9話 塔の影で

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 飴をもらう。
 代金を払う。
 これでこの飴はキーラの物だ。
 棒がついて動物の形をしたそれを一口舐めると甘くて美味しい。
「ハラン、ほんとなんでいつまでもこんな事してるんだよ。仕事忙しいんだろ」
「いえいえ。ストレス発散には、こういうチマチマした作業をして、それで喜んでいただくことが一番ですから」
 ハウルの知り合いらしい飴屋の男性が微笑む。感じのよい優しそうなおじさんだ。
 ここは今日からお祭りのある魔動都市アンセムの大通り。
 祭りが終わるまで、塔の人間が趣味で露店を出したり、プロの人達が露店を出す。
 キーラは祭りと言えば水神祭しか知らないので、異国の地の訳の分からない祭りが楽しくて仕方がなかった。
 美味しい物がたくさん売っているのも嬉しい。
 欲しそうにすると、ハウルが声を掛けずに買ってくれるのも、少し嬉しい。いらなければ自分が食べる、少しで良いなら残った分を食べるから、と。
「お、美味しいです。甘くて。食べるのがもったいないぐらい綺麗で」
「キーラは甘い物好きだよなぁ」
 ハウルに触られそうになったところを、ジークが助けてくれた。最近、彼は少し短気になった気がしたが、おなじぐらい優しくもなった。
「ジーク、最近厳しいな」
「毎日このやりとりを見せられたらこうなる。そろそろ髪の一房だろうと接触は諦めてくれ」
 呆れながらも彼は二人の間に割って入る。
 初めは恐そうな人だと思ったのだが、実は一番常識的ないい人だった。人は見た目では判断できない。見た目だけなら、エリアスやカロンが真面目でいい人のように思えるが、エリアスは上から目線の自分絶対主義者かつ、動物虐待少年だ。カロンは優しいし爽やかだが、ディオルに技術を提供している凶科学者であり泥棒だ。
 泥棒行為を嫌がり、仮装も嫌がり、優しくて思いやりがあるのがジーク。
「しかし、キーラさんは本当にヴェノム様に似ていらっしゃる。素晴らしい」
「性格は似てないぞ」
「傾国の美女とうり二つの美少女ですよ。遠目で見ているだけで男は楽しいものです。
 私のようなおじさんならまだいいですが、塔では気をつけてください。ハウル様が思っている以上に、危険です」
 体質があるからだ。
 研究したいと思う者は掃いて捨てるほどいるのだ。
 ディオルですら、たまに血をくれ、髪をくれと要求してくる。
 キーラは自分の身体が研究材料になる事を、よく自覚している。ホクト達にも散々言われた。
「キーラさん、ヴェノム様かディオル君の側から離れちゃいけませんよ」
「はい」
 それにジークも付け加えていいはずだ。カロンは一緒に来たが、用があるとどこかに行ってしまったし、クロフは人が多いからと姿を見せる気はない。見守ってはくれるが、常にではない。塔は魔道士達の集まりだ。そんな場所で高位の邪精が動けば騒ぎになる。徒党を組んで捕獲しようとしてもおかしくはない。邪精は精霊と違い乱暴してもいいと思っている人間がいるのだ。
「ディオル君、メディアがとても楽しみにしているから、真っ先に会いに行ってやって欲しい。すましているけど、君の事がお気に入りだからね。キーラちゃんと会うのも楽しみにしているよ。外に出てきたから、夜はお祝いだって」
「ああ、ちょうど聞きたい事が山ほど有るから、真っ先に行くよ。長年の夢が手に入ったんだ。慎重にやらないと」
 ディオルは手に入れた像を大切にしている。埃だらけの部屋に置いて、毎日磨いている。部屋を掃除したら、月に一度の手入れでも今より綺麗になるだろうに、頑なに部屋の掃除はしない。
 大切にしているのか、粗末にしているのか、本当のところは分からない。
「そうですか。きっと喜ばれます」
 ハランは手を振り、新しく並んだ女の子の相手を始める。小さなレディには綺麗なお花を、と優しい笑みを浮かべながら。
 普通の父親というのは、あんな雰囲気なのだろうと、キーラは少しうらやましく思った。
 ハウルは、少し父親らしさが無い。まず見た目、次に性格。こんな大きな子供がいても、妻と新婚夫婦のような雰囲気で仲がよく、理解に苦しむ。
 道を歩くと、塔が近づいてくる。塔はシンボルだが、中には入れない。この都市の結界の要であり、世界の魔力の流れの要でもある。はるか昔、記録が曖昧な時代、神ではなく人が作り出した、世界の安定。
 現塔長、黒の知識を持つ闇の賢者が長を勤めて人が四度は生まれ変わるほどの時が経った。
 それだけ強く、安定し、上に立つ資格を持ち続けている、ヴェノムの弟子の一人。
 その妻のメディアはキーラをとても可愛がってくれた。
 両親以外で一番よく顔を見せてくれたのは、カオスとメディアの夫婦である。カオスは職業柄、世界の安定を崩しかねない存在の確認も兼ねていたが、メディアは本当に可愛がってくれた。
 退屈しないようにと、玩具をたくさんもらい、置く場所がないから持ってくるなとホクトに文句を言われていたのが懐かしい。
 両親よりはまともな夫婦で、キーラは二人の事が好きだ。
 二人に外に出られるようになった事を報告するのが、ここで一番の楽しみだ。
「ん」
 前を歩いていたジークが足を止めた。
「シア?」
 彼はいつも気にしている、妹の名をつぶやいた。人をかき分け、金髪の女性が走っていく。ジークの視線は、その女性に定まっていた。
「いるわけないだろ。国でお前の帰りを待っているお嬢様だよ」
 追おうとするジークをディオルが止めた。
「そうだな。髪の質とか頭の形とか似ていたから……」
「軽いホームシックなんじゃない? 家族に似た人を見て気になるのは当然だよ。君はまだ若いんだ」
「いや、年下のお前が言う事か?」
「僕だって一人で活動していると、こんな父親でもいないと寂しいと思うものだからね」
 ディオルですら家族は恋しいのだ。
 キーラもホクト達と離れて少し寂しい。ヴェノムに可愛がってもらえるのは嬉しいが、育ててくれたのは、やはりあの二人だ。寂しい。
 あの二人の所にいる時は、両親がいない事に寂しさを覚えていたから、完全に埋める事は出来ない。どこにいても誰かを思って寂しいと思うのだ。
「妹に会いたかったら、頑張る事だね。ここには特殊な体質の人も多いから、参考になるよ、きっと」
 ディオルの慰めで、彼は少し元気づけられて、そうだなと笑いながら目を伏せた。


 暗幕のを引いた暗い部屋にメディアはいた。
 呪いを掛けているようだが、上手くいっていないらしく少し不機嫌だった。
「メディアさん、またよその旦那様に呪いを掛けていらっしゃるの? 苦情を言われる身にもなってくださる?」
 声を掛けるリディアをメディアは睨みつける。それからようやくディオルの姿に気付いて立ち上がる。
 それを見て思わずディオルは声を掛けた。
「呪いの最中に魔法陣から出ていいの?」
「いいわよ」
 けろりとした様子で答えると、彼女は何かを振り払う動作をした。
「いいわ」
 それでいいのか。
 ディオルは体験した事のない領域の行動に戸惑い、呆れた。
「あら、キーラも一緒に来てくれたのね。暗くてごめんなさい。すぐに明るくするわ」
 メディアはカーテンを開けて、床の魔法陣やら魔具やら以外は普通の部屋を光の下に晒す。
「またアーソルドさん? 好きだね、メディアさん」
「彼の事は好きか嫌いかといったら、その中間よ。面白くはあるけれど、あんまり意地悪い男はねぇ」
 散々呪っておいて意地の悪いとは、とても加害者の言葉とは思えなかった。
 そんなところも彼女らしさである。
「ところでメディアさん、カオスさんは?」
「塔でしょ。この時期になるとメンテするから、マナラ達を案内しないと。イゼアが閉じこもりっぱなしだから、アーソルドがウザイのよね。用がないならわざわざ仕事持ってきてまでいることないのに」
 世界でも有数の魔動技師の師弟は、今年も塔にこもっているようだ。睡眠時間が短くなり、食事もおろそかになるため、その夫が心配するのは当然だが、
「アーソルドさんも父さんと一緒で、依存性高いよね」
「仕方がないわ。いつでも一人で食べていける自立心の強い女が妻なんだもの」
 普段は国で仕事をしているが、年に一度は塔に来て過去の偉人が作り出した魔動機を弄っている。今は物を作り出す技術自体は進んでいるが、独自の様式に慣れすぎて、古い物を見ただけで理解できる者がほとんどいない。
「さて、ここじゃなんだから、隣のリビングに行きましょう」
 あまり趣味のいい部屋でないことは確かだ。
「ヴェノム様達は?」
「カオスさんを探しに行ったよ。カロンは怪しげな店まわり。ラフィさん達はいつものようにお留守番」
 ラフィニアもノーラも、こんな魔道士だらけの所に来て、万が一にも正体を知られたら危険である。
「そう。それで子供だけで来たの。子供と言うには生意気なのも混じっているけど」
 メディアはジークを見上げて言う。彼は背が高いから、小柄な彼女はうんと見上げなければならない。
「ジークはいい人ですよ。一番まともです」
 家族をどんな目で見ているかよく分かるキーラの発言に、メディアは肩をすくめた。
「よくしてもらっているなら良いわ。背が高い男には嫌な奴が多いけど、いい奴もいるものね」
 どこまでも偏見の目で男を見ているかよく分かる発言だ。いい奴とはハランの事である。
「お菓子、用意してあるのよ」
「わぁ、いただきます」
「リディア、あんたの分はないわよ。なんでこんな所にいるの」
「あら、ディオル様を案内したのよ。労ってくださらない?」
「どうせ、その背の高いのが目当てでしょ。触るんじゃないわよ。子供にいらないトラウマ植え付けたら承知しないわよ」
 リディアは包帯だらけの手を頬に当てて身をくねらせた。
 苦痛の精霊憑きと言われる彼女は、塔の中でも一、二を争う特殊体質で、触れる相手に身を引き裂くような苦痛を与えるのだ。いい男が好きでも、触れられないジレンマ。しかしいい男が苦痛にのたうち回るのも大好きな、いかにもメディアのお友達といった人だ。
 二人とも見た目は若くて美人だから見ている分にはいいのだが、その性格のせいで人気は全くない。
「ジーク、この人と二人きりになったらいけないよ。人妻だから、誘惑されても乗ったらいけないよ。死ぬほど後悔するから」
「の、乗るか」
 人妻とさえ明かしておけば、万が一のこともない。彼は男だが、真面目だ。
「ところで、エリアスも一緒に来ると思ってたけど、どこに行ったの?」
 メディアは冷えたお茶をグラスに注ぎながら問う。
 皆は首をかしげた。
 いつの間にかいなくなっていたのだ。
「協調性がない奴だからね」
 ジークは妹の姿を見ても、少し否定しただけで動くのをやめて集団に従ったというのに、エリアスはどこで何をしているのか。
 どこで何をしていると言えば、街で見かけた紛れもなく本物のシアは、なぜこんな所にいたのだろう。ジークに気付いていなかったかも知れないので、小型のキメラに探させている。手紙を持たせたから、警戒してくれるだろう。彼女は恩を売っておきたい人間だ。前回のあれと、今回で、大概の頼み事は断れない恩になる。
「あの子は誰に似たのかしら。ほんと、かわいげがないわ」
「強いて言うなら、クリスおじさんじゃないかな。欲しかった本物の男の子って、可愛がっていたらしいから」
「確かに勝手すぎるところはあの方かも知れないわね。まあいいわ。
 ディオル、聞きたい事があるんでしょう。まとめてきた?」
 問われてディオルはノートを差し出す。
 呪いの事は専門家に意見を聞くのが一番だ。
「目を通しておくわ。あなたのしている事はカオスも面白がっているのよ」
 彼女はぱらぱらとノートを斜め読みする。
「一回人体実験をしたんだけど、必要以上にバケモノじみた感じになって、少し悩んでるんだよね。本物だったら呪いはもっと強いし、失敗しましたじゃすまないから」
 強い呪いを作ってもらい、移植して試したのだが、なかなか上手くいかない。
 身体には愛着があるものだ。顔立ちも悪くないし。
「鱗だらけにしたら怒るだろうから、どうにかしないと。僕個人的には、鱗って大好きなんだけどさ」
「そうね。鱗はいいわ」
「だよね。でも最低限にしておかないと、本人が目覚めて世を儚んだら何をするか分からないし」
「そうね。一生の事だもの。鱗は一匹愛玩用のがいればいいわ」
 昔からメディアとは話を合わせやすい。趣味が合うというわけではないが、気は合う。
 ジークとキーラが引いているが、この塔での会話はこの程度の怪しさが標準だ。引いていてはこの中で生きてはいけない。
「あら、貴方達、甘い物は嫌い? 温かいお茶の方がよかった?」
 メディアは固まった二人を見て、そんな疑問をぶつけた。彼女は基本的に、この程度で食べる気が失せるような軟弱者が周りにいないから、一般人ではない二人を、自分の知人基準で見ているのだ。
 二人は無言で菓子を食べ、お茶を飲む。
「可愛いわぁ。うちの旦那様と同じような人種ね」
「じゃあその旦那の所に戻りなさい」
「だって、兄弟仲良く二人だけの世界にいるんだもの。邪魔は出来ないわ」
 自分と似たような体質、死の精霊憑きである彼女の夫は、メディアの血の繋がらない兄だ。傭兵ギルドの長である、メディアの父の養い子で、周囲の安全のために塔で暮らしている。苦痛と違って、死は取り返しがつかない。
 苦痛のリディアに見つめられ、ジークはさっと目を逸らす。照れているわけでも、恐れているわけでもない。
 人と見つめ合う事になれていないのだ。


 目が合った。
 三人の真ん中に現れたそれと目が合った。
 例えるなら灰色鼠。鼠に似ているが、違う。痩せていて、三つ目。よくよく見ればなかなか愛嬌のある姿をしている。女子供は可愛いと言うかも知れない。鼠が苦手でなければ。
「これは面妖な」
 背の高い男が呟き、恐れることなく掴み上げた。
「人の手が加わっていますね。スパイでしょうか」
「手紙がくくり付けてあります」
 もう一人の少年が言うと、男は手紙を外して読む。
 灰色鼠を片手に締め上げながら、手紙を回転させる。上下をひっくりかえし、斜めにし、すぐに諦めた。
「タチの悪い暗号ですね」
 見せられ、彼女と少年は揃って覗き込む。
「これは…………」
 下手くそな、下手くそな、下手くそな、特徴のあるくせ字。
 一目見たら忘れられない、下手くそなくせ字。
 彼がこんな物を送るからには、何か事情があるのは分かるが、他人にも分かるようにそれを伝えないとなんの意味もない。彼がわざわざこんなものを寄越した意味が分からないと、動きが制限される。どうでもいい事なら、以前送った手紙に書かれた先に手紙でも送ればいいだけだ。
 わざわざ探しに来たということは……。
「あいつは何をやってるんでしょう」
 少年が呟いた。男からキメラを奪い取ると、手紙の裏に鉛筆で読めない、と書いて鼠にくくり付け放つ。
 ますます分からなくなった。あれは彼に宛てられた手紙だったのか。
「で、なんの話でしたか?」
「ああ、はい」
 背の高い男は少し戸惑った後、再び話を始めた。


 鼠などのちょこまか動く小動物を見ると、ゼノンは身体が反応してしまうらしい。
 大人しくしていた彼は、鼠を見た瞬間、人間としての尊厳を忘れて飛びかかる。
 ぱしばし叩くと、キィキィと鼠が鳴く。キーラが猫はそんな物だと放置していると、ディオルが気付いてゼノンの尻尾を踏んだ。
 猫のようにギィィィと鳴いて毛を逆立て飛び退く。
 それを見て猫好きのジークが立ち上がって尻尾を確かめる。いつもの綺麗な尻尾だ。
「まったく、自分の仲間を苛めるんじゃない」
 ディオルは鼠を持ち上げ、胴体に巻かれた手紙を外した。
 両面に書いてあるらしく、裏には一言『読めない』と書かれている。ディオルは手紙をひっくりかえし、確かに読めない難解な、どこの文字か分からない、異様な癖で綴られた文章らしき物がキーラの目に入る。
 読めない、という一文は、返信した者の心の底からの訴えだっただろう。
「この異様に整った字、エリアスの字じゃないか。なんでお前はエリアスのところに行ってるんだ。とくに餌をくれるわけでも、構ってくれるわけでもないのに」
 ディオルは別の相手に手紙を送り、なぜかエリアスの手に渡り、読めない内容のため自分宛だと思い込んで返信されたらしい。
 悪いのはディオルだ。
「ディオル、もう何度も言っているが、もう少しだけ他人が分かる字を書け。宛名すら分からないじゃないか。定規を当てて書いた方がずっと読めるぞ」
「宛名は書いてない。っていうか、人が書いた手紙を勝手に読まないで欲しいな」
「だから読めないんだって」
 ディオルの自覚のなさは病的だ。
「って、メディアさん、何してるの?」
 彼女は今まで座っていたソファの陰に隠れている。
「ど、どこかに、どこかに」
 声が震えていた。
「ああ、鼠が苦手なんだ。ごめんなさい。ほら、帰りな」
 禁止されている空間切り裂きを使用し、自分の研究室に鼠を送り返す。小さいから他のキメラ達よりもずっと安全に行き来できる。
「戻したよ」
「そう。そういうのを離していたなら、先に言ってね。アリ一匹は入れない部屋に閉じこもるから」
 メディアはソファの陰から出てくると、恥ずかしそうに乱れた髪を整える。
「大袈裟だなぁ。元になっているのは鼠なんて入ってないから、鼠じゃないし」
 どうやったら鼠を無しにああなるのか、組み合わせを考えて──すぐに諦めた。
 ディオルは再び手紙を書こうとしたが、相変わらず読めない字で書き始めのでジークが止めた。
「無駄だ。
 よければ代筆するぞ。私の字は綺麗でもないが、読めなくはない」
 ディオルは不機嫌そうに手紙を眺め、それを丸めて燃やした。そして新しい紙を差し出し、
「家族で塔に滞在中、とだけ」
「それだけでいいのか?」
「知り合いに連絡を取るだけだから」
 ジークはもらった紙にさらさらと言われたとおりに書く。ジークの言ったとおり、綺麗な字ではないが、生真面目さが現れている一画一画がしっかりした字だ。
 ディオルは受け取ると、再び穴を開けて
「ココル」
 呼びかけると、リスのようなキメラが出てきた。
「今度は可愛らしいわね」
「こっちは鼠が入ってるんだけど」
「…………まあ、可愛いわ」
「やっぱり見た目だけなんだ」
 鼠は害がなければ可愛らしい生き物である。
「当たり前よ」
 ディオルはリスに手紙をくくり付け、窓から放つ。
 空を飛べるらしく、優雅に滑空していった。


 目が合った。
 また目が合った。
 今度はリスのような生き物だ。
 悪趣味なディオルのキメラにしてはマシな、可愛らしいリスのような生き物。
 持ち上げて手紙を読むと、奇妙な事が書かれていた。
「家族で塔に滞在中? 彼は誰に連絡を取りたいんでしょうか。毎回私の所に来るなんて、お前達は無能ですね」
 エリアスが口に出して読むと、顔を隠した同席の女がくすくすと笑った。
 今回の席は交渉の場だ。彼女が客人で、彼女から得る物がある。
 条件の問題で、なかなか交渉が進まない。
「貸してください。私がお返事を書きましょう」
 彼女が手を伸ばし、手紙を渡すとささっと返信を書く。
『可愛らしいお手紙をありがとう』
 女性らしい字で書かれたそれを見れば、間違えて届けている事に気付くはずだ。あんな文面を誰に届けたかったのかは知らないが、己のキメラの無能さに嘆く彼を思い浮かべるとおかしくなる。
「ついでにキスマークでも付けてあげてください。女性だと分かりやすいように」
「よろしいですよ」
 彼女は紙に唇を押しつけ、紙には薄紅が移る。
 それを再びキメラにくくり付け、窓から帰した。
 可愛らしいそれに手を振り、彼女は再び椅子に腰掛ける。
「さあ、話の続きを致しましょう」
 彼女は形のよい唇を笑みの形にする。
 鼻から上は見えないが、若くて綺麗な女性だろう。
 有能な、美人だ。
 だからこそ、交渉役がこの男と彼になったのだ。
 無難で最良の選択。


 リスが戻ってきた。ディオルに手紙を返すと、キーラの膝の上に乗った。
 可愛らしいので撫でると、気持ちよさそうに仰け反った。
 指を動かすと反応して首を回しひっくり返る。
「これも中身が人間なの?」
「いいや。それは違うよ。
 ん、げ」
 手紙の返事を見たディオルの顔が引きつり、リディアが手元を覗く。
「いやだ、キスマーク。ディオル様ったら、ついに恋人が?」
「ち、違うよ」
「このこの。マセガキちゃん」
 リディアはディオルの頬を突いてからかった。
「包帯しているからって、人を突かないで欲しいな」
 彼は手紙を丸めて焼き捨てる。
「ああ、そんなことして。男の子ならときめくところでしょう。それとも、お姉さんの知らない間に、そんな事ではときめかないほど大人になってしまったのかしら?」
「くだらない事を言わないでほしいな。こんな所にいる知り合いは、身内か利用できる相手だけだよ」
 ディオルはメディアに笑いかける。
 滅多に笑わない、懐かない彼。
 そんな彼が懐いて笑いかける相手は、どうしてか彼をとても可愛がる。
「ディオルはその女に会いに行くの?」
「会いたかったら連絡が来るんじゃないかな。僕はただ知らせただけだから」
「そう。変な女に騙されちゃダメよ」
「変で怪しい女ではあるけど、身元は分かってるから大丈夫だよ。利用するといっても、知識の面でだけだし」
「ならいいけれど」
 ディオルはグラスのお茶を一気に飲み干し、メディアが冷えたお茶をつぐ。
「あ、ありがとう」
「それより、明日から授業に参加するの?」
「僕はしないよ。この二人をさせるみたい。レベルが違いすぎてついていけないだろうけどだろうけど、僕はちょっと出かけるから面倒見れないな。どうしよう」
 ディオルは首をかしげる。
 説明をエリアスには期待できない。二人でぽーっと聞き流している光景が目に浮かぶ。
「基礎は出来ているの?」
「まあ、基礎はね」
「じゃあ、下級クラスに混じればいいわ」
「そうだね。無理して上に混じる必要もないか」
「午後はアルスに付き合ってくれたらいいし」
「そうだね。アルスさんにお願いしようか。それなら安心だ」
 アルスはメディアの母だ。
 メディアはよく来ていたが、アルスは一度も会った事がない。
 知らない人に任されるのは、少しだけ不安だ。幸い、ジークが一緒にいてくれるようなので安心できる。


 

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