1話 逃げた花嫁
2
今、自分が一番理解できない。
近くにいるだけなら平気なのに、目が合うと動揺する。
次に理解できないのはクロフ。なぜ彼は女の姿をとっているのだろう。もちろんヒルトアリスを安心させるためだが、なぜそこまでするのだろう。もっと理解できないのは、クロフに対して敗北感すら覚えている自分である。
「アリス」
「ヒルトとお呼びください。アリスというのは、家系的によく入れられる飾り名です。私の兄や姉もアリスとつくんですよ」
彼女はクロフの呼びかけににっこりと笑った。
この敗北感はなんなのだろうか。
「クロフ殿は性別にはこだわらないタイプか」
「そういう問題か?」
「そういう問題だろう」
物腰態度は男らしいそのままに、外見は女性の姿のクロフを見ていると、複雑な気持ちになる。彼の事は嫌いではない。だが、なぜだかムカムカする。
「俺どうしたんだろうな」
「恋だよ、恋」
「馬鹿だろお前」
「ハウル君。哀れみを含んだ白い目で見るのはやめて頂きたい」
「でもカロン。そんな風にしか見れないなんて、可哀想じゃねぇか」
「ハウル君……まあいいさ。私には可愛いラフィがいる。なぁ」
カロンが話しかけると、ラフィニアは上機嫌に答える。
「てーた、ねぇえ」
「ハウル君が父親父親言うから、最近ラフィは私の事を父っぽく呼ぶのだが」
「いいじゃねぇか。なぁラフィ」
彼女の柔らかな頬をつつくと、ハウルの手を取りかみついてくる。子供とは何でも口に入れる生き物だ。
「可愛いですね」
その様子を見ていたヒルトアリスは、ラフィニアを見て言った。カロンはラフィニアを褒められ上機嫌だ。
「抱いてみるかい?」
「いいんですか!」
ヒルトアリスは嬉しそうにラフィニアを受け取る。初めて見る少女に抱かれ、ラフィニアは首をかしげた。けっしてぐずらないのが彼女らしい。
「可愛い……この羽根、動いてますけどどうしているんですか?」
「その羽根は本物だ。その赤子は本物の有翼人だ」
女性の姿で心を許したクロフは、馴れ馴れしく彼女の横に立つ。ヴェノムにするように。
「まぁ!」
「秘密だぞ」
「はい」
クロフに見つめられ、頬を手に染めるヒルトアリス。
──変な女だな。
一番変なのは、今日のクロフだが。
「ヴェノム、クロフはいいのか?」
「かまいません。時に他人に興味を持つ事も良いでしょう」
「でもさぁ」
今までほとんどヴェノムにしか姿を見せなかった彼が、こうも長い時間目の前にいると違和感を覚える。
「ハウル様は、まだお気付きではないのですね」
「何がだよ」
「それを理解できるようになれば、大人への第一歩です」
「んだよそれ!」
彼もハウルが一目惚れ等というものをしたと思っているのだろうか?
──そりゃ好きか嫌いか言われたら、ラァスよりも好きかもしれないけどさ。
ヴェノムの方がもっと好きだ。
「それよりも、そろそろ行きましょうか」
「え? もう夜だぞ? 朝まで待つんじゃないのか? 俺は腹減ったぞ」
「今の時間なら晩餐会ですよ。向こうで好きなだけ食べなさい」
「そんなところで食えるか」
「なら、おみやげをもらいましょう」
「せこいぞババア」
「さて、話が決まったところで行きましょう」
「決まったのかよ今ので」
ちらとヒルトアリスを見ると、ラフィニアの手に指を持たせ、哀愁漂わせていた。
いいのだろうか、本当にそれで。
思うが、反対できる立場ではない。この場での頂点はヴェノムである。
「ラフィ、戻っておいで」
ラフィニアはカロンの声に反応して、『てーた』と呼びながら飛んでいく。
もう少ししゃべれるようになったら、『とーたん』ぐらいにはなるのだろうか。それともパパの方がいいのだろうか。
心地よい風が吹いている。
風の都はよい風が吹き、力強い精霊達も多い。彼らはヒルトアリスを見てこちらに寄り、ハウルを見て距離を置く。
ハウルに遠慮をしているのだろう。
カロンは彼らを見てくすと笑う。
カロンは飛びたいラフィニアを地面に立たせて手をつなぐ。
「てーた、どーたの?」
「ラフィ、お兄さん」
「てーた、おにた?」
可愛くて仕方がないが、ここは心を鬼にしなければならない。
「ラフィ、今日は飛ぶのはめ」
羽根は飛びにくいよう服の下にしまってある。少し大きめのマントを羽織らせているので、ふくらみから羽根があるとは思う者などいないだろう。
「やぁの」
「ラフィも、ちゃんと歩かなければな。歩けるのだから、あんよだぞ」
ゼロ歳児と思えば歩けるだけでも十分だが、彼女の成長は早い。外見からは、すでによちよちと歩いて、走っている年齢だ。もちろん彼女も歩けるのだが、すぐに飛んでしまうので長くは歩けないのだ。歩かなければ、足腰が弱い子になってしまう。だから最近はこうして歩かせるようにしている。今日は初めて他人の前で歩かせている。
「とーびゅ」
「飛ばない」
「うぅぅう」
「ほらラフィ。知らないお兄さんがいっぱい来たぞ」
「おぉ!」
ラフィニアはたくさんの男性に囲まれ興奮した。てとてとと歩いていき、槍を構える衛兵の一人の足元に寄るので、彼らは硬直した。賊であれば捕らえなければならないが、赤ん坊連れとなると相手も戸惑うだろう。下手をすればただの通りすがりの一家である。ヒルトアリスがいなければ、このように包囲もされなかった。
「ラフィちゃん、危ないですよ」
ヒルトアリスがしゃがみ込んで手を差し出すと、ラフィニアは不思議そうに衛兵達を見上げた。
「のぉ?」
「…………ひ、ヒルトアリス様。この方々は?」
「私の友人です。ラフィちゃん、おいで」
「ひうちょ、とびゅ?」
ヒルトアリスは名を呼ばれ、ラフィニアを抱きしめた。
「さあ、行きましょうヒルト」
「はい、ヴェノムお姉様」
腕にはラフィニア、先導にヴェノム。傍らにクロフ。
彼女はどこか幸せそうだ。
──これはやはり……。
「行くぞ、カロン!」
「熱いな、ハウル君」
「ああ、もうなんか思い切り暴れたい気持ちだ」
「暴れるのはよくないぞ。もっと大人になれ」
「わーってるよ」
ちっと舌打ちする彼は、子供っぽく可愛い。弟たちがこのように可愛ければよかったのにと思うが、残念ながら現在三男は国盗りをしてしまった。落ち着きとはほど遠い。
「私は覚ったよ。人とは理解させようとしても無駄だ。時が過ぎるのを待つのみだ。そうではないかい?」
「何が言いたいんだお前は」
「君のヴェノム殿はすぐに戻ってくるさ」
「……へいへい」
ハウルは拍子抜けして歩き出す。
──まったく、可愛いものだな。
ラァスに比べて、なんと扱いやすい事か。そんな事を考えながら、カロンも皆に続いた。この城にはカロンも何度か訪れた事がある。何よりも、一族皆似たような特徴のある外見をしている。情報はすぐに上に伝わる事だろう。
やってきた使用人に案内されたのは、贅沢な調度品のそろえられた部屋。ヴェノムの屋敷よりは派手だが、天空城に比べれば劣るというところだかろう。
ヒルトアリスは緊張した面持ちでうつむき、その手をヴェノムがそっと包み込む。
時は刻々と過ぎゆき、ラフィニアと遊んでいたカロンは、彼女をヴェノムに渡した。
その直後にドアが開き、銀に近い金髪の青年が部屋に入ってきた。ヒルトアリスが視線をそらした事から、彼が彼女の婚約者らしい。嫌がるような要素も見あたらない、ハンサムな青年だ。
「やぁ、久しいね、ロアール」
「久しいな、カロン。ヒルトアリスを連れ戻してくれたと聞いた。礼を言う」
顔は礼など言いたくもなさそうだったが、カロンは笑顔で返す。
「なぜあなたが、ヒルトアリスと共にいたのか、ぜひ聞かせてもらいたいな」
「いやなに。成り行きだよ。君のところの女性の扱いも知らない乱暴者が、彼女を無理矢理さらおうとしていたからね。見るに見かねる状況だったのだよ」
気のせいが、絡む視線に好意はなく、むしろ火花すら散らしている用にすら見えた。この二人、仲が悪いのだろうか。
「それがアリスディロンの妹と知って手を出したのか」
「おや、それは初耳だな。そうか。どうりで強いはずだ」
カロンがわからない。何かたくらんでいるように見えるのだが、何なのだろうか。ヒルトアリスは驚いたように目を見開いていた。
「お兄様をご存じなのですか?」
「少しね。ところでディロン。なぜそんなところにうずくまっているんだい?」
カロンは開け放たれたままのドアへと向かって言う。
「お前は透視もできるのか!?」
ロアールはたまらず怒鳴りつけた。
仲がいいというよりも、険悪な関係なのではなかろうか。
「ディロンが怯えているだろう」
気配はあるが、出てこようとしない。ヒルトアリスは兄の様子に首をかしげ、その名を呼ぶが出てき来ない。
「ディロン、そんなに怯えなくてももうとって食べたりはしないよ」
「もうって何だ!? もうって」
「ははは、気にするなハウル君」
ドアの影から、怯えきった黒髪の男が顔を覗かせた。ヒルトアリスの兄だけハンサムだ。女性的な顔立ちで、少年の頃はラァスに負けぬ女顔だったのではないだろうか。
「ああいうのが趣味なんだな」
「いやそう言うわけでもないのだが、まあ趣味の一つではある」
アリスディロンはびくりと震え、顔を引っ込めた。
「お前……何をした」
「若気の至りだよ」
「…………」
「あ、ラァス君には内緒だよ」
呆れてものも言えない。昔の話だから多少はマシなのだが、ろくでもない少年時代を送っていたらしい。
「お前……若気の至りですます気か」
「ロアール、君は彼女のために来たのではなかったのか?」
「そうだ」
妹のことを思い出したのか、アリスディロンは怖々と部屋に入る。
「ヒルト、なぜ逃げ出したりなんてしたんだ? ロアールの事は嫌いではないといっていたじゃないか」
「嫌いじゃないイコール好きとは限らないよ、ディロン」
「好きな相手がいたのか?」
「君はヒルトの事を何も理解していないのだね、私の可愛いディロン」
今はおそらく、いじめて遊んでいるのだろう。アリスディロンの顔色がどんどん悪くなっていく。
「ま、まさかあなたはヒルトに何か……」
「していない。ただの理解者だよ。私は恋愛が関わると女性が苦手──というよりも嫌いでね。もちろん、友人としてなら女性は好きだよ。話が合う」
彼はにこりと微笑みディロンを見つめる。
「あんまり浮気してると、ラァスに言いつけるぞ」
「いや、あんまりにも可愛いから、つい。ほら、嗜虐心がそそられるタイプだろう」
「……まあメディアがいたら鬱陶しいとぶっ飛ばされてるタイプだけど。っていうか、なんかあの二人俺とラァスみたいなもんか」
今のラァスは怯えもしないが、昔はあのように怯えて隠れるようにしていた。
「ディロン、安心したまえ。私は今、生涯を捧げてもかまわないと思うほど、惚れ込んでいる男性がいる。君も私との事は忘れてくれ」
その言葉を聞いた瞬間、アリスディロンの顔が輝いた。
──どこまでやられたんだろうなぁ、あのにーちゃん。
まさか本人に訊くわけにもいかない。ハウルはその世界に興味はないのだ。口は災いの元というし、聞かぬ方が身のためだ。
ヒルトアリスはカロンの顔をじっと眺めていた。わかっているのかいないのか。
「ところで今日はディロンには用はない。ロアールに質問がある」
「何だ?」
「君は彼女を妻にする気らしいが、愛はあるのかい?」
「何を馬鹿馬鹿しいことを。好きでなければ、反対など押し切らん」
カロンは目を細めて笑う。彼のこの表情は、なまじ顔立ちが整っているので、馬鹿にされている気がする。
「君は彼女のどこにどう惹かれたのかね。彼女の姉の面影を求めてかい?」
「誰がそんな事を」
「彼女がそう思っている」
「だから逃げ出したかの? 馬鹿な事を。私は彼女を愛している」
「どのように?」
「どのように……って」
ロアールは言葉につまる。突然そんな事をいわれて愛について語り出せる人間は、ただの口先が達者な人間である。答えられないからといって、愛がないとは限らない。
「私は言えるぞ。ディロンをどのように愛していたかを」
その言葉にアリスディロンは再びおびえの色を見せた。かつての恐ろしい体験を思い出して恐怖しているというのかも知れない。
「それ以上ディロンに対して干渉するな」
「じゃあ、言ってくれ」
彼の考えは全く読めない。なぜそれを言わせる必要があるのだろうか。ヒルトアリスが彼に対して恋愛感情を持っていない事はわかっているのに。
「彼女を見て、どうなる」
「ど……どうなるって……胸がざわめく」
「それは本人の目の前にいると?」
「ああ」
「どんなときにそうなる?」
「……なぜそんなことを」
「いいから」
「目が合うと、どうしようもない幸福感に包まれる」
ハウルは首をかしげた。
──なんか……。
「やはりな」
「何がやはりだ」
「ハウル君、君は彼女と見つめ合うとどうなる?」
突然話を振られ、ハウルは戸惑いヒルトアリスを見た。目が合うと、気になって気になって仕方がなくなる。
「べ……べつに」
「彼女に惹かれるのだろう」
「そ、そんなことは……」
「それは自然な事だよハウル君。君はウェイゼル様の血を引いているのだから、彼女の力の影響を受けて当然だ。おそらく、ノーラを連れてきていれば似たような反応をする」
ハウルは戸惑う。力とは何だろうか。
「察するに、君は彼女に恋をしたわけではない」
「どういう意味だ?」
「君の中に流れる、風神様の血が君の心をかき立てるのだよ」
その言葉に、ハウルはカロンの後頭部をはたく。
「い……痛っつ」
彼は頭を抱えてうめいた。本当に痛がっている。
「今のは幻聴じゃないのか!?」
「本当ですよハウル。彼はウェイゼル様の子孫です」
ハウルは考えた。
「つまり、親父はいつかの王妃に手を出して、ついうっかり子供ができちまって、かといって神の子だから仕方なくなぁなぁにしたとかそういう話か!?」
「ハウル、いくらなんでも疑いすぎですよ。言い方を変えると、私の親戚です」
「あ、そういう意味か」
何代前の、とは聞かない方が無難だろう。どうせ何か報復がある。父親には腹が立つが、これに関しては仕方がない。
「ロアール、彼は四級神のハウル君。ウェイゼル様の子だよ」
「おまえはどうしてそういうわけの分からない友好関係を……だいたい、それとこれに何が関係ある」
カロンはちらとヒルトアリスを見た。彼女は熱に浮かされたようにカロンを見ている。
──な、なんなんだ!?
「彼女は天然の精霊使いだ」
「は?」
「つまり君たちが彼女に惹かれるのは、精霊をより強化した存在、神の血ゆえなのだよ。つまりは恋ではなく、精霊が特定の人間を好きだと思うのと同じだ」
ハウルはヒルトアリスを見た。人前なのでクロフは姿を消しているが、存在はここにある。
「ちょっとまて。私は確かに風神様の血筋だが、何代も前の事だぞ」
「だから君には神の力などない。むしろ、いらないところでその血を受けついでいる。それが、その感覚だよ」
ロアールは戸惑ったようにヒルトアリスを見つめた。ハウルもつられて見てしまう。
彼女はこの国で出会った中では、誰よりも美しい。他の国で出会った美女とも甲乙つけがたい。しかしハウルにとって顔は重点ではない。性格、料理の腕。
しかし──。
「べつに恋だろうがなんだろうが、私は彼女を見ているのが好きだ。出奔したお前にそれをとやかく言う権利はない」
カロンはくつくつと笑う。
今まで流されていたハウルは、今こそ活躍の時ではなかろうかと思い、立ち上がろうとした。
ハウルも、彼女の気を引ければ他はどうでもいいという気持ちだった。
「ヒルトアリス、君はどう思っている?」
ハウルが立ち上がる前に、カロンはヒルトアリスに問いかけた。出鼻をくじかれ、カロンを睨む。
「私は……」
「恥じる事はないよ。私も最近は地神様のご一家に応援されていてね」
「まあ……地神様ともお知り合いなのですか」
「まあ、地神様とは仲良くやっているな。基本的に、金属を司る私はあの方との相性がいい」
もう一人、火とも相性がいいはずだが、火神のことは苦手としているらしいが。その分、アミュと仲良くしているのだろう。
カロンは立ち上がり、ヒルトアリスの正面に移動すると、彼女の額を撫でた。
「ヒルトアリス、君はこのままでいいのかい? 確かに世間の風は冷たいが、時に招き入れてくれる暖かい家もある」
ヒルトアリスの目尻に涙が浮かぶ。こぼれ落ちる前にそれはカロンの手でぬぐい取られる。
「貴様、女には目も向けなかったくせに……」
「後生ですから、私の可愛い妹には何もしないでください。お願いです。その子だけは」
顔色を変える二人を──アリスディロンを見て、ハウルは若い頃の彼は相当無茶をしていたのだと確信した。そして、実はかなり成長したのだと感心した。
彼を振り回したラァスや、自分に興味のない女性ばかりに囲まれているのが良かったのかも知れない。
「ヒルト」
「はい、カロン様」
ヒルトアリスはこくりと頷き、カロンに手を取られ立ち上がる。
「殿下」
ヒルトアリスはロアールの座る椅子の前に跪いた。
「私は、殿下に嫁すことはできません」
「なぜだ」
「思う方ができました」
「まさか……この男を!?」
「いいえ。カロン様のことは心から尊敬しますが……私がお慕いするのは……」
彼女は振り返る。ハウルと目があった。みぞおちのあたりに嫌ではないぞくぞくとする感覚がわき起こる。
「私は」
彼女は頬を染めてのハウルから目をそらす。その先で、ラフィニアがヴェノムに与えられた柔らかい焼き菓子を食べていた。
「私が好きなのは、こちらのヴェノムお姉様です」
その場が凍り付く。今まで我関せずラフィニアと遊んでいたヴェノムは、のんきにあらとつぶやいた。
「私は、どちらかというと女性の方が好きなんです!」
ロアールはあんぐりと口を開き、アリスディロンは貧血を起こしたのか倒れた。
「ちょ……ちょっとまてい!」
たまらずハウルは立ち上がる。
「ハウルさん……ハウル様」
「呼び方なんてどうでもいい。それよりも、このババアは、俺の祖母だぞ!」
「そうですよね……お姉様ほど素敵な方なら、素敵な方とご結婚させていますよね」
「私は独身二十三歳です」
言わなくていい事を本人が言う。
「え……」
「私は二十三歳です」
「はい」
彼女はヴェノムの言葉に頷き微笑む。
「立派だよ、ヒルト」
「ありがとうございます、カロン様」
「様はいらないよ。私たちは同志ではないか」
「まあ……ではお兄様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「もちろんだよ」
「いやだぁぁあ!」
頭をかき乱すアリスディロン。固まったままのロアール。アリスディロンはカロンを兄と呼ぶ妹の姿がより衝撃だったかも知れない。
「ババア! 何考えてるんだ! なんというか、お前いいのか!?」
「彼女はまだ若いのです。そのうち熱も冷めるでしょう。もしも本気なのでしたら、それはそれで」
「いいのか!?」
「女性は初めてですが」
「うがぁぁぁぁぁぁあ!!」
風神の影響か、恋人がいないと貞操観念の緩い彼女は平然と言う。ヒルトアリスは嬉しそうに頬を赤らめる。
「嫌ですね、冗談ですよ」
「冗談なのか!?」
いつも真顔だから、冗談と本気との差が時々見極められない。
「恋愛とは、相手に同情してするものではありません。お互い、お互いを知り、愛が芽生えれば恋人になります。その手順を踏まないで、軽々しく言うはずがありません」
「お前の言う事は当てにならねぇよ!」
可愛かったから許してしまった、テリアという前例がある。
「ハウル君、落ちつきたまえ。君にヴェノム殿の恋愛に口を挟む権利はないよ」
「なんで俺の回りはこんなんばっかなんだっ!?」
運命の神よ、教えてくれ。そこまで考え、時の女神の化身を思い出す。彼女は現在とささやかながら未来に干渉する程度の力しかなく、現在とは運命の決定を意味するものだ。彼女はまさに運命の女神。
──俺の回りは、本当にこんなんばっかだな。
「……俺は、またこんな理由で振られるのか……」
「ロアール様。妹二人がとんでもない相手に惚れた私は、どうすればいいのでしょうか」
カロンとヒルトアリスに振り回された二人の貴公子は、互いに手を取りカロンと盛り上がるヒルトアリスを眺めた。
ハウルも、馬鹿らしくなりやがてそれに加わった。
次の日。
「素敵なお城ですね」
不気味な新居を見上げ、ヒルトアリスは感激した。
彼女にとって、ヴェノムのものと言うだけで白亜の城に見えるのだろう。
「悪霊の巣窟だけどな」
「悪霊?」
「気にするな」
そのうち嫌でもわかる事だ。
「それに素敵なお庭」
「ヴェノム殿とハウル君が手入れをしているのだよ。使用人はいないからね。その分気が楽でいい」
「まあ、お庭の手入れを? 庭師でなくても、そんな事ができるのですね」
「ははは。君もゆっくりと世間を知るといいよ」
カロンはヒルトアリスに微笑みかける。端から見れば恋人同士だが、実際にはよくわからない絆で結ばれた『友人』らしい。
「それに、なんてたくさんの精霊がいるんでしょう。目が回りそうです」
「ひょっとして、全部見えているのかい? それは辛いな。あとで君のために力を封じる眼鏡を作ろう」
「そんなことができるのですか?」
「物作りは、私の唯一の特技だよ」
謙遜にもほどがあるが、カロンの中で突出しているものといえばそこになるだろう。
「しかし、君の精霊使いとしての素質は素晴らしい。本当はこんなに大きくなった子を弟子にする魔道師はいないのだよ」
「精霊が見える事でヴェノムお姉様の側にいる資格ができたのですね。嬉しい」
「応援するよ」
その辺りで、ハウルは切れた。
「あ、ラァス。え? 忙しい? いいから聞けって。実はさぁ、カロンのヤツ、お前以外に男がいてさぁ。そう、女顔の美人なん……」
「ハウル君!」
背後から口を押さえられたが、ハウルはその腕をすり抜け、カロンがついてこれる一定の速度で、思いつくすべてをはき出すまで話し続けた。ラァスは気のない相槌を打っていただけなのだが、カロンの動揺が実に愉快であった。
また騒がしい毎日になりそうだ。