魚の血は病を治すと聞いたらしく、人魚に会いたいと」
「止めなよ」
ラァスは顔を顰めた。
人魚の肉にまつわる伝説は多い。しかしその大半は迷信に過ぎない。
「いや、私も見たが、本当に重い病気でな」
「でも、人魚の血って……」
アミュとラァスはボディスを見た。
彼は人魚を食べた男の行く末だ。もちろん、それに使いされているものがあるが。
「普通の人魚の血には、病を治す力なんてないわ」
言ったのはメルだった。
「傷を治す事は出来ても、病は治らない。
それは、別の種族です」
メルは、とても悲しそうな顔をしていた。
「皆さんにもそう言われました」
「だが、あるはずだ。どんな病もたちどころに治してしまう、神器が」
カロンはそうでない事など疑いもしない様子で断言した。
「……あなたは、黄の賢者様でしたね」
「隠すだけ無駄だ」
いつも穏やかな表情のカロンが、少し怖い顔をしていた。
メルは小さく首を振った。
「それは姉が持っているものです」
「姉?」
「現在の女王です」
メルはちらりとボディスを見た。彼女の親は、ボディスに食い殺されているらしい。
ほんの少し、マースを思い出した。
「……人間嫌い、だったっけ?」
ハウルが言った。
「そりゃあ、人間嫌いにもなるよねぇ」
ラァスが言った。
やはり、彼が原因なのだろう。
自分達は人を食べる事もあるのに、逆に食べられたら嫌だと言うのが、とても不思議。世の中、そういうシステムの上に成り立っているのに。
──儀式に使われたからかな?
生きるために食べるのは仕方のないことだ。しかし、そうでないなら怒るのも、仕方のない事かもしれない。
猫が鳥をなぶって殺している姿を見ると、少し悲しくなるのと同じなのだろう。
「……父さん。責任とって何とかしてやれ」
「……うーむ。ゲイル、どうにかなるか?」
「病気って、どんな病気?」
ボディスが頼ったゲイルは、ネフィルの前まで行って問うた。
「心臓の病気です」
「心臓はちょっと難しいなぁ。繊細なくせに、頑丈だから。
陰ができたとかというのなら治せるけど」
「そうか。残念だ」
ボディスは変わらぬ表情で言う。
「ゲイルちゃん、病気を治せるの?」
「うん。っていうか、そういうのしか出来ないから」
アミュの問いかけに、ゲイルはへへと笑う。
「ラァス、見習え」
「うん。でも、問題の病気は?」
ヴェノムに視線を向けると、首を左右に振った。
「外科の知識もあるにはありますが、さすがにそこまでは……。第一、今はそんな設備もありません」
行き止まりだった。
ネフィルが今にも泣きそうな顔をした。
大切な人が、死に行く。そんな姿を見ているだけしか出来ない。
それはとても悲しいことだ。アミュの母は、病死した。もしも事前に何とかできたとしたならば、何でもしただろう。
「大丈夫。
きっと、頼めば貸してくれるよ。ね?」
アミュが言うと、ネフィルは頷き、そしてメルを見た。
「あの……女王様の妹君なのですよね?」
「ええ。ですが、姉は私の事を許してくれません」
「どうにかならないのでしょうか? 何でもします」
メルは困った顔をした。
それからヴェノムに視線を移す。
「ヴェノム様……」
「そうですね。交渉、してみますか」
ヴェノムはため息をついた。
「おねえさん……」
「大丈夫です。彼女は、優しい方です。ただ、少し頑なになっているだけで……。無理かもしれませんが」
彼女が自信なさげに言うのは珍しい事だ。彼女は多少勝算がない程度ではそれをおくびにもださない。
「なら、俺も行く」
ハウルは言った。
「俺なら、嫌がらないだろ?」
「そうですね」
ハウルは神だ。火に属するアミュならともかく、彼の頼みは断りにくいはずだ。
「僕も連れて行って下さい」
ネフィルが必死の形相で言った。
しかしヴェノムは首を左右に振った。
「明日、私とハウルで行きます」
連れて行ってもらえない。
それは、彼女達にとってはじめてのことだった。
ほんの少し、寂しかった……。
翌日、ヴェノムとハウルは行ってしまった。
その様子を、昨日ハディスを釣り上げた場所からラァスたちは眺めていた。
「連れてってくれないのって、初めてだよね」
仕事の場にも連れていってくれたのに。
それだけ気難しい人なのだと、ラァスは自分に言い聞かせる。
「寂しいね」
アミュが言った。
「私が火だからかな?」
「それは、仕方がないことだよ。僕は人間だから、だし」
「私なんて、神でもない、聖眼でもない、ごく普通の一般市民よ」
メディアは言う。彼女は一般市民とは言わないと思うが、それは心の中に留める。
「ぼくもラァス君と一緒」
一人だけ一緒に行く事が出来たであろうハディスは、当然のようにゲイルの傍らに座っている。
「たまにはそういうこともある」
ラァスの肩に手をかけ慰めるのはカロン。
「僕じゃなくて、ネフィルのフォローしたら?」
「ははは。今私が接したいのは君だから」
ラァスはため息をついた。
肩に手を置くぐらいならば、大きな害はないのでいいのだが……。
「ネフィル君、大丈夫だよ」
カロンに気を取られていると、アミュのそんな声が聞こえた。
見ると、ネフィルがアミュの隣にいた。
「アミュさんは、優しいんですね」
ネフィルが微笑んだ。
ラァスほどではないが、中世的な美少年。
──まさか、こいつ……。
昨日もアミュを見ていた。
人の女に目をつけるなど、いい度胸だ。
しかし、いつものように誘惑してこちらに目を向けさせようにも、おそらくカロンが邪魔をするだろう。
今も、そのために隣にいるのかもしれない。
「何考えてるの?」
「さぁ」
「非常識な男だね」
「知らなかったか?」
「知ってたけど、再確認」
カロンは笑う。始めて会ったときと変わらぬ、子供に向ける笑みそのままで。
金髪碧眼。絵本に出てくるような王子様そのままの青年は、
「私は君の言うところの『変態』だからな」
と言った。
自覚がある分、目障りだ。
ラァスはどうにかして、ネフィルとアミュの会話に割り込もうとした。そのとき、ハディスが前に出た。
「どーしたの?」
ゲイルがハディスに問うた。
「そこの。出て来い」
ハディスは海に向かって言う。すると少し離れたところで、水面に向かって黒い影が浮上した。
それは……。
「か、可愛い!」
ラァスは目を輝かせた。
「何あれ」
「イルカだ」
「イルカっていうの? いいなぁ、あれ。可愛い」
「さすがにあれは飼う場所が必要だから、プレゼントできないな」
「そっか……」
そんなラァスを見て、アミュが笑う。
つやつやした感じと、愛らしい顔がとても可愛いのだが、残念だ。
「あんた、光物だけじゃなくて、ファンシーなもの好きなの?」
「メディアちゃん、嫌いなの?」
「似合わないでしょ」
「大丈夫。僕には似合うから」
メディアは呆れ顔をした。
「今、ヴェノム様がみえたようだが」
突然、イルカが話した。
「へぇ、話せるんだ」
「いや、普通人間の言葉を話せる動物ではない。ほら、イルカの陰に」
よく見れば、人の頭があった。
綺麗な少女だ。
「ああ。秘宝を借りたいらしい」
「…………」
少女は顔を顰めた。
「ハディス。お前はどう思う?」
「さあな。私はどっちつかずだ」
「そうだったな……」
人魚は苦笑した。
それから、イルカを置いて単身こちらへと向かう。
──ああ、イルカさん……。
こんな岩場に近付いて、怪我でもしたら大変なのは確かだが……。
触ってみたかった。
「そちらは?」
少女はラァス達の方を見て言う。
「ヴェノムの弟子たちだ」
「そうか……」
言って、視線をハディスに戻した。
「それで、伯母さんは?」
「さあ。ヴェノム様とハウル様相手なら、譲歩してくださるとは思うが……」
風と水は同じ闇に近い属性だ。仲がよいというのが一般的な解釈。風の神相手に、いかに一族の長とはいえ、強情を張る事はないと信じたい。
さっさとアイテム渡して、さっさと余計な男は家に帰すべし、だ。
「キュキュ」
聞き慣れぬ、奇妙な泣き声がした。
イルカだ。
「か、可愛い」
鳴き声まで可愛いなんて、なんて素敵な魚なんだろう?
「なんだと?
ハディス、他の人間達は?」
「知らん。おい、そこの賢者。他の人間どもは?」
「いや、知らないが……ところで今のは会話なのか?」
「いいないいな。なんか、どーぶつと会話できるって」
ラァスが羨んでいると、アミュが言う。
「人間が、また海に潜ったんだって」
ラァスは絶句した。
「アミュ………」
「いつもやたらと人外のモノと戯れてると思ったら、本当に会話していたの?」
メディアも驚いた。
「……えと……あの子は言っている事がはっきりしているから、すごく分かりやすいだけで……。普通の子は無理だよ。なんとなく分かるだけで」
しかし、それでも十分だ。
「……え? こういうのって、普通わかるんじゃないの?」
ゲイルまでもが言う。
──人外魔境の世界にいるような……。
実際、人間ではないのが混じっている。
「ゲイルちゃん……君とは同類だと思ってたのに」
「こいつこそは特殊だ。気にするな」
ハディスが言う。そして、イルカと見詰め合う。
──まさか、目と目で通じ合う?
ラァスは人外魔境の連中が羨ましくて爪を噛む。
「ふむ……そうか。私は行ってくる」
「ぼくも行く。ねぇ、いいよね。セルス」
ゲイルはハディスに引っ付きながら人魚に言う。
「……いいだろう。人間の事は人間に任せるのが一番だ」
セルスと呼ばれた人魚は頷いた。
「ネフィル君。君の護衛たちは、どこで雇ったのだ?」
「半分はうちの使用人です。半分は、傭兵ギルドの」
「……傭兵ギルド?」
カロンが顔を顰める。
「あの人たち、違うよ。今はギルドの人は、そうと分かるように印を持っているんだよ。一人もいないのはおかしいよ」
ラァスは言った。
昔の仕事の関係で、傭兵ギルドとは対立する事も多かった。正規の護衛ならば、そうと分かるように紋章を身につけるのが決まりだ。それをしない者は、罰則を与えられる。三年ほど前から、それは徹底された。
もちろん、紋章をつけなくていいパターンもあるが、今回はそれには当てはまらない。
単体ならともかく、団体で規則違反をするなど、おかしい。
「……今度こそ、本当の密猟者か」
「恩人を狩るっていうの?」
「世の中、そんなモンだよ」
憤慨するメディアに、ラァスは冷静に答えた。
「行こう。悪い大人には、お仕置きしなくちゃ。そういうの、メディアちゃんの役目だよね?」
「どういう意味よ?」
そのままの意味なのだが……。
「行こう。案内して」
なんだか、血が騒いだ。
こういう感覚は久々だ。
日の光も届かぬ海底で。
普通にもぐれば、水圧により鼓膜が破れるほど深い場所。
そこで、ハウルはヴェノムと供に人魚族の女王と向き合っていた。
光る不思議な魚が泳ぎ、大きな真珠のような形をした物体が、街灯のように場を照らす。
普通の場ではありえない、幻想的な光景。
まとわり付く海水の感覚が、嫌いではなかった。地上ではありえないなびき方をする髪の具合が、愉快で楽しい。
ここは、ハウルの好きな場所のひとつ。
「お久しぶりです、ラーニア」
「お久しぶりです、ヴェノム様。そしてハウル様」
その美貌を笑みにして彼女は言う。
姉妹だと思って観察すると、確かにメルに似ていると思った。ただメルの印象はとても穏やかだが、この女性はややつきめの顔をしている。
「一族の秘宝をご所望とお聞きしました」
「お借りできたらと。もちろん、すぐにお返しします」
彼女は小さく首を横に振った。
「ヴェノム様を疑うわけではありませんが、お貸しする事は出来ません。
多くの人間は、我らが宝の存在を知れば、どんな手を用いても奪おうとします。万が一の事を考えると、一族の王として、一族の元から離すわけにはいきません。これは水に属するすべての者にとって、大切な宝なのですから、私の一存で貸すことの出来るものではありません」
予想通りの言葉だった。それは覚悟していた。
だから……。
「責任を持って、お返します。一人の幼子の願いを叶えてやりたいだけですので。今お貸しいただけば、一時間後にでもお返しします」
「人間に知られなければいいんだろう? そんなヘマはしない」
彼女は小さく息を吐く。
悩んでいる。
一押し。あと一押しが欲しい。
その時だ。
「ラーニア様」
男性の人魚がやってきた。
人魚は上半身裸だというイメージがあるが、それは誤解だ。
ハディスのようにマントまでしているような者はいないが、普通に服を着ている。地上に上がったとき、裸では問題があるからだ。あとは、ファッションの意味合いもある。
この人魚は鎧を着込んでいた。
「どうしたの?」
「ヴェノム様のお弟子殿達が、海の中で喧嘩をしているのですが……」
ハウルは後方に倒れた。
水があるので、まったく問題はない。つまりは、それぐらい呆れたということだ。
──あ、あいつら、人が真剣な話しをしているときに……。
よりによって、喧嘩だ。
「……止めてくる」
「行ってらっしゃい」
ヴェノムはハウルを見送った。
彼女も、少しだけ呆れ顔だった。