12話 猫

 
 ディオルはエリアスから受け取った物を確認し、満足して頷いた。
「ありがとう、エリア。魔物使いとしての能力は、君の数少ない美点だね」
「九割は美点で構成されている私に向かって、なんて言いぐさですか。本当は感謝などしていないでしょう」
 九割が欠点の男がよく言う。
「いいだろ、物々交換なんだ」
 ディオルはエリアスに、彼が欲しがっていた魔具を手渡した。
 エリアスは不器用なので、細かい物が作れず、高い既製品を買うという無駄をすることが多い。売っていればまだいい。売っていなければ、彼はもっと高い金を出して、作ってもらわなければならなくなる。
「しかし、こんな物どうするんです。ジークに見つかったら殺されませんか」
「見せなきゃいいんだよ。これは機嫌取りに持っていくものだから」
 ディオルは綺麗な顔立ちの黒猫を見て笑みを浮かべた。
 綺麗で可愛らしく、丈夫な子猫。要求したとおりの物だ。
「よりによって、猫なんてリスクばかり高い物を……」
「猫は性格的に難しいからね。一度試してみたかったんだ。ゼノンの中身は人間だし」
「いや、ジークにバレた時の反応が恐ろしいんですよ。彼は温厚な性格ですが、猫が絡むと人が変わりますよ」
 食べるために動物を狩る事は当然だと思っているのに、それが猫であれば激怒するのだ。
 凶暴な山猫を、可愛いと言って近づき、邪眼に怯えて逃げられて落ち込んだりと、彼は猫に関して、人間に怯えられるよりも落ち込む。シアに対抗できるとしたら、猫だけだ。
「それに、殺すわけではないし。ただもっと可愛くするだけだよ」
「可愛く?」
「ラーフみたいに翼をつけるんだ。ゼノンと違って小さなまま、少し魔力を与えるだけだから、可愛い護衛が出来上がる」
 シアなら使いこなせるだろう。もちろん、ある程度の教育を施す必要はある。ジークに悟られないよう
「私には関係のない事ですが、くれぐれも見つからないように」
「わかってるよ」
 エリアスは部屋を出ていき、ディオルは手に入れた猫を目の前の高さまで持ち上げる。
「うん、あの魔女にぴったりの綺麗な黒猫だ」
 ディオルは笑みを浮かべ、それから猫を強化ガラスの容器の中に押し込めた。
「ああ、いつも以上に人ごととは思えない」
 ゼノンが暴れる哀れな猫を見上げて呟く。
「なんだ。猫は不服? じゃあ他のものになる? 失敗するかもしれないけど、犬とかさ」
「猫はサイコーっすよ。二階から飛び降りても平気な身体能力は素晴らしいっすよ。猫万歳」
 ディオルは猫を称え始めたゼノンを無視して、先に捕獲していたカラスを入れた容器を取り出し、穴から中に睡眠薬を充満させ、薬品を入れるための穴も栓をする。猫にも同じようにし、道具を準備する。
「作るにしても、せめているかどうかを本人に確かめた方が……」
「いらないって言ったら、他に売るから。邪魔するんならどっかに行ってなよ。ジークの足止めをするとか」
「いや、あの人はけっこう鋭いんで、へたに突くのはやめておいた方がいいっすよ」
「そう。じゃあ始めるよ」
 ディオルはマスクとゴーグルと手袋をはめて、用意した薬品に手を伸ばした。
 これが終わったら、譲ってもらった月神を戻すため、気の滅入るような失敗続きの実験をしなければならない。
 だから今だけは、成功の甘美を。


 エリアスが地下室から出ると、タイミングの悪い事にジークが向こうから歩いてきた。地下室は元々はワイン用の貯蔵室であったらしいが、主が酒乱なため、ディオルの実験室になっている。
「どうしたんだ、エリア。ディオルに何か用があったのか?」
「頼まれた物があって。あなたは何か用ですか」
「いや、分からない事があって」
 彼は分からない事を、師ではなく、ディオルに聞きに来る。エリアスに聞きに来た事はない。
「今は忙しいようなので、他の者に聞いた方が早いですよ。私が教えましょうか」
 猫を売り渡した身だ。彼が地下に行っては巻き添えを食う。
「い、いや、ありがたいが、お前の説明は私にはついていけない。
 ところでエリア、今日は何かいい事でもあったのか? 機嫌がいいようだが」
 唐突に問われ、エリアスは戸惑った。
「どういう意味ですか」
「今日は聞いてもいない事を自分から聞いたり、教えたり、親切だから」
「どういう意味ですか。私ほど親切な男は滅多にいません」
「…………お前は、本当に自信満々に言うな。まあいい。あんまりヘルネをいじめるなよ」
 ジークはそう言って去っていった。
 エリアスは安堵して地下室の前を立ち去った。
 これで、ディオルはキメラを完成させて、知り合いだという女にプレゼントが出来る。
「しかし、あの研究馬鹿に女とは……。
 きっとろくでもない凶人に違いありません」
 エリアスはそう納得して、自分の部屋へと向かった。
 今日は野良猫探しに疲れたので、これからたっぷり昼寝をするのだ。


 ディオルとエリアスが、何やらこそこそしている気がした。
 二人が仲良いのはいい事だが、理由があまり良くない事だと分かっているので、ジークも気にはなるのだが、止める権利は彼にはない。
 仲は悪いが付き合いの長い二人だ。
 仲が悪いなりに、協力する事もあるのだと、それ以上の詮索をしない事にした。
 聞きたい事も大したことではない。知らなければ先に進めないが、どうしても進めなければならない事ではない。ジークにはやるべき事は山のようにある。
 海の見える庭に出ると、深呼吸する。
 最近は慣れてきた、潮の香りは心地よい。サバイバル生活のない海は、素晴らしいものだ。美しい浜辺は、ジークを和ませてくれる。
 目を伏せ、己の魔力を感じる。
 やる事はありすぎて、焦りそうになる。焦っては意味がない。積み重ねが大切なのだ。
 この目も、一朝一夕に制御できるものではない。まずは魔力を把握する事が大切なのだと、ヴェノムは言う。
「ジーク、剣の練習?」
 ジークは伏せていた目を上げ、声の主、ヘルネを見た。
 母親よりも薄い色の髪を二つに分けて結び、それを跳ねさせてジークに走り寄ってくる。
「いいや。目の訓練をしようかと。ヘルネは走っていたのか」
「うん」
 彼女はトレーニングウェアで、恥ずかしそうに笑みを浮かべて頷いた。
 剣の相手が出来る友人が出来て、彼女は喜んでいるのだ。ここで勘違いしては、せっかく築いた友情を壊してしまう。
「じゃあ、私もお手伝いする」
「何かいい手が?」
「見つめ合えばいいの」
「は?」
 彼女はにこにこと笑い、テラスの椅子に腰を下ろした。彼女が両手を広げて呪文を唱えると、その周囲の気温が上昇する。そして椅子の位置を変え、一つを海に向けて、一つを壁に向けて置いた。彼女は海を背にする、壁に向けた椅子に座る。
「どうするんだ?」
「私はちょっとの事じゃ大丈夫だし、力をぶつけてもいいよ」
「そ、それは……」
「で、慣れてきたらお母様の鉢植えがあるから、私が干渉をしても枯らさなかったら十分生活に困らないの」
 確かに、最終目標として、植物を枯らさないというのはある。彼が最も影響を与えるのは、家具や壁──植物なのだ。次に金属。
 そのため腐赤眼と呼ばれている。
「何も、ヘルネにぶつけなくてもいいだろ。雑草なり何なりで」
「物だとすぐに影響が出て、最初はあまり意味がないよ。大丈夫。私にとっても鍛錬になるから」
 彼女は見た目の美しさに反して、泥臭い事が好きだ。特訓など、きつければきついほど燃えるタイプだ。キーラと似ているようだが、彼女はきつい特訓は嫌いなので、あまり気は合っていない。キーラは無理をすれば、押さえ込んでいる毒をまき散らしてしまうから、仕方がない。
 厳しい特訓、苦しい鍛練を期待するヘルネの熱すぎる。その熱いまなざしに、ジークは弱り果てた。ここで断ったら、彼女は悲しむのだ。女性という枠でくくられるのを、彼女は何よりも嫌がっている。
「ま、まずはそこらの雑草で試させてくれ。訓練にも準備運動は必要だ」
「そうだね」
 ヘルネは笑みを浮かべて納得してくれた。練習で、少しでも調子を整えておかなければならない。
 何が何でも制御する。
 それがジークに出来る唯一の逃げ道だ。


 ディオルは伸びをして、首を回した。
 出来上がった作品を見て、愛らしい姿に満足して頷く。
 元が美猫である。綺麗な顔立ちに、理想的な体格。それに翼が生えている。
「見た目は完成だね。どう、可愛い?」
「そりゃあ猫は可愛いっすよ。中身が連続婦女暴行魔でもないし」
「美味そう」
 舌なめずりをした、野生に帰りかけている馬鹿者を蹴り倒し、ディオルはゼノンを見る。
「元詐欺師でも、婦女暴行魔は嫌なの?」
「俺は金持ちのろくでなししか騙してないっすよ。生活に困るほど搾り取ったり、娘に手を出したり、結婚詐欺とかの悪質なのはやってないっす」
 有力者を敵に回してしまったため、彼は死刑囚になった。キメラの材料にした人間達の中では、これでも一番の知能犯だ。
「俺的には、そんな奴よりは、まだ無差別殺人鬼の方がマシっす。完全にイカレてる分、諦めがつくんで。それに殺人衝動だけなら、使い道はありますし。そのつもりで、その手の奴らは失敗する事が前提の実験にしか使わないでしょ」
 ゼノンは経歴を知っていたから、成功させるつもりの実験に使った。凶暴性はないし、金にがめついだけ、金持ちが嫌いなだけであったからだ。
「で、この子はいつここから出られるんすか?」
「今すぐ出しても問題ないと思うけど、様子を見るためにしばらくはこのまま。外に出たら、キャットフードはそこに用意してあるから、お腹がすいてそうだったら用意してやって」
「キャットフード? げっ、これ、不味いんすよ」
「美味い物を食べさせて、次の所で不味い物しか出されなくなったら面倒な事になるよ。不味い物を食べさせ続けるのが一番」
 人として、詐欺師として、一番の美食を堪能していたゼノンは、不味いキャットフードを食べるなら、慣れない狩りをして肉を食った。こうなる前に、何でも食べるように躾けておかなければならない。
「でもさすがに、一番最初はミルクの方がいいかな」
 中も弄っているので、固形物は食べない知れない。
「言葉を覚えさせたいから、たくさん話しかけてやって。この子はまだ無垢な子猫なんだ」
「無垢な子猫の肉体改造……。頭の中もいじってましたよね」
「そのままなのは翼以外の形だけだよ。頭と内臓と喉をとくにいじっている。人並みに賢くなり、君たちほどではないけど、回復力も高くなる。僕の血を与えたから、僕ほどではないけど魔力は高くなる。育て方によっては、ゼノンよりも高スペックになるよ」
「俺、こんなチビに負けるんすか。別にいいですけど」
 彼は元々、口先で生きていた男だが、今はその口の上手さを使うと、自分が危ないと知っているので、猫のように昼寝する日々だ。何かと張り合おうという気持ちもない。張り合える相手もおらず、自分の立場は安定している事を知っているからだ。
 もしもディオルが命令すれば、彼は他人を使って目的を達成するだろう。
 見た目が大きな猫だというのも、ゼノンはそれすら利用してしまう。
「勝てるように、火とか吹けるようにして欲しい?」
「いやぁ、俺は今のままで十分す。野蛮なのは、野蛮な奴に付けてください。ああ、でも放火魔に付けるのだけはやめてください」
「つけないよ。与えて伸びる能力と、ダメにする能力ぐらい僕にも区別は付く。上手く燃やすだけの奴ならともかく、ただ燃やすのが好きな奴はダメだね」
 その道のプロというなら、興味はあるが、好きなだけの無能はだめだ。ただの火付けなど子供にだって出来もできる犯罪だ。
「さて、そろそろ僕は上に行くよ。あんまりこもっていると、ジークが呼びに来る」
「面倒見がいいのも考え物っすねぇ」
 キメラ達は、ジークの事はそれなりに気に入っている。少なくともエリアスに比べれば、彼はとても好かれている。
「じゃあ、もしもジークが来たら、ここまで通さないように」
「らじゃ」
 コロムが暢気に敬礼する。
 頭を弄ったせいで子供返りを起こしている彼は、どうにも理解力という点で怪しい。怪しいが、周囲はそれを理解しているので、まかせておいても大丈夫なはずだ。最も音に敏感で、周囲の状況を察知できるのが彼の利点だが、それを使う側がしっかりしていないと宝の持ち腐れになる、少しばかり難しいキメラである。


 昼寝を終えてエリアスがそこに来た時、その光景を見て思わず頭を抱えた。
「な、何を?」
「エリアっ」
 ジークが安堵した表情でエリアスを見た。彼がエリアスにこのような目を向けたのは初めてだった。
 それもそのはず、向き合う二人は息も絶え絶え、ヘルネなど顔色が明らかにおかしい。
「ヘルネ、何を?」
「と……くん」
 特訓。
 何の特訓なのか、エリアスには理解できなかった。
「私の邪眼の制御の……」
「まさか、それを自分に向けさせ?」
 ジークは無言で頷いた。
「なんてマゾいことを……変態ですか」
「特訓だもんっ」
 変態一歩手前の、自分を痛め抜く特訓好き女。
 ラァサも特訓好きだが、彼女は楽に強くなれる特訓が好きなのであって、自分は苛めない。
「本当に、そういう姿を見ると、貴女がハランの身内である事を思い出します」
「え、ハランってあの剣の腕は立つのに、ちょっと変な?」
 変の一言ですませてやるジークは優しい。エリアスなら迷わず変態と言うところだ。彼は男らしいので、変に好かれたりしないせいだが、それでも変態だと普通は言う。
「遠い親戚らしいよ。ハランとヒルトさんはウェイゼアの生まれで、親戚なんだって。二人とも、何かに好かれる体質ってのが共通している。ハランの方が先祖に近い力を持っているけど、力が強いのはヒルトさんかな」
 娘には受け継がれなかったが、妖魔の血が混じっているのでどちらだとしても同じだ。せめて父親が人間であったら、かなりの逸材に鳴っていた可能性は高いのに、惜しいものだ。ヒルトアリスは男と結婚しても、未だに女が好きなのだから、セルス以外の婿が現れたとは考えられないので、嘆いても仕方がない。
「で、そのマゾい特訓は何の効果が?」
「ジークは、上達したよ」
「で、貴女の特訓に何の意味が?」
「邪眼について、ちょっと分かったよ」
「変態ですね」
「違うもん」
 彼女は頬を膨らませる。
 付き合わされたジークは、さぞ辛かった事だろう。男相手ならともかく、女に対して痛めつけるような真似をさせられたのだ。
「そういえば、エリア、さっきの猫ちゃんどうしたの?」
 エリアスは固まった。
 見られていたとは思わなかった。
「猫?」
「うん。可愛い黒猫ちゃん」
 ジークが冷たい目をエリアスに向けた。
 誤魔化すか。
 いや、ヘルネがあれほどはっきり見ているのだから、何の事かというのは難しい。ヘルネは目がいい。ジークはそれを知っている。誤魔化せない。
「ディオルのですよ」
 何でもないように、普通に笑みを浮かべて言う。
 彼は天然系を相手にする時、すぐに諦める。何が悪いのか分からない振りをしておけば、そう怒らないかもしれない。
「猫を、ディオルに?」
「はい。見た目の綺麗な子猫が欲しいと」
「渡したのか、ディオルに子猫をっ」
「はい」
「なんで仲が悪いのに協力するんだっ!?」
「物々交換ですよ。動物を手名付けるなど、私にとっては朝飯前ですから。安い労働です」
 ディオルの価値観は人とは違う。金がないと言っているが、湯水の如く使うからで、彼の収入は並外れている。手先も器用で、何でも手作りするし、魔具作りは理力の塔で取引してもらえるほどのものだ。
 部屋は片づけないくせに、字は誰にも読めないほど下手なクセに、生意気な特技だ。
「くっ……助けてくる」
 ジークは行った。
 エリアスはその姿が完全に見えなくなると、額の汗を拭う。
「まったく、彼の猫好きも困った物です。
 もう手遅れでしょうが、どうなる事やら」
 後の事は知らない。悪いのはヘルネだ。ディオルはヘルネを責めないので、叱られるのは彼一人だけ。
「ヘルネ、後で謝って…………いない」
 さっきまでいたはずのヘルネの姿がなかった。
 たまには親切に忠告をしてやろうと思えば、逃げるとは腹立たしい。
「あの混じり女、後で見ていなさい」
 毒付いて、やり場のない怒りを枯れた草の山にぶつけた。
 舞い上がる枯れ草を見て、舌打ちする。片付けるのはヘルネだ。少しは気が晴れるかと思ったが、むかむかが止む事はなかった。


 キメラの制止を振り切って、たどり着いてみれば可愛らしい黒猫が、正体不明の培養液の中に浮かんでいた。
「…………な、なんだこれ」
「あーあ、見ちゃった。愛玩用っす。女の子へのプレゼント」
 巨大な白猫のゼノンが教えてくれた。
 ジークの目の前が暗くなった。
 なんて哀れな姿だ。
 プレゼントに、こんな物を。プレゼントのために、罪のない子猫を。
「プレゼントするなら、そのまま子猫をやればいいじゃないか」
「いやだなぁ。子猫なんて役に立たないじゃないすか。補助も出来ない。すぐに死ぬ。あんたの為でもあるんだから、ほっといてやってください」
「これのどこが私のためになるんだ?」
「まあまあ」
 ゼノンは手を縦に振ってなだめようとする。その姿は可愛らしい。
「人間の時よりも怒ってるなぁ。殺してるわけじゃないから、許してやってくださいよ」
「しかし、なぜ私の猫好きを知っていて、こんな子猫を……」
「ジークが猫好きだからっすよ」
「嫌がらせか?」
「ほら、ジークが喜ぶと思って」
「喜ぶはずがないだろ」
「ほら、意外と天然なところあるし」
「どこに!?」
「とにかく、悪意はなんから、安心しろって」
「どう安心するんだっ!?」
「まあまあまあ。コロムが怯えてっから落ち着け」
 コロムは棚に隠れてビクビクしている。基本的に陽気なキメラだが、子供のようなので、臆病でもある。他人に怒鳴られても平気だが、知っている相手が怒鳴っているのが嫌いらしい。
「ほら、コロム、もう怒鳴らないから出てこい」
「本当?」
 コロムが見上げてくる。子犬サイズのガルーダのような彼は、態度と仕草が可愛らしい。
「おう、本当だ。喧嘩してるわけじゃないから安心しろ」
 コロムは飛び上がり、猫の入った入れ物の上に止まる。
「ジークはこいつ嫌い?」
「嫌いじゃ……ない。猫は好きだ」
 好きだからこそ、改造されて悲しいのだ。
「ぼく、ディオル様にこいつに色々教えろって言われたんだ」
 彼はそれはもうれしそうに語る。まるで、妹や弟が生まれたばかりの小さな子供のように。
「何も知らないから、育てなきゃいけないからさ。こいつは他のよりも高い材料使ったから、賢くなるって」
 彼はとても嬉しそうだ。他のというと、ネズミやら、モモンガやらの偵察用キメラのことだ。近くの帽子掛けには、蛇が巻き付いている。
 そこに猫が加わるのだ。
「別にこいつらも、それほど不幸には見えないだろ。トイレさえ失敗しなかったら、放し飼いされて、餌ももらって、芸をさせられて。
 ペットとそんなに変わらないだろ。捨てられないだけ、まだ幸せなんじゃないか。まっ、俺達は自業自得なんだけどな」
 ゼノンは自嘲し、普通の猫のように毛繕いをする。
「すまないな、コロム。お前達が悪いわけでもないのに。
 もう怒鳴らないから」
 コロムは入れ物から飛び降り、毛繕いをするゼノンの上に着地した。
「おい、こら。俺は他の頑丈なやつとは違うんだぞ。飛び乗るな」
「はーい」
 不自然の物とはいえ、動物が戯れる姿は愛らしい。
「とりあえず、売られる前に保護しないと……。どうやって出すんだ?」
「その栓をひねって、液を出すの」
「こうか?」
 コロムの説明通りにすると、管を通って液体が抜ける。
「ちょ、まだ調整中でまだ様子見で出しちゃダメって」
「な、なんだって!?」
「コロム、お前は言われただろ。出し方教えてどうするんだっ。ジーク、俺はディオル呼んでくるから、この猫見ててくれ」
 それだけ言うと、ゼノンは地下室を出て、階段を駆け上がっていった。
 茫然としていると、
「あ、動いたよ」
 コロムに言われて入れ物を見ると、塗れた子猫が起き上がり、ぶるぶると身体を振って水分を飛ばした。それが終わると見知らぬジークに気付き、怯え、ガリガリとガラスを引っ掻いた。
「出してあげるね」
 コロムが飛び上がり、蓋を開けて子猫を取り出そうとして、中に落ちる。
「こらこら」
 頭から突っ込んで出られずもがくコロムを引っ張り出し、潰されそうなってさらに怯えて威嚇する子猫を掴み上げる。
「シャァァァァっ」
 子猫は消え入りそうな声で威嚇をする。
 怯えているので暴れているが、それも弱々しい。
「元気がないのか?」
「色々とを弄っているから、今までとはちょっと勝手が違うんだよ」
「ディオル?」
 さっき呼びに行ったばかりなのに、来るのが早すぎる。
 彼は風呂に入った直後らしく、塗れた髪を結ばずに背中に流していた。
「君が地下に向かったってヘルネに聞いたんだ。
 その子は生まれ変わったばかりだから、身体に慣れていないんだ。今までとは勝手が違うから。とくにバランスが変わっている。混乱しているんだ。それでおかしくならないように、一晩おいておこうと思ったのに」
 ディオルはテーブルの上のコロムを掴み上げる。
「ダメだろ。知り合いだからって、作ったばかりの子を、他人に触らせようなんて。お前が思っている以上に、生まれたては不安定なんだ」
 ディオルは睨み付けたまま、コロムの額を指で弾く。コロムは子供のように目を潤ませ、しゅんとして反省する。
「ジーク、それ返して」
 ディオルは子猫を手に乗せ、ポケットから取り出した草を噛み、息を吹きかける。すると怯えていた子猫は急に大人しくなった。
「なんだそれは」
「キメラが好む匂いだよ。煮出して少しだけ与えるんだけど、こいつはまだ安定していないから、ふきかけるだけでこうなる」
 ディオルは子猫を撫でながら、タオルに来るんであらかじめ用意してあったクッションに乗せた。
「コロム、人肌程度に暖めたミルクをもらってこい」
「はーい」
 お使いを頼まれて、彼は嬉しそうに出ていった。ディオルは苦笑いしつつ、クッションの上で毛繕いを始めた子猫を眺める。
「ゼノン、止める間もなかったのは仕方がないとして、今度からはしっかりと頼んだよ」
「了解。で、こいつの名前は?」
「何がいい?」
「俺は名付けは向いてないっすよ。昔使ってた偽名が頭によぎるんで」
 ゼノンが尻尾を振って遠慮した。
 ディオルはジークを見上げる。
「何にしたい?」
「売るんだろ?」
「人に渡すのはやめるよ」
「…………なぜだ?」
 いつも金欠のディオルが、売れそうなキメラを手放さないなど、頭でも打ったのかと心配になった。
「何、その目」
「いや、大丈夫かと心配になって」
「こっちにも事情があるんだよ。まったく……お金にするつもりじゃなかったからいいけどさ」
 ディオルはため息をつくと、片付けを始めた。部屋は散らかすが、割れ物は壊さないようにするため、片付ける。
「やはり出したらいけなかったのか?」
「出すのは別にいいよ。念のためだったし。ジークには関係のない理由だから」
 それでもため息をつきながら、ディオルは片付けを完了させ、濡れた身体を舐める猫を掴み上げ、魔術で乾かしてしまう。
「ミルクもらってきましたぁ」
 コロムがミルクの皿を頭に乗せて帰ってきた。ジークはよくこぼさないなと感心する。
「ディオル様、その子はもうお外に出てるの? なんて名前にするの?」
「まだ決めていないよ」
「じゃあね、ぼくが決めたい」
「お前が? 変な名前じゃなきゃいいよ。うちで過ごす事になったから、変な名前は却下だからな」
「ほんとっ!?」 
 ジークはコロムからミルクを避難させる。浮かれてこぼしそうになった。
「ロロがいい。昔飼ってた猫の名前」
えへへと笑うコロムを見て、ディオルは苦笑する。
「まあ、ペットらしい名前だな。ジークはどう思う?」
「可愛い名前だな。いいんじゃないか」
 雄でも雌でも通る名だ。生ぬるいミルクを目の前に置くと、怯えて身をすくめたが、空腹だったのか、ミルクに興味を示し、しばらく匂いを嗅いで飲み始めた。
「美味しいか?」
「シャァァッ」
 近づいたコロムを威嚇して、足を皿に突っ込む。
 そんな可愛らしいやりとりを見て、ジークは心弾ませた。
 不自然な生き物たちだが、可愛らしい。
 明日からは、子猫がいる生活だ。
 ジークは複雑に思いながらも、明日からの楽しみが出来たことを喜ぶ自分に、少し呆れ、威嚇するロロの警戒を解くべく、指を指しだした。


 

感想、誤字の報告等

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