20 理に外れし者


1
 春の日差しは暖かい。しかしそれ以上に海で冷やされた空気は冷たい。いや、叩きつけられるからより冷たく感じるのだ。船の上、寒いのは仕方がない。
 身体を冷やしながらも少年は甲板に立っていた。
 冷たい潮の風に、別なものの匂いが混じる。匂い……気配。
 彼は風にもてあそばれる髪を押さえ振り返る。
「岸は近い」
「本当ですか?」
 退屈そうに少年を見ていた女の全身に喜びが広がりゆく。生真面目に結ばれていた唇がほころび、思わずといった自然な動作で立ち上がった。
「船底で死んでいるお前の男に教えてやるといい」
「私の男ではありません」
 彼女は化粧気のない顔を歪ませる。成人女性にも関わらず、どこか少女のような雰囲気を持っている。
「変わりあるまい。ただし、この船でもあと一時間ぐらいはかかるがな」
「そうですか……」
 彼女は小さくため息をついた。憂いを秘めたその表情は、船乗り達を虜にする。
 海の神は気性の激しい男神。故に海の船出に美しい女は不吉という。船を沈めてその女を手に入れようとすることがあるからだ。しかし水の神は女神。水の加護のある彼女は、決して海を荒らさない。水神は一級神。海神は二級神。水の女は海に愛される。だからこそ、彼女はこの船の女神であった。
「ところで、ここまで来て何も収穫がなかったらどうするのですか?」
 彼女は伸びをしながら問う。
「もちろん、帰るだけさ。帰りは船に乗る必要もない」
 こちらに表立って来るわけにはいかなかった。だから一瞬でつく魔法陣による移動ではなく、船による移動を選んだ。船旅がしたい。そんな我が侭により貨物船に便乗させてもらったということになっている。実際に船旅はなかなか楽しいものであった。
「それはよかった。ヴァルナが喜びます」
「まったく……無能はこれだから」
「申し訳ありません、ザイン様」
 彼女は笑い、床に置かれた剣を取る。
「陸が見えてきたら知らせに行きます」
「陸が見えたら?」
「終わりの知らされない時を待つ方が楽なのですよ」
 彼女は短い髪を風に遊ばせ緑の瞳を前へと向ける。
「そうだな」
 時はいつ来ると言われると、長く感じるものだ。それは彼が一番よく知っている。


 身も心も消耗しきり、今すぐに今ここで眠ってしまいたい気持ちを押さえ込み、ハウルは重い身体を引きずり風呂に向かった。
 風呂に入って身も心も解きほぐす。それを想像すると気持ちははやるが、足は相変わらず重い。
「ハウル……軟弱」
 頑丈さしかとりえのない自称世界で一番可愛い美少年は、ホクトの本格的な特訓をうけながら平然としていた。
 今日は組み手をさせられたのだ。コウトがラァス相手だと緊張してまったく動けないので、ハウルの相手を買って出たのだが……。
 ──地味なくせに、つえぇな。
 素手で戦う機会などほぼないに等しいハウルは、ぼろぼろだった。
「お前はいいよなぁ、体力あって」
「うん。なんかここに来て充実しているというか……調子が良いんだ」
 ハウルは元気そうなラァスの背中にしがみ付いた。
「うわっ、汗くさ」
「さあ風呂場へレッツゴー」
 ラァスは嫌悪を顔に出し、それでもハウルの身体を引きずり風呂場に向かう。
 いつも好きで二人で入っているわけではない。ただ、どちらが先に入るかでもめるので一緒に入るのだ。ここの風呂場も広いので問題はない。一人一人で入ると早く湯が冷めてしまうので、かえって益になる。問題があるとすれば、カロンが混じりたがる程度だ。
「俺らさぁ、ここに来てもう一週間以上たつんだぜ。なのにどうして、まだ一度も町まで降りられないんだ?」
「……そういえばそうだね。こちらの大陸特有の珍しい宝石があるんだ。向こうで買うと高いから。いつかこっちに来て買い付けしたいなぁって思ってたんだよね」
 相変わらずこの男は宝石のことしか頭にないらしい。
「一日ぐらい観光したいよねぇ」
「俺は師匠に会いに来たのに」
 なぜ食事もいらないと思うほどの過酷な修行とやらを受けねばならないのか。
 ──俺は素手は苦手だって言ってるのに。
 剣なら簡単に遅れを取るつもりはない。普通の人間には素手でも負けない。何より素手で相手をどうこうする必要もないのだ。ハウルは間違っても神なのだから。
「ここの国って、手先の器用な人が多いから、細かい石細工が多いんだよね。向こうで買うとすごく高いけど」
「師匠の料理は美味いぞ。俺は魚が好きだけど、師匠は何でも作るからな」
「買い物したらハウルの師匠のところで美味しいお料理かぁ。いいね。まさしく観光だね」
 ラァスの足取りが軽くなる。しがみ付く立場としては、振り落とされそうで迷惑だった。
 この男も、現金なものである。


 翌日。
「いい天気だねぇ」
ハウルの背にしがみ付くラァスが呟いた。高い場所を飛んでいるので、現実逃避しているらしい。
「そんなに怖いなら、来なきゃいいのに」
 ハウルは呟いた。
 町に下りるのはお馴染みの弟子四人、カロンと二人の娘とその玩具化しているルート。そしてコウトだ。エノは山を降りる場合ホクトから離れられないので留守番をしている。
 コウトは初めて乗る竜の背中でラァス並みに顔色を悪くしていた。しかしそのうちに慣れるだろう。
「ところでさぁ、カロン」
「なんだい、ハウル君」
「お前、そのハンググライダーは飛行媒体のためにある飾りじゃなかったんだな」
 山を降りるに当たって、カロンはハンググライダーを用いた。そうすると残る三人がルートに乗ることが出来る。帰りはどうするつもりなのかは不明。
「当たり前だろうハウル君。私は飾りなど持ち歩かない」
 初めはただの趣味だと思っていたあのモノクルも飾りではなかった。だからハンググライダーが何か特殊な細工がしてある可能性もあるということだ。
「なぁ、それって普通のハンググライダー?」
「ああ。これは細工などないごく普通のハンググライダーだ。君のそばだと風が安定しているからこそこうやってついていける、ごく普通のハンググライダーだ」
「ちぇ、つまんねぇ」
 実は目に見えない不思議な推進力があったりすれば面白いのだが。
「帰りはどうする気だ?」
「ノーラを使う。この子は重力には一切縛られず、触れた者もそれと同じ影響を与えられる」
 ハウルは言葉を詰らせノーラをちらと見る。
「……なあ、あの時なんで悩んでた?」
 先日の崖のぼりだ。
「ほら、ノーラは私のいう事を聞かないだろう」
「情けない親だな。そんなんだから子供に舐められるんだぞ。だいたい、そんなんで帰りつれてってもらえるのか?」
 カロンはふっと笑う。いつもならキザに前髪などをかき上げるのだが、彼の両腕はふさがっている。魔法の補助がないので彼も真剣である。
「そんなの決まっているだろう」
 王子様な笑顔で彼は言う。
「美味しいものを食べさせて、欲しいものを買ってあげるからと言ったに決まっているだろう」
「自分の娘も物で釣らないと動かせないのかお前」
 寂しい男である。
「仕方あるまい。世間で言う反抗期だ。ほら、小さな子供は親に反抗したがるだろう。見てくれは妙齢だが、中身はルート君よりも年下だ」
 ハウルはノーラを見た。ヴェノムに勝るとも劣らない無表情。その背にはラフィニアがいる。時折振り向いてはラフィニアを構う。なかなかいい姉振りであった。
 口さえ開かなければ、彼女が反抗期中など信じられないところである。
「……でもうちのルート、逆らうことないぞ」
「人はそれぞれだ」
 カロンは負け惜しみを言う。いい年をして情けなくも可愛い男である。
「育て方か、もしくは親か」
「まあまあ、元々人には素質ってものがあるし」
 目を伏せたラァスが耳元で言う。下手に動くと苦情が来るので振り返って見たわけではないが、この男が目を開けているはずもない。
「今のところさ、ラフィはちゃんと育ってるからいいじゃん」
「それもそうだな。カロンのせいでラフィがグレないようにだけ気を使えばいいか」
 自由にさせるとルートを必死に追いかけるあたり、将来少しお転婆になりそうな気はするが。女の子も少し元気なぐらいがちょうどいい。将来を想像すると、可愛くて仕方がない。
「ラァス。そろそろ自分で飛べると思うぜ」
「そう?」
 ラァスが小さく呪文を唱える。風ではなく、地に関わる重力を操る術。
「あ、ホントだ」
 ラァスがハウルの肩はつかんだまま、背中から離れ目を開けた。
 彼は自分で飛ぶのは平気なのだ。落ちるときは自分でそうと認識できるから。
「わぁ、海が見える」
 この辺りからだとちょうど港が見えた。ラァスは異国の港に見入り、それからしばらくすると言う。
「でも高い。もうちょっと下飛ぼ」
 空を飛ぶのと悪霊に関することでは、アミュの視線があっても情けないことを言うのだから最早重症だ。ずいぶんと前から分かっていたことなのだが、実に情けない。
「お前実は高いところも怖いのか?」
「自分で飛んでも足元に何もないと怖いし。我慢してるんだよ」
 彼は青ざめていた。地に接する場所に少しでも近付きたい。地に属する者の本能的なものなのだろう。地に接している物にさえ接していれば満足なのだから。
「嫌なら来なきゃいいのに……」
「うるさい。僕の石に対する思いはそんなもんじゃないんだっ!」
 ラァスは珍しく熱く語った。宝石に関することに目が眩むのはよく見るが、冷静な彼が熱くなるのは珍しい。よほど空が怖いのだとハウルは同情した。
「……本当に宝石が好きなんだな、お前」
 彼はどんなに卑怯な手を使っても手に入れたがるタイプだ。ここは何があっても生暖かい目で傍観していてやることに決めた。卑劣な事をしても。
 それから空を飛んだのは数分の間だった。特異領域から出たということは、山から出たということである。
 町に外れに着地すると、今まで青ざめていたラァスとコウトは生き生きとした表情で伸びをする。
「やっぱり地上が一番!」
「はい。私もそう思います」
 二人はたかが十数分の空の旅で、まるで何時間も地に立っていなかったかのような様子で感動していた。
 大げさな二人を、アミュとメディアがひたと見つめていた。アミュはともかく、メディアの目は白かった。
「ラァス、石屋は?」
 ハウルの一言でラァスは我に返り、コウトの手を取った。
「石に関する装飾品とか、工芸品が売ってるお店教えて。年期があるようなところがいいな」
 コウトはこくこくと頷き、ぎくしゃくと歩を進めた。
 ──あいつも何で慣れないんだか……。
 いつまでたってもラァスに慣れようとしないのだ。気持ちは分からなくもないのだが。
「師匠には昼ごろ行くって伝えてあるから、昼ごろ港までつけるようにはしゃげよ」
「はーい」
 最終的には、目的地に時間通り行き着くことが出来ればいいのだ。それ以外はどうでもいい。
 あと、被害者さえ出なければ。


 空はわずかな薄雲が流れ行く。雲の動きは速く、風の強さを示している。
 本日は晴天である。肌寒い気温にさんさんと照りつける日の光は心地よい。
 港独特の匂いもなかなかおつである。目の前に広がる、写真や絵の中でしか見たことのなかった文化を眺めるのも感動だ。
 彼女は隣で苛立ちを隠そうともしない上司をちらと見て、目の前にある現実を思い出す。これは仕事である。
 観光であったらどれほど楽か。
「あの船酔い男はまだか!?」
「ザイン様、お気を静めください。ヴァルナが胃の中の物を全部吐くまで待ってあげてください。今無理に動いても足手まとい以外の何物にもなりません」
「それもそうだが……」
 彼は小さくため息をつく。
 急ぐ気持ちは分かる。前回の失敗があるから。
「大丈夫ですよ」
「当たり前だ」
 彼は日差しを避けるようにして目深にフードを被っている。かろうじて見える口元は、一文字に引き結ばれていた。
「ザイン様。ヴァルナが戻ってきたら先に昼食を食べませんか?」
「昼食……そうか。もうすぐ昼か。しかしお前も鬼だな。船酔いではいている男が戻ってきたら昼食とは」
「薬を渡しておきました。吐くだけ吐いたら飲んでくれると思います。船の上では焼け石に水でも、地上でならすぐに気分がよくなるはずです」
 吐き戻したりしなければ。それが何より心配だ。
「それに、彼なら東方美人を見ればすぐに元気に……」
 言いかけて彼女は絶句した。
 知った男が長い黒髪の女性に肩に手を置き、熱心に口説きながら歩いていた。
「ラナ。やっていい」
「はい」
 ラナは背負っていた筒の蓋を開け、小さな矢を取り出した。
「死ね」
 迷いもなく弓を放つ。
 放たれた弓は一直線にヴァルナの側頭部へと向かう。頭を貫くと思われたその瞬間、ヴァルナは振り向きもせずにその矢を素手で握り締めていた。
「……どうしたんですか? その矢」
 ヴァルナが口説いていた女性が問う。
「さぁ」
 ぽきりと片手で折り、再び口説き始める馬鹿男。
「直接説得してきます」
「好きなだけやってこい」
 ラナは筒から長剣を取り出しヴァルナの元へと向かう。
「ヴァルナ、死にたいのならそのまま行きなさい」
「……はい」
 ラナ(抜き身の剣)の説得にヴァルナは素直に応じた。
「お嬢さん、すみません。俺はこれから仕事で、もしよろしければ今夜にでぇぇぇぇえおじょうさぁぁん!!!」
 ラナの細腕に引きずられ、ヴァルナは未練たらしく叫んだ。
「黙らないとその喉掻き切ります」
「ごめんなさいああでも美人だったのに」
「貴方はこの世で一番美しい方を知っているでしょう? 何が不満なんですか?」
「遠くの高嶺の花よりも目の前の美女が」
「静かにしてください。まったく、この大陸の方々に私達の大陸の文化を勘違いされたらどうするんですか。それだけ元気なら大丈夫ですね。昼食を食べに行きますよまったく立ちなさいそして自分で歩いてください」
「なら人の襟をつかんで引きずるのやめてください」
 ラナは言われたとおりに手を離すと、ヴァルナは何事もなかったように直立する。
 並ぶと二人の身長差が明らかになる。
 ラナは女性にしてはかなり長身の部類に入るが、ヴァルナもまた長身並ぶと違和感がない。ラナはヒールのある靴をはかずとも男性を見下ろすことが多かったが、彼と並ぶとごく普通の身長に見えるところが好きだった。だから他の男性といるよりも彼といる方が好ましかったのだが、いつの間にか恋人呼ばわれされるようになっていた。
 こんないい加減な男とだ。
 ラナは壁にもたれかかり待っていたザインへと視線を向けた。
「ザイン様。行きましょう」
「ああ、そうだな」
「ところでザイン様それは何ですか?」
 ザインは何か紙と鉛筆を持っていた。
「観光案内のチラシだ。船を下りたときに渡されたものだ」
「……そうですか」
「ところで、美味い料亭があるらしい。土産話にもなる。何よりしっかり味を覚えておけそこの賄い(まかない)男」
 賄い男呼ばわりされたヴァルナは、襟を正しながらはいと頷いた。
「ところでまた気持ち悪くなってきた気がするんですが」
「いやですね気のせいですよあれだけ元気にナンパできるんですから。この国の料理はさっぱりしたものが多いので今のヴァルナにはちょうどよいのではないでしょうか」
 ラナはほとんど息もつかずにそれを言った。彼女は頭にくることがあると、一気に物を言う癖があった。
「さあ行きましょう。ザイン様のご意見ですから」
「はいはい。仕方ないなぁ」
「反省してください反省をっ」
「はいはーい」
 ラナは一つ大きくため息をついた。
 この男、この無類の女好きさえなければいい奴なのだが。
「みんな小柄で可愛いなぁ」
「それは私に対する嫌味ですか?」
「もちろんラナも魅力的だよ」
「はいはい。きょろきょろしないで下さい恥ずかしい」
 言い聞かせて直るようなら、とうの昔に直っている。


 ラァスは翡翠のかんざしを熱心に眺めている。とても高価なものなのだが、ラァスはそれを金で買い取った。ラァスの荷物の中には、眩暈がするほどの金貨が入っていた。しかも純度が高いことで有名な金貨らしい。どの国でも、どの大陸でも通じるのでそれを持ち歩いているらしいが、一体どれほどの資産家を親に持つのか。
 貧しい家の生まれのコウトには想像もつかなかった。
「あんな大金、初めて見ました」
「俺もまさかあんなに金を隠し持っていたとは……」
 ハウルが額を押さえて首を振る。
「いつもああなのではないのですか?」
「さあなぁ。あいつの収入は金持ちのオヤジから貢がせるのが大半だから、持っているのは貴金属ばっかりだと思ってたんだけどな。まさか金貨とは」
 資産家を親に持っているわけではないようだ。しかもそれは……
「それって、犯罪では……」
「プレゼントを受け取るのは犯罪か?」
「……それは確かに」
 美しさ故に贈り物をする男性は多いだろう。ラァスはまだ幼さを残す少女だが、男性を魅了するには十分なほど成長している。それを利用するのは女性の自由だ。騙されるほうが悪いのだから。
「まあ、それで弱みを握って口止め料をもらったり、売ったりしてるらしいけどな」
「それは犯罪ですっ」
 立派な恐喝である。
「ん。だから奴の通り名は『一人美人局詐欺師』だ。一人何役でもやるからな」
「ハウル、それは君一人が言ってることでしょ」
 ラァスはかんざしを布に包み頑丈なケースにしまいながらハウルに言う。上目遣いで睨みつける愛らしい顔立ちからは、とてもではないが犯罪行為をしているようには見えなかった。
「ああ、ちゃんとお前の実家には広めておいたからそれは安心しろ」
「変な根回ししないでっ!」
 ラァスはぷくっと頬を膨らませる。
 ──これが魔性の女か……。
 コウトは生まれて初めてこの手の女性と知り合った。
 気をつけねばならない。見た目が綺麗な人間は、中身がおかしく油断ならないのだ。
「あ、ノーラ待て待てここだここ」
 一人先頭を歩いていたノーラをハウルが呼び止める。焦点が合っているのか分からない、どこかぼーっとした瞳でハウルの示した建物を見た。
「……げっ」
 コウトは思わず絶句した。
 大きく立派な門構え。手入れされた庭園。石の敷かれた道。その奥にあるお屋敷。
 この町と言わず、この地方で一番格式高い料亭である。
「こ……ここですか?」
「ああ。師匠〜」
 ハウルは遠慮なしにずかずかと敷居をまたぎ、勝手に庭を横切って。
 コウトはめまいを覚えながらも、ラァスに手を引かれて奥へ奥へと進んだ。
 しばらく行くと、女性が大きな石に腰掛けキセルをふかしているのを発見した。
「おや、ハウル。元気だったかい?」
 女性の声が響く。甘く誘惑するような声音であった。
「よぉ、師匠」
 ハウルは女性の元へと走る。娼婦のようにしどけなく、しかし彼女達持つものとは明らかに異質の気配を身に纏っていた。
 女性の料理人がいると聞いていたが、こんなに若い女性だとは思ってもいなかった。
「……女の人!?」
 ラァスも意外に思ったようで、大きな目をさらに大きく見開いた。
「んだよ。言ってなかったか?」
「だって、嫁に行ってもいいって……」
 ラァスはちらちらと女性を見た。女性はラァスを目にし、さめているという印象を持った目を突然輝かせた。
「いやぁぁぁん。可愛い!」
 女性は立ち上がり、ハウルを押しのけコウトの隣にいたラァスとノーラ抱きついた。
「な、何!?」
「何だこの女」
 ラァスは全身で、ノーラはわずかに動いた眉で驚きを表した。女性は次にメディアとアミュへと視線を向ける。
「そっちの子達も可愛いねぇ」
「こっちへ来たら呪うわよ」
「その子たちはダメェ」
 メディアの脅迫かラァスのお願いか両方か。女性は立ち止まりメディアとアミュを眺めた。下から上まで眺め、そしてノーラを舐めるようにして全身眺めて、そして最後にまたラァスを眺める。義理程度にコウトとカロンを見るが、一瞬だった。
「かわいい子たちだねぇ」
 彼女はラァスの顔を舐め回すように覗き込みながら言う。
「あのぉ……何?」
「本当に女の子みたいな子で驚いてるだけだよ」
 コウトは首をかしげた。ハウルの意図するものがつかみかねた。
「ハウル……何この人」
「ん、師匠のキリエ。カロンの逆バージョン」
 ──逆?
「なんで男の僕をじろじろ眺めてるの!?」
 お……お……
「男ぉ!?」
 コウトは素っ頓狂な声を上げた。
 男。男とはつまり男で自分と同じ性別。
「え……ラァス。また言ってなかったのか」
「気付いてると思ってた。ハウルといっしょにお風呂入ってたし」
 ハウルとラァス。二人は顔を見合わせて囁きあう。
「こ……恋人同士じゃ……」
「違う違う」
 二人は同時に手と首を振って否定する。
 確かに恋人同士にしては甘さとは縁遠い会話をしていたような気はした。
「……男だったなんて」
 コウトは女性だと思って緊張していた己の馬鹿さかげんを呪った。
 ──顔の綺麗な奴は変な奴だってとーちゃんに遺言にまで残されてたのにっ!
 己の愚かさを亡き父に詫びた。
「ホント、可愛いなぁおまえ。男にしとくのはもったいないなわぁ」
 キリエがラァスの頬を撫ぜた。短いがよく手入れされた爪でその頬をなぞる。
「おねーさん、僕そういう趣味ないから」
「いいからいいから、照れるな少年」
「照れてないし」
 ラァスは彼女を睨む。ラァスの方がいくらか背が高く、見下ろす形となる。
 それに彼女はほうとため息をついた。
「可愛いぃねぇ」
 彼女はラァスの手を取り恍惚とした表情でため息をついた。
「ハウルこの変な人なんとかしてっ!」
 ラァスはじたばたともがきハウルを睨む。
「師匠、離してやれって。照れるような奴じゃないし」
「そう。残念」
 ラァスはキリエを睨んでメディアの後ろに退避した。メディアは一瞬不快を顔に表すが、すぐに挑むような顔つきに変わる。
「私は腹がすいたぞ。飯はまだか」
 ノーラは女性なのにとんでもない言葉遣い言いがかりをつけながらキリエを睨んだ。
「わかったよ綺麗なお嬢ちゃん。あたしが飛び切りの馳走をくれてやる」
 キリエは宣言して、ぞうりを脱ぎ捨てるようにしていかにも高そうな装飾品と食器の並べられた部屋へと上がった。
 ここが、ハウルのために用意された部屋らしい。

 

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