25話  大地の国

 つまらない。
 退屈。
 頭にあるのは退屈であるという事実と、それをしのぐその方法。
 時間は少ないない。
 だからこそ、最後に思い切り遊びたい。
 今は面白そうな事をしている。
 しかし、これで何をして遊ぶか、その決め手が思いつかない。
 なにが一番面白いだろう。
 誰が一番、美味しいのだろう。
 誰が一番、いたぶりがいがあるのだろう。
 誰が……。
 その時、見えた。感じた。黄金色の光。地の祝福。
 ここは地の国。
 ああ、あれにしよう。


 目を覚まして、テリアはくあっとあくびをした。
「…………なぁ、杖」
 テリアは傍らの杖に問いかける。
「お前か、今の夢を見せたのは」
 返事はない。
 つまりは関わるべきことではないということ。
 それでも見せてくれたのは、何か自分に関係するからなのだろう。
 その意味するところはよく分からない。なにが来ているのか、なにが誰を狙っているのか。どんなことになるのか。
 そして、それに手を出す必要はないという、杖の判断。
「ヴェノムにきーてみよ」
 ついでに、いままでよく見ていなかった『孫』と話し合うのもいいだろう。
 彼はテリアの事を嫌っているようだが、誤解が解ければきっと慕ってくれるだろう。なにせ、初孫なのだ。
 恋敵だった、娘婿に瓜二つではあるけれど……。
 テリアはもう少しだけベッドの中にいることにした。


 ファーリアの朝は早い。
 女性の姿をしていようとも、訓練は欠かさない。
 元々筋肉がつきにくい方であったが、それでも汚い筋肉のつけ方はできない。
 女性らしさを捨てないような筋肉のつけ方をしなければならない。
 そのバランスは、難しい所だ。
 彼がしている素振りにしても、同じようにしていては、同じ筋肉ばかりが発達して、一部の筋肉ばかりが太くなるだろう。
「ファーリアさん、何か考え事ですか?」
 柔軟体操をしていたリオが彼を見上げて問う。彼女の柔軟性は素晴らしく、足を直線になるように開いて座り、片方の足に身体をぴたりとつけている。
「そうですね……ラァスさんが羨ましい、と考えていました」
「なぜでか?」
「あの少女のような筋肉のつき方。それにもかかわらず、しっかりとした力があります。羨ましい。地神様に好かれるだけあって、地の魔力を秘めているのですね」
「確かに彼は線が細いですね。私よりも細いのではないですか?」
「そんなことありませんよ。リオも羨ましい」
「…………すみません」
 ああしまった、とファーリアは一瞬の後悔の後、彼女に微笑みを向けた。
「どうしてリオが謝るんです? 男性の身体は、とっても便利ですよ」
「はい」
 彼女は自分が女性である事を責めている。それを知っていて、つい馬鹿な事を口走ってしまった。
 その原因を作ったのはファーリア自身だ。もちろん彼女がそう責めたわけではない。彼女はそのような事一言とて口にはしない。しかし、そんな真面目な彼女だからこそ、そうなるのだと、再会して彼は彼自身のした事を後悔した。
 もう少し、やり方があったのではないかと。
 当時はリオの事など知りもせず、ただ親のいいなりになっている少女だと思っていた。あのままであれば、一生退屈な生活を送ると思っていた。だからこそ、サメラに出会った時、迷わず彼女の手を取った。
 彼女は自分に訴えるものを持っていた。
「手合わせしませんか?」
「はい」
 彼女は傍らに置いていた木刀を手に取る。ファーリアも木刀を手にした。
 今思えば、彼女と共に過ごすというのも面白かったのではないかと思う。しかしその当時の自分は、サメラという誘惑が大きく、今を知っていてもおそらく彼女をとっていた。それでも彼女がこうして共にいる事を喜ぶ自分は、卑怯者だと責められても仕方がないだろう。
「ファーリア様、お願いします」
 しかしリオはそのような女性ではない。他人を責めるならまず自分を責める。そんな女性だ。
「はい」
 彼女は木刀を構え、自分も構えた。
 それから全身に日差し対策を施したのヒュームが朝の水やりにくるまで、時を忘れ打ち合っていた。


 テリアはヴェノムを探して闘技場内を歩いた。
 昨日のネフィル達の部屋に行ったのだが、なぜかヴェノムとその弟子達がいなかったのだ。
「……どこに行ったんだぁ」
 彼女とは、必要な時に会えない。運命は、二人を引き裂こうというのだろうか。こんなにも彼女を必要としているのに。
「なぁ、杖。ヴェノムどこだ?」
 問うても杖は答えない。彼女が答えるのは、放浪の杖としての役目を果たす時のみ。
 時々、夢の中には出てくるのだが、平常は決して何も伝えてこない。
 何か話してくれれば気も紛れるが、放浪の愚者とは孤独を意味する。この杖に見捨てられるまでは、人でもなく神でもない、放浪の愚者という種族として存在する。
「ああ、ヴェノムぅ」
 しかし孤独だから、時に癒しを求めてしまう。彼女は彼にとっては癒しだった。いつも温かく迎えてくれて、話を聞いて、優しく触れてくれる。それ以上の事は、さして望んでいない。彼女に会えるだけで至福。彼女と会えるだけで、世界のすべてを許容し許せてしまう。この醜くも汚らわしい世界が、それだけで何よりも美しいモノと思えてくる。それにくわえて、自分に似た娘が迎えて……
「……うう、俺のメヴィ」
 思い出すと泣けてくる。あの悪魔に奪われるなど、泣く以外にどうしろというのだろうか。だからこそ、ヴェノムは逃げ続けてまで隠していたのだ。彼女自身、そうとうな心の傷を負っただろう。逃げた彼女を責めるのはお門違いだ。
 しかしヴェノムの中には、罪悪感意外に思いやりもあった事は事実。
 だからこそ、ここはヴェノムに慰めてもらうしか道はない。
「ヴェノムぅ」
 彼女の名を呼びながら歩いていると、捨てられた犬のような気持ちになってきた。
 本当に捨てられたのだろうか。男としてならまだいい。人として、弟子としてまで捨てられたら、彼は一体何に心預けて生きればいいのだろう。人は生き甲斐がなければ、辛い事には耐えられないようにできている。
 悲しくなったがそれでも歩いていると、ふとステージを見ればファーリアが試合を終えたところだった。
 彼はあれでも名家の出だ。彼が幼い頃に一度だけ会った事もある。昔から綺麗な少年で、しかし剣術のセンスは素晴らしいものがあった。自国の少年であれば、迷わずスカウトしていたところだが、その時は他国という事で諦めた。しかし、まさかサメラに引き抜かれるとは、テリアも考えもしなかった。彼はテリアを覚えていないだろうが、テリアは覚えていた。再会した時は驚いたものだ。ヴェノムとの再会のせいで、その驚きもないに等しい者になってしまったが。
 テリアは放浪の杖の魔力を利用して瞬間移動した。放浪の杖には旅をする補助のためにこのような力がある。この力を私用することは職権乱用とも言われるのだが、このさい気にしない。
 出た場所は人気のない通路。当てずっぽうに目星をつけたはいいが、少しずれたところに出てしまったようだ。勘を頼りに進むと、人の気配を察知した。
 びくり、と杖が震えた。
 テリアは滅多に反応を見せない杖の動きに驚き、しかしすぐに走り出す。
 何かがいる。夢で見た、あの存在かも知れない。
 ほんの数秒で、テリアはその場にたどり着く。
 一瞬感じたのは、精霊のような気配。それは弱々しく、一体どのような精霊かはわからない。しかし、存在したのは事実。
 そこにファーリアが倒れているのが何よりもの証。
「ファーリスっ」
 つい彼の本名を呼び、テリアは彼へと駆けつけた。
 触れると、決してよい感じはしなかった。
『邪精よ』
 それは女性の声。杖の、囁き声。
 無口な彼女の囁きは、どこか甘い響きを持つ。
「……邪精」
 墜ちた神、精霊の総称。神の場合は邪神ともいうが、邪精の一種だ。有名なところでは、三の月神。太陽神と知識の女神を取り合って邪神になったという。ヴェノムの側にいるクロフは、主である風神ウェイゼルの側を離れてヴェノムの側に居続けるため邪精になりかけている。
 決して邪悪だからなるわけではない。もちろんそういう者がいないとは言えないが、多くはない。
 個人の感情を貫くだけの者を、邪だとは言えないからだ。
「……なんでファーリアに」
 邪精は個性が強いからこそ、邪精になる。何をしでかすかわからない。
 ──時間がないというのも、気になるな。
 時間がないとは何なのだろうか。邪精に関わる事のない彼は、邪精の事など知らない。唯一知っているのは、精霊は邪精に関わらない。力なき者が触れれば、消滅してしまう。邪精は精霊にとって毒。
 そして神は、邪精に手を出す事を許されていない。
 知っているのはただのそれだけ。
「ファーリア。おい、ファーリア」
 彼を揺り動かすと、うんと唸り目を開いた。
「……ここは」
「大丈夫か? 邪精に襲われたみたいだぞ」
「……邪精に? なぜ?」
「さあ」
「何か気にくわない事でも……あ、しました」
 彼は言うと肩を落とした。長い睫が瞳に影を落とす。
「心当たりがあるのか?」
「まあ……、闇討ちされても仕方がない程度の事はしたかも知れません」
「……ならいいんだけど」
 やや腑に落ちないが、突っ込んだことを聞くような間柄でもない。愚者たる者、必要以上に他者に干渉してはならない。
「それよりも、ヴェノム知らない?」
「知っていますが、口止めされているのでな・い・しょ・です」
「ヴェノムに大切な話があるんだけど。この杖が話しかけてくるぐらい」
 ファーリアは放浪の杖を見た。彼はこの白い杖の正体を知っている。その意味することがわからないほど愚かではない。
「…………一般観客席の最前列に」
「なんでそんなところに」
「ハウル君の心のケアじゃないでしょうか?」
「…………俺、そんなに嫌われてる?」
「はい」
 笑顔で言う女装の彼は、男だからこそ少し憎かった。


 そのころ。心のケアを受けている少年は、ぽーっと試合を観戦していた。手に持った冷えていたはずのジュースは、すっかりぬるくなっているのだが、彼は一口しか飲んでいない。
 それを見て苛立ったメディアは、杖で軽く彼の頭を叩き言う。すこしジュースがこぼれてしまったが、悪いのはぼーとしているこの男である。
「くだらない事で悩んでるんじゃないわよ。あの父親よりはマシでしょ」
「それを言われたら全く持ってその通りだけどやめてくれ。マジで」
 ハウルはようやくジュースを口に含み、それからため息をついた。彼は何か葛藤しているようだった。しかし、よほど気になったのか、その問いをヴェノムへとぶつけた。
「ヴェノム……あいつとよりを戻したりするのか?」
「しませんよ。よりを戻すと言うほどの関係でもありません」
 子供まで作った者の発言とは思えない。
(ヴェノム様は大人ねぇ)
 とてもではないが、メディアにはできない。しかし彼女のような生き方も、いいのではないかと思う。パートナーは一生同じでなければならないとは思わない。ただ、ずっと同じであれば嬉しいという、ただそれだけ。切り捨てる時は、すっぱりと切り捨ててもいい。男女の間であれば、とくにそうだ。
「よかったねハウルお兄さん。お姉さんとずっと一緒にいられる」
 アミュもまた、テリアにヴェノムがとられずにすんで喜んでいた。彼女は優しい子だが、時に容赦ない部分がある。
「べ、べつに。ただあいつが回りをうろちょろするのが目障りなだけだっ」
 素直でないハウルは、照れてふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ヴェノムを思慕する彼にとって、彼女のその言葉は何よりも喜ばしい事だ。
「男のくせに素直に喜びなさいよ」
「っせぇ。お前とのことよりも、カオス監視しなくていいのかよ。あいつ、ぜってぇ人目がないところで悪さしてるタイプだぞ」
「大丈夫よ。ミンスとアルスがいるわ。常識外のことはしないはずよ。していたら、問答無用で捨てるからいいのよ」
「ちっ」
 彼は舌打ちしてジュースに指を入れて、しばらくすると一気飲みする。再び冷やしてから飲んだ。
「ハウル、そんなにテリアが嫌ですか? あれでも私にとっては大切な弟子なのですが」
「別に。ただウザいだけだ。女々し……」
 ハウルの眉間にしわを寄せた。見れば、通路に立つテリアがこちらを見ていた。
「あらテリア」
「ヴェノム。俺の孫はそんなに俺の事嫌ってるのか?」
「いえ。いつものことです。この子は私のナイトですから」
 穴のない仮面を身につけたヴェノムは、隣に座っていたハウルの頭を撫でた。しかし照れたハウルは、その手を邪険に払いのける。
「相変わらずだな、その仮面」
「ええ」
 そのやりとりに、皆はヴェノムの仮面を見つめた。いつもの黒い飾り気のない仮面だ。
「……お前、そんな何世紀も前からその仮面を?」
「お前、いっとくけどな、俺はまだ一世紀生きてないぞ。でも俺と会った時から使ってるからそれ以上の事は知らないけどな」
 ハウルは気にくわない男の発言に、目を細めてさらに不機嫌を表情で見せた。
「はぁ、そ。んで何しに来たんだよ」
 テリアはハウルの事は気にせず、ヴェノムへと杖を見せた。
 放浪の杖をまじまじと見る機会など滅多にないので、メディアはつぶさに観察する。
 それはいびつな形をした白い杖。至高神の爪先から作られたとすら伝えられる、伝説の杖。持ち主に絶大な魔力を与え、転移の力を与える。それは歴史を阻む者を排除するために。
 世界の中心と呼ばれるのが、彼の祖国であるカーラント。世界の中心と呼ばれる理由は、賢者の石の存在だとか、太陽神の領土だからだとか、様々な説はあるが、彼はカーラントを中心として旅をする。
 しかし必要とあれば、世界の裏側にまで行く事もあるらしいが、それは本で読んだだけの知識だった。
「杖が話しかけてきた」
 テリアは言う。
 それが何を意味するか、メディアは知らない。
「……平和なこの地に、厄災を呼び込むつもりですか? 何を考えているのです。ああ、なんて嘆かわしいことでしょうか」
「人が災いを呼び込んだみたいに言わないで欲しいな。それに、杖は動けとは言っていない。ただ、夢を見せられた。」
 ヴェノムは黒い手袋に包まれた指で仮面の縁をなぞる。
「……何かあるかも知れないし、ないかも知れない。ただ地の祝福を受ける者は、気をつけた方がいいかも知れない」
「邪精……ですか」
 ヴェノムは立ち上がり、テリアへと手を差し出した。テリアはその手を取り、ヴェノムを通路にまで引き寄せる。
「ハウル。私はテリアと大切な話があります。ただ話をするだけなので、大人しくラァスを応援していなさい。何かあっても、あなたとアミュは決して手を出さないように」
「はぁ? なんで?」
「神は邪精に関わってはいけないというのが、この世のルールです。守りなさい。殿下、この子達をよろしくお願いします」
 ラフィニアを腕に抱くカロンは、一つ頷きラフィニアの手を取りばいばいをさせた。
「じゃあな」
 言って、テリアはヴェノムを連れて消えた。
 迎え側にすら転移用の媒体が必要ないという、神器である杖を用いて。
「…………どうしたんだろうねぇ。邪精って、何か問題あるのかな?」
「さぁ。邪精なんて神よりも少ないから、神よりも謎なのよね」
 もしも近くにいるのであれば、ぜひ研究対象にしたいものなのだが、邪精になるほどの意志を持つような精霊が、そう易々と捕らえられるはずもない。
「カロンは何か知らないの?」
「そうだな。私が知っているのは、邪精は俗世に心奪われた者がなるんだ。例えば、精霊以外の生き物に恋をするなどね。
 人に恋して身を堕とす。それは少なくない事だよ。そして、恋した人間が死んで後を追う。だからこそ、そういったタイプの邪霊は少ない。生き甲斐がなくなり、存在する意味がなくなるから。クロフも、似たようなものかな。幸い、ヴェノム殿が風神様とつながりがあるから、あの程度で保っている。恋をするとは、少し違うと思うがね。
 まあ情熱的な者が多いのは確かだ。私は嫌いではないよ。ヴェノム殿は、何か思うところがあるのだろう」
 彼は飛びたくてたまらないラフィニアに、すりすりと頬ずりをしながら言った。ヒゲが薄く処理もしているので問題はないが、これをヒゲの濃い男にされると、非常に不愉快になるものだ。
「情熱的ねぇ」
「そんなに好きになるなんて、すごいね」
 アミュにはその思いを理解できないらしく、ぽーっと空を見上げた。
 ラァスが頼りないから、アミュもこうなのだろう。
「大丈夫だよ。アミュちゃんにもそのうち素敵な王子様が現れるさ」
 カロンは爽やかな笑みを浮かべて言う。とても爽やかで、通りかがりのご婦人が彼の笑顔に見入ってしまうほどだ。
「さっくりとラァスという選択肢は消すのね、あんた」
「ははは」
 ラァスの何をどう気に入っているのか、未だに彼の心が理解できないが、彼はまだ諦めるつもりはないようだ。
「そうだ。そろそろお昼の時間だね。たまにはみんなで屋台の食べ歩きでもしないか?」
「そだな。あの坊ちゃん達と食事すると、どんなに妥協しても高くてお上品な店になるからな。地元の庶民の味ってのも堪能したいな」
「屋台も好き。いろいろあるから」
 ハウルとアミュはカロンの提案に喜び手を打った。
 ──食べ物に関する態度を見ると、二人が親戚っていうのを納得するよねぇ。
 その辺り、可愛いものだと思えてしまう。
「ラァス君もこちらに気づいていたし、そのうちかぎつけて来るだろう」
「かぎつけてって、あんた本当にラァスの事好きなの?」
「もちろんだとも」
 ラァスは当たり前のように勝ち進んでいる。彼が勝つのは当たり前。岩をも砕くパワーがあるのだ。
 彼が勝とうが負けようがメディアには関係ないが、こういうのも悪くない。
 少し、理力の塔を思い出す。ハランは今年、何で出店するのだろうか。もしも手伝える事なら、手伝ってやろう。そんな事を思いながら席を立った。


 皆と合流しようと思い控え室を出たラァスは、そこでばったりとファーリアに出会った。
「あ、ファーリアさん。なんか顔色悪いけど大丈夫?」
「ええ。ラァスさんはどちらへ?」
「ご飯。さっき見たら、みんな移動してたから」
 彼はドアの前で考え込む。ラァスは出られなくて少し困ったが、彼の結論が出るのを待った。
「ご一緒してもいいでしょうか?」
「え? なんで!?」
「少し……」
「何かあったの?」
「いえ……少し、姫様達のところに帰りづらくて」
 彼は目を細め、うつむいた。何か悩みがあるようだ。しかもこの切なげな様子は、あれしかない。
「何々? 恋の悩み?」
「そ、そんな……恋だなんて、そんな。とんでもありません」
 彼は頬に手を当て首を横に振る。図星のようだ。
「好きな人いるんだ。どんな男の人?」
「…………私は女装は趣味ですが、恋愛の対象は女性です。男なんて美しくないもの、触れたくもありません」
「え…………そーなの?」
 それではますます自分とかぶるではないかと思った。しかし、自分もそうなので、人の事はあまり言えない。
「相手の人は、ファーリアさんが男性だって知ってるの?」
「だから、違いますって。私にはそんな資格もありませんし……」
「でもでも、決めつけるのは良くないよぉ。過去に何しててもいいよって言ってくれる人もいるしぃ」
 ラァスは自分の周辺が色恋沙汰とは無縁なもので、首を突っ込む先を見つけて嬉々として口を出した。
「とても許して頂けるような事ではありません」
「何したの? その人の身内を殺したとか?」
「そんなことしません。好かれる以前の問題じゃないですか」
「でも、知り合いに実の母親を食い殺した人のお嫁さんしてる人いるし。超らぶらぶだよ?」
「………………すごいですね、それは」
「でしょお? 生き物を意味もなく殺すのが嫌いな子も、元暗殺者と仲良くしてくれてたりぃ」
 ラァスの奇跡的な例を聞かせても、彼はより追いつめられたような表情になった。何か大きな障害でもあるのだろう。年の差、身分。ひょっとしたら、サメラを好きなのだろうか?
「…………でも、自分を振った元婚約者で、しかもオカマだと思いこんでいる男が実はノーマルで、男性しか愛せないといったのも婚約解消のための嘘でしたとか言ったら、普通嫌われませんか?」
「どんな経緯でそんなことに!?」
「若気の至りです」
 どんな若気の至りでそのような事になるというのだろう。
「なんで振っちゃった人を好きになったの?」
「………………見合いの肖像画しか見ていなかったからです」
「そんなに下手な絵描きだったの?」
「いえ、風の噂でとんでもない凶悪な醜女だと聞きまして」
「実際には美人だったとか?」
「リオです」
「…………………」
 ──わかんない。
 リオは確かに美人だろう。女性の格好をしていれば。しかし、なぜ女装男が男装女に惚れるというのか。美人は他にもたくさんいる。
「今朝、ひょっとしたら彼女を傷つけてしまったかもしれなくて……」
「そーなんだぁ」
 どう言っていいのか分からない。
「それなのに、本当の事を言ったら絶対に傷つくでしょう。リオは繊細だから、せめて見守ろうかと思うのですが……」
 彼ははぁとため息をついた。
「ああ、なぜ子供にこのようなことを」
 彼もまいっているようだ。動揺が目に見えてわかる。
「でも、今日は何をして傷つけた? どうして傷つけたと思ったの?」
「女性の身体がうらやましいというような事を口走ったような。そうしたら、男性に生まれたかったらしいリオがすまなそうな顔をしていました」
「それぐらいじゃあ別にそんなに怒ってないんじゃない? そりゃあ気にするかも知れないけど、そんなに気落ちしなくても」
「でも、さっき襲われて」
「誰に?」
 リオが襲うとは考えられない。それは襲うのではなく、報復である。では誰がこれを襲えるのだろうか。
「さっき、邪精に襲われたらしいんです」
「なんでそんなものに……」
 そんなものには普通滅多に襲われないのではないだろうか。実際、神様を何人も見た事があるラァスですら、実物を見た事はない。
「リオが飼っているんです。リオは優しいから、つけいられると何でも受け入れてしまうから。魔力の高い方なので、邪精の巣としても最適なようです」
 リオは筋金入りなのではないだろうか。何でも受け入れるというの意味では、アミュ並だ。アミュでもそれはやりそうなので、アミュ以上とは言えない。
「ああ、で、怒ったその邪精に襲われたと?」
「…………たぶん。気を失ってしまってよくわからなかったんですけど。いつもなら、もっとパンチのきいた報復があるんですけど……」
 彼ははぁと息をつく。
「まあ、元気出しなよ。うじうじしている暇があったら、プレゼントの一つするとかして、好意を示したりとか」
「でも、リオは剣術と魔術以外の趣味はありません」
「魔術使えるんだ」
「はい。邪精に習ったとかで」
「そぉなの……。誰に習おうが勝手だけどねぇ」
 ラァス自身、人間生まれという事実以外は、人間離れした魔女の弟子である。かなり特殊なので、人の事は言えない。
「んでもさぁ。リオさんに似合いそうな香水とかならいいんじゃない? リオさん香水つけてたよね」
「そうですね。姫様のすすめで使っているようです」
「他にも色々とあるよ。誤解のないようにしっかりと話し合えば、分かり合えるよ。友達なんでしょ?」
「…………はい。そうですね。剣で語り合うのもいいですが、しっかりと話し合うのも大切ですね」
 ──剣で語り合ってるんだこの人達。
 もう少し、色気のある共通の趣味はないのだろうか。もちろん、ラァスが干渉すべき事ではない。
「ありがとうございます。彼女に誤解がないよう、話し合ってきます」
 ファーリアはぐっと拳を握りしめ、何かを決意して走り去っていった。
 ──気合い入ってるけど、別に告白しに行くわけでもないのに……。
 人が何に気合いを入れるかも、これもラァスには関係ない。
「そだ。僕も行かなきゃ」
 もう既においていかれた。
 どうせだから、女装をやめて行こう。カツラをかぶって金髪を隠せば、誰もラァスだとは気づかない。その方が、ゆっくりとできる。ラァスの今日の試合はもう終わった。武術大会の他にも、闘技場ではイベントが開かれる。あとは順調にいって二試合。つまりはファーリアとの試合と、決勝だけだ。こちらは午後から行われ、午前中は別のイベントがある。準決勝と決勝は、この祭りのメインだ。
「話のネタもできたし、ゆっくりしてこよんっと」
 もちろん、さきほどの会話はすべて友人達に流れる事になるのだが、それは相手をよく知りもせずに話をした方が悪いのである。
 
 

back  menu  next