25話  大地の国


 ラァスは屈伸をして自分の身体を適度に休めた。久々に壁登りをすると、前よりも少し難しく感じた。練習不足と、場所の差。あの聖域は、ラァスにとって力を最も発揮しやすい場所であった。
「うーん。まだまだだなぁ」
「何がまだまだなのでしょうか」
 いつの間にか、控え室にファーリアがいた。二人は女性扱いされているので、部屋は男性達とは別だった。バックにいるのがクリスだと思うと、ずぼらな管理と言うよりも、ただおもしろければいいのだろう。
「もう一回戦は終わった?」
「まだもう少しです。今日の分を終えるのは、三時か四時頃でしょうね」
 ファーリアはくすりと笑い、椅子に腰掛けた。
「しかしディナルドを一撃だなんて、素晴らしい腕前ですね」
「相手が油断していたからね。油断がなければ、もう少し苦戦していたかな」
「苦戦するだけ……ですか?」
「僕か弱いから負けてたかもぉ。ディナルドさんありがとう。僕のこと嫌ってなければいいけど……」
「大丈夫です。彼は懐の大きな男性です。自分の油断故に負けても、己を鍛え直そうとするだけです。そして、また繰り返すのでしょうが」
「繰り返す……って、やっぱりファーリアさんも似たような?」
「はい」
「男だって誰も知らないの?」
「いいえ。姫様にお仕えする方々は存じています」
「つまり、他のみんなは女の人だと思ってるってことなんだ。僕みたいに関係ないならともかく、毎日暮らしているとバレないかハラハラしないの?」
「大半の鈍い殿方に見破られるはずがないでしょう」
「そだねぇ。男って悲しいほど観察力ないもんねぇ。だからちょっとした変装で僕だってわからなくなるし」
 ラァスの言葉にファーリアは苦笑いする。そして椅子に腰掛け、ラァスへと問う。
「で、どうして壁に対して垂直に立っていられるんですか? 魔法ではないようですが」
「そりゃあもちろん、僕の才能。まっ、壁のない試合場では役に立たないけど」
 ホクトのように宙に浮くまでできれば別だが、この程度なら見られても支障はないだろう。
「精神統一にちょうどいいんだ。あんまりよそごと考えていると、時々落ちるから」
 ラァスはそろそろ限界を感じ、床に下りる。力を抜くと、疲れて椅子に腰掛けた。
「ところで、お昼ご飯はどうする? 僕は自分の試合の前に行くつもりだけど」
「そうですね。姫様達のところへ行きます」
「んだねぇ。試合順さえ気にしてれば、問題ないよね」
「ええ。試合数が多くてハードなのは、明日ですからね」
「でも、本戦なのに三日かけるなんて、ほんと変だよねぇ。予選でもっとたくさん落として、一日でやっちゃえばいいのに」
「馬鹿騒ぎは長く続いた方が楽しいものです。それに、人々がいろいろと落としていってくれますから」
「いい収入だろうねぇ、この騒ぎは」
 ラァスは立ち上がり、試合の前の食事のために部屋を出た。
 
 
 
 ハウルは腕を組んで考えた。
 ──うーん。ファーリアってどうなんだ?
 怪力頑丈ラァスが打撃力があるだけの武器を使用する試合で、簡単に負けるとは思えない。しかし、世の中は広い。ラァスのパワーを上回る技術を持つ者もいるのだ。ファーリアの試合を見たが、彼は明らかにすばらしい剣技の持ち主だ。
「うーん。ファーリアって、どれぐらい強いんだ?」
 ラァスを信じてやりたいが、さすがに前回大会優勝者には敵わないかもしれない。魔法が使えれば話は別だが、武術では無理なのではないかと思う。そろそろ、誰も油断をしなくなるころだ。
「ファーリア様は」
 ハウルのつぶやきを耳にしたリオが、突然言った。
「ファーリア様は、闘神の加護を受けていると言われるほどの剣の達人です」
「そーなのか? あれが?」
「はい。あの方がまだ男性として生きていた頃は、私たちの国ではそう呼ばれていました。おそらく、あの方に剣で敵う者など誰もいなかったでしょう。姫様に引き抜かれて以来、あの方は今のお姿で名前も変えて生活していらっしゃいますが、腕は決して落ちていません」
 崇拝するような、そんなとろりとした目で彼女は言う。まるで恋をする乙女のように、彼女が女性らしく見えた。
「……お前ら、一緒に引き抜かれたのか?」
「いいえ。私が姫様に引き抜かれたのは数年してからです。ファーリア様と再会した時は、お互いに雰囲気が変わってしまっていたので、しばらく気づかなかったほどでした。剣を交えて、さすがに私は気づきました」
 彼女の唇がわずかにゆるんだ。唇の端がほんの少しあがる程度だが、それだけで十分魅力的な笑みだった。
「……リオ、あいつのこと好きなのか?」
 そうであればこれほど報われない思いも他にないだろう。
「はい。尊敬しています。武人としても、女性としても、友人としても」
 どうやら、彼女の中ではファーリアは女性のようだ。
「なんでお前は男のかっこうしてるんだ?」
「旅をしていた時、女性の姿をしているよりもこちらの方が楽だと気づいたからです。声をかけられる事も減りましたし、髪も短い方が楽ですから。結ぶ必要もないので、とても楽です。化粧もいりませんし。何よりも剣を手にしていても誰も驚きもしないし、たしなめもしません」
 ──ひょっとして、はっきり言えば女をしているのか面倒だからか?
 美容のためなら手間暇惜しまないラァスにも見習って欲しいところだ。あれももう少し手抜きすれば男らしく見えるだろうに。
「リオ。そなたは美しいのに、もったいない。そなたがその美貌を隠していては、お前を知る男達はさぞ嘆いているじゃろう」
「ありがとうございます、姫様」
 本気にはしていない様子でリオは言う。
 しかし、ハウルの悩みはより深いものになった。
 ──結局どっちに賭けようか。それとも、やめとくか。
 友であろうとも、現実の前にはその友情によって信じてやる事などしない。それが自然ではないだろうか。負ける時のは負けるのだから。
 よく考えなければならない。お金は大事なのだから。もちろん一番ではないが、無駄に投げ捨てる者にはろくな者がいないのだ。
 その時だった。
「はぁい!」
 元気いっぱい、ラァスがやってきてロリコンを悩殺せんばかりの可愛いポーズを取っていた。男だと思っても、あまり気色悪いと思わせないところは、彼のある意味すごいところである。
 彼はおそらく、負けても「てへ、負けちゃった」と言って、あっさりと諦めるのだろう。そして優勝者と親しくなって、宝物庫にだけでも連れていってもらうのだ。
 その背後にファーリアの長身が現れ、そしてその後ろにもまた人影があった。
 その姿に、ハウルは怒りがこみ上げてくる。
「さっきそこでねぇ、テリアさんとまた会ったから、ついてこられちゃった」
 ぺろりと舌を出してごまかす彼をよそに、テリアは部屋に入るなり、ヴェノムへと突進した。
「ヴェノム!」
 テリアはヴェノムに抱きついてすり寄った。ハウルは殴り倒そうかとも思ったが、それはヴェノム自身がするだろうと思いとどまる。
「何ですか、テリア。人前でみっともない」
「やっぱり、俺は避けられてる?」
 テリアはヴェノムを上目づかいに見て言った。ヴェノムはハイヒールを履いているため、二人の目線はほぼ同じ位置にある。
「何を言うのですか? 馬鹿ですね」
「……ヴェノム、馬鹿に変な力がこもっていなかったか?」
「愚者はあなたの役職でしょう。それよりも、あちらでゆっくりお話ししませんか? 子供達も見ています」
「……なんか、この前もそれで騙された気がするんだけどさ」
「何を言うのです。ほんのちょっとしたお茶目ではありませんか」
「う……ん」
 二人の奇妙なやりとりに、ハウル達は完全に傍観を決め込んだ。
 ふるなら、きっぱりはっきりとそうした方がいいに決まっている。
「一つだけ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「それはあちらで」
「あちらってどちら?」
「もちろん、二人きりになれる場所に」
「でも、俺そんな余裕ないし。ただ一つだけ聞きたいんだ。めび……ぐはっ」
 何かを言いかけたテリアの腹へと、ヴェノムは容赦なく拳を見舞った。
 彼女が拳を使うなど、本当に珍しい。
「ヴェ……のむ」
 彼はヴェノムにしがみつき、力なくつぶやいた。ヴェノムは舌打ちし、彼を抱えて部屋を出て行こうとしたが、部屋の出口には子供の姿があった。
「……クリス様」
「はぁい」
 先ほどのラァスと同じポーズを取って彼は言う。ラァスはそれを見て、目をそらした。他人がそういった事をする様を見ると、自身を省みる事ができる。人とはなんと素晴らしいのか。神というのは、あまり反省をしない生き物だ。
 ラァスが一人反省する前で、クリスは普通に立ったあと言う。
「ヴェノム、そろそろ教えてやった方がいいと思うよ。いつまでも内緒にできる事じゃないし。そうでなくてももう十五年も逃げ回ってるんだよ? そろそろ限界だと思うけどねぇ」
 ハウルはクリスの言葉に顔をしかめた。
 十五年も逃げ回るとは、どういう意味か。
「やっぱりヴェノムは俺の事避けてたのか!?」
「…………」
 涙ぐむテリアを見て、ヴェノムはさっと顔をそらした。それを見て、テリアはショックを受けて捨てられた犬のような顔をする。
 彼女は一体、何を彼に隠しているのだろう。
「ヴェノム、何を隠してるんだ? そんなに言いにくい事があるのか? 気にしないから、話してくれ」
「…………」
 ヴェノムは入り口を見て、クリスの笑顔を見て小さくため息をつく。
「人ごとだと思って……」
「何を言ってるんだい。僕にも関係はあるだろ、家族なんだから」
 家族といえばヴェノムとも家族だろう。実感のわかない関係だが。
「……まさか、やっぱりウェイゼル様とよりを戻したのか?」
「まあ、似たようなところです」
「ぜんぜん戻してないだろ」
 だんだん、彼女が何を隠しているのかが気になってきたハウルは、ほんの少しテリアへと荷担した。ヴェノムは瞬きもせずにハウルを見つめ、硬直した。ハウルが口を挟むとは思っていたかったのか、心なしか驚いているように見えた。
「じゃあまさか、ガディス様?」
「いえ、それは誓ってありません」
 さすがのヴェノムもガディス相手に勘違いされるのは避けたいらしく、反射的に否定した。
 そんな二人のやりとりを見て、ラァスはクリスにすり寄った。
「…………クリス様。師匠、一体何をそんなに隠したがってるの? 僕にだけでも教えてくれたら嬉しいなぁ」
「ああそれはね。メビウスが」
「クリス様!」
 珍しく声高く叫ぶヴェノム。それを見て、テリアは驚愕に目を見開いた。
「ヴェノムが怒鳴るなんて……。まさか、メビウスの身に何か!?」
「…………」
「何かあったんだな?」
 ヴェノムはただひたすら沈黙する。
「ヴェノム、母さんがどうかしたのか?」
 ハウルのつぶやきに、ヴェノムの肩が小さくはねた。
「…………母さん?」
 テリアはハウルを見つめ、首をかしげた。
「お前の母親はヴェノムじゃないのか? それとも、ローシェルあたりの子か?」
「ローシェルは兄。んで、メビウスは母親」
 的を射ない彼の質問に、ハウルは苛立ちながらも答える。
「…………ヴェノム!! 俺の可愛い娘はどこの誰のところに嫁いだんだ!?」
「むす……………」
 ハウルは首をかしげた。
 母が奴の娘。つまりは父。母の母はヴェノム。母の母と母の父つまりは……。
「すみませんでした」
 蚊の鳴くような謝罪の声に、テリアは絶望のあまり力なく座り込んだ。
「テリアさんに隠してた事って、メビウスさんが風神様のところに嫁いだ事だったんだぁ」
「……じゃあ、この人お兄さんのおじいちゃん?」
 ラァスとアミュの無邪気な言葉に、ハウルとテリアはとどめをさされた。
「そんな……俺のじいちゃんは死んだんじゃ」
「ハウル、誰もそんな事言ってないよ」
 クリスは明らかに楽しげだった。
「うそだっ! 俺のじいちゃんは、ダンディで頼りがいがある大人の男なんだ! んで、何かワケがあって死んだんだ!」
「あははは」
 クリスは笑う。
「現実はわけあって世界中を旅するこれ」
 テリアがどうなったかは知らないが、ハウルは泣きながらクリスを押しのけてその部屋を飛び出した。
 密かに夢見ていた死んだ祖父を汚された彼には、この場で笑っている事などとうてい無理な話であった。


 飛び出したハウルを見て、ヴェノムは不思議に思う。
 ──そんなにこれが祖父だと思うのが嫌だったのでしょうか。
 よく見ればメビウスの父親であることは明らかにもかかわらず、それほどまでに彼の心を傷つけたのであれば、子供心というものをヴェノムはまだまだ甘く見ていた事になる。
「そっかぁ。テリアさん見た時に、ちょっとどっかで見た事ある気がしたんだ。いつも情けないところしか見てなかったからわからなかったけど、言われてみれば親子っぽいねぇ」
 ラァスは燃え尽きたように白くなっているテリアを見てくすくすと笑った。
「彼女は父親似だったのか。よくある外見的特徴だったから気づかなかった」
 カロンはつぶやき、ハウルの走り去っていった入り口を眺めた。
「おにいさん、可哀想」
「アミュ、それ原因を目の前にして言うのはけっこう失礼よ」
「そっか。テリアさん、ごめんなさい。メビウスさんとっても元気だから、テリアさんも元気出して」
 テリアは呆然自失となり、アミュの声も届かない。
 こうなるとわかっているからこそ、言えなかった。彼のメビウスに対する溺愛ぶりは、見ていて不安になるほどだった。滅多に帰って来られないから、帰ってくる時は大量の土産を持ってきて、メビウスを抱きしめて去っていく。そんな彼の姿を思うと、言えるはずがなかった。
「あはは。落ち込んでる」
「クリス様。本当に人ごとですね」
「でも、いつまでも黙っておける事じゃないよ。じゃないと、一生逃げ回る事になるしね。何よりも、自分の父親の顔を覚えていないメビウスも可哀想だよ」
「え、俺忘れられてる!?」
 さらなる衝撃にテリアは我に返った。しかし忘れるのも当然。時々帰ってきてもすぐに行ってしまうので『母の友人で子供好きの知らない兄さん』だと思っていたようだ。テリアも彼にとっては当然の事なので父だとは名乗った事がなかったようだ。説明は次に着た時でいいと思っていたら、ウェイゼルへと嫁いでしまい、だからこそ逆に言えなくなってしまったのだ。
「ヴェノム、何でそんな事になったんだ!?」
「私が反対しなかったとでも思っているのですか?」
「するだろそりゃあ」
「気づいたらハウルを身ごもっていたのです。私がどれほど悩んだか……」
「うぅ!?」
 ヴェノムは小さく息を吐く。
 まだまだ子供だと思っていたメビウスは、時々やってきては珍しいものを持ってくるウェイゼルに好意を持っていた事は知っていた。それは好意の域を出ないものだとばかり思っていた。事実、そうであったはずだ。彼への認識は、テリアよりも頻繁に来るいつもおみやげをくれるただの変な人であったはずだった。
 しかし、いつの時か、彼女の中で何かが変わっていた。
 ヴェノムはそれに気づかなかった。思春期の女の子は悩みも多く、その時ヴェノムは何人かのもっと幼い弟子を持っていた。だから手のかからないメビウスは放任していたようなものだった。実際、ウェイゼルの事以外では、とても真面目でいい子だった。家事さえさせなければ。
「……今度、天空城を尋ねてみなさい。女の子も生まれました。まだ生後半年ほどなので、とても可愛いですよ」
「…………ちょっと、頭冷やしてくる」
 ヴェノムの慰めも空しく、彼は力なく部屋を出て行った。
 ──立ち直れるでしょうか……。
 メビウスは彼にとって生き甲斐のようなものだった。それを自分の知る中で最も嫌う男に奪われたのだ。
「……ウェイゼル様に喧嘩を売りに行かなければいいのですが」
「ヴェノム様。それはかなり危険なのでは?」
 メディアの言葉に、ヴェノムは首を横に振る。
「ウェイゼル様も彼を殺すことはできないので、その点は安心なのですが」
「どうして? あの方が妻の父親と言うだけで手加減するような男だとは思えないわ」
「放浪の愚者は、一級神ですら干渉してはならない存在です。世の中には、神だからこそ触れてはならないものがいくつかあり、その中の一つが彼です」
 そういった者達は神に見放された者と呼ばれる事もある。それは人だけではなく、精霊の中にも存在する。世界の均衡を保ったり、運命を司るような者がその代表だろう。
「じゃあ、何が問題なの?」
「ウェイゼル様は彼の事を快く思っていません。唯一メビウスの父親という点だけを評価しているというレベルです。ですから、嫌がらせに彼の目の前でいちゃついたり……まさかそれ以上の事はないと思いますが、常識良識倫理その他この世に存在するに大切なもののいくつかを欠落されているので、何をしでかすかと思うと、テリアが哀れで」
「…………それ以上って……子供の前でそんな、師匠ってば、もう、だ・い・た・ん」
 ラァスは頬を押さえてふるふると首を横に振った。この中では、わかっているのは彼だけか。
「ところで、ハウル君を捜しに行かなくてもいいのか?」
「そうですね。そろそろ走り疲れてうずくまっているでしょう。探してきます」
 ヴェノムはそう言って部屋を出た。しかし一番に目にしたのは、よほどショックだったのか、途中で力尽きて座り込んでいるテリアだった。
 こちらは救いようのないほど重傷だった。しばらくはそっとするに限るだろう。


 皆で昼食をとっていた。施設の中にあるレストランは人が多すぎるので、周辺にあるやや敷居の高いカフェだ。
 時間が微妙だと感じたラァスは、オープンサンドで簡単に腹を満たした。しかしここのパンがとても美味しいのだ。甘み、塩気が絶妙で、ハムとの相性が最高だった。ハムもきっと高いものに違いない。野菜もふんだんに乗っており、トマトが美味しくてたまらない。
「ラァスさん、食べる時は女性になる事を忘れますね」
 美味しくて気がつけば品のない食べ方しているラァスを見て、上品にちまちまと食べるネフィルが言った。ラァスも言われて自分が女装中だと気づき、にっこりと笑って口をナプキンで拭った。
「ごめんなさい、田舎者丸出しで。恥ずかしいわ」
「そういうわけじゃ」
「ううん。いいの。わかってるから。わたし、もっと頑張ってネフィル君の隣を歩いても恥ずかしくない立派なレディになるから。私の事、捨てたりしないでね?」
「周囲の不特定多数に誤解を与えるような事は言わないでください。人が多いんですから」
「あん。つれな……」
 と言ったところで、ラァスは言葉をつまらせた
「ハウル?」
 店の入り口に、ヴェノムとふてくされたハウルが立っていた。
「元気出た?」
「はっ。俺があんな事で落ち込むとでも? よく考えれば父親があれなんだぞ」
 強がっているのはわかるが、それがとても彼らしい。
「そっか。今更って感じだね」
「それに、俺が昼飯を抜くと思うか?」
「ああ……それもそうだね」
 色気のある話よりも、食い気が何よりも優先する。それがハウルだ。悩むぐらいなら食べて忘れるつもりだろう。
「じゃあ、僕はそろそろ行くけど、ハウルはやけ食いしててね」
「やけ食い言うな」
 じゃ、と手を振ってラァスはその場を去った。


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