21 悪魔達の賛歌

「よし、帰ろう」
 突然ハウルが言った。その膝の上にいたルートは彼を見上げる。
 最近ハウルが優しくなった。一度死にかけたせいか、狙われていると分かったせいか、彼は常にルートを手放さない。魔力を彼に分けてもらっているので、ずっと小さくなっていても疲れないので、嫌だとは思わない。
「でも、あいつらそのままにしておいていいの?」
 あいつら。
 一目でとても好きになった彼らのこと。なぜだかとても安らいだ。今でも彼らのことが好きだ。殺されかけたという事実が信じられないのではない。ただ、そんなことはどうでもいいと思うほどに好きだった。それが罠だとハウルは言うが、信じられなかった。
「もちろん一時だ。色々と置いてきたからな。もしものときのために、色々と持ってきた方がいいだろ」
 ハウルに心配されて、ルートは彼に擦り寄った。最近あまり構ってもらえなかった分、甘えられる今甘えておこうと考えた。今は兄弟よりも友達への興味が大きいのは当然だと分かっていたから我慢していたが、こうして過保護にされると嬉しい。
 ハウルはルートの角に触れていた手を拳にした。
「それに、精霊たちに頼んでいたとはいえ、野菜達が心配だっ!」
 悲しい。
 なぜだかものすごく悲しい。
 ルートはふて腐れて丸まった。そうしていると、空を飛ぶ事を解禁されたラフィニアが彼の元へとやってくる。ただし、遠くへ行かないようにひも付きではある。
 過剰に愛情を注がれて、過剰に心配される彼女が少し羨ましくなった。


 ラァスは自分の部屋に入ると、そこが無性に懐かしくなった。
 全員が一度帰ってきた。カロンに関しては見張りがいないことを確かめてからだが、とりあえず現在は誰もいない。精霊たちによれば時々誰かが来ているらしいので、カロンは怯えながら道具を整理している。
「ただいま、僕の恋人たち」
 ラァスは宝石箱を開けて挨拶する。
「まさかお前全部に名前付けてたりしないだろうな」
 戸口に立つハウルが言う。今の彼の部屋は隣である。通りがかりに覗いたのだろう。プライバシーの侵害である。
「いいだろ、別に。女の人の名前付けてるわけじゃないんだから。本人達がこういう名前だって訴えてるんだよ。可愛いなぁ」
 ラァスは恋人達を眺める。ハウルが部屋に向かう足音を聞くと、ふたをして金庫の中へとしまう。
 銀行のオーナーの知り合いに貰った金庫である。持ち主以外が持つことは出きず、あけることも出来ない魔具の一種である。その職人業にラァスは感動したものだ。
 なぜ銀行のオーナーと知り合ったかと言うと、財布の一人の大富豪のオジサンと食事をしていて知り合ったのだ。その後は色々とあの手この手で取り入って、複雑怪奇な経緯を経て手に入れたのだ。
 ──アミュには言えないよなぁ。
 その当時、幻術を少し習って、試したくて仕方なかったのである。ヴェノムにはほどほどにしなさいと言われているが、あっさり騙されてくれるのが楽しくて仕方がないのだ。
「あんまり悪いことしてると、そのうちばちが当たりますよ」
「うるさ…………」
 ラァスは硬直した。
 少女の声。聞き覚えのある声。振り返れば開け放たれたドアのところに悪霊付きの人形がいた。
 だだだたっだんっ。
 ラァスは壁際まで後退する。壁が壊れそうなほどの力で壁にぶつかるが、痛んだのは壁である。
「ろ、ろろろ、ローシャちゃん」
「お久しぶり。相変わらずからかいがいがあって素敵です」
 悪死霊の少女に素敵だといわれても恐ろしいだけで嬉しくもない。ラァスはガタガタと震えながらじりじりと窓へと移動する。そのときだ。軽い足音が聞こえた。どすどすと特徴的な歩き方をするメディアではない。
「あ、ローシャちゃん」
 アミュが走り寄ってローシャの前に座り込んだ。
「ただいま。元気?」
「はい。元気です。アミュ様もお変わりないようで嬉しいです」
「あとでおじさんのところに行こうね」
「はい。喜んで」
 ラァスはその間にこっそりと部屋から抜け出そうとしたが、二人にじっと見つめられてやめる。
「アミュ、どうかしたの?」
「私は元々荷物がないから。ラァス君かおにいさんを手伝おうかと思って」
「そっか。でも、僕も大切な荷物は一まとめにしてあるから問題ないよ。いつでも取り出せる武器を増やしておけばいいだけだからね。問題はハウルだよ。色々持ってそうだし、野菜の世話あるし」
 野菜には助けられているのも事実だ。町は遠く、頻繁に買い物に行くことはできない。
「……私、肥料あげてこようかな」
「別にいいんじゃないかな。今さっき、窓から出て行ったから」
「そっか。お兄さんの趣味を邪魔しちゃ悪いよね」
 ラァスには理解できない趣味である。
 その時だ。玄関からノッカーを叩く音が響く。ラァスはアミュ(ついでにローシャも)と共に玄関に向かった。誰か知らない人間が来た場合、早急に退却である。しかし気配を探ると、独特な捻じ曲がった何なのか分からない不思議な気配を感じた。
「はーい」
 ラァスがドアを開けると、郵便屋が軽く頭を下げた。相変わらず包帯で顔を隠している。ミイラ男のようで少しホラーな雰囲気が嫌いだった。
 しかし、彼なら敵ではない。
「おはよう、郵便屋さん」
 正体を知っているが、皆郵便屋と呼ぶのでラァスも変わらず彼を郵便屋と呼んでいる。
「おはようございます、郵便屋さん」
 アミュが丁寧に挨拶をする。
「おはよう」
 と、彼は振り返る。その背後に、大きな長方形の木箱があった。
「……何、大きな箱」
「ブリューナス様へ」
 その言葉にラァスは顔を顰める。
 今まであの悪霊の頭領に贈り物などはなかった。当然である。相手は死人なのだ。
 ──あ、でも、最近また本売れたって言ってたっけ。
 彼をモデルにした殺人鬼の話である。その作者が彼にインタビューしたこともあるらしく、数少ない生きた知り合いであろう。その作者が感謝の印に何かを送ってきたのかもしれない。
「本人に渡すべきなのでしょうが、ヴェノム様に立ち会ってもらった方が問題がないだろうと思い正面から来ました」
「わかった。じゃあお姉さん呼んでくるね。裏庭で待っててね」
 アミュは足音軽く走っていく。最近、彼女の足音が小さくなってきたような気がするのは、きっと気のせいに違いない。
「んじゃ、裏庭に行こうか」
 郵便屋は荷物を片手で持ち上げ、ラァスの後に続く。人一人が余裕で中で寝そべることが出来そうなそれを片手で持つ姿は異様だが、ラァスにでも出来るのでさして驚くことはない。何せ相手は腐っていても神である。
「何だろねぇ、それ」
「送ってくれと頼まれただけです。中身が危険物でないこと以外は分かりません」
 ラァスは中身が気になった。ジェームスのところに行くのは嫌だが、中身は見たかった。
「おや、郵便屋がここまで入ってくるとは珍しい」
 相変わらずラフィニアの機嫌取りをしているカロンが正面からやって来た。その後ろにはノーラもいる。実家に戻っての荷物の整理はすんだようだ。
「ジェームスにだって」
「ブリューナス殿に? 一体何なのだ」
 カロンは箱をつんつんとつつく。その背中のラフィニアも箱に手を伸ばす。ノーラは容赦なくがんがんと叩いている。
「こらノーラ。お前は女の子だろう。なぜどうしてそんなに乱暴なのだ?
 あとで見せてもらおうな。これはブリューナス殿のものだから、今は我慢しろ」
 後半はラフィニアに向けての言葉。言葉も理解しない赤子のうちからの倫理教育。カロンはラフィニアを立派な淑女に育てようと必死である。
 三人が裏庭に着くと、アミュ達が待ち構えていた。ヴェノムの横には当然とばかりになぜか大きなかぼちゃを持ったハウルがいる。そしてジェームスが。
「げっ」
「ラァス君。彼がいるのは当然だろう。彼が死んだ場所なのだから」
「うう。嫌だなぁ。足があって透けてなくて触れられる分だけ、地下の人たちよりも怖くないけどぉ」
 強い弱いは関係ない。死んでいるのが嫌で、おばけなのが嫌なのである。
 見た目がおばけに近いほど嫌いなのである。
「何だ何だ。食い物か? 早く開けろ」
「ノーラ。死人に食い物が送られるはずがないだろう。だいたい、こんな大きな箱で食い物を送るか」
「食い物ではないのか。では玩具か?」
 幼い子供のように好奇心丸出しで(表情はほぼないが)騒ぐノーラを見て、ジェームスはくつくつと笑う。
「すまない、郵便屋殿。ところでラァス君。それを私にくれないか? 開けられないだろう」
 ラァスは躊躇ったのち、箱を投げつけるようにしてジェームスの前に置く。
「おいおい。割れ物だったらどうする気だ? 自分のものでもないのに」
 ラァスはハウルに突っ込まれる。
「いや、音からしてそれはないし。なんか頑丈そうなのが入ってるよ」
 ジェームスはくつくつと笑いながら木箱を開ける。中には黒い箱が入っていた。世間一般ではそれを棺おけと呼ぶ。
 ──何、これ。嫌がらせ?
 生きた人間相手なら確実に嫌がらせだが、相手は死人である。考えた結果、一つの可能性を思いつく。
「……ジェームス。よかったねぇ。寝床だよ」
「私は基本的に肉体を持たない死霊なのだが……」
 と、ジェームスは棺おけの蓋を開け──何かが出てこようとしたので容赦なく閉める。
「すまないが誰か釘と金槌を」
 中からだんだんと音がする。しかしジェームスは容赦なく棺おけの蓋に足を乗せていた。
「それならなら私が」
 なぜか持っているらしいカロンが言う。彼の発明品には釘など必要ない気がするが、何か必要があるのだろう。これだから自称発明家は理解できないのだ。
「すまないが押さえているから打ってくれないかな。郵便屋殿、これをそのまま海に流してくれないだろうか。早急に。それで完全に息の根が止まるはずだ」
「……結局、中身は何だったのだ?」
「一瞬しか見えなかったが、おそらく──」
 ジェームスが何かいいかけたとき、棺おけの中からさらなる大きな音が響いた。
「どかんかぁあ!」
 突然棺おけの蓋が跳ね上がる。蝶番(ちょうつがい)が壊れ、足を乗せているのとは反対側が開いた。ジェームスはただれた唇を歪め、棺おけから離れた。
「せっかく人が華麗な演出のために長い間こんなところに閉じこもっていたというのに、突然衝撃が来て頭をぶつは、閉じ込められるは、貴方達は美学というものが理解できないのか!?」
 それは黒い固まりだった。黒い服、黒い髪、黒い目。そして肌と瞳孔だけが白いという、不気味な男である。そして分厚い黒いマントを羽織っている。
「わぁ、凝ってる」
「今日日ここまで演出にこだわる者がいるとは……。なんと愚かな」
 ラァスとカロンが容赦なく言葉を投げかける。
「……おお、これはなんと愛らしい」
 それはラァスに目を止めて呟いた。
 ──もういいさ。普通にしていても女の子と間違えられるのには慣れたさ。きっと大人になったらそれもなくなるさ。大丈夫だよ僕。今は僕が超絶的に可愛いのが罪なのさ。いつかカロンやハウルまではいかなくても、ホクトさんぐらいは背が伸びるさ。
 女装もせずに勘違いされ続け、最近ラァスは挫けかけていた。それを可愛いからだと自らに言い聞かせ我慢し続けているが、さすがにそろそろ辛いものがあった。十四歳である。少年が大人になる時期だ。変声期もきっと近い。実際、昔に比べればずいぶんと声が低くなっている。それでも高いが。
「始めまして、カメリアのようなお嬢さん。私はヴィランド。高貴なる闇の貴公子」
 彼はラァスの手を取り口付け、ハンサムな顔に笑みを浮かべる。
「ふぅん。で?」
 恥ずかしい男である。自分の事を闇の貴公子などと陳腐な名乗りを上げるなど。しかも高貴と自分で言っている。そしてどうでもいいが、変な色をした目が気持ち悪い。
「……効かない?」
「何が?」
 わけの分からない男である。何をしに来たのやら。
「ラァス、気付いてるのかどうか不安だから言うけどな、それが正真正銘吸血鬼だからな」
「のわっ」
 ハウルの言葉にラァスは反射的にヴィランドを蹴り倒す。
「う……触られた。キスされた。ふぇ」
「ラァス君、可愛いから許したくはあるのだが、人の服で拭くのはやめてくれ。このセーターは高いのだが」
 最高級の毛で織られたものを乱暴に扱われ、カロンは顔を顰める。値段よりもその希少価値が問題である。織りもきれいなので、かなり高そうだ。
「……いいな。僕も欲しいなあったかそう」
「秋にセーターをプレゼントしよう」
「本当? 嬉しい」
 ラァスは手を拭き終わってカロンから離れる。忘れようとしたが忘れるわけにもいかない。変な吸血鬼の事を。
「馬鹿じゃないあんた」
 メディアが倒れる吸血鬼を見下して言い切った。
「まったくだ。彼のような子供を口説くなど……どうにかしているとしか思えない」
 ジェームスは見下した調子で言う。仮面の下にある瞳は、ラァスたちに向けられるものとは違って完全に冷めている。
 ヴィランドは周囲を見回し、まずヴェノムに目を止めすぐにふいと視線を逸らす。
「ああ、真っ先に無視されてしまいました。絶世の美女と言われた私が」
「可愛いのが好みなんじゃないか? お前はあっちのお仲間みたいだし」
 無表情に悲しむヴェノムと、冷やかすハウル。それを聞き、ヴィランドは顔を顰めた。
「違う。私は非処女には興味が無いだけだ!」
 今度こそ、ヴェノムはわずかに目を開き硬直した。
「何ショック受けてるんだよお前」
「私とて、私とて昔は汚れなき少女だったというのに」
「ババアに興味はないって言われなかっただけマシだろ、妖怪」
 ヴェノムはふらりと可憐な乙女の仕草でよろける。
「汚れた女など女ではない。乙女こそが価値のある女だ」
 とどめの一言に、ヴェノムは踵を返した。そしてどこからか現れたクロフに支えられて屋敷に戻って行った。
 極論を力説するそれを見て、ラァスは頭痛を感じた。
 ──まあ、僕も汚れはないけどねぇ。
 性別を間違えていなければ説得力もあっただろうに。
 しかし言葉でヴェノムを退散させるなど、命知らずな吸血鬼である。
「うわぁ、すごいねあの死人。ある意味ジェームスよりも」
「ついでに、あの顔と胸が気に食わない。もっと幼く、もっと扁平でないと」
 マニアだったようだ。幼く、扁平な胸。前者がなければそういう趣味なのだと納得できるが、それが付くだけでとたんに変態の仲間入りである。
 ──僕に当てはまるなぁ。今はノーメイクで歳相応だし、胸なんて初めから存在しないから。
 女装するときに限り、パットで胸が誕生する。
 あと一人、それに当てはまる少女がいる。本物の女の子で、子供で胸なし。
 皆がじっとメディアを見詰めると、ヴィランドもそれに気付いて彼女を見つめ、ラァスにしたのと同じように手を取った。
「ジャスミンのような人。私の愛をどうか……どうか私めを『しもべ』とお呼び下さいっ!」
 突然ヴィランドは叫びメディアの前にはいつくばる。その様子はまるでマゾ男のハランを彷彿とさせた。
「な、何!?」
 メディアは戸惑い目の前にひざまずいたそれを蹴り倒す。
「わぁ、メディアちゃんスゴイ。ただ立ってるだけでひざまづかれるなんて。本当にその道に進んだら?」
「何よそれ!? きゃあ、気持ち悪いわね離れなさい!」
「つれない人よ、私にどうかもっと愛をっ」
「しつこい!」
 杖で叩き倒し、メディアは近くにいたハウルの背へと隠れる。
「お前、何した?」
「……可能性として考えられるのは、あいつが私に変な呪いを掛けようとしたってことね。呪い返しの護符を身につけてるから。魅了の術にしても、変なかかり方してるけどね」
 さすがは呪い好きの魔女。恨みを買っている自覚があるようだ。変なかかり方は、返した本人の性格に影響されているのではないだろうか。
 ヴィランドは起き上がり手を当てた頭を左右に振る。
「はっ、私は何を……。
 二人続けて効かないなど、私の魅了の術はそこまで落ちたのか」
「相手が悪かったのだろうな。何もあの二人に目をつけなくとも……。
 アミュはアミュでかからないだろうが」
 言ってジェームスは棺おけに腰掛けた。一人無事にすんだアミュは、真っ先にジェームスに庇われていた。人徳である。動物にも、悪霊にも、邪神一歩手前にも好かれるほどの徳を持つ少女である。
「結局、何をしにきた?」
 ジェームスは真っ当な問いかけをする。見た瞬間海に沈める決意をした男の言葉とは思えないほど常識的である。
「は、そうだった。
 ディモス・ブリューナス。私は貴方の噂を聞きつけやって来た。この世で最も優れた悪魔として」
 ぎょっとしてラァスはジェームスを見た。彼はすごいとは思っていたが、そこまですごい悪霊だとは思いもしなかった。
「闇の貴公子、黒幻のヒューム・ルギル・ヴィランド。狂気のブリューナス。私と貴方。どちらが優れた悪魔であるか、決着をつけに来た」
 意味の分からない自称と、安直この上ないジェームスの呼び名に、皆が呆れ顔をした。
「私は知らないが。そんな風に言われたことはない。初耳だ。あの頃は惨殺し狂っていると言われてはいたが」
 本人が真っ向から首をかしげた。心当たりがないらしく、アミュの腕の中のローシャに問いかけ彼女も首を傾げる。ついにマースまで出てきて談義するが、結局知らないで終了した。
「そんなっ。この本にはそう書いてあった!」
 彼は一冊の本を取り出した。学術的な本とは程遠い安っぽい装飾の本である。
「……それは……『ジェームス』の本じゃないか」
 ホラー小説の主人公。不死の殺人者。狂気の男。あくまでも『エオン・ブリューナス』をモデルにした架空の人物である。
「そうだ。貴方をモデルにしたキャラクターだ。ジェームス読本の中に貴方の半生と現在が書かれていた」
 読本まで出ているとは恐るべし怪人紳士人気である。さすがのジェームスも口元を引きつらせる。
「それは作者の誇張に決まっているだろう。そんなことを信じられてもこちらはこまる。私は死後ここで時折迷い込んだ一般市民を嬲り殺してのんびりと暮らしていた。ヴェノム殿が来てからはずいぶんと行動しづらくなった。何よりも私はただの自縛霊だ。ここで火葬にされたからな。肉を持つ君とはタイプが異なる。私は死霊。君は吸血鬼。同じ悪魔と呼ばれる存在だとしても、存在の仕方が違う。私は太陽の下でも平気……君も平気なようだが」
「太陽ごとき、この私を滅ぼす力などない」
「日焼け止めの塗り残し部分をほんのり火傷している気がするが、それはあえて言わないでおこう」
 既に言っている。
「私は心臓にくいを打たれようが、杭を打つ身体が元々存在しないから意味がない。私のこの肉に見えるモノを構成しているのは私の存在力だ。
 大体、どちらが上かなどどうやって決める? 命ももうないのに」
「もちろん、どちらかが倒れるまで」
 ジェームスは深いため息をついた。呼吸の必要もないのにそれをするのは、彼が人であったため。
「妖術合戦が見られる?」
 ラァスはカロンの背に隠れ、その面白そうな展開に笑みをこぼしていた。最近、離れたところからジェームスレベルを見るのには慣れたので、恐怖よりも好奇心が打ち勝っていた。この瞬間までは。
「その野バラの蕾のような愛らしい少女をかけて!」
 ラァスはとりあえず身につけていた銀のナイフを投げつけた。
 悪は滅ぶべし。


 アミュは周囲を見回した。
 野ばら。
 それを指しているのは、どうやら自分のことらしいと理解したのはそれからすぐ。
 ──髪が赤いからかな。
 そう判断してヴィランドを見つめる。見た目は少し怖いが、面白い人だ。その彼の後頭部に、ナイフが一本突き刺さる。
「うい? って、何だこれは!? い、痛いではないか誰の仕業だ!?」
 後頭部に深々とナイフを刺され、痛い程度ですむ彼の身体にアミュは感心した。吸血鬼とは本当に丈夫に出来ているらしい。
「うっわ、銀のナイフなのに平然としてる」
「これは銀100パーセントではない! だから私は少し痛いだけだ」
「少し痛いんじゃん」
「犯人は貴様か、子連れ男っ」
 ラァスが色々と言っていたにもかかわらず、ヴィランドはカロンを疑った。おそらく、少女の細腕では無理だと思ったのだろう。しかしナイフを投げて後頭部に突き立てるなど、男性の力でも普通無理である。ようは思い込みである。
「おい子連れ、あいつむかつく」
「ノーラ……何が気に食わない?」
「顔色が悪い。目が変に黒くて白い。やかましい。私は幼い乙女だ」
「無視され続けてたのかムカついたのか。そうかそうかすまないなノーラ」
 カロンは苦笑して彼女の頬を撫でた。ノーラはぴしゃりとその手を払い、カロンの背からラフィニアを奪い取ろうとする。背負い紐が解けずに四苦八苦していると、カロンが紐を解いてやる。
 微笑ましい一家の図だ。
「妻子持ちを殺すのははばかりがあるな。その将来有望な乙女に免じて許してやろう」
 その言葉に、ノーラとカロンはヴィランドを睨んだ。
「ブリューナス殿。徹底的にやってくれ。うちの可愛い妹と可愛いアミュちゃんのために」
「仕方がない。大の男は趣味ではないのだが」
 ジェームスはいつもの斧を取り出した。
 ラァスの使う長柄斧とは違い、ごく普通の斧である。
「吸血鬼を痛めつける、もっとも効果的な方法を知っているかい?」
「うーむ。にんにくを近づけられたら嫌だな。鼻がきくから耐えられん」
 吸血鬼とは、そういう意味でににんにくが嫌いなのだろうか?
「答えは簡単だ。マース、やってしまえ」
「ほいよー」
 マース。彼は溺れ死に、水の精となった少年。
 水である。
「あめあめふれふれとりゃ」
 意味のない言葉を発しながら、マースはヴィランドへと水を滝のように落とす。
 水圧でつぶれた彼は、やがて起き上がりはたと気付く。
 水である。そして彼は、日焼け止めのクリームを塗っている。
「ああ、日がっ」
 今は昼。春の日が心地よい午後。
 ヴィランドは慌てて顔をマントで隠す。
 ──そうか。このために暗幕みたいなマントを羽織ってるんだ。
 アミュは納得して手を打った。
「お、おのれっ」
「火傷しているな。高貴な顔がただれている」
 ブリューナスはくつくつと笑う。顔が焼け爛れているのは彼も同じ。しかし彼は気にしていない。しかしヴィランドは──。
「くっ……私の美しい顔が」
 アミュは笑ってしまった。男の人が自分を美しいというのはなぜだかおかしい。唯一ラァスだけは違和感はないが、彼はいざというとき顔など気にしない。冗談半分で言っているのだ。しかし彼は真剣だ。笑ってはいけないと思いつつも笑ってしまった。
「そんなに顔が気になるか。なら、何とかしようか。
 そのかぼちゃをくれるか、ハウル」
「え……いいけど。どうせあんまり美味くないし。でかくなりすぎたから取っただけだし」
 ブリューナスはハウルのカボチャへ手を向ける。するとカボチャは宙を舞い、こちらへとやってきた。やがてヴィランドの頭上へとやってくる。影に入った彼はマントから頭を出してそれを見て……
 ごっ!
 カボチャは、見事に彼の頭にはまった。
 まるでカボチャのお化けである。
「わぁ、カボチャ男だ。よくカボチャ割れなかったね」
「表面に力を張り巡らせたのだろう。中身を一部抜き取ったのかもしれない」
 ラァスとカロンの会話で、その不思議は説明された。
「は……はははははっ」
 突然、笑い声が上がる。
 聞きなれないそれは、郵便屋のものだった。
「まったく面白い方たちです。留まったかいがありました。こんなに愉快なことは何百年ぶりでしょうか」
「郵便屋さん……」
 確かに愉快だ。自信過剰の吸血鬼が、頭にカボチャを被って唸りながら右往左往して転んでまた転ぶのだ。かわいそうだが、笑わずにはいられなかった。
「今日はいい日だった。お礼に彼は元の場所に返しておこう。送り主に、動く死体は送らないようにとも注意しておきましょう」
 郵便屋はじたばたするヴィランドを担ぎ上げる。
「それではこれで」
 そうして、その愉快な吸血鬼はいなくなった。
 キザで自信家で、そして面白い吸血鬼。
 結局分からなかったことがある。
「あの人、結局何だったんだろうね」
「いいのいいの。ハウルといると、どうも変人出現率が上がるからね。その中の一人に過ぎないんだから、気にしない気にしない。それよりもそろそろ行こうよ。誰が来るか分からないよ。師匠もそろそろショックから立ち直ってると思うし」
 ラァスはそう言って走り去る。
 やはり、多少慣れたとはいえここが好きではないようだった。
 余談だが、ヴェノムはそれから数日機嫌が悪かった。

 

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あとがき