17 都へ行こう

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 そこに入ると、彼は我が目を疑った。
 ここは嘆きの浜のヴェノム屋敷。そしてこの部屋は、談話室。
「一体何が……」
 カロンには理解できなかった。
 ラァスとハウルがそこにいた。そこまではいい。その二人に挟まれて、セルスがいた。そう、人魚のセルスだ。ラァスに淡い恋心を抱き、告白する間もなく失恋したらしいあの人魚の王子。尾びれではなく足を持つ彼は、意外に背が高く、ハウルよりも少し低いぐらい。しばらく顔を見せなかったのだが、一体なぜこんな事になっているのか。
 いいやそれよりも大きな問題がある。
 ラァスだ。ラァスの姿が問題だ。いつもは性別が分からなくなるような服を好んできている彼が、流行の「男物」の服を着ていることだ。髪型も微妙に違う。誰がどこからどう見ても男の子。男の子にしか見えないのだ。
「ら……ラァス君、その格好は!?」
「たまにはいいでしょ?」
「ああ。とても似合っている」
 惚れ直してしまうほど。似合っている。完璧だ。ちなみにハウルもセルスも似たような雰囲気だ。セルスはともかく、ハウルが流行りものの服を着るのは珍しい。彼はどちらかと言えば動きやすい地味な服装を好む。
「しかし、なぜこのような事に?」
 答えたのは部屋の隅にいたメディアだった。
「男同士で買い物だって」
 セルスを見た。少し複雑そうな表情をしている。
「セルスが人間の生活に興味あるみたいだからさ。連れてってやろうと思って」
「ん。だから今日は男の子だけで買い物なの。僕の実家に顔出すのも兼ねて」
 ラァスはいつもの無邪気を装った笑顔で言う。
 ──実家か。
 おそらく彼がいたという暗殺組織だ。そんな場所へとセルスを連れて行くのはどうかと思う。
「なら、私も」
「だめ」
 ラァスは即答した。いつもなら、おごってくれるならいいよと言う彼が。
「なぜ!?」
「今日は『男の子』だけ。大人は却下」
 カロンはメディアと、じっとこちらを見てくるアミュを見た。
 彼女達は普段着だ。
「本当に男の子だけで行くのか」
「カロンはラフィと遊んでなよ」
 子連れ。
 確かに子連れでは若者と買い物には行きにくい。子連れでなくても連れて行ってはもらえなかったのだろうが。
「殿下、一緒に遊ぼう」
 アミュがにこりと微笑む。
「ラフィもアミュちゃんみたいないい子に育つといいな……。ノーラみたいのではなく」
 カロンは背負ったラフィに意識だけ向け、心の底から思った。もちろん、彼女のような魔物好きになってもらっては困るが。ノーラよりは何千倍もいい。本当になぜあんな風になってしまったのか……。
「んじゃ、行って来るね。お土産は、僕の知ってる美味しいケーキ屋さんのお菓子ね」
「いってらっしゃい」
「土産を買えなくなるほど無駄遣いなんてしないでよ」
 アミュは手を振り、メディアは本から視線を上げ。
 そして三人は出て行った。
 今日は、アミュたちと遊んで過ごそう。

 

 ハウルは迷うことなく魔法陣から出る。待ち構えていた理力の塔クィランサ支部の魔道師が出迎えた。
「ありがとう」
 礼を言う。素人ではないので迎えられる必要はないのだが、わざわざ迎えてくれた者達にそれを言う必要もないし、感謝を述べないですます理由もない。
 暇なときは暇だが、忙しいときは死ぬほどこき使われるのが彼らのような存在。今は雪で街道が塞がれるので、転移魔法陣を使用する者は多く稼ぎ時。忙しいときに時間を割かせてしまった。塔の関係者は、料金が割安になってしまうのいうのに。
 転移が初めてのセルスは、きょとんとして周囲を見回した。
「人間とは、こんな風に転移するものなのか……」
「うん」
 ラァスは戸惑うセルスの手を引いて、一段高くなっている魔法陣から降りる。
「両方に魔道師がいれば誰でも渡れるのか……便利なものだな」
 理力の塔の大きな収入源だ。馬車よりは高いが、遠くとも一瞬で到着する。遠距離の場合は転移の方が安くつくのだ。もちろん理力の塔の支部など、大きな都市にしかない。転移で大きな都市に行き、そこから地方へ行くのがごく一般的な長旅だ。
「さて、どこに行く? フォボス達に顔を見せに行くか?」
 彼が過去所属していた暗殺組織の頭目、フォボス。ラァスが兄とも慕う男だ。
「いいよ。誰かが気づいて報告に行くと思うし。遊んでたら向こうから来るよ。寂しがってるはずだから」
 彼はそれを当たり前の事として言う。彼ほど自信に溢れた男は他にいまい。
「んじゃ、行こ」
 この町にはラァスが一番詳しい。彼に任せるのが一番だろう。
 二人は先頭を行くラァスにただついていく。立派な支部の建物を出ると、懐かしい町並みが広がっていた。
 ここも懐かしい。
「ここでラァスと出会ったんだよなぁ」
「懐かしいなぁ。一年も前じゃないけど」
 もうすぐ一年になる。二人とも成長した。ラァスは特に成長した。たった一年で、上級と分類される術すら使いこなすようになった。さすがは聖眼。大地の愛でし子。
「ここで? どんな風に会ったのだ?」
 セルスが周囲を見回しながら問う。
「色々とな」
「そうそう。敵同士だったんだよねぇ。今ではこんなに仲良しだけど」
 セルスはきょとんとして二人を見た。ラァスはそれを見て笑いながら道を行く。セルスはそれからしばらくして、今度は物珍しげに露店を眺め始めた。
「面白い?」
「聞いていた通りだ」
 彼は目を輝かせた。この前まではラァスを見ただけでため息をついていたのに、現金なものだ。
「人間は地を固め、土の家を作り、地に石を敷き詰める」
 むき出しの地面は舗装して、レンガの家(元は土だ)を建て、主要な道は石畳。人魚には珍しい光景なのだろう。人間の田舎者でも珍しがることもあるが。
「道で変なものを売り、虫の巣のような大きな建物が立ち並ぶ。人は群れているのに統率がない」
 あまりにも、無茶苦茶で正確な内容だった。
「……誰に聞いた、それ」
「水竜の姫君だ。とても美しい方だった」
「そいつ……知ってるような気がする」
 どうしても、兄の連れが頭に浮かぶ。強く美しく、そして「人間は」という言葉が口癖の水竜。
「感動だ。人も寿命はある程度あるのに、これほどまでに繁殖できるなど……」
 寿命と繁殖力は反比例する。
 長く生きる種族は、多くの子を産む事はない。年老いることがないとすら言われる人魚は、一生のうちに数人の子しか生まない。受精率が低いのだ。そうでなければ、人間がどれだけ人魚を捕獲しようが、人魚が減るはずもない。
「すごいな、人間は」
「どこが?」
「貴方方のような例外を除き、あれほどまでに脆弱かつ愚かであるにもかかわらず、これほどまでに栄えるなど……」
 確かに人は脆弱で愚かだ。しかし、彼は人に対して一体どのようなイメージを抱いているのだろうか。
「……地妖よりも言う事がすごいと思うんだけどさぁ……」
「まあ、ドワーフ達は言わないわなぁ。友好的だから」
 水妖は臆病で大人しい。理由もなく自ら争いを仕掛けるようなことはしない。それは決して、人に対して友好的な存在であるとは言えない。
 どうでもいいが、ラァスがどこで地妖と出合ったのかが気になった。深淵の森には妖魔種はあまりいないのだ。いるのは一つレベルが下の魔物と呼ばれるものだ。妖魔種は自分で身を守れるので、保護をする必要がないらしい。
 三人で露店を冷やかしながら大通りを歩いていたときだ。突然、見知らぬ男に声をかけられた。
「ラァスじゃないかっ」
 中年紳士だった。どこにでもいるような、高貴でもなくかと言って平民でもない。平凡すぎるほど平凡な紳士。
「……誰?」
 ラァスが首を傾げる。
「お前、自分が貢がせた相手ぐらい覚えてろよ」
「っても、僕本名なんて名乗らないもん」
 つまり、ある程度の関係。つまりは仕事関係だろう。
「ああ。変装しているからか。俺が分からないとは、観察眼が落ちたか?」
「あ、なんだフォボスかぁ。おじさんの格好されると、心当たり多すぎて」
 ラァスはけらけらと笑う。もちろんその声は小さい。
 ──フォボスって……。
 暗殺ギルドの頭目。ラァスを溺愛する兄のような存在。取り立てて優れているわけではない、地味な容貌の青年。それがフォボスに対するハウルの認識だった。しかし、今はどう見ても四十代後半。
「お前、犯罪やめたくて出てったんじゃないのか?」
「違うよ。殺し。宝石収集は一生やめない」
 ラァスはちっちっと指を振る。
 フォボスは呆れて額を指で押さえた。
「お前のその宝石狂いはどうにかならんのか?」
「ならない♪」
 きっぱりと言い切る。
「ところで、今から仕事?」
「いや、終わったところだ」
「なら、もう少ししたら行くよ。今日は友達と買い物に来たから、それすんだらね」
「ああ、待っている」
 フォボスは中年の顔で微笑む。
 ──特殊メイクって、すごいな……。
 ラァスの本気のメイク以上だ。ラァスの場合、別人にはなるが、あれほど歳や容姿を誤魔化せない。
「さすがは頭目」
「僕に女装を仕込んだ人だからね」
「ラァスを変態に貶めたやつか……」
 ラァスは非難がましくハウルの腕をつねる。一瞬、ねじ切られるかと思うぐらい痛かった。自分が馬鹿力であるという事を自覚してやっている。たちが悪い。
 しかしよく考えてみれば、あの男が諸悪の根源以外の何者でもない。世の中の変態オヤジが狩られるのは、あの男のせいだ。
「んじゃ行こう。美味しいケーキ屋さんあるの。カフェもやってるから、食べてこ」
「まて。そういう店って、普通女が行くもんだろ?」
「うん。別にいいじゃん」
 ハウルは眩暈を覚えた。セルスが顔を輝かせていなければ、迷うことなく却下していただろう。
 ──まあいいか。
 土産は約束してしまっているのだから。

 

 街を見て、歩いて、触れて、買い物をして、食べて、彼は思う。
 陸の上はなんて面白いのだろう。
 海の中ではありえない。海の中では貨幣がない。必要ないがからだ。王がいて、それに従い守る以外、何も必要はない。あるとすれば、珊瑚や真珠など、陸で価値があるもの。それらを用いて陸の物達と必要なものと交換する。だから、貨幣などなくとも彼らは困らない。
 だが、人間は違う。陸の上には食べ物が少ない。少なくとも、海の中に比べれば。だから知恵のある生物は畑を耕し、家畜を買って安定させた。やがて物々交換から貨幣を用いた交換になった。そして国によってばらばらだった通貨は、大陸内ではほぼ統一されているらしい。例外は金貨などだ。金や銀は時により値段が変動する。そこら辺の事はよく分からないが、ハウルたちの使っているのは普通の紙幣だった。細かな金額は小さな硬貨。人間の使う貨幣に、初めて触った彼は、これで何でも買えるという事に驚いた。人はこんなもののために争いを起こすこともあれば、同族で殺しあうことすらあるらしい。
 だから人間は不思議だ。面白い。
「セルス、楽しかった?」
 ラァスが笑顔で問いかけてくる。彼の綺麗な顔や、肩の辺りまである金髪を見ているとまだ胸が痛む。だが、今日は男の子に見える姿をしているので、いつもよりはいい。
「ああ、とても」
「これからすごい場所に行くから、覚悟しててね」
 覚悟。覚悟とは、どんなところへ行くのか。
 ハウルを見ると平然としている。この少年は、何を考えているのか分からないところがある。いつも真面目な振りをしながらふざけ、ふざけているように見えて真面目に考えている。つかみ所がない。
「ん? 何だ? なんかついてるか?」
 神の美貌を受け継ぐ少年は、首を傾げて問う。彼は歩くだけで目立つ。男女問わず振り向く。何度か女性に声を掛けられた。そのたびにハウルは閉口し、ラァスが上手く断った。
「いえ、何も」
「そうか?」
 彼は再び前を向く。彼の側にいるのは緊張する。本来なら、口を利いたもらうことですらもったいないような存在だ。今は人として己を磨く修行をしているらしいが、将来はきっと手の届かないような場所へ行ってしまうだろう。そんな人物と並んで歩いているのが、とても不思議だった。
「こっち」
 ラァスは狭い裏道へと足を踏み入れる。先ほどいた場所すら少しくらい狭い道だったが、今度は人の町をほとんど知らないセルスですら、異様な空間だと思うような道だった。
「夜と昼間でも印象かわらねぇ」
「まあねぇ。そういう場所だしぃ」
 ラァスはやがて、何やら店のような場所へと入る。
「ここは?」
「まあ、ラァスの馴染みの飲み屋……かな。ここに来た事は秘密だぜ。何かとやばい場所だから」
「はい」
 秘密の共有。神との約束。永遠に、胸の奥底に封じなければならない。
 二人はラァスに続いて店に入る。そこは話に聞く酒場というもののようだ。以前人間について教えてくれた竜の姫君は、よく酒場につれていかれたらしい。
「ラァス!」
 あらかじめ来る事を聞いていたのだろう。驚いた様子もなく、皆笑顔で彼を迎え入れた。
「よぉ、元気だったか、この女男っ」
「背ぇ伸びたなぁ、こいつ」
 ラァスは人間たちにもみくちゃにされていた。
「きゃー、いい男になってきたじゃない! つばつけとこっかなぁ?」
「あぁら、何言ってるの。ラァスはケバイよりも、可愛い女のこの方が好みじゃない。おばさんはあっちいっててよ」
 ラァスは女性たちの抱擁を受け、キスをされた。
「ああ、もう! みんないい加減にしてよ!」
 ラァスはこちらを見る。
「あっちに若くてもっといい男いるから」
「いらん」
 ハウルはきっぱりと言う。
 女性たちはハウルの迫力に押され、再びラァスへと構い始める。
「あのね。僕、今心に決めてる子いるから」
「え!?」
「うそぉ!? ラァスが!?」
 皆が騒ぐ。どうやら、よほど意外なようだ。
「騒がしいな、どうした? ラァスか?」
 二階へと続く階段を、若い男が下りてきた。
「大変です、フォボスの旦那!」
「ラァスに女がっ」
「なにぃぃぃい!?」
 フォボス。どこかで聞いたような。
「言っとくけどな、あれ、さっきのおっさんだから」
「ええ!?」
 男をよく見る。目立たない凡庸な容姿。異様に目立たない気配。隠しているわけではない。目立たないのだ。そう、擬態の得意な魚のように。
「変装の天才らしい」
 人間が、ああも変われるという事にショックを受けた。人間はなんてすごいのだろう。
「女だと!? どこの誰だ!?」
 フォボスは青ざめてラァスの肩を掴んだ。
「師匠の弟子で、ハウルの従妹。すっごく可愛いの。性格もいいし」
 でれでれと言うラァスをよそに、彼はよほどショックだったらしく、よろけて別な男に支えられる。
「旦那、気持ちはわかりやすが……」
「ラァスも男。彼女の一人や二人ぐらい」
「お前ら、なんでそんなショック受けてんだよ」
 ハウルは言う。その言葉に、フォボスは我に返る。
「そ、そうだな。ただ、今まで女嫌いだったラァスが……こ、恋人などを作るとは」
「女嫌いだったのか?」
「ううん。好きだよ。ただ、僕に相応しい女の人いなかっただけで」
「だろうな」
 ラァスが胸を張って言う隣で、ハウルは悟っているような調子で頷いた。この自信家達は、なぜこうも自信に溢れているのだろう?
「ど、とんな女だ!?」
 フォボスが群がる人間をかき分け、ラァスの肩をつかみ揺さぶった。
「女神様」
「……そんなに美人なのか?」
「うん。師匠に似てるっていえば、どれだけ綺麗か分かるでしょ?」
「あの女に!?」
「あ、年下だから」
 フォボスは打ちのめされたように膝を床につけた。
 ──何なんだ?
「……彼も、カロン殿のようにラァス殿のことを?」
「……さぁ。今までは兄弟気分だと思ってたけど……なんか自信なくなってきた」
 当のラァスはけらけらと笑っている。
 ──人間はよく分からない。
 だからこそ、興味尽きないのだ。
 それから、しばらくこの酒場で過ごした。

 

 ハウルは勧められるがままに酒を飲む。強い酒だが、父親に似たのか意識はしっかりとしている。
「ハウルって、お酒強いよね」
「まな」
 どれほど飲んでも、ほろ酔い以上にはならない。便利な体質だ。だが、自分が飲むとヴェノムも飲みたがるのでいつもは自粛している。まあ、たまにはいいだろう。別にキス魔でもないし、突然ストリップも始めないし、説教を始めたりもしない。いつもと大差ない。ただ気分が少しよくなるだけ。
「ハウル。こっちの酒はどうだ。ここの地酒だ」
 フォボスは未成年の飲酒にも寛容らしく、しつこいほど勧めてくる。そしてハウルはそれを飲む。先ほどから、この繰り返し。
「ラァスは飲まないのか?」
「うん。酔っ払いって、大っ嫌い」
 そこの言葉に、フォボスが硬直した。
 ──このにーちゃんも……。
 そんなラァスに、彼の馴染みの連中は同情の目を向けた。
「そか。ラァスって、父親が酒飲みだったんだってな」
「酒飲んで暴力振るうオヤジが一番タチ悪いよなぁ」
「そうそう。ラァス、ヤられなかったか」
 皆酒が入っているせいか、好きな事を言い始める。
「ははは、それは大丈夫。僕はまだ穢れない無垢な少年だから」
 どこがどう穢れていなくて無垢なのかは分からない。本人が言い張るのだからほっといてやろうと思うが、つっこみを入れたくて仕方がない。言おうか。そう思っていると誰かがただ一言「どこが」と言ってしまった。もっといい言い方があるだろうに。しかし今更言ってもインパクトが薄い。こんなことで怒りだしてはただの馬鹿だし、残念、悔しいと思う気持ちを完璧に抑えるのもむきになっているようで馬鹿しい。だからハウルはふて腐れて飲む。
 ラァスの左隣では、無心にナッツを食べるセルスがいる。初めて食べるらしく、少し塩味の効いた数種類のナッツを、気に入ったものだけ選別して無言で食べている。
 ちなみに、酒は一口飲んだだけで拒否をした。変なにおいと味がすると。酒の味がしないような甘いものでも変な味がするという。アルコールを体質的ではなく、味覚的に嫌う者は少なくない。何よりも種族が違う。だから仕方のないことだ。
「セルス。これも美味いぜ」
 セルスにジャーキーを渡す。彼は塩気のあるものが好きなようだ。その上肉。案の定気に入ったらしくはぐはぐと噛む。分かりやすい男だ。
 そんな彼を眺めながら、ハウルはシャンパンを飲む。ワインよりもシャンパンの方が好きだ。高いシャンパンほど好きなのだが、ここにはそれほどのものはない。
 そんなことを考えていたときだ。知らない誰かが思い出したようにラァスの肩を叩く。
「そういやさ、お前の好きな宝石泥棒いただろ」
「え……うん。まあ」
 ラァスは複雑そうな顔をした。
 ──カロンが聞いたら喜ぶんだろうなぁ。
 好きとまで言われているのだ。絶対に有頂天になるだろう。
「今度はすぐそこの美術館狙ってるらしいぜ」
 ぶっ
 ハウルは口に含んでいたシャンパンを噴き出した。ラァスの方は完全に硬直している。
「ったね。何なんだ、いきなり」
「かろ……じゃなくて、セイダが? いつ!?」
 ハウルは立ち上がり、固まっているラァスの代わりに男に詰め寄った。
「今日」
「嫌がらせ!?」
 ラァスが突然立ち上がる。
「そりゃあこっちだってもっと早く連絡したかったさ。一週間ぐらい前に予告状が来てたんだけどなぁ。手段ねぇし」
 どうやら偶然らしい。
 ──何だかんだ言って、こいつら縁強いよな。
 運命のある人間というのは実際にある。それは友としての運命であったり、男女としての運命であったり、家族としての運命であったり、時には破滅を誘う運命であったりと、その種類は様々だ。しかし、それらが強いのは他人である場合が多い。友や恋人がそうだ。例外は双子だろう。ラァスとカロンは、何らかの運命を持っていると思われる。世間一般ではそれを、赤い糸だとか腐れ縁だとか言う。
「んもう! 僕を差し置いて宝石ゲットじゃなくて、盗むなんて!」
「邪魔しに行くか?」
 ハウルは期待して問うた。
「もちろん!」
 これは、なかなか楽しそうだ。
 ただ一人、セイダという存在を知らない人魚は呆然と二人を見上げていた。ジャーキーを噛みながら。

 

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