11話 痴話喧嘩

2

「今回のはよくできているな。子供が親にねだりやすい機能は揃っているな」
「引き込むなら子供から、というのは基本ですから。色々と詰め込んで、抱き心地は今までに劣らない。抱き心地にはいつも苦労させられる」
 カロンはリーンハルトの説明を聞き終えると、持っていた動くラーフのぬいぐるみをラフィニアに渡す。彼女はそれをぎゅっと抱きしめた。
 彼女は昔からラーフが遊び相手だった。歴代のラーフは、彼女の部屋に並んでいる。
 初期の頃のものは、高かったせいかそれほど出回らず、プレミアが付いてかなり高額になっているらしい。
「ああ、そうだわ。ヒルト達にもお土産を渡さなきゃね」
 イレーネはバックの中から小箱を取り出した。
「今、アクセサリーにも力を入れているの。うちのお抱えデザイナーが、シンプルなアクセサリーのデザインにはまっているから。前は大きなパーティでないとつけられない豪華なデザインだったけれど、今回は普段使いよ」
 ヒルトアリスはそれを受取り、中から指輪を取りだして感嘆の声を上げた。
 石が埋め込まれた、引っかかりの少なそうな指輪で、ヒルトアリスでも何かに引っかけて騒ぐような事にはならない。
「サイズは合っていると思うけれど、もし大きかったら交換するわ」
「いいえ、ちょうどぴったりです。すてき」
 ヒルトアリスも女性なので、身を飾る事には熱心だ。
「これなら家事の邪魔になりませんわ」
「でもヒルトはあまり家事をしないじゃないか」
「まあ、ひどいわカロンお兄さま。そんなことありません。廊下をモップがけしたり、窓を磨いたりはします」
 彼女もそれぐらいは出来る。絶望的なのは料理や縫い物だけだ。
 積極的に家事をしようという気持ちはとても大切である。それを尊重しなければならない。
「ヒルトは本当に変わらないわ。昔のまま、ずっと少女のよう」
 イレーネは彼女を見てため息をついた。
 変わらぬ彼女を見て、カロンは別の意味でため息をつきたくなったが、イレーネのは純粋な憧憬だ。
「何をおっしゃいますか。イレーネ様もお変わりありませんわ。昔と変わらず、気高くお美しくていらっしゃいますもの」
 美しいという言葉は、彼女の場合は本心からの言葉だと知っているから、イレーネは素直に受け取った。
「見た目だけではないのよ。見た目の問題ではないの。
 私は少女のような純粋な心なんて……かろうじてあったのは、カロン出会う頃までかしら?」
 彼女は人のせいにするような事を言いながらため息をつく。
 自分の策略で穢れて、女としての幸せを得たのだ。
 昔の彼女に、そのような度胸がなかったのは確かだが。
「それではまるで、私のせいみたいじゃないか」
「あら、そうではなくて?」
「今回の仲違いの原因を作った覚えならあるがね」
 彼女に魔動機という存在を教えたのはカロンだ。それまで彼女はその存在にあまり興味を示していなかった。
 興味を示したのは、魔動機には魔石が動力として使われる事が多いと知ったからである。見栄えの悪いクズ石だろうと、力にそれほど差はなく、有用であると彼女は知った。
 クズ石でも使い道があり、それが彼女の祖国を支えていると知って、今のようになった。元々、発想が豊かで向いていたとはいえ、自分には豊富な資金と人材があると気付いてからの彼女は、素早かった。
「そういえばイレーネ、ジークの事が気に入ったようだね」
「ええ、彼はとっても可愛いわ。もてそうな顔をしているのに、純情そうね。昔のハウル様を思い出すの。あの方と違って、ポーカーフェイスは出来るみたいだけど、時々崩れるところが可愛いわ」
「するどいな。確かに彼はハウル君に似ているところがあるが、彼よりもよほど真面目だよ。可哀相な魔物達に、せっせと餌を運んだり、遊んだり、あの二人の喧嘩を止めたり。昔のハウル君なら呆れてほっておいただろうね」
 イレーネはくすくすと笑う。
 最近は、あの二人のせいで少しばかり性格が歪んできている気がするが、動物好きは増している。
「マディアスに見つかるまでは、好きなだけジークをこき使ってくれ。荷物持ちでも、太鼓持ちでもしてくれる。しかも万が一の事はありえない」
「ええ、そうね。彼はとても真面目そうだわ」
 だから安心してイレーネも任せられ、その点が、ハウルと一番似ている。
 ハウルはヴェノムに対する一途さだが、ジークは親の育て方の問題だ。
「お姉さまの弟子だもの。悪い子なはずがありません」
 ヒルトアリスはディオルやエリアスの存在を無視して言い切った。
 彼らはまだ幼いので女性に乱暴はしないが、世間では悪い子の部類に入るはずだ。
「そうね、ヒルト。ヴェノム様のが選んだ弟子だもの。将来は有望ね。
 好きな女の子はいるのかしら?」
「彼は妹の視界に入れる制御と強い自制心が欲しくて弟子入りしているのだよ。なんでも、魔力に敏感な妹さんらしくてね、あの邪眼とは相性が悪いんだ」
「まあ、可愛らしい理由」
「ああ、可愛い男だよ。私の事を尊敬してくれているから、口説くに口説けないがね」
 文句も言わずに力仕事を手伝ってくれるし、興味深そうに見ているし、可愛い男だ。
「皆様、私の事は、二十歳、ということで」
「わかっているよ。なぁ、ヴェノム殿」
「ええ、私は二十五歳です」
 昔に比べて二つだけ年齢が上がった。
 主にハウルのせいなのだが、これで二十三歳はないだろうと思っていたので、ちょうどいい。
 ハウルも昔のような子供ではないから、年齢の事は口にしないはずだ。
 ディオルは空気の読める子だし、この場にいるエリアスもこの話の流れを聞いてわざわざ年齢を口にする馬鹿でもない。ここにいるノーラとラフィニアだけが心配の種だが、ルートがちゃんと空気を読んで見張ってくれるはずだ。小さな竜の姿の彼は、ノーラに抱きかかえられて膝の上にいる。
 彼は昔からこうして、可愛い妹たちを見守ってくれている。
「いいストレス発散になるだろう。好きなだけジークで遊んでくれたまえ」
「ええ、そうさせていただくわ。あんなに可愛らしい男の子を見るのは久しぶりだもの。リーンももっと力を抜いていいのよ。バカンスに来たと思っていなさい」
 その様子を見て、ため息をつく愛妻家の技術顧問。
「後が恐ろしくて、楽しむ気には」
「大丈夫よ。もう少しうろうろさせれば、自分が悪かったんじゃないかって思い始めるわ」
 彼だけは、早く帰りたいという気持ちをそれでも顔に出したままだ。
「私としては、マディアス様の怒りも恐ろしいですが、妻をほっておくのも恐ろしい」
「リーンは過保護過ぎよ。実家にいるんだから、危ない事なんて無いでしょう。貝殻でもお土産に持って帰ったらきっと喜ぶわ。彼女はそういう物が好きよ」
 リーンハルトは再びため息をつき、外を見た。
「それもそうですね。では、行ってきます」
「今?」
「はい」
 せっかちな彼は、張り切って貝殻収拾に向かった。
 山のように綺麗な貝を集め、後になってから、必要な分以外は捨てなさいとイレーネに言われる光景が目に浮かんだ。
 間違いなく、そうなる。
 どいつもこいつも、まったくもって可愛い男だ。


「この部屋は昔アヴェンダさんが使ってたんだ。海が見えていい部屋だよ」
 部屋の片付けを終えると、ディオルが言う。
「面倒くさがって、窓から出入りしてたみたいだけど、ここから右に行くと畑。薬草類がけっこう生えてる。
 左に行けばいいジョギングコースがある。ヨハンとヘルネが日課で走ってるから、早起きしたら案内してもらいなよ」
 ヘルネを見ると、こくと頷く。
 綺麗な女の子だ。可愛いと言うよりも、綺麗。
 こんなに綺麗な女の子は、妹以外に見た事がなかった。
「あ、あの……」
 ヘルネはもじもじしながらジークを上目使いで見る。
 女の子が何かをねだるときの仕草だ。
「何か?」
「あの、剣を見せていただいても良いですか?」
「この剣でいいのか?」
 ジークの腰の剣を差し出した。女の子には重いのではなだろうかと心配していると、彼女は片手で受取り、慣れた手つきで剣を抜く。そしてその刀身をうっとりと眺めた。
「ヘルネは武器が大好きなんだ。君の武器は面白いのが多いから見せてやってよ」
「べつにかまわないが」
 女の子なのに変わっているという言葉を飲み込んだ。
 妹も女の子だが武器を扱うのだ。育った環境によるものである。
「女のくせに変だろ。ラァスさんとか、父さんのは理解できるけどさ」
 ディオルは先ほどジークが飲み込んだ言葉を口にしてしまった。ヘルネはむぅとふくれる。
「私の妹も武器は好きだぞ。神官になりたいからか、刃物ではなく、モーニングスターとかがとくに好きなようだが」
「は? 振り回せるの?」
「なかなか上手く使うぞ?」
 ディオルがげんなりした顔をする。
 どんな大女だとでも思っているのだ。
「素敵な方なんですね」
 ヘルネは頬を赤らめて身をよじる。
 彼女は綺麗な女の子だが、かなり変わり者らしい。
「武器はいつでも見られるから、ジークに屋敷を案内しようか。城ほど広くないから迷う事はないよ。変な仕掛けも、謎の地下迷路もないし」
 印象通り、普通の屋敷らしい。それだけで安堵する。
 海は綺麗で、上着も必要のない暖かい日差し。
「さあ、こっち。勉強部屋とトイレと水場と風呂を教えるから」
 それだけ知っていれば生活に不便はない。
「あと武器庫」
「待て」
「あるんだから仕方がないよ。まあ、知っていれば万が一の時に役に立つかもしれないから。君なら一通り使えるだろ?」
「あるのか、役に立つ事が」
「たとえば人魚目当ての密猟者とか」
「海の上の密猟者に武器庫は役に立つのか?」
「大砲とかで沈没させたり」
「魔術でやれ、そんなことは。大砲など使って、海の中に住む者達がそれで怪我でもしたらどうする」
「いや、喜ぶと思うよ。派手なの好きだから。それに最近の密漁船は、人魚に沈められないように魔術対策がかなりすごいらしいよ。技術の進歩を悪用するって怖いね」
 ジークはため息をつく。
 そうだとしたら、有効かもしれないが、他にも問題はある。
「運ぶ方が大変だぞ」
「私が運びます」
 ヘルネが瞳を輝かせて言う。
「どんな物か知らないが、女の子が運べるようには出来ていない」
「大丈夫。なまじ人魚の娘だから怪力だよ。まあ、さすがに大砲を軽々持つのは難しいだろうけど、怪力では負けてないエリアスもいるし」
 ヘルネが少し嫌そうな顔をした。
 エリアスは彼女に好かれていないらしい。あの性格では仕方がない。
「そんな事よりも、案内をするんだよね。早く行こう」
 ヘルネがジークの手を引いた。
 美人だが、嫌みな感じが全くなくて好感を持った。
「ヘルネはずっとここで暮らしているのか?」
「うん、そう。ここだったらみんながいて安全だから。人魚が陸で生活するのはとても大変なの」
「なぜだ?」
「人魚は不死の体を作るって言うでしょ。半分ぐらいは本当だから、人魚の血を引いているだけでも心ない人に狙われるんだって」
 不死の体。
 ジークは理解できずに首をかしげた。
「どうやったら人魚で不死になるんだ? 食べただけで不死になるなんて、信じられない」
「不死にはならないよ。ただ、生き肝を食べると人魚の力が少し身につくんだって。食べた人魚が持つ力にもよるけど」
 ジークは想像して気持ちが悪くなった。
 とてもではないが、彼女のような人の顔を持つ生き物を食べるなど出来ない。ぞっとする。
「ヘルネ、ジークは悪人じゃないからいいけど、そんなことをぺらぺらしゃべるのは良くないよ。僕が他人だったら、生け捕りにしたいぐらい君たちは魅力的なんだ」
 他人だったら捕らえているのだと思いながら、ジークは遠い目を海へと向けた。
 美しい海だ。人魚が住んでいるのも頷ける。
 深淵の城といい、美しい自然だけには不自由しない。常に緊張していた実家と違い、こんな生活もいいものだ。
「普通に海を見るのは良いな」
「普通に見ないって何?」
「危険な無人島でサバイバルとか。
 衣食住がそろっていると、こうも心穏やかに見られるものとは」
「…………」
 ここからは、ハウルが岩場で釣りをしている様子が少しだけ見える。何か大物がかかったのか、竿を持ち上げ……
「今、ハウルさんが人魚っぽいものをつり上げたぞ?」
「は? どこ?」
 ディオルは目を細めるが、彼にはそこまで見えないらしい。山育ちでも、本の虫、研究の虫だから仕方がない。
「きっとハディスおじさまだよ。おじさまはあの辺りがお気に入りだから」
「ハディスさん来てるの?」
「さあ。でも、この時期、みんなあの辺りは近づかないから」
「父さん何やってるんだか。見に行く?」
「うーん、ほっておけばいいんじゃないかな?」
「それもそうだね」
 ジークは平然としている二人を見て、大きなため息をついた。
 あれは、驚くべき事ではないらしい。人魚も魚だ。釣り上げるのも地元ならでは、と納得する事にした。


 一通りジークを案内してリビングに戻ると、エリアスが二人いた。
 もちろんエリアスが二人いるわけもなく、一人はエリアスによく似た女、ラァサだ。
 ディオルはこの姉弟が揃うと、あまりいい事があった記憶がない気がしてげんなりした。
「はぁい」
 ジークがわずかに身構える。彼女が来ると、いつも襲いかかられていたから無理もない。
「ラァサ、どうしたの?」
「うちにマディアスさんが来たのよ」
「はは……さまよってるね」
 イレーネは涼しい顔でお茶を飲む。
「で、ママがちょっと様子を見て来なさいって」
「ふぅん」
 母親の方に言われてくるのは珍しい。
「何か大きな問題が?」
「ううん。マディアスさんが錯乱すると何をするか分からないから、ほどほどにって。人間を捨てていても元は人間だから、一番危ないかもしれないって。ヒュームはサメラ様のところにいるし、フリーで一番長生きしてるって考えるとあの人だから」
「ああ、そうか。そういう考え方もあるか」
「人間捨ててるから、まあ大丈夫だと思うけど、うろちょろしてるから気になるんだって」
 ジークがきょとんとしているが、千年に一度の自然災害を説明する必要はない。彼はまだ若いから影響もない。気になるとあるとすれば妹の方だが、仮にも賢者。自分で何とかする。
「ま、事が終わるまではこちらにお世話になりますってことで」
 ラァサが頭を下げて、ジークはまた身構える。
 ラァサは不服そうな顔をしたが、警戒されるのは自業自得だ。
「挨拶も終わったし、ジーク、遊びましょ」
 やはり警戒されるだけの事をする気のようだ。
 ジークも女相手では気を遣う。
「あら、ダメよラァサ。これからお買い物に行くの」
 遊びのつもりの剣術修行を決行しようとしたラァサを、イレーネがやんわりと止めた。
「買い物?」
「そうよ。ねぇ、ジーク」
 イレーネが笑みを向けると彼は天の助けとばかりに頷く。
「ああ。荷物持ちをする約束していた」
 高価な物をもらってしまったから、可能な事はなんでもすると言ったのは彼自身。
「ずるぅい。私も行くぅ」
「だめです」
「どうしてですかぁ?」
「またあれが欲しいこれが欲しいとねだるでしょう。貴女が欲しがる宝石など買っていたらきりがないもの」
「おねだりしないからぁ」
 イレーネがストレス発散のためにジークを連れ回すのが気にくわないのか、それとも本気で一緒に買い物したがっているのか、ディオルには分からない。
「わ、私も行く。だめ?」
 ついにはヘルネまでもが言いだし、イレーネは思わず笑った。
 それでは子供達の引率係だ。
「もう、しかたがないわね。みんなで行きましょうか」
 イレーネは折れてラァサの頭を撫でた。
 ヴェノムがティーカップを置いてイレーネに尋ねる。
「よいのですか、イレーネ様」
「かまいませんわ。ヘルネまで行きたがるなんて、珍しいんですもの。何か買いたい物でもあるの?」
 一瞬、ちらりとエリアスを見た。
 あれと一緒にいたくないだけらしい。
「えと、鍛冶屋さんに」
 色気のないおねだりに、イレーネが笑い、ジークが食い付いた。
「鍛冶屋があるのか。腕はいいのか?」
「うん。他の所は知らないけど、ヨハンおじいちゃんがいい腕だって」
「そうか。じゃあ、私も手入れを頼みたい物があるんだ」
 ジークに笑みを向けられると、ヘルネは赤くなって頷く。
 自分の趣味の事を悪く言われるどころか、認めてくれる様子を見せる他人は少ないのだから、彼女が喜んだとしても仕方がない。
 ただ、このメンバーは少し、異様だ。
 ジークもそう感じたのか、彼はディオルにまで笑みを向けてきた。
「ディオルも来るんだよな?」
 彼は来て欲しいのだ。男一人で行けば振り回されるのは目に見えている。
「私も行きます」
 突然、エリアスが言い出した。
 空気が読めないにも程がある。彼が行ったら、よけいにややこしくなるだけだ。
「引きこもり男が自らの足で買い物なんて珍しいね」
「自分の目で確かめなくては納得できない物もあるんですよ」
「何それ」
「真珠を知人に贈ろうかと」
 知人とはいっても、聖性主義の彼の事だから、特殊な人間相手なのは間違いない。聖性主義者の抱える聖女など、ディオルには分からないし、首も突っ込みたくはない。
「真珠なら海にいっぱいあるよ」
 よほど嫌なのか、ヘルネが海を指さして言う。
「プロが厳選して加工された真珠以外はいりません」
「でも、人間はここの真珠が一番だって言うのよ。いい物が目の前にあるのに、ランクが落ちる物を買うの?」
「私は自分で拾い集めるなどしません。恋人に贈るわけではないんですから。私はケチなディオルと違って、買える物は買います」
 ディオルの頬が引きつった。
 確かに、ディオルは常に金欠だ。薬の一つが高くて、苦労して自分で育てたり、崖を降りて採取したりもする。採取が大変だが買える物は自分でどうにかする。
 それをケチなどと、研究者全員を敵に回すような発言は許されない。
「どんな方法で手に入れた金で買うんだか」
 働いているわけではない彼の収入など、小遣いか組織の援助しかない。
 ディオルと違って、収拾した魔物を売るわけでもない。
「邪悪な研究を売るあなたに言われる筋合いはありません」
「邪悪? この分野の研究は生物の未来だよ。より効率のよい家畜を作ったり、作物を作ったり」
「やっているのは邪悪な研究じゃないですか」
「邪悪? どこが? 生きたまま凶悪犯を改心させているのに。人間の身体に戻ったとしても、もう二度と犯罪には手を染めないよ」
「脅迫でしょう、それは」
「君だって稀少な魔物達を閉じこめている。言い方を変えれば種の保存にもなるけれど。
 その裏と表を理解できないなんて、やっぱり君は基礎能力だけ高い凡人だね」
 彼に対する禁句は凡人など、己が特別であるという自負を否定してやる事だ。
 この年齢にはよくあるらしい、自分は特別だと、他人を見下すとか、そういう立場であると思い込む事による自己陶酔。
「聖人君子と言う割には、自分よりも劣る人達を見下したり性格も悪いし、立派なのは父親から受け継いだ見た目と能力だけ。
 いかにもダメな二代目って感じだよねぇ」
「倫理観のないあなたに言われる筋合いはありません!」
「僕は倫理観なんて二の次、三の次。
 研究さえ出来ればどうでもいい人間だからいいんだよ。君と違ってね」
 聖人君子なんて名乗るつもりはないし、聖性主義なんて『人間最高』『自分最高』な組織に入るつもりもない。
 聖人に仕える連中のなんと滑稽な事か。
 それでも崇めてしまうほど、人である事にこだわり、神という存在だけの者達を否定する。
「待て、エリア、待て、本をしまえ。ここは室内。しかも女性がこんなにいるんだぞっ」
 ジークがエリアスの手を掴んで説得する。彼ばかりにこんな事をさせるのは気が思い。
「そういえば、さっきハディスさんが釣られてたから、ゲイルさんも来てるんじゃないかな?」
 エリアスの表情が変わる。
 ゲイルは彼の親戚で、大地神殿の大神官だ。地の聖眼を持ち、動物に愛される聖女。
 人殺しのラァスよりもはるかに聖人に相応しく、彼の父であるラァスが軍人になった理由でもある。
 親戚であることすら証明されてはいないのに、エリアスの能力はラァスよりもゲイルに似ている。
 それを微妙に思って、苦手意識を持っているのだ。
 彼女さえいなければ、周りが軍人ばかりという彼にとっては好ましくない状況もなかったはずである。
「え? 出かける時には神殿にいたわよ」
「じゃあ一人? 何かあったの?」
「さぁ。あの人はすぐに落ち込んで海に泳ぎに来るから」
「相変わらず繊細だね」
「よく釣られるポイントに毎回泳ぎに来るくせにね。意外と釣られるのが楽しいのかしら?」
「父さんに愚痴るのはストレス発散になるみたいだけど」
「元々、都会で生活するには向かないものねぇ」
 第二の故郷であるこの海で、心を癒して都会に戻る。そんな生活を送る彼は、今幸せなのだろうかと首をかしげてしまう。
 幸せと言えば、暴れる予兆でも見せたのか、ジークに口を塞がれて羽交い締めにされて静かになったエリアス。彼の幸せとはどこにあるのだろうか。
「か、買い物に行くんだろう。だったら、仲良くしろ。仲良く、仲良くな」
 ジークの未来は確定している。跡取りなのだから。だからこその余裕でもある。
 エリアスは跡取りにはならず、大神官の空きも当分ない。
 だからこそ、聖性主義などに走ってしまったのだと分かるが、それで将来どうするつもりなのか。
 生活にだけは困らないところが憎らしくはある。ディオルのような研究者は、明日の生活に苦しみながらも研究するしかないのだ。そして研究には金がいる。
「エリアがそんなについてきたがるなんて、珍しい事もあるものね。
 ついてきてもよろしいけれど、本を置いていってくださるかしら」
 イレーネが苦笑しながら提案した。保護者としては、あんな危険な本を持ち歩かれてはたまらないとい。
「ディオルもキメラを置いていきなさい。
 ただ街に行くだけ。往復でたった一時間の距離。変な生物が溢れかえっているわけでもないのだから、できますね? できるのであれば、わたくしが選ぶのをお手伝いします。これでもよい物しか見ていませんから、髪のや肌の色に合う物をアドバイスできましてよ」
 エリアスは力を抜いて、ジークの拘束が解かれる。しぶしぶと、本をヴェノムに渡した。
 聖女の中の聖女の言葉には、彼も耳を傾ける。
 彼女は人でありながら神に近い存在だ。
 存在するだけで魔石を生み出す。
 魔石を司る女神と言っても過言ではない。
「ところで、どうやって移動を?」
「馬車があるの。人数が多いけど、なんとか乗れるから大丈夫。うちの馬達はとっても力強くていい子だから」
「馬か。いい馬なのだろうな」
 ジークは動物好きだ。その中でも猫が好きだが、家畜のなかでは馬が好きだ。竜はいるのに馬がいない事を、少し愚痴っていた。
「じゃあ、ジークが御者をしなよ」
 彼は御者ぐらい出来るはずだ。彼の家が、その程度の事を教えていないはずがない。
「かまわないが。準備をしないとな。ヘルネ、案内してくれるか?」
「うん」
 二人が出ていくと、心なしかラァサが不機嫌になる。
 それを見て、イレーネが苦笑して呟いた。
「若い子には勝てないわね。うらやましい」
「何を言うのです、イレーネ様。いい女とは、男を振り回すものです。好きなだけかき回して振り回してしまいなさい」
「ええ、そうですね、ヴェノム様。わたくし、魔性の女になりますわ」
 何をする気で、何をさせる気なのだ、あの人妻二人は。
 しかしヘタに口を出して巻き込まれたくないので、ディオルは黙って見守る事に決めた。
 ただ、少しだけ、ジークに哀れみを覚えながら。


 

back    menu    next