11話 痴話喧嘩
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ディオルはジークと並んで御者台に座っている。そのジークの隣にはエリアス。
狭いところになぜ野郎三人並んでいるかというと、女達がジークの隣を取り合ったからである。始めはディオルだけだったのだが、中の雰囲気に怯えたエリアスまで外に出てきた。
あの空気を読まないエリアスが怯えてくるのだから、中は相当ぎすぎすしていたのだろう。談笑まで聞こえるのに。
「な、なぁ。女の子の買い物って、普通はこんな風なのか?」
「知らないよ。こんなメンバーで買い物に来た事なんて無いから。いいじゃないか、もてて」
ジークが首を横に振る。
彼が最も苦手としていそうなジャンルだ。彼の街の女の子達は、彼に近づかなかったらしい。近寄りがたい雰囲気のせいだが、元からそういう人間と多く接している馬車の中の女達は、そんな事は気にならないらしい。
「姉さん、よく中にいられるな」
ディオルは一人だけ蚊帳の外なキーラを思い出してため息をつく。
来る気はなかった彼女を、ヴェノムは強引に参加させたのだ。
「ああ、ようやく街に着いた。どこに止める?」
「宝石店に行くなら、最初に行ってそこに止めさせてもらえば? 鍛冶屋もそう遠くないし立地がいいから、ちょうどいいよ」
「そうだな」
エリアスが高い買い物をしてくれるらしい。
買い物する客相手なら、預かるどころか、世話もしてくれるだろう。
「このまま真っ直ぐ行って、ほら、高そうな店が見えるだろ」
「あれか」
ジークは店の前に馬車を止めて、女達を外に出し、馬車を移動させると言って再び御者台に上ろうとしたが、その前にラァサに捕まった。
「そういうのは、お店の人がしてくれるから大丈夫」
「そういうものなのか?」
「ええ。ジークは使用人じゃないんだから、いいのよ」
一瞬、逃げ損ねたとばかりに悲愴な顔を見せたが、すぐに硬い顔を作った。さすがは武人。このままこの女達にもまれて育てはば、五年後にはヴェノム並みになっているかも知れない。
「ジーク、可哀相に」
「あなたも行くんですよ。当たり前のように手綱を取らないでください」
「僕はこの馬たちの主だ。僕が移動させる」
「一人だけ逃げないでください」
「あのさ、なんで君は来たの? そんなにヘルネの事が気になるの?」
「冗談じゃない。ただ、イレーネさんのセンスの良さは分かっているから、チャンスだと思っただけです。なんでこんな腹黒い女のバトルに巻き込まれなければならないのか」
空気を読めなかったから気づけなかったのか、やっぱり姉やヘルネが気になるのか。
店員に馬車を任せ、しぶしぶと店内に入る。
「いらっしゃいませ」
店員は迷わずイレーネの元へと向かった。金持ちを相手にしていると、誰が貴人であるか見れば分かるらしい。
「今日は真珠を探しているの。エリア、どういった方に差し出すの?」
「金髪の典型的なカーラント美人。髪は、確かストレート」
典型的なカーラント美人。
ディオルが思い出したのはジークの妹。
あの時は顔を隠していたから、まさか違うだろうが……。
「まあ、いつの間にそんな女性と?」
「怒らせてしまったようなので、お詫びに。女の人って綺麗で高い物を贈られたら、少しは機嫌を直すでしょう」
どうやら本当にシアに贈る気らしい。
ジークに、お前の妹だぞと言いたいが、言ったらシアを敵に回してしまう。
ジークの事は友人だと思っているが、友人よりも賢者の知り合いが優先される。当然だ。
「ではジークの意見も聞きましょう。彼はカーラント人ですもの」
「そうですね。彼の妹の条件は似ていますね」
遠巻きに見ていたジークは、イレーネに腕を取られて巻き込まれた。
「いつもは石ばかりですが、たまには真珠もいいものね。これなんかどうかしら?」
イレーネは耳に大粒の黒真珠のイヤリングを当てる。
「とてもお似合いですわ。美しい白い肌に、黒がよく映えます」
イレーネが金持ちであることを察した店員が、満面の笑みを浮かべて褒め称えた。
「でも、若いお嬢さんにはまだ早いわね」
店員のごますりを聞きながら、イレーネは白い真珠のチェーンイヤリングを手にした。
「エリア、若いお嬢さんなら、こういった物はいかがかしら? 真珠はフォーマルになりすぎるところがあるけれど、こういったものならほとんどの服に似合うわ」
「ああ、確かに可愛いですね」
「ジークはどう思う?」
ジークは無言で頷いた。
「これも可愛いわ。ほら、綺麗な色の真珠。カラフルだし、甘いテイストね。お値段もお手頃よ」
「そうですね。悩みます」
世間では決して手頃とは言わない商品を見て、イレーネの言葉に納得して悩むエリアス。
「ねぇねぇジーク、私には何が似合うかなぁ?」
とうとう、ラァサが邪魔をしに乱入した。ジークの空いた腕に腕を絡めて、甘えた声を出す。
「ラァサなら何でも似合うと思うぞ?」
「や、もぅ、ジークってば、適当なんだからっ!」
怒って叩くが、頬が赤く染まっている。
適当に流すというより、本心からの言葉だからこそだ。
「ちゃんと考えてよぉ」
ジークは困り顔だ。
見栄え、値段、どれぐらいのものを提示すればいいのか、判断材料がない。
「ジーク、こちらとこちら、どちらがいいかしら?」
考えている最中、イレーネに腕を引かれる。
腕をガッチリと捕らえられているので、美味しい思いをしているはずだ。
「ええと……」
あの状況下では、冷静に考えろと言うのが無理だ。言葉が淀み、続かない。
「イレーネにはどちらも安っぽいような」
「わたくしではなく、エリアのお友達です」
「ああ、そうか」
安っぽいとは、彼はイレーネをどんな目で見ているのか。
イレーネにとっては安物であることは間違いないが。
「ジーク、私もカーラント人よ。私に似合うんだったら似合うんじゃないかな?」
「ラァサはあまりカーラント人らしいカーラント人ではないと思うぞ。目の色が違うと似合う物も違ってくる。ラァサは元気で可愛らしいから、白やピンクが似合うと思うが、やはり宝石の方がいいんじゃないか」
「そ、そうかな?」
あれは天然か、技術か。
ラァサなど褒められる事しかないのに、似合うと言っただけで喜ばせたのだ。大したことは言っていないのに、雰囲気が真摯だったから通用したのだ。
「あら、ではわたくしには何が似合うのかしら?」
「えと、イレーネには、その黒真珠が似合うと思う」
「わたくしって、そんなに渋い印象?」
「いや、そういうわけではなくて、知的で見るからに気品がある。フォーマルに合わせるのではないなら、これぐらいが似合うんじゃないかと」
遠回しに、年齢に見合わない落ち着き振りと言っているのだが……。
「あの、私のプレゼントは?」
「これにしろ、これに」
拗ねるエリアスに、イレーネが選んでいたチェーンイヤリングを指さす。
シアなら何でも似合うだろう。シアをイメージして選んでいるだろうから、間違いない。
「いきなり高すぎる物を贈るより、適度な値段の物がいいだろ。気の効いた花束やカードと一緒に、何でもない風に贈ればいい」
「そうですね。下心があると思われるのも何です」
エリアスもだんだん呆れてきたのか、ジークの言うがままに買った。
「せっかくだから、こちらをいただきますわ」
イレーネが買ったのは、エリアスが買った物とは値札の桁が違った。
キーラとヘルネは自分とはかけ離れた世界だったので、ディオルと一緒に隅の方で大人しくしている。興味がないわけではないが、見ているだけで精一杯という雰囲気だ。もっと落ち着いた時なら輪に入るように言ったが、今はあまり勧められない。
「終わった?」
ヘルネが首をかしげて問う。
彼女たちに興味があるのは次に寄る予定の鍛冶屋だ。
「ああ、終わった。次は鍛冶屋だな」
「うん」
問題は、鍛冶屋だろうが何だろうが、他の女達も食い付いてくる事だ。
「私は先に帰りましょうか」
「一緒に来ればいいだろ。どうやって帰る気だ?」
逃げようとしたエリアスを、ジークが捕獲する。
もしもの時には盾ぐらいにしかならないが、突発的なデリカシーのない言葉が役に立つ事もある。
「よし、次の店」
宝飾品は、ジークの神経を削る取るらしいので、せめて自分がもっと理解できる店に移動してやろう。
鍛冶屋の親父はいかにも頑固そうな男だった。
「ここは女子供の来る所じゃねぇよ」
一行を見て、そう吐き捨てて作業に戻る。
無理もない。まさに女子供なのだから。大人の範疇に入れてもらえそうなのは、背の高いジークだけだ。
「おじさん」
ジーク達の背後に隠れていたヘルネが顔を出し、鍛冶屋に笑みを向けた。
隠れていたと言うよりも、両腕を女二人で塞いているので、仕方なく後ろに立っていただけだ。一番小柄な彼女が隠れてしまうのは仕方がない。
「ん、嬢ちゃんか。じいさんはどうした」
「今日はお留守番です」
いつもはヨハンと来ているらしい。気の弱い彼女が一人で買い物に来れるはずもない。
「友達か?」
「はい?」
かなり自信なさげだが、一応は友人だと認めた。
「すまないが、二人とも少し離れてくれないか。剣を渡したい」
ジークは二人から解放されて、持ってきた剣を鍛冶屋に差し出した。
「ん……」
鍛冶屋は剣を受け取り、鞘から抜いて刀身を眺める。
「これをどこで?」
「実家にあったものだ」
「実家? アークガルドの人間か?」
「なぜそれを?」
ジークは武器一つで身元が割れるとは思っていなかったらしい。自分の家を一番知らないのは、それが当たり前である当人だというのは、よくある話だ。
「この刻印は、百年ほどまえの名工がアークガルドの為だけに作った武器の印だよ。こんな所でお目にかかれるとはな……」
鍛冶屋は真剣な目つきでその剣を眺めていた。ヘルネまでそれに参加して、ため息をつく。彼女は武器が大好きだから。
「ジークの実家って凄いのねぇ」
「ラァサの所に比べたら大したことはない。うちはただ、少し変わった田舎貴族だ」
「何言ってるの。カーラントで一番有名な一族じゃない。国王の名前は知らなくても、あんたの実家は知ってる人多いのよ。うちのパパは有名かも知れないけど、家は誰でも知ってるって程有名でないし」
ラァサは手の空いたジークに再びまとわりついた。
「ジークはすごいお家なんだね」
片腕が空いている事に気付いたヘルネが、さっとしがみつく。
「いや、なぜしがみつくんだ?」
ジークはついに堪えられなくなり、優しく問う。
「楽しそうだったから……い……嫌?」
「嫌ではないが……何が楽しいのか分からない。抱きつかれている側が楽しいというなら、まだ理解できるんだが」
楽しそうではない本人が言う。
一人だけならともかく、複数の女の子というのが、彼のような男にはストレスなのだ。
複数の女を侍らせても、まったく気にならない、むしろそれが当たり前の男とはまったく違う、真面目な少年。
「ジークったら、本当に可愛いわね」
イレーネは若者達の姿を見て笑った。
「ラァサもヘルネも可愛いわ」
これぐらいなら微笑ましい。
将来どう転ぶか分からないが、彼らはまだ可愛らしい。
隣に座るのを拒否されて拗ねたり、主張をし損ねて落ち込んだり、本当に可愛らしい。
「ディオルには、誰かいい人はいないの?」
「いい人?」
彼は誰かを思い出した様子で、ふっと笑う。
「まさか」
「あら、気になる人はいるのね?」
「いないよ。僕もイレーネさんみたいな素敵な人に出会えればいいんだけど」
「まあ。ディオルったら、相変わらず上手に躱すわね」
イレーネは笑ってそれからディオルの頭を撫でた。
「イレーネさん、買い物楽しい?」
「楽しいわよ」
イレーネはディオルに笑みを返す。
「まだ、人生がつまらないと言うには早いわ」
「そうだね」
ジークとヘルネは、鍛冶屋と話し合い、後日取りに来るという事で、この店での用事は終わった。
名刀の手入れを任されたとあって、渋い無愛想な鍛冶屋は、どこか浮かれていた。
「次は決まっていないわね。どちらに遊びにいきましょうか」
「服は? 姉さん、お古ばっかりだから、何か新しいの欲しいだろうし」
大人しいばかりであったキーラは、びくりと震えて自分を指さす。
「ディオルはいい子ね。そうしましょう」
「じゃあこっちだよ。いつもお父様とお母様と一緒に来るの」
ヘルネがジークから離れて歩き出す。大人しい性格の割に、動く時は率先して動く。元軍人のヨハンが育てた結果だ。
「ジーク、あなたはどんな服を着た女性が好き?」
「えと、とくに何を着ていたら好きというのはない。
でもスタイルのいいイレーネならどんな服でも似合うと思う。服は身体で着る物だ。どれだけ美人でも、身体が崩れていては似合わない。その点イレーネは顔も可愛らしいし、スタイルもいいから、化粧次第で何でも似合うだろうな」
「まあ、お上手ね」
「母がよく、服装に合わせて化粧をするから、たまに息子が気付かないほど別人のようになっていた」
「楽しいお母様」
イレーネ達が笑いながら鍛冶屋を出ると、足を止めた。
白雪のごとき真白が目の前に立っていた。
「あら、どうなさったの、マディアス」
微笑みを向けると、彼はジークを睨み付けた。
相変わらず、とても独占欲が強くて、他の男が嫌いな人だ。
「誰だ、その男は」
ジークはイレーネとマディアスを見比べる。
動じず、冷静に現状を把握しようとしている。
「ラァサ、イレーネの行方は知らないのではなかったのか」
「知りませんでしたよ。私はこのジークに会いに来ただけだもん」
ラァサがジークの腕に強くしがみつく。ジークはわずかに苦痛の色を顔に出したが、すぐにそれをひっこめる。かなり強くしがみつかれて痛いはずだ。ラァサはまだ自分の力を完全に制御できない。
「マディアス、どうなさったの? そんなに怒っていると身体に悪いわ」
「お前も、何なんだ、その男はっ」
マディアスの言葉にイレーネは笑う。
結婚する前から、いつもその言葉だ。
「ジーク・アークガルドよ。ヴェノム様のところに弟子入りしているの」
イレーネは紹介しながら、さらに身を寄せる。
「いや、あの……」
ダシにされていることを理解しているので、ジークは何か言おうとしてやめた。
「彼は恋人なのか?」
「僕はそれの夫だ」
ジークは驚いてイレーネを見た。
「結婚していたんだな。落ち着いていると思った」
残念そうでは全くないのが悲しいところだ。ラァサのような美少女にしがみつかれても、浮かれるわけでもない、堅苦しい訓練を受けた近衛兵のような彼だから、仕方がない。
よほど彼の母親や妹が、しっかり教育してきたのだ。
「あまり驚いてくださらないのね。そんなに所帯じみているのかしら」
「まさか」
既婚者だとは思っていなかったはずだ。ミスティは未婚の女性という印象を世間が持っているからだ。
「人を無視して仲良くするなっ」
「ヴェノム様のお弟子さんと仲良くして、何がいけないのかしら?
それに以前この方には、暴漢に襲われそうになったところを助けていただいたのよ」
「暴漢だと!? 一人で出歩いたのか!? お前には自分が至宝である自覚はないのか!?」
至宝という言われ方はあまり好きではない。他人が言うだけならともかく、マディアスに言われるのは、とくに。
「まあ、わたくしが己を宝だと思い上がるような女に見えて?」
「お前の命は国一つの命だぞ。理解しているのか。あの不毛の地でなぜ植物が育つと思う。お前がいるからだ。お前がいなければ、石が出ないだけではすまない。本当の不毛の地になるぞ。お前だって、子供の頃とはいえ、痩せていく土地を見ていただろう」
もちろん知っている。
年々生活が苦しくなり、だから盗賊などが村を襲う事が頻繁になった。
自分が王である今は、彼女も理解している。
「こんな往来で怒鳴らないで。どこか店に入りましょう。だいたい、ディオル達も一緒なのが目に入らないの? 子供の前でみっともないわ」
彼はようやくディオルとエリアスの姿を見た。ヘルネもいる。この面子で、イレーネが何をしようというのだろうか。
「じゃあ、あっちに個室もあるパブがあるの。甘い物も置いてあるよ」
「そうね。ヘルネ、案内して頂戴」
「はい」
イレーネはジークから腕をとき、マディアスに手を差し出した。
「参りましょう」
「ふん」
マディアスはイレーネの手を取り、乱暴に歩き出す。
何に怒っていたのか、もう忘れている。
マディアスの、こんな所がとても愛おしいなどと言ったら、彼はまた拗ねるだろうと思い黙って手を引かれた。
微笑みのイレーネ。
憤怒のマディアス。
戸惑いのジーク。
ジークが戸惑っているのは、場所が空いたからとヘルネがその腕にしがみついているからだ。
諦めているが、戸惑いは消える事がない。
ディオルはそんな面々を観察する。観察する事の大切さを教えたのは、イレーネだ。そんな彼女のやり方を見られるのは、勉強になる。
「で、何を怒っていらっしゃるの? 私が遊びに出るのは珍しくないでしょう」
マディアスはジークを睨み、下を向いてため息をついた。それからはたと顔を上げ。
「お前、何なんだ、あの遊園地はっ」
「ご存じなかったの?」
「遊園地のことは知っていた。なぜお前が偽名で会長などをしているんだ!?」
怒鳴りつけられ、イレーネは首をかしげた。
「なぜ怒っているのか理解できないわ。わたくし、別に隠してなんていなかったのに」
「では、なぜ言わなかった?」
「誰かが言っていると思ったのよ。だって、ガーティですら知っていたもの。もちろん、混乱を避けるために、あまり吹聴したりはしなかったけれど」
イレーネは基本的に、嘘つきだ。マディアスと結婚する時も、彼を騙して責任を取らせたのだ。少なくとも、ディオルは祖父からそう聞いていた。
ディオルは愉快なこの嘘に乗る事にした。
「僕も知ってたよ」
「私も知ってたわ。パパがあそこ好きだし」
「私も当然知っていました」
ラァサ達も何食わぬ顔で荷担する。マディアスよりもイレーネの方が怖い。強い者に付くのが人間真理だ。
「エヴァリーン達は?」
「彼女たちも知っているわ。たまに手伝ってくれたもの。ああ、ヒュームも知ってるわよ。アーリアもヴェノム様もカロンも、商品開発に手を貸してくれたわ」
まさに知らないのはマディアスだけ。今まで気付かなかった方がおかしいのだ。
「では、なぜリーンは逃げた?」
「勝手にアルバイトをしていたからじゃないかしら。ほら、十代の頃からガーティの方が稼いでたでしょ。彼はそれを気にしてたのよ」
「なぜ僕ではなくお前に相談したんだ」
「私が気付いて相談して欲しいって持ちかけたからよ。マディアスって、察してくれないし相談しにくいもの」
マディアスは顔をしかめ、イレーネはくすくすと笑う。この夫婦はいつもこうだ。
「マディアスったら、そんなにすねないで。貴方は話しかけにくいのよ」
「なぜだ」
「だって、いつもむっすりしているんですもの。わたくしはいつも微笑んでいるのは、親しみやすくするためよ。
あなたは威圧感があるんです。わたくしだって、慣れるのに苦労しました。リーンにとっては師匠でもある貴方は、とても気安い方ではないわ」
彼はむすっとして腕を組む。自分でも思うところがあるのか。
「気になさる事はないわ。マディアスがそうだから、わたくしが穏やかにしているの」
イレーネと一緒にいる彼は、イレーネの穏やかさの分、怖くなくなる。部下達にとって、イレーネの存在はそういう意味でも大きい。
「内助の功って奴ね。さすがイレーネ様。私もイレーネ様みたいな奥さんになりたいな」
「ラァサならなれるわよ。とっても女の子らしいもの」
彼女はあの性格で、炊事洗濯はそれなりに出来る。サバイバル能力も高く、ジークの所に嫁入りをしても問題ない。
「マディアスさんはこんな出来た奥さんで羨ましいな。趣味に文句も言わず、陰から支えてくれて、暇な時はボランティア活動。完璧な奥さんだね」
「ボランティア活動?」
ディオルの言葉に、マディアスは驚いた顔をする。思わぬ言葉で、顔に出していた不快さが消えている。
「収益の多くを寄付してるんだよ。親のいない子供達を引き取って育てたり、職を斡旋したり。そもそも、モルヴァルには魔石と技術の国で、商人しか来ない所だったから、観光名所を作るのが目的だったらしいし」
とんでもない暇つぶしだ。一個人の思いつきで、銀行や企業や国のバックアップ無しでやってしまったのだから。イレーネだからこそ、簡単にできてしまったが、他の国の王なら、国の金に手を付けていたはずだ。
「僕はてっきりそれを知っていて、陰から見守っているものだとばかり思ってたよ」
「仕方がないのよ、ディオル。マディアスは俗世の事にはあまり興味がないものね。国が豊かか、そうでないかだけが気がかりなんですもの。わたくしのことだって、飢えた時にしかいない事に気付かないぐらいだもの。昔から、寂しかったのよ。だから、暇な時は、わたくしなりに国の事を考えたの」
イレーネは上目づかいに彼を見た。
「そうだったのか……」
マディアスはすっかり騙されて俯いた。
男は好きな女の「寂しい」には弱いものだ。
「しかし、ではなぜ逃げた?」
「だって、今までこんなに頑張っていたのに、本当に知らなかったなんて。傷ついたわ」
「それは……すまない」
「本当に悪いと思っていますの?」
「ああ」
いつの間にか、マディアスが反省する側になっている。
「では、今からお買い物に行くので、服を選んでください」
「わかった。買ってやろう」
「嬉しい」
本当に、イレーネの思惑通りになってしまった。
「で、二人は街のどこかに消えたと」
リーンハルトの問いに、全員で頷いた。
「事が事だけに……と思っていたが、いつもの痴話喧嘩レベルで終わってしまったな。さすがはイレーネ様」
リーンハルトの言葉にラァサは何度も頷いた。
彼女は養父的な存在であったマディアスの誘惑に成功し、結婚し、さらに操ってしまった素晴らしい女性だ。
ラァサは彼女のような、女を目指している。目当ての男の心を掴み続け、しっかりとすべて掌握する、そんな賢い女性。
「ねぇジーク」
「なんだ?」
カップに手を伸ばそうとしていたジークは、手を止めてラァサを見た。
彼は、とてつもなく手強そうだ。顔も家柄も力も申し分ない。素直で紳士的でたまに可愛い。手強くて当然である。
「えへ、ちょっと呼んだだけ」
上目づかいで擦り寄ると、彼は少し困った顔をする。鼻の下を伸ばさないところも魅力的だ。これでデレデレするような男を連れるのは恥ずかしい。
「ジーク」
ヘルネがジークの隣に陣取るヘルネがジークに声を掛けた。
「な、なんだ?」
「何でもないの」
真似られた。
ヘルネは美人だ。可愛いを通り越して美人だ。
あの両親を持ちながら、ジークを狙うなど、思ったよりは趣味がいい。
「あの、ジーク」
キーラまでもがジークに声を掛けた。
しかし彼女はじっと手つかずのゼリーを見つめるだけ。
「欲しければ、食べていいぞ?」
「ありがとう」
彼女は意外に大食いだ。
嬉しそうにゼリーを受け取り、食べ始める。
当面のライバルはヘルネだ。
気があるのか無いのかはっきりしないエリアスが一番悪い。好きで苛めてるのか、嫌いだから苛めているのか、はっきり分かるようにすべきだ。
家に帰っている間に、エリアスが苛めすぎてジークとヘルネの中が親密になっていたらどうしてくれると、弟を睨み付けた。
かといって、男を目当てに他所に住み込むというなら、ジークが彼女の父に殺されかねない。
「じゃあ、あとはハディスの所だけだな」
ハウルが静かにお茶を飲んでいた、ハディスの背を叩く。
「別に、喧嘩をしたわけじゃ……」
「落ち込むなって。ゲイルはただちょっと忙しくて苛ついてただけだって」
彼の所はいつもの事だ。この時期のゲイルは忙しい。クロフィアの方ではまだ収穫期であり、大神官である彼女は仕事が多いから、どうしてもすれ違いがちになってしまう。
「もう少ししたら、自分だけ遊んでずるいって、攻め込んでくるからさ」
「…………か、帰る」
「え、帰るのか?」
「帰る。世話になった。また来る」
そう言って、ハディスは部屋を出て行った。
あれは、あまり見習いたくない形である。
やはり目指すなら、一歩下がっているように見えつつも、すべてを牛耳っているイレーネだ。