25話  大地の国

 

 爽やかな春の日の午後。
 ハウルは自分の部屋へと向かっていると、奇妙な鼻歌が聞こえてきた。
 性別不明な高いとも低くともいえない声。女であれば低いと言えるだろう。男であれば高いと言えるであろう。しかしこの声はどちらとも付かない。
 そんな声で歌とも鼻歌とも取れない音を奏でている。
 普段は決してオンチではない。むしろそのまま舞台に立たせても違和感のないようなほどには歌は上手いはずだった。しかし浮かれたそれはわずから調子が外れており、ハウルの足を止めるには十分であった。
「ん〜ふんふんる〜るる〜ん〜」
 おかしい。変だ。絶対に何かある。
 何せこの音を発している主は、男のくせに美に対する執着心ときたら、貴婦人達に勝るとも劣らないものである。そんな彼が、美しくない事をするときは何らかの理由がある。
 ハウルは近付き、そっとドアノブを回す。きぃとすらいわずにその扉は開き、そっと中を覗く。
 床に座り、水を張ったたらい桶の中に手を入れていた。手にするのは小さなブラシ。あわ立つその桶の中には、なにが入っているのかまでは分からない。
「…………おーい」
「ん? いつの間にいたの?」
 ラァスはきょとんとして首を傾げる。あのラァスが、ドアが開いたことすら気付かずに熱中していたのだ。
「……宝石、洗ってるのか?」
「そうだよ。それ以外の何に見える?」
「いや、変な鼻歌聞こえたからさあ」
「んふふふふ。実は、宝石をクリーニングしてるんだぁ。
 時々ちょっとずつしてるけどさ、今日はできるだけやろうと思ってるんだ。たまにはこうするのも悪くないでしょ?」
 ラァスの笑顔は輝いていた。最近伸びてきた髪を二つにくくっているものだから、いつも以上に女の子のような姿であった。こうやって男どもを騙すのだろうなと思いながら、ハウルはドアを閉めようとした。しかし、近付いてくる気配を感じそれをやめた。
「おや、ハウル君。ラァス君の部屋で何を?」
 いつの間にか住み着いていた、子連れ賢者のカロンである。
「別に」
 今出て行こうとしていた所なので、間違いではない。
 カロンはラァスを見るとでれっと笑った。
「宝石の手入れか。それは私がプレゼントした?」
「そう」
 泡の中から取り出したそれを見せた。きらきら輝くそれは、確かにあの大きなダイアモンド。
「……宝石って、そんなごしごし洗うもんなのか?」
「物によるよ。ダイアやルビーみたいな硬くて丈夫なものなら何の問題もないよ。一番厄介なのはエメラルドかな。こればかりは自分でやるのは勇気いるんだ。やっぱりちゃんとしたクリーニングしようと思ったら、職人に任せることが一番だよね。
 それ以外はだいたい自分でやるよ。
 この子も、今度パトロンに会いに行くときは身につけてくんだぁ。
 とある王家の方が下さったのって言うと、躍起になっていいモノくれるから」
 カロンはうんうんと頷いた。そういう使用方法も彼の中では許容範囲のようだ。
 ──しっかし、よくまあ身体も使わずにそこまで荒稼ぎするもんだな……。
 彼の女装姿は、確かに男なら命をかけても悔いはないと思わせるほどのものである。それにしても、それにしてもだ。どこぞの王侯貴族のお嬢様という身分もないのに、美貌と言葉だけでそこまでできるものなのだろうか?
「ところでラァス君。もしもそれ以上の宝石を手に入れる機会があるとしたら、どうする?」
「全面的に協力するぅ♪」
 ラァスは金の瞳を宝石のように輝かせてカロンを悩殺した。
 背中にへばりついたラフィニアが、おうと唸りラァスの部屋に飛び込む。目当ては彼のヌイグルミコレクション。その中でも一番大きなクマ。ベッドの上なので、カロンも安心して彼女のしたいままにさせた。
「……可愛いなぁ」
「ああ。少しお転婆なところがまた可愛いな」
 ラァスはその愛らしい様子を眺めた後、綺麗な水で宝石を洗い流し布で拭いた。
 宝石を綺麗に片付けた後、金庫の中に収めロックする。
「さて、話を聞こうか」
 今度はどのような犯罪行為を行うか。それによっては阻止しなければならない立場として、ハウルも部屋にとどまった。
 カロンはベッドに──ラフィニアの傍らに座った。彼女がベッドから落ちないように。
「ラァス君はクロフィアの『地神祭り』は知っているかい?」
「うん。大きな祭りらしいね。まんま地神様に感謝して行う祭りなんだっけ?」
 ハウルは地神を思い出して、知っている者が祭られるという不思議に渋面になる。
「あの祭りの発端を知っているかい?」
「知らない」
「地神様が退屈で仕方ないから、年に一度お祭り騒ぎをしようと作ったらしい」
 ハウルはおちゃめな伯父の浅はかな行為に、少しだけ呆れた。
「地神様をおつまりする祭りになったのは、しばらくたってのことだ」
「そーなんだぁ。地精って、お祭り騒ぎとか好きっぽいもんねぇ。その王様ともなると、やっぱり好きなんだね」
「で、その祭りの中でも、五年に一度開催される武術大会は知っているか?」
「ああ、聞いたことある」
 ラァスは小さく首を左右に揺らしながら答えた。ハウルは初耳であった。
「その武術大会の賞品は、どんなものか知っているかい?」
「知らない」
「地神様の言葉を引用するなら『この宝物庫の中から適当に一つ持っていっていいよ』ということらしい。正式な文はまた別だが、ある一つの宝物庫の中からなら、何でも一つ選んでいいらしい」
 ラァスは大きな瞳をさらに大きく開いた。ぱちりとまばたきをして、また大きく開いた。
「え……と」
「地神様の守護するクロフィアは、良質の宝石が産出される国として有名だ。つまり、その王室となれば宝石の山。その中の宝物庫の一つともなれば、そのダイアモンドレベルの宝石などごろごろということだ」
「ええっ!?」
 ラァスはばっと金庫を振り返る。ハウルはふと実家を思い出す。
「そういやうちにもごろごろしてたな。クリス伯父さんは王室に寄生しているから、宝物庫も神器混じってるんだろうな。まあ、あいつらが気まぐれで作ったもんも神器扱いされるから、ピンからキリまであるけど」
「えええっ!?」
 ラァスは壁に立てかけた斧を見た。
「僕、それ出る!」
「それはよかった。そう思って、書類は準備している。あとは郵便屋に頼んで地神様配下の『地の祭り実行委員会』に届けてもらえばいいだけだ」
「……は……『配下』?」
「主に地精たちだ」
 精霊が祭りの実行委員会などに所属している国。
 ハウルは父以上に人間じみた伯父を思い、ほんの少し頭が痛くなる。
 神様らしいよい人柄なのだが、退屈が嫌いなのとその実行力は父をも上回るという噂の真実を知り、幼い頃の記憶を訂正することにした。
「でも、普通の人には本当に価値のあるものなんて分からないんじゃない? 未知の魔具は専門家でも見極めが難しいんでしょ?」
「だから、目の利く者を同行させた者が、本当に価値のある物を持ち帰るのだよ。
 私は君についていけば、それらを手に取って見る権利を得る。君は宝石を得る。素晴らしいことではないかね」
 ラァスはうんと頷いた。
「ついでに城の中や宝物庫までの構造を見られるラッキーとか思ってないかお前」
 ハウルは『怪盗』である男に言う。
「私はそれほど愚かでも無謀でもない。地神様のいる敷地内で盗みを働くなど……。
 君の父上と違って、洒落や賄賂や女性で誤魔化せる相手ではないだろう」
「…………お前、俺の親父を賄賂で誤魔化す気か?」
「食通を黙らせるのは簡単だ。私のいきつけの美味しい店をいくつか教えればいい。食通は仲間が多ければ多いほどいいのだから、殺されはしないだろう。利用価値を見出した者を、殺すような方ではない」
「…………完敗だ」
 ハウルは自分以上に父を上手く扱えるだろうこの男に白旗を振った。白旗はいつもなんとなく持ち歩いている。
 しっかりと見抜かれている父も父である。
「よぉし! 僕、がんばる!」
 ラァスはぐっと握りこぶしを作った。
「どんな手段を使ってもね」
 ラァスの決意に、ハウルは行き先が不安で不安でたまらなくなった。


「大きな闘技場だね」
 アミュは盛り上がる闘技場内を見てほうとため息をついた。
「この闘技場が出来たのは三百年前らしい」
「………もうそんなに時がたちましたか……。
 私は新築の時、クリス様にご招待頂きました。懐かしいもので…………」
 ヴェノムの何気ない呟きに一同凍りつく。彼女は自分の失言に気付き、唇を押さえた。穴のない仮面をつけた彼女の意識がどこにあるかはわからない。
 結局、誰も何もなかったようにぎこちない笑顔を浮かべた。ハウルですら、何も言わない。カロンは場を明るくするために、再び解説を始めた。
「こ……この試合には武器の使用が認められているだろう。素手では体格のいい者が有利だからと、地神様がお決めになられたことだ。ただし、刃物は死人が出るので潰してある。様々な一撃必殺にならない武器が準備してあるから、好きに選んでいいのだよ。ルールの基本は相手をダウンさせるか、ギブアップさせる。また、審判員が試合中に勝敗を決めることもある。普通の武器を使用していれば、明らかに戦闘不能になっていただろう場合だ。あとは殺害、目潰し、魔法の禁止が主なものだな」
 彼女はじっと闘技場の中心を見つめた。そこに立つのはラァス。
「ラァス君が持っているのは……鞭?」
「鞭だよ」
 アミュは彼がいつもは使わない武器を使用することに首をかしげていた。確かに力自慢の彼にしては面白い選択である。
「どうして鞭なんだろう」
 アミュはあの紐にしか見えない凶悪な武器の恐ろしさを知らずに言う。鞭を扱うことも得意なメディアはくすりと笑った。
「武器として使う鞭っていうのは、皮膚も肉も切り裂くのよ。あれにはついていないけど、棘がついているようなものなら激痛と共に肉をえぐるわ。
 技術さえあれば、リーチもあるし大男でものたうちまわることになるわよ」
 メディアの愛用するのは棒(杖)と鞭である。その二つに関しての技術はかなりのものだ。
「確かに、あの格好で立ち回るならあれが一番でしょうね。おもしろいわ」
 あの格好。
 ラァスは現在、会場のほぼ全員が驚くほどの姿をしていた。
 黄金色の肩まである髪は、可愛らしく一部を三つ編みに結って、白い花を飾っている。彼の少年として華奢な身体は、フリルの付いた白いドレスを身にまとう。
 靴は白のパンプス。手袋も当然白。瞳は緑。顔はナチュラルに見せかけた顔の印象改造特殊メイク。
 どう見ても少女にしか見えないそれが、鞭を持って怯えた様子で闘技場の中心に立っていた。
 対するのはカロンよりも上背があり、カロンなど比べ物にならないほど体格のいい男だった。
 美女と野獣。
 ラァスは調子に乗って怯えて見せると、会場から男に対して『虐めるなよ』やら『嬢ちゃんここは舞台じゃねぇぞ』、その他卑猥な言葉まで投げられていた。
 少なくとも、大半は彼の味方だった。もちろん表向きは。
「ところでヴェノム、ラァスにいくら賭けた?」
 ヴェノムはぴっと指を一本立てた。その桁はカロンですら判断しかねたが、おそらくカロンでもなかなか手を出せない大金なのだろう。
「……そっか。そうだよな。始めが一番大穴になるんだよな。俺ももう少し賭けときゃよかった」
「今夜は美味しい物を食べましょう。ラァスに感謝をしなさい」
「だな」
 祖母と孫はラァスの勝利を確信して試合開始を待った。
「でも、どうしてラァス君は女のこの格好で出場しているの?」
「侮られるためだ。勝つにしてもぎりぎりのところで勝ったような振りをして、次の挑戦者達を騙す。
 さすがはプロの詐欺師だ」
「……ラァス君はプロなの?」
 アミュはこくりと首をかしげた。彼女の純粋さは、ラァスとは正反対である。
「彼が荒稼ぎしている金額を考えればな」
 そうこう話しているうちに、試合は開始された。
 男はラァスを侮り、持っている木の棍棒を構えもせずに、手をすり合わせていた。ラァスは怯えて後ずさる。
 彼が狙うのは、おそらくリングアウトだろう。
 男の唇が動く。人々の声にかき消されてその内容は聞こえないが、唇の動きはカロン自慢の特製オペラグラスのおかげではっきりと見ることが出来た。
「今のうちなら許してやるから、とっととギブアップした方がいいぜ……かな」
 ある程度の読唇術を身につけている彼は、推理しながらもそれを口にした。
「『おじさんこわ〜い』『誰がおじさんだ!』『ふえ〜ん。コワイおじさんがクマみたいな顔して怒った〜』『クマ!?』」
 二人の言葉を口にすると、カロンはこれで挑発されてしまう男に呆れた。
 男は短気を起こしてラァスを捕まえようと突進した。それでも棍棒は使う気はないらしく、ただ捕らえるために突進し、ラァスはギリギリまで後ろに下がる。突進してきたところをひょいと屈み込み、男の転倒リングアウトを狙った。もちろん、その程度でリングアウトするほど相手も間抜けではない。寸のところで彼は確かに止まった。しかし、そこからがラァスの本領発揮である。
 片手であっさりと、バランスを保てていない男を投げた。足を掴み、自分を飛び越すようにほいと投げる。それをまるで自分の身をかばうかのような自然な手の置き方で行った。
 ラァスの握力と腕力を知らなければ、勢いを止められずにリングアウトしたかに見えただろう。
「……セコっ」
「それでいいのですよ」
 今日の試合はまだ二試合ある。
 この試合は本戦のための二次予選であり、参加者は応募されたものよりもかなり減っているとはいえ、それでもある程度の人数がいる。予選は他の場所でも行われており、このメインの闘技場に当たってしまったとき、ラァスはちっと舌打ちしたものだ。ちなみに最終予選以外は、実戦ではなく技術試験など、基本的な肉体能力についてを審査されたらしい。ラァスは鞭の腕前と、その素早さを認められたようだ。基本的には、自分の実力を勘違いした者達がそこで落とされる。死人が出ないように。
 彼はきょとんとした風に男を見て、やがて無邪気に喜んだ。
「さあ、次をかけてきましょう」
「おう」
 言って、ヴェノムとハウルは完全個室の一等席を後にした。


 その後、めでたく勝ち残ったラァスは上機嫌でスキップをしていた。フリルがふんだんに使われたドレスのすそが、ふわふわと持ち上がり周囲の男達の視線を釘付けにする。
 これぐらいでちょうどいい。
 運で勝ち残った場違いな馬鹿女でちょうどいい。
 いつ何時本物の実力者に出会うかもしれないのだ。予選はあと一日。本選は一日で終わる。本選の場合は例え怪我をしても、最高の魔法医がついているので、連戦でも問題なく盛り上がる。
「どこに行く?」
 ラァスは振り返り皆に問う。
「そうですね」
 ハウルにエスコートされるヴェノムは、記憶を掘り出し美味しい店を探しているようだ。最低三百年は生きているらしいので、記憶があいまいなのも無理はない。この情報の元はもちろんハウルである。
 現在地は闘技場の一等席そばにあるカフェの横。ここには時折貴賓室の貴族達も現れおしゃべりを楽しんでいる。
 そんな彼らはラァスを見て囁く。
「まあ、見て。あの子よ。あんなお嬢さんが勝ち残ったなんてね……」
「明日はそうはいかないわね。可哀想に」
 そう、これでいい。
 と、その時だった。
 ラァスの視界に、知っている姿が飛び込んだ。
「ああぁ! ネフィル!?」
 ラァスは指差して叫んだ。
 以前、妹を助けるために嘆きの浜までやってきた、カロンの知り合いの少年だ。
「え…………あ、カロンさん」
 ネフィルはカロンとその他大勢を見て目を見開いた。
「あ……その声……まさか、ラァスさん?」
「そう。久しぶりぃ」
 ラァスは彼に駆け寄り抱きしめて──それからその影に隠れるように立っていた少女と目が合った。
 言葉も忘れ、ラァスは彼女を見つめた。
 なんと儚げなだろうと思った。触れれば夢幻であったかのように消えてしまいそうだった。
 それから、彼女の美しさに気付く。白い肌、銀の髪、銀の睫毛、赤い唇、紫の瞳。
 人とは思えぬ雰囲気を持つ、人とは思えぬほど美しい少女。
 どれぐらい人間離れしているかと言うと、逆の意味でヴェノム並みであった。
 場所がここでなければ、おそらく妖精か精霊か幽鬼と勘違いしていただろう。
「ラァスさん!? なぜそんな姿で!?」
「ひ・み・つ」
 ラァスはネフィルの肩を少し力を入れて握った。彼はひくりと顔を引きつらせ、うんうんと頷く。
「久しぶりだな、ネフィル君。妹君もすっかりよくなられたようだね」
 カロンは少女の前に膝をつき、その手の甲にキスをした。
「姫君は私を覚えてないかもしれませんが、ずっと心にかけていました」
 ラァスは浮いた台詞を吐くカロンを睨んだ。どう見ても口説いているようにしか見えない。相手はどう見てもラァスよりも歳下の少女であるにも関わらずだ。
「覚えておる。妾の意識はそこまで曖昧ではない」
 カロンは、ほんの少しだけ表情を変えた。
「ところで兄様、その抱きついている女子は何者じゃ?」
「君を治す薬を得るときに協力してくれた方々だよ」
「…………で、その女子は何者じゃ?」
「………………この人は、男性」
 小さく、そして現実から目を逸らすようにして呟いた。
「ちっ」
 サメラと呼ばれた少女はあからさまに不機嫌になり舌打ちした。
「え? なにがちっ、なの?」
「サメラは強い女性が欲しくてここに来たんだ」
 確かに護衛にするなら女性の方が望ましいだろう。武術大会でそれなりの成績を残す女性なら、かなりのハクがつく。
「まあよい。それよりもぜひ礼がしかたい。ついてまいれ」
 サメラはそれを決定事項とし歩いていってしまう。ネフィルは苦笑しながら黙って手を合わせ、彼女の隣へと小走りする。
「…………ちょっとカロン。想像と違うんだけど?」
「安心してくれ。私も違った。見たのは病で伏して半死半生の状態だったからな。
 しかし……ネフィル君とはずいぶんと雰囲気が違うな」
 ネフィルの方はお坊ちゃまという雰囲気だが、サメラは姫君でしかありえなかった。
「可愛らしいお嬢さんではありませんか。行きましょう」
 子供好きのヴェノムにとっては、あの生意気な態度も可愛いと思う要因でしかないようだった。
 仕方なくラァスは二人の後に続く。
「そういえば、二人とも護衛とかは?」
 二人は本当に二人だけだった。少なくとも彼らの家は護衛の数人を連れ歩いて当然の資産を持っているだろう。
「今は馬車の手配をしているところです」
「ダメだよ。世の中怖い人いっぱいいるし。彼女みたいな可愛い女の子を連れてるんならなおさらね」
「そうですね。これからは気をつけます」
 ネフィルは微笑む。妹の手を取り、自らエスコートしているのが嬉しいのかもしれない。
 闘技場を出るとそこには馬車が待ち受けていた。騎士と女性。
 ラァスは女の方をまじまじと見た。
 背の高い女性だった。隣の騎士よりも背が高い。深みのあるワインレッドのドレス。ただその造りは大変珍しく、体型を隠すのに適していると思われた。喉元が隠され、手が大きい。
 美人だが、メイクは濃い。アイラインがはっきりと描かれていて、妖艶という雰囲気をかもし出している。が、違和感を感じる。
「若様。そちらの方々は?」
「サメラの薬をくれた方々だ。今夜のパーティに是非ご招待しようと思う」
「まあ。それはそれは」
 彼女はこちらに微笑んだ。美人だ。確かに美人だ。
「…………ネフィル君」
「はい?」
「ひっょとして、さっきのって、その人が原因?」
 ラァスは目でその女性を示した。
「え?」
「だってこの人、男の人でしょ?」
 ラァスの言葉に、その女装した男の顔が引きつった。
「ど……どうして分かったんですか!?」
「女の人と男の人の差なんて見れば分かるよ。あれはどうみても大柄な女性じゃなくて、ほっそりとした男性。手もごついしね。喉元を隠しているから、それで確信」
 ハウル達がおおと言って拍手する。
 しかしメディアは女装男ではなく、その隣に立つ男性を見つめていた。
 ──えと……え?
「変な人たちね。女装男と男装女なんて」
 けっして人のことは言えない母と将来の父候補を持つ彼女の口から出た言葉とは思えないが、彼女が言うからこそ疑いはしなかった。
「わぁ、かっこいい女の人!」
 ラァスよりも短い黒髪と、生真面目を絵に描いたような凛々しいが優しい顔立ちは、どこかメディアの母、アルスを思い起こす。
 自分自身よりも背の高い女騎士を見上げているラァスを見て女装男は言った。
「姫様。この子、ふざけた格好でふざけた試合をした少年じゃないですか」
 ──しょ……バレてる!?
 ラァスは驚きのあまり自分自身を見下ろした。
 体格でバレるようなミスはない。元々のど仏もほとんど出ていないから、それによってバレたという可能性もない。声も変声期というものは迎えたようなのだが、あまり声は低くならなかった。頑張ればアミュのように高くて可愛らしい声でしゃべることも可能だ。
「なんでこの素顔でも女に見えるこいつが男だとわかったんだ!?」
「なんてこと!? 私でも見抜けなかったこの男の正体を見破るなんて!」
 突然ハウルとメディアが揃って騒ぎだした。ラァスはひどく失礼な騒ぎ方ではないかと感じた。ラァスの女装は完璧だ。しかし、ノーメイクで女の子にしか見えないというのは、いくら何でも失礼である。
「見ればわかります。まあ、元がとても可愛らしいから、普通の方にはわからないでしょうが」
 彼は口元を押さえて笑う。
 なぜだか、無性に腹が立った。
「申し遅れました。私、ファーリアと申します。前回の武術大会の優勝者です。
 試合参戦は本戦からとなりますが、ひょっとしたらあなたとの対戦もあるかもしれませんね」
 たおやかに言う彼は、確かに強者の気配を持っていた。
 ──こいつだけには負けない。
 ラァスは笑顔で対峙しながら、そう心に誓った。

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