1話 腐赤眼

2

 ジークは一家を道場へと案内する。部屋の外で待っていたグラムが彼に飛びついて手を握ってくる。父は母にあのような事をしない。家族愛はあるが、ああいった直接的な物はなく、弟はそれに飢えている。この家で育ったにしては珍しく寂しがり屋で、常に誰かと一緒にいたがるのだ。本当に、この弟がこの目を持っていなくてよかったと思っている。それとも自分もこの目がなかったら誰かと触れ合う事を望んでいたのだろうか。
 道場に着くと、門下の者達が一斉ににこちらを見た。
 母と妹以外の女性らしい女性がここに来るのは珍しい。道場破りでもない貴婦人を目にして、若者達の間に動揺が走る。
「誰だっ」
「ヴェノムさん。あちらの男性の奥さんだ」
 人妻と知り、駆けつけてきた友人が脱力する。短い春だった。あの輝く男にはどうやっても勝てまい。そう思えるような自信過剰はここにはいられない。いれば叩き出されるからだ。
「ここだけは、昔とあまり変わりませんね」
「いつの時代からだよ」
「お黙りなさい」
 ヴェノムは夫の足を踏み、壁際へと向かう。ちょうどジークが穴を開けたところだ。
「これは貴方が?」
「そう……です」
「面白い性質。私の目は生物は殺せても、このような事は出来ません。邪眼の亜種ですね」
 塞がれた壁の境目に触れ、それにディオルも参加する。何やら箱を取り出して本格的に調べ始めた。
「魔素がまだ残っているね。動力にしたら面白いよ」
「お前はどうしてそう非人道的な事を」
「閉じこめるわけでもあるまいし、何をそんなに怒るの? 可能性の問題だよ。可能性。
 僕は脆弱な人間だから、どんな可能性にでも興味があるんだよ」
 理解を超える会話にディオルは悩む。
 非人道的な方法だが、使い道があると。
 彼女たちはジークをどうするつもりなのだろうか。
「師匠を連れてくればよかったかな。まあいいや。計器を配置させるよ」
 ディオルが手を振り上げ、縦に切り裂くように振り下ろす。穴があいた。穴があくと以外言いようがない。その空間に穴があいた。隙間から、暗い何かが見えた。
「ぼっちゃん、何か?」
 穴の向こうから声がした。
「計器運んで」
 ディオルが語りかける。
「いやっすよ。押し込むから引っ張ってください」
「僕に動けと?」
「そっちは旦那がいるでしょう。俺達に人権を認めろとはもう言いませんけど、命ぐらいはちったぁ惜しんでくださいや」
 向こうには誰がいるのだろうか。ちらっと見えた姿は、どう見ても人でも普通の動物でもなかった。しかし竜を飼っているぐらいだ。どんな生物がいてもおかしくない。
 問う勇気もなく呆然としていると、その隙間から箱が出てくる。
「父さん」
「はいはい」
 ハウルがそれを引っ張り出して床に置く。不気味な行動に皆が引いている。本格的な魔道士というものを見たのはこれが初めてなのだが、これほど常識とかけ離れた存在だとは考えもしなかった。魔道が使える知り合いは、神殿に通っている妹だけだから。
「ほら、早く閉めろよ。親父にも使うなって言われてるだろ」
「便利な力を使わないなんて馬鹿みたいじゃないか。おじい様だって見つからないように使うんだぞって言ってるよ」
 どうやらあれはディオルの個人的なスキルのようだ。おそらく、そうなのだろう。妹があんな悪魔的な事をしているとは思いたくなかった。
「それは何?」
 グラムが子供ならではの好奇心から機材とやらに興味を持った。
「色々だよ。僕の専門はキメラ──つまり色々な生物のいいところを混ぜ合わせた生き物を作る事だから、その能力を測定するための機材をたくさん持っているんだ。それで君の兄の状態を探るんだよ」
「へぇ、すごい!」
 頭が痛い。
 普通に興味を持ったままの弟に頭が痛い。年が近いからだろうか。
「ちょっとそこの突っ立っている人、これを部屋の四隅に運んで」
 父親だけではなく、遠巻きに見ていた門下生に命令し、彼らは素直に従う。キビキビと動く彼らを満足げに眺めて頷く。
「アンテナを立てて。違う。真上に、垂直に! そう!」
 命令する事に慣れきったその姿を見て、命令に慣れぬ自分を思い出してため息をつく。跡取りとして、上に立つ者として、このままではいけないとは感じている。
「準備できたよ。いつものように適当に動いて。無関係な人は下がって」
 説明も無しに始めるものだから、訳が分からないので皆は素直に下がる。ジークは一人中央に立たされて戸惑った。
「…………どうすれば?」
「じゃあ、父さん相手してやれば? 父さんの気配って独特だから取り除くの簡単だし。調整するよ」
 ディオルはまた空間を切り裂いて手を突っ込み、その先にあるそれぞれの機器をいじる。
「いや、だからな、その力は危ない系統のモンだからな」
「僕は失敗した事なんて少ししかないし、危険な事は僕自身がやるはずないじゃないか!」
 少しはあるらしい。しかも、他人を使っていたように聞こえる。
「えと、具体的にどうすればいいんだ?」
「父さんまでそれを言うんだ……」
「俺、研究者とは縁遠いから」
「いいから、適当に手合わせしてよ」
「素手ならヴェノムの方が」
「素手でやれとは言ってないだろ。アークガルドは武器全般使うんだから。
 練習用の剣でも使えば? 父さんの流派ってこの国のなんだからそう離れてないと思うし」
 あの顔で剣士なのだ。この国の中央部は今荒れに荒れているらしいので、国から離れた一人かも知れない。昔と変わらない大きな街はこのエデルだけだと言われているほどだ。
「あと、誰か、椅子。女性を立たせておくな。ホント、体育会系は気がきかないな」
 言われるがままに椅子二脚と木刀二本を用意する。体育会系は指示に従う時、その行動は素早い。そうしないと師範に怒鳴られるから。
 木刀片手に向き合うと、ハウルの隙ない構えに感心した。
 確かにカーラントの騎士のような、綺麗な構えだ。これほど目立つ騎士がいたとは聞いた事がないから、名が馳せる前に国を出たのだろう。
 お家騒動などなければ、立派な武人に見捨てられる事もなかっただろうに、惜しい。
「じゃあ、適当に」
 ハウルが動く。優雅で流れるような迷いのない足さばきだ。
 木で作られた剣を合わせ、高揚する。
 彼は強い。少なくとも、ここにいる中で、ジークと弟以外が相手をすれば束にならないと勝てないだろう。どれほど束になったら勝てるかが問題だ。
 殺し合いならジークは負けないだろう。しかし、剣のみでの勝負では分からない。楽しい。
 合わせた木刀の峰に触れて切っ先を引いて流す。引く速度と力加減によっては相手のバランスを崩すのだが、さすがにほとんど隙を見せず打ちかかってくる。
 身体の動かし方をよく分かっている。まっとうな騎士とはまた違う動きだ。そう、例えるなら熟練した山賊のような、険しい道に慣れた者がこういう動きをする。実に面白い。
「もういいよ」
 あっさりと、ディオルの声が割って入る。夢中になっていたので、本来の目的を忘れていた。
「魔力も安定しているね。運動している時は問題なしと」
 やはり、運動している時は暴走しないらしい。だから目がうずくと、伏せるか走るかしているのだ。
「いつも、休んでいる時に……」
「ぼーっとしている時?」
「水を飲んだり、涼んだり」
 ぼーっとはしていないはずだ。父がそれを許さず、たまに不意打ちをしてくるのだ。
「姉さんが持ってきてくれた冷たい水を飲んだり、タオルで汗を拭いている時とかに多いよね。気を抜いた時」
 一番気を抜いた時だ。妹は不意打ちなどしないから。
「へぇ。じゃあ、別のところで休もうか。広いところがいいな。誰か、設置した物を運んで」
 ハウルの動きを見たためか、さらに素直に従う門下生達。
「先ほどよいところを見つけました。そちらに参りましょう」
 ヴェノムが行き先も告げずに道場を出て行く。何かを見ないように気をつけながら、目をつぶりがちについて行った。


 ジークは目を伏せている。
 ここは眺めのいいテラスだ。手入れが行き届いて、ここだけ見るととてもあんなむさ苦しい連中を鍛えているところのようには見えない。
 こんなむさ苦しいところで育ったとしても、貴族のお嬢様は貴族のお嬢様という事らしい。兄と弟はむさ苦しいということもないので、妹はまっとうにお嬢様なのだろう。
 まっとうな人間になど興味ない。
 この家でディオルが興味を持てるのは、この風変わりな邪眼だけ。
「んじゃ、目を開いて」
 ディオルは水の入ったガラス板を覗きながらジークに言う。その瞬間、穏やかであった水の色が変化する。赤い色がくにゃりと歪み、ばちばちと光を散らす。それも一瞬の事で、すぐに治まった。
「面白いね」
 目元を隠したジークは、植物を見ないようにうつむいている。
「下向くぐらいなら上でも向いたら」
「……それだと鳥が落ちる」
 生物にも影響はあるようだ。死にはしないが、鳥のバランスは崩れるらしい。
「人相手だとどんな影響が出る?」
「鼻血が出るな。それ以上は見ないから、どうなるかは分からない」
 ヴェノムの邪眼は頭を抱えて呻きながら死ぬらしい。この差は少し面白い。
「そうだ。父さんとにらめっこさせたら面白そうだよ、母さん」
「人体実験はほどほどになさい。それにどうせけろりとしているので無駄です」
「性質が違えば多少の変化はありそうなんだけど」
「まっとうな人間相手に、物欲しそうな目を向けるものではありません」
 彼はいい素材だ。実にいいのだ。
「まあいいや。
 でも、言うほど乱れてないよ。目を開く一瞬だけすごかったけど、今は正常値だ。邪眼って偏見を自分が一番持ってるんじゃないのか?」
 また一瞬乱れたが、魔術を使えばこれぐらい乱れる。その乱れがずっと続けば周囲にいる者はじわじわと蝕まれるだろうが、この程度の頻度なら自然現象で起こる場所もたくさんある。そういう場所に住んでいた方が長生きするので、程度によっては健康にいいという説もある。
「そういえば、兄さんって姉さんがいないと調子がいいよね」
 弟がさらっと言った。
 先ほども、調子が悪くなる時の条件で姉がどうのと言っていた。
「姉がいると調子が悪いのか?」
「兄さんにとっては妹だけど、姉さんがいると緊張するのか、相性の問題か、よく暴走しているね」
 固まるジーク。現実を見つめていない。目を逸らしている。
「妹さん苦手なの?」
「そんなはずがない。大切な妹だ」
 ジークは首を横に振る。好きな相手と相性がいいとは限らない。それが身内であってもだ。
「兄さんはいつも姉さんの写真を持ち歩いてるぐらいシスコンだよ。男なんて出来たら、俺の屍を越えていけみたいになるだろうね。僕、絶対やだ」
 むしろ溺愛している相手と相性が悪いらしい。ジークは深い深いため息をついて、ヴェノムを見た──直後に再び目を逸らす。剣を練っていた時は目も見ていたので、心がけ次第なのだろうが、難しい男だ。
「どうしたら、暴走を抑えられるのだろう」
「妹君が暴走のきっかけというのは、本当ですか」
 ジークはもう一度ゆっくりと視線を持ち上げて、ヴェノムの腕あたりを見る。
「否定は、できない。すべてでもないが、そういう場合が多い。本人もそう思っているのか、最近は神殿に行ったまま、あまり戻ってこない」
 口にして、彼はますます落ち込んだ。
 何というか、殴りたくなる相手である。もちろん殴りはしない。自分よりも身体的に強そうな相手に殴りかかってもいいようにかわされるだけだと分かっている。そして反撃は絶対にしてこないから余計に腹が立つのだ。
「一度、妹君と本格的に距離を置いてみたらいかがですか。本当に出ていってままってからでは遅いですよ」
 ヴェノムは言ってしまった。そうしないと、彼の妹が出て行ってしまう可能性もある。度が過ぎるようになれば、顔を合わすだけで脅えるようになる。人は負の感情ばかりで脅えるのではないのだ。
 ちらとハウルを見れば、ふるふると震えている。やがて立ち上がり、ばんとテーブルを叩いた。
「お前の気持ちはよぉく理解できる!」
 普段は飄々としている男なのだが、身内の事となると熱くなる、息子から見れば鬱陶しい男だ。病気が始まったと諦めて、いつでも逃げられる準備をする。
「落ち着きなさい、ハウル。彼女とは問題の度合いが違います。だいたい貴方が嫌われているのは、しつこいからでしょう」
 落ち込んだ。
 何というか、ジークとハウルはどこか似ている。
 何が似ているって、嫌われる要因が分かっているのに、ああなところが似ている。その反応も似ている。何もかもハウルの方が大袈裟だが、似ている。
「家族が離れるなんて、可哀相だろ」
「可哀相なのは家族です。自分が家族を傷つけると分かっていて、近づいて欲しいなどと思うものですか。身を引くというのは大切ですよ」
 ヴェノムの説教を受けて拗ねた。
「根本的に解決したら一緒に暮らせるのだから我慢なさいと、何度も言っているでしょう」
「だからたまに遠くから見てるだけだろ。それぐらい、いいじゃないかっ」
「娘の心の傷に塩を塗り込むような真似はやめなさいと言っているんです。気配には敏感な子です。こっそり見るつもりでいつも気付かれているでしょう。苦情が私に来るんですよ」
 悩んでいる少年そっちのけで、二人のやりとりは夫婦喧嘩に発展しつつある。喧嘩と言うよりは、一方的に正論で叩きのめしているだけだが、慣れぬ者が見ればそれはもう険悪な雰囲気だろう。
「気にする事はないよ。いつもの事だから。
 こちらはこちらで話を進めよう」
 ジークとグラムは二人を気にしてそこから椅子ごと離れつつ、ディオルへと寄ってきた。
「聞いて分かるだろうけど、うちも身内に相性の悪い者同士がいて、彼女は今遠いところにいるんだ。彼女はそうしないと生きていけないからそうしているんだけど、彼女に触れるだけでダメージを受ける父親がストーカーのように物陰から見ているから相手にストレスを与えまくっているんだ。まあ、君たちの状況をこれでもかというぐらい重度にしたものだと思ってくれていいよ」
 ジークはうっと呻いた。
 彼もまた、こっそり見に行っているのだろうか。並の相手にならば悟らせないだろうから問題ないが、ディオルの姉は並の相手ではないのでいつも気付かれる。
「君の妹は、治るのか?」
「まあね。もう外に出てもいいぐらいだけど、父さんともう一人の馬鹿のせいでトラウマになっているから、出てこられないんだ。
 あと、姉だけど」
「姉!?」
 両親が若く見えるので勘違いされやすいが、本当にまだ若いのは父だけだ。その父も年よりは若く見られる。
「ようは、身内が無理をする姿って、身内にとっては毒なんだよねぇ。自分のために傷ついているとか思わせたりするのは、けっこうひどい行為だと思うんだ」
 ディオルの視線に気付いて、ハウルが身をすくめる。
 娘に会えない気持ちをぶつける先がなく、ディオルばかりを可愛がる事にも罪悪感を持ち、甘やかされていたがかなり放置されて育てられた。幼い頃にいつも遊んでくれたのは、血の繋がらない家族とも言えない家族達。
 まったく遊んでくれなかったわけでもないし、いつも遊んでくれようとはするのだが、そうしている時の彼は心ここにあらずと言った調子で楽しくもなかった。何よりも、趣味がまったく合わないのが一番の原因かも知れない。
 ハウルはアウトドア派で、釣りやらハイキングに連れて行きたがる。しかしディオルは外遊びが大嫌いだった。よって部屋遊びをしてくれる同居人達と遊ぶ事になる。
 抵抗する度に、せめて家の中で運動しなさいと、ヴェノムがフォローにならないフォローをしていたので、半分ぐらいは妨害されたと記憶している。
 父提案のかくれんぼをして、仕方がないからトイレの中で本を読んでいた時はふてくされて鬱陶しかった。
「ジーク。もし、根本的に解決をしたいと思うならば、うちに来なさい」
 ヴェノムはハウルの頭を撫でながら言う。この夫婦、元は師弟で育ての親だったものだから、いつまでもその時の癖が抜けずにいるのだ。息子としてはかなり恥ずかしい。ヴェノムが言うには、甘え上手で困った子だそうだ。
「あなたのところに?」
「大自然に囲まれたところです。道を外れると魔物は出てきますが、人間はいません。何を殺しても苦情が来る事もなく、植物たちは異様に強いので邪眼が発動してもすぐに枯れる事はありません。設備も整っていますし、今は他に弟子もいませんから、環境としては悪くないはずです。暴走だけならそれほど難しい事でもないですから、魔道の基礎を身につけるとしても半年あれば十分でしょう。将来的には自由に操れるようにもなります」
 昔は方法が確立されていなかったので大変だったらしいが、邪眼本人が教えれば短期間での習得も可能だ。
 ジークは喜びと戸惑いが入り交じった表情を浮かべて、再びふさぎ込むようにうつむいた。
「しかし、迷惑では……」
「あなたの父君にはしっかりと生活費は頂きます。弟子を取るのは趣味です。
 それに、インドア派のうちの子をたまにでも外に連れ出してくれそうな男の子がいると助かります。
 研究資料のためなら外に出ますから」
 研究資料扱いしていいのかと、ジークを見た。
 世の中、何が自分の目的に役立つか分からない。ヴェノムの邪眼は、邪眼としては平凡な物で、ディオル的には価値がない。今まで前例がないような、そんなものの研究こそ、道を開く可能性があるのだ。
「ディオルは一体何の研究を……」
「神を出し抜くぐらいはできるようになりたいそうです。越える事は無理ですが、やりようによっては可能ですから」
 ジークがぽかんとしてディオルを見ている。
 だから他人に知られるのは嫌なのだ。
 父も祖父も、子供は夢があって可愛いなぁと頭を撫でるだけで、本気にはしていない。いつか見返してやるのだ。
「一晩あるからよく考えなさい。一時しのぎを望むのなら、定期的な封印が可能ですが、根本的には解決されません」
 ヴェノムはハウルの手を握って立ち上がる。
「少し、庭を散策しましょうか」
「うん」
 妻の前では子供のような夫の手を引き、綺麗に花咲く庭へと向かう。ハウルの頭の中も花が咲いていそうだ。
「一緒に行かなくていいのか?」
「なんで僕があの夫婦の間に入らなきゃならないんだ。面倒くさい」
「…………それもそうか」
 この短時間で、この手の人の良さそうな男がそう納得するほど、面倒くさそうな夫婦に見えるのだろう。


「どうか、よろしくお願いします」
 朝、朝食を済ませて廊下を歩いていたら、待ち構えていたジークは頭を下げて言った。
 昨日まで咲き誇っていたはずなのに、無惨に枯れた庭の花を背に。
 ヴェノムはその悲惨な状況に、なんとも言えぬ思いを抱く。色々な意味で可哀相な子だと。
「なぜ枯れたのですか?」
 視線を斜め下に固定したまま、泣きそうな顔をして語った。
「夜、悩んで庭に出たんです。妹の花を見ようと。
 そこに妹が帰ってきて……」
 枯れたと。
 妹も会わないように夜に戻ってきてみれば、兄と出会ってしまったと。
 この空回り具合は彼女の可愛い夫にどこか似ていて、そのまま見捨てるのも忍びない。同じ邪眼として、厄介な目を持った気持ちも理解できる。
 ヴェノム自身の場合は、人が死ぬような性質だったため、周囲の方が必死であったが。
 彼のは微笑ましい悩みだ。その微笑ましさが、可愛らしい。
「妹はどうしたんだ? 怒って出ていったの?」
 ディオルは庭に出て枯れた花を手折り、戻ってくると尋ねた。
「…………気になさらないでと言っていたが、たぶん落ち込んでいただろう」
「まあ、そりゃそうだね」
 自分が暴走のきっかけになっていたら、落ち込むのも当然だ。その妹という方も、特殊な体質の可能性もあるが、ジークの事以外では問題もなさそうで、神殿に通っているならそちらが先に気付いている。神殿が囲い込むという事は何か益があるのか、それとも──
 そこから先は首を突っ込みたくない思考になり、忘れる事にした。
 この話はジークがこちらの来るのであって、これ以上の滞在はないのだ。
 関係のない事。関わり合いにもなりたくない。これがヴェノムの許容範囲限界だ。この国には世話にもなったが、これ以上の関わり合いは持ちたくないのだ。
「兄さんの荷物、どうすればいいかな? 塔で送ってもらえるかな」
「グラム、いたのか。というか、なぜお前が私の荷物を?」
 グラムは兄の言葉にへらりと笑った。
「それなら僕が穴を開けるよ。うちにも魔法陣があるけど、塔のシステムは独特だから、相性の問題であまり大きな荷物を運べないんだ。あ、最悪の場合でも笑ってすまされるものだけにしてよ」
「あぁ、昨日の力。ありがとう」
 ディオルは同年代のグラムと話を決めた。
「だから、なぜ荷物などっ」
「昨日の昼間に母さんの指示でまとめさせたらしいよ」
 ジークは驚いて目を見開いた。どうやら親たちは元よりそのつもりだったらしい。ヴェノムが尋ねて来たのは偶然なので、恐ろしいほど素早い決断力である。
 食えない者達だ。
「じゃあ、着替えとかかさばる物をお願いできるかな。武器とかは、さすがに笑えないからね。うちの武器、高いもん」
「高い物は弁償しろとか言われても困るからね。僕はいつもお金には困っている」
 普通の生活をしていれば足りないはずのないほど自分で稼いでいるらしいが、それでも足りなくなるのが研究費。その商売もあまりいい連中との付き合いとは言えないが、それでも楽しそうなので良しとしている。あの性格と能力で無趣味になられたら、将来がよけいに心配だ。
「まあ、服も山ほどあるから本当に身一つでも困る事はないよ。時代錯誤な服ばっかだけど」
「古い家なの?」
「歴史的建造物だね。六、七百年ぐらいは前の城らしいよ。地下には迷路と拷問部屋があるし、歴史だけはありそうなところだね」
「…………僕、そういうところは苦手だなぁ」
「普通の人は入り口あたりで逃げ帰るね。まず声をかけられて」
「何に?」
「しゃべる花とか動く人形とか」
「…………玩具?」
「いや、僕の作ったキメラとか、殺人鬼の幽霊とか」
「僕、そこには一生行きたくないな」
 その会話を聞いていたジークの顔色が変わっていた。どれだけ身体を鍛えていても、幽霊というのは恐ろしい物らしい。
「では、荷物を移動させましょう。ディオル」
「うん」
 本人の決意が揺るぐ前に、荷物を移動させてしまえばいい。この手のどこか自分に自信がない人間は、追い込まれると逆らえ事が出来ないのだ。荷物を親切に移動させてしまえば、武芸者としての矜持もあり、幽霊怖いなどとは言えないだろう。
 どれだけ心に思っていても。
 おそらく、父親も恐れている。
 アークガルドの教育は厳しいと、一時期世話になっていたというホクトが言っていた。父親には許可をもらっただろうから、後に引けない状況にしてやればいい。
「では、帰りましょうか」
「だな。これ以上延長すると、ラフィが心配する」
 ハウルにとってはもう一人の娘であり妹である少女を心配している。魔力がよく流れる、空気の澄んだ場所でないと体調が悪くなるため、滅多な事では街に来られない子だ。今頃、寂しく思っているだろう。
「そろそろ帰らないと、キメラの様子が変わるからね。あいつら薬の投与をさぼってるかも知れないし」
 息子の発言を聞く度に、誰に似てこんなに悪趣味になってしまったのかと悩む時がある。
 普通の男の子との生活は、彼に少しはまともな感覚を身につけさせてくれるのではないかと、淡い希望を抱かせる。
 少なくとも、他人で年が近い分、ハウルよりは期待できそうだ。
 なにか尊敬し会える部分が見つかればと、願ってしまう。
 今まで生んだ中で、一番の変わった趣味を持つ息子は、そんな母の願いも知らずに新しい観察対象を得てとても喜んでいた。

 

感想、誤字の報告等

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