6話 悪夢の神殿

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 ディオルは宣言していた通り、壁を観察している。普通の子と違い、真剣な顔つきが似合う子だ。
 それを横目に、シアは小さな男の子の姿をした夢神と遊んでいた。
 不思議なところで、まさに『夢のような空間』だ。玩具がふわふわと浮いている。ディオルが今まで持ち込んだというゲーム類の駒達が、混じって遊ぶように飛んでいたり、一人遊び用の玩具が勝手に動いていたりする。
 夢のような子供部屋。
 とても神殿の中央とは思えない様は、シアの心を和ませた。
「わぁ、上手だねぇ」
 手の中で回る玩具を見てマヤがはしゃぐ。
「よく小さな子にねだられますの」
「賢者だからじゃないんだ」
「賢者だからと、上手な遊び方まではわかりません。いつも遊んでいるんです。うちには赤ちゃんからいますよ。孤児院で小さな子の世話をしていますから」
「それ楽しい?」
「とっても」
「うん、とっても楽しそうだね」
 仮にも吸魔の力を持つ相手に、彼は遊んで欲しいとせがんでくる。
 ディオルも可愛いが、マヤも可愛い。
「君はいい子だね」
「なぜです? ひょっとしたら、とんでもない悪女かも知れませんわよ」
「悪女はみんな眠らせたりしないよ。みぃんな眠ってるから、悪戯いっぱいしてきたんだ」
 彼の悪戯とはなんだろうか。外に出て、寝ていた彼らに必要以上恨まれていたりはしないだろうか。
「楽しかった」
「それはよろしかったですね」
 本当に無邪気なので、叱る気にもなれない。夢の中でさえ干渉できる相手は限られているのに、現実に干渉するのは数百年ぶりなのだ。ディオルが来るのを心待ちにして浮かれるのは当然だ。その行き場のない浮かれた気持ちを、手近な物にぶつけるように悪戯した気持ちは理解できる。命に関わるようなことは出来ないので、可愛い物だろう。
 ただやってみたいと思うことを、子供のようにやるのが夢神だ。
 ディオルも同じタイプ。ディオルはマヤという前例から、やっていいことと悪いことに関してとても敏感で、その境のぎりぎりを歩いているのだろう。
 男は自分を試してみたいという気持ちの強いものだ。考えてそれが正しければ嬉しい。それが快感となる。
「シア」
「はい、別の遊びをしますか?」
「ディオルをよろしくね」
「…………」
 どういう意味だろうか。
「ディオルはあんなんだかけど、いい子だから」
「それは分かります。素直ないい子ですね」
「うん、いい子なんだよ。すごくいい子」
 本当に可愛い神様だ。
 悪戯心というよりも、純粋な好奇心から自分達と同じ存在を作ろうとしたのだろう。神を作るよう皆をそそのかして失敗し、封じられてしまったずっと幼いままの子供は、ただ本当に好奇心から動いたことで閉じこめられた。
 だからディオルが大切なのだろう。こんな所にいては友達も作れない。
「可能なことであれば、ディオル様のお力になります。その方が、わたくしにとってもよいことがありそうですし」
「うん。ディオルは賢いからね。きっと大丈夫だよ」
 男の子の友情は、とても可愛い。
 男女の間にはない、純粋で綺麗なものがある。
「君たちうるさい。もう少し静かにしててよ。マヤ、自分のためだって忘れてない?」
 いい子いい子と褒められると照れている。照れる男の子はとても可愛い。
「だって、久しぶりに若い女の子と話すんだよ。アヴェンダ、老けたし」
「失礼な奴だな。そんなこと聞かれたら当分来てくれないよ」
「だって、最近は仕事で忙しいってへばってるんだよ。若い頃は平気だったのに」
「身体は年取ってないだろ。巫女なんだから」
「心が老けてきたの」
「たぶん半世紀ぐらいしたら戻るよ。年を取りすぎるとまた子供になるからね」
 ディオルはその間手を休めない。メモを取り、写真を撮る。写真の片隅には番号を書いた紙を置き、分かるようにしている。メモ書きも暗号のようで、本当にしっかりした子だ。
 彼女が育てている子供達にも見習わせたい。彼ほど優れた子は、見たことがない。賢者の知識を自分で持たずとも、ここまでたどり着けるのだと、恐ろしくなる。
「ディオル様はエリキサ様を手に入れるだけで満足なのでしょうか」
「とりあえず満足だと思うよ。自分の物にしようとは思ってたけど、ただの便利な辞書代わり程度だって分かってるから。
 賢者といえど、知識がないことは自分で考えないといけないのに変わりないし、下手にそういうので自分で理解していると、それがすべてと思い込みが出てくるから、他人の口から語られる方が偏見がなくていいよ。賢者の知識って、自分の知識が絶対だっていう奢りのようなものがあるからね」
 確かに正しいという思い込みはある。否定する要素もないが、疑ったことがないのも問題だ。
「二人の賢者と同居して、もう一人簡単に遊びに行けるところにも賢者がいるんだ。全員分野がばらばらだから、自分が持っていなくても大した苦労はしないよ。教えを請いに行くとみんな喜んで教えてくれるからね。賢者って一度説明すれば理解して覚える生徒が好きみたいだよ」
 当然だろう。自分が理解していることをいくら言っても理解できない生徒よりも、同じ説明でも一度で理解する生徒の方が教える価値がある。
 並の教育でいいのなら、賢者が教える必要などないのだから。教えるなら優秀な子がいい。
「ねぇねぇ、シア、次はゲームしよう」
「ええ、では何をしましょうか。こちらの駒さん達、混じってしまっていますけど……あら」
 シアが目を向けたとたん、彼らはボードの上に整列し始めた。そして我を我をとばかりにボードが整列する。格好付けて斜めに並ぶ駒達もある。
「あら、可愛い。どれにします?」
「そこの地味なの」
 綺麗に並んでいた駒達が墜落する。
 彼らの人格めいたものは、どうやって発生したのだろうかと疑問がわいた。賢者の知識があっても、さすがに夢神の影響までは分からない。
 ディオルの言うとおり、あったら便利程度なのだ。それを周囲は誤解して、何でも知っていると思い込む。
「古いけど、温もりのある子ですね」
 シアは駒を一つ手に乗せて微笑む。夢の神の領域だからこそと分かっていても、持ち帰りたい気持ちになる。
 この部屋はとっても可愛い。


 シアはよくマヤの相手をしていた。退屈になったら妨害してくるだろうと予測していたが、意外と遊びに集中している。
 孤児院にいると言っていたが、本当に普段から子供の相手をしているらしい。
 ディオルのこともそれと大差ない風に思っているのかも知れない。年上には違いないのでどうでもいい。賢者であれば、知識も深い。子供扱いするならすればいい。
 それよりもいいことが分かった。
 太陽神の呪いは本人の単純さを反映してか読み取りやすく、分かりやすい。そのためなんとなく作りが分かった。
 手を加えればディオルにも再現が出来る。出来ても、崩せるわけではない。他人の術を崩すには、知恵を絞れば普通は出来るが、ある程度の実力差以内でなければならない。
 四級神以下のディオルに何が出来ようか。
「シアさん、ちょっと話しだけいいかな」
「はいっ」
 遊びに真剣になってくれていたシアは、びくりと肩を震わせた。
 賢者で大人ぶっているが、やはり彼女もまだまだ子供のようである。
「シアさんの呪いについてなんだけどさ」
「はいっ」
「呪いの道具みたいなのにすればいいと思うんだ」
「呪いの道具?」
 ディオルは手を止めずに肯定する。手は止められない。時間が惜しい。
「ほら、おとぎ話であるだろ。呪いの鏡とか。体力とか生気を吸い取って持ち主を死に至らしめる。そんな感じの。小さなころ、絵本で見たことがある」
「知っています。表向きだと死んでしまい、裏向きだと力を手に入れる」
「そう。それ。そんな感じがいいよ。呪いも魔具も、広い万能名効果を求めれば弱くなり、狭く制限をクリアして効果を得るものは強くなる。
 あの鏡の効果は具体的でいい。裏向きにすると力を得るとは、力を解放のようなもの。吸い続けるでは世界の歪みを利用して作る魔具でもそのうち壊れてしまうけど、出すことが出来ればその心配も必要ないし、呪いめいた効果に弱点を付ければ、呪いはより破りにくいものとなる」
「そういうものなのですか? 呪いとか魔具に関してはあまり知識がないので」
 カーラントは魔具の制作が盛んな国ではない。領域的にもずれているので、知らなくても不思議ではない。
「そういう強く明確な呪いっていうのはね、いい効果が刻まれた物に対しては強い反発をするんだよ。でも、ドロッドロな悪い効果だと、意外とすり抜けるんだよ。
 例えば月神アシュターが足から腐って死ぬのを防ぐため、石化しただろ。強力な呪いに対する弱い力での干渉の成功例だ。普通の呪いにも言える。悪い効果なら上書きされやすい。掛ける側に悪意があるから。悪意は最も呪いを強くして、弱くもしてしまうんだよ。だから天真爛漫に呪いを掛ける人はかなり厄介」
 メディアの呪いが厄介なのは、それも原因である。基本的に悪意を持って行うことが少ないのだ。夫婦喧嘩の時も呪いではなく物理的に叩くらしい。
「この手のことは白の領域とは遠いんだね」
「はい。そのようです。勉強不足でお恥ずかしいですわ」
「呪いなんて、詳しく知っている方が少ないしね。
 というわけで、シアさんは魔力を奪う呪いのアイテムを想像するといいよ。吸う方を封じた方が話は早いけど、リスクを考えると魔力を外から抜き取るのが一番いい。その溜めたのを自由に解放できると有り難いな。シアさんの魔力を貸してもらったらすごく助かる」
 本当に助かる。
 彼女は神官職向きの魔力の持ち主だ。癒しやら防御やらの術が得意らしい。付属魔法も心得ていて、実に巫女向きである。ディオルにはない力だ。
「それで毒抜きが可能でしょうか……」
「勝算はあるよ。やってみないと分からないけど、ダメなら別の方法を考えればいい。魔力を吸う生き物とかを作るとかね。だから気軽に作りなよ。太陽神の呪いなんかに挑むんだから、焦ったら負けだ」
 そう、焦ったら負けだ。
 考えて考えて、裏をかかなければならない。
 シアの場合は強いが、ある意味単純な呪いだ。これでどうにかなるはずだ。
 最悪の場合、イレーネを紹介するという手もある。彼女は世にも稀な他人の魔力を吸収する能力を持っている。魔石を作るなどという奇蹟の副産物であるが、双方にとって有益だろう。
 もちろん、もしもの時だ。彼女にシアの存在が知られては、しつこい勧誘が始まるだろう。そうなると別の組織も動く。恩を売るためにややこしい事態を引き起こすのは面倒だ。
「自分なりにイメージを作りなよ。もうすぐ時間だ」
「ディオル様はご自身では何を?」
「キメラ作りに役立つのを考えてる。拒絶反応を無くす道具とか先に死なないように処理すると、混ぜる時に思ったようにいかないんだ。先にくっつけてみたいなぁって」
「キメラに使うにはもったいない道具ですね」
「それは行おうとする者が手に入れられないのが悪いんだよ。僕は僕の使いたいように使うだけ」
 他人が死のうが関係ない。それを使って慈善家になって、なんになると言うのだろう。ディオルは情より金で動くし、自分の知らない者が死ぬことに痛みなど覚えない。覚えていては生きていけない。助ける力があるからと、助けていては身が持たない。だから人は助けないのだ。いくばくかの金や労力を使い助けた気になって満足している者達は、自分にとってそれが痛くない範囲内だからである。痛みを覚えるほどになれば家庭は崩壊するし、人はそれをしたものを、家族の身を考えないで、他人ばかり助ける最低な人間と言うのだ。
「たまに、他人が他人を助けられる力を持っていると言うだけで、使わないことを責める奴がいるよね」
「ああ、いますね。うちは神殿ですから、信者でもない方の元へ出向いて助けないのですが、金の亡者とか馬鹿なことを言うんです。自発的に麦の一粒でもラーハ様に捧げてくださればいいのですが、土地の神を敬わない者に神殿として手を差し伸べては、神の怒りを買う可能性があるのに」
 とくにラーハは何に怒るか分からない神様だ。刺激するような事をしないに越したことはない。
「神殿を慈善家と勘違いしてるんだ。馬鹿だねぇ。神様だって、利益がなかったら助けないし、自分を否定する存在が大嫌いなのに」
 神様本人がキャタキャタと笑って言う。
 利益、彼の場合は楽しませてくれる人手だろう。そして信仰心のなさは否定に等しい。
 ディオルはノートを閉じて立ち上がり、首を回して伸びをした。
「さて、マヤ、祭壇に移動しようか」
「もうやるの? まだ少し時間あるのに」
「時間がかかるかも知れないだろ。忘れて肝心な物を作る時間がなかったら意味がない。続きは十年後にやるよ」
 この部屋は広く、祭壇は部屋の中央に浮いている。マヤがそこにちょこんと乗り、足をぶらぶらさせて彼らを待った。
「いつもはこんな格好で待つんだよ」
 マヤは祭壇の上で姿を変え、二十歳過ぎの大人へと化けた。
「遊んでくれない相手に僕の姿を晒すのは嫌だからね。少しは邪神っぽい?」
「ああ、その格好でアヴェンダさんに会ったら、もう少し頻繁に来るかもよ」
「そんな理由で来られても嫌だよ。アヴェンダはお母さんみたいなのがいいの」
 未婚の女性が母親扱い。最近、行き遅れを自覚して、やけくそ気味になっている彼女には聞かせられない言葉だ。見た目も悪くないし、家事能力は高いから、出会いさえあればいいのだろうが、彼女を好いてくる男はなぜか彼女の好みではないらしい。
「じゃあ、本来見せるはずの風景に変えるよ」
 マヤが宣言すると、玩具が消えて金銀財宝の山へと変わった。
「人の夢だよ。ほとんどは欲望の、ね。
 この中から好きなのを手にして、好きな効果を与えるといい」
「まあ、絵本に出る出てきそうな宝の山ですね。子供達が見たら喜びそう……」
 シアがそれを見て楽しげに笑う。子供は本当に好きなようである。どこまでが演技か分からないが、わざわざディオルに子供好きを見せつける必要はないので、あれは地だろう。
「準備が出来たらそれを持ってあそこから出ていけばいい。夢と現の狭間であるここを出ればそれは現実になる。ただし、ここでは効果は試せない。だってここは最も夢に近い場所だから、道具の効果かどうかなんて分からない。器はどれでも同じだけど、見栄えは大切だからね。
 見た目だけでも価値ある物を選ぶ者がいれば、盗まれないためにわざと安っぽい外観の物を選ぶ者もいる」
 それは道理だ。では他人が欲しがらないような、そんなものを選ぶのがいい。見た目ではなく、効果こそに価値を求めるのだから。
「これにしよう」
「はやっ……って、どこの邪神像だよ。しかも悪趣味!」
「魔法陣の中央に置いたら見栄えがいい。何より、これならなかなか盗まれないよ? 泥棒に入って、不気味な像は持っていかないからね。これが高いって分かっていてはいるならともかく」
 ディオルの実験室のインテリアにもぴったりだ。ヴェノムが嫌な顔をしそうなこと以外に欠点はない。
「いや、あのね、身につけて持ち歩こうとか思わないわけ?」
「だって、キメラ作りにしか使わないし、これなら貸してとか言う連中も限られてくる」
「人の物は借りる気満々だったくせに……。
 そんなの却下。僕の美的センスが許さない。僕の神殿から持ち帰った邪神像チックな物なんて、下手したら僕の姿だとか思われるんだよ。冗談じゃないよ。いやだいやだいやだいやだっ」
 大人の姿で子供の時の駄々のコネ方をするマヤ。
「せっかくいいのを見つけたのに。まあ、一つ貸しだからな」
 ディオルは宝の山の前に座り込む。ご立派な石のついた指輪にネックレスにティアラ。
「指輪とか、そういうのにしなよ」
「指輪はこれから大きくなる予定の僕には合わないな」
「バングルは? そんな感じの」
「腕に重い物を付けているとバランスが。首は肩が凝るし、必要もないのに装身具を付けたくないな」
「どこまで貧弱なんだよ」
「人間の身体はそういうもんなんだ。髪の毛伸ばしてるだけでも肩は凝るんだぞ。必要だから伸ばしてるけど。三つ編みにしてるのだって、一つにくくってるよりは肩が凝らない気がするからそうしてるだけで、ポニーテールとかツインテールなんて最悪なんだぞ」
「いつツインテールなんてやったの」
「父さんが娘のいる気分を味わいたいとかって」
「相変わらずだね、彼は」
 がさがさとあさり、ディオルは突き出していた短剣を引っ張り出した。手にしてみれば懐剣サイズで、大きすぎず小さすぎずちょうどよい。
「…………これいいかも」
「あくまでも身につけないんだね。まあ、儀式にも使えそうでいいと思うよ。邪神像でなければまあ許容範囲だね」
 ディオルは決まったので、シアの手元を見た。女性が選びがちなきらびやかなものではない。立派な装飾品だが、贅沢な山の中から選ぶにしては地味だ。女性なのだから少しぐらいきらびやかでもいいだろうに、実益のみに絞っているらしい。
「シアさんは装飾品がいいだろうね。胸元につけるのがいいと思うよ。一番呪いに近い部分に付けたほうがいい」
「そうですわね。では、首飾りにしますわ。ただ、量が多すぎて邪魔ですわね。並べるだけでも時間がかかりそう」
 山になっている上に、装飾品は小さく、鎖があると絡まって取りにくい。
「んじゃあ、邪魔なのはどけようか」
 マヤが手を振ると、胸元に付けるような装飾品以外が消えて無くなる。
「ありがとうございます、マヤ様」
 シアがシンプルなものだけ拾い集める。ディオルはそれを眺める。
 制約を付けやすい形が一番大切なのだ。
 何かが外れるとか、動くとか、開くとか。
「これ可愛いですわ。木の実で作られていますね。子供の夢でしょうか」
「……真剣に探しなよ」
 子供好きの中でも、頭の中に子供の割合が高いタイプらしい。
「こういう開いたりするのはいいよ。中に閉じこめるイメージがしやすい。
 それはひっくり返るね。解放するイメージがわきやすい」
「ディオル様はどんなものがお好みです?」
「僕なら……」
 ディオルはざっと見回し、一つの首飾りに目を止めた。
「…………」
「あら、ステキなデザインですね」
「そうだね。僕ならこれを選ぶ。
 二面になっている。表と裏がはっきりしている。細工があり、なおかつそれが分かりにくい。
 何かを入れる物なら他人に開け閉めされやすく、意味を悟られやすい」
 昼と夜を表す首飾りだ。小さな石が表と裏に一つずつ使われている。派手な石ははないが、細工がすばらしい。弄って裏と表を返せないかぎりは、土台の形から裏面はただの飾りだと思われそうなものだ。つまり細工に気付かなければ裏と表を返して身につけない。
 ディオルは実際に細工を弄ってひっくりかえして見せた。
「まあ、面白いですね。でもよく細工のことが分かりましたね」
「これは僕の夢の産物だと思う。小さなころに欲しくて結局手に入らなかった物だよ。壊れたけど、似たような制限が付けられた魔具だった。まさかこんな所で見つけるとはね」
「そうでしたの。では、これにしましょうか。まさに私に相応しいデザインですし。
 太陽から隠してしか解放できない制限を付けてもいいですか?」
「君の好きなようにすればいいよ。それでいいと思うなら、制限を付ければいい。大切なのはバランスだ。賢者の君は過去をよく知っている。とくに君はそうだろう。他人の失敗と成功を知っている者はそれを判断材料に出来る」
「はい」
 選ぶのはともかく、性質を理解していれば、制約そのものはディオルが考えるよりも彼女が考えたほうが確実だ。確認してきたのは彼女なりの気遣いだ。
「僕は準備できたけど」
「わたくしも。まだ十五分ほど余裕がありますが」
「時間は忘れるものだからね。僕は十五分は前に行動するようにしている。失敗を取り戻すにはその程度の時間は必要だからね」
「真面目でいらっしゃるのね」
「違うよ。僕は自分に完璧を求めているから、限りなくそれに近づくためにしているだけだ」
 シアはくすくすと笑い、低い位置に移動したマヤへと頭を下げた。
「マヤ様、お世話になりました。とても楽しい時間でした」
「シア、また遊んでね」
「はい」
 シアはマヤの頬にキスをして、柔らかい髪を撫でる。
「シア、今夜はいい夢を見られるよ」
「まあ、ありがとうございます」
 マヤは上機嫌だ。彼は子供だから、敬われるよりもああいう扱いを好む。
「ディオル様もありがとうございました」
「別にいいよ。ついでたし」
「お手紙を書きますね。名前は略させていただきますが」
「そうだね。君の兄貴の様子も報告してあげるよ」
「まあ、ありがとうございます」
 シアはディオルの頬にまでキスをした。
「ちょ……」
 身内以外に、こんな事をされたのは初めてだ。完全に子供扱いである。
「ディオル様、赤くなって可愛い」
「い、いきなりで驚いただけだよ。ぼくは想定外のことに弱いんだっ」
 何を言っているのかと自分の言動が嫌になる。素直に言ってどうするのだ、と。
「さあ、まいりましょう。下手に見つかったら恐い人に絡まれてしまうかも知れませんから、気をつけてくださいね」
 人の混乱を見て笑い、シアはフードをかぶる。外に出たら兄に見つかる前に立ち去るのだろう。目元を隠し、艶やかな唇が目に入ってディオルは慌てて目を逸らすためにマヤを見た。
「次は夢で。ここにはまた十年後に」
「うん、夢と十年後にね」
 いつの間にか子供の姿に戻り、元気に手を振った。やはりマヤはこれが一番似合っている。
 無邪気に世界を壊しかけ、それでも本質は変わらない。それがディオルの気に入っているマヤという存在だ。
 魔具のことがなくとも、彼のためなら十年に一度の訪問ぐらい、苦もないことだ。


 そろそろ夜が明ける頃、ディオルが無事に戻ってきた。
 彼のことを頼まれていたのに、あっさり眠らされてしまったジークは安堵した。もう少ししたらアヴェンダとの合流地点に移動しなければならない時間で、気が重くて仕方がなかった。万が一のことがあったら、なんと説明すればいいのか一生懸命考えていたが、無駄になってよかった。
「無事でよかった」
 そう言って駆け寄ろうとしたジークより先に、エリアスが動いた。普段は喧嘩ばかりだが、やはり喧嘩するほど仲がいいという通り、彼なりに心配していたらしい。
「遅いっ! 一人だけ存分に楽しんでずるいっ!」
 予想と違う言葉に、やや戸惑った。
「遅いって、僕は研究を兼ねていくって言ってただろ。ギリギリまで粘って当たり前」
「だいたい起こしてくれればいいでしょう! せっかくこんな所まで来たの……って、頬に……口紅が付いていますよ」
「っ!?」
 慌てて頬を拭う。なんて置きみやげだろう。手の甲に付いたのは、かなり薄い色で、少し色の付いたリップクリームといったところだった。
「一体、中で何をしていたんですか。誰かと一緒……まさか、犯人と一緒だったんじゃ」
「そうだよ。子守をしてもらっていた」
「人を襲った女と仲良くイチャイチャしていたとっ!?」
「してないよ。君を起こさなかったのは、マヤが時間の無駄と判断したからだ。もしもの時に備えていなかった君が悪い」
「くっ……」
 エリアスは悔しげにディオルを睨み付けた。本当に悔しげに。
「で、その女性はどちらに?」
「帰ったよ。まあ、そのうち顔を合わすこともあるんじゃないかな」
「美人だったんですか?」
「美人だったね。ラフィニアさんタイプで、彼女より整っていたな」
 ラフィニアはとても美人だ。彼女以上の美人など知らない。いるとすれば、妹の顔が思い浮かんだが、それは身内贔屓しているのもあるだろう。兄の目から見る妹は、他人より二、三割は美化されているものだという。なんにしても、ラフィニアよりも整っているなど、想像も付かない。彼女クラスの美人になると、優劣を付けがたく、好みの差としか言いようがなくなる物である。
 しかし、そんなことはどうでもいい。ジークは周囲を見回した。
「貴方が気に入っている様子なら、有能な美人ということですね。なおさら腹が立ってきました。大人しく持ってきた物を見せなさい!」
「これ」
「力は?」
「普通に使えば医療用。身体が拒絶反応するような合わないパーツを合うようにする。腕がない人間に、他人の腕や作った腕を引っ付けることもできる」
「なぜそんな面倒な。普通に癒してはダメなんですか?」
「癒しなんてそんなの程度の差はあれどそこらにありふれている力だよ。かと言って万能にすると力が弱くなるんだ。
 こういう特殊な物の方が魔具を一つの方向に突出さられていいんだ。基本だよ。たまには魔具関係も勉強したら?」
 二人が喧嘩口調から普通の会話に移行してきた頃、周囲から向けられる殺気が破裂寸前までに大きくなっていた。
「二人とも、ここは危ないから、話なら向こうで……」
「ジーク、これは想定範囲内のことだよ。だから集合場所を別にした。
 ここに来る人間は二種類いるんだ。素直に中に入る人。漁夫の利を狙う奴。だから一人で来た彼女は見つかる前に帰ったんだ」
 ディオルは周囲を見回した。気付かれたと悟って、出てくるいい年した男が二十人ほど。騒ぎを見て参加する物もいるだろう。幸い、この二人は守ってやらなければならない、か弱い子供達ではない。守るのは魔物やキメラ達がしてくれる。
「ついてこられて、アヴェンダさんに迷惑掛けたくないからみんな痛い目にあってもらうつもりだけど、異存はある?」
「まったく、卑しい者達ですね。異存などありません」
「徹底的にやらなければ危ないな。まあ、可能なら殺さない程度に手加減してやれ」
 殺すなとは言わない。彼らは殺す気で来るだろう。だから殺すなとは言わない。その女性がいなくて本当によかった。
「あ、生け捕りにしたら少し持ち帰ってさっそく試してみようかな」
「それは面白そうですね。餌代わりに食い殺させようかと思っていましたが、少し残しておきますね」
 殺す気満々の子供達の会話を聞いて、ジークのやる気が削がれた。あの発言で、危険を察知して手を出さないでくれたらいいのだが、そういうわけにはいかないだろう。
 人とは欲のために死ぬものである。

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