12話 嘆きの浜
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「本当にいたな」
上から覗き込み、カロンは呟いた。
現在、皆は空中にいる。
入り江に見を潜め、七人の男たちは何かをしていた。
「人魚に貰った薬を利用しているのか……」
「切れ掛かっているとか言っていなかった?」
カロンの呟きにメディアが問う。
「連続しては使えないんだ」
魔法薬とは便利な反面、制限、制約が存在する。一度切れるまでは再び使用しても意味はないという効果が一番多い。
そこが、使い勝手が悪い部分だ。ただ、ヴェノムの作る魔法薬は、その制限が他に比べて軽い。それが、彼女の実力である。
「私が事情を聞いてこよう。顔見知りの方がいいだろう」
カロンはネフィルをメディアに任せ、入り江へと降り立った。
ラァスはハディス、ゲイル、セルスと供に、イルカに乗って海の中から探している。
本当にイルカが気に入ったらしく、羨ましいほどべたべたしていた。しかし今は、そんなことを考えている場合ではないが。
「あ、あんたはっ」
驚く男たちに、カロンは笑みを向けた。
作る事に慣れた、社交向けの笑顔だ。
「何をしている?」
「何って……ダイビングを」
ダイビングをしているのは見れば分かる。
「何を知っている?」
「あんたこそ……こんなところで何を」
この中のリーダー格の男が言う。本当のリーダーはここにはいない。海に潜ったのだろう。
彼らは人魚を捕らえようとはしていない。
別の何かを探している。
「誰に何を頼まれた?」
「あんたには関係ない。もしも邪魔をすると言うなら……」
素人ではない。だが、密漁の玄人でもない。
一体、彼らは何なのだろうか?
「お前達は、何を得ようとしている? 知識の探求者として、少々気になってな」
ここに何かがあるのは確かだ。
可能性の一つとしては、昨日彼らもいる場所で話した、水妖の秘宝だが、それならばこのような場所は探さない。
「やれ」
彼らの出した結論は、問答無用だった。
やや錆びた剣を待ち、彼らは襲い掛かってくる。
カロンは鼻で笑い、地を蹴り後方へと跳ぶ。
「大地よ、貫け」
予め準備しておいた魔法式を用い、最短の呪文によって術を発動させた。
言葉どおり、大地は彼らを貫いた。命をとるつまりは無いので、両の足の甲を。
かかったのは三人。半分以下でしかない。しかし、
「ぎゃぁぁぁぁあ」
痛みと、そして視覚的な恐怖により、三人は恐慌に陥る。
これで、残る四人の動きが止まる。その間に、新しい術の式を完成させる。
──こういうのは、きっとラァス君の方が得意なのだろうが……。
もちろんスマートではないものの、やって出来ないこともない。
体術も得意だが、時々行われるハウルとラァスの組み手を見ていると、自分の腕を思い知る。
だから、こうして得意な方法で実行する。
少し血を流してしまって、汚いが。
「次は、胴体を貫くぞ。逃げてもだ」
脅すと、男たちは後ずさる。
──凡人が。
気に食わないとは思っていた。だから、これ以上の容赦をするつもりもない。
殺さなかったのは、仮にも子供たちの目があるから。
「答えろ。命が惜しいなら」
「くっ……」
悲鳴と嗚咽の効果音。
それが男たちを恐怖させる。
別に、人を怯えさせる趣味はない。これでも、平和主義だ。争わなくてもよいのなら、争うつもりはない。
だが昔から、いつも争いを仕掛けてくるのは相手の方だった。それが実の弟だったり。その関係者だったり。
だから今、争うことに躊躇することもなくなった。
「何が目的だ?」
男は、突然小さく笑った。
「カロンっ」
メディアの叫び声。
こういう場合、この中で一番先に反応するのは、やはり場慣れしている彼女だった。
もちろん、海を背にしている以上、予測のうちの一つである。
カロンは背後も見ることなく、手元にあるスイッチを押した。
ばぢぢぢっ!
耳障りな音が背後を中心に響く。
背後で水面に倒れる音。
「な、何だ今のは!?」
カロンはふっと笑う。
「バリアだ」
その言葉に、男たちは目を見開く。
「…………」
「なんだ、その顔は」
「バリアなんて、使い古された言葉使うからよ。子供じゃあるまいし」
メディアが完全には地上には降りず、水面から三メートルほど上の所で言い放つ。
「特殊な場を張る装置なのだがな、名前がまだ決まっていない。募集中」
「装置? 術じゃないの? でも、そんなものどこにあるの?」
「次元をずらして、見えないようにしている。そのうち、スイッチなしでも発動するようにしたいのだがね。それがなかなか安定しなくて。水の気を少し混ぜようかと思案して」
「御託はいいのよ」
自分で聞いておいて、メディアは突き放す。
なぜだか、もの悲しい気持ちになった。下手にラァスに罵られるよりも気が落ち込んでしまうのは、やはり彼女の才能だろう。無くていい才能ではあるが。
「あんた達。
話しなさい。さもないと、この男の餌食になるわよ」
「え、餌食?」
メディアは頷く。なんとなく、予想が付くような付かないような……。
「この男は、絶対に隠れて人体実験をしているに違いないわ。経験からして」
カロンは絶句した。さすがに予想していない脅し文句だった。
反論しようにも、実際にしているからできない。
──というよりも、理力の塔とは一体どんな場所なのだ?
こんな少女が幾度もそんな現場を目撃するほど、人体実験が頻繁に行われているのだろうか?
「ひぃっ」
男たちは怯えた。
「か、蛙にされるのか? それとも豚か?」
どんな絵本を読んだのだろうか?
メディアはふっと鼻で笑う。
「甘いわね。改造されたくなかったら、さっさと吐きなさい。改造されたら元には戻れないわよ」
「改造って……。用があるのは、健康な臓器だけで外は要らないのだが……。美しくないものを改造して、何の意味があると言うのか……」
その言葉に、なぜか男たちは泣いて謝って白状した。
イルカの背びれにまたがって、初めての水中遊泳を楽しんだ。
空の上とは違ってある程度自分で動けるところが、とても気に入った。イルカも可愛いし。
「……お前は、浮かれるにしても時と場合を考えろ」
ゲイルを背中に貼り付けて、心なしかうれしそうにしている人には言われたくないのだが……。
「だってぇ。この子、ホント賢いねぇ」
「シィシルのことが気に入ったようだな」
セルスは魅力的な微笑を浮かべて言う。
──可愛いなぁ。
何人か人魚とすれ違ったが、皆美形だ。
年上で胸がないに等しいのを差し引いても、セルスはとても魅力的だった。
──最近、可愛い女の子と知り合いになる機会多いなぁ。
アミュ一筋ではあるが、野郎といるよりも、綺麗な女の子といる方がいい。
「この子シィシルっていうんだ。女の子?」
「ああ」
すごく気に入った。
カロンにかけてもらった術のおかげで、寒いどころか暖かいし。
「セルス、あれを見ろ」
ハディスの言葉にラァスはそちらを見る。
海の中は視界が悪くて遠くまでは見えない。
「確かに、人間だな」
「何かを探しているようだと言っていたが、一体何を……?」
彼は顔を顰めた。
「あそこに何かあるのか?」
「珊瑚ぐらいだ」
「……いや、たぶんそれ目当てだよ」
「なぜ?」
「珊瑚って、高いし」
上質のものとなると、かなりの値になるはずだ。
「そういえばそんなことを聞いた事がある。しかし、そこまでの危険を冒す価値があるのか? 見つかったら、殺される可能性があるのだぞ」
「……ないねぇ。行きがけの駄賃程度に思ってるにしても、怖い目に合ってるのに……」
やはり、何か別の目的があるのだろうか?
「囲むぞ」
「了解」
「シィシルちゃん、あっちに行って」
ラァスの指示にシィシルは従う。とても賢い。
──ああ、本気で欲しいかも……。
犬猫もいいが、やはりそれ以上に賢くて大きいペットが欲しい。乗れるし。
「ん?」
ラァスは目を細める。
名前は知らないが、連中にリーダー格のような男が何かを持ち上げた。
「卵?」
そう、それは卵。
──何の卵かは知らないけど、密漁であることには変わりないみたいだね。
明確な犯罪者なら、容赦する必要はない。
「ハディス、卵」
ゲイルの呟きに、ハディスは頷いた。
「あれ、始祖の卵だ」
「始祖?」
「取り戻して。あれは石よりも硬いから、遠慮することないよ」
ゲイルは強く言った。
生物に関して、彼女の知識には敵わない。ゲイルは魔物と心を通わせる能力がある。アミュの場合は精神感応だが、ゲイルの場合は魔物使いとしての純粋な才能だ。強い存在の正体を感じたとしても、無理はない。
ハディスは全力で泳いだ。
逆方向からやってきたラァスが、シィシルの背から離れ卵を持った男に襲い掛かる。
水を操りラァスの動きを助け、連中の動きを阻害してやる。
するとラァスはあっけないほど簡単に卵を奪い返した。
「ラァス」
やってきたハディスへと投げる。それをゲイルが片手で受け取めた。水中なので、力もそれほどいらない。
ハディスはゲイルが卵をしっかり持っている事を確かめ。その場を離れた。
その間、ラァスは追おうとした男の足を掴み、仲間達へとぶつけた。
「さっすが」
ゲイルがはしゃぐ。
襲い掛かってくる人間達が刃物取り出した。
海に血の匂いが混じる。
さすがに水中では動きをとりにくいらしく、どこかを切られたようだ。
「セルスっ」
ラァスの傷の心配をしているわけではない。見たところ、彼なら問題なく切り抜けられる実力を持っている。
問題は、血が流れたことだ。
血の匂いを嗅ぎ付けて、どんな恐ろしい生物がやってくるかもしれない。サメは人魚を襲う事はなくとも、人間は襲う。サメなど可愛いものだ。怖いのは低い知性しか持たない妖魔。
「分かっている」
セルスはラァスの元へと向かい、人間達を銛で追い払い、ラァスを抱えてその場を離れた。目指すのは水面。
そこには皆がいるはずだ。
水面に上がり、浮遊術を用い飛び上がる。セルスの手を取り、それから地上の様子を見た。
「よかった。卵は無事だったのか」
カロンが言った。その背後に、気を失って倒れている男達がいた。
こちらも問題なく片付いたようだった。
「カロンさんって、黄の賢者だよね。白の領域の知識はある?」
ゲイルは問うた。
「少しはな。卵を貸してくれ」
カロンはゲイルから卵を受け取った。
卵は女性の頭ほどの大きさだった。
それを持ってカロンは胡坐をかく。卵に耳を当て、こんこんと叩く。
「それで何か分かるの?」
ゲイルの問いにカロンは頷いた。
「空ではないことを調べたんだ。
海の中にあっただろう。普通、木の股に出来るものなんだ。つまり、何らかの要因で、海に落ちた可能性がある。ひょっとしたら珊瑚でも出来るのかも知れないが。とにかく死んでしまった場合は、中身は完全に空っぽになるらしい。しかし、この子は生きているようだ。出してやらなければ」
「出す?」
「放置しておけば十年ぐらいは孵らない。簡単に孵してやるには、魔力を与えればいい。ハウル君は、存在自体が力だからな。それを知らなくても、側にいるだけで徐々にではあるが魔力を与えているに等しい。
今は、一気に孵そう。変な連中に狙われないように」
カロンは卵に手を当てて、目を伏せた。
彼の手元に魔力が集まる。それが、卵に吸い込まれていく。もちろん無駄に放出される分もあるが、半分以上は卵に吸収されている。
おそらく、人間達には見えていないのだろうが。
卵に、ヒビが入る。
ぱきぱき。
鳥が孵化するのとは様子が違った。ヒビが入った卵の殻は、徐々に崩れ落ちていく。砂で作られた器が壊れるように、さらさらと。
中にいるそれは、光り輝いていた。
魔力を与えられている影響だ。カロンは殻が完全に崩れたのを見て、魔力の放出を止める。
「おや?」
カロンは、その赤子を抱き上げた。
一見すれば人の赤ん坊に見えるが、背中にある、生まれたての鳥そのものの濡れた羽が、そうでない事を示していた。
「珍しい。天人……有翼人だな」
カロンは、赤ん坊を眺める。
瞬間、赤ん坊は勢いよく泣き出した。
「ふぅん。始祖でも生まれた直後に泣くのだな」
彼は立ち上がり、赤ん坊をあやした。手馴れた様子だった。
「女の子だね」
ラァスが赤ん坊を見て言う。
「ああ。しかしこれは、益々狙われる可能性があるな」
カロンは赤ん坊を肩にうつ伏せにするように抱き、上着の中に手を入れた。取り出したのは、空の小瓶。
「もっと泣いてくれ」
カロンは赤ん坊の目元に手を当て、呪文を唱える。
赤ん坊の目が、涙がこぼれた。それを、小瓶にすくう。
「ネフィル君。これに水を足して、妹君に飲ませるといい」
「え?」
「天人の涙はどんな病も治す薬となる。だからこそ人は天人を狩り、天人は隠れてしまった。絶滅したとまで言われている」
ネフィルは呆然とその小瓶を見た。
「少量だが、一人分ぐらいにはなる」
「ほ、本当に?」
「本当だ」
「あ……ありがとうございますっ」
「お礼は、この子がもう少し大きくなってから言ってやってくれ。それと、この事は他言無用だ」
「はい。もちろんです」
カロンは満足げに頷いた。
「あれ、ラァス君。ぽっぺたどうしたの? 血が出てるよ」
アミュのその言葉に、カロンが反応した。
「なっ……なんということだ。ラァス君の美しい顔に……」
「いやあの。大した事ないし。カロン、どうしてその人たち睨むの? 殺意とか感じるし」
「止めるな。世の中、息の根を止めておかなければならない連中が存在するんだ」
危ない男である。
その時だ。
「おい、お前ら」
「あ、ハウル」
海から飛び出てきたのは、真っ青に顔をしたハウルだった。
「どしたの?」
「なんか今、めちゃくちゃデカいウツボみたいなのか、ネフィルに雇われてるおっさん達食って去って行ったんだけど……」
その言葉に、一同は沈黙で答えた。
ハディスにとっては、ある程度予想通りの結末だった。
嘆きの浜の名は、伊達ではないということだ。
ネフィルは頭を垂れてその場を後にした。
彼の信頼できる使用人達を連れて。
町までは遠くない。そこから理力の塔の支部で、彼の住む町まで送ってもらうことが出来る。
「妹さん、元気になるといいね」
「本当に」
ラァスは祝福するような笑顔で言うが、心の中では二度と来るなと思っているに違いない。ネフィルは最後まで、アミュを見ていたから。
「はぁ。俺とヴェノムが海底まで行ったのは、何のためだったんだろうな」
「いいではないですか。殿下に可愛い娘が出来たのですから。めでたいことです」
「だな」
「いや、娘って……」
紐で赤ん坊を背中に括り付けた賢者は、情けない顔をして言う。
刷り込み現象、というもののせいか、赤ん坊はカロンが側を離れるとぐずる。カロンが側にいると、とたんに大人しくなる。
背負っているのは、この状態が一番赤ん坊が落ち着くのだ。母親の腹の中にいなくても、心音を聞くと安心すると言うのが当てはまるのかは知らないが。
「んで、その子の名前決めたの?」
笑顔は崩すことなくラァスは言う。
言外に『おい、子持ち』と言っている。
「ああ。ラフィニアだ。可愛いだろう」
「ラフィニアちゃんか。可愛いねぇ」
「死んだ妹の名だ」
「そーいう名付け方か」
「まるで妹が生まれ変わって私の前に現れたような気分だ」
「往生際が悪いわね、いい年して。自分で孵したんだから、責任を取りなさい」
あくまで娘扱いを否定するカロンに、メディアは情け容赦ない一言。
「いいないいな。ぼくも可愛い娘ほしーなー。ねぇ、ボディス様」
「私にはもうお前と言う娘がいる。これ以上望む事はない」
ボディスの答えに、ゲイルはちっと舌打ちする。
──心底の天然に見えるけど、やっぱラァスの親戚なんだよな、あいつ……。
すべて狙ってやっているとは思えないが。特にハディスの事は。
「さて。昼食の準備でもしましょうか」
ヴェノムが言った。
「だな」
二つの命も救ったし。
無駄と言うほどの事でもなかったし。
ただ一つ。
分からないことがあった。
卵を狙っていた奴らが、一体誰に頼まれたのか。
それを知っていた奴らのリーダーは、飢えた水妖の腹の中。
確かめる術は、もはやない。