13話 白

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 エリアスをまいて、キメラ達と一緒に追い返し、ディオルはすっきりとした晴れやかな夕暮れの空を見上げた。
「静かでいいな」
「あら、賑やかな方が楽しくありません?」
「君は賑やかなのが好きなの?」
「門下の方で、いつも賑やかな環境で育ちましたから」
 シアが手綱を取る馬車に揺られ、ディオルはあくびをする。
「でも、エリアス様はよろしかったのですか?」
「連れて行っても良かったの?」
「あまりよろしくありません」
「だったらいいよ。ゼノンがいるし、保護者がいないと家に帰れないほど馬鹿でもないし」
 そんな馬鹿だったら、まず追いかけてくる事も出来ないし、今よりもかわいげを感じるはずだ。
 前方に村が見えてきた。
 先ほどの都市よりも規模が小さい、農業で生活している者がほとんどの、小さな村。その神殿は村の中で一番立派な建造物だ。この村に限らず、ほとんどの土地でそうだろう。
 馬車を止めると、ディオルは地面に降りる。
「そこでお待ち下さい。この子を戻してきます」
「ああ」
 待つ間、ディオルは神殿を観察した。
 古びた神殿だ。屋根の上にある太陽神を表す紋章は少し傾いている。傾いたまま直さないのがシアらしい。相手は憎き相手なのだから。
 地面には子供の落書きや、土遊びをした形跡があり、少し通りから隠れた所には、たくさんの洗濯物が干されていた。
 奥へ進もうとしたら、ディオルは背後に気配を感じ、ゆったりと振り返る。
 中肉中背の男がディオルを見て笑みを浮かべていた。黒髪に緑の瞳。カーラント人は色素の薄い髪色が多いのだが、彼のような黒髪を持つ者がいる地方もある。ヴェノムと近いところで生まれたか、そんな親を持っているのだろう。
「君、新しく来た子?」
 彼は柔和な笑みを浮かべ、視線を合わすように屈んで尋ねてきた。シアと違い裏表は感じさせない、子供に対するそのものの微笑みだ。年はシアよりも少し年上。腰に穿いた剣は柄からして立派だった。少なくとも、裕福か、貧しくはない家の出だろう。
 見た目は平凡な男だが、何と言ってもシアの知り合いである。何があっても不思議ではない。
 新しく来たというのは、孤児をだと思われているという事だ。神殿はどこも孤児の面倒を見ているものだ。
「僕はシアさんの友達だよ」
「シアさんの……友達?」
 彼は愕然として目を見開いた。
 ディオルには、彼の反応が理解できなかった。
「シアさんの友達なんて、初めて見た」
「は? あの人なら、友達ぐらいたくさんいると思うけど」
「下僕じゃなくて?」
 ディオルは耳を疑った。純朴そうな青年の口から、まさかこんな言葉が出てくるとは。
「シアさんはいつも何してるんだよ」
「いや、その……」
 彼は口を押さえて慌てる。
 その反応が気にならないと言えば嘘になるが、彼女がどんな態度で生活していようが、ディオルには関係がない事だ。ディオルに興味があるのは、彼女の頭と体質と呪いだけ。彼女の私生活などどうでもいい。
「僕はディオル。シアさんに知恵を借りに来たんだ」
 子供らしく笑みを浮かべて名乗ると、彼も釣られて笑みを浮かべた。
「僕はマシェル。神官ではないけど、ここで管理人をしているんだ」
「管理人?」
「ここは曾祖父が作ったんだ」
 彼の剣はかなり立派な物だ。貧乏人が持っていられるものではない。立ち振る舞いも上品で、どこぞの人の良いお坊ちゃまであることは、容易に想像が出来る。
 色々と、わけがあってここにいるのだろう。
「滞在費は貴方に払えばいいんでしょうか」
「そんなものはいいよ。シアさんのお友達から、そんなものは取れないよ」
「すみません。しばらくお世話になります」
 頭を下げておく。
 外ではいい子にしておくのが、人間関係を円滑にさせるために最低限必要な行いだ。
「あら、マシェル。どうしました」
「いや、知らない子がいたから」
 シアが子供を引き連れて戻ってきた。
「でも、シアさんにこんな年下の男の子のお友達がいたなんて、思いもしなかったよ」
「年下でも、あなたの百倍は賢いんですよ」
「それじゃあ、まるで僕が馬鹿みたいじゃないか。最低限の教育は受けているよ」
 マシェルは唇を尖らせて主張する。
 シアはくすくすと笑いながらディオルに目を向けた。彼女の後ろにいる子供達は、シアに隠れてディオルを観察していた。まだ十歳にも満たないだろうが、強い魔力を感じる、油断ならない子供達だ。
「ユーノとエルマとローザです」
 茶髪の男の子と、彼によく似た女の子と、金髪の女の子。
「はじめまして、ディオル様。ユーノです」
「双子の妹のエルマです」
「ローザです」
 見た目は素直そうな可愛らしい子供達だ。
「はじめまして」
 見た目がどれだけ可愛らしくとも、シアがわざわざ紹介するのだから、まっとうな子供ではない。
「さあ、部屋に参りましょうか」
「ああ。それじゃあ、失礼します」
 マシェルに挨拶だけして、ディオルはシアに続いて宿舎に入った。
 古い木の建物は、大切されているらしく意外と中は綺麗だった。
 壁には落書きがあったりもするが、その落書きは何かの魔術的な式で、やはりただ者ではない子供揃いだ。
「ここで君の私兵でも揃えるつもりなの?」
「まあ、そんな言い方は良くありません」
「教え子達?」
「はい。可愛い生徒達です」
 何を教えているのやらと、ディオルは苦笑する。
 まだ子供と言っていい年頃の彼女がこれだけの生徒を抱えているなど、普通なら考えられない。
 彼女が何をしようとしているか、想像はつくが答えは出さない。
「ディオル様、こちらは図書室です」
 シアはそう言って台所に入った。
 さすがにディオルは問う。
「なんで台所?」
「マシェルには内緒ですよ」
 彼女は普通は収納であるべき床下の口を持ち上げ、地下に続く階段を見せてくれた。
「だから、なんで台所?」
「マシェルが入ってこないのは、台所ぐらいですから」
 わざわざ改築したのかと、そこまで聞くと深みにはまりそうなので口をつぐんだ。既に巻き込まれている気がしたが、わざわざ自ら進むことはない。
 ただ知識を借りに来ただけだったのに、なぜと思いながらも、地下の本が気になった。シアほどの人間が、ディオルにわざわざ見せる本。
 好奇心という物が存在すれば、誰だって見たくなる。
 シアはディオルの事など気にせず地下に入ってしまったので、ディオルは仕方なくそれに続くと外に控えていた子供が入り口を閉じた。
 すぐにシアが作った明かりを頼りに、ディオルは階段を下りきった。
「ふぅん」
 地下の割にはなかなかいい空間だった。思ったよりも広く、十以上の本棚が並んでいる。
 背表紙を見ると、稀少な本がたくさん並んでいた。どれも実家か海辺の屋敷にある物ばかりだが。
「わざわざあの男に内緒にしている所に連れてきて、何があるの?」
「私はディオル様を応援していますから」
 彼女は一つの本棚で足を止めた。歴史書が並んでいる。
「ディオル様の目的は、神の呪いを無効化すること。
 そのためには知識の獣を得たいと」
「それだけじゃないけど、間違ってはいないね。一番の目的は自分のしたいようにすることだ」
 したいことの一つがアシュターの解放。それを含めて、解決に必要な知識を得るために賢者の石がほしい。知識の獣は賢者の石のオリジナルである石を額に持つ、知識の番人、賢者の石の司書だ。
「私の目から見て、私と協力してアシュター様を解放するよりも、エリキサ様の捜索の方が短期ですみます」
「心当たりが?」
「ある程度は」
 彼女は賢者だ。生き物に関することについてよく知り、それに被る歴史もよく知っている。
 それ故に、手がかりとなる欠片を頭の中に有しているのだ。
「私の知識を元に、いくつかの地方に絞っていますが、さらに絞るには地形や伝承を調べる必要があります。
 古い本なので、まともに解読できるのが私しかいないんです。ディオル様なら、読めるのではないかと思ってお通ししました。この分野に関しては私も専門外ですから」
 つまり、解読しろということらしい。
「わかったよ。絞り込んで、目星を付けたところを現地に行って調べるんだね」
「はい」
 ここに滞在する間で絞り込んで、あとはディオルが一人で地道に探すのだ。
「これは君の独断?」
「まさか。危険な物ですし、ディオル様のように政治とは無関係で人間性も分かっている研究者の手に渡っていた方が、安心できると説得しました。狙っている方はたくさんいますから」
 カロンの弟のような存在だ。兄に対抗して不穏な研究を進めているのだけは聞いている。失敗して街が一つ全滅したとか、親のいない子供を実験材料にしているとか。ディオルが生まれる前に大量発生した謎の生物を作って捨てた張本人だとか、様々な噂がある。
 実験材料は選んで、街が一つ全滅するような場所に住んでいないというだけで、ディオルの方が幾分かマシだ。
 何よりも、ヴェノムの息子であり、ウェイゼルの孫だからこそ。
「まあいいや。僕が中立であることだけ忘れないでくれたらいいよ」
「ええ、心得ています。不用意に太陽神様に動かれては私の命がありませんもの」
 ウェイゼルの孫が太陽神の領域に大きな干渉をする。それだけで、かなりの大事になる可能性がある。政治的には絶対に口を出せない立場だ。
 それをシアが忘れるとは思えないし、彼女の上司だと思われる男も忘れる馬鹿ではない。


 趣味のためなら労力を惜しまないタイプの人間というのが、たまにいる。
 目の前で本をめくり、ノートにまとめる少年は、まさにそのタイプだ。
 一心不乱に、この歳の子供なら普通は理解できない本を、普通の速度で読んでいる。ただし、字は読めないので、何をまとめているか確認することは出来ない。
 彼の字が特殊なのは知っていたが、見れば見るほど不思議でならない。
「いつも手紙はどうやって書いているんですか?」
「コロムに書かせてるんだ。ただ、丁寧に説明しないと間違えるから、研究には使えない」
 専門用語が多くて、口にしたままを書き留めるのは学があっても難しいのだ。
「頭が良くて、字を書けるキメラは作らないんですか?」
「その頭の中身はどうするんだよ。教えるか、専門家を使うかどっちかだよ。さすがに生きた専門家が都合良く売られているなんて事はないしね。
 エリキサを手に入れたら、たっぷりこき使ってやる」
 愚痴をこぼしながら彼はページをめくる。話しながらでも目と手は止まらない。
 がむしゃらで可愛い。
 みんなこうなら手が掛からなくていいのにと考え、苦笑いする。
 それでは楽しみがない。
 少しぐらい出来が悪い方が、教えがいがあって可愛い。こういう子が一人いたら、便利でいいのだが。
「シアねーちゃん」
 連絡用の管から、男の子の声が響いてきた。
「マシェルにーちゃんが探してる。なんでいないんだろうって怪しんでるよ」
 ディオルがくすりと笑って口元を抑えた。
「まったく……ほっておきなさい」
「なんか、知らない人が来てるって」
「知らない人?」
 客が来るとは、タイミングが悪い。
「格好良かったよ。ディオル様にちょっと似てた」
 ローザの声が割って入り、その瞬間、ディオルが顔をしかめた。
「変な杖を持ってた?」
「ああ、持ってました!」
 ディオルは額を押さえてため息をついた。彼の親戚が尋ねてくるとは、おかしな話だ。
「たぶん、放浪の杖だよ」
「…………放浪の愚者とご親戚で?」
「うん。まあ、ひいおじいちゃん。それよりも、あの人が来るって事は、ここらで何か大きな事があるんだと思うよ。逃げた方がいいかも」
 身内からこの言葉が出るのだから、トラブルの時にしか姿を見せない事が伺えた。
 こんな所で、こんな時に。
「マシェルは?」
「接客中」
「見張っていなさい。その方に危険はありませんが、その方がいる場所は世界に影響を与える事件が起きる場所です。私もすぐに行きます」
「わかった」
 ディオルは本にしおりを挟んでペンを片付ける。几帳面な子だ。
 気が重いらしく、ため息をついてから階段を上る。慎重に様子をうかがってから外に出た。
 シアは入り口を閉じて、ディオルを案内する。
 客を通せるような場所は、神殿にしかない。こちらは生活のための棟だ。
 生活感の溢れる宿舎を出て、隣の古い神殿に入る。古いがしっかりと作られているため、火事でもない限りはずっとここにあり続け、人が出入りするはずだ。そういった素朴さは気に入っていた。
「あ、お姉ちゃん」
 子供達が一斉に手招きを始める。それを見て、ディオルのツボにはまったらしく、ぷっと吹き出す音が聞こえた。
 子供達は相手が何であるのか理解していないから、好奇心しか見えない。
 放浪の愚者。
 世界を飛び回っているため、存在は知っていたが、対面するのは初めてだった。
「失礼するよ」
 ディオルがノックもなしにドアを開ける。彼にしては珍しい態度だ。
「ディオルっ」
 放浪の愚者はディオルがいることを知らなかったらしい。
 髪の色はディオルよりもずっと薄い茶髪だが、顔立ちはディオルから目つきの悪さを取って、少し柔らかくした感じだ。
「ディオル、何かしたのか?」
「何もしてないよ。エリキサの居所を探してただけ。前からの活動だから、僕に反応して来ってのはないと思うよ」
「そうか、よかった」
 彼はディオルを抱きしめた。
「ウザイよ」
「くっ……ヴェノムのようなことを。ますますヴェノムとメヴィに似てきたな。俺のことはいつでもお父さんって呼んでいいからな」
「テリアはひいおじいちゃんにはなるかもしれないけど、父親にはなれないよ」
 ディオルはあまり彼のことが好きではないのだろう。かもしれないというのが理解できず、関係が掴めない。
「で、結局何なの? ここが目当てなの? それとも村があったからとりあえず来ただけ?」
 テリアは首をかしげた。
「さあなぁ。俺はただの傍観者だからな。基本的に世界の成り立ちに係わらなければ手を出せないし」
「…………」
 役に立たないと言いたげな目を向けるディオル。テリアはその視線を受けて目を潤ませる。
「俺だって、好きで振り回されてるんじゃないんだぞ。出来る事なら、可愛いお前やヴェノムと暮らしたいんだ」
「もう子供じゃないんだから、門前払いを食らうよ。今は空き部屋ないし」
「うう……相変わらずツンデレだな」
「僕は人によって態度を変えるけど、首尾一貫してるよ」
 素晴らしいほど首尾一貫。
 彼は曾祖父を半泣きにさせて、座るように促した。
 マシェルがついていけずに、とにかく笑って誤魔化している。心の中では、二人の関係や、何をしに来たのかという疑問が渦巻いているだろう。
 シアですらそうなのだから。
「テリア様、お嫌いな物はありますか」
「シアさん、いいよ。ほっといて」
「そんなわけにはいきません」
 適当にもてなして、早々に帰っていただくのが一番だ。
 関わりがないなら、係わらない方がいい。放浪の杖とはそういうものなのだ。
「君は、ひょっとしてシアンかい?」
「シアです」
「大きくなったなぁ。ええと、十四歳になるのかな? 女の子は本当に成長が早いね」
 既に係わり済みだと知ったシアは、思わずため息をつきそうになった。
 幼い頃の事まで、彼女は記憶していない。
「しかし母親に似て美人になったなぁ。カーラント人の美人は半端なく美人になるって言うけど、ヴェノムといい、美人の多い国だよな」
 彼は余計なことばかり言う。愚者は独立した存在だから、どこまで知っているのか怪しいものだ。彼は国も関係なく動いている傍観者であり、ある意味ではこの世で一番気楽な立場だ。
「シアねえちゃん、お茶持ってきたけど」
 部屋の外からユーノが声をかけてきた。
「ああ、ありがとうございます。気がききますね、ユーノ」
 別の子がドアを開けて、ユーノがトレイを持って部屋に入る。
 茶葉の香りと焼き菓子の甘い香りが部屋に広がった。飲んで、食べて、さっさとお帰り願う。
「……君か」
 突然、テリアが立ち上がった。
 トレイを置いたユーノは、笑顔で歩み寄る彼を見て首をかしげる。
「ユーノの事もご存じで?」
「いや、知らない」
 そう言い切って、テリアはユーノ手を取り、杖を握らせた。
「は?」
「全然関係ない人じゃなくて良かったよ。説明が大変だからね」
 笑顔で、それはもう満面の笑顔でユーノに杖を握らせて、その頭を撫でた。
 放浪の杖を握らせて。
 別名、美少年フェチの呪われた杖を握らせて。
「え……」
「部下なんて片手の数しかいないけど、世界中を旅行できる役だから」
「あの……」
「でも、最近は旅費は自分で稼がなきゃならないけどな。あと、いつも杖の好みに合わせることを強要されて、肌の手入れとか大変だけど」
 ユーノは首を横に振った。
「い、いりません。な、なんで僕が?」
「これに関しては拒否権ないから。なんか、今度は従順そうな可愛い子がいいんだとさ」
「えええっ!? なんでそれで僕が? 僕、そんな美少年とかじゃないですよ!」
「大丈夫だって。初々しくて可愛いってさ。なんか、最近はこの辺が多いから、いきなり遠くに行くようなこともないし」
「何があるって言うんですか」
「わかるわけないだろ。俺はただの運び屋だし」
 シアは頭を抱えた。
 予定外だ。予想外だ。せっかくここまで育てたのに、成熟する前に出て行ってしまうなど、冗談ではない。
「何考えてこんな小さな子を……。どう見てもまだ完成してないよ。あと三年ぐらいテリアで我慢したら?」
 ディオルは杖に話しかけた。
「ディオル、いくらなんでも、俺に飽きた、若い男の方がいいなんて理由じゃ選ばないよ。選べる時は選ぶだろうけど、この場合は俺よりもこの子の方がいいから選ぶんだ。でも可能ならディオルの方がいいっていってる。子供の頃に、叩き折ってやるって言った時の目が本気だったから諦めたって言ってたのに」
 ディオルは首をかしげた。沈黙し、手を打つ。
「そういえば、僕が神の呪いに興味を持ったのって、それが切っ掛けだった気がする」
 本当に叩き折られそうだったらしい。必要性がないのに選ぶには、ディオルはリスクの高い相手だ。
「ディオル様、これ何とかしてくださいっ」
「いや、無理。僕には先にやることがあるし」
 彼にとって自分に火の粉が降りかからなければ、無理をして対処することではない。放浪の杖は母神が世界を見張らせるために作った意志を持つ神器だ。
 初対面の少年のために無理などするはずもなく、シアは無理をするように頼める立場ではない。
「その杖どうしたの? 何か問題でもあるの? 本人が嫌がる物を押しつけるのは良くないと思いますよ。立派な杖じゃないですか。杖のことはわかりませんけど、十分使えるように見えますけど」
 一人だけ、理解していないマシェルが見当違いなことを言う。
 追い出すのも不自然で、場所を移すのも不自然だからそのままにしておいたが、どう説明するか悩んだ。
「さっすが、一目見て杖の価値を理解するなんて! そう、決して、不要品の押し付けじゃないだ」
 テリアは杖を押し付けながら、心にもないことを言う。
「この杖は継承されていくんだよ。後継者だな。大切な仕事なんだ」
「はあ……」
 それだけでマシェルからユーノに視線を戻す。
「シア、この子にはしばらく俺がついてるから安心してくれ」
「安心してくれと言われましても……」
 選ばれてしまったものは仕方がない。テリアも好んで選ばれたわけではないのだ。この浮かれた様子から、それは確実だ。
 ユーノは涙目でテリアを見上げている。
「まあまあ。しばらくはあんまり遠くには行かないから」
「…………は……はい」
 ユーノは諦めて、不気味そうに杖を見た。杖の声を聞くことが出来るのは持ち主だけだ。何か語りかけられている可能性がある。
「シアさん、どういうこと? 大丈夫なの? なんか身売りされていくようにしか見えないんだけど」
 当たり前だが、納得し切れていないマシェルがシアに問う。
「大丈夫だよ、マシェルにーちゃん。僕、強く生きるから……」
「何が何だかさっぱりわからないけど、嫌なら嫌ってはっきり言った方がいいと思うよ」
「いいんだ。どうしようもないことだから。名誉なことだし……」
 切なげに目をそらし、ユーノはため息をついて、部屋の外で固まっているエルマ達を見た。
「ごめん」
 双子の妹と、ローザに謝罪する。
 二人はかける言葉の─つもかける事が出来ないほど固まっている。
「何が何だかさっぱりなんだけど」
「マシェルは気にしないで下さい。地域の伝統のようなものです。あなたは都会育ちなので、理解に苦しむ習慣でしょうが、男の子にはいつか回ってくるかも知れない大切な役目です」
「地域の……地域のことなら仕方がないね」
「ええ。あと、このことは誰にも話さないでください。誰なのかは秘密なんです。そういう決まりなので、絶対に口にしないように」
「そうなの? わかった。言わないようにするよ」
 マシェルは納得しきってはいないながらも、地方によってはそういう奇妙な風習があるのは知っているため、頷いてくれた。
「ユーノ、準備をしなければなりませんね。ディオル様、調べ物を手伝うのは、明日まで待っていただけますか」
「別にかまわないよ。僕は生き急いでいるわけではないし、非情でもないよ」
「ありがとうございます」
 まるで死地に赴く兵士でも見るような目をユーノへと向けるディオルは、訳知り顔で頷き、目を伏せた。
 その態度にユーノの顔がますます引きつる。
 彼も本音では叩き折ってしまいたいのだ。
 この杖は母神の命で、世界の均衡を保つための情報を集める道具だ。
 言わば数少ない母神のつながりであり、それを破壊などと考えるのも恐ろしい。
「出発はいつまでなら待っていただけるのでしょう」
「旅の準備はしっかりしないといけないから、二、三日は待ってくれるよ。基本的にめまぐるしいというほど、動きはない時期だから。金と食い物の心配はしなくていいからな」
 ユーノはため息をつき、皆を押しのけて杖を抱えて部屋を出ていった。
 
 

感想、誤字の報告等

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