25話  大地の国

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 ラァスは順調に勝ち進んでいた。ラァスの怪力を持ってすれば、少女と侮っている相手に勝つのは当たり前のことなのだが、そろそろ皆ラァスの実力に気づいてきた。
 次に勝てば本戦への勝ち抜きが決定するのだから、当然といえば当然だろう。
 前の試合は相手選手の方がオッズが高かった。
「次の相手は強いのか?」
 次の試合、圧倒的に相手選手の方に人気が集中していた。
 今までは勝ってこられたが、彼には勝てないだろうという声も聞いた。もちろん、相変わらずハウルはラァスに賭けている。
 最悪、彼には無敵の腕力と鉄壁の魔法防御がある。ラァスは最近、何もしなくても常に魔力で身体が守られる状態となっていた。ヴェノムが言うには、普通は達人の域に達しなければ無理なのだが、彼の場合持っている素質のおかげで未熟な身でもそれを無意識下で行えるようになっている、ということらしい。
 それは一つの技なので、今回の大会のルールには反していない。
 同じ理由でホクトのように摩訶不思議な力で空を飛ぶのも反則ではない。魔法とは仕組みが違うからだ。
「次の相手は強いですよ。何せ、今の軟弱な騎士団の中では珍しい、本当の実力者ですもの」
 サメラの髪をとくファーリアは、くすりと笑って言う。現在、誘われてしまったのでサメラ達と共に観戦している。日傘を差す必要がないからという理由で大金を払って個室で観戦しているが、人の部屋に乗り込めば狭くはなるが費用節約になる。
 しかし、彼はまだラァスの実力を分かっていない。分かれという方が間違いだろう。今の彼は聖眼であることを隠している。これは戦闘に優位になることのない魔法なので、禁止ではない。
 つまり怪力を隠しているということなのだが、怪力を隠せれば十分すぎるほど優位になれるものだ。
「でも、今時珍しくってことは、ほとんどは無能ってことなのかしら? まあ、比較的平和ですものね、この国は」
 メディアはラァスを見下ろして言う。
「そんなことはありません。最近は……」
 言いかけたリオのその頭に解き放たれたラフィニアがちょこんとへばりつく。リオがじっとしていると、つまらなくなったのかメディアの頭へと移動した。メディアが頭上に手を伸ばすと、彼女は再び飛び上がり、ネフィルの頭にちょこんと乗った。ネフィルが戸惑いながら手を伸ばすと、また他の頭に止まる。やがてカロンの腕の中へとたどり着くと、疲れたのかあくびをしてうとうととし始めた。
「ラフィ、また変な遊びを……」
「可愛くていいではありませんか」
 ヴェノムは暇にかまけて爪をといでいた。彼女は爪は伸びたらといで彼女の好みの形を保っている。
 一番肝心のアミュは、先ほどからうとうととし始めていた。日が差し込んでいないとはいえ、室内は快適で、座っている椅子もベッドにしてもいいような適度な座り心地である。
 唯一真面目に見ているのがサメラの護衛であるリオ一人という状況だ。
 ──ある意味可哀想な奴。
 信用されていると言うことなのだが、アミュが寝そうだと知ったら、彼はショックで隙を作って負けるかも知れない。
 ──まあ、がんばれラァス。
 これで大もうけした分で、最新式の農具と釣り具を買い、残りは思う存分貯金するのだ。そのためにも彼には負けてもらっては困る。財産はあればあるほどいいというのは誰がなんと言おうと事実である。それで問題になるのは、人間の醜さ故であり、そういう人間とは必要以上の関係を持たなければいいだけだ。
 そういう人間の代表がラァスなのだが、彼の場合友人にはたからないので問題はない。
 こうして何より、もうけさせてもらっている。


 目の前の少年は、ラァスを見て困り果てた様子であった。
「ギブアップするつもりはありませんか? ぼくは女性に手をあげたくありませんが、手加減が苦手です」
「心配ご無用ですわ、騎士様。わたくしは手加減するのには慣れておりますの」
 これは本当だ。手加減できなければラァスはアミュに触れることすらできなくなる。力の加減は、彼にとって最も得意とするところだ。プリンをそっと容器から出すのも得意だが、岩石を割るのも得意である。ちなみにラァスは生クリームの入ったなめらかなプリンが好物の一つである。
 ラァスはできるだけ愛らしい声で笑うと、目の前の少年騎士は小さくため息をついた。
 その時に試合開始の合図があがる。
 しぶしぶと少年──ノエルは動く。ハウルとは違う構えだが、ハウルと少し似た動きをする。
 ──そういやハウルって、誰に剣習ったんだろう。どこの流派なんだろう。
 ヴェノムは違うだろう。ウェイゼルは問題外。ではハウルと親しかった精霊が、実は変わり者で人間の武器を使う趣味を持っている──という可能性は低いだろう。
 ──今度聞いてみよ。
 今は目の前の事に集中すべきだ。ラァスは鞭を使いノエルの手元を狙う。しかしそれは彼の剣によって防がれた。しかも、鞭は勢い余って剣にからみついてしまった。
 ノエルはしてやったりという表情を浮かべ、剣に絡まった鞭を手に持ち、ぐいっと引いた。
 普通の少女であればあっさりと鞭をうばわれてしまうところだか、ラァスは身動きせずにただ鞭を持っている。
 ぴんと緊張する鞭は、まるで少年の心を表すようにぷるぷると小刻みに震えていた。
 また鞭を奪い取ろうと、剣を持った手も使い鞭を引く。しかしラァスにとってはなんということのない力だ。
 やがて飽きてきたラァスは、くいっと鞭を引っ張った。わずかな力であったが、それは決して大柄とは言えない少年であるノエルには、大きな力だっただろう。ノエルはさらに渾身の力を込めて引っ張る。
 相手はおそらく年上なのだが、つい可愛いと思ってしまった。
 真剣な顔つきは、ラァスの中に眠る嗜虐心をそそる。
「……ぐっ」
 ノエルは歯を食いしばって、本来の目的を忘れて綱引きをする。
「あのね」
 ラァスの声を聞き、ノエルの気がゆるんだ瞬間、ラァスは鞭を手放した。

 がっ

 後方に全身で倒れる音に混じり、やけに鈍い音がした。
 ──うわ……今受け身すら取らなかった気が……
 しばらく待つが、相手は動かない。
 ラァスと審判がそろそろと近寄ると、少年は後頭部から血を流して気を失っていることに気がついた。
 本当に受け身をとっていない。よほど力で負けたことが悔しくて必死になっていたのだろうか。それとも受け身の取り方も知らないのだろうか。何があっても頭だけは守るようにしているラァスにとって、この少年の鈍さには呆れるばかりであった。
「あわわわ、やばくない?」
「救護班!」
 ラァスは傍らに座り込み、生存を確認する。生きている。
 その間、救護班が担架を運んできたりと試合会場はわずかなパニックとなっていた。中肉中背の少年であるからか、他の大男達よりもよほど重体に見えるのだろう。
 救護班がノエルを担架に乗せようとするのを見て、ラァスは慌てて止める。
「待って。頭打ってるから下手に動かす前に、ここで少しは治療した方がいいんじゃないの?」
「しかし……」
 次の試合が控えており、時間をかけたくないと言うことだろうか。
「それはそうだね。じゃあさ、ちゃっちゃっと君がやっちゃえば?」
 それは子供の声だった。
 ラァスは場にふさわしくない子供の声に戸惑いその姿を探す。いつの間にかラァスの左手に十歳ほどの子供がいた。金髪に金の瞳。可愛らしい顔をした男か女かも分からない子供。
「なんだお前は。子供が入って来ちゃいかん!」
 救護班の一人が少年をつまみ出そうとしたのを、年長の者が慌てた様子でそれを止める。
「この方はいいんだ」
 ラァスの中には奇妙な既視感があった。どこがで感じた事のある気がするような雰囲気。
「ロウムさん。この方の言うとおりに」
「え、でも……」
 戸惑いながらも、ラァスはその金の子供の言葉に逆らう気にはなれず、あきらめて治療をした。公衆の前で魔法を使うのは今後のためにも控えたかったが、どうしても逆らえなかった。精霊達が見張る中、魔術を使うなどと言うイカサマをできるわけもなく、それを疑われる心配はないのだが、やはりできれば避けたいことであった。
「慈悲深き微笑みたたえる者よ」
 呪式を組み立て、呪文を唱える。いつもと変わらぬ事をしているにもかかわらず、魔力は自覚できるほど全身に満ちあふれ、心地よいほどよく流れがよい。全身の魔力のは血液のように循環している。その流れがよいと、魔法はより威力を増すのだ。
 ラァスの中で芽生えた可能性は確信となり、緊張しながらも続けた。
「流血の神を退かせ、苦痛の獣を退かせ、死の獣がこの者を屠ることのなきよう、微笑みを安らぎを」
 いつ口にしてもおかしな呪文だとは思うが、背後でにこにこしている子供の姿を思い浮かべると、納得してしまった。
 ノエルの傷は一瞬で癒え、ラァスはそれを確認すると立ち上がる。
「わぁ、すごい!」
 子供が無邪気にはしゃいでラァスへと触れてくる。
「あなたが側にいらしたからです。地神様」
 それは確認ではなく、確信しての言葉。顔立ちもどこかあの一族と似ている。もちろんあれらよりもよほどかわいげのある顔をしている。
「あ、ばれた?」
「風神様には時々お会いするので」
 それを聞き、彼はラァスの手を引っ張った。
「おいで」
「え……どちらへ?」
「いいからおいで」
 ラァスは逆らうわけにもいかず、大人しく手を引かれるままに歩く。
 驚愕する救護班の視線が痛いほど背中に突き刺さるが、この手のことには慣れている。神様に手を引かれるのは初めてだが、のぞきを一緒にさせられたことを思うと、こちらの方がずいぶんと常識的である。
 参加者用のゲートを通り、徐々に人目のない場所に入り込んでくる。観戦者向けの場所ではない。立ち入り禁止の運営側のための場所。
「あの、地神様?」
「クリスでいいよ」
「しかし」
「いいからいいから。その地神様って言うのは、見ず知らずの人が僕を呼ぶための者であって、今こうして一緒にいる君が呼ぶためのものじゃないよ」
「でも……」
 いくら何でも初対面で愛称はないだろう。
「気にしない気にしない。本名は人間にはなかなか発音できないみたいだし、だから表記もころころと変わるから、僕のことを知っている人はみんなみんなクリスって呼んでるよ。僕は君のことを気に入ったから、親しげにクリスって呼んでね」
 ──ハウルの嘘つき。
 地神は普通の神だと言っていた。しかし、これはどう見ても少し変わった神様ではないだろうか。よほどアミュにつきまとう流血神の方が神様らしい存在だ。
 もちろん、ウェイゼルという特殊な例を考えると普通の域なのだが、あれは特殊過ぎるだろう。
「君のラァス=ロウムって偽名?」
「本名です」
「そう。面白いね、君。変装しているのに本名使うなんて」
 さすがは神様。見抜かれているらしい。
「どこにでもある名前ですから」
「そうだね。でも、面白いよ。うん、とっても面白い。それに一緒にいてとても気分がいいんだ」
 彼はにこにこと笑いながら、どんどん奥へと奥へと進んでいく。
 ──ああ、なんだか僕は今、神様に拉致られてるような気がするんだけど気のせい?
 危害を加えられるようなことはないだろうが、少なくともあのウェイゼルが兄と呼ぶ男だ。そして、キレたら最強、歴史に残る大地震は彼の仕業だ、というような神に手を引かれているラァスは、気が気でなかった。
 ──ハウルの言うように、本当にいい人でありますように。
 ラァスは願いつつも、表面上はただ神を相手にするから緊張しているという風を装って歩いた。
 皆は一体何をしているだろうか。


 アミュは眠たい目を何度もこすった。
 ラァスは勝った。相手が大けがをしてしまったが勝った。ラァスは優しいから彼を心配して近づき、変な男の子が出てきた。しばらくするとラァスの魔力が急に上がった。そして男の子はラァスを連れてどこかへ消えた。
 その男の子はハウルの話からすると、地神であるらしい。
「ラァス君、どうしたのかな?」
「気に入られたのではないでしょうか。ラァスはあの方の好みのタイプだと思います」
 ヴェノムはマニキュアを塗るのをやめて言う。
 好みのタイプ。
 ──神様でも騙せるのかな?
「聖眼だって気づかれたか」
 ハウルの言葉にアミュはああと納得した。変なことを考えた自分が少し恥ずかしい。
「そりゃあ、あれだけ地の気をまき散らしていれば気づくに決まってるでしょ。人間の私でさえ感じるぐらいなんだから、ある程度の精霊や神なら気づくわよ」
 メディアは再び頭に張り付いたラフィニアを頭上で捕獲したまま言った。
 その姿はなんだか可愛い。
「お姉さん。地神様って、どんな人なの?」
「そうですね。退屈をしのぐために他人を利用することでは、ウェイゼル様以上に手間をかける方です。例えばこの大会」
 楽しいことに情熱を注ぐ人。それはウェイゼルの兄だけあると思わせる要素だった。
「ラァス君はどこに行ったんだろう」
「大丈夫です。死にはしません」
 ヴェノムのあまりにも唐突な言葉にアミュは一瞬言葉を失った。
「…………じゃあ……怪我はするの?」
「それは分かりません。ただ言えるのは、返してもらえるかどうかは私にもわかりません」
 アミュは驚いてラァスの消えた場所を見た。
 ラァスを返してもらえない。
 考えると、胸が痛くなった。彼はいつも側にいて、優しくしてくれたりふざけたり、時々怒ってくれたりする。何かあればとても親身になってくれて、メディアとは少し違った意味で大切な友人。
 いなくなる可能性があると思うと、心臓に重りが吊されたように不快だった。
「案ずるでないぞアミュ。クリス様は鬼ではない。本人が嫌だと言えば返してくださる。だだをこねるじゃろうが、それに流されるラァスではなかろう」
 サメラは元気づけるように言う。彼女は地神の血が混じっていると言っていた。その彼女が言うのだから信じてもいいだろう。
「よかった」
 彼がいないと、きっとすごく寂しいから。
 もしも彼が地神と共にいることを望むなら別だが、そうでないのならば一緒にいたい。
 そんな一緒に。できればずっと一緒に。
「ラァス君、今何しているのかな?」
 ハウルがいい人だと言うから、ひどい目には遭っていないだろう。これがウェイゼルやガディスなら別だが、ハウルもヴェノムも落ち着いているから大丈夫だ。
 手厚くもてなされている可能性もある。
 戻ってきた時、どんなことをしたかを聞いたら、きっと楽しそうだ。


 連れられた先は、地下にある絢爛豪華な部屋だった。
 ──なんでこんな部屋が……。ってかなんで僕はここにいるの?
 しかも中にはスクリーンがあり、試合の様子がうつされている。
 その前に見知らぬ女三人の女性がいた。
 皆金髪碧眼の美しい女性達だ。美しいドレスを身につけ、美しい宝石で全身を飾っていた。顔立ちが似ているので、姉妹か親戚同士だろうか。
 ラァスは意外な人物達の出迎えに、正直ほっとした。
 一番年長に見える女性が立ち上がり、地神クリスへと椅子を差し出した。彼女だけはドレスではなく、神官服を身につけている。
 地神を迎えたと言うことは、彼の巫女なのだろう。
「ありがとう、レイア」
 彼女は微笑み、クリスの前にお茶を置く。
 年の頃は十代後半。輝くばかりに美しい女性だ。サメラが一見霞のような現実味のない天上の美しさなら、彼女は地にしっかりと足をつけて生きる活力に溢れた故に美しい女性である。それほどまでにしっかりとした気配の女性だ。そう、存在そのものに力強さを感じる。今までであった誰よりも。
 地神の側にふさわしい女性だ。
「きれーな人ですね」
「だろぉ。レイアっていって、可愛い僕の奥さんっ♪」
「お……」
 ラァスは絶句した。
 彼女が人妻に見えないのではない。この地神が妻帯者に見えないだけである。
 ──……そういや、地神様は奥さんとらぶらぶだって言ってたっけ。
「いやぁねぇ、美人だなんて。あんたの方がずっと美人じゃない!」
 神妻である彼女は、けらけらと笑った。
 上品という印象はない。むしろ、言葉のアクセントに下町の親しみすら感じるのは気のせいだろうか。
「本当にお綺麗な方。こんなお綺麗な方が男性だなんて……」
 レイアの側にいた少女が言う。こちらは装いも仕草も言葉の調子もレイアとは違い、ある程度は上品な雰囲気だ。
「触ってもよろしいかしら? それとも殿方に触れるなんてはしたないかしら?」
 もう一人の少女が恥ずかしそうに尋ねてきた。
「あの……このお姉さん達は?」
「僕の可愛い娘達。姉のユライシャと妹のマリエット。レイアに似てちょー美人でしょ?」
 ラァスは様々なことに違和感を覚えながらも、自らに言い聞かせる。
 逆らうなと。
「可愛い娘達。触ってもいいよ」
 父親は本人の承諾もなしに勝手に許可を与えた。ラァスは内心げんなりしつつ、しかし手に触れてくる少女達を見て諦めた。
「きゃあ、すべすべ。なんてきめの細かい肌!」
 ユライシャはラァスの手を取り透き通るような、それこそラァスよりも綺麗な手でもってしてなで回した。
「あら、よく見るとけっこうしっかりとしたメイクなのね。その口紅いい色ね。可愛いわ。どちらの製品?」
 マリエットには顔まで触れられ、ラァスは化粧品のメーカーや、その他次々と二人の口から発せられる質問に対して答えていく。
「ああ、そうそう。その幻術をといてくださらないかしら?」
「はい」
 ばれているのだから、ラァスは素直に瞳の色を元に戻す。
 地神含む四人は、人の顔をのぞき込んでじっと見つめてくる。
 ──なんなんだよこの親子は!
 心の中で叫びつつ、顔は営業スマイルを必死に保つ。
「見事なもんねぇ」
「お父様の目を見ているみたい」
「うらやましいわぁ」
 やはり顔をぺたぺたとなで回され、一年少し前の自分を思い出した。あのころはよく人に触れられた。触れた相手を殺していた。仲間内にも触れられたが、そういう奴らには容赦ない灸を据えた。しかし今自分をのぞき込む者達は、手を振り払うことすらできないやんごとなき相手である。
「そーいえば」
 レイアは一歩離れてラァスを見た。それから何を思ったのか、突然ラァスのスカートに手をかけ、めくり上げた。
「きゃああああ」
 口から出るのは女の子のような悲鳴。
 ハウルにもスカートをめくられたが(番外編 スカートの中は参照)、ここに来ても同じ事をされるとは。
「な、なにするんですかっ!」
「いや、確認を。でもわかんなかった。なんで女物の下着はいてんのよ」
「スカートがめくれてばれたら、この恥ずかしい恰好の意味がないじゃないですか」
「なんだ、恥ずかしいって思ってたんだ」
 レイアは相変わらずスカートの裾を持ったままで離してはくれない。
「お母様。この方、本当に男性なのかしら?」
「お父様の勘違いとか、そういう可能性はないのかしら」
 美しい姉妹は揃ってあり得ないことを母に問う。神である父を疑うとは、とんでもない娘達だ。理屈で言えば彼女たちも立派な神であるはずなのだが、それは別のものとして置いておく。
 レイアはラァスをひたと見つめた。その目を見れば、娘達の言葉に夫の観察眼への疑問を持ったことが明らかであった。
「僕は男ですよ。本当に」
 ここで言っておかないと、なぜかひどい目に遭う気がした。
「…………そうねぇ。でも、信じられないから、ちょっと確かめてみようか」
 信じてくれなかった。
「た……確かめる?」
 ラァスは切迫した身の危険を感じた。なぜか身の危険を感じた。
 じりじりと後退するが、スカートを掴まれていて逃げられない。かといって無理矢理払うのは失礼だ。それこそ不敬罪で処刑されても仕方がない。相手はこの国の神の妻である。王族よりもよほど敬われているだろう。しかも王族と違って替えもきかないから、王族などよりもよほど重要な人物である。
「ちょっと失礼」
「って、どうしてスカートの中に手を入れるんですか!?」
「いや、ちょっと見るだけ」
「み、見るって、人を剥く気満々ですか!?」
 レイアはうーんとうなり、それが自己完結して何事もなかったように迫ってくる。
「ちょ、まっ、助けっ」
 彼女の旦那へと助けを求める。自分の妻が他の男の服を脱がすなど、普通の男であればとんでもないことである。
「うちの奥さん一度言い出すと人の言うこと聞かないから。あ、怪我させないでね。かすり傷でも負ったら僕ちょっと怒るよ?」
 ダメだ。あの男は自分の妻に甘すぎる。しかもラァスはあまり男として認識されていない。さすがはウェイゼルの兄である。
 ハウルは嘘つきだ。優しくない上に普通ではない。
「これって、今までの中で一番はしたない行動じゃないですか! 彼にも僕は男なんですよ!?」
「気にしない気にしない。あたしはこの子達と違って市井の暮らしだから、はしたないことも平気なの」
 ラァスは今までにない危機感を覚えながら、相手に怪我をさせないように必死の抵抗を試みた。


 ふと、ハウルは何かを感じ取り顔を上げた。
「ラァスの声が聞こえたような」
「私には聞こえませんでしたが」
 ヴェノムは爪にマニキュアで絵を描きながら言う。器用なもので、感心しながらリオがその手をのぞき込んでいた。上達してサメラに施してやるつもりらしい。
「まあ、気のせいだよな。連れてったのは伯父さんだし」
「可愛いハウル。あの方の本性にまだ気づいていないのですね」
「本性?」
「…………ふぅ」
 ヴェノムは悟りきった顔でどこか遠くを見た。これは最後の試合なのだが、見てすらいない。賭けていないからだ見る必要もないのだ。
 アミュは再び心配になったらしく、不安げにヴェノムを見上げた。
「お姉さん、地神様となにかあったの?」
「あの方は、基本的にはいい方です。他人に多大な迷惑をかけませんし、気に入らないからと殺すこともありません。
 ただ、私が本気で死ぬと思った時は、あの方の遊びに付き合わされた時でした。そう、彼の遊びは命がけです」
 ヴェノムほどのある意味危険に満ちた女が言うほどだ。よほど命がけの遊びだったに違いない。
「…………ラァス君、本当に大丈夫かな?」
「ここであの子が死ぬような騒動が起こるはずもありません。それはないでしょう。ただ、心に傷を負わなければいいのですが」
 ラァスが死ぬとは思えないが、時々やけに不運な男だから、何かひどい目に遭っている可能性は高い。
「大丈夫でしょ。あの吸血鬼は屋敷だし、普通の幽霊じゃ無理矢理ラァスの視界にはいることも不可能よ。できても即浄化されるのがオチね。
 まったく、アミュも心配性ね」
 説得力のあるメディアの言葉に、アミュは微笑みを浮かべた。
 ──ラァス、よかったな。さりげにアミュに心配されてるぞ。
 ハウルは伯父に連れ去られたラァスを、楽観的な感情で思う。
 ここは平和──
 その時、唐突に個室のドアが開かれる。
「ヴェノム、いたっ!」
 自称ヴェノムの男が突然何の前振りもなく現れた。
 ハウルはなんとなくカップに添えてあったスプーンを、テリアの額に投げつけた。


 嗚咽する声が、その飾られた部屋に響いた。
「ひっ……ひっく」
 むせび泣くラァスは、自分の姿を見てよけいに惨めになった。
 脱がされた。
 胸元ははだけ、なんとかドレスを纏っている状況ではあるが、脱がされた。
 色々と脱がされた。
「ひ……ひどい……」
 涙をぬぐいながらクリスを睨むと、彼は困ったように首をかしげた。
 今までこんな目にあったことがないといえば嘘になる。しかし今までは抵抗できた。相手をどうにかすることができるからある程度の余裕はあった。相手が男であれば、例え神の子でも容赦なく殴っていただろう。
 自分を襲ったのが歳近く見える少女達であることが、ラァスにとっては大きなショックだった。恥ずかしいと言うよりも、恐ろしかった。裸を他人に見られるのには慣れているが、女の子にこのようにして襲われるのにはさすがに慣れているはずもない。ただ、脱がせるだけなど。
 ──うう……こんな屈辱初めて……。
 ラァスは泣きながらドレスを着直し、脱げた靴下"他"を身につける。自分を脱がせた女性達は、興味津々とラァスの胸の詰め物を見ていた。だから今のラァスの胸は扁平である。
「すごーい。柔らかい。布の上からだと本物みたいな感触になるんじゃないかしら?」
「とれはどちらに売ってるもの? 是非とも欲しいわ」
 ラァスは平然と尋ねてくる年上の少女達を見て、これ以上の抗議を諦めた。
「非売品です」
「どうして? こんなに素晴らしいものなのに」
「それを世間に流したら、僕は本当に生きていけません。殺されます。世間に流通させるにしても、まだ時間かかると思うんで。それこないだできたばかりのお試し品だから。
 だからお願いですから、それ返してください……」
 ラァスは涙を垂れ流しつつ懇願した。だいたいの人間はこれをすれば親切になる。
 元々の素材を作ったのは、実はカロンである。フォボスと再び交流を深めたカロンは、何か面白い素材はないかと問うた彼へとそれを提供したのだ。優れた衝撃吸収剤であり、手触りは女性の肌のように柔らかい。それを見て、優れた防具としての活用法を思いついたのだ。パットの形をさせているが、普通は軽くて多少の衝撃ならすべて吸収しつつ、防刃性にも優れた特殊スーツの形をとっている。
 それをこんな形に利用している理由はラァスにも分からない。本物のにも見える胸の形をしたものもあるのだが、ラァスにはサイズが合わなかったためパット型を利用している。何せ、そういうものの試作が本格的になったのは、東へと逃避行していた一ヶ月の間のことである。帰ってきてからカロンに連れていってもらったら、とんでもないことになっていたというわけだ。礼とばかりに、カロンは闇で流れている宝石がいくつかその懐に収められていた。
 そういうわけであるから、まさかこんなところのお嬢様に渡していいものではない。
「大丈夫よ。背後にはお父様がいるんだもの」
 確かに最強のバックである。
「だいたい知ってどうするんですか? 今の胸で十分じゃないですか。本物でしょう?」
 小さいわけでもなく、それだけあれば十分である。
「もう少し見栄を張りたいのが乙女心なのよ」
「ねぇ」
 姉妹は仲良く手を取り合った。
「僕はそのままでいいと思うけどなぁ。二人とも美人だから、素のままの方が好感度高いと思うけど? 作り物なんて、分かる人には分かるよ」
「そうかしら?」
「うん」
「そうなの? 残念ね」
 二人は手を取り合って慰め合う。
 ──女の人って、なんでそこまで胸を大きく見せたいんだろう。
 もちろん小さく見せたい師のような女性もいるが、それは別の話である。
「それないと帰れないから返してね」
 ラァスは二人の手からカップを取り戻すと、再びドレスを脱いで身につける。ドレスを着ている時は胸がないと落ち着かない。
「いやだ。可愛い事を言うじゃない」
 ラァスは胸の具合を確かめながら、人を剥いた女性達の気配を探る。もう捕まりはしない。
「お父様。私あの子のような弟がずっと欲しかったの」
「あら素敵ねユラ! お兄様のような方も素敵だけど、ああいう弟も素敵ね」
「お父様、ぜひあの子が欲しいわ」
「欲しい欲しい」
 ──嫌です。ってかなんてわがまま娘達!
 ラァスは心の中でつぶやき、足音と気配を殺して出て行こうとした。
「だって、ラァス」
 逃げるのを察して、クリスは突然ラァスの前に現れる。逃げ損ねてしまった。
「クリス様、奥方と頑張ってください」
「はははは。うちは女系みたいだから、なかなか男の子ができなくてさ」
「お兄さんがいるなら大丈夫ですよ」
「そう言わずにぃ」
「言われても、僕困りますぅ。それに、なんで養子を迎えるんですか? 作った方が愛着もわきますし、楽しいじゃないですか」
「それはそれでもちろん頑張ってみるけど、あんまり増やすとウェイゼルに大きな事言えなくなるし」
「でもダメですって」
 相手にあわせてぶりぶり口調で返す。真剣になってはいけない。それでは相手の思うつぼである。
「えー? どーして? うんと可愛がるよ、あの子達が」
「愛玩にされるなんて嫌ですぅ」
「無意味に長生きできるよ」
「僕はそういうのいいですって。それに教えてくれる人は他にいますし」
「教えてくれる人?」
「僕の師匠」
「誰?」
「知ってると思いますけど、邪眼の魔女のヴェノムです」
「あ、ヴェノムの弟子なんだ。そっかそっかぁ、あの子の弟子なんだ」
 ──あの子って……あの子って……。
 どんなに幼く可愛く見えても、相手はヴェノムの若い頃を知っている人物であるということだ。知っているが、いざ現実を突きつけられると何ともいえない感覚になる。
「ってことはここのどこかにいるの?」
「僕を見捨てて帰ってなければ」
「んー、じゃあよし。みんなでヴェノムの所に行こう。レイアもユラもマリもヴェノムに会った事ないだろ。一見恐いけど、とっても面白い子だよ」
「行く」
 娘達ははしゃぎ、母はそれを微笑ましく眺める。
 ──まあ、あの集団に合流すれば問題はないか。
 しかものほほんとしているだろう嘘つきハウルを巻き込める。
 ラァスは小悪魔の笑みを浮かべながら、皆をヴェノムの元へと案内した。

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