2話 キメラ
視界が変わり、周囲を見回す。
灯りはヴェノムの手の平にある魔法の光だけ。それに照らされたこの部屋は、窓もなく石の壁に囲まれて、地下室のような雰囲気だ。
ジークにとってはこれから過ごす場所の第一歩であり、不安がある。
「移動には、迎えの魔道士がいるものだとばかり思っていた」
「普通はいるけど、規模が小さいし自分の家ぐらい勝手が分かってると出来るらしいよ。理屈知らないからはっきり分からないけど」
自信満々のディオルでも、こんな生活に密接した魔道の原理を知らないのだ。
魔道士は何でも知っていなければならないように思い込んでいたが、案外そうでもないらしい。
「でも普通は出来ないから。この二人が特殊なんだ。僕だって戻る時には師匠に手伝ってもらうよ。基本的にここの使用は大人がいないと禁止されているけどね」
「そうか」
緊張する。
ここは彼にとって知らぬ世界だ。あまり街の外に出た事がない上、知らないところでほとんど知らない相手と生活するのは初めてだ。人見知りのあるジークにとって、それだけでも大きな試練だ。
皆について階段を上り、外は、これからはどんなものなのかと夢想する。大自然だと言っていた。他人との関わりはあまりないのだろう。森の中なら食料はいくらでもある。水場を確保すれば生きていける、などと考えて首を横に振る。
自分の家の常識を持ち出しては笑われるだけだ。
強くあらねばならない。冷静であらねばならない。
皆が階段を上るのでジークも後に続く。狭い階段で、地下なのだろうと判断した。
「ゼノン? どうした」
ディオルが足を止めて誰かに問う。
「大変っすよ!」
聞いた事のある声だ。確か、ディオルが開けた穴の向こうから聞こえた若い男の声だ。
「大変?」
「薬で抑えていた奴が、突然目を覚まして立て籠もったんっすよ!」
「そんなの自分達でどうにか出来ないのか。お前は無能か。無能のキメラなんて僕には必要ない!」
顔を出し、そのキメラを見る。
その姿を見て驚いた。
「猫……」
大きな猫だ。翼と角が生えた大きな犬ほどの白い猫。
「か……可愛い……」
ジークは無類の猫好きだった。小動物は全般好きだが、その中でも猫はたまらなく好きなのだ。食用ではなく、適度に距離を置いてくれるところが安心できるし、何よりも見た目が可愛い。声と名前からして雄なのだろう。可愛い。
「キメラって言うからもっとおどろおどろしたのを想像していたが、可愛いんだな」
「見た目重視はこれだけだよ。大きくなりすぎて失敗だけど、元々は子供が脅えない程度のサイズで、護衛も出来る愛玩用を狙って作った奴だからね。あと、頭の中身も問題がありすぎて、下手に弄ると処分した方がいいぐらいの馬鹿になるし、難しいものだよ」
言っている事はやや怖いのだが、可愛いキメラが一匹だけとは残念だ。こんな可愛い生き物がしゃべるなど、夢のようである。会話を聞いていると、ディオルを恐れているから従っていた風だったので、まずそれが問題なのだろう。幼い頃に買ってもらった玩具もある程度の会話が成り立ったが、やはり生きているとまったく違う。まず量産型にはない個性がある。
「ぼっちゃん、大変なのは立て籠もった事じゃなくて、人質がいんですよ! 人質!」
「どこの間抜けだ」
「メンテ中で眠っていたノーラさんっすよ!」
「そりゃあ……捕まるね。師匠は?」
「手出しできずに部屋の外で怒り狂ってますねぇ。メンテ途中で不安定だから、少しでも衝撃を与えるとヤバイらしいっす。過保護ですからねぇ」
「うぅ……」
ディオルが顔を顰めて頭をかいた。手の平を串刺しにされてもけろりとしている彼がこれだけ悩むのだ。普通の立て籠もり以上に深刻な問題らしい。衝撃を与えた時の結果は知らないが、それを防いで人質を救出するのは確かに困難である。
「ディオル、自分で何とかなさい」
悩む息子にヴェノムは言い放ち、荷物を引きずり先に行ってしまう。
「大丈夫か? 自分で何とか出来るか? 父さん、手伝おうか?」
「自分で出来るよ。父さんは好きなだけ母さんといちゃついてればいいだろ。鬱陶しいからもう一人作れっていってるのに、いつまでも子離れできないでいてどうするんだ」
ハウルは寂しげにヴェノムの後を追った。愛を一身に受けると、鬱陶しいと思うようになる事もあるらしい。
過剰にベタベタした親子関係には見えないのだが、それでも思うところはあるのだろう。
「くそっ。飼い主に逆らうなんて、どうなるか思い知らせてやる」
キメラが人質をとるなど、暴走したのだろうか。これだけ賢そうなキメラが作れても、この恐そうな主の言う事を聞かないのを作ってしまう事もあるらしい。人質を取るなど、なんて賢いキメラなのだろうか。
「で、ノーラさんはどんな状況だ?」
「むき出しにしてあるけど、管やら何やら埋まりまくった女に下心はでないだろうから、その点は安心なんすけど、管を握りしめてるらしくって。催眠ガスとか催涙ガスを使ったらどうかって聞いたら、今のノーラに薬物を入れたらどんな反応するか分からないって却下されまして」
「そりゃそうだね。穴を開けて、腕を切り落とすか」
「ぼっちゃんの穴は、狙ったところに開かないでしょう。ノーラさんの土手っ腹に穴を開けたらどうすんですか。指定されたところ以外で開けられたら、俺たちゃ恐ろしくってメシも喉を通りませんぜ」
「ちぃ」
ディオルは舌打ちしてゼノンを伴い進む。ジークは少し迷い、ディオルが荷物の一部を持っている事に気付いて追った。乱暴にされてはたまらない。
地下から出ると、しっかりとした古い造りの城に感心した。外を見ると手入れされた庭が見えて、視線を戻す。廊下はあまり飾りはないが、掃除は行き届いている。
しばらく行くと生活感と飾り気が出てきた。絵や花が飾られ、窓にはカーテンが掛けられている。そして人の姿を見つけて、足を止めた。
「師匠」
「ディオル!」
床に座っていた金髪碧眼の青年が立ち上がり、ずかずかと寄ってくる。
男のくせにずいぶんと綺麗だ。弟や妹のような、カーラント人らしい顔立ちや色合いである。妹を思い出し、切なくなった。持ってきた写真は、飾らない方がいいだろう。アルバムに入れたまま、ただその存在を忘れないようにすればいい。
「まったく、自分の観察対象の管理ぐらいしっかりしろと言っただろう!」
「ごめんなさい」
あの上から物を言うディオルが素直に謝った。まだ若く見えるが、彼が師と仰ぐほどだ。よほどの人物なのだろう。
「今度から、しっかりするよ。まさか薬が切れるとは思っていなかった。個体の事前調査は欠かさずにする」
「ノーラさえ無事に戻ればもう何も言わないが、今、あの子は危機的状況だ。徹夜明けで頭も回らないというのに、朝食を食べている間にっ」
ディオルの師は地団駄踏む。人質にされている女性がよほど大切なのだろう。
ジークも、妹が人質に立て籠もりなど起こったら、相手の首をはねてやりたいと思う。
「君も来て早々すまないね。ふだんはこんな事ないんだが」
「いえ。災難ですね」
「まったくだよ」
彼は腕を組んでドアを睨み付ける。上品な顔立ちは、色濃い疲れがにじみ出ていた。
「説得してみるか」
ディオルは部屋をノックした。
「一応言っておくけど、そのひとに何かしたら、ただで死ねると思わない方がいいぞ。実験台の中でも、一番苦しいのを試してやる。ああ、死なないから安心しろ。死ねないから。どれだけ苦しくても死ねないから。手足を杭で打ち付けられて、助けに来る者もなく、見た者に化け物と呼ばれ、それでも永遠の業火に焼かれるようにのたうちすすり泣き生きなければならないんだ。絵巻物の地獄とどちらが辛いだろうな」
それは、世間一般では説得ではなくただの脅迫と呼ぶものだ。しかも、脅迫の内容があまりにもずれている。一体、どんなキメラがそこを占拠しているのだろう。見た目は無愛想だが可愛らしい子供だというのに、弟にもこんな黒さが隠されているかも知れないと思うと、泣けてくる。
「罪状はなんだい?」
「確かショタコンの快楽殺人鬼」
「なんだって!? ぜひそうするといい。きっと、親御さん達もそれを望んでいる」
何の事だろうか。キメラの話ではないのだろうか。
「キメラが逃げ出してそんな事を?」
「キメラじゃないよ。まだ生きている人間。かろうじて、まだ人間だったと思うよ」
「に、人間!? かろうじて!?」
理解できない。
キメラではなく人間だが、かろうじて人間とは何なのだ。
「ど、どういう意味だ!?」
「キメラってのは、素体によって出来が違うんだよ。知能を持たせるには、人間をベースにするのが一番手っ取り早いんだ」
「ベース!?」
人間をベースとは何の事だ。
隣でこちらを見ている大きな猫を見た。ディオルぐらいなら背中に乗れそうな猫だ。よくしゃべる人間っぽい猫だ。
「ども。元人間のゼノンでぇす」
あっけらかんと言うからなんとか堪えたが、一瞬、気が遠くなりかけた。
「心配しなくてもいいさ。処刑される予定の罪人を買い取っているだけだからな」
「買えるのかっ!?」
「ああ。もちろん合法だ。許可制だけどね」
つまり、中にいるのは改造予定だったところ、命からがら逃げ出した殺人鬼だと。
同情は多少あるが、合法ならば同情しきれるような相手ではない。不審を抱きそうになるが、それを押さえ込む。他国のする事に文句を言う資格はない。
「審査はけっこう厳しいんだ。ここで逃がして許可降りなくなったら、自分で捕まえてこないと行けないから、非合法になるんだよね。母さんが合法の内は許すって言ってるから、ぶっ殺してでもどうにかしないと。逃げたのを殺すだけなら簡単なんだから問題ないんだけど……問題はどうやってなだめてノーラさんから手を放させるかだ」
「逃げたのを殺すのが簡単……なのか?」
「手当たり次第空間を切っていけばいいんだ。戦闘用に作ったキメラを試すにもいいし。ちゃんと動けるか見てみたいんだよねぇ。でも、生け捕りって、難しいらしいんだ。自分達のスペックを理解していないところがあるし」
中の彼は、どうするのが一番なのだろう。逃げたり、人質を傷つければ確実に殺される。
「まあ、ここを出ていくなんて、不可能だけど。
窓は封印してあるし、出たとしても向こうにいるのはこの城で一番残忍な現役殺人鬼の幽霊だし、こっちの出口には殺し屋一家の長男がいるし」
「その殺し屋一家とはうちのことか?」
「殺しもやるんだよね?」
「確かに、そういう仕事もあったらしいが、今はないぞ。今の王とは関わりを持っていないからな。ちょうど私が生まれた頃だ。だから、私はないぞ。仕事としては」
「仕事としては、だろ。アークガルドの当主が、人も殺した事がありません、なんて生き方をさせてもらえるようになったら、僕は驚くよ」
驚くほど彼はアークガルドの事を知っているのだろうか。確かに、ジークも驚くだろう。
「自分の食べる物は自分で狩ってこいって家なら、自分の小遣いは自分で稼いでこいとか、賞金稼ぎでもやりそうだよね」
「なぜ分かるんだ……」
確かに、領内で山賊でも出れば皆と捕らえたし、賞金稼ぎのまねごともした。
家の名ばかりは知られているらしいが、実体を知る者はあまりいない。そこまで理解されているなど初めてだ。
「ディオル、アークガルドについて詳しいのかい?」
「ホクトさんから聞いているんだ。
第一、母さんの息がかかっている家だ。まっとうなはずがないじゃないか」
「君は、実の母親を何だと思っているんだ。会社はまっとうだよ」
緊迫しているはずの今、この二人は何を話しているのだろうか。
「一番まっとうじゃないのは君だ」
「母さんの言いつけ通り、合法で治まる範囲内の事しかしてないよ。法律に引っかかる拷問とかはしたことないじゃないか」
「決まりがない部分で好き勝手しまくっているだけだろう。許し難い罪人だからといって、何をしていいわけではないよ。死神様にも言われているだろう。殺さないのは哀れだと。殺してやらないのは哀れだと言われるような事をしている自覚はないかい」
「買い取った囚人の様子を見て決めているから、相応しいようにしているだけだよ。
ゼノンはまあ金持ち相手の詐欺だから、護衛兼愛玩用の売り物にするための作り方をしているだろ。
死神様に言われたのは、頭そのまんまじゃどうやっても使い道がないぐらいいっちゃってるようなのを、人格をすべて消して蘇生実験用にしただけだよ。人を混ぜたのと、混ぜないのを比べて観察しないと意味がないだろ。
僕にも良心はあるから、ちょっとどうかと思う実験は、自分の心が痛まないようなクズを使ってるからいいんだ」
「君の所有物だから好きにすればいいが……君にとって中の彼は?」
ディオルの師匠はドアを見つめて言う。
「かなり最低なクズだったけど、逃げた事によって最低最悪のクズになり、ノーラさん人質にしてるから死神様のところに誰がやるかってぐらいのクズに下がったね」
中で何かを落とす物音がした。外の会話は散々彼を悩ませているだろう。他人事でも不安になるのに、当事者であれば冷静ではいられない。死ぬよりも辛いはずだ。
ジークはため息をつく。
このままでは、中の人物はどうなる事やら分からない。自暴自棄になって分かっていても自分から立場を悪くする者というのは、少なくはない。
渋々と、ドアをノックする。
「聞いているだろう」
「ひっ」
中から男の声が聞こえた。声質からして中年の、大柄な男。
罪状を聞いているので、同情心はまったく湧かない。見た目はまだあどけない弟がその手の男に好かれるので、殺意も湧いてくる。
「お前は逃げられないぞ。人質がいたとしても、このドアを通った時点で私がお前に毒矢を撃つ。人質を傷つけたら、その時点でお前の負けだ。どうやっても逃げられない。
捕まったらどうなるか分かっているな。
お前には二つの道しかない。選ばせてやる」
「選……ぶ?」
一つは投降すること。
もう一つは簡単だ。
「投降するか、自分で死ぬか、どちらか選ばせてやる。話を聞く限りでは、自害の方が幸せだと思うが」
自分でやったことがないことを他人に勧めるのもどうかと思うが、世の中とはそんなものだと今は亡き祖父が言っていた。教育だけは受けているので感情を声に出すような事はしないが、複雑な心境だ。どうせ死ななければならない者だからこそ勧められるが、そうでない者だったらどうしたのかと、馬鹿な事を考えて首を横に振る。
死に行く者がいる。
その事実だけが目の前にあり、おそらく変える事は出来ないし、逃がしても男は犠牲者を増やすだけだ。結果は変わらない。
誰も幸せにならず、誰も感謝せず、誰もが恨むだろう。
だから冥福を祈った。その瞬間、ディオルが口を挟んだ。
「ああ、しばらくは自分でなんて死ねないよ。もうちょっと弄ってるから、よっぽど思い切りよくやらないと回復するからね。っていうか、その身体で逃げても、惨めな思いをするだけなのに、分からないのか?」
ディオルは楽しげにくつくつと笑う。
見た目は弟と同年代の少年なのだが、腹の中は真っ黒だ。黒いとは思っていたが、もう暗黒だ。こんな人間と出会ったのは初めての事でどう対応していいのか分からない。子供ならではの無邪気さが、その黒さをより深く見せているのかもしれない。
内心ビクビクしていると、ディオルの師が手を打った。
「そうか。なるほど、自分の姿を知らないのか。君、鏡があるから見てみたまえ」
どんな姿に改造させられているんだとおっかなびっくり待っていると、中から大きな悲鳴が上がった。鏡を見たのだ。
「ディオル、ドアとバリケードごとどこかにやれ」
「はいはい、了解」
ディオルはあの時のように切り裂く動作をした。以前のようにぽっかりと空間に穴が開いてどこかが見えるのではなく、見えたのは黒、闇だった。それが広がり目の前の扉を、棚を覆いそのまま収縮して闇は消える。
「ジーク、行け」
渋々と、言われるがままに室内に突入した。
すごい部屋だ。おどろおどろしい大量のキメラを想像していたのだが、意外にも格好いい研究室だった。決して不気味な生物の残骸がホルマリン漬けにされて並んでいるような事はない。
見た事がないので何が何だか分からないが、分からない物体だからこそ格好良く見える。
それを今は無視して姿見の前で固まる男の背後に走り寄り、ジークも固まった。
頭皮がない。顔面の皮膚が半分崩れている。肉も少し崩れている。
「っっっ!?」
精神修行の甲斐なく、ジークは驚きのあまり後退した。
恐い。恐くないはずがない。
事故か拷問後かさもなくば何か悲惨な病気に感染している人間と言われてもこんなになるなど信じられない形相なのである。
「二人とも動かないな。よほどショックだったか」
「犯罪者と武闘家のくせに精神的に脆いね。とくに殺人鬼のくせに、ちょっと変形させている途中経過を見ただけで固まるなんてな。自分の方がよっぽど人の形を崩してきただろうに」
ディオルは男に近寄り、何かを腕に叩き付ける。よく見ると注射器だった。動物用だろう。人間用のとは違いかなり独特の形をしているが、注射器だった。
男はばたりと倒れ、ディオルはその足を掴んで引きずろうとする。進むが、体格の差があるためずりずりと少しずつしか進まない。
ディオルの師匠は人質の元へと駆け寄り抱き起こしていた。銀髪の美女だ。美男美女で、実に絵になる。恋人なのかも知れない。邪魔しては悪いような気がして、ディオルが引きずる男の腰を掴んで持ち上げ、気色の悪い感触がして離した。どしゃっと落ちるが、それよりも気色悪さが打ち勝った。
「ぐにっとした、ぐにっと!」
「変質しているからね。これから混ぜるんだ。顔がよかったりしたらパーツをそのまま使う事もあるけど、こいつのパーツで使えそうなところはないから、混ぜる他の生物の姿をベースにする。
あ、ゼノン、重いから持て。というか、言われなくても持て」
ディオルはゼノンに任せて部屋から出て行くので、邪魔にならないように速やかに部屋を出てドアを閉める。それから、ディオルと目が合い、気になるこの男の行方を聞く事にした。
「この男も、混ぜるのか」
「ああ。これからお金がいるから、予定変更して売るための物を作るけどね。師匠の部屋、荒らしたから、請求来るだろうし、移動させた一部は壊れてるだろうし。くそっ」
「これが……売れるのか? 猫みたいなのを作るのか?」
キメラなど見た事も噂を聞いた事もなかったため、未知の世界だ。
「いいや。適度に強く作って売る。闘技場によく魔物とかいるのを知らないか? ああいう娯楽的なのだね。不気味で格好いいのはけっこう高く売れるんだよ」
確かに、小説でなら読んだ事がある。今の国王にそんなような趣味があるような事は聞いているので、珍しいことではないのだろう。世の中には変人は思う以上に多いのだ。
「どこの国で売れるんだ?」
「一番の顧客はガンディスだ。
死刑囚を買うのも主にガンディス」
「あの国は、厳しいらしいな」
炎を司る神を崇拝する地域であり、国民も熱しやすいため、かなり厳しいと噂には聞いた事がある。接点がないのでそれ以上は知らない国だ。隣のクロフィアやモルヴァルのことですらほとんど知らないのだから、本当にそれだけしか知らない。他に知っているのは首都の名前ぐらいだ。
「罪人を売るのはね、僕みたいなちょっと倫理的に問題がある人間が結果を出すことによって、懲罰的な意味を持つんだよ。国によっては人権がどうたらと、加害者を保護しがちなところがあるだろ。そういうところよりは犯罪が少ないらしい。だから僕のような人間に売るんだ。最近はとくに重犯罪が少ないらしい。闘技場で闘わされて死ぬよりも、キメラになって殺される方が嫌みたいだね。はっ、情けない」
ディオルの所行を見れば、ジークだって犯罪など死んでも犯さないと心に誓う。絶対にああはなりたくない。けろりと人が結果的に死ぬための改造をするような男だ。誰であろうと、やりそうな気がする。
「あ、ここが僕の部屋だ。君の部屋は適当に見繕ってやるから、ちょっと待っていて」
ディオルがドアを開き、色々な意味でおぞましい部屋へと足を踏み入れた。
おぞましいといっても、想像していたおぞましさとは違う。
「……掃除、してるのか?」
「たまに」
そう、散らかっているのだ。床には本が積まれ、紙が散乱し、うっすらとほこりが溜まっている。汚らしい『ゴミ』が見あたらないので悪臭がする事はないし、足を踏み入れるのに嫌悪感を持つ事はないが、紙のない細い道らしき物の上を慎重に歩くのは、少し憂鬱になった。
ゼノンが心配になり振り返ると、彼は翼を広げ、空を飛んで奥の部屋のドアの前に着地する。出入り口の一角だけ綺麗なのは、そのためだろう。
「開けてくれぇ」
「はいよー」
ドアの向こうから、ゼノンに負けない気楽な声が響く。ドアが開かれると、熊と狼とあとは鳥が混じったような姿をしたモノが佇んでいた。
「捕まったかぁ、そうかそうか。よかったなぁ。これで夜もゆっくり眠れるなぁ」
「いやあんた、昼間もほとんど寝てるだろ」
「でもなぁ、ぼっちゃんが怒っていると、悪い夢を見るからなぁ。なんでかなぁ」
暢気なキメラだ。話し方がとろいというか、何というか。
「な、何なんだ?」
「あれはテルノ。あんな話し方だけど、人殺し。主に睡眠妨害をする相手を容赦なく殺して捕まったらしい。キメラになっても相変わらずだから、ベッドは一匹だけ檻の中。基本的に、睡眠関係で怒らせなかったら気のいい奴だ」
「…………なんか、濃いな」
その中でも、主が一番濃い。
「テルノ。ジークだ。今日から母さんの弟子になる。廊下で出会っても食べるなよ」
「いやだなぁ。たべないすよぉ。寝ぼけてかじるならともかく」
人間、そういうことはあるだろう。寝ぼけて何かを囓る事ぐらいある。
相手が生き物で、あの歯だと簡単に死ぬだろう事が問題なだけだ。
「で、それは結局どうするんですかぁ? おれも、そういう犯罪者は好きじゃないから、いっしょにいたくないす」
自分が殺人鬼だという自覚はあまりないようで、ゼノンが床に落としたそれに嫌悪感すら混じった視線を向けた。人間を捨てても、自分の事を棚に上げるらしい。
「お国に戻すよ。そろそろ催促されるだろうしね。ただでさえ少ない素材が、他に流れても嫌だし、国民の理解を得ないと」
国民の理解すら得ているという事に、ジークは考えた。
自分がずれているのだろうか。街の外に出ても、フードで顔を隠し俯き、出来るだけ夜に出歩き、外食などせずに、ひたすら他人と係わらないようにしてきたが、それでも感覚は普通だと思っていたのだが、ずれているのは自分の方なのだろうか。生まれ育ったあの家が変わった家だと自覚しているし、皆知っているが、だからこそそれを知っていれば大丈夫だと、思っていたのだが、違ったのだろうか。
ディオルはテルノに男を運ばせて、大きな入れ物に落とす。水音が不気味に響いた。
「うぅ……」
「少年、あの人の前で悩んでも馬鹿を見るだけだからやめとけって。
無自覚なドSの変わり者なくせに、キメラ以外のことじゃあ普通に見えるから混乱するらしいけど、正真正銘、ヤバイ奴だから」
「そ、そうだな。そうだよな」
「そうそう。毒されるな毒されるな。ここは非常識な世界だぞ。あいつが生まれて非常識さが上がったらしいけど、でもやっぱり常識はあまりないからなぁ。基本的に『イイヒト』達だから、その点は安心してもいいんだけど、色々と毒されるから覚悟してろよぉ」
猫に諭されている。
可愛いが、猫に諭されている。
「そ、そう言えば、元詐欺師……」
「いやいや、騙すのは命令されなきゃもうやらないって。ぼっちゃん恐いから、下手なことして気を悪くさせられないっていうか。物欲とか、その他色々の欲って、この身体になってから綺麗に消え失せたって言うか、全部食欲になったっていうか、嘘ついて夕食抜きとかにされる方が辛いというか。
ヴェノム様の作るメシ、美味いんだ。食べられれば幸せっていうか、だから嘘をつく必要もないんだ」
「ヴェノムさんだけ様付け……」
「あの人が一番恐いんだぞ。この城の主だ。
台所を制圧しているから、旦那ですら許可がないと入らせてもらえないし、あの人には擦り寄っておいた方がいい」
本当に、食欲は旺盛のようである。食べる姿は、きっと可愛らしいだろう。
なにやらはしゃいでいる主を、遠い目で見る彼はやはり可愛くて、喉の下をなで回したい衝動に駆られた。