20 理に外れし者


 3

 午後の一時。コウトもいないので、エノはホクトとヴェノムと三人でお茶を飲んでいた。
「んん?」
 突然ホクトが湯飲みを置いて立ち上がる。
「どうした?」
「誰かが暴れてるな」
「誰か? またお前に挑みに来た馬鹿者ではないのか?」
「さあなぁ。ただし人間じゃないのは確かだ。精霊に近いが、精霊よりも上か。そんなのに挑まれる覚えは、ねぇなぁ」
 大事なのではないだろうか。しかしホクトもヴェノムもまったりとしている。
「いいのか?」
「もちろん行く。しかし、邪悪な感じはしねぇ」
 邪悪な感じはしない。それは悪いものではない、というわけではない。
「そうですね。しかし邪悪でなくとも邪悪な存在はいます。ウェイゼル様とか」
「ああ、あの女好きのにーちゃん。あいつ相変わらずなのかよ」
「ええ。数百年変わらなかったのが、十年程度で変われば奇跡です」
 言ってヴェノムは立ち上がる。
「さて、行きましょう」
「だな。あのにーちゃんみたいな邪悪ではないがいたら迷惑でしかない存在の可能性もあるしな」
 とんでもない言われようなウェイゼルというのは、確かハウルの父親の風神だったなと思いながらエノは湯飲みを片付ける。
 マイペースな大人たちと共にいると、マイペースが移ってしまったのではないかという気がした。

 神。
 つまりは人ではない。
「マジで?」
「……た、たぶん?」
 実に曖昧な言い方である。
 神にしてもそうでないとしても、問題なのは相手が強そうなこと。このただ一つのみ。
「アミュ」
 ラァスはアミュの耳元に囁いた。アミュは座り込み、ラァスの影に触れた。ラァスには出来なくとも、アミュになら出来る。ラァスの影に空間を作ったのはヴェノム。アミュはヴェノムからその方法を習った。理屈としては理解している上、元々自分ではまだ出来ないから他人任せにしている。つまり守ってもいない、あっぴろげな空間である。アミュの力なら十分に、制御できる。
 アミュは影の中からラァスの斧を半分ほど取り出した。それをラァスは足の甲と脛で挟んで持ち上げ、手元まで引き上げる。
 それを見てヴァルナという男は術式の構成を展開する。
 ──遅い。
 重い斧を振り上げ、。離れているはずのその一太刀は一陣の風を産みヴァルナの気を逸らす。目を伏せた彼に、ラァスは詰め寄る。
 ──神っても、どーせハウルやアミュみたいなもんだろうしね。
 ならば、一級神の数を考えて、ハウルやアミュ以上であるはずがない。
 資質として二人に落ちるなら、怖いのは経験だ。ならばこちらの手の内を知られぬうちに、一撃で。
 ラァスは上へと跳躍する。ラァスの進むはずだった先を矢が通り過ぎる。ラァスは身をひねりそのままヴァルナへと切りかかる。
「サリサ」
 ヴァルナの口からそれだけが漏れる。
「言われなくとも」
 ラナと呼ばれていたはずの金髪の女性がラァスの前に出た。
「!?」
 うそ、と思いながらラァスはそのまま切り結ぶ。彼女が持つのは男性でも持ち上げるのがやっとであろう長剣。
 斧は最近練習はしているものの、短剣などに比べれば使い慣れていない。素人といっていい武器でとはいえ、彼女はラァスの一撃を、女性の腕で持てるとは思えないそれで、受け止めた。遠慮はほとんどしていない。
「やるね、君」
 彼女はにやっと笑う。馬鹿丁寧で腰が低くてお上品だった引きほどまでの印象が薄れた。
「私も昔金の聖眼だったから、力では負けないわよ」
 意味が分からない。
 ──昔? 聖眼だった!?
「技術ではもっと負けない」
 記憶が飛んだ。
 気付けば、見えない何かに受け止められて宙に浮いていた。すぐにハウルだと気付き、ちらと彼を見た。
「ありがと」
「ああ」
 彼はじっと突然人格交代した二人の「神」もどきを見た。
「ラァス並みの馬鹿力の女がいるなんて」
「これは腕力じゃないわよ。失礼ね」
 彼女はくすりと笑う。
「別人か」
「そんなところね。ラナは人間だもの。私はサリサ。あっちはダーナ」
 彼女はにこにこと笑っていた。
「素直に名乗るな」
 ハウルは皮肉をこめて言う。
「恨む相手の名前ぐらい知っておきたいでしょう。私達のしていることは恨まれる事だって自覚ぐらいあるから」
 自嘲して言う彼女は、決して悪人には見えなかった。もう一人は悪人面だが。
 いろいろと事情があるのだろう。しかし事情があるからと、年端も行かない子供達を殺させるわけにはいかない。どんな理由があれ、子供は生きなくてはならない。それで大人が犠牲になろうが、子供の方が優先されるに決まっている。
 ルートの側にいたハウルが立ち上がる。代わりにメディアがルートの側に立った。もう一人仲間がいるから、そのためだろう。
「今のうちに退散するんなら生かしておいてやる。もしも続けるなら、こちらにも考えがあるから覚悟しておけ」
「威勢のいい子ね。……何かの血が混じっているのね」
 その反応を見て、ハウルは額に手をあてた。
 ──ハウル、マジだ。
 ラァスは反射的に目を伏せた。
 風が通り過ぎる。
 一瞬の緩やかな時。それを過ぎた瞬間、身体が宙に浮く勢いの暴風が吹き荒れる。背筋が寒くなるような力が荒れ狂う。しばらくしてその力が収まると、ラァスはその風の中を走る。一度目を開け二人がいくらかの血を流しているのを確認し、目を閉じる。この風では視界など意味はない。目を開けていれば砂塵が目に入りかえって動きに支障が出る。相手の位地とそこまでの障害物は覚えた。数えた歩数が予想の数になって初めて目を開ける。相変わらず肌を切り裂く風が吹き荒れ、砂が目に入りそうなので入らない程度、ほんの少し。
 二人は今も傷を増やしていたが、すべてかすり傷でしかなかった。そのくせ近付けばラァスも容赦なくその風の刃に晒されるが、迷いはしない。痛みに対する堪え性は強い方だ。ある程度の訓練は受けている。
「でりゃっ」
 重い斧をラァスは木の棒を振るう程度の力でサリサへと叩きつける。
 ぎんっと音を立てて火花が散った。さすがに受け止められた。
 ──ふぅん。
 すぐさま柄で打ち込むが、そちらは素手で受け止められる。
 ──となると最後は……。
 足。
 ラァスはひょいと後ろに下がると、すぐさまもう一度前へと出て、サリサの頭上を飛び越えた。
 相手はとんでもなく場数を踏んでいる。ヴェノムと組み手をしている気分になってくるほど。
 肉弾戦では明らかに不利である。
 ならば残る道は一つ。肉弾戦の弱そうなのに奇襲すべし。
 サリサが振り返るが、この頃には風が止み、ハウルが彼女へと切りかかる。
「一般的に見るならば賢い判断だな」
 つぶやくダーナの周囲には、呪式が展開されている。どんな術かは分からない。だが、こちらとてその程度のことは予測している。
 こちらが真っ先に動いたのが二人だけだった。二人だけだと思っているだろう。しかし、実質こちらの主戦力は──。
「死と苦痛と絶望の子よ。救いなき苦痛と絶望を」
 アミュの言葉。いつぞや聞いた、流血神の召喚呪文に聞こえる。しかしそれは呪文ではなく、願いだった。
「流血神」
 ダーナの術の発動が止まる。赤い影が瞬時に立て直された術によって押し留められる。
 がら空き。
 ラァスは斧でダーナの胴を薙ぐ。
 殺意を持って、即死させるように。
 血がわずかに吹き出る。ただそれだけ。
「……」
 ラァスは後退する。
 予想と違うダーナの様子に驚いた。
 ラァスの力なら、彼の胴など真っ二つになるはずである。しかしラァスの斧は何かに止められ、彼はわき腹からわずかに血を流したのみ。内臓にも届いていない。
「馬鹿じゃない。あんな子供にやられるなんて」
 武器を槍へと交換し、ハウルから離れたサリサが言う。本当に何でも扱えるようだ。
「流血神に突撃された身にもなれ。当たったら痛いだろ」
 ダーナは突如現れた流血神を睨みつけた。
 ラァスはそれを始めてまじまじと見た。全身赤い痩身の男だ。顔色がやや悪い。ただ、今まで見た神の例に漏れず顔立ちだけはいい。それがアミュの隣に立って、彼女に心配されていた。
 ──アミュ、そんなのとまでオトモダチだったの!?
 てっきりただ呼び出して使っているだけだと思っていたのに、なぜアミュは彼の顔色の悪さを心配しながら礼など言っているのか。
「……アミュ……流血神とオトモダチなのか?」
 風を操るのも忘れて、呆れ顔をしたハウルが問う。
「そう。よく遊びに来てくれるよ」
 初耳だった。そんな危険な存在とオトモダチで遊びにまで来ていたとは……。
「流血神ねぇ。三級神じゃない。その中でも上のほう」
「確かに厄介だな。あればかりは私にもどうにもならんぞ」
「役立たず」
「筋肉馬鹿には言われる筋合いはない」
「魔道オタクにそんなこと言われる筋合いもない」
 この二人、仲が悪いのだろうか。しかし、流血神のおかげで場が急に逆転したようだ。
「ブラッドくんって、すごいんだね」
 のほほんとアミュは言う。先ほどの怒りはどこへ行ったのだろうか。しかし怒っている彼女よりも、マイペースな彼女の方が魅力的だ。彼女には笑っていてもらいたい。
「アミュが望むなら、あの半端者達を排除しよう」
「うん。おねがい」
 流血神──アミュの言葉を信じるならブラッドという安直単純極まりない名前の神は、唇をわずかに釣り上げ二人を見る。
「どうする?」
「どうもしない。私達の目的はただ一つだ。半神の子供達だけでなく、神が出てきては遊びに付き合うこともない。流血神は破壊力はあるが、それだけだ。あの卑劣漢なら問題ないだろう」
 もう一人。
 ラァスはカロンへと目を向けた。目にしたのは、倒れた彼と、ラフィニアを抱く目深にフードを被った少年。
「狭間へ干渉して結界を作るとはなかなか面白いものだな。ダーナよりも着眼点がいいのではないか?」
「人それぞれです。ザイン様は今まで何をしていた?」
「ふん」
 カロンは倒れているが、わずかに動いている。麻痺しているように見えた。電撃か何かを食らったのだ。
 少年は抱えたラフィニアへと目を向けた。捕らえられているラフィニアは、なぜかきゃっきゃと笑っている。
「ラフィ……やっぱり変なフェロモン発してるんだよあれ。じゃなきゃいくらなんでも親が倒れて他人に抱かれて喜ぶはずないよ」
「くそっ。おい、流血。なんとか取り返せ」
 ハウルはブラッドへと命令する。目上の男性に対してとんでもない言葉である。
「私は荒事は得意だ。しかし無傷でどうこうというのは無理だ」
「あいつだけ殺しちまえ」
「分かった。少しあの赤ん坊が出血するかもしれないが、死ぬことはないと思う」
「だめ」
 アミュの一言に、彼は無言でこくりと頷く。
 役に立たない神である。
「ふん。流血神ごときが私を殺すだと。思いあがりも甚だしい」
 ザインはラフィニアを片手で持ち、彼女をしばらく眺める。
 ──まずっ。
 ラァスはとりあえず走る。アミュが炎を放つ。
 しかしそのラァス達の目の前で、ザインの姿が掻き消える。
「ダーナ、お前殺せ」
 背後でする声に、ラァスはぎょっとして振り返る。
 ──瞬間移動……。
 やはりあの男に関してはただ者ではない。ダーナたち以上につかみ所がない。
「私が? なぜ?」
 突然ラフィニアを押し付けられ、ダーナは顔を顰めた。
「私は子供を殺すのは好かん。これでも私は子供好きだ」
 ──うわ、悪人になりきれてないよこの人。
 ダーナはしばらくやはり懐いているラフィニアを眺めた。
「う……そ、そんな目で……うぅ……私は子供を殺すのは好かない。サリサやれ」
 こちらもまた悪人になりきれていない。
 ──うわぁ、ラフィに見つめられて迷ってる……。
 それが人としては正しいのだが、殺すといっている本人達がすると滑稽である。
「え? 私が?」
 一番子供好きそうなサリサは、突然押し付けられた赤ん坊を眺め、ため息をついて躊躇なく背後に広がる崖へと放り投げた。
 女は目的のためなら容赦ないものである。
 ──しめた。
 ラァスはまた走った。今日は走ってばかりである。その行く手をサリサとダーナが塞ぐ。
 ラァスはしばし迷う。目的は一つ。そのために、ラァスが切りかかるのだけでは弱い。
 一瞬の迷い。本の一瞬。あってなき時間。その間に、わずかにある可能性に賭けてみることにした。
 ──地精たち地精たち。お願いだからあいつらを止めて。
 ラァスは願う。それでいう事を聞いてくれるかどうかはわからない。
 ここの数少ない精霊達はとても気まぐれだ。機嫌がいいと何でもしてくれるが、悪いと耳も貸してくれない。
「捕らえて」
 強く、魔力を込めて呟いた。
 その言葉に、反応があった。
『いいよ』
 子供の声だった。そして、ザインの足元が瞬時に粘土状に変化する。足を捕らわれ彼らは
バランスを崩す。その頭上をハウルが飛び越えた。ハウルなら、風で彼女を助けられる。例え何をされても、彼はフラィニアだけは助けるだろう。少なくとも、ラァスはそう信じていた。
「ラフっ……なにぃぃい!?」
 ハウルの叫びが聞こえた。ラフィニアの身に何かがあったのだろうか? 手遅れだったのだろうか?
 思う皆の前で、突然ラフィニアが崖下から姿を見せた。ぱたぱたと翼を動かしてよたよたと飛んで。
「……あ……」
 飛びかけていた。ラフィニアはこの大陸に来る前に、確かに飛びかけていた。
 そして今、彼女は大空をよたよたと飛んだ。飛んで、カロンの元へとたどり着く。お気に入りのお姉さんよりも、実の親の方がいいようだ。
「ら……らひぃ」
 カロンは回らぬ舌でラフィニアを呼ぶ。ラフィニアは父親が動けないのを見てその目の前に着地して、その頬をぺしぺしと叩いた。すると突然カロンは起き上がる。
「ぬ、痺れが抜けた……」
 カロンは腕をぐるりと回すと、今度こそしっかりとラフィニアを抱きしめた。
「ラフィ……こんなに小さいのになんてすごいんだ。さすがは私のむ……妹」
 娘と言いかけて妹と言い直すあたりが彼らしい。
 ラァスは笑う。
 舐められていた。油断していてくれれば、どうとでもなるということだ。思わぬところで裏切られたが。ラフィニアのこと。そして協力してくれた地精。
「人質は取り戻したし、流血神のおにいさん。やっちゃって」
 流血神はアミュを見つめた。
「おねがいします」
 アミュにお願いされて彼は気をよくして、三人を見た。
「ザイン様、人外魔境の戦いを見せてくれ」
「ザイン様素敵です。男前。さあ行って」
「お前達、さっき人を卑劣漢とか言っていなかったか?」
「ダーナだけです。私は言ってません」
「卑劣具合がザイン様のいい所だと思うのだが。人を囮にして、いいところになると後ろから。素晴らしい」
 ダーナはどこまで本気かは知れないが、ザインが流血神に敵うと信じているようだった。
 ──まずいな。
 神である二人が仮にも「様」などと呼ぶのだ。ある程度の神なのだろう。
 緊張した空気が張り詰める中、突如声が響いた。
「いいの? そんなことして」
 子供の声だ。そう、先ほどの地精の声。
「その声は……」
 ザインは唇を歪める。その瞳にどのような色が浮かんだのかは分からない。
「君達が隠れてこそこそやっているのは、僕らも見逃していたけどね」
 地面から首が生えた。白い布ですっぽりと頭を覆っているので、後姿ではその顔立ちも想像が付かない。ただ、そこら中にいるレベルの地精ではない。もっと上。ヴェノムの側にいる風精と同じ程だろうか。
「流血をどうするつもり?」
「元いた場所に追い返すだけだ」
「その後、どうするつもり?」
「あの赤ん坊を殺す。邪魔するならこいつらを殺す」
「この子達が、風神と火神の血縁者だと知って?」
「そうか。それがどうした?」
「引きなよ。引き時を見極められないほどあなた方は愚かなの? もうすぐ来るよ、おせっかいな邪眼の魔女が」
 地精は全身を現した。その瞬間、三人の足元が元に戻る。
「それとも私とも事を構える?」
「……引こう」
 思ったよりもあっさりとザインは言う。両脇の二人の手を取り、消える。
 ──何者?
「ああよかった。もし向かってきたらどうしようかと思った」
 少年とも少女とも取れぬ声で言う。
「君達も命拾いしたね。おまけの二人ならともかく、ザイン相手にしていたら死んでたよ」
 振り返り、微笑む。彼とも彼女とも言い難い。布からはみ出た前髪は黄金。瞳も黄金。
「君は?」
「私は流砂。本名は秘密。性別も秘密。また会うことがあるかもしれなから、覚えておいて。じゃあねハウル」
 名指しされたハウルはきょとんとして瞬きした。
「ルート君の毒は抜いておいてあげたから安心していいよ」
「え……ちょ、ま……」
 待てと言い切る前に、流砂も消えてしまった。
 ──なんなんだぁ?
 考えても仕方ないことではあるが……。
「まあいいか」
 とりあえずよく分からないがラフィニアが飛べるようになったし、生きてるし、むしろ傷だらけなのはラァス一人である。
「……ハウル、僕にまで容赦ないよね」
「何言ってるんだ。自分から特攻したんだろ。何度か本当は殺す気でもやってたんだけどな、防がれた。だから別にアミュでもよかったんだ。あいつらの気がそれたらもう一度って思ってたから。ま、結果オーライ?」
「ああ、馬鹿らしい! 痛いし! 僕の手入れの行き届いた珠のお肌がっ!」
 ラァスは頭をかき乱す。
 弱い。自分は弱い。力だけには自信があったのに、同等の力を持つ者がいた。悔しいとか、そういうのはない。ただ、弱い自分が恨めしい。
 ラァスしゃがみ込み大の字になって横になる。
 大地は慰めをくれない。弱い自分よりも、強いサリサの方がいいのだろうか。
 やがて遠くで足音が聞こえると、ラァスは起き上がった。


 ラァスが走ってくるのが見えた。
 妙な気配は消えている。いや、別に変なのが増えて減って一匹はそのままでアミュの隣にいるようだが、害はないようだ。
「ホクトさんっ」
 ラァスはホクトに飛び掛るように抱きついた。
「徹底的にやろう」
「は?」
 ラァスは全身傷だらけだった。可愛らしい顔にも傷がある。ホクトは顔を顰めた。
「修行。僕、真剣にやるから」
「真剣じゃなかったのか」
「うん。遊び感覚だった。でもこれから真剣にやる」
 いつもへらへらとしているラァスが、珍しく真剣な顔つきをしている。
「……何があった?」
「ザインとかって人にラフィニアとルート殺されかけた」
「…………」
 ホクトはヴェノムを見た。
 名だけは聞いたことがある。神出鬼没の殺し屋達だ。
「あの方達ですか……」
「始祖狩りなんだって」
 始祖。
 ホクトは知り合いの始祖を思い起こし、不安にかられる。始祖が殺されているという噂は耳にしていた。この聖域にも好意的で自由な精霊がいる。神にも縛られない、本当の意味で自由な精霊たちだ。
「あの方達が始祖を? 一体なぜ……。しかし、よく無事でしたね」
「ええと、流砂って地精が出てきて追い払ってくれた」
「流砂……」
 ヴェノムにも心当たりがないようだった。彼女はすぐに考えるのをやめて子供達の元へと向かった。そんな彼女へ、ハウルが駆け寄り抱きついた。
 いつもは生意気ではあるが、やはりいざとなるとまだ少年。可愛いものだ。
「ホクトさん」
「何だ」
「よろしくお願いします」
 ラァスは頭を下げた。金の髪がさらさらと落ちる。
「任せておけ。ここにいる限りは徹底的にしごいてやる。ただなぁ、女なら顔ぐらい気を使えよ」
 美人は傷があろうと美人である。しかし、ないに越したことはない。
「え……僕男だけど。てっきりホクトさんは気付いてると思ってたのに」
「おっ……」
 ホクトはここ数年で今一番驚いていた。驚きのあまり胸やら股間やら触って確認してさらに驚いた。
 何か忘れているような気もしたが、きっと気のせいだろう。
 今はこの驚きに脳のほとんどを消費されているのだ。きっと現実逃避している自分の一部に違いないと。

 

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あとがき