7話 忌み子
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何度見ても慣れない、包帯男にディオル宛の手紙を託された。
彼は魔術の神様の欠片らしく、簡単に言うと暇なのでこんなことをしているらしい。魔術の神様なので、魔術師だけを取り持つのだ。
封筒にはディオル様へとのやけに丸い文字と、キスマークが付けられていた。
「たまにディオルは縁がなさそうな相手と知り合いだな」
その言葉でエリアスが手元を覗き込んでくる。
「中身は何が書かれてるんでしょう。ちょっと先に見てあげましょうか」
「いやいやいや、手紙を勝手に読むのは最悪だ。とくにこんな……女性からの手紙を勝手に見るなんて、相手にも悪いだろう」
「この前の私たちを眠らせた女じゃないですか? だったら読む権利はありますよ。ひょっとしたらショタコンのストーカーからの手紙という可能性も否定は出来ません。先に見て差し上げるのが親切という物」
「例えストーカーだったとして、ディオルが気にして怯えるか。
とにかく、ディオルに見せてから内容を教えてもらえ」
エリアスよりも背が高いジークは、手紙を届かないところまで持ち上げて運ぶ。大人びているようで、恐ろしく子供っぽいのがエリアスだ。精神年齢ならディオルの方が遙かに高い。ただし、人として間違っているレベルもディオルの方が圧倒的に高い。常識と非常識を併せ持っているのが、ディオルの恐ろしいところだ。
「お前ら廊下で何やってんだ?」
「あ、ハウルさん。ディオルに女性から手紙が来て、エリアスが開けようと……」
ジークは手紙を懐にねじ込んだ。突然、今まで見た中で一番素早い動きでハウルが手紙を奪おうとしたのだ。冷や汗をかきながら、ジークは真剣に身構えた。これではあまりにもディオルがかわいそうだ。
「せ、せめて名前をっ」
「キスマークが差出人ですよ」
「な、なにぃ!? ディオル、いつの間にそんな女とっ」
「でしょう。ひょっとしたら、神殿で知り合ったラフィニアさん以上の美人とやらかもしれません」
「ディオル、面食いだったのか!? み、未来の娘はどんな女なんだ」
騒ぐ二人を無視して、ジークはディオルの部屋に向かう。こんな事なら、郵便屋を招き入れて直接渡してもらえば良かった。さすがにこの二人も、仕事を淡々とこなす郵便屋には無茶を言わなかっただろう。
「ま、待てっ! 本人の手に渡ったらはぐらかされるに決まっている!」
「あんまり息子のプライベートに首を突っ込んで、見限られてもしらんぞ」
「ジークが冷たいっ」
家族が関わらなければ普通のいい男なのに、なぜこうも彼は家族が好きなのか。家族が好きなのは当たり前だが、父親が息子が知り合った女性から手紙が来たと言うだけでこうも騒ぐのは珍しい。
「何だよ、さっきからうるさいな」
ディオルが部屋から顔を出した。ジークはそこまで全力で走り、ハウルに捕まったところで手紙を取り出し腕を伸ばす。
「て、手紙。取られる」
「父さん……なんで僕宛の手紙を取ろうとするの?」
ディオルはジークから手紙を受け取り、宛名を見て固まった。
「あの女っ、分かっててやったのかっ!」
やはり神殿でディオルに口紅を付けた女からのようだ。
「だ、誰だ!?」
「知り合いだよ」
「美人の恋人なのか!?」
「美人だけど恋人じゃない。なんで父さんはそんなに騒がしくしてるの?」
「だって、未来の娘は可愛い方がいいっ」
ディオルはため息をついた。
「それだから姉さんにも嫌われるんだよ。
あ、そうだ。君たちも来る? ハミアおばさんの所にも行くらしいけど」
ジークはそれが誰のことか知らないので、きょとんとして彼を見る。
「ジークにはバーミアって行った方がいいかな。正確に言うと大叔母。水神だよ」
さらりとそんな大物に会いに行くと口にする家庭環境というのに、ジークはまだ慣れていなかった。普通なら国王だろうが会いに行ける相手ではない。親戚だからこそ会えるのだ。
「まあ、そんなことよりも、なんて書いてあるんだ?」
「父さんに関係のあるようなことが書いてあったら報告するよ。
まあ、せいぜい身体の調子はいいですって所だからね。あそこに来たのも、身体に問題があって、延命するためらしいから」
そう言って、ディオルは部屋に戻った。
これ以上の追求を防ぐ、見事な返答だ。
「病弱系か。本当に嫁に来たらどうしようなぁ」
「そんな心配を今からしてどうするんですか。この男の性格で、そんな美人が嫁に来るはずがないでしょう。今は娘さんに会いに行くことを楽しみにした方がいいんでは?」
浮かれる馬鹿親に、ジークはもっと目の前の楽しみをすり込む。少しでもディオルに対する干渉がない方が、彼も普通に近づけるかも知れない。
「ところで、ディオルの姉とはなぜ離れて暮らしているんだ? 身体の問題と言っていた気がしたが、それなら一緒に神殿に行って治せる道具を持ってこれば良かったのに」
「行けば分かりますよ。毎回同じ事をしているらしいですから」
変なところでのみ過保護な父親は、息子の部屋を見てため息をつき、どこかへ去っていった。
どうせなら、危険な実験をやめさせる方向の過保護になればいいのに、それがないのは、魔術師一家だからだろう。
地下の魔法陣から転移した先は綺麗だが、何もないところだった。いつもは建物の中に出るのに、何もない場所に立っている。いや、黒い何か彫られた石の上だ。
ここは丘の上で、遠くに町が見えた。独特の雰囲気があり、吸い込む空気も異質で、ずいぶん離れた場所に来たのだと知る。
ジークはその光景に感心して、声がかかるまで見惚れていた。
「ここからは普通の魔術が使えません。まあ、カロン以外には関係はないでしょうが」
ディオルは連れてきたキメラに乗り、エリアスは魔物に乗る。
「ルート君、頼むよ」
「おう」
人の姿を取っていたルートが元に戻り、その背に大人三人が乗る。
「ラフィニアさんかノーラさん、こっち乗る? ジークは重いから」
「はい」
「私は自分で飛ぶ」
ラフィニアがディオルの後ろに乗ったので、ジークは恐る恐るルートの背に乗った。かなり大きくなってもらっているが、大人が四人も乗ると狭い。乗れるところと乗れないところがあるからだ。
飛び上がると、しっかりとカロンの腰に手を回す。何度か乗せてもらったが、何度乗っても怖いものだ。やれと言われれば槍も振るえるが、それとこれは別の話である。
「ここだと調子がいい」
ノーラがいつもよりも生き生きと発言する。最近は少し元気がなかったから安心した。
少し飛ぶとあっという間にルートは降り立った。カロンがバランスを崩して落ちそうになったのを支えた以外は、とくに問題はなかった。
背から降りるとルートは人の姿に戻り伸びをする。
「きーちゃんとは久しぶりだね」
ジークは家族旅行に一人だけ他人が混じっているような、居心地の悪さを覚えた。元来、人見知りする質なので、初めての場所はとにかく緊張する。
家の前に来ると、ヴェノムが無言でノックして、返事も待たずに中に入った。
「ホクト、いますか」
「ああ、いる。ハウル、久しぶりだな。ディオルはまだ小さくて可愛いな!」
奥から男が出てきた。ひょろりとしているようだが、よく鍛えられた身体だ。父を見ているような気分になる。
「そっちはエリアか。見慣れないのもいるな」
「アークガルドの次期当主のジーク。先代はお亡くなりになり、彼の父が跡を継いでいます。邪眼なので預かりました」
「ああ、アークガルド。ってことは、師匠のひ孫か。似てねーな」
ジークはもう驚かないつもりだったが、師匠の言葉に顔をしかめた。
「当家の門下だったのですか?」
「ああ。少し世話になった。
顔は似てないが、気配はやっぱりアークガルドだな」
顔を覗き込まれ、緊張は抜けないが、同じ流派と知って嬉しくなった。
「キーラはどちらに?」
「反射的に逃げたんじゃないか? ま、そのうち我に返って戻ってくるだろ。条件反射みたいなもんだしな」
ハウルが振り返り家を出て行く。
「またあの人は……」
ディオルがため息をついて走り去る彼を指さした。
「ジーク、追え」
「む、無理だ」
同時に走り出したならともかく、追いつけるはずがない。
「いいから、女の子が襲われてたら助けてあげて」
そう言われては拒否しにくい。ハウルはなぜ女の子を襲うのだろう。話の流れからして、ハウルとヴェノムの娘、ディオルの姉である女性なのだが。
「ディオル、お前も行きなさい」
「そうだね。力仕事はジークに任せて、姉さんを保護してくるよ」
ディオルは再びキメラの背にまたがり、ジークもそれに乗る。この方が速い。
下を見れば、本当にハウルが女の子を見つけ出して抱きついた。
「またあの人は。
とりあえず引っぺがして来て」
ジークはキメラの背から飛び降りて、ハウルの元へと走る。
なぜだか分からないが、二人の間から煙が立ち上っている。そのためか、女の子はハウルを押しのけようと必死だ。
そのキーラがヴェノムにとてもよく似ていて、まるで彼女が感情をむき出しにしているように見えて驚いた。
「きーちゃん。会いたかった」
可愛いのは理解できた。自分の妻によく似た可愛い可愛い娘。本当によく似ている。顔立ちも、赤い瞳も、長い黒髪も、本当にそっくりだ。
「それはよく分かったからそろそろ離れろ」
誰しも、自分からこんなものが立ち上ったら恐怖である。可愛い娘にこんな顔をさせるのは感心できない。
「ハウルさん、明らかに嫌がってるし、様子が変だろう」
後ろから引っぺがし、そのまま腕をねじ上げて組み伏した。その間にディオルがキメラから降りてキーラに話しかける。
「久しぶりだね姉さん。相変わらず父さんだと反応するみたいだな」
「言うな」
「それ以外は大丈夫なんでしょう。精霊達だって、父さんみたいな馬鹿なことをしなければいいだけ」
「そうだ」
「馬鹿はほっといて戻ろう。ジーク、てきとーに慰めてやって。父さん、君に親近感持ってるから」
ジークは嫌がる妹を無理矢理見たりはしない。親近感を持たれても困る。
が、娘と息子が去って、解放したとたんに落ち込んで膝を抱えるハウルを見てため息をついた。彼は憎めないタイプの人間だ。
「ハウルさん、事情は分からないが、あの年頃の娘さんは、普通の親子でもなかなかふれ合わないだろう。嫌われたくなかったら、見た目そのものの爽やかな父になったほうがいいんじゃないか?」
「でもさぁ、俺だって娘を思いきり抱きしめたいんだ。なのに俺だけ触れないんだ」
いじいじしていると、ヴェノムがやってきてハウルの隣にしゃがみ込んだ。慰めようにも、何を慰めるべきか分からなかったので有り難い。
「まったく、成長しない子ですね」
「でも、昔よりはよくなったぞ。昔は少しでも触ったら一日ぐらい悶絶してたしな。今は少し爛れるだけだ」
「成長したのはキーラでしょう。まったく、お前は子供の頃の方が大人びていましたよ」
頬と腕に火傷とは少し違うただれがあった。それもヴェノムが撫でるとすぐに治り、元の綺麗な肌になる。
「きーちゃん、大きくなったな」
「ええ。もう立派な女です。だからもう必要以上に触れるのはやめなさい」
ハウルがこくりと頷く。
やはり最愛の妻であるヴェノムの言葉なら従えるようだ。
「ずっと気にしていたのは分かります。でも、外に出られるようになったのですから、お前は我慢なさい」
「それは分かってる」
「外に出ればあの子を傷つける存在が多くいるのは生んだときから承知していることです。
外に出したくない気持ちも分かりますが、そろそろいいでしょう」
ヴェノムはハウルの頬を撫でる。それ以上は、ここに留まる気になれなくてジークはその場を離れた。
夫婦のことは夫婦だけでどうにかすればいい。
ディオルは家に戻ると低いテーブルの前に胡座をかいた。エノは台所でお茶の準備をしている。
「クロフは?」
「買い物に。お母さんが来るから、食材を揃えると」
変わらずヴェノムが好きな男だ。一番彼女を一途に愛しているのは、ハウルではなく彼だろう。付かず離れず、側に居続け、彼女の願いで不憫な娘の側にいる。
ディオルには理解できないが、それが精霊らしさというものだ。
「おじゃまします」
ジークがあきれ顔で戻ってきた。
どうせ二人がいちゃついているのだ。
「キーラも大変だな。いっそ、妹でも出来たら少しは収まるかも知れないが……キーラも愛していることを示すためにひどくなる可能性もあるか」
カロンの言葉にディオルも頷いた。
何にしてもキーラは構われ続けるだろう。今のところは人見知りを悪化させる結果になっているが、彼女もその内慣れなければいけない。
「あれだけ新婚気分が続いてるんだから、本当に作ればいいのに。そうしたら僕に構うのも減るだろうに。
母さんが嫌がるのかな?」
ディオルは三つの頃には一人で寝ていた。子供に邪魔されることもなく、ずっと新婚気分でいたのに、弟も妹もいないのが信じられないでいた。
「本当はディオルも予定外だったからね。キーラが大きくなって自立できるようになるまでは、彼女一人に愛情を注ぐ予定だったらしい」
「なぁんだ、ディオルは失敗した結果だったんですかぁ」
エリアスがお茶をすすりながら呟いた。にやにや顔に腹が立った。他人の家なのでぐっと堪え、拳を握りしめる。
「しかし結果的にはよかったんだ。ウェイゼル様に似ない、優秀な子だからね。皆が可愛がる。ディオルが一緒にいればキーラへの風当たりもよくなると思うよ」
それが理解できないのだ。
変な力を持っているだけで、お前はすごいなとひたすら甘やかされる。たまに呼びつけられて、ここを切れと命令されたりするのだが、それに何の意味があるのかディオルは分からないでいた。聞いてもその方が面倒くさくないからという答えしか返ってこない。
「ん、一人増えたのか」
お茶の用意を持ってきたエノは、もう一度戻ってカップを持ってくる。ついでに何か袋を持っていた。
「ディオル、キリエさんからもらった煎餅、食べるか?」
「エノさん、ありがとう」
彼女は笑みを浮かべて皿に菓子を盛る。キーラを育て始めてから、昔よりもよく笑うようになったらしい。
「ヴェノム達はまだ戻らないのか?」
「戻らない方がいいだろ。近距離だと姉さんが緊張する」
「でも、一緒に暮らすならもう少し慣れないと、すぐ戻ってくることになるんじゃないか」
可能性はかなり高い。一番高い可能性は、クロフが無理矢理連れ帰る、だ。彼はなまじキーラがヴェノムによく似ているから過保護なのだ。
「なぁ、ディオル。さっきのは何だったんだ? 療養のような者だと思っていたが、話が見えない」
一人だけ事情を知らないジークが耳に顔を寄せて尋ねてくる。
「僕の姉さん、キーラはちょっと特殊体質でさ。生まれつき毒を持ってるんだよ」
ディオルは普通の声で答えた。ひそひそと話す方が気にされるからだ。
「毒って……あれは毒なのか?」
「半神の父さんや精霊にとってはね。だから精霊としての存在が少し弱いノーラさんが無防備に触れると、消えてしまう可能性もある。父さんは半分人間だから、変な反応しているけど、普通の精霊だったらまず穢れるよ。
世界の歪みを人が受けた、そういう毒」
意味が分からないと言う顔をしている。
「穢れる?」
「それはそのうち分かるよ。
本当はただいるだけでまわりの精霊を殺していく毒だけど、ここだとそれが中和されるんだ。
ここで姉さんはそれを内に封じておく方法をそこのホクトさんから習ってた。
姉さんはここから離れられないし、父さんがあまりここに来るのは僕の大叔父さん、火神があまりいい顔をしないから、いつまでたっても娘離れできないんだ」
「ハウルさんがここに来るはなぜだめなんだ?」
「おじさん、母さんのことずっと好きなんだ。母さんが僕らの歳ぐらいの時から、ずっと。
しかも母さんが姉さんみたいな体質の子を生むのは二度目で、一人目はそのおじさんに始末されたんだ。それ以来、おじさんは寄るな来るな近づくなって言われてて、挙げ句に今は父さんとずっと新婚状態。
火の性質は何もしなければ静かだけど、何かあると激しく燃える」
ディオルは静かで無表情のカディスしか見たことがない。彼が怒るとこの世のどこかの些細な小火が、いくつもの村を飲み込む火事に悪化させかねないらしいから、まだ子供のディオルが見たことあるほど怒っていたら迷惑すぎる。
「ふ…………複雑な家庭環境だな」
「そう。だから二度目がないように、おじさんだけは刺激しないように気をつけてるみたいだ。姉さんが外に出るのも慎重に慎重を重ねている。うちに来ても、すぐに戻れる体制を整えてね。
ジークも姉さんの様子が変だったらすぐに母さんの所に連れていってあげて。父さんが触ろうとしたら危ないから殴り倒していいよ」
先ほどの様子を思い浮かべてか、彼は無言で頷いた。ハウルが始めに暴走してくれたおかげで、どれだけ危険なのかは理解が早い。あれは目にしなければ親子なのだからと、情けを掛けかねない。
「姉さん、これはジーク。一緒に住むけど、見た目と違って気が小さいから」
気が小さい男は、気が小さいと言われて傷つく。
出会った頃に比べれば、少しずつ大胆になっているが、まだ気圧されしている。
「それと並ぶと、ディオルは縮んだように見えるな」
「失礼だな。僕だって年々大きくなってるよ。姉さんの背も伸びてるみたいだけどね」
ヴェノムは長身だ。ハウルも長身だ。その娘も両親の血を受け継ぎすくすくと縦に育っている。しかしディオルは自分の年齢を考えると平均ぐらいの身長である。背が高いとは言えない。
「僕は男だから、十五にもなったら大きくなるんじゃないかな」
男の成長は女よりも遅い。ハウルは子供の頃から大きかったらしいが、ウェイゼル似の彼は参考にならない。
ディオルは自分がまだ子供だとよく分かっているので、未来は光り輝いている。
そのやりとりを見て、エノがため息をついた。
「キーラがいなくなると、寂しくなるな。何より馬鹿と二人きりだ。今はコウトもいないしな」
彼女はキーラの育ての親だ。実の親よりもキーラにとっては親である。似たような身の上だからこそ、エノもキーラを慈しんで育ててくれたらしい。
「月に一度は戻ってくるんだろう。寂しがんなよ」
煎餅を片手にホクトが慰める。
「うるさい」
「ひょっとしたら、一日で戻ってくるかも知んねーぞ。ハウルならやりかねねぇ」
「黙ってろ。キーラが不安に思うだろう。ただでさえ外に出るのは恐いんだ」
彼女の毒が一番強い。だから外には出られない。出てもせいぜいこの場の影響の強い麓の街。
だからこその同情であり、救い。
キーラが外に出ることは、彼女が外に出る足がかりとなる。
「ただいま」
玄関からクロフの声がした。
「ヴェノム様、そんなところにいると日に焼けます。気がすまれたらお入り下さい」
夫婦でまだ話し合っているらしく、声を掛けてからクロフは台所に向かう。座ったばかりのエノはまた立ち上がり、しばらくすると二人で戻る。
その間、キーラは俯いてじっとしていた。
キーラはその出生のせいでなかなか気むずかしい人間だ。他人なら絶対に付き合いたくないタイプだが、実の姉なので仕方がない。エリアスのように騒がしいよりはいいが、あまり余計なことで気を散らせたくないというのがディオルの本音だ。
「なぁなぁ、キーラ、退屈だから外に行って遊ぼう」
ディオルより長く生きているが、中身も身体もまだ子供のルートがキーラの服を引っ張る。今まで大人しくしていたが、そろそろ飽きたようだ。
「ルートせっかくだから、街にでも行こうか。姉さんはクロフなしで街に降りたことないんだろ」
ディオルが提案すると、キーラは少し迷って小さく頷いた。知らないところに行くよりも、少しは慣れた街で試した方がいい。いつもは必ずホクトが付いていたから、同居人無しの一人行動は初めてのはずだ。
「もちろん父さんの付き添いは無し。念のために母さんには来て欲しいけど」
立ち上がろうとしたハウルに釘を刺す。ヴェノムを連れていくのは保険の意味もあるが、財布はいた方がいい。
「キーラ、大丈夫か?」
「大丈夫。クロフは、ゆっくりしてて」
クロフはヴェノムに似た変わらぬ無表情のまま、薄い黒とも濃い灰色とも表現しにくい色合いの瞳でキーラを見つめる。
「……変わった雰囲気の方だな。黒っぽい精霊は初めて見る」
ジークが呟き、キーラがうつむいた。
本当に難しい人間関係である。ディオルが言葉に悩んでいると、ヴェノムが口を開いた。
「精霊のクロフです」
「精霊…………変わった精霊だな」
「風神から私に付いた邪精です。普通の風精とは少し違うでしょう」
ジークはそうなのかと納得した。
彼も勉強熱心だから、意味は理解できるはずだ。
ただし、完全に邪精になったのは、ディオルが物心ついてからなのだが。
「ラフィさんとノーラさんはどうする?」
「私は留守番しています」
「今の時期、風が強くて空気が悪い。行かない」
翼のあるラフィニアと、人間で言えば虚弱体質のノーラは仲良く首を横に振る。ラフィニアはノーラのために残るつもりだろう。だからカロンも来ない。ノーラが拗ねるから。
「ノーラさん、土産は何がいい?」
「なんでもいい」
「じゃあ、美味しそうな物か綺麗な物があったら買ってくるよ」
世の中、難しい人が多くて困ると常々ディオルは思っている。
それを我慢するのが人付き合いという物で、生きて行くには最低限は必要だと知っている。
それにしても、本当に難しい。
ただの愛やら恋やらなら笑ってやれるが、身体のこととなると、誰にもどうしようも出来なくて、笑うに笑えない。
それが家族なのだから、本当に難しい。