16話 賢者の家

 

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 ある日突然、カロンは言った。
「ヴェノム殿。今日明日でいいのでラフィを預かっていただきたい」
 数時間という子守依頼はあるのだが、日付が変わるほどのことは初めてだった。最近めっきり父親ぶりが板についてきた彼だ。つい最近狙われた事を心配して、趣味の盗みにも行かないほどだった。その彼が、突然そう言った。
「どしたの、カロン」
 ラァスは筆を置いてカロンを見上げた。
「家に戻ろうかと」
 初耳だった。
「家なんてあるの?」
「いや、家ぐらいある。研究所も兼ねているが」
 その言葉に、ラァスの中の好奇心が目を覚ました。
 この変人の研究室。是非一度見てみたい。きっとなにやら怪しい機械が散乱しているに違いない。
「僕らも行ってみたい」
「ら……って」
 ハウルが何か言っている。
 恐くて二人きりなんかになれるはずがない。
「いや、メンテナンスをしに行くだけだが」
「メンテナンスって、何の?」
 また怪しげな機械のだろうか?
「いや、人工精霊の」
 その言葉に、アミュ以外の動きが止まる。
「ハウル。準備なさい」
 ヴェノムが立ち上がって言う。
「こんなこともあろうかと、みんなのお泊りセットは準備万端だ」
「あら、なかなかやるじゃない」
 珍しくメディアがハウルを褒めた。異様な光景にラァスとアミュすらも怯えた。
 一体、何なんだ。
「いや、あの……」
「嫌なのか?」
 ハウルがすごむ。いつもは隠している神気まで見せ付けて。
 何がなんだか分からない。
「いや……嫌だとかそういう意味ではないが……」
 カロンは皆の態度に戸惑っていた。
「興味があるのかい?」
「人工って、本当に作ったのか?」
「まあ、一応」
 メディアが目を輝かせる。ヴェノムが本を片付け始める。
「ねえ、人工精霊って?」
 ラァスの言葉に、メディアが哀れむような視線を向けてきた。
「不老不死と並ぶ、まともな成功例がないからある意味それ以上の魔道研究よ。人類が何度それに挑戦した事か……」
「さすがカロン。やるときはやるんだな」
「まったくです。なぜもっと早く言わないのですか」
 三人に見つめられ、カロンは狼狽する。
「人に見せられるような出来栄えでは……」
「しかし、メンテナンスと言う事は、ある程度は出来上がっているのでしょう?」
「ケチケチすんな」
「出し惜しみしていると、ラァスに嫌われるわよ」
 勝手に人の名を出すし。わけが分からない。
「ラァスも見たいよな?」
「いや……」
「な?」
 ハウルの目が据わっていた。まるでヴェノムを口説こうとする馬鹿に向けるような目をしていた。
「はい」
 こんなに恐いハウルは久々だった。彼の父親を思い出す。ひょっとしたら、中身も似ているところがあるかもしれない。
「アミュ。ハウルが虐める」
「長いものには巻かれていた方がいいよ。皆、すごく真剣だから」
「そだね」
 この三人に逆らうような馬鹿な真似はしたくない。
 ──この中で一番立場弱いのって、僕なんだよねぇ、実際。
 普通の人間で後ろ盾もない。一番人間らしい人間だ。聖眼というのも珍しいが、他にないわけではない。ただ少し、地精が勝手に力を貸してくれて、力が強まるだけ。それを利用すれば術なくしても普通でないようには振舞えるが、やはり所詮は人間の範疇だ。この化け物、妖怪、嗜虐趣味の三人には敵わない。
 などと思っている事が知れたら、命はないだろう。
「仕方がないな。ただし、文句は受け付けない」
 そんなカロンの言葉も聴かず、三人は魔法陣のある部屋へと向かっていた。
 今日は皆なんか変。


 地下室を出るとその整頓された部屋に驚愕する。
 ハウルの狭い部屋よりもこの研修室は掃除が行き届いている。
「お前、時々いなくなると思ったら、掃除しに戻ってたのか?」
「いや、これはノーラがやらせているのだろう。人工精霊の名なのだが」
「え? 女なの?」
 ラァスが驚いたように言う。ハウルも少年を作っていると思っていた。
「性別と人格ばかりは操作できないだろう」
 彼はふっと遠いところに目をやる。実際には天井だ。
 カロンに案内されて窓から見たところ、ここは人里ではなかった。木が茂っている。
「お前も森暮らし?」
「ノーラが空気の穢れた場所は嫌だと反抗するから引っ越した。魔法陣さえあれば、私にとってはどこも同じだからな」
 ずいぶんと可愛がっているようだ。引越しまでしてやるとは、親らしい事をする。
 精霊とは清い場所を好む。この森はとても清い。
「この森、幻夢の森では?」
 ヴェノムが言った。
「その通り」
 幻夢の森。精霊妖精の多く住まう森で、人間の踏み込む事を好まず来た人間を惑わし追い返す。そこから名付けられた森。
 ちなみに国の私有地だ。王の息子である彼なら、あまり問題にはならないだろう。何よりもここに入る人間は滅多にいない。よほどの精霊使いでないと、数分もあるけど元の場所に戻るか、迷って死ぬ。
「あっ」
 ラァスが素っ頓狂な声を出した。
 いつの間にか、皆の前に女性が立っていた。とても美しい紫がかった銀髪の女性。人ではない。気配は──
「これが」
 精霊そのもの。
 女性がふっくらとした唇を開く。
「ようやく帰ったか、このとうへんぼく」
 脱力した。
 ──な……何?
「ん? どうしたこの赤ん坊。そうか。ついにまっとうな道に目覚めたか。変質者やや脱出だな。めでたい」
「違うっ。この子はただの始祖だ」
「ちぃっ」
 ハウルはカロンの肩に手を置いた。
「どういう教育したんだ?」
「生まれたときからこんな感じだったんだ。作った本人が後悔しているのだから、ほっといてくれ」
 カロンは珍しく弱気に言う。
「ん? なんだまた新しい男か」
「また?」
 ラァスの視線にカロンは首を横に振る。
「帰ってくるたび違う男を連れ込みおって。だから貴様はろくでなしの変態なのだ。恥を知れ」
「とっかえひっかえ?」
「違うっ。私はここに他人を連れてきたのは君達が始めてだ。いやそれよりも、こんなところに連れ込んで、何になる!?」
 ラァスは周囲を見回した。
「カロンだし」
「今はラァス君一筋だ。君がいればそれでいい。それにあれは見て分かるように、人を陥れる事を喜びとしている」
 ラァスはノーラを見る。そしてハウルを見る。
 ふっと笑い、それで終わる。
「どういう意味だ? ええっ?」
「銀髪同士、気が合うんじゃないの?」
「ふん。言ってろ」
 不愉快だ。あれと一緒にされるのはいくらなんでもひどい。あそこまで人を悪し様にはいくらなんでも言えない。思っても、それを口にする度胸もない。
 なにより、髪の色が薄い者同士といっても、まったく雰囲気が違う。彼女の髪は紫だ。
「そうだ、一応主よ。客が来ているぞ」
「一応は余計だ。しかし客とは?」
「見れば分かる」
 言って、ノーラは姿を消した。カロンは眉根を寄せて考え始める。当たり前だ。そんな誰でも迷うような森の中、やって来る者はそういないだろう。
 彼はいぶかりながら歩き出す。おそらく応接間だろう。
 ラァスはアミュの手を引きながらその後に続く。
 昔はカロンの前ではアミュに触れなかったが、最近は見せ付けるようにべたべたしている。カロンがアミュによからぬ事をするような男ではないと悟ったからだと思われる。
 カロンは足を止め、目の前のドアをノックする。
「失礼……」
 その瞬間、カロンが硬直した。
「おお、兄上。遅かったではないか」
 ──アニウエ?
 ハウルとラァスは、邪魔なカロンを押しのけその男を見た。
 金髪碧眼。カロンに少し似た顔立ち。カロンよりも野性味を感じるが、ハンサムであることには変わりない。
「ひょっとして、カロンの命を狙ってる弟?」
「いや。その方がまだマシだ」
 カロンは拳を握り締め、鬼のような形相で弟を睨んでいた。
 その時だ。
「そこにおられるのは、我が愛しのヴェノム殿っ」
 ハウルは耳を疑った。
 この男、今何と言った?
 男は何を思ったか、壁へと突き進む。ハウルとラァスが道を塞いでいるので、通れるはずもない。だからと言って、なぜ壁へ。
 そう思った瞬間、
「や、やめっ」
 カロンは慌てて止める。しかしそれも既に遅かった。男は壁を蹴り破った。
「な……」
 ハウルはあまりの事にあっけに取られてその大穴を凝視した。
 ──なんて非常識な……。
「お久しぶりです、私の女神。
 こんなところで会えるなど、なんという偶然なのでしょう」
「そうですか」
 いつも以上に、ヴェノムの声には感情がない。いや、むしろ棒読み。
「ああ、やはり貴女はお美しい。この一年、貴女を思わなかった日はありませんでした」
 ハウルは耳を疑った。
 今までヴェノムを口説こうとした者はいたが、こうも直球なのは初めてだった。しかも、一年前に会っているのだ。ハウルの知らない間に、こんなとんでもない男が大切な祖母を誑かしていたとは。
 その時、男はヴェノムの手を取り、その手の甲に唇を……。
「てめっ……」
 ごっ!
 ハウルが動くよりも先に、カロンが男を蹴り倒していた。男は壁に激突する。また壁に穴があく。彼の身体能力から考え、今のは術の補助を得た蹴りだ。つまり、普通の人間なら下手をしなくとも死ぬ。
「ふん、この一族の恥め。
 ヴェノム殿、ご無事で何より」
「……激しい兄弟喧嘩ですね」
「いいや、違う。私含む兄弟全員があの男の事は嫌って、常に命を狙っている」
 よほど人徳がない男なのだろう。いい気味だ。あのまま死ねばいい。ここはうちではない。死体で汚れようとも構わない。掃除するのも始末するのもカロンだ。
「あのさぁ……弟さんのどこがそんなに嫌なの?」
「いいことを聞いてくれたね、ラァス君。あの男は……ほら」
 カロンの視線を追うと、既に何事もなかったように立ち上がる男。
「うわ……」
「不死身だ。殺そうと思っても、なかなかダメージを与えられない」
 そんな馬鹿な話があるか。
 この男は人間だ。ボディスのように不死になる要素を持っているならともかく、普通の人間でしかないこの男が死なないはずがない。あれでダメージを受けないはずがない。
「何よりも、あれは救いようもないほど馬鹿だ」
「それで嫌ってるのか」
 カロンは馬鹿を嫌う。知らないことは仕方がない。わからない事は仕方がない。ただ、馬鹿──つまりは知性もなく何をしでかすか分からない、もしくは目に見えて分かるようなタイプを嫌っている。
「相変わらず野蛮だな、兄上。
 はっ……まさか兄上もヴェノム殿のことを!?
 くっ、ヴェノム殿は私の妻になる方だ。兄上には決して渡さんぞ」
 どこからどうそのような話になるのか、そしてカロンの性癖を知らないのかという疑問すら一瞬で消し飛ぶほどの衝撃を受けた。
 ──つ……妻。
 今度こそ、ハウルは動いた。近付き、その腹に力を叩きつける。普通の人間なら内臓が破裂するほどの力だ。
「誰が誰の妻だ、タコ」
 ハウルはくつくつと笑う。こんな時、父の血を引いたいたのも悪くないと思う。何せ、普通ではない人間ですら、彼の前では無力同然なのだから。
 人の祖母に手を出そうとした罪は重い。


 ハウルの目は据わっていた。先ほどなど、比べ物にならないほど。
「おい、カロン。穴掘って来い。この俺が自ら運んでやる」
 ハウルはカロンに言う。カロンは顔を輝かせた。
「おお、さすがはハウル君。直々に手を下すとは……。
 よし、任せておけ。その不届き者を埋めるため、可及的速やかに深い穴を掘ってこよう」
 吹っ飛ばされた男性は壁にぶつかったまま、さすがに倒れて起き上がらない。ハウルはかなり本気を出していた。それでも死んでいないのだから、本当に丈夫な男だ。
 しかし、いくら大切な祖母を誘惑する馬鹿相手とはいえ、ハウルがああも目くじら立てるのは……。
 いつもなら、かなり切れつつも最後には適当にあしらっている。彼は常に冷静であろうとしているのに、今日の彼はそれすら忘れている。
「ろくでもない弟の抹消に手を貸してくれるとは、ありがたい」
「いいんだよ。身内がろくでもない者同士だろう。俺のオヤジ抹消は世界の存続に関わることだから無理だが、たかが人間ごときなら、殺すのに手間もかからない」
 ラァスは眩暈を覚えた。
 二人とも、正気ではない。
「君とは何か通じるところがあると思っていたのだか、そうか。変な身内に関する事だったのだな」
 どんな通じ方をしていたのか。むしろ皆、カロンの方が変なヤツだと思っているだろう。男色だけならいざしらず、趣味は怪盗、中身は賢者、怪しい機械をいじるのが好きで、その上王子様。
「おねえさんにキスしようとしたのが、そんなに嫌だったのかな?」
 アミュが自信なさげに言う。
 しかし、ありうる。可能性として大きすぎて、笑えない。あの男は重度のババコン。近付くだけで威嚇するのだ。触れればキレて、それ以上をしようとしたならば……。
 つまりあの男は今、本気で切れている。
「よし、外に行こう」
「おう」
 ハウルは男に手を向ける。ハウルは風の力で男を浮かせた。その時、男が動く。自分が宙に浮かされている事を知り、もがいた。そしてすぐに床へと落ちる。
「な、なんだ!?」
「もう意識があるのか!?」
 ハウルは目を見開いた。
 彼の殺意すら込めた攻撃で生きているどころか、彼はぴんぴんしていた。倒れたのは、脳震盪でも起こしたのだろう。しかも今、ハウルは力を緩めていない。あの男は自力で振り払っていた。
「何もんだ?」
「闘神に連なる神の加護を受けているようだ。うちの一族の血を引いているだけあり魔力は高いからな。
 生まれたときに祝福を受けたらしい。実際に見たわけではないから、確かであるかどうかは分からない。だが上の弟に実際に腹を割かれて数時間で完治したこともある」
 ──本当にどんな一族なんだろ……。
 確かにあれほど頑丈ならば、そう噂されたとしても無理はない。カロンの言った事が本当なら、人間の範疇を超えている。彼はしっかりとした足取りで立ち上がった。
「闘神? あの堅物で有名な奴があんなのに加護を?」
 知っているっぽい人物がここにいるのがさらに驚きだ。誰かが信仰している存在が、彼にとっては当たり前なのだ。信仰心がなくて、心からよかったと思う。祈る相手と普通に会話をしている友人など見たら、今のような関係はありえない。
「本人ではないだろう。いくらなんでも。しかし、闘神はうちの国の守護神であるラーハの配下だ。やはり可能性は否定できない」
 ラァスはアミュを見た。アミュはその視線に気づき首をかしげた。
「アミュは、遠くへ行かないでね」
「うん」
 彼女は微笑む。彼女の笑顔を見ていると、心が癒される。作り笑いではない、すべてに向けられる笑顔。ほとんど作り笑いしかしなかった幼い頃を思い出す。今だって、こんな純粋な笑顔はできない。
 だからこそ憧れる。自分にない物を持っているから。
 しかし、あそこで人殺しのために珍しく意気投合している二人のようなものは、一生求めないだろう。
「しかし、いくらなんでも生き埋めにしてやれば死ぬだろう。ただ、一人ではそれすら難しいが。馬鹿力の上に術も効きにくいからな」
「お前がそこまで言うなんて……。ラァス以外にも、化け物じみた人間がいるモンなんだな」
 ハウルの言葉にラァスは傷ついた。あれと比べられたのだ。化け物本人に。
「ちょっと、どうして僕の名が出てくるの? あんたらに比べたら、僕なんて一般市民の域を出ない平凡な少年じゃないかっ」
「確かにあの二人の前では平凡かもしれないけど、あなた、十分あれと比べられるほどの存在よ」
 今まで静かにしていたメディアがきっぱりと言う。この場合、彼女には悪気はないだろう。
 彼女に言われたというのが痛い。しかし痛がってもいられない。本当に埋めに行く前に、二人の熱を冷ましてやらねば。アミュが心配そうに見ているから。
「アミュ、心配なの?」
「食べるためでもないのに殺すなんて……」
「……ジェームスみたいなのはいいの?」
「おじさんは仕方がないよ。分かっていてしてたから」
 こちらの基準も理解不能。彼女は人とはずれた感覚の持ち主であるということを再認識した。
ただ、怯えられないのは嬉しい。どんな理由があれ、一番人を殺しているのは自分だ。ヴェノムは特殊なので省くが。
「師匠、止めなくてもいいの?」
「そうですね」
 今までただ傍観していたヴェノムだが、二人が本当に実行しようとし始めると、動く。
「二人とも、おやめなさい」
 ヴェノムの呼びかけに、二人は同時に振り返る。
「なんで?」
「なぜだ?」
 当たり前のように問う二人。
 ひょっとして、意外と気が合うのではないだろうか?
「ブレーズ殿下」
 ヴェノムは男に呼びかけた。
 ──そんな名前だったんだ……。
「ここには何をしにいらしたのですか?」
 そう。それが問題だ。はるばるこんな森の奥までやって来る。カロンの様子からして、頻繁に遊びに来るわけではなさそうだ。そのブレーズは全身に木屑を刺したまま言う。
「おお、そうでありました。実は父が亡くなったので、上の兄が王位を継ぐ事になりまして」
「…………そういうことは、もっと早く言えっ」
 カロンはブレーズに蹴りを入れようとするが、彼はヴェノムを見つめたままその足を片手で捕らえる。カロンはしばらくその体勢で固まった。しばらくしておそらく電気でも流したのだろう。ブレーズは即座に手を放す。
 ──男兄弟って、こんなものなのかな?
 兄のように慕っていたフォボスは、ラァスには甘かった。妹にするような甘さだった。あれは例外なのだろう。
「ご愁傷様です」
「いえ」
 ヴェノムはカロンに向き直る。
「行かれますか?」
「…………」
 兄弟喧嘩をしている場合ではない。カロンの様子からして、彼の父は普通だったのだろう。カロンの趣味を理解していなかったとしても。それが普通の父親だ。
「兄上の行方がわからなかったので、葬式は既に終わった。ただ、母上がとても悲しんでおられる」
「そうか……母上が」
 彼は目を伏せた。それから小さく頷いた。
「お前の抹殺はもう少し後にしよう。父上に次いでお前が行方不明になれば、迷信深い母上は何をしでかすか分からない」
 この一家は、嫁まで異常なのだろうか?
 しかし迷信深い王族というのも多い。魔よけ程度ならともかく、権力者が占いにはまると悲惨だ。占い師の言う事を信じ、国を滅ぼすこととなった王は少なくない。
「まったく。相変わらず兄上は乱暴で困る。ヴェノム殿の前で恥ずかしい」
「お前がヴェノム殿に無礼をはたらいたのだろう」
 どっちもどっちだと気づいて欲しい。妖怪に求婚する男もどうにかしているが、それだけで殺意を持つ兄も兄だ。ラァスに言い寄ってきたというなら話は別になるのだろうが。
「私はただ、ヴェノム殿にご挨拶をしただけだ。あなたとヴェノム殿が知り合いと言うのには驚いたが」
「ヴェノム殿と私は賢者同士。お前には理解できない深い関係があるのだ」
 確かに、時折二人で何かをしたり、討論したりする。他の男ならハウルがつきっきりで監視するのだろうが、心配する必要性のない男ななので、二人が何をしているか正確に知る者はいない。この前のカロンが自爆した薬も、共同研究の成果だと言っていた。他にも何か作っているのだろう。深いが、清く正しくもない関係だ。
「兄上、やはりヴェノム殿を」
「たとえヴェノム殿が男性だったとしても、さすがに四桁も年齢差があると」
 カロンは小さく首を横に振った。
「ええ!? 師匠そこまで歳と……じゃなくて長生きしているの!?」
「していません」
 ヴェノムは心なしか怒っているように見えた。
「え? 違うのか?」
 問うたのはハウル。ここにも失礼な男が……。
「十世紀も生きた人間は歴史上そういません。それは私やお兄様ではありません」
 十世紀止まりなのだということに、驚くよりも意外さを感じた。千年という時は耳にするだけならば短く感じる。しかし想像すると、眩暈を起こしそうな時間だ。
「殿下。ラフィを預かりましょうか?」
「いえ。連れて行くつもりだ。母も喜ぶだろう」
 カロンは背のラフィニアを見る。いつの間にか眠っていた。赤ん坊はよく寝てよく食べる。それが仕事だ。
「でも、ノーラさんどうするの?」
 今回の目的は、彼女のメンテナンスだったはずだ。
「……また今度にでも」
「ひどい主だな。自分で作っておいて、面倒になったら世話をしないとは……。
 まったくもって嘆かわしい」
 いつの間にか、ブレーズのあけた壁の穴の向こうにノーラがいた。カロンをじっと見つめる、言葉以上の非難を見せている。
「簡易的にはする。本格的には、帰ってからだ。それでいいな?」
「まあ、許してやろう。土産の食い物は忘れるな」
 カロンは小さくため息をついた。
 とりあえず、この場は収まったようだ。
 ただ、この後の片づけを誰がするのかは知らないが……。


 数日後にカロンは帰ってきた。ちょうど勉強の時間が終わった頃、皆が集まっているとき。ハウルはその時、新しく手に入れた古い魔道書の解読を進めていた。
 カロンは顔色が悪く、傷心している様子だった。父親の死に目どころか、遺骸すら見る事が出来なかったのだ。彼が心に傷を負うのも無理はない。
「カロン、元気出して」
 さすがに心配しているのか、ラァスが珍しく優しい言葉をかけてやる。ハウルはそれを見て苦笑した。
「殿下、嫌な事があったの? すごく疲れてるし、なんか痣がある」
 アミュが問う。どうやら、ラァスの心配とは別の部分で傷ついているらしい。カロンは小さく笑いアミュの頭を撫でる。
「ふん。子供をつれて国に帰ったら、母親がいないのは可哀想だからって縁談を持ち掛けられたとか、そういう落ちでしょ」
 メディアはからかうように言う。彼女なりの慰めなのだろう。ただ、方向が間違っている。照れくさくて真剣に慰められないのが彼女らしいとはいえだ。
「メディアちゃん……君はなぜそこまで私の事を理解しているのだ?」
 メディアは持っていた本を取り落とす。
 カロンの人生の浅さにハウルは呆れた。しかし、それも無理はない。カロンはかなりの高物件だ。王族で賢者。彼の兄、国王が既に結婚しているので、政略的な部分から見て一番有利なのはカロンだ。結婚させて国に束縛するのもいい。カロンのような賢者が遊び歩いているのが問題なのであり、手の届く場所に置いておきたいと思うのが国だろう。
「ウィトランのヤツ……人を身動き出来ないぐらいにへんな縄でぐるぐる巻きに縛って、無理やり見合い相手の写真を見せるんだ」
「女の人の写真なんて見ても、つまんないよね、カロンは」
 彼は小さく首を振る。
「男性の写真もあったぞ」
「ならいいじゃん」
「私はラァス君一筋だ。第一、なぜ見知らぬ相手と結婚できる?
 ラァス君は写真だけで見合いをする相手を選び、結婚しようと思うか?」
 彼は首を横に振る。人間性もよく知らないのに、結婚など出来ない。一目ぼれと言うならまだしも。
「ラフィはよく分からない女性に預けられるし。次に見たときは珍しく大泣きしていたし。何よりも弟のワーズに狙われていたようだったし。逃げ出すのに苦労した」
 逃げた理由がラフィニアに関することだったのが微笑ましい。
「ハウル君。あれからあの恥知らずは来ていないか?」
「別に」
「あいつも城からいなくなったらしい。この屋敷は私とは関係のない場所だからバレないだろうが、気をつけるといい」
 ハウルは小さくため息をついた。
 こんなことになるならば、あそこで息の根を止めておけばよかった。
 万が一その時が来たら……。
「次こそは埋めよう」
「ああ、もちろんだ」
 穴を掘ろう。穴を。大きく、深い穴を。
 その時のために。

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