7話 忌み子
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「どうか、二人の仲をお許し下さい」
くだらない言い訳を聞いて、苛々は頂点に達していた。
彼女の身の上から始まり、どれだけ愛し合っているか語り、最後はこれだ。
女をここまでバカにする男も珍しい。ジークが止めなければ、二人とも真っ二つにしていたところだ。
ハミアは昔から優しい大叔母だった。自分の陣地にキーラを受け入れ、嫌わないでいてくれた。姪孫だから許してくれたのであって、赤の他人なら始末していた可能性が高いのは理解しているが、それでも受け入れて、ここまで通す許可をくれたのは本当だ。
生まれる順番が違えば、キーラの立場にディオルはいたのだ。キーラを受け入れるか入れないかは、ディオルにとってはとても大きい。
「おばさんがいるから生かしておいてやっているのを忘れるなよ。おばさん以外だったら、その場で消されて当然だと思っておけ」
吐き捨て、ハミアに任せるために下がり、ゼノンがその横にぴたりと寄り添った。
二人は許しを請うように平伏している。
「駆け落ちでもするならかわいげもあるけどさ」
ナシトは面白いほどその言葉に反応した。
契約した以上、ナシトはハミアの許可なく動けない。ある程度の自由を許されているから、こんな事が起きてしまったが、制限しようと思えばいくらでも制限できたのだ。
本来なら今この姿で生きていない存在であり、許しなく出ていけば苦しむことになるらしい。
自由に出歩かせるには、維持している者が許し、力を余分に分け与えなければならない。自分で維持する力がないから。
「確かに、心中したならかわいげがありますね」
「ちょ……」
エリアスが意地の悪いことを言い、ジークが意味を理解して驚き絶句する。
それを見てエリアスがニヤニヤと笑った。
「神との契約は、神であろうとも容易に解けるものではありません。事前に解けるようなしていたならともかく、凡人が完全な自由を手に入れたければ、死んで生まれ変わるしか道はないんですよ?
つまりハッピーエンドがお望みならば、心中すればいいのですよ。
運がよければ近いところに生まれます。死神様は甘いですから、わざわざ配慮してくださいます」
「なるほど」
ジークは意外にあっさりと納得した。生き死にに係わっているから、驚きが通り過ぎれば淡泊になれる。
「それが彼らのためであったのに」
エリアスは地神の近くにいる存在だ。神の扱いと性格と歴史は心得ている。
「ナシト、下がりなさい」
「願いを聞き入れてくださるまではっ」
「下がりなさい。邪魔です」
出入り口の前で食い下がるナシトの背後に、コウトが現れた。
「ナシト様、また何をしているのですか。お退き下さい。客人をお通しできません」
コウトは顔をしかめて背後のヴェノム達を気にした。
ナシトは理由があっての言葉だとようやく気付いてその場を退く。
「お久し振りです、ヴェノム殿」
ナシトはヴェノムに声を掛けたが、彼女はそれには目も向けずに部屋の中へと入った。
「お邪魔しております、ハミア様。相変わらずのようですね」
「あなたも変わらないわね。可愛い旦那様とは上手くやっている?」
「おかげさまで鬱陶しいほど可愛いままです」
ヴェノムはナシトを無視してハミアに声を掛けた。
彼女はナシトを嫌っているから無理もない。
ナシトは不服そうに顔をしかめたが、すぐに入り口に立つキーラに気付いた。
「汚れのっ」
ナシトがキーラを見て声を上げる。
嫌う理由はこれだけで十分だ。
「いくらヴェノム殿のご息女とはいえ、汚れを持った人間をハミア様の前にお通しするなどっ」
「お黙り、ナシト。私が許可したのよ。
可愛い又姪が私に帰国の挨拶に来てくれたのよ。今ここにその女を連れてきたお前が言っていい言葉ではないわ」
ハミアの身内でもあることを忘れていたのか、ますます分が悪くなったことに気付いて唇を噛む。
生涯を貫く愛か一時の感情かはディオルには分からないが、立ち回り方が下手だ。考えなく真っ直ぐに突き進むタイプで、そこを気に入られていたのだが、ハミアに逆らう時も真っ直ぐに突き進む。だからこの土下座なのだ。
誠心誠意の説得で頭を下げれば、優しい彼女なら許してくれると思い込んでいる。
何をしても許してくれるという雰囲気を持っているハミアも悪いのかも知れないが、ずっと一緒にいると相手は膨大に存在する『水』を司る神だということを忘れてしまうのだ。
人々が疑問もなく神を崇め奉るのは、相手を知らないからだ。知ってしまえば人とそれほど違わない様に、勘違いをする。
「よく来たわね、キーラ。最後に会ったのはまだ幼い頃だったから、覚えていないでしょうけど。
本当なら抱きしめたいところだけど、触れられないことを許してちょうだい」
ハミアは母親の影になっているキーラに微笑みかけた。
「お目通り叶いまして光栄です、ハミアおば様」
「硬くならずともよいわ。その男のせいで気分を害したでしょう。自分にはまったく実害がないのに、おかしなこと。
むしろ世界の業を一人で背負ってくれているのだから感謝すべきなのに、どうしてこうなってしまったのかしら……。
ハウルは真っ直ぐで素直でも、その辺りの道理は理解しているからうらやましいわ」
愛しすぎて鬱陶しいと思われるぐらいだ。公然と裏切りを正当化しようとしているナシトとは違う。例えば誰かを好きになって、それを周りに伝えるほどのバカではない。我慢すればいいのだ。それが常識だ。
「もちろん、ハミア様のことは変わらず敬愛しています」
その言葉を聞き、ディオルは再び苛々して、腕を振り上げぬように腹の前で指を組み合わせる。
「それでも、私は彼女を……」
ハミアはため息をついてナシトを見る。
「ハミア様、もうよろしいのでは?」
ナシトを見て、ヴェノムが短い進言をする。
「百年足らずよ」
「だからよいのでは? まだ試用期間内とも言えます。
人は健康にさえ気をつけていれば、百年生きられる生き物です」
ハミアはそうねと呟き立ち上がった。
「やるんならおばさんの手を汚さなくても」
許しならともかく、解放とはそういう事だ。
「ディオルは本当に可愛い子ね。ハウルの子供の頃を思い出すわ」
「ええ、昔のハウルによく似ていますね。恋人でも出来たらああなるのではないかと、少し心配です。私達ほど年が離れていれば可愛いものですが、若い女性だと鬱陶しがられなければよいのですけど」
「一途な分には、悪い気はしないはずよ」
ハミアはナシトの前に立った。
「小娘、私は身を弁えぬ者は嫌いよ。
ナシトにたぶらかされたのでしょうけど、たぶらかされてここまで来るほどこの男を好いているなら、最後まで貫きなさい」
肯定とも悪意とも取れる言葉につられて、二人は顔を上げた。
「ナシト。慈悲から許してあげていたけど、そこまで言うのであれば解放してあげるわ。出て行き、好きなところで暮らしなさい」
暮らしなさいと言うことは、死なないのだ。
印持ちは数が少ないので、ディオルでも詳しいことは知らない。許しを得て離れる場合や、本人に資質がある場合は維持されるが、この場合は何になるのか。
「コウト、神殿の外まで送ってあげて。ただし、神殿の物を持ち出すことは許されないわ。ここにある物は、私を崇める者達が捧げた、水の加護への感謝の印。神殿を出る者が触れていい物ではないの」
ナシトの顔が輝いた。
ジークに肩をがっしりと押さえつけられていなければ、腕を振り上げていたかも知れない。
姉と大叔母に対する無礼の数々は許し難いが、一番の被害者であるハミアが許したことだ。
平然を装って見送らなければならない。
ディオルを押さえていたジークは、ナシトが姿を消してようやく緊張が解けた。
一触即発とはまさにこのこと。
ディオルの殺気のすさまじさは、彼の能力を知るジークにとって大きな脅威だった。胆が冷えた。
身内とはいえ、大叔母の事でこれほど怒るなど、彼の性格からして想像も出来なかった。
「生きているでしょうか」
「生きているのではないかしら」
ヴェノムにハミアがどうでもよさそうに返した。
女は冷める時は一瞬だと言うが、恐ろしいまでの冷めっぷりだ。
「彼女はどうするんでしょう」
「さあ。人間は一瞬で心変わりする生き物だもの。
いつまでもつき合い始めの恋人気分ではいられないのは、寂しいわね。
どこかにハウルぐらい単純で可愛い男はいないかしら」
「千年ほど前の恋人はかなり長かった聞きますが」
「ええ。アイオーンに殺されてしまったのは悲しかったわ」
ハミアは頬に手を当てて身をよじる。
そんな最期であれば、納得も出来る。
「主人のために散ったならともかく、あんな自分の立場を弁えない奴が生きていると思うだけで苛々する。その人だって生きていたら腹を立てていただろうね」
「もう、ディオルは本当に可愛いわね。そういえば、ディオルはどことなく彼に似ているのよねぇ。
ああ、キーラもそんなところに立っていないでおいでなさい。お茶を入れましょう」
ハミアはヴェノム達にお茶をつぐ。
神が直々にお茶を用意するなど、信じられない。
「ハミア様のお茶は美味しいですよ。頂きなさい」
ヴェノムに勧められ、キーラは敷物の上に座る。
「いただきます」
「お菓子もいかが。金平糖、美味しいわよ」
「ありがとうございます」
勧められるがままに、緊張した様子で手に取る。
「すごく美味しいです」
キーラは小さな菓子をカリカリと食べる。どこか幸せそうな姿を見ていると、ヴェノムに似ているのに和む。
「ヴェノムと同じで甘い物が好きなのね。
キーラも普通の身体で生まれていたら、撫でて上げられたのに」
ハミアはため息をついてお茶をすする。
修羅場が嘘のように穏やかだ。
ぎすぎすした雰囲気は苦手なので、ジークはほっとした。この穏やかさが恐くないかと言われれば、もちろん恐いと答えるが。
「また新しい子を育てないと。コウトには振られてしまったし、どこかにいい男はいないかしら」
「育てるには間に合いません。気長に待つのがよろしいかと」
「そうねぇ。コウトもホクトに連れられてここに来た時は垢抜けない田舎の少年だったのに、今ではあんなにいい男になったぐらいだから、大人になりきるまで気長に待つというのは、いいかもしれないわね。
どこかにいないかしら。我が儘なタイプはさすがに懲りたわ」
ハミアは頬に手を当ててため息をつく。
「まったく、自分がペットだっていう自覚のないペットは嫌だね。そんなこと、僕のキメラですら自覚しているのに」
「それは自覚するだろ、あんな姿にされれば」
思わず口を挟んでしまった。ゼノンがしみじみと頷いている。
犯罪者であろうとも、姿まで変えて命令に絶対服従の身体にされてしまえば、一週間もあれば自覚は作られる。しかもたくさんの仲間までいるのだ。人は不安であればあるほど、他人と同じになることで安心を覚える。
「ディオルは本当に賢いわねぇ。私の所にいたら、いくらでもお金は出してあげるのに」
「いけません。この子は甘やかすと、ろくでもない事しかしないのですから」
「でも、先を見れば役に立つわよ。子供の内でこれだけ立派な物が作れるんですもの。大人になったら戦力を作るかも知れないわよ」
「それとこれは別です。
何を作り出すか、見張っていないと夜も眠れません」
神が戦力を欲しがる意味は分からなかったが、ヴェノムの心配は理解できた。彼は目を離すと、人として越えてはならない一線を越える。
不吉な想像を振り払い、お茶を口に含む。確かに美味しい。
「あら、コウトが戻ってくるわ」
ハミアが顔を上げて笑みを浮かべる。
「意外と早かったですね」
「あの子は淡泊なところがあるから。情はあるけど、仕事となると割り切りがいいのよ」
しばらくすると、ジークにも人の気配を感じられるようになった。
部屋の前で止まり、静かに声を掛けられる。
「ハミア様、戻りました」
「入りなさい」
戸が開かれ、コウトが一礼して部屋に入ってきた。
「ハミア様、ナシト様のこと、本当によろしかったのですか」
「ということは、生きていたのね」
「はい。生きてはいました」
「すぐに亡くなってしまうような気がしますが」
それほどまでに、主から離れることは過酷なのかと眉を寄せた。
「母さん、どういうこと?」
「彼は時の魔術など使えません。ハミア様の力で契約時を維持してきました」
ヴェノムの言葉に、皆があっと声を上げた。
「そりゃ、生きてるけど死にそうにもなるね」
「今頃は修羅場なのではないですか?」
「というか、それだけ長く生きていて、結果を知らなかったのか……」
ヴェノムが知っているので、前例があったのだ。それを知らなかったのは、隠されていたからか、調べもしなかったからか。ハミアを裏切ってからは、誰も彼に対して親切に教えるようなことをしなかった事だけは分かる。
「コウト、どうしても私の印はもらってくれないの? そろそろ年齢的に限界よ」
「私のような凡人如きでには、ハミア様の印を頂くほどの価値はありません」
言外に、凡人として生きていきたいと言っているようなものだ。
「そんなことないわよ。可愛い男の子もいいけど、若いのに年々渋みが出てきていい感じになってきたわ」
「お戯れを。世間を知っただけです」
気苦労があるのだ。
普通の仕事では体験できないような気苦労が。
「もう、つれないんだから。次はもっともっといい男を見つけなきゃダメね」
彼女は人間の女のように拳を作り気合いを入れるような動作をする。それを見てディオルが身を乗り出した。
「印を与える対象と恋人兼で探すから失敗するんじゃないかな?
ほっといても自分で生きていけるぐらいの男じゃないと、おばさんには不釣り合いだよ。
コウトさんも恋人の部分で躊躇ってるんじゃないかな。公私混同しないタイプだし」
「コウトは真面目だものね」
「真面目が一番だよ」
「そうね。まずはお付き合いから始めてみるべきね」
と言ってコウトを見た。
「えっ!?」
まさかそちらの方で責めるとは思わず、コウトが後ずさる。
ディオルの余計な言葉で、彼にとっては望まないいざこざが起きそうだ。
「キーラ、ここは教育上あまり望ましくないので帰りましょうか」
「え……」
「挨拶はしました。もう十分でしょう。あまり長くいると、精霊達が不機嫌になりますからね」
「あ、うん……」
ほとんど何もしていないのに帰ることになったキーラは、土産に金平糖の残りをもらって海中神殿を去った。
もちろんジーク達も帰った。
キーラは何をしに来たのだろうと、晴れた空を見上げた。
挨拶はした。
挨拶はしたが、ほとんどは他人の修羅場を見せられただけだった。相手がハミアだからこそ、罵り合いや暴力はなかったが、切り捨てた後の無関心ぶりが少し恐かった。
基本的にいい人だが、男が絡むと厄介な癖がある。そう教えてくれたのはクロフだった。
「ああいうの、何度もあったの?」
「私が知っているのは一度だけです。
ディオルが言ったように、恋人と印を与えるのを一緒に考えているのが、彼女の問題点ですね。
あの方は恋多き方ですから、冷めたら一瞬で相手のことがどうでも良くなります。だからあの方は一番頻繁に印持ちが入れ替わることで有名です。
複数人を囲っておけばいいのに、不思議とそれをされないのは、神官達の悩みの種でもあります。
とくに若くて見目麗しい神官は、彼女の目に止まりやすいですから。
彼女の唯一の欠点です。巻き込まれる前に立ち去るのが賢い人間というもの」
ヴェノムが小さくため息をついた。
世間を生きるのは、とても難しそうだ。
生きていけるのだろうかとため息をつく。
背は伸びたし、身体は強くなった。それでも自分のことで精一杯で、周りを見る余裕などなく、外に出て誰かの背に隠れることが出来ないと驚くばかりである。
「ディオルはその点では要領がいいから見習いなさい。最後、ちゃっかりおこづかいもらっていたでしょう」
ディオルはびくりと震えた。
彼は偏屈だが、ちゃっかり者だとクロフも言っていた。キーラは幼い頃のヴェノムに似ていて、まだ不器用だと。
ヴェノムが不器用だった所があるのだから、彼女もまだまだ大丈夫だと。
「おこづかいをもらえなかったのは、キーラを嫌っているからではありませんよ。ディオルの普段の自分を捨てる擦り寄り方が上手いのです」
「それは、分かっている」
「それが分かっていればよろしい。あなたは後ろ向きなところがありますから、もっと前向きになりなさい。クロフのことも気にする必要はありません。あれは自分でキーラと一緒にいるのです。あなたが昔の私に似ているから、可愛くて仕方がないんですよ。私がろくでもない男に囲まれて普通ではない人生を送っているから、キーラを普通の女の子に育ててやりたいと、頑張ってはいますからね」
ヴェノムがキーラの頭を撫でた。
「クロフの前で言うと、彼は彼で気にしすぎて顔を強張らせるから、ここでしか言えないことですが。
あと、ナシトの事は話さない方がいいです。ああいうのを見せてしまった私が叱られてしまいます。過保護ですからね。ほら、見なさい」
ヴェノムが足を止め、振り返る。
クロフは見えなかったが、ハウルの目立つ頭が大きな置物からはみ出て見えた。本人は隠れているつもりなのだが、あの目立つ髪は少しでもはみ出るとキラキラ輝いてしまう。今日はよく晴れているから。
「父さん、頭見えてるから。恥ずかしいから出てきよ。クロフも」
ディオルの呼びかけに、気まずそうな様子のハウルが立ち上がった。クロフもその後に続いて出てくる。
心配してついてきたのは理解できるが、それがいつからだったのか、見当もつかない。
「な、なんで分かったんだ? 完璧に気配を殺してたのに」
「周囲の反応を見ていれば分かりますよ」
言われてみれば、通行人がたまに驚いた様子で何かを見つけてこそこそと話していた。ハウルの姿を見て、驚いていたのだ。
「ハウル、なぜ私の言いつけを破ってついてきたのですか」
「いや、その、師匠の所に挨拶に。
ほら、魚と新作の菓子もらってきたから、帰ったら食べよう」
笑顔で風呂敷包みを見せる。それに負けてヴェノムはため息をついて再び歩き出した。
「きーちゃん、今夜は俺が料理してやるからな!」
いつものことだが、今日は一段と張り切って宣言した。
たまに食べる分にはとても美味しいから好きなのだが、一品食べるごとに上手いかと聞いてくるのが憂鬱だ。味はとても美味しいのだ。下手な料理人よりもよほど優れた料理人なのだが、キーラは食べ物のことにこだわりはないので、憂鬱さが煩わしい。
「父さんの料理魚ばっかりでやだ」
ディオルが子供らしい理由で反発する。彼は魚があまり好きではない。
「では私が一緒に作りましょう」
ヴェノムがむくれるディオルをなだめ、肩を抱いて歩く。
これが親子だ。
混じれるか、馴染めるか、キーラは自信がない。
自信など何に対してもない。
クロフがいるからいいものの、ほとんど知らない家族達と同居はストレスが溜まりそうだ。
早く独立できるようになって、一人で暮らしたい。
それには、街を歩き、通行人に対してビクビクと怯えないようになることが必要だ。
ハウルのような一番厄介な身体の厄介な性格の相手と一緒にいても平気になれば、きっと世間なんて平気になるとホクトは軽い調子で言っていた。
それで慣れたら、戻ってきたければ戻って来ればいいと。
育てたのは自分達で、お前は娘みたいな物だからと。
「キーラは好き嫌いはありませんでしたね」
「あ、はい」
「これからたくさん、色々な物を食べましょう。私達の住んでいるところは、この国にはない食材もたくさんあります。動物もいます。一番変なのは家族だから、安心なさい」
キーラが笑うと、ヴェノムが肩に腕を回してくる。
この町もこれで当分見られない。
水神の街だけあり、人情味のあるのんびりとしたところだ。
次に行く町はどんなところだろうと思うと、少し恐いが、それが普通の人間だ。
だから我慢して慣れなければならない。
慣れて、普通に暮らす。
それだけが望みだ。
そのためには──
「俺も入りたい」
そのためには、まず、この寂しがり屋の父親から適度に距離を置く術を身につける必要がある。
彼が一番の障害なのだ。