19 東の大地へ
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メディアはアミュとラァスを引き連れて、ヴェノムの部屋を訊ねた。本を読んでいて分からないことがあったのだ。メディアですら知らないのだから、ヴェノムに聞くしかない。ハウルに聞くというのだけは真っ先に消去された。あの男に質問するなど真っ平ごめんだ。それぐらいならどんな手段を用いても自分で調べる。もう一人の賢者カロンは──健全な子育ての真っ最中だ。邪魔をするのも悪い。
メディアはヴェノムの部屋を三度ノックし、返事を待たずに開ける。彼女はそれで怒らない。いつものことだった。
「はい。ええ、あら……いえ、アミュ達が」
ヴェノムは手鏡越しに誰かと話していた。普通は銀の器に水を張って行う術なのだが、それをいつでも誰でも使えるように鏡にその力を封じているらしい。古ぼけて見えるあの鏡はとんでもなく高価だと予測できた。
「あら、お邪魔でした?」
「いえ。アミュ。今ホクトと話していたところです。あとでエノと話しますか?」
「うん」
アミュは頷いた。
──エノ?
「エノちゃん、元気?」
アミュがヴェノムの背後に回り込みながら言った。
『おーい、エノ。今日も生きてるな?』
『死んではいない。さっき不意をつかれて熊に殴られたけど問題ない』
「お待ちなさい」
あまりといえばあまりの会話に、ヴェノムが待ったをかけた。
「どのような生活をしているのですか」
『地獄よりゃマシだな。ははははっ』
メディアはその非常識な人物が気になり、鏡を覗き込んだ。
男。黒い髪に黒の瞳。独特の肌色。のっぺりとした童顔。東の大陸に見られる外見的特徴。
「まさか、女の子に傷跡の残るようなマネはしていないでしょうね?」
『エノ、傷跡残ってるか?』
『自分で治しているから問題ない。ところでホクト、今気づいたんだが塩はどこにやったんだ?』
『埋まってるんだろ』
『ないから言っている』
『コウト、お前も探してやれ?』
なにやら、くだらないことでごたごたし始めた。
アミュを見ると、顔を曇らせていた。先ほどの会話を聞けば、赤の他人でも心配になるのだから当然だ。
「エノって誰?」
「いろいろあってさ。アミュのお友達」
「いろいろ?」
ラァスは近くにある椅子に腰掛けた。
「アイオーンって、知ってる?」
知らない言葉だった。
メディアも椅子に腰掛け、続きを促した。
「お前さぁ、もうちっと考えろよ」
ハウルはラフィニアを持ち上げているカロンを見た。
「し、しかし……」
ハウルはいつまでもうじうじとしているカロンに言い放つ。
「ラフィはもうちゃんと飛べんじゃないか?」
そう。ラフィニアはよく翼を動かすようになった。今もぱたぱたと翼を動かし、ほぼ浮いている状態だ。カロンの手によって固定されているが、離せばおそらく……。
「しかし、この手を離して落ちてしまい、万が一受け止められなかったらと思うと……」
「あのなぁ。お前が一番よく知ってるはずだぞ。
この手の種族は、羽だけで空を飛ぶんじゃない。魔力を羽に宿して飛ぶんだ。知ってるだろ?」
「知ってはいるが……」
「どうしてラフィを信じないんだ?
俺はルートが飛べそうだと確信したとき、屋根の上から突き落としたぞ」
カロンは飛ぼうとしているラフィニアを、問答無用で抱きしめた。竜と違って壊れ物のような、ラフィニアにそんなことをするはずもないのに。
「そ、それで飛んだのか?」
「一瞬。すぐに落ちたけど」
「ラフィ。お前は歩けるようになってから飛ぼうな」
「あぶぅう……ふぁ……ふぁ」
ラフィニアは泣きそうな顔をした。寝返りが思うように出来なくて泣き出す赤ん坊がいる。この場合とは少し違うが、似たようなものなのだろう。ラフィニアはもうハイハイもできる。もうすぐつかまり立ちも出来るだろう。
「あの」
突然割り込んできた第三者の声に驚き、ハウルはリビングの入り口を見た。
ヴェノムの次にこの城の雰囲気によく似合う包帯男、郵便屋だった。いきなり廊下出であったら、まず間違いなくラァスは気絶するだろう。一ヶ月もあればぱたぱたと歩き回っているに違いない。
「どうしたんだ?」
「ノッカーが……」
郵便屋はノッカーの取っ手部分を見せた。
「……ついにお亡くなりになったか……」
「はい」
「錆びてたからなぁ。毎年あんな目にあってれば当然か……」
雪に埋もれて日に晒されて、時に乱暴な客も来る。よくもったと言えるだろう。次に買い物に行くとき買わなければならない。今度は来る者を脅すようなタイプのものではなく、ごく普通のノッカーにしよう。
「……申し訳ありません」
「郵便屋のせいじゃねぇだろ。ところで、手紙か?」
「はい。こちらはヴェノム様に」
渡されたのは、差出人不明の手紙。
──また変なラブレターか?
前にもあった。ラァスが美貌を磨き、女装する心理の方がずっと理解しやすい、宇宙的な内容の手紙。だからハウルは蝋の封印を剥がし、中身を取り出す。
「……げ、まただ」
そこにはただ『俺だ。帰るから逃げないで』というような内容が書かれていた。
以前にもあった。
「カロン様にも」
「は、私に?」
「ワーズ様より」
カロンはラフィニアをハウルに押し付け、郵便屋から封筒をぶん取った。カロンは憎しみを込めて封筒を破り捨て、乱暴に手紙を開く。
そして……
「なにぃ!?」
「どうした?」
「ワーズが……弟が、兄を殺して王になった!」
「…………」
なんて恐ろしい兄弟なのだろうか。前々から思っていたが、思ってはいたが、思ってはいたが……。
──嫌な一族……。
「大変だ」
「行くのか?」
墓参りだか、その弟を懲らしめに行くだかは知らないが。
「ああ。急いでノーラを保護してこなくては、ウィトランのヤツに人質にされてしまう」
カロンの考えも、ハウルの常識では計り知れない領域にあった。
「……なんで?」
「今度こそ、私を王にしようと企んでいるに違いない。残った兄弟の中で比較的普通なのは私だけだ」
「……カロンが普通って……」
美少年付け回す変態で、変な発明をする、家出王子が普通?
ハウルはカロンから手紙を取り上げた。
内容はカロンが言ったとおりだった。とても簡単な内容で、親愛の情など感じられず、用件だけが述べられていた。
つまり、早く逃げないとウィトランにつかまるぞ、と。
おそらく、ワーズという男もカロンがウィトランに捕まるのは本意ではないのだろう。
「ああ、万が一。万が一にも捕まろうものなら、私は今度こそ、今度こそ本当に洗脳されてしまうっ!」
カロンは怯えていた。本気で。真剣に。
カロンの馬鹿な弟を思い出した。兄殺しと、馬鹿と、変態だけど賢者。確かに、比較的カロンの方がマシかもしれない。比較的。ウィトランもそう判断したのだろう。洗脳してしまえば、カロンはまともな王になるかもしれない。
「……どうでもいいが、いやな主従関係だな、お前んところの国」
「主従ではない。ウィトランこそが影の支配者だ。私は賢者である以上、真実の瞳の前には無力だ。大人になってしまった私のことなど、聞き分けはないが使えそうな駒だとしか思っていないに違いない。逃げなければ。どこか遠くへ! 人の手の届かぬ秘境の地へっ!」
どうやら彼は真剣なようだ。
──まああのおっさんは、ヴェノムよりもさらに上を行く妖怪だからなぁ。
ヴェノムが兄と呼ぶ男だ。世界一の大妖怪人間と言っても過言ではないだろう。
それよりも、ウィトランの操る真実の瞳とは何なのだろうか? あのヴェノムですら顔を顰める恐ろしい道具であることは分かっているが、本人たちに聞いても首を横に振るのでその効果は判明していない。
「とりあえず、ウィトランも手を出せないような場所なら、心当たりあるぞ」
「何っ!? それはどこだ!?」
カロンはハウルの胸倉をつかみ揺さぶった。カロンの揺さぶりなど可愛いものだ。最近は素で岩を砕けるラァスの馬鹿力で揺さぶられるのに比べれば……。
──ラァスも、出合った頃はまだ普通なところとかあって、可愛かったのにな……。
カロンと出会って、彼は徐々に変わっていったというか、本性剥き出しになってきたのだ。
「ヴェノムにこの手紙を持ってってみ。多分、隠れるって言い出すから、事情を説明してより厄介な場所を選んでもらえ。ヴェノムなら、あのおっさんからも逃れられるだろ」
「本当だな? 本当にあの化け物から逃げられるんだな?」
「じゃねぇかな。なにせ、ヴェノムが真剣に逃げるのに便乗するんだから」
「……なぜそのような事に?」
カロンに手紙を見せた。とても簡単で、意味不明な手紙を。
「……前に似たようなのが来たとき、ヴェノム大陸向こうに逃げてたから。
さすがにそこまでは追ってこないだろ?」
「だが、下手に転移すれば……」
「大丈夫だって」
「う……うむ。なら相談してくる。ラフィは任せた。万が一のときは必ず死守してくれ。その子が不幸になってしまう」
「わーったって。ラフィは守るよ。あのおっさんでも、俺に手を出す度胸はないと思うし」
ハウルは精一杯首をひねってカロンを見つめるラフィニアを見た。親が離れ行くのを寂しげに見つめる赤ん坊。カロンがどうなろうが知ったことではないが、この子が不幸になるのは忍びない。
「ラフィ、お前も準備するか」
カロンが走り去るのを確かめてから、ハウルは衣裳部屋に向かった。
最低限のものだけ持って行き、あとは現地で買えばいい。だから、今回の荷造りはとても楽だ。
エノは元気そうだった。時々こうやって鏡で話すのだが、行くことは難しいため別れてから直接会ったことがなかった。エノが普段住んでいる場所は、魔法が使いにくいらしい。だから連絡を取るには、この特殊な鏡を用いねばならない。
「エノちゃんに会いたいな」
ずっと思っていたことだった。ただ行きにくい場所の、さらに通いにくい場所に彼女は住んでいるらしい。だから行けない。だからこうして時々話すだけ。
少し寂しいと思う。
『やめておけ! ここは普通の人間の来る場所ではないっ』
アミュが漏らした呟きに、エノは青ざめて即答する。
──エノちゃん……一体どんな所に住んでるの?
アミュは心配になってきた。側にいないと、その心は分からない。先ほども熊に襲われたと言っていた。冬眠開けの熊は気が立っていて危険だ。人間でも、お腹がすくと機嫌が悪くなる。
「エノちゃん。大丈夫?」
『問題ない。慣れればそれほどひどい場所ではない。水もきれいだ』
エノは笑う。辛くはないようで、安心した。
ただ、その背後がゆれていることが気になった。
「エノちゃん、移動してるの?」
『ああ。今、山の上の小屋に向かっているんだ』
「山の上? 前に行ったところじゃないの?」
『あれはまだ下のほうだから。私には上の方が楽なんだ。植えに住んでれば常にホクトと一緒にいる必要もないし。それに景色も綺麗だ』
エノはその景色を見せてくれた。
雲が見えた。小さな小さな町が見えた。それが意味するのは
「……高いね」
今まで見たことがないほど、高い場所からの景色だった。
『ああ。
家につくまではまだまだかかる』
「そっか……すごいところに住んでるんだね」
初めて出来た、女の子のお友達。人間ではないけれど、とても大好き。いつでも話しができればいいが、エノはしなければならないことがあるのだ。だから、こうして話しているだけでも嬉しい。
そう思っていたときだった。
「ヴェノム殿っ!」
カロンが部屋に飛び込んできた。珍しく息を切らしている。全力で走ったに違いない。いつも涼しい顔をしている彼が、そんな風になるのを見るのは少しおかしかった。
「大変だ! これとこれをっ」
カロンはヴェノムに手紙を押し付けた。ヴェノムは一枚を見て
「まあ、大変ですね」
と言った。
そしてもう一枚の手紙を見て、持っていた手紙を取り落とした。
「エノ、ホクトに伝えなさい。今からそちらに行くと」
『え!?』
アミュは驚くエノの映る鏡をヴェノムへと向けた。
「いいから、伝えなさい。あの男から手紙が来たと伝えれば、理解してくれます」
『はあ……分かった』
アミュは瞬きをしてラァスを見た。ラァスは首をかしげた。彼も知らないようだ。
「ヴェノム殿。私はノーラと最低限のものを確保してきます」
「分かりました。あの森になら、ウィトラン様も入り込むのに時間がいりましょう。お気をつけて」
アミュは首をかしげた。展開が唐突過ぎてついていけない。
だけど一つだけ確かなことがある。
「エノちゃんに会えるんだ!」
『……そう……なるようだな』
嬉しかった。よく分からないけれど。
それにまた楽しいことがありそうだ。
「貴方たち準備をなさい。必要最低限のものだけ持って来なさい。あの男が来る前に」
言って、ヴェノムはアミュから鏡を取り上げ手品のように消してしまう。
彼女がこんなに焦るなんて、あの男ってどんな人なんだろうかと首をひねる。
ヴェノムの心には焦りの感情のみが溢れかえっていた。いつもは感じ取りにくいヴェノムの感情が伝わってくるほど、今彼女は焦っている。何かに恐怖している。だが、それほど悪い感じはしない。同時に、何か暖かさも感じるから。
大人には、女性にはいろいろと事情がある。ヴェノムは大人の女性で、いろいろな経験をしているのだから、きっと複雑な事情があるのだ。
たまに、こんな彼女を見るのもいいと思う。
ヴェノムは時々とても面白い。
場所、国の違いを一番初めに感じるもの。それは空気だ。
温度、湿度。そして、匂い。
そうして、目に見えるものに感動する。
「素晴らしい」
知識にはあった。西大陸──ラトム大陸とはまったく異なる文化の土地だと。知ってはいたが驚いた。
こちらの大陸には一度来てみたいと思っていた。ただその手段がなかったのだ。こちらの大陸にも一つ理力の塔はあるが、転移魔法による大陸間での行き来は厳しいチェックを入れられる。犯罪者による逃亡が頻繁に行われたためだと聞く。そのため、魔力が大きく顔の知れているカロンがそれを使用するには危険すぎた。立場上、下手をすれば国同士のいざこざに発展する。かと言って、船旅はきつい。以前、嘆きの浜までの船旅ですら、カロンにとっては地獄のようだった。もちろん、誰にも言っていないし、気づかれてもいなかっただろう。自分の救いようのない弱点は、何があろうとも隠す。それがカロンという男だった。
「しかし、よくこんな場所を……」
小高い丘の上、眼下に広がる光景は異国情緒が溢れてた。
木と土で作られた家々に、焼き物を敷き詰めた屋根。遠くてよく見えないが、美しい。自然を上手く利用する独特の文化を持つ大陸だと聞いていたが、これほどまでとは。
「ヴェノム殿。ここをウィトランの奴は?」
「知りません。知っているのは私たちだけ。カオスですら知りません」
それはつまり、理力の塔ですら関与できないということだ。とんでもない秘密を知ってしまったものだ。他人にそのような秘密を明かしてもいいほど、彼女に会いに来ようとした人物は恐ろしいのだろうか?
「ヴェノム様。これはどうなっているんですか? ここは魔法陣すらありません」
メディアがヴェノムに問う。
黒い石の上に彼らはいた。少し変わった模様が彫られているが、見たこともない。ものだった
ヴェノムはしゃがみ込み、その石の上の土を払う。
「これは、人の手によって作られたものではありません」
「神の創造物か?」
「創生の時代からのものだそうです」
創生──つまりは母神が作ったものだというのか。
「この土地には、このような石がたくさんあります。これが、特殊な場を生み出すのです。ここでは、普通の魔術がほとんど使えません」
カロンは硬直した。それを見て、ラァスが呟く。
「ってことは、カロン役立たず?」
胸に呪いを掛けられたような嫌な感覚を覚えた。
「うっわ。魔法の使えねぇカロンなんて、ただの変人じゃねぇか」
正直になろう。誰とて信じていたものが崩壊し、無力になれば傷つく。カロンは傷ついていた。
「誰が役立たずですって!?」
同じ立場のメディアが、ラァスの脳天に杖を叩きつけた。
一人でなくてよかった。少なくとも、女の子たちの立場はカロンと同等だ。ただ、それを指摘されるかどうかの違い。
「奴から逃げ切れるのは分かったが……。しかし、どうやって転移魔法など?」
「普通の魔法では、と申し上げました。少し特殊な魔法です。呪文を使用しない、完全な呪式の構成のみの術です」
「呪文はダメで、呪式は使えるのか?」
カロンはその不思議な石を片目をつぶり、モノクルをかけた方の目で観察する。確かに、何か不思議な感じはするが、目に見えるものはない。
「ここは世界の因果律から外れた土地です。魔力自体は上がります。だからこそ呪文は役に立ちません。大切なのは感覚的なものです。呪式はそれにとても近い。この石も、使いようによってはとても役に立ちます。その方法を見つけ出すのに、時間がかかったのですが。
一番面白いのは、ここには精霊はほとんどいません。精霊の力が上がり、本能的にそれを恐れて近付かないのでしょう」
ノーラは自らを指差し、それから息を吸い込みしばらく力んだ。モノクル越しに、恐ろしいほどの力の波動が見えた。
「なんと」
ノーラはわざわざ綺麗に作ってやった顔を顰め、自らを見下ろした。
ノーラの魔力が増す。調整の回数が減る。子育てに専念できる。
「ノーラ。空気もいいし、ここに永住しよう」
「嫌だ。私はあの森が好きなのだこのあんぽんたん。可愛い娘に最善の居住地を提供しないつもりか、この鬼畜め」
彼が作り出した人工精霊は、父を父とも思わぬ罵詈雑言。
──き……鬼畜……。
「お前のためを思って言ったているのに」
「どうせ手抜きできると思っていたんだろう。ふん」
ノーラはすねてぷいと顔を背けた。見た目は大人だが、中身はまだまだ子供なのだ。
「かわいそうに、ノーラ。親がしつこく他所の男を追いまわしている間、一人で寂しく待ってたんだよね」
ラァスはノーラの手を取り、涙を拭うまねをした。ノーラはそんなラァスを睨み、手を振り解いて飛びのいた。
相変わらず人見の知りが激しい子だ。
何だかんだと、子憎たらしい子も可愛いものである。帰れば真っ先に嫌味を言いに来て、何かと構ってもらいたがる。最近はほっておきすぎたかもしれない。
「嫌われちゃった。
まあいいや。師匠、これからどうするの?」
「エノが迎えに来てくれるそうです」
皆は周囲を見回した。前も後ろも崖だ。道がないように思えた。そんな中、ラァスは何気ない動作で、上へと続く崖を見上げ、顔を引きつらせた。
「エノちゃん!?」
つられて見上げて絶句した。
水妖独特の銀髪の少女がいた。少女は、崖を垂直に、歩いて、降りていた。
「すごぉい!」
ラァスは感動して目を輝かせた。いかにも彼の好きそうな術だ。
「アミュ!」
エノは走り出した。距離が狭まると、彼女は崖を蹴って飛び降りた。高さは三階建ての建物よりも高いほど。それを、彼女は何の術も使わずに飛び降りた。
「あぶなっ」
カロンがそれを言い終えるよりも前に、エノは軽々と地面に着地した。まるで、ほんの少し飛び上がって着地した時のように軽々と。
「エノちゃん、すごい! どうやったの!?」
エノがアミュに駆け寄ろうとしたところを、ラァスに肩をつかまれ彼女は足を止めた。
「どうって……普通に」
「今の、どんな術?」
「術ではない。ただ、気の流れを利用しただけだ」
ラァスはさらにきらきらと目を輝かせる。
「エノちゃん、本当にすごいね」
「アミュ」
エノはラァスの手を振り解き、アミュを抱きしめた。アミュもそれに甘え、ぎゅっと抱きしめる。
「会いたかった」
「私もだ」
まるで、恋人たちの再会のようだ。これで相手が男なら、ラァスは間違いなく殺意を持ったのだろう。
「ところで、気になったのだが」
カロンは気まずくなり、誰にともなく呟いた。
「私達はどこへ行くんだ?」
その問いに、エノはアミュから離れて上を指す。
「ここから少し上に行くと、ちゃんとした山道がある。安心しろ」
カロンは上を見上げる。
先が見えない。
「どうやって登るんだ?」
一緒に来ているルートに乗れるのは、どんなに詰めても三人だ。彼はまだ子供なのだ。
「アミュは私が連れて行こう」
エノはアミュを持ち上げた。
残るは五人。ノーラは自分で飛べる。
女性二人は決定。そして飼い主が一人。
「崖のぼりかぁ。久しぶりだなぁ」
ラァスは生き生きとした顔をして指を鳴らす。
「…………」
「あー、そんな顔するなよ」
声をかけてきたのはハウルだった。
「お前には無理だよな」
「魔法に頼りきりの人生だからね」
「威張って言うなよ。しかたねぇから、お前ルートに乗ってけ」
カロンは感涙した。
「いい子だな、君は」
「その代わり、何かおごれよ」
「ああ。なんでもおごってあげよう」
ハウルはにやりと笑った。
「約束だぞ。じゃ、先に行くな」
言って、彼は風を操り軽々と宙に舞う。
「いやぁ、ここだと歩くよりもこっちの方が楽なんだよなぁ」
と、素晴らしい速さで上へ上へと行ってしまう。
──精霊の力が上がる……か。
それはつまり、ハウルの力も上がるということだ。