5話 薬屋

 ディオルが浮かれていた。毎日カレンダーに印をつけて、丸く囲まれた目的の日が近づくごとに浮かれていく。
 まるで旅行を楽しみにする子供である。
「なぁ、エリア。あれは何の日だ? あのディオルが、あんなに子供らしく……」
「さあ。祭りはありませんし、誕生日も違います。大きな取引……で浮かれるほど子供らしくもありません」
「友達とどこかに行くとか」
「どこかに行くのにあれだけ浮かれる友人がいるとでも思っているんですか」
「…………友達、いるよな?」
「知りませんよ」
 ディオルの寝室の前でジークとエリアスは話し合う。
 それを見上げる大白猫のゼノンと、ガルーダっぽいキメラのコロム。部屋に入りたいのだろう。ディオルの寝室は、彼の私室の中で唯一散らかっていないので、安息の地だ。
 曰く、寝室は寝るところ。考えるところではないから綺麗にしてもいいらしい。つまり、ある程度は自分で片付けているのだ。片付ける能力はあるのだ。散らかすのは、その方が考えがまとまるからという、他人には理解できない理由らしい。
 それをジークが知ったのは、キメラ達が浮かれるディオルに脅えて相談されたのが切っ掛けだった。
「君たち、入るなら入ったら?」
 ディオルに声をかけられ、恐る恐ると中に入る。あるのはベッドとクローゼットだけ。寝て着替えるだけの場所。
「そうだエリア。師匠のところに行くけど、何か欲しい物はある?」
「は?」
 ジークには理解できない言葉だった。カロンの部屋にはエリアスの部屋の方が近いのだ。
「どこの師匠?」
「アヴェンダさん」
「あなたの師匠は何人もいるんですから、名前で言わないと分かりませんよ」
 もしも友人の数よりも師匠の数の方が多かったら笑えないなと、ジークは考えてから首を横に振る。
「君たちも来る? マヤが人数分いいって言うからさ」
「いきなり何のことです?」
「サーガンディの遺跡だよ。十年に一度入り口が開くだろ」
 ジークは記憶をひっくりかえし、確か十年に一度だけ入り口が開くダンジョンの話を思い出す。最深部まで行くと、何でも願いが叶うという伝説だ。
「おとぎ話の?」
「実話だよ。あれは夢神に力を溜めさせないために作られた遺跡だ。夢神の力を利用し、最奥にたどり着いた者の強い意志を実体化させる。生物とかは作れないけど、道具ならかなり無茶苦茶なものでも作れるよ。ジークなら、その目の力をコントロール出来るようになる道具とか」
 もしもこれが知らない相手に言われた言葉なら、笑顔の下で胡散臭い奴だと思っていただろう。しかし、相手はディオルだ。子供だが現実主義で、おとぎ話など鼻で笑うような少年。それよりも、その背景にある土着の文化を読み取るような、夢のない少年。
 ジークはディオルの肩に手を置いた。
「い、いいい、いくっ」
 ディオルが言うなら、公算は高い気がした。事実なのだろう。すべてではなく、その背景にあるものが。
「ほんとに母さんまでとは言わないけど表情が変わらないね。まあいいや。でも危ないから、それだけは覚悟しておいて」
「危ないとは、どれぐらいのことだ」
「前にたどり着いた人が何百年か前で、それからまた数千人死んでるって」
「ちょ……そんな危ないことところに行くのか? 師匠は何も言わないのか?」
「母さんは何も言わないよ。存在の源である夢神マヤに案内してもらうからね。その巫女である師匠のところに行くんだ」
 ディオルは胸を張って言った。
 巫女を師匠などと呼ぶとは、本当に変わった子供である。
「神様……なんだろ? 案内?」
「その神様本人に案内してもらうんだ。
 封印されていて外に力を出せないで蓄積するばかりだと、それが溜まって強引に外に出て来るかも知れないから、死神と太陽神が十年に一度ガス抜きをさせているんだよ。なんでああなったかは知らないけど、実にマヤらしい形だな。お祭り騒ぎだ」
 ディオルはくすくすと笑う。人が集まり、欲望のままに命をかける。当事者でなければ、お祭り騒ぎだろう。
「神様っていっても、普段は封印されてるからせいぜい相性のいい人の夢に出てくるぐらいだよ。いたずらっ子だけど、悪い奴じゃない。僕のところにもたまに入ってきて、カードをしたりするね」
 ディオルの言葉にジークはぽかんと口を開いた。
「神様と会ってるのか!?」
 ディオルは首をかしげた。年相応の、子供らしいきょとんとした顔。
「君も毎日会ってるだろ」
「は?」
「父さんはあれでも神様だよ。ハーフだけどね、ハーフまでは神の血が出るから神なんだ。それ以降は出ないから、僕は父さんにまったく似てないんだよ。僕は人間の母さんとばあちゃんに似ているんだ」
 理解できずに茫然としていると、ゼノンに足をぽふぽふと叩かれた。
「まあ、神様なんてーものは、意外としょぼかったりするんすよ。気にしてたら負けです。相手はただの強い強いガキ大将。人が思う以上に幼稚なんで、俺等はお気楽に行きましょうや」
「…………そ、そうだな」
 ここに来てから、深く考えるのが馬鹿らしくなるようになった。悪霊やら動く人形やらキメラやら有翼人やら人工の精霊やら、常識が通用しないものがたくさんいる。
 神様が一人増えたぐらいで何だというのだ。あの光り輝く男が神様でも、ちっとも不思議ではない。
 そう思うことにした。
「で、エリアはどうする。神様の魔力は利用しても、作り出すのは人の力。主義には反しないだろ」
「そうですね。十年に一度のチャンスなら、見に行くのも面白いかもしれません。出られなくなっても、あなたの空間を切り裂く能力があれば出られます。そんな最終手段は使いたくはありませんが、まあその覚悟をする価値はあるでしょうね」
 彼は独特の価値観を持っているが、好む物は分かりやすい。ディオルもそれを理解しているので、案の定食い付いてきた。エリアスの持つ本の中身に、今回のことで有用なのがいるから誘っているのだ。
 ディオルも召喚もどきはできるが、たまに途切れて死んでしまうらしいので、連れて行けるだけが確実な戦力だ。しかしエリアスの本は特別製で、生物を生きたまま保存できる。本はそれほど重い物でもないので、戦力を詰め込めると考えるなら便利すぎる道具だ。この本には相性があるらしく、今のところはエリアス以外には扱えないらしい。彼は扱えるものだから、地神殿から借りているらしい。本当ならジークでは触れることも出来ない価値のある物だ。
「来るつもりがあるなら、明日の朝には出かける」
 カレンダーを見る。まだ数日の猶予がある。
「師匠のところから近いんで泊めてもらうんだ。いや、ホント助かるよジーク」
 いきなりディオルに名指しされ彼は怯む。
「…………私に何をさせる気だ」
「掃除だよ。掃除。好きだろ?」
「好きというか、必要だからやるだけだが」
「必要なんだよ。この件がなくても母さんに命令されてただろうし、手伝いに行くことを条件に許してもらったんだ」
「その師匠とはどんな人物なんだ? ディオルのように部屋が散らかると落ち着くタイプなのか?」
「薬師だよ。きれい好き。ただ新店出すから、入居予定の店舗を掃除して力仕事して欲しいんだって。
 僕のキメラが綺麗好きだって気に入ってるみたいだから、汚いのは嫌いみたいだね」
 彼らが綺麗好きなのではなく、ディオルの散らかし方が限度を超えているだけだ。そして掃除をするキメラが誕生する。
 ジークはため息をついて、カレンダーを見る。
 本番の日はまだ先らしく、しばらくその薬師の元に厄介になるらしい。
 ようやくここにも慣れたのに、また知らないところに行くのだ。気が重い。


 翌日、数日分の着替えと保存食と武器を持って目的の店舗へとやって来た。ジークは年長者としての責任を感じ、何があっても対応できるよう、最善の準備をした。
 ディオルが案内した薬屋の店舗予定の建物は、元は宿屋だったらしく、薬屋というよりも、まだ病院に向いている気がした。
「よく来たねぇ」
 エプロン姿の小柄な女性がディオルを出迎える。気が強そうだが、面倒見の良さそうな女性だ。これが彼の言う師匠らしい。ヴェノム達を見ているから覚悟はしていたが、しわを気にする母が知ったら悲観に暮れそうなほど若々しい。これでハウルよりも年上だというのだから、本当に彼らに常識は通じない。巫女に見えずとも、神の加護を受けているのは間違いない。
「そっちがジークか。あたしは薬師のアヴェンダ。副業は夢神の巫女だよ。よろしくね」
「ジークです。お世話になります」
 握手を交わし、頭を下げる。本当に小柄な女性だ。その割には胸囲が大きく、きつそうだが可愛らしい魅力的な女性だ。
「いい男だねぇ」
「でも父さん系だよ。顔がよくて優しくて強いけど……みたいな」
「そう、ヘタレ系かい」
 ジークは自分の事ながら覚えがあるのでまだいいが、ハウルもそういう扱いらしい。ヴェノムと切り離すと素晴らしく男前なのだが、二人揃うとまるで新婚夫婦のようだ。尻に敷かれている姿を見ると、将来の自分を見ているようでため息しか出ない。幸せそうだが、もう少しだけ対等な方がいい。
「それより先にあいつら出してもいいかな」
「キメラ達? いいよ。今はあたししかいないからね」
「え、どうして? 新店構えるのに一人だけ?」
「ちょっとね。ここは破格の値段で買い取ったところだからさ」
 物件が破格の値段になる理由は限られている。
 殺人事件が起こった。
 家に何か欠陥がある。
 何か出る、もしくは起こる。
 そのどれかだろう。
「理由は分からないの?」
「調べてもいろいろ出てくるけど、何が決定的な理由か分からないんだよ。男の呻きが聞こえるとか、女のすすり泣きが聞こえるとか、子供の笑い声が聞こえるとか、抜き身の剣を引っさげた男が出るとか、動く人形が出るとか、斧を持った仮面紳士が出るとか、いろいろ混じって、ここは深淵の城かというような多種多様な噂でねぇ。
 ただ、人が居着かないって事実だけがあるんだよ。
 何度か経営者が変わってるらしいけど、気味悪がってやめちまうらしい。
 あんたらは何の意味があると思う? 見た目は普通だったろう。入る時も普通だった。あたしは霊感ないけど、人が居着かなくなるほどなら感じられてもおかしくないのに、変な悪寒はしなかった」
 何が原因か分からないからこそ、自分一人で来たらしい。そして一人では不安なので、何かあっても自分でどうにかする弟子を呼んだのだ。
「何か憑いているのかな。エリア、聖職者だろ。お払いとかしなよ。周囲も地神殿の聖人がお払いしたって触れ回れるし」
 中身はどうあれ、地神殿の聖人であることは揺るがないので、そういう使い方も出来るのだと感心した。ジークはすっかりその事実を忘れていた。
「私はそんなもの見たことも聞いたこともありません」
「相変わらず現実逃避して見えてないのか……。霊感は強いはずなのに、なんでその長所を認められないんだ」
 ジークにも見えるものが、エリアスには見えていない。ディオルが言うには、恐がりなのにそれを認めたくないから、無意識のうちに第六感を閉じてしまっているのだそうだ。それさえなければ彼の才能は上手く生かされると言っていた。自分の能力を殺してでも見たくないのだから、こんな何が出てくるか分からないところに連れてきても大丈夫なのだろうかと心配になる。
 それとも、何が何でも自分のすべてから閉め出して見ないつもりだろうか。強がっているので平然としているが、万が一見てしまったらどうなるのだろう。気絶するならいいが、パニックを起こして暴れられたら、彼の馬鹿力だと止めるのが難しい。
「ひょっとしたら、ライバル店の嫌がらせの結果かも知れないよ。色んな可能性があるからね。
 だから掃除して、客室に泊まっていっておくれよ。予定では従業員の部屋にするつもりだから、数日かけて安全を確かめたいんだ」
 彼女はくすりと笑い、エリアスに箒を手渡した。しかしエリアスは本を開いて魔物にそれを持たせる。
「変なのは外には出さないでくれよ。変な噂が立ったらたまらない」
「それは心得ていますよ。私はディオルと違って悪趣味ではありません」
 ディオルはむくれながら荷馬車がある馬小屋に戻り、荷物として箱の中に押し入れているキメラ達を解放し、裏口から戻ってくる。何人かは馬小屋に留まっているらしく、来たのは室内で普通に動けて役に立つ者達だけ。その内に何人か動物の方が強く出ている者達がいるのだが、彼らにディオルは命じた。
「この宿が流行らなかった理由を割り出せ」
「んな曖昧な」
「鼻とか野生の感とかあるだろう」
「鼻はともかく、野生はエリアさんの魔物にお願いしますよ。俺らただの見た目が動物なだけで、思考回路は人間なんですよぉ。人間は捨てきってませんよぉ。野生なんてありません」
 ディオルの騎乗用のキメラが文句を言う。四ツ目の生物で、比較的見栄えはいいが、馬と言われると首をかしげる。かといって犬でもない。キメラでもこれほど何でもないのも珍しい。
「というか、俺、室内はさすがに狭いんですけど」
「でもお前は鼻がいいだろ」
「だから、キメラよりも天然の野生に頼ってくださいって。なぁ、みんな」
 いつものメンバーがこくこくと頷く。
 その様を見て、気をよくしたエリアスが大仰な仕草で本を開く。
「これだから天才に毛の生えた程度の人間の作品は」
 天才だと認めながらも認められないところが、実にエリアスらしい。
 彼は得意げに本の中から魔物を呼び出し、オルトロスはジークを見たとたん、彼の前にちょこんと座る。やはり、餌をやっている相手に懐くらしい。
「へぇ、可愛いじゃないか。ワンコ、干し肉食べるかい」
 アヴェンダに声をかけられると、オルトロスはちぎれんばかりに尻尾を振り始めた。アヴェンダはその二つの首をなで回した後、奥から言葉通り干し肉を持ってきた。
 ジークは腕をまくり、近くに置いてあった雑巾を手にする。
 それほど荒れてはいないが、やはり埃が溜まっている。宿賃分、しっかりと働かなくてはならない。


 深夜、寝室でディオルはくあっと欠伸をした。
 何だかんだとこき使われた。夕飯はアヴェンダが手料理を馳走してくれたが、料理を教えたのがヴェノムのため、家の味とあまり変わらない。美味しいので文句はないが、とにかく疲れた。
 ベッドに横になり、魔動ランプに手を伸ばそうと寝ながら横向きになる。
 ──うぅぅぅぅ
 枕に当たった耳に、変な音が響いた。
 枕をどけて、ベッドに耳をつける。
 変な音がする。たまにひぃ、というような女の声が聞こえる。
 ぎしっと天井から音がする。
「…………」
 掃除したばかりの床に触れ、耳をあてる。
 建物を、音が振動させている。
「なんだ。風の音と家鳴りか。大げさな」
 原因が分かったところでディオルは再びベッドに戻った。昼間は掃除でごたごたしていたので気にならなかっただけで、大したことはない。
「あのねぇ、ディオル。冷静に寝直すんじゃないよ」
 ドアが開かれ、アヴェンダが腕を組んで仁王立ちした。
「昼間はこんなに音がなかったよ。原因を突き止めるのが役目だろう。起きなさい」
「夜になると風が強くなるからだよ。僕は眠い」
「いいから、気になって眠れないだろう。夜に聞こえやすいなら、原因を突き止めるのは夜! 子供らしくないくせに、こういうところだけ子供ぶってんじゃないよ!」
 渋々と起き上がり、隣のエリアスの部屋に行く。ドアをノックするが反応はない。ノブを回すと開き、誰もいない。
 さらに隣のジークに部屋に行くと、中から話し声が聞こえた。
「怖いなら魔物でも抱いて寝たらどうだ? その間にディオルには内緒で原因を調べておくから」
「こ、怖いわけではありません。この音が不愉快なんです。窓も閉めているのにカーテンが動いたり、何のつもりか知りませんが不愉快極まりないんですっ」
 ディオルは吹き出した。
 ディオルや女のアヴェンダよりはすがりやすかったからジークにしたのだろうが、すがった相手に威張っている。ほんとうに滑稽な男だ。
「……ディオルか?」
「ああ」
 ジークに気付かれたので、ディオルは部屋の中に入る。魔物を一匹抱えるエリアスを見て再び吹き出す。
「不愉快です!」
「分かったから。ま、君に感じたり出来る以上は悪霊とかそういうんじゃないだろうね。そんな強いのがいたら僕でも気付くしさ」
 エリアスは深淵の城の死霊すら無視できる、父親以上の頑固者だ。死霊達は彼に近づくのも苦手らしく、彼の周りは綺麗なものである。
「カーテンはすきま風で説明できる。風と家鳴りだ。怖くないだろ」
「怖くはありませんよ。安眠妨害されて不機嫌なだけです」
「はいはい。怖くない怖くない。じゃあ、君の魔物の中から小さめの全部出して、調査させればいいよ。汚れても洗うのは手伝うから。小さいのだったら外で洗っても怯えられないし」
 エリアスはパジャマの下から本を取り出し、魔物を取り出した。ディオルは空間に穴を開けて、じゃれ合って遊んでいるキメラ達にも命じる。これですることはなくなった。
「君の魔物の本能と僕のキメラの人としての知性があれば大丈夫だよ。さ、寝ようか」
 エリアスの顔が引きつる。
「しかし、死霊でないとしたら、何か別の危険な物の可能性があります。集まって寝た方がいいんじゃないですか」
「僕と君には護衛代わりの魔物達、ジークは寝ぼけてるときが一番危険だし、師匠は夢神の加護。で、何か危険かな?」
 エリアスがふぐっと息を呑む。
「ディオル、そんなに意地悪をしてやるな。一緒にいて欲しいなら、私のベッドで寝ればいい。私はどこでもどんな体勢でも寝られるから」
 ジークは甘い。人は甘やかすとつけあがるのに、わざわざ相手に合わせるなど、人の善意を利用する禿鷹のような連中に啄まれるタイプだ。
「じゃあ、僕は寝るよ」
 自分の部屋に戻る途中、まとめていない長い髪を後ろから引っ張られた。
 アヴェンダがぐいぐいと引っ張っている。
「あんたまだ子供だし、キメラは野生の本能もないし、一緒に寝てあげるよ。マヤとの打ち合わせもしやすいだろ」
 アヴェンダもこういうのは得意ではないと、カロンから聞いていたのを思い出す。女の人だと男と違って可愛いものだ。エリアスだとああも滑稽なのに、アヴェンダだといつもとは違う別の一面を見られたという印象だ。
 性別の差は与える印象を大きく左右する。不思議だなと思いながらも、髪を引っ張る手をつかんで部屋に向かった。



 翌朝、魔物とキメラに囲まれて、しくしくと泣いている小人を見て目を点にした。
 どたばたと何かを追いかけていると思ったら、どうやら犯人はこれだったらしい。
「何だこれは」
 ジークが初めて見る物体を恐る恐るのぞき込んでいる。
「妖精じゃないかい」
「新種の小人じゃないんだ」
 残念だ。新発見なら自慢できたのに、本当に残念だ。クローンを作ってキメラの素材にすることも出来たのに、残念だ。
「あんたがこの宿を騒がしくしてたのかい」
 アヴェンダが手のひらにひょいと乗せて尋ねた。妖精はふるふる震えてアヴェンダを見上げている。
「なんでそんな悪さしたのさ。もう追いかけないし、怒らないから言ってごらん」
 妖精はアヴェンダを見上げて、首をかしげた。
「地上げ屋じゃない?」
「どこをどう見たらそう見えるんだい。
 ってことは、この宿を建てるときにでも、地上げ屋に意地悪されたのか……」
 妖精はこくこくと頷く。妖精というのは、見た目が人間に近いから賢い物だと思われがちだが、知能には人間以上に差が激しい。
 クラゲのようにただ漂っているだけの存在もあれば、知恵を使って人を陥れたり助けたりする賢いのも存在する。
「音を出したり、物を落としたりしてたのかい?」
 妖精は首をかしげる。
 これは馬鹿な妖精の方だ。アヴェンダの実家にいる妖精は賢い方の妖精だ。
「虐めないから、もうそういうことはおやめよ」
「おじいちゃん、出てきてくれる?」
「おじいちゃんって、あんたの家族は捕まったの?」
「人間のおじいちゃん。下にいるの。出てきてくれないの」
「地下室があるの?」
「ううん」
 アヴェンダの顔が引きつった。視線は下を向く。
「そういえばぁ、うめき声みたいなのは原因不明っすぅ」
 眠そうなゼノンの言葉に、アヴェンダはイスの上に飛び乗った。
「うめき声なんてしましたか?」
「エリアスは聞こえなかったのか?」
 エリアスが同じ部屋で寝ていたジークに問い、その言葉を聞いてじりじりと後退する。
 仕方がないので、ディオルはきょとんとしている妖精に問う。
「君、そのじいさんがどこに埋まっているのか分かる?」
「えとね、えとね、あっち。えとね、おじいちゃん出てきてくれる?」
「案内してくれたら出してあげるよ。
 誰か、穴掘りが得意そうなの連れてきて。ジークも死体に怯えたりしないね?」
 彼は青ざめながらも頷く。死体は平気だが、幽霊はまだ少し苦手なのだ。深淵の城の死霊とは、また違う印象なのだろう。
 ディオルは妖精に案内されて、廊下の真ん中に立つ。死体は掘り出してやりたいが、穴を開けていたら、修復が大変だ。
「ディオル、台所から床下に入れるよ」
「床下なんてあるんだ。狭そうだね。犬ども行ってこい。ゼノン、明かりくわえて監修。死体……じいさんが見つかったら呼べ。妖精、どこに埋まっているのか床下に行ったら分かるか?」
「うん。このすぐ下にいるよ」
 死というものを理解していないらしい。さすがに胸が痛い話だ。アヴェンダが来て、そっと妖精を撫でる。
「すぐにおじいちゃんを出してあげるからね」
「おじいちゃんの作ったパンはおいしいよ」
「そうかい。でもね、おじいちゃんはもうパンを作れないんだよ」
「どうして?」
「ずっと冷たいところにいたから、暖かくしてずっと眠るのさ。生き物っていうのは、そういうもんだよ。妖精とはちょっと違うのさ。寂しいけど、眠れば別のところで別の誰かとまた暮らし始めるんだ」
「おじいちゃんは寒かったから泣いていたの?」
「そうだよ」
「そっか。地上げ屋が怖くて泣いてたんじゃないんだね」
 渋々と、動物達が床下に降りる。悪さばかりしていたから、純粋で綺麗な存在が眩しいのだ。
 この土地の持ち主は運がなかった。これから価値が上がりそうな物件というのは、悪い連中に狙われることもある。彼らにとっては人の命などはした金以下。
 人を殺してまで手に入れた物件は、妖精のせいで使い物にならなかったなど、自業自得もいいところだ。建設費の方がかかっただろう。
 どこかの神殿にもお祓いを頼んだかも知れないが、妖精の魔力に惑わされて何も感じられなかったのかも知れない。妖精は人を惑わす生き物だ。
 単純で、懐かれればいいこともある。
 しかし敵に回すと、なかなか厄介だ。
「これからはここに住む店の子にパンを焼いてもらえばいいからね」
「店?」
「ここは薬屋になるんだよ。薬。分かるかい?」
「傷に塗るの」
「そうそう。色んな人が来るよ」
「いやだ」
「どうして怖がるんだい? おじいちゃんは平気だったんでしょ。優しくしてくれるし、ちゃんと守ってくれるから」
 この小動物は、間違いなく女性に受ける。人に近い姿だが、ネズミにも似ている。ドブネズミは嫌われるが、愛玩用のネズミは人気が高い。
 アヴェインの店は女性店員が多いし、薬剤師以外も地域の女性を雇う。
 ちやほやされない要素がない。
「たまに悪い人間もいるから、一人で店からは出ない方がいいけど……土地についてる妖精なら出ないか」
 精霊は自分が気に入ったところからは、少しの距離でもなかなか離れたがらない。
 なかには珍しい妖精目当てに、盗みに入る物もいるかも知れないが、妖精は惑わすから簡単には捕まえられない。
 ディオルは予測を立てて安心すると、空腹を覚えた。朝食の準備もまだだ。
「じゃあ、あいつ等が掘ってる間に朝食にしようか」
「よく食べようと思えるね」
「死体なんて弄り慣れてるよ。師匠も医療関係だし慣れてるでしょ?」
「どこに死体弄りに慣れてる薬師がいるんだい。あたしは医者じゃないよ。死体に慣らされるようなのはうちには来ないに決まってるだろ」
 医者よりも医者らしいことはできるはずなので、よく運び込まれてくるはずだが、死体には慣れてはいないらしい。死体にならないのならそれに越したことはない。
「あさごはん? パン?」
「サラダもいるかい」
「うん」
 妖精はアヴェンダを見上げて微笑む。
 妖精とは本来ならば形を持たない形而上の存在。だから本来ならば食べる必要もないし、眠る必要もない。この世界に在る必要もない存在。馬鹿で一匹しかいない割には、かなりはっきりとした妖精だ。よほどその老人がいい人だったのだろう。大切に大切に、孫を可愛がるようにして、自我が安定するほど話しかけるのだ。
 そうやって人格を持ってしまったので、彼らは人と交われば寂しがる。
 神ですら、寂しくて寂しくて、他人に干渉したがるのだから、楽しかったことに縋り付くのは仕方がないことだ。すがりついていれば、人とは時間の感覚が違うから何十年でもそうしている。
 問題はとりあえず解決しそうなので、まずは近所の誤解を解いて回らなければならない。少しでもこの可愛い妖精の姿を見れば、逃げ出した連中の気が小さかったと思ってもらえるかも知れない。こう言う時に聖人っぽい姿形をしているエリアスも最大限に利用する。そうすれば、ワケあり物件の薬屋でも受け入れられることだろう。
 見た目の良さとは、誤解を解くのにもっとも有効な要素である。だからこそ、ディオルもたまに見た目の良いキメラを作るのだ。人に見せる用に。
 本当は、人知を越えた姿を作るのが好きなのだが、あれは、なかなか理解されない。

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