8話 遊び

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 ジークがこれほど無気力になったのは生まれて初めての事だった。
 いつも父の監視の下、気を入れていないとどこから殴られるか分からない生活を送っていたからだ。
 たまに妹が背後から木刀で殴ったりと、誰にも気を抜けない家だった。
 それが当たり前で、嫌ではなかった。
 家族は好きだ。あの生活も悪くはなかった。
 そして今まで、深淵の森での生活も、奇妙な事は起こるが悪くないと思っている。妹とまともに顔を合わせる訓練を抜きにしてもだ。
 自分の体質は憎んだが、人生は悪くないと思っていた。
 今日までは。
「…………死にたい」
 ジークは初めてこの言葉を口にした。
 死は最後の手段だ。易々と取る手段ではない。しかし、死にたい。
 ドレスなのだ。ドレス。女物のデザインだが、男が着られるサイズの気色悪いドレスに金髪のカツラ。
 金髪にずっと憧れていた。家族の中でこんな白い髪をしたのは自分だけだ。だから両親や妹たちと同じ金髪には憧れていた。
 それが、こんな形で金髪にされるなど……。
 こんな姿を人前にさらして、おめおめと生きていけない。
「まあまあ。変ではないから」
 ディオルが背を押しながら慰める。彼もこんな屈辱を受ける事になった原因の一人だ。半分脅すようにこの格好をさせてくれたが、地神を怒らせないためのことだ。恨んでいるが、恨みきれない。
「そうだよ! すっごく似合うよ!」
 ジークも行くのだと駄々をこねた張本人は、ジークを見て笑う。
 面白がって、嫌がる事をさせて、笑っているのは、大地の神。
 神相手にジークは生まれて初めて殺意を持った。殺意は持っても実行しなければいいのだ。ハウルがいつも言っている。殺してやりたいけど殺せない。
 殺したやりたいと思うだけなら許される。
 ああ、殺したい。
「ジーク、目が恐いよ」
「ほっといてくれ。こんな気持ちは初めてなんだ」
「そりゃあ……ねぇ」
 女装など初めてだ。初めての気持ちであるのは当たり前だ。この怒りの矛先はどこに向ければいいのだろうか。
「お前はまだ小さいからいいな」
「好きで小さい分けじゃないんだけど。父さんはこの頃にはもう背も高かったらしいし」
 ディオルはため息をつく。彼は特別小柄でもなく、年相応だ。ただ、周りが周りなので、早く大きくなりたいと思っている。焦っているわけではないが、大人になる事を望んでいる。
 成長の証が実験の結果で、彼は成果を上げる事に急いている。
「ああ、くそっ! なぜ男サイズのこんな可愛らしいドレスがあったんだ……」
「クリスおじさんは昔から悪戯好きだからね。何があってもおかしくないな。悪い方ではないんだけど……長く生きていると人の迷惑顧みないというか、自分の暇つぶしが最優先になるんだ」
 ジークの怒りが萎んでいく。
 怒りはあるが、小さく固まっている。
 それよりも羞恥が大きくなる。できれば脱ぎたい。脱げないのなら暗がりで小さくなっていたい。もちろんただの願望だ。妥協する必要がある。
 こっそり入るまではいい。しかし、それからクリスは目立つ気なのだ。ジークは小さくなって後ろの方にいるだけのつもりだが、人目につく。どうやって目立たないようにするか、かれは必死で考えた。
「地神様、頭からマントをかぶってはダメですか」
「衣装を着た意味がないよ。顔はヴェールで分からないから大丈夫!」
 ジークの顔は分からないだろう。しかし、そういう問題ではない。ドレスを隠したいのだ。ドレスを。
「大丈夫だよ。目立つのはカロンの仕事だ。僕らはただの飾り。夜で遠目で黒いから、ちょっとごついことも分からないだろうよ」
「そうだといいが」
「身内に見られる事を考えれば、他人ばかりでよかったと思えるかも知れないよ」
 ジークは小さく頷き、引きつった笑みを浮かべた。


 ラァスは明るく照らされた石像を見上げる。
 生きているようなリアルな苦痛を刻み込まれた石像。生きているのだから、リアルなのは当然だ。
 ディオルが欲しがるサンプル。
 もしも太陽神に知られたら、少しばかり問題になるだろうが、クリスからすればあれも人間でしかない。何か言われても、なぜ引きこもるお前に報告しなければならないのかと尋ねて終わりだ。ディオルもただ面白そうだから欲しがっただけですむ。まさか、その身を腐らせる呪いこそを狙っているとは、太陽神でも思うまい。まだ十二歳の幼子なのだ。
 実の息子は弄ることに興味はなく、天然物にしか興味がないのはせめてもの救いだ。彼が聖人である己自信を好いてくれていてよかった。
 嫌な想像は振り払い、ラァスはこほんと一つ咳払いをした。
「あなたが復帰するなんて、きっと彼も喜ぶでしょうね」
 ラァスは目の前で一緒にお茶を飲むアーバンに微笑みかけた。
 暢気だと思われているだろうが、大神官候補にまでなったことのある将軍の息子と、引退した英雄に文句を言う者はいない。
「失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
 まさか、初代の金髪女ですとは言えない。さすがに身の破滅だ。
「あなたは有名ですから。僕も宝石には目がないもので、セイダの動きは気になります。
 それでも、さすがにあれはいかがな物かと思うんですけど」
 無理矢理引っ付けられた宝石を見て笑う。本当に哀れな男だ。呪われて石になり、ごっこ遊びのために勝手に改造されて盗まれ、挙げ句の果てには実験台。
 なんて哀れな人生。
「確かに、石像も宝石も哀れですな。セイダが動いたのは、この状態が許せなかったのでしょう」
 まさか、それをした本人に、それやるから仲間に入れろと言われたとは思うまい。地神公認、お国公認だとは思うまい。
 この異常さを世間に知って欲しいような、欲しくないような矛盾を抱えて、ラァスは見上げる。
「セイダも、そろそろいい年でしょうに、なぜ今頃になって……」
 まさか、娘可愛さに卒業したとは思っていないだろう。ちょこちょこ動くようになり、目が離せなくなって真面目になったとは、普通すぎて思うまい。
 どんな特殊に見える人間でも、私生活は意外と普通だと、理解している者は滅多にいないのだ。
 ラァスも親になってからは、ずいぶんとまじめになったものだ。
 子供達はかわいい。かなりの問題児でもかわいい。
 かわいいからこそ、エリアスを追い出した。
 エリアスも昔はそりゃあ素直でちゃんと外に出て遊ぶ可愛い子供だったのだが、今ではすっかりつんけんとした嫌味なインドア派の少年になってしまった。年下のディオルに頭脳で負けているため、躍起になっている事も知っている。魔道士としての才能だけならともかく、頭の中身でヴェノムとハウルの息子に敵うはずもないのに。
 自分に一番向いた事で挑まないのも、頑固でラァスの頭を悩ませる。身体の動かし方を学べば、ディオルとは違う分野で彼を上回る事が出来るのに、なぜか自分がろくに動かない事にこだわるのか。
 ラァスは義父にもらった時計を見る。
 子供がいないため、幼かったラァスを引き取り一人前にしてくれた人だ。ラァスがヴェノムの次に感謝している人である。
 昔のやんちゃだった自分の事は、彼のために隠さなければならない。彼のために、跡取りであるエリアスはまともに育てなければならないのだが、婿をもらうかもう一人作った方が手っ取り早いだろう。
「そろそろですね」
「はい、彼は時間には厳しい男です」
 アーバンが懐かしそうに呟き立ち上がった。今日はクリスがいるから、なおさら時間厳守だ。彼は祭りごとに関してはきっちり時間を守る。
 時計を見て、カウントする。クリスがもっとも浮かれている瞬間。
「来る」
 呟いた瞬間、明かりが消えた。松明と魔術の明かりだけではなく、予備の光石の明かりまで封じられた。こんな事ができるのはクリスしかいない。
 驚きざわめく参加させられている何も知らない部下達に、心の中だけで謝罪した。
「どうなっているんだっ!?」
 今までと少し手が違うせいか、アーバンが驚いていた。カロンは派手好きだが、ここまで神懸かり的なことはしたことがない。
「ええっ、土台ごと持てとっ!?」
 カロンの焦った声が聞こえた。クリスは土壇場でわがままを言ったらしい。
 その声に反応して、何人かが突撃していったが、ジークかキーラのどちらかに一撃でやられた。
「土台を壊すよりはいいでしょ」
「それはそうだが、持ってくださるんですか」
「ダメダメ、セイダが持たないと」
「持てませんから」
 ラァスは彼らに同情した。いつもああやって自分も振り回されているのだが、客観的に見ると悲しくなってくる。
「な……何をしているんだ? あの声は確かにセイダのようだが……」
 いつもと違いすぎてアーバンは戸惑っている。戸惑うだろう。ラァスは裏を知っているから呆れるだけですむが、知らなければ偽物だと疑う。しかし偽物だと疑うには、アーバンがカロンを知りすぎている。
「はいはい。大きな物なんだから、さっさと仕舞うよ」
 ディオルが何かをしてクリスをぶーぶーと言わせたが、誰かの殺気を感じて静かになる。
「出来る奴がいるな」
 アーバンがつぶやいた。二人の性格はまだよく分かっていないが、消去法で考えてジークだ。彼はこの世の終わりのような顔をしてドレスを抱えていた。
 ラァスとて彼のように恵まれた体格をしていたら、同じように思っただろうが、幸か不幸か、大人になっても線の細さは変わらなかった。昔よりもコルセットが苦しいだろうが、それさえ我慢すれば今でも女装はできる。
 もちろん参加したいとは露程にも思っていない。
「灯りはまだかっ」
「無駄ですよ。僕がやっても出来ないんだから、今ここに、光は存在出来ないんです。一体何をしたらこうなるのやら」
 先ほどからささやかな抵抗は試みているのだが、どうにも上手くいかない。とても遊びのためとは思えない、強い干渉を受けている。
「あなたほどの方でも封じられてしまうのですか」
「たぶん、光る物だけね」
 さすがの地神でも、限定でもしなければここまで強力な封印は出来ない。彼がうっかり力を使いすぎると、地面が動くからだ。
「んんっ」
 突然、一筋の光が差してラァスも立ち上がる。
 光はスポットライトのようにカロンを照らし、照らされた本人が驚いてあたわたと帽子を目深にかぶった。
「年を取っているようには見えないな」
「優秀な魔術師ですからね」
 カロンの背後に、きゃっきゃと喜ぶ跳ねているクリスが見えた。
 少しでも光から遠ざかろうとするが、喜ぶクリスに迫る警備員を排除してタイミングを逃したジークも見える。
 一番似合っているキーラが、一番小さくなっているのは笑える。本当に、昔のアミュをさらを気弱にした雰囲気が、とても可愛らしい。
「さて……」
 アーバンが羽織っていた上着を脱いで構えた。年を取っても変わらぬ、熟練された格闘家の気配に、ラァスはこの馬鹿げた騒動に、少しだけ楽しみを見いだした。


 頭が痛い。
 吐き気がする。
 暗いからよく見えないが、人がたくさんいるのが分かる。
 逃げたいが、さすがに体術の苦手なカロンを置いて先に逃げるのは躊躇うのだ。彼には日頃から世話になっている。
 キーラはスカートで足を上げるのを戸惑って、いつもの動きが出来ないでいるし、ジークがやるしかない。
 どうやって逃げる気だとクリスを見るが、彼はただカロンを見上げるだけだ。ヴェールで表情は見えないが、子供のように浮かれているのだ。
 カロンはそれを見てため息をつき、向かってくる男を見た。
「久しいな、アーバン。孫が出来たそうだね。おめでとう」
「どうやら、本人に間違いはなさそうだな。なぜ十年もして復帰した」
「ちょっとね。でもこれで最後だよ」
 カロンはもう一度だけクリスを見る。
 さすがに、聖騎士の何人かが気付いて「げぇ」と声を発した。
 ラァスがいるのだから部下である彼らがいても当然である。彼らは地神直属であり、気付いてしまうのも無理はない。どうして自分がここにいるのか、理解しただろう。
 気付いた者達がどうしていいのか分からずにおろおろし始め、上の不安は下にまで広がり、騎士が使い物にならなくなる。
「ら、ラァス、聞いてないっ! どうすんですっ!?」
「僕は見てるだけ」
「っく。流砂が来ないと思ったらっ、知ってたんですね!?」
 ラァスが部下とそんな会話をしていた。
 騎士のことは考えなくていい。彼らがいないなら、戦闘のプロはほとんどいないと思っていい。
 問題はカロンが話していたアーバンという老人だ。
「最後か……。
 こちらも最後のチャンスというわけか」
 腕輪まくり、重心を変える。それだけで、老人と侮っていい相手ではないことが分かる。体力はないが、年の功がある。
「こういう肉体労働は、頼んだよ」
 カロンの言葉でジークは渋々と彼の前に立つ。
 もちろん、光からは極力離れるようにして。
「男か」
「っひぐ」
 これだけ接近すれば気付かれて当然だ。しかし痛い。何かが、どこかが、色んなところが。
 帰りたい。
 しかもジークにとって最悪なことに、空気を読んで誰も手を出さないし、じっと見られている。ジークの望みは乱戦で相手の様子など分からないような戦闘なのに、なぜか皆が見ている。騎士が『何か』を見てさがったのが大きく影響を与えているのだ。
「ううぅ」
 動きにくい格好で、動きにくい状況。
 嫌だ。投げ出したい。
 投げ出してもいいような、くだらない理由。
 それでも彼はそこで構えを取る。くだらないが、投げ捨てられる相手ではない。そう思いとどまる彼自身の性格が嫌だった。
 前進し、掌を突き出し、返された突きを避ける。
 ジークは一撃目を躱される事がほとんど無い。それに相手の動きも独特だ。
 ジークが習った、アークガルド家独特の動きだ。ジークは気付いたのだから、当然相手も気付く。
 アーバンははっとして距離を置き、ジークを睨み付けてきた。
「その動き、アークガルドの者か。なぜアークガルドの門下生が怪盗など」
「っ」
 死にたい。
 晒してしまった。
 こんな恥ずかしい姿を『身内』に。
「…………うがぁぁぁぁぁあっ」
 何かが、吹っ切れた。
 たがが外れた。
 叫んだ直後、アーバンの顔面を掌打する。
 それから、向かう者を全員叩きのめし、誰も向かってこないのを確かめると、入り口から外に出た。
 その間の事は覚えているが、理性はなかった。
 覚えている事が、辛かった。


 盗みから帰ってきたジークは、地神の好意で用意してもらった部屋の隅に蹲って落ち込んでいた。
 老人や弱者に対して、手加減無しで暴れたのを気に病んでいる。彼はキレると恐いと学習させられた。
 ジークよりは幾分ましだが、キーラも落ち込んでいた。
 自分がもっとしっかりしていれば、ジークがあそこまでキレたりしなかったと。
 根が真面目だと、人生を損すると、ディオルは再確認した。
 真面目さはそこそこでいい。なんに対しても真面目だと、人は実に生きにくい。
「ジーク、元気出して。ねえねえ、外の空気でも吸いに行きましょう」
 ジークのキレっぷりをどこかから見ていたラァサは、彼の強さを再確認して上機嫌だった。
 キレた男を見て浮かれる女というのは、世にも珍しい。
 父親がそれを見て過剰に心配して、ヴェノムになだめられている。
 世の中には、何かあると殴るようなダメ男を好きになる女がいる。娘がそんなタイプなのかと、心配になるのは当然だ。
「大丈夫よ。アーバンさんは受け身は上手く取ってたから。
 私はこれほど年を取ったのかって、寂しそうにしてただけだし」
「いや、ご老人にそのような思いをさせたのは……」
「いいのいいの。あれだけ圧倒的に強い相手だったから、文句もないわよ。
 ほら、元気出して! 眠れないなら歩くに限るわ!」
 ラァサは昔から強引な女で、ジークの後ろ襟を掴み、持ち上げ、部屋の外に運んで行った。
 言葉の通り、持ち上がっていた。
「ラァサはラァスによく似ましたね」
「ええっ!?」
 ヴェノムの言葉にラァスは飛び上がった。
「ラァスも昔はよく強引にアミュを外に連れて行ったものです。女の子相手だから、立ち上がる時間は与えていましたが」
「あの二人、まさかもう付き合ってるの!?」
「それこそまさか」
 一足飛びにそこまで心配するのが、父親というものかとディオルは呆れた。カロンも似たものだし、ハウルもその気が強い。
 疑惑が残ってはジークが可哀相だ。あんな凶暴な女を押しつけらては、ディオルが利用しようにも利用しにくい。
「安心していいと思うよ。ラァサはジークの趣味じゃないと思うから」
「ディオル、どういう意味? うちの子ほどの美少女に対して」
 付き合っていても嫌だが、興味が無くても嫌とは我が儘な男だ。
「彼の妹はもっと美人だよ。ラフィさんタイプの典型的なカーラント美人。ジークもよくラフィさんを見ては妹に似ているってぽーっとしているよ」
「……なるほど。大人しい子がタイプなのか」
 それとは違うが、否定するのも面倒くさいと、ディオルは頷いた。
「ラァサは元気過ぎて、ジークにとって疲れるタイプだよ。友達としてはいいだろうけどさ」
 いくら可愛くても、表面的には静かなのを好む彼が、あれを選ぶほど物好きは思えない。しかも元気な子ですむような女ではない。何かあれば岩を砕く鉄拳が飛んでくる。
「でも、カロンとしてはいいの?」
「うちの子と彼に甘い雰囲気は一切ないよ。どうやら本当に妹さんがうちの子と似ているらしくて、似すぎていてそういう気にはならないんじゃないかな」
 そのラフィニアは寝室で眠っている。彼女はいつも早寝早起きだ。遅くまで起きていられないタイプだから、カロンの活躍も見ずに眠っていた。
 清浄な地神殿の上にあるここは、彼女にとってとても居心地が良いようで、騒がしくしているのによく眠っている。
 そう思うと、ディオルも眠くなってきた。
「僕はそろそろ寝るよ。明日は帰って実験を始め……ああ、その前に一つウザい事があったね」
 父の存在を忘れていた。
 すぐに来ると思っていたが、意外に遅かった。
「きーちゃん!」
「きゃぁぁぁぁぁっ」
 ドアを開き、迷わずキーラに抱きつこうとした馬鹿父は、ラァスに足をかけられて転んだ。キーラはびくびく震えながらヴェノムの影に隠れた。ここは地神殿の真上のため、邪精のクロフは来ていないのだ。
「ハウル、怯えられてるよ」
「ラァス! なんで黙ってみんな連れてくんだ!?」
「僕は師匠に逆らわない男だから。
 キーラキーラと娘ばかり構っていたら、師匠は拗ねちゃうよ」
「失礼な。俺はキーラよりもヴェノムに話しかける方が多いぞ。料理したり、昼寝したり、実験したりしている間にきーちゃんとの親睦を深めようとしてるんだ」
 彼の中では、あれでも妻を最も優先している。ちやほやして、べたべたして。
 ヴェノムにはそれぐらいでないといけない。彼女は去る者追わずの女だと、悪霊達が言っていた。彼らはハウルよりもずっと彼女とつき合いが長く、人間の目線を知っている。精霊達の言葉よりもリアルな言葉だ。
「ところで、クリス伯父さんどこ行ったんだ? いつもなら客がいたらそこにいるって人なのに」
「ああ、悪戯がレイアさんにバレて説教されてるところだよ」
「何したんだよ」
「内緒」
 ラァスはくすくす笑って頬杖をつく。
「ジークは?」
「…………うちのラァサと散歩に行った」
「ああ……ラァサ、なんかジークの事気に入ってたなぁ」
 今、彼は言わなくていい事を言った。
 ラァスは眼を細め、立ち上がる。
「君の目から見て、そう思うの?」
「え……? まあ……気に入ってるっぽいなぁ……と」
「向こうはラァサに興味が無くて、ラァサが一方的に好意を持っていると」
「さぁ……ジークはあんまそういうの興味なさそうだし。今までストイックな生活だったからさ」
 ハウルは自分の失言に気付いて、顔を引きつらせながら誤魔化した。
「僕のラァサの何が気にくわないって言うんだ」
「いや、可愛いとは思ってるだろ。可愛いと思ってすぐに手を出す男よりはいいだろ」
「そりゃそうだけど……ムカツク。僕は男に振られた事なんて無いのにっ」
「いやいやいや、まだ振られてないし振ってないだろ。
 ただ趣味が合ってるだけで、友達になろうとしているところだろ。友達すっ飛ばして何を無茶苦茶言ってるんだ」
 ハウルの友達という単語でラァスは落ち着いたのか、椅子に座り直した。
「……父親ってみんなああなのかな。恐いね」
 ディオルの言葉にキーラが深く頷いた。それを見てラァスは慌てて手を振った。
「いやだなぁ。僕はハウルと違って、嫌がる子に触れたりする父親じゃないよ」
「でも、娘に恋人が出来たら殺しかねないように見えますよ」
 エリアスが父親の暴走を見て呆れ半分に言う。
「そんなことはしないよ」
「しないんですか? 自分より弱くて、貧乏で、だらしのない女好きだったら?」
「斧で真っ二つにしてやる」
 息子の言葉でラァスは再び立ち上がり、部屋を出て行こうとするのでハウルがしがみついて止めた。止めきれずにずるずると引きずり、部屋を出て行く。
 ジークが易々と真っ二つにされることはないが、芽生えるかも知れない友情の芽すらつみ取るのは可哀相だ。
「エリア、いいの、あれ」
「ジークなら死なないでしょう。私には関係ありません。ラァサが誰と付き合うが、振られようが、私の名まで貶めるような、だらしのない事さえしなければ」
「そうだね」
 騒がしい連中がいなくなり、部屋が静かだ。
 静かになって、自分が寝ようとしていたのを思い出した。
「寝るか」
「寝ましょう」
「お休みなさい」
 部屋を出て、背を向ける。
 エリアスはこの屋敷内にある自分の部屋へ。
 ディオルはいつも使っている客室へ。
 規則正しい睡眠は、子供の成長にとってとても大切だ。ずいぶんと夜更かししてしまったから、少しでも早く眠らなければならない。
 最低でも、ラァスの身長は超えなければならないのだ。


 

感想、誤字の報告等

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