14 子供達の戦い

 

 アミュは前方からラァスがやってくるのを見つけた。彼女は足音を立てて近付く。最近、足音を立てない知り合いが増えたが、アミュにはとても出来そうもない。うるさいとは思われていないようなので、安心している。
「ラァス君、おはよう」
「おはよう」
 この綺麗な男の子は、やはり貴族の女の子のような眩しい笑顔でそう答えたくれた。
 少し、目が赤い。あまり寝ていないようだ。
「寝ていないの?」
「ちょっとね」
 どこか楽しそうだ。いたずらの下準備をしているような雰囲気。何をしているかまではわからないが、彼が楽しいのならそれでいい。
「でも、無理しちゃダメだよ」
「アミュ……」
 ラァスはアミュの手を取った。
「どうしたの?」
「アミュはいい子だね」
 どうして手を取るのかはよく分からない。しかし、彼なりの愛情表現だと言うのは理解できる。
 アミュは未だに手を取ったままの彼を見上げた。
「ラァス君、初めて会った時よりもずいぶんと背が伸びたよね」
 前はアミュが少し見上げる程度だったが、今では頭ひとつ分近く違う。
「育ち盛りだからね。このままハウルよりも高くなったりして」
 ハウルはそのラァスの頭がちょうど鼻あたりにくる程度の身長。ヴェノムがヒールを履いているので分かりにくいが、今や彼女よりも背が高い。
 皆、成長しているのだ。
「アミュも背、伸びたよね。髪も。それに、すごく綺麗になったし」
 ラァスはアミュの頬に触れる。
「うん。おねえさんにもらったお化粧水、ちゃんとつけてるから」
 ラァスは肌をとても気にしている。
 初めて化粧水を貰ったとき、もったいなくてつけられなかったのだが、つけていないとラァスが毎日促しに来るもので、思い切って毎日使うようにしたのだ。
 ラァスはとてもいい人だ。
「アミュは可愛いなぁ」
 女の子に対しての褒め言葉は、嫌味の時以外は喜ばなくてはならないそうだ。
 ラァスのような可愛い男の子に言われるのも複雑な気持ちだが、彼は悪気があって言っているわけではない。むしろ、本当にそう思って言っているように思える。
 ハウルとは少し違う感じがするが、似たようなものなのだろう。
「ラァス君は、どんなときでも可愛いね」
「アミュだって」
 抱きしめられた。
「いつもすっごく可愛い」
 男の子はよく分からない。だけど、嫌な感じはしない。人のぬくもりは、心地よい。冷たい床のあの心細さを忘れさせてくれる。
「ラァス君。アミュちゃんにばかり抱擁して、ずるい」
 突然、背後からラァスごとカロンに抱きしめられた。ラァスは顔を顰める。嫌がるそぶりを見せながら、最近彼はカロンに慣れてきていた。少しおかしな信頼関係を築いている。そんな二人を見ているのは、とても好きだ。
「カロン、ラフィは?」
 ラァスが問う。言われてみれば、確かにラフィを背負うためにしている帯が見当たらない。ここからでは背中は確認できないが、ラフィがいないのは間違いなさそうだ。
「ヴェノム殿が可愛い服を探しに行くと言って連れて行かれた。あのひとと子供服を買いに行くのは遠慮したいので待つ事にした。どのみち、子供服に関してはよく分からない」
「……まあ、確かにねぇ」
 それではどう見ても夫婦に見られる。カロンはラァスが好きだから、そのように間違われるのが嫌なのだろう。
「そういえば、海の方でメディアちゃんがゲイルちゃんと喧嘩をしていたぞ」
 カロンが二人から身を離して言う。
「は? なんであの二人が?」
「さあ。珊瑚は先に私が目をつけたとか、何とか」
 ラァスは思い当たる事でもあるのか、手で顔を覆った。
「ハウル、釣りしてるでしょ?」
「怯えてハディスと一緒に傍観していた」
「……怯え……って、そんなに壮絶な喧嘩をしているの?」
「ああ。かなりの迫力だ。女の子はすごいな」
 しみじみと言うカロン。
 そのとき、すさまじい爆音が聞こえてきた。
 お友達がケンカをするなんて、悲しい。しかも、普通のケンカではないようだ。術を用いた、とても危険な争い。
「止めに行って来るね」
「アミュ、そんな無茶しちゃダメ。僕も行くから、ちょっと様子を見て可能性があるなら一緒に止めよう」
 ラァスは、真剣な顔をして言った。いつも笑っている彼が、こんな顔をするのは非常時のときだ。
 アミュは少し驚きながらも頷いた。
 ラァスはアミュよりも物知りで、人間というものを理解しているから。

 ハウルはいつものごとく釣りをしていた。
 昨日は人魚やらイルカやらナルシストやらに邪魔されて釣れなかったので、今日こそはと意気込んでいた。
 しなし今日も当たりが来ない。ようやく釣ったのは小さなふぐ。さすがにそれは逃がした。もう少し寒くなって、大きなのが釣れたら刺身にしたりするのだが。やはり、ふぐは皮が美味い。身は刺身でもいいし、焼いてもいい。しかしそれにはもう少し時間がいるだろう。そんなことを考えていた時だ。
 それらは水面上に現れた。
 人間の女の子が二人、海の上に浮遊術で浮いていた。
 妹弟子のメディアと、ラァスの従姉のゲイル。
 二人ともずぶ濡れで、スタイルの差が顕著に現れていた。メディアの幼児体型も、好きな男にとってはたまらないのだろう。父親のウェイゼルなど、かなり好きだろう。母もヴェノムもスタイルは抜群にいいが、彼の趣味は幅広い。メディアも十分守備範囲だ。もちろん、スタイルのいいゲイルは直球だろう。ヤツはあれぐらいの年頃の美少女が一番好きという、救いようのない変態なのだ。
「何やって……」
 ハウルが呟いたとき。
「いい度胸ねぇ」
「そっちこそ」
 二人は互いににらみ合う。不穏な空気を撒き散らし、しばらくするとゲイルが先に口を開いた。
「この胸なしっ!」
 メディアの顔に、苦渋の色が浮かぶ。
「くっ……万年振られ女に言われたくないわっ」
 ゲイルは唇を尖らせた。
「ふ、振られてないもん! そっちこそ、浮気されて拗ねてたくせに」
「ふふん。私は振られたことなんてないもの。こっちから振ってやるのよ!」
 まるで近いうちに別れるような言い草だ。しかしその方が彼女のためだろう。それがカオス以外の全員が幸せになる道だ。
「そんなに気が強いと、そのうち愛想尽かされるんじゃない?」
「お黙りっ!」
 どうやら二人は喧嘩をしているらしい。しかも、本気だ。殺意すら感じられる。
「な、何なんだ?」
「よく分からないが、気づいたら珊瑚を取り合っていて……」
 海から、突然ハディスが顔を出した。ゲイルのいるところに彼がいるのは当然だ。しかしなぜ、彼がいながらなぜあの二人が、たかが珊瑚ごときで大喧嘩など始めたのか。
「珊瑚なんて山ほどあるだろ?」
「一番いい血赤珊瑚だ」
「……何にするんだ?」
「大玉にできる。あれなら、売ればかなりの値になるな」
 確かに珊瑚は高価だ。だが、そんなものを取り合うほど金に困っているわけでもないだろうし、それほど珊瑚が好きだとも思えない。メディアなど、普通の装飾品には目も向けない。そして二人ともが、金に執着するタイプでもない。
「……なんで?」
「さあな。ところでハウル」
「あん?」
 ハウルは岩場へと這い上がるハディスを見下ろす。相変わらず下半身は魚。
 ──人魚って、美味いのかな?
 などとは顔には出さず、手を差し伸べた。
「すまない。ついでだが」
 ハディスは背中を指し示し、
「さっきまた針が引っかかった。取ってくれ……」
 ハウルは小さくため息をつき、針を外してやる。
 人魚を二回も竿で釣ったのは、きっとハウルが初めてだろう。

 二人は息が切れるほどの間罵倒し合い、現在はただ睨み合うのみ。
 永遠とも思える、静かな時が過ぎ……。
 やがて、二人は同時に動く。
 恐ろしいほどの速さで術式を構成展開していく。ゲイルはいつもの事だが、メディアのその速度にも驚かされる。
 しかしそれ以上に驚いたのは、呪文の内容。ハディスは思わず頭を抱えた。
「な、なんて事を……」
「殺す気か?」
 ハウルは青ざめて呟いた。
 メディアの用意している術は、対象を世界のどこかに飛ばしてしまう術だ。つまり、どこに行くかは分からない、死ぬ可能性も高い術だ。
「いや、ゲイルの呪文を聞いてからの反応だった。ゲイルを殺す気は無いだろうが……」
「避難しよう」
「ああ」
 二人は慌てて海を離れる。
 背後で、ゲイルの高らかな宣言が聞こえた。
「出でよ、海の王者!」
 振り返ると、ゲイルの真下に、巨大な影が現れた。
「イカか……?」
「頭足類であることには変わりないが、イカではない。しかしどの道焼いたら美味そうなタイプだがな」
「まずっ、もっと離れるぞ」
 あれが暴れれば、大きな波が起こる可能性もある。ゲイルが呼び出したのだから、ただの頭足類ではないだろう。
 安全な場所というのはよく分からないが、とにかく走った。
 どばぁぁぁぁぁあ!
 背後で、冗談のような激しい水音がする。
「死になさい!」
 メディアが高らかに宣言する。
「遠く近く、在って無き虚の世界に住まう異界の門番よ! 我が望むはその扉の開放!」
 本来ならばかなり長い呪文だ。それを語り掛けと命令による最短の呪文で、その恐ろしい術を発動させた。
 雨のように海水が降る中、ハディスは再びにらみ合う少女達を見た。
「くっ、よくもクラーケンさんを」
「ふん。殺さなかっただけ、マシだと思いなさい」
 クラーケンはとても生命力が高い。普通のイカやタコでも、足をすべて落としたとしても動き、吸盤はしつこく吸い付いて来る。
 それがあのサイズで、本体が海の中とあれば殺すのは困難だ。だからこそ、難易度の高い術に挑んだのだろう。
 しかし、殺そうと思えば手がないわけでもない。その下にいるかもしれない人魚や、確実にある珊瑚を破壊するのも厭わなければ。
「次! お出でませ、空の王者よ」
 魔法式を頼りに、かなりいい加減な呪文により出てきたのは、巨大な鳥。ロック鳥の一種だ。ただし、ランクはかなり上。
「逝きなさい! 空舞う乙女達よ!」
 メディアは風精を使役し、気流を激しく、めちゃくちゃに乱す。ハディスの長めの髪が、局地的に吹く背後からの風により、乱れて砂塗れになる。
 やがてロック鳥はバランスを崩し、墜落……。
「げ」
「こっちに……」
 墜落してきた。
 二人は慌ててその場を飛び退く。
 二人が立っていた場所に、ロック鳥が墜落した。海水の雨により、塗れた砂浜は砂ぼこりこそ立てなかったが、容赦なく服を汚してくれた。
 母に叱られそうだ。
「俺、逃げる」
 未だに気まぐれな精霊たちにより乱される風の中、ハウルは回れ右をした。
「待て。無責任な」
「俺、メディアの保護者じゃないし」
「私だってそうだ。だが、いくらなんでもこれを放置したら、苦情が来るぞ」
 その言葉にハウルは肩を落とす。
 ヴェノムの小言を思い浮かべたのだろう。
「でも、どうしろと?」
「それが問題だ。さすがに、あれの間に入ると死にかねない。殺し合う気は無いようだが、下手に気を逸らして手元が狂うと死人が出るぞ」
「はは……」
 ハウルは乾いた声で笑う。その気持ち、痛いほど理解できる。
 打つ手が思いつかない。
「くそ」
 ハディスは小さくうなる。
 二人で無駄に考えていると、背後から近付く気配を感じ振り返る。
 ラァスとアミュ。そしてカロンだった
「ハウル、何やっているの?」
 ラァスが繰り広げられる空中戦を見上げながら問うた。人間、理解していても、答えを聞きたいときがある。今がまさにその時だったのだろう。
「喧嘩してる」
「だろーけど……」
 びしょ濡れの二人の少女が、かなり無茶のある術を連発している。呪文を軽視し手を抜いた、術の発動までの時間を重要視したものばかりだ。普通の魔道師なら、発動するどころか暴走して下手をすれば死んでいる。それほど高度な事をしてるのだ。その経過がどうであれ。
「なぜあいつはまだ見習いなんだ?」
「理力の塔は年齢制限がある。それに引っかかって独立できないんだ。
 学ぶべき事は山ほどあるからな。若いからってことに甘えられるうちは甘えて、知識に貪欲になればいいんだ」
 言うハウルの横顔は、複雑そうな色が浮かんでいた。
「そうか……お前はそろそろひとり立ちしてもおかしくはない年頃だな」
「ほっとけよ」
 やはり気にしているようだ。
 父の気が変わらないうちに、ゲイルをつれて無理矢理独り立ちしたいハディスとは真逆の立場。
「どうして二人がケンカなんて……」
 アミュが空を見上げ、悲しげに呟いた。
 そろそろ、本格的に止めなければ、どちらかが怪我をするだろう。
 ハディスは小さく息をつき、カロンへと向き直る。
「何とかしろ」
「……そんなことを私に言われても」
 彼は戸惑う。当然だ。ハディスが同じ立場でもそうなるに違いない。
「年長者が何かするのが筋だろう? しかも賢者のくせに。ほら、皆期待されているぞ」
 何とかできるのが当たり前。そう思っているだろうラァスと、純粋な期待に満ちた眼差しを向けるアミュ。
 二人に見つめられ、カロンは懐から何かを取り出した。
「何だ、それは」
 小さな小瓶。その中には、粉末状の物が入っていた。
「眠り薬だ。即効性があって、しかも持続性が低い。もちろん人体に害はない。ヴェノム殿に相談して、共同で作ったものだ」
 カロンは胸を張る。ラァスとアミュが手を叩く。
「師匠すごーい。今度分けてもらおう」
 その言葉に、カロンは遠くへと視線をやる。なぜか、その気持ちが痛いほどよく理解できた。カロンは小瓶の栓を空けた。
「さて、君たちは少し離れているといい」
 言われずとも、彼がビンの栓を開けた時点で、皆一斉に離れている。
「気のはや……」
 その瞬間、カロンはくてりと倒れる。
 ここは海辺だ。
 メディアの放った術の余波により、未だに風の向きが変化していた。しかし、それが収まりかけた今、風は本来の向きに戻る。
 普通、風とは気圧の差によって出来るものだ。
 太陽の熱により、温まりやすい陸の温度が上がり、温まりにくい海の温度は変わらない。そのために気圧の変化が生まれ、海から陸へと向かって風が吹く。歪められていた分、いきなりの突風だった。
「海風のことも失念していたのか、この男……」
 知らないはずはない。仮にも賢者なのだから。風の吹く原理が分からなくとも、離れていても海の匂いが届くということは、海から陸へと風が吹くということだ。その程度のことは子供でも想像できる。そして自分よりも風上で栓などあけてしまったら、瓶の中身が自分に降りかかっても仕方がない。
 そんな馬鹿なことを、この賢者はやってのけた。
「うっわぁ……頼りにならない大人……」
「カロンって、頭いいけど肝心なところ抜けてんだよなぁ。すべてに置いて」
「殿下、大丈夫?」
「アミュ、ダメ。危ないから」
 近付こうとするアミュをラァスが引きとめ、さらに風上へと向かう。
 また変な風を起こされ、こぼれた睡眠薬を吸い込んだりしてはたまらない。少しでも安全な場所へと移動する。
 これで、一つ手立てを失った。
 下手な術はあの二人には効きそうもない。かと言って、説得など通じるかどうかも……。
 ──いや待て。
 ハディスは一つの可能性を思い浮かべた。
 もしも自分やハウルが説得すれば、火に油を注ぐだろう。
 ──これなら……いけるか?
 ハディスは仲良く手をつなぐ少女達へと目を向けた。

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