23 春の日差し暖かく

3

 翌日。
「何してやがんだ、あのタワケ弟子は」
 ホクトが朝食を食べながら呟いた。
 現在、コウトは朝帰りすらしていない。一度でも帰ってきたという形跡はない。
「彼女とかいたりしてぇ」
 朝の訓練とその後の入浴を終えて、妙に輝くラァスが言う。
「泊まりかよ。やるな、あいつも」
 ハウルは昨日カトウに貰った魚の干物をつつきながら言う。
「コウトはそんな不真面目な男ではない」
 エノはふざける三人を睨みつけた。
 まったくふざけた連中だ。コウトは幼い子供でこそないが、まだまだ幼さを残す少年だ。だからこその台詞だろうが、このふざけ方には腹が立つ。
「何かあったのだろうか……。最近は物騒な連中もいるのだろう? ラフィニアを狙っているという……」
「でも、コウトが狙われるとも思えねぇぞ。だいたい、俺らから見ればこの国の連中の顔はほとんど見分けがつかん!」
「なるほど。それはあるな」
 ハウルの訴えに納得してしまったのは、エノも始めそう思ったからだ。
 この国には黒髪の物が多い。色が薄くて茶どまりだ。肌の色も極端に白かったり、極端に黒かったりとはしない。見分けをつけにくい民族だ。
「しかし、もしも悪い大人に危ない遊びを教えられたりしていたらどうする?」
「……エノちゃんこそ、もう少し信じてあげなよ。疑いすぎるのも可哀想だよ」
 ラァスの言葉にエノははっとなる。
 子供だからと疑ってばかりではいけない。ひょっとしたら、誰か困っている人を助けて遅くなっているのかもしれない。なにせ祭りだ。スリもあればケンカもある。怪我人も出るだろう。引き止められて泊まっているのかもしれない。
「そうか……子供は信じてやらなければ」
「……そーいやエノちゃんって、この中で一番年う……いえ、なんでもないですごめんなさい」
 エノはため息をつき、椀を手に取った。
 あの少年が、間違いを起していないのなら問題はない。真面目だから、そして少し心が弱いから、付け入りやすいところがある。だが、それを信じてやることも大切なのだ。
 それでも、胸にあるしこりのようなものが消え去ることはなかった。


 朝ごはんが美味しい、とコウトは思う。
 人は苦境にあっても美味しい物を美味しいと思うことが出来るのだろうか。それとも、あの師に師事したことにより、人よりも肝が据わったのだろうか。ただの現実逃避だろうか。どれも付かないが、とにかくご飯は美味しかった。さすがは一流の旅館である。部屋も豪華、食事も豪華。風呂も立派。今迄で一番の贅沢をしている。
 最後の晩餐という単語が脳裏をよぎるが、人質にしては破格の扱いというか、ついでに泊めてもらっているというか、縛られて外につるされている可能性もあったわけだから、感謝していいのか悪いのか。
「いよいよ今日ですね、ザイン様」
 ラナが浮かれた顔をして言う。
「ああ。しかしまさか、あれが奉納されているとはな」
「ええ、思ったよりも早く情報は手に入れだけど、思ったよりも長い滞在になりましたね」
「そうだな。ところであの色ボケは? ひよこがあそこでぴよぴよ鳴いているということは、やはりあの馬鹿が表に出ているのだろう?」
 就寝するまではひよこを愛でる魔道師だったのだが、朝起きればその姿はなかった。
 コウトももちろん逃げ出そうとしたが、起きあがった瞬間にザインの声がかかるのだ。トイレに行くと誤魔化したが、もちろんついてきた。
 実に恐ろしい男である。ぱっと見は歳も近く見えるのだが、最早そのような甘い考えなどコウトの中にはなかった。
「ヴァルナなら、他所の部屋でホテルの女性に襲い掛かっていたんで、縛り倒して外に吊るしておきました」
 ──仲間の方が吊るされている!?
 コウトは布団でぬくぬくしていた自分に感謝する。
「猿轡かまして目隠ししてしっかりと結んでおいたので、絶対に抜け出せません。いくらなんでも、手も動かさずにあのケーブルを切れるほどの術を使えるほど化け物でもありませんし」
「……そうか」
 弱点を知ってしまった。
 そこまでしないとどうにもならないらしい。いや、そこまでしてもまだ抵抗できるということだ。
「ところでお前達……いつの間に部屋を出た」
「二人とも熟睡していたので、こっそりと」
「……私は時々お前達が怖くなる」
「いやですよぉ。ザイン様のような化け物がただの人間相手に怖いだなんてぇ」
 ザインは小さく息をついて箸を進めた。
 しばらくして、旅館の人に救出されたヴァルナが戻ってくるのだが、当然風邪をひいていた。


 今日もまた祭りへと足を運んだ。何だかんだとコウトが心配だといいながら、やはり皆遊びたいと言うのが本音だろう。
 ノーラもまた、コウトよりも珍しいこの町が気に入っていた。
 精霊の多い町だ。それだけ民が精霊と近くある証拠だ。精霊すら神として崇めているこの国であるからこそだろう。
「ああ、イカが美味い」
 ノーラは焼きイカを頬張りながら呟いた。
「お前は食べることしか頭にないのか」
 カロンに軽く頭を殴られ、ノーラは裏拳を返しておいた。付け上がらせると、この男はノーラの存在を忘れるからだ。
 その頭上にて飛ぶラフィニアは、腹に紐をくくりつけられ、取っ手の付いた哺乳瓶を両手で持ち、売っていた絞りたてのジュースを飲んでいた。その前はふかした芋をカロンに食べさせられていたので、彼女もまた飲んでは食べている。なのにこの扱いの差はなんだろう。
 ノーラは出来上がったときからこの姿で、ある程度の知識も持っていた。その知識はその場に染み付いた時の記憶とも言えるだろう。カロンの知識、他の者の暖かい交流、血の惨劇。
 それらをノーラは生まれたときから知っていた。
 そしてこの男が、どれだけ彼女を完成させたかったかも。
「ノーラさん。殿下も悪気があるわけじゃないよ」
 察してくれたのか、心を読んだのかいまいち判断をつけにくいところなのだが、アミュがノーラを慰めた。
 それを見ているラァスは、不気味にニコニコと笑い、メディアは唇の端をつり上げる。
「殿下はノーラちゃんを、ラフィと同じぐらい大切にしているよ」
「うそだ」
「本当だよ」
 アミュはノーラの手を取り言う。
 彼女が言うと、すべてが本当のことのような気がしてくる。
「殿下はちょっぴり変な感じだけど、愛情に溢れた人だから」
「変な愛情などいらない……」
 アミュはうんうん悩み始める。
「あ、綿飴屋さんだ」
 アミュは綿菓子の屋台を見て微笑んだ。
 砂糖を熱して溶かし、それを回転させ飛ばし糸状にするという、ただの砂糖の固まり以外の何でもない菓子にもかかわらず、その見た目と口に含んだ瞬間にちりりと溶ける食感で人気らしい。
「アミュ、綿菓子気に入ったんだ」
「うん」
 昨日彼女は綿菓子を食べていた。その様を見て、ラァスは鼻の下を伸ばしていたものだ。
 ラァスはよしと呟き財布を取り出した。ケチのくせに投資だけは怠らない。そんなところはカロンと似ている。
「おじさん、綿菓子ちょうだい」
「お? コウトの知り合いの西方人じゃねーか」
 ラァスは一瞬きょとんとして、すぐに媚びるような笑顔を浮かべた。
「おじさんコウトの知り合い? コウト見なかった?」
「昨日あったかな。隣のひよこを真剣に見ていた変な男と仲良くなってどっかに行ったな」
 ノーラはそのひよこ屋を見た。アミュがひよこを見て微笑み、その前にしゃがみ込む。
「この子達、魔力があるね。魔物の一種なのかな」
 確かに露店で売るには珍しいことに、その幼鳥は魔力を持っていた。見た目は普通のひよこなのだが、不思議である。何よりも魔力を持つ家畜と言うのも珍しい。普通は御しやすく愚かな魔力なしの生物を家畜にするものだ。
「こいつらは美味いんだぞ」
 ひよこ屋が言う。
 ──今目の前で生きているモノを食うのか……。
 ノーラは少し驚いた。もちろん殺すのは当たり前なのだが、愛らしく鳴き続けるそれを見て、食べようという考えは思い浮かばなかった。
「これ、食べるために売ってるの?」
「子供が育てたりもするな。
 大人になったらなったで、それも美味い」
「……そうなんだ。食べるのかぁ」
 アミュはそれをじっと見つめた。
「ははは。ちょうど、あんな感じでさ。無表情なあんちゃんだったが、中身はいい奴なんだろうな。よく聞こえなかったが、ひよこ話に花咲かせてたぜ。コウトと同じぐらいの年の坊もいたし、きっと祭りを堪能しているさ」
「はん。あいつもついに夜遊びか。男になってたり」
 エノは無言でホクトのスネを蹴る。
 それから彼女は安堵し微笑む。
 ──心配、していたのか。
 赤の他人のはずなのに。種族さえ違うはずなのに。
 何が同じで何が違うのか。
 ノーラには理解できない。何もかも。
 生きているとは、何なのだろう。


「くしゅ」
 ヴァルナはくしゃみをして鼻をすする。本格的に風邪をひいたらしい。
「さむ……。ラナ、人肌で暖めてもらえたら嬉し……ごめんなさい……ごほごほっ」
 ヌンチャクに似た武器を構えたラナを見て、ヴァルナは伸ばした手を引っ込め謝り咳き込んだ。
「ああ、こんなときにはダーナ様は引っ込んだままだ……し……くしゅ。ああ、ごほっ」
 ヴァルナはちり紙で鼻をかむ。ぜいと息をつき、また話し始めた。
「抱いてるのは美女でなくひよこカップルだし……くそ、このまま焼き鳥にして食ってやろうか」
 言った瞬間、ヴァルナの顔つきが変わった。 ただの助平男から、ただの可愛い物好き男へと。二人の表情と言うのはまったく違うので、この変化はとてもわかりやすい。
「コウト、二人を」
 差し出されたのは、ひよこを入れたかご。任せるということだろうか。
「…………はい」
 コウトは複雑な気分でひよこ達を受け取った。
 ──この人、なんで私を信じてるんだろう。
 ひよこ仲間に認定されてしまったのだろうか。そりゃあひよこは可愛いが、これはコウトの育てていたあのひよこではない。思いいれもないただのひよこなのだ。
 ──ああ、お師匠様は今頃探してくれてるんだろうか。
 エノがきっと心配しているだろう。彼女はとても優しい人だ。美人だし、優しいし、少し乱暴だが、素晴らしい女性だ。
 彼女と共に食事し、彼女と共に修行をする日々が懐かしい。
 またあの日に戻れるのだろうか。
「ああ、また引っ込んだっ!」
 ヴァルナは悔しげに呻く。
「そりゃあそうですよ。ダーナ様だって風邪引いた身体で仕事したくないでしょうから。まったく、小動物に当たるなんてみっともない」
 ラナはねぇとひよこ達に微笑む。
 間近に慣れぬ女性の顔がきて、コウトの胸は早鐘を打つ。
 この女性は優しい。人格が変わった時は怖いが、ラナは優しい。基本的に。
「……あなたは、どうして始祖を殺すんですか?」
「え……」
「優しい人なのに……」
 ヴァルナに対する容赦のなさを除いて。
「世の中、どうしようもないこともあるんですよ。最大多数の最大幸福が私達のとるべき道です」
「ラフィニアとルートさんが人を不幸にするんですか?」
「その可能性が大きいんです。始祖は不確定要素。始祖が増えるとき、アイオーンの発生が増えます。まあ、君のような一般人には分からなくていいことです」
 コウトはまた汗をかき始めた。
 ──エノさんも来ちゃだめだぁぁぁあ!
 心の中で叫ぶものの、もしもホクトが探しにくるならば、エノが共に来る可能性も大きい。エノは彼女が言ったアイオーンであり、山の神威とホクトの力でその世界を歪める『毒素』を封じているが、里でホクトが離れすぎると、その効力が切れてしまうらしい。
 コウトもアイオーンなる存在について深く知っているわけではない。異世界のモノだということ、世界にとっては病原菌のようなものであること、しかしエノにはそのつもりはないこと、望んでいないこと。この程度しか知らない。
 それで十分だと思っていた。
 逃げなければならない。
 しかしどうやって?
 彼らなら、周囲を巻き込んで無茶をするという可能性は低い気がしてきた。もちろん、彼らが任務に対して手段を選ばない可能性も高い。しかし、彼らを見ていると、基本的には人を殺したりいたぶる趣味などないと思われる。
 問題は、少しでも離れるとこちらに顔を向けるザインである。
 彼の見えぬ視線を感じると、どうしても逃げられないと本能が告げてくる。
 コウトは極力動揺を表に出さないようにしながら、さらに探りを入れた。
「じゃあ、彼らを殺すのは、その可能性があるという……たったそれだけのためなんですか?」
「その可能性が恐ろしいんです。あなたは千年前に謎の病が流行した事を知っていますか?」
 コウトは頷く。
 千年前に恐ろしい病が世界を震撼させたらしい。病というには曖昧で、人のみならず、動物も魔物も妖魔も次々と死んだらしい。地は渇き、熱波が吹き、それらがさらに人々を苦しめた。
「それらはアイオーンの影響だそうです。今生きている存在でその当時の事を知る者はとても少なくなっています。弱い精霊達は消え、その当時生きのびた精霊たちも、その影響で早く消えました。
 残っているのは中位以上精霊たち。
 そしてごくわずかな力ある魔物、妖魔たち。
 生き残った彼らに問うてみれば分かります。
 あの頃の再現を防ぐためならば、どのような残酷なこともすると。
 それは私達の中のお二人も同じです。だからこそ、あの無類の可愛いもの好きのダーナ様がまだ幼く可愛い始祖を殺しているんです」
 説得力があった。ダーナの例を出されると、他のどんな例えよりも分かりやすかった。
 しかしそれはそれ、これはこれだ。
 ──あの山にいればエノが平気なんだから、他の人達も平気な気がするんだけど……。
 しかしそういった理屈が通じるかどうか……。
 まずはホクトとヴェノムに話すべきだろう。自分の判断できることではない。
「……私も、できれば殺したくなんてないんです。誰も」
「じゃあ、殺さなくていい方法を考えれば……。可能性で殺されるほうなんて、たまったものではないですよ」
「分かっています。が、始祖に関しては本当に誰にも分からないんです。なぜそのようなものが発生するのか。最も母神に近い方ですら、その理由を知らないそうです。
 世の中に正しいことなどありません。絶対正義など、あるはずがありません。私達のしていることは正義のつもりもありません。悪と呼ばれても構いません。
 それでも、そうせずにはいられないこともあるのです」
 コウトは迷う。
 もちろんあの二人を殺すことは断固阻止せねばならないと思う。知り合ってしまったのだから。今ではおしめまで時々変えているし、貰った果物も分けてあげた。一緒に遊んだ。
 二人とも可愛いと思う。
 だから。
 絶対に。
 それでも迷う。人が多く死ぬ可能性があるのなら……。迷うのは、人として当然だろう。
 最大多数の最大幸福。
 それは悪い芽を摘むことであるというならば……。
「さて、そろそろだ」
 ザインが足を止めた。
 彼の視線の先にあるのは神殿。緑神イシル──西風に言うならば、イーシヴィールの神殿。
 海の幸豊か。山の幸豊か。緑豊か。この地方はそう云われる域。
 ここには今、将軍がいる。
 イシルの主、水神ハミヤ──西風に言うならパーミアに献上するための供物の受け渡しが行われる。
 それが今日。
 そう、時間的にもうすぐ儀式が行われる。
「まさか……目的って……」
「献上物の中に不思議な大きな卵があるそうだ。今まではそれの隠し場所が分からなかった。調べるよりも、こうして待った方がことは早い。勝手に運び込んでくれるからな。だから今日動きがあるまで待った。動きさえあれば、ことは容易い」
 ザインはくつりと笑い、命ずる。
「そろそろいいだろう。行け」
 コウトは悟った。
 自分はこのどこか不気味で隙のない少年と、ひよこカップルの二人と二匹で取り残されるのだと。
 久々に本気で泣きたくなって来た、十五の暖かい春の日だった。


「こちらです」
 その神官は丁重にヴェノムを案内した。
 もうすぐこの祭り一番のイベント『奉納の義』が行われる。緑神に捧げるのは当たり前なのだが、ここは変わっていて、奉納した供物の一部を、上に当たる神へと捧げるのだ。
 この地ではバーミアがハミヤと呼ばれている。ハウルは自分の親戚が、地方によって呼び名が違うことには慣れているものの、やはり違和感を覚えるときもある。
 この国の名前は少し変わっている。
 そして、この町で緑神信仰が最も盛んであることも意外だった。仮にも港町である。それこそ水神か海神を崇めているのだと思い込んでいた。
 神殿の廊下を歩きながら隣できょろきょろとしていたラァスが、突然言った。
「師匠、なんか慕われてるねぇ」
 通りすがるたびに頭を下げられている。その先にいるのは他でもないヴェノム。
 この待遇は、慕われている以外にはありえない。神官のヴェノムを見るその眼差しに混じる尊敬の色。そしてこの慇懃な態度。ヴェノムは一介の魔女でしかないというのに敬われるのはいつものことだが、海を越えたこの地方まででもこの態度とは、彼女はいつも何をしているのやら。
「お前はどこでも顔が広いな、まったく」
 これから大きなイベントが開かれる神殿の中に、部外者にもかかわらず入れてもらえるほど。
 その瞬間だ。
「……ん?」
 ハウルはくんくんと周囲の匂いを嗅ぐ。
 いい匂い。数種類の香料をブレンドした独特の香り。この香りは……。
「キリエ師匠の匂いがする」
「匂いって……君は犬かっ!?」
 ラァスの突っ込みは無視し、ハウルは浮かれ半分駆け出した。
 彼女の匂いに混じり、料理の匂いもする。
「坊ちゃま、お待ちを」
 追いかけてくる神官も無視して、ハウルは目的の部屋までやって来た。
「あ、師匠」
 相変わらず派手な美女がこちらを向いて微笑んだ。
 そこでは見るからに位の高い人物達が食事をしているところだった。
「おや、ハウルじゃないか」
「あらやだ、可愛い男前じゃない」
 キリエが料理を出していた相手──身なりと席の位置からして位が一番高いと思われる女性が呟く。
 ──可愛いは余計だな。
 などと頭によぎる。
 線の細い女性が多いこの大陸にしては珍しく、がっちりとした体格の女性だった。決して不器量という意味ではない。年は判断しかねた。こちらの大陸の人間、皆年齢よりも若く見える。
「ハウル、何しにきたんだい。突然入って来たら失礼だろう。この子が知り合いだったからよかったものの」
「今日はどんな料理かなって。で、その人誰だ?」
「大王にお仕える将軍様だよ。あんた、下手したら打ち首だよ」
「まあまあ。できっこないこといいっこなしって。
 しかし女が将軍なんて、変わった国だな」
「それだけの功績と信頼があるってことさ。あたしの親友だしねぇ」
 将軍は艶っぽい笑みを浮かべる。
 キリエは将軍へと向き直りハウルを指し示す。
「これはハウル。あたしの可愛い弟子さ」
「本当に可愛い。キリエの趣味も変わって嬉しいわ。
 坊や、この子は性根からの変態だと思ってたけど……。坊やみたいな男の子に興味を持ってくれて私はとても嬉しいの。
 末永くキリエをよろしくね」
 ハウルは首をひねる。
 よろしく?
「わぁ、ハウル。よかったじゃん。キリエさんげっと! この年上の巨乳好きぃ♪」
「『好きぃ♪』じゃねぇよ、この待つ男」
 完全にからかう調子のラァスに、言葉だけ返す。殴ったら絶対に鉄のように硬いに違いない。そういった下準備を怠るような男ではない。
「待つっていいじゃん。ねぇ、アミュ」
「え? うん。待つのは楽しいよね」
 ラァスは満足げに胸を張る。
 これでも彼は幸せらしい。始めは可愛いとだけ言っていたのに、いつの間にこれほどまで落ちるところまで落ちたのだか。もちろん、くさい言い方をして『恋に』落ちたのだ。
「ハウル……年上巨乳好きだったのですか? そんなマニアックなところだけはあの方に似て欲しくないと常々思っていたのに……」
 ヴェノムは無表情に目頭を押さえる。相変わらず演技というものが出来ない女だ。いつでも泣けることが自慢のラァスに比べればマシだが。
「お前まで人をからかうのに参加するのかよ、この妖怪ババア」
 台詞を言いきった辺りで、ヴェノムの蹴りを受けてはハウルは苦痛に押し黙る。
「ああ、弟子にそんな目で見られていたなんてっ!
 ヴェノムちゃん、愛しいあんたをおばあ様と呼ぶ日が来ようとは」
「師匠までかよっ」
「そっちの美少年の方が好みだがね仕方ない。お前で妥協してやる」
「するなよあんたも。なんでいきなりそんな馬鹿な話しになるんだよ」
 ハウルはふて腐れてふいと顔を背けた。
 この手の話題は苦手だ。冗談でも苦手だ。他人のことなら平気だが、自分が関わってくるとどうにもこうにも全身が火照る。
 その時だ。
 遠くはない場所から、ピーと笛の音があがる。
「何事!?」
 警鐘のような意味合いなのか、緊張が走る。
 ハウルはしめたとばかりに走り出した。
 もちろん、将軍、神官達含め、皆部屋を出てそちらの方へと向かう。やがて慌てふためいた神官がこちらを見つけ、声を荒立てて報告する。
「大変です! 宝物が賊に盗まれました」
「……そう。護衛は何をしていたの?」
「それが……」
 女将軍は舌打ちして再び走り出す。
 ──面白そうだな。
 厳重な守りを突破し宝物を盗んだ盗賊。
 ラァスのように色香か、カロンのように怪しい技術か。そうでないのなら、どうやったのだろう。
「ハウル、とっちめなくちゃ。僕らを差し置いて宝石盗むなんてっ」
「まったくだな、ラァス君」
「お前ら……誰も石だなんて言ってねぇだろ」
 宝石好きの犯罪者二人は、意気投合して将軍を追う。
 喧騒が聞こえてきた。どうやら一方的にやられているらしい。もちろん、護衛や神官が。
 ハウルは将軍を追い抜かした。ラァスとカロンもそれに続く。ラァスは素で足が速いし、カロンには小手先の技がある。ハウルは走るどころか飛んでいる。
 やがて、縁側に面した廊下へと出た。そこでは木造建築独特の歴史と趣に似合わぬ、愚かな喧騒が巻き起こっていた。
 その中心にいるのは……。
「げっ、あの変態コンビ!」
 舞う金髪は、紛うことなくあの女の髪。一人突き出たあの顔は、間違いなくただの助平。
「あ……ああっ、始祖の保護者!」
 目立つ一行は、もちろん相手にも見つけられた。
 ハウルは迷わず呪文を唱えた。
 今日は扱いなれぬ神の力ではなく、扱いなれた魔術によって対抗できる。
 以前よりはマシだろう。力とは大きければいいモノではない。大きすぎては、守るべきものこそ傷つけてしまうから。

back  menu  next