18 地下室の主


 1

 見送りはヨハンとセルス。見送られるのはいつもの一行。
 場所は転移用魔法陣の上。
「夏に来るから、海水浴に」
 いつも海に行っていたラァスは、セルスを抱きしめて言った。
「待っている」
 セルスは微笑んだ。まるで、女の子同士のようなすがすがしい別れ。まるで、お話の中の、感動的なエンディングのようだ。
 アミュはそれをぽーっと眺めていた。
 ──いいな、ラァス君はお友達多くて。
 どこに行ってもすぐに馴染むし、何をしても器用にこなす。料理だって、家事だって、女性としてのマナーだってラァスの方が上手だ。
 ヨハンの方は、ラフィニアの手を握っていた。
「ラフィニア様のお越し、心よりお待ちしております」
「よぅ」
 ラフィニアが眼前にある彼の顔を叩く。
 ヨハンはラフィニアの面倒を見ているうちに、可愛くて仕方がなくなってしまったようだ。思えば、カロンは週に何度か彼にラフィニアを預けていた。
「カロン殿下。ラフィニア様を、まっとうな子に育ててくださいませ」
「何を言う。当たり前だろう」
「万が一殿下のように成長されたら……そう思うと胸が張り裂けてしまいそうです。この老体の唯一の希望を、決して崩さないようお願い申し上げます」
 カロンは唇を歪ませる。
 ラフィニアを心配していると言うよりも、カロンをけなしているように聞こえたから、そのせいだろう。もちろんカロンがヨハンのことを、悪く思っているわけではない。二人は苦楽を共にした子育て仲間だ。もちろん、苦よりも楽しみの方が大きかっただろう。夜中にラフィニアが泣き出したとしても、文句一つ言わずに夜の散歩に出かけていたものだ。
 そんな彼らを眺めているヴェノムに、今までずっと塞ぎこんでいたメディアが声をかけた。
「ねぇ、ヴェノム様。前に帰ったとき、すごく寒かったじゃないですか。きっとまだ寒いわ。ちゃんと春になってから帰りましょう」
 以前ここでちょうどいい格好で帰ったところ、メディアは凍えてしまった。今は毛皮のコートの下にその細身の身体が太く見えるほど着込んでいる。ラァスも似たようなものだ。部屋の中では熱いのか、二人とも少し汗をかいている。
「おい、いくぞ」
 一人魔法陣の背後の壁にもたれていたハウルは、容赦なく皆をせかす。彼はいつも一番に動いている気がする。彼はせっかちなところがある。
「ハウル、寂しくないの?」
 ラァスが問う。
「また来るだろ。それよりも、俺は畑が心配だ。何より冬眠してるルートも心配だ」
 あの可愛い白竜は現在冬眠している。竜とは冬眠する種族なのだ。ただし冬眠するのは、本当に幼い竜だけ。大人にならずとも、ある程度大きくなれば冬眠せずに起き続けていられる。
 アミュはあの大きなヌイグルミのように可愛いルートと遊べないのは寂しかったが、子供はよく寝てよく育たなければならないのは確かで、だからルートがよく眠るのはとても嬉しい。だって、もっと大きくなるのだから。
「ルート君、元気かな?」
「起きたら大変だぜ。よく食うし。よく動くし。ラァスと始めて会ったのは、ルートの食欲とかが収まった時だったから知らないだろうけどな。起きたとき一人だと、すげぇ泣くんだ」
 アミュは頷いた。
 彼が泣くのはとても辛い。だから早く帰って、自力でおきてしまう前に起してあげるのだ。ハウルのそんな心遣いがとても好き。
「早く帰ろう」
 アミュが言うと、ラァスはセルスからさっと離れ、魔法陣へと入る。
「カロン、行くよ。いつまでヨハンさんと話してるの?」
「……ああ」
 カロンは別れを惜しむヨハンを振り切り、魔法陣へ入り手を振る。ラフィニアはカロンを真似てヨハンに手を振った。賢い子で、はや人の真似をしたがるようになってきたのだ。彼女は人ではないから、人よりも成長が早いのだろう。その様子に、ヨハンはとても喜び、微笑む。
「それでは、ヨハン。後は頼みます」
「かしこまりました」
 ヨハンが一礼する。それを見て、ヴェノムは簡単な呪文を唱える。
 視界が歪み、次の瞬間には城の魔法陣だった。暗くて何も見えないが、雰囲気で分かる。ここは深淵の森。
 とても簡単。だが、ヴェノムはこの移動方をあまり好まない。必要最低限しか使わない。だから、必要もなく頻繁に行き来きはしない。簡単な買い物なら、いつも一時間かけて空を飛んで行くのだ。だから、次にあそこへ行くのは本当に夏に一日遊びに行くだけだろう。
「暗い……」
 ラァスは光を生み出し、魔法陣から出る。ラァスの吐く息がより白く見える。気温が低い。
「ハウル、早く暖炉に火つけてきてよ」
「なんで俺が?」
「動きにくいから」
 あれだけ着込んでいれば、普通に歩いているだけで動きにくいと感じるに違いない。
「お前……自分の元の職業完全に忘れてるだろ」
「ちょっと、アミュの前でそういうこと言わないの!」
 ラァスは頬を膨らませる。前の仕事。それが何か気に入らないのだろうか?
「……前のお仕事って、人を殺していたお仕事?」
「…………」
 なぜかラァスは突然倒れこみ、床に拳を叩きつける。
 拳が痛まないかと思ったが、石の床の方にひびが入ってしまい、彼は慌てて叩くのをやめた。彼の力は本当にすごい。
 そんなラァスの前にメディアは仁王立ちし、彼を見下した。 
「気づかれてないと思ってたの、あんた」
「どうして!?」
 アミュは首をかしげた。彼の職業がどうしたと言うのだろう?
「気づかれないと思ってたわけ? あんな物騒な連中の溜まり場で育ったなんて、それ以外の可能性なんてないでしょ?」
 だいぶ前に、ラァスの実家へと遊びに行ったときを思い出した。皆、人を殺している人たちだった。ただ、無差別ではない。
「……ええと……じゃあなんでアミュまで?」
「アミュは鈍いけど、馬鹿じゃないのよ。あんたたちの会話聞いてれば分かるわよ。ほら、ハウル。さっさと行きなさい!」
 メディアの言葉に、ハウルはため息を付いて部屋を出て走る。本当は、真っ先に畑……いや、ルートの小屋に行きたいのだろう。きっと。
 次にヴェノムが部屋から出た。アミュも行こうとすると、ラァスに腕を掴まれた。
「ん?」
「いつから知っていたの?」
「ええと……」
 アミュは彼の背後を見た。ラァスは慌てて背後を見る。
「な、何!? 何がいるの!?」
 幽霊の嫌いな彼は、青ざめてアミュにしがみ付いた。いつもの細い体とは違って、今はすっかり太いので、少し苦しい。
「小さな女の子」
「女の子っ……」
 ラァスの顔色が明らかに変わった。恐怖から、別のものへと変化する。いつものものとは、少し違う。幽霊を怯えているという、愉快なものではない。
「うん。おじさんに殺された女の子」
 その言葉に、なぜか彼の中にあった奇妙な感情が薄れた。それでも残っている。とても悲しそうなので、アミュはラァスを抱きしめた。
 ラァスやヴェノムが時々こうしてくれる。寂しくなったとき、悲しくなったとき、なんでもないときも。こうしてもらえるととても心が救われる。
「僕の事、嫌じゃない?」
「どうして?」
「意味もなく殺すの、嫌いでしょ?」
「意味はないの?」
 彼は望んでいなかっただろうし、後悔している。それでも、その道しかないのだと。
「あの人がエノを殺そうとしたのにも、意味はあったよ」
 あの人。彼女の父だと言う、綺麗で傲慢で、意地悪な最低の男。
「あの人は、私がただ大きらいなだけなの。ラァス君は好きだから。人を殺しても、ラァス君の事はずっと好きだよ」
 彼は彼女にとっては大きな存在。ハウルは優しいが、いつもヴェノムのことばかり。だけどこの少年は、いつもアミュに気をかけ、守ってくれている。手を引いてくれる。教えてくれる。
 手をひかれると、思い出す。小さな頃、絵本をくれた男の子。ラァスは彼に似ているのだと思う。あの男の子はラァスほど綺麗ではなかったけれど……。
「ラァス君がわたしのこと嫌いになっても、大好きだよ」
 ラァスはくすくすと笑いだした。
「僕も大好き」
 ほほにキスをされた。彼の心は晴れていた。とても嬉しいようだった。
 だからアミュも嬉しくなった。好きな人が嬉しいと、自分も嬉しくなれる。だから好き。嬉しいのは好き。楽しいのは好き。
 だからきっと、自分は幸せだ。


寒い。寒かった。
 暗い廊下。魔術の光に照らされるその色の風合いがより冷たい。この城の廊下は元々雰囲気からして冷たく感じる。夏はいい。石の壁や床は、触れるとひんやりとしてとても気持ちがいいだろう。しかし、冬は別だ。火をつければ暖かいが、火がなければどこまでも冷たい。
 しかしメディアは、この冷たい空気とは別のもので冷えていた。
 友人たちは意味もなく暖かそうなのに、自分は寒い。何なのだろうか、この気持ち。
 とりあえず邪魔なようだから、もの欲しそうに二人を見つめるカロンを引っ張り、先に行った二人を追う。
 ああ、なんていいやつなのだろう、自分。
「あんたも、いい加減諦めたら?」
 メディアはカロンを見上げて言う。この男の横に立つのは嫌いだ。下手をすると「あ、いたんだ」とまで言われることがある。そこまで小さくなどないのに。だからこの男は基本的に嫌いだ。
「……もしもメディアちゃんが男の子だったら、諦めていたかもしれないな」
 なぜか彼はメディアを見つめて呟いた。メディアの口元が引きつる。
「今日ほど女に生まれてよかったと思った日は、後にも先にも一生ないでしょうね」
「君もまたつれないな」
 当たり前だ。異性に男だったらなどと言われ、喜ぶ女がいたらおかしい。
 寒い。本格的に。汗をかいていたのが冷えてきて、余計に寒い。それなのになぜ自分はこんな変な男と歩かなければならないのか。かといって、あのままあそこにこの男を置いておくのもまた気まずい。
「君はいい子だね」
「正気でない男が何か言っているわね」
「くっくっ……」
 彼は妖しく笑う。ラフィニアを背負ってさえいなければ、それなりに絵になるだろうに。ラフィニアは父親の髪を引っ張っていた。メディアは最近、この男はそのうちハゲるのではないかと心配していた。若くしてハゲた王子、賢者など見たくもない。恐ろしい。
「ラフィニア、手が退屈なんじゃない?」
「ふふ。前に玩具を持たせたら、後頭部を殴られ続けた」
「それって、前に置いてかれた変な太鼓でしょ? 柔らかいヌイグルミにすればいいのに」
 それにカロンは再び笑う。
「ラフィは興味も示さなかったよ」
「どんなヌイグルミあげたのよ」
「アミュちゃんに聞いたら、怪獣のヌイグルミが好きだと言うから……」
 そういえば、アミュがカロンに貰ったと、不細工で大きなヌイグルミを持ってきたことがある。
「あの大きなヌイグルミ、どうやって持つのよ!?」
「まずは遊ばせてみようと思ったのだが、それよりも人と遊んでいる方が楽しいらしく、私やヨハン殿に手を伸ばすのだ。そんなことをされれば、抱き上げないわけにはいかんだろう?」
「小さなヌイグルミ持たせながら背負いなさい」
 その言葉に、カロンはラフィニアを振り返る。
 ひょっとしたら、可愛いヌイグルミに我が子の夢中になるのが嫌なのかもしれない。
「それか髪を切りなさい。そのうちハゲても知らないわよ」
「……ヌイグルミ、あっただろうか?」
「ラァスに聞きなさい。ラフィのためなら一つや二つくれるわよ」
 皆の中で一番乙女チックな部屋には、誰かに買ってもらったらしきヌイグルミや人形が壁一面に飾ってある。嘆きの浜にいた頃も、初めは何もなかった部屋が、いつのまにか見知らぬヌイグルミと人形がベッドと窓を飾っていた。今もなお、どこぞの男に買ってもらっているのだろう。彼はよく、町に行くと姿をくらませていた。中にはとても高価だと分かる人形やクマのヌイグルミがある。
「そうか……ラァス君の愛用のヌイグルミか」
 カロンは一児の父とて失格でしかないだらしない顔をした。
「抱き枕にしてるのはくれないと思うわよ。まあ、赤ん坊に渡すんだから、汚れても破れてもいい洗いやすいものをくれると思うわ」
「……そうか」
 情けない男だ。女々しいと言うか、鬱陶しいと言うか。
 ──ああ、寒い。
「風邪をひいてしまいそうだわ。まったく、アミュと離れると寒くなるっていうのに。あんなところでいちゃついてラァスのヤツ」
 彼女の加護は火神の加護。水に属する自分とは、相性としては最悪に悪いのに、それでも心地よいと思うのだ。ハウルとラァスの二人の関係も、これに近いような気がする。ひょっとしたら友人とは、属性が正反対の方が、かえって上手くいくのかもしれない。
 だから大切な友人のため、とりあえず選択範囲を広げさせてやらなければならない。そのためには、自分の心に敏感になってもらいたい。アミュは人の心が分かるぶん、自分の心に鈍感なところがあるのだ。
 感情豊かなラァスは、彼女にとってもいい影響になっているとみている。だから男だが、彼女に近付く事を認めてやっている。
 彼も、真剣なようだし。
 ──あの馬鹿と違って……。
 彼女は実家にいる黒の賢者を思い、軽い呪詛をはき捨てた。


 日の光を浴び、目を焼くような光を散らせる白。白。白。
 外は見渡す限り雪だらけだった。どれぐらい雪だらけかというと、二階からしか外に出られないほど。
 雪が積もるのは昔からではなかったらしい。山すそだからといって、昔はここまで雪は降らなかった。そうでなくて、誰がそんな場所にこんな場所に城を建てるというのだ。ヴェノムに理由を聞いたが、はぐらかされた。きっと、わけがあるのだろう。
 ただ、ハウルにとってはよいこともある。ルートが眠りやすいのだ。掘り起こすのは大変だが、彼がより大きくなる事を思えば歓迎する。ハウルが幼い頃はそんなことも知らずに、常に春のような陽気の天空城で、彼が冬になってよく眠るのを邪魔さえしていた。だからルートは少し小柄だ。もちろん沢山眠ればいいというわけではない。仮死状態に近い、深い眠りに付くことが大切なのだ。だがそろそろ起してやっても問題はない。むしろ、起さない方が問題だろう。そろそろ、栄養を取らなければならない。眠りすぎて成長するための栄養を取らなければ、逆に成長は止まってしまう。
 誰も、教えてくれなかった。ヴェノムが初めてそれを教えてくれた。初めルートは寂しがった。突然お前は冬眠しなければいけないと言われれば、当然戸惑うし、一人にされる事を怯える。だから雪が積もるようになるまで待ってその白い身体を雪に埋めて、寝るまでそばにいてやったものだ。
 もちろん今は慣れてしまったので、皆が行った後一人で冬眠の準備をした。だがハウルは心配になって、彼が冬眠する頃に一度戻ってきて、おやすみの挨拶をした。だからルートとはそれ以来。
「ええと……」
 木が見えた。頭だけしか見えない木々の中、一つだけのっそりと大きく姿を見せている木がある。裏庭の木も大きいが、こちらの木も大きい。ルートはいもつこの辺りで寝る。
「アミュ、ここらへん」
 いつもなら掘り出すのに苦労しているのだが、今年はアミュがいる。
「手加減しろよ? 地面に尻尾だけだけ生やして埋まってるからな」
「うん」
 ハウルは抱えていたアミュを雪の上に落とした。アミュの身体はずぼすぼと雪に沈む。変な格好で止まってしまい、アミュは体勢を整えるのにもがく。空中からハウルも手を貸してやる。その手を取って、なんとか膝立ちで状態を固定するのに成功した。
「じゃあ、少しずつ溶かすね?」
 言ってアミュは全身に力を巡らせる。呪文はいらない。これは自身の持つ力だ。はじめは使う事を拒否していたが、ヴェノムに説得されて力を使うようになった。どんな説得をされたのかは分からない。しかし、その内にある熱を開放する事は、身体には大切なことだ。ハウルもまったく力を使わないと体調を崩す。人間が運動しないと体を壊すのと同じだ。
 アミュの周囲が水になる。アミュの身体は沈まない。彼女は雪──水の上に立ち、その身体は浮いている。力を使い始めれば、彼女にはこの程度造作もない。局地的にどんどん雪が溶けていく。溶けた雪は水となり、蒸発する。しかし決してその熱は周囲には影響を与えない。局地的に雪を溶かす。雪の壁は崩れない。水が凍り、雪をせき止めているのだ。
 ──はは……すげ。
 彼女はコツを掴むのは早かったが、短期間でここまで自在に力を調整できるとは……。
 やがてアミュは地面につくまで掘り進んだ。ルートはみつからなかったので、すこしずれて同じ事をする。
 ゆっくりと、ゆっくりと。
 三十分程度その作業は続いた。掘り進めていたアミュは、空の上のハウルを仰ぎ見て手を振る。
「尻尾!」
 アミュは雪の壁からはみ出した、雪に混じる白い尻尾を掴んでいた。尻尾に積もる雪が邪魔で、尻尾を動かしているうちに変な埋まり方をしたのだろう。
「よぉし。じゃあ、起すか。その前に、そいつの上の雪をどけなきゃならねぇな」
 久々のルート。大きな生き物の好きなアミュは、可愛いルートを抱きしめられることが嬉しくてたまらないのか、そこからの作業はとても早かった。
 ルートを掘り出すと、ハウルは彼の尻尾を掴む。やや先のほうを押さえ、持っていた金槌を振り上げ……。
「ぎゃう!?」
 ルートが突然目を覚まし、土地から飛び出し暴れだした。ハウルはアミュを下がらせ、その姿を傍観する。
「あの……おにいさん……」
「手で叩いたら痛いだろ? 竜の頭部は硬いんだ」
「でも……」
 しばらくすると、ルートは大人しくなり恨み辛みのこもった、呪うような視線をこちらに向ける。アミュはそんなルートの頭をについた土を払い、なでる。大きな生物の好きな彼女は、ルートの事をとても気に入っているのだ。ルートもアミュの押しに負けて、結局は彼も彼女に懐いてしまった。相思相愛の二人は、久方ぶりの再会を喜び合う。
 なんだか、弟の方が先に彼女を見つけてしまった兄というのはこんな気持ちになるのかもしれないと思った。
「ルート君のおうちも掘り出さなきゃね」
 アミュはルートから身を離し、雪の壁を見上げて飛び上がろうとした。
「いいよアミュ。俺は冬はいつも城の中で生活するから」
「…………どうやって?」
 アミュはルートを見上げた。彼はまだ子供だ。しかし、子供とはいえ座っていてもハウルよりも大きい。アミュが疑問に思うのも当然だ。
「ルート。今年は自分でやってみろよ。前にミンスと練習してただろ?」
 ルートは小さく頷いた。メディアの自称父親、成体の白竜ミンス。見た目、性格は難だらけだが、その実力や教え方の上手さはメディアという歪んではいるが、立派に成長した見本がいる。
 ルートは吼える。笛を噴くに似た音が、その喉から漏れる。その音が空に響き渡る程度のわずかな時。ルートの身体はまるでヌイグルミのように小さくなった。アミュが切なそうにルートを見つめる。ルートはずいぶんと小さくなった羽で飛び上がり、ハウルの腕の中に飛び込んできた。
「んじゃ、城の中に入るか。ここにいたらお前また眠くなるもんな」
 ルートはハウルのあごを舐める。ハウルはルートの身体に付いた土を払う。
「おはよう、ハウル」
 ──くっ、可愛いやつめ。
 親馬鹿というか兄馬鹿というか。
 とにかく、この幼体の竜が可愛くて仕方がなかった。だから、その身体を綺麗にしてやるために、雪の中へと突っ込んだ。
「……おにいさん」
 アミュが非難じみた目を向けてきたが、これが一番手早くすむのだ。


 ハウルとアミュは二階の窓から帰ってきた。カロン、ラァス、メディアで彼らを出迎えた。ヴェノムは家事をしている。
 アミュにタオルを渡したラァスは、それを見て目を輝かせた。それはもう愛らしく、乙女ような表情だ。
「可愛い!」
 ハウルから、小さくなったルートを奪い取る。
「か〜わ〜い〜い〜」
 何よりも可愛いのは君だと思いつつも、カロンはラァスを傍観する。
「た、助っ」
 じたばたもがくルートを、ラァスは容赦なく抱きしめていた。頑丈で力強くに出来ているはずの竜が、少年の腕力が押さえつけられ、やや白目を剥く姿は笑いを禁じえない。
「ラァス君。少しだけ力を緩めるといい」
 カロンは見かねて口を挟んだ。ラァスはようやくそれに気づき、少し力を緩める。
「うん。ごめんね。なんか、ヌイグルミみたいで可愛くて綿なんて入ってそうでああもう可愛い」
 今度は頬擦りを始める。それを見て、突然背中のラフィニアがあうあうと騒ぎ始めた。
「……何、この赤ん坊」
 ルートは彼に手を伸ばすラフィニアを見て呟いた。
「カロンの娘だよ」
「え? ノーマルになったの? よかったね、ラァス」
「残念だけど、母親がいないから。君と同じで」
「…………」
 ルートはラフィニアを見つめた。ラフィニアはルートに手を伸ばす。
「あの子も始祖?」
「そう」
 ルートはラァスの腕から抜け出し、ラフィニアの元へとぱたぱたと飛んでいく。ラフィニアはルートが目の前に来ると、きゃっきゃと笑って喜び、その鼻面を掴んだ。そこには角があり、ちょうどそれに手をかける形となっている。
「つ、角に。ハウル、この子危ないよ。怪我するよ」
 例えまだ子供でも竜の角であることには変わりない。突進して、岩石砕く竜の角。飛ぶ鳥貫く竜の角。
「ラ、ラフィ! 危ないから離しなさい」
 背中にいるラフィの手元にカロンの手は届かない。ラフィニアの手を救ってくれたのは、ラァスだった。手を角からのけ、その小さな手をそっと握る。
「ラフィ。これは危ないから、あとで可愛いヌイグルミあげるね」
「らーぅ」
 ラフィニアはラァスの手を空いた手でぺちぺち叩く。ラフィニアが一番先に覚えたのが、カロンが最もよく口にするラァスの名だった。名を呼ばれ、ラァスはラフィニアを優しくなでる。
「ラフィはいいこだねぇ」
 その間に、ルートはハウルの腕の中に戻る。ラフィニアもラァスも、どちにらもこりごりしたらしい。ハウルの腕の中で、ほっと息を付く姿が愛らしい。
「あ、そだラァス」
「ん?」
 ハウルはルートを指差した。
「こいつ、あんまり長く小さくいられないと思うから、こいつの入れる部屋、掃除してきてくれ」
「ハウルは?」
「俺とアミュは雪かき。ルートもいなくなったことだし、多少は派手に出来るからな」
 ルートはハウルの手から、ラァスへと渡された。
「メディアと一緒に、掃除してやってくれ」
「はぁ? 何で私がそんなことをしなければならないの?」
 メディアは胸を張ってハウルに睨む。大人と子供ほどの身長差がある。見ていると微笑ましい、などと言ったら、メディアは迷うことなく呪いをかけてくるのだろう。
「そんなの、さっさと全部溶かしてしまえばいいでしょ!」
「お前、ここの雪全部溶かしたらどうなると思ってるんだ?」
 床上浸水になるだろう。城の中に水が入ってきたら、おそらくヴェノムは卒倒する。高価な絨毯、絵画、家具が置いてあるのだ。
「さっきみたいに蒸発させたら?」
「そこまでの熱は、いくらなんでもアミュや俺じゃ抑えられない。その熱は、関係ないところの雪も溶かす」
 ハウルは裏庭の方向を指し示し。
「山があるんだぞ。雪崩になるに決まってるだろ」
「…………そう……ね」
 メディアは押し黙る。積もっていた雪の量を思い出したのだろう。彼女は外の寒さのあまり、いつも以上に短気になっているようだった。
「でも、どこよ。この子が動き回れる部屋って。確かにここは天井が高いから、無理ではないと思うけど……」
 ハウルは二人を手招きした。好奇心もあり、ルートを見つめ続けるラフィニアをなだめながら皆についていく。
 ハウルが向かう先は、皆ほとんど使用しない区域。
「どこ行くの? そっち、何もないじゃん」
 ラァスは徐々に不気味になっていく廊下を見回す。
「地下室だ」
「え? ワインセラー?」
「いや、地下に広い隠し部屋があるんだ」
「ふぅん」
 ラァスはそれであっさりと納得する。
 ──隠し部屋っ……。
 そういえば、こちらはよく変なモノを見る事が多い。見えていないのはラァスとメディアだけだろう。
 ──ブリューナス殿の、隠し部屋か。
 ラァスはまだその事に気づいていないようだ。いや、普段から頭の中から閉め出している上に、ここ最近怖い目に合っていないので、思いつきもしないのだろう。
 精神的安易を求めてしまう、防衛本能というやつだ。
 ──まあ、何も出てこなければ問題はないか……。
「私は部屋に戻るよ。ラフィニアが風邪をひくといけない」
「あ、なら。僕の部屋から好きなヌイグルミ一つもってっていいよ。ラフィ、さっきからずっとルートのこと狙ってるみたいだし。ルートみたいなヌイグルミはさすがにないけどね」
 少し残念だ。ひょっとしたら、彼が怯え逃げまどう姿が見れるかもしれないというのに、暖かい部屋でのほほんとしているなどと……。
 本当に残念だ。

 

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