3話 幸運のある森で



 深い緑。
 緑緑緑緑緑。
 そこは緑に溢れている。
 緑の光が通り過ぎる。それは暖かく優しい。
 笑い声が響く。それは踊り出したくなる歌。
 その下には、薄紅の花が咲く。
「ねーちゃん、来たぜ」
「分かってる」
 光は散り散りになり、木々や草陰に隠れる。光をおさえ、小さくなって。
「大丈夫。あんた達はそうやってるんだよ」
 光は一瞬姿を見せて、再び隠れる。
 彼女はその場を後にした。


 部屋にはいると、ヴェノムが荷支度をしていた。化粧は派手だが不自然にならないよう、芸術的な色の配置だった。ラァスの顔まで変わる化粧とはまた別の意味で驚かされる。これほどおかしな化粧なのに、なぜ違和感がないのかと、ハウルは腕を組んで考えた。
 赤い唇は深紅の薔薇のような色だが、彼女にはそれがふさわしい。パープル混じりのアイシャドウは、彼女の妖しい雰囲気によく合っていた。
 つまり彼女は元々妖しいので、多少追加したところでその雰囲気は壊れないと。そういうことか。
「どうした、やる気満々だな。どこに出かけるんだ」
「昔の弟子のところへ」
「お、男……か?」
「女性です。なぜ男性のところへ行くのに気合いを入れるのですか」
「いやむしろなんで弟子のところに行くのに気合い入れるんだよ」
「昔の弟子の前では恰好をつけたいものです。師は偉大でいたいではありませんか。身体だけが目当ての男などどうでもいいのです」
「……そーかよ」
「ハウル。あなたは女性を常に化粧させているいい男になりなさい」
 なんと答えていいのか悩んでいると、背後でぱたりと音がした。振り返ればヒルトアリスが顔を覆って嘆いていた。
「ど、どした?」
「申し訳ありませんお姉様。私は、私はお姉様をお慕いしていると言っておきながら、化粧の一つもせずに暮らしていました。恋する者として失格でした」
 彼女は大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら言う。相変わらず涙腺が緩いようだ。ハウルも彼女の涙を見ると、いても立ってもいられないのは変わらない。
「気にすんなよ。こんなすれたババアの言う事なんて。お前は若いんだから化粧なんていらねぇよ」
「お姉様はすれてなどいらっしゃいません。大人なだけです」
 彼女は涙を拭いながら言う。そんな彼女にヴェノムは手をさしのべた。
「若さとは武器です。大切になさい」
「はい、お姉様」
 彼女はこくと頷き、そして立ち上がる。ヴェノムはハンカチで彼女の顔を綺麗にして、そっと頭を撫でた。
「いい子です」
「お姉様……」
 彼女は頬を赤らめ、頬に手を当て幸せそうな表情を浮かべた。そんな彼女を見ていると、ハウルも幸せになる。
「ところで、誰のところに行くんだい、ヴェノム殿」
 ヒルトアリスの背後、部屋の入り口で恰好つけて立つカロンが言う。ラフィニアが頭にまとわりついていなければ様になったのだろう。
「アヴェインのところに」
「薬師の? 前にラァス君達に頼んでいたが」
「アヴェンダは今、体調を崩して実家の方にいます。店の方は弟子に任せているらしいので、お見舞いがてらに薬の材料とバラを届けに行きます」
 ヴェノムは机の上に置かれた白というよりも風精の纏うのに近い銀色をした不思議なバラを示す。始めは朝露が光っているのだと思っていたバラである。
「このバラの名は?」
「まだつけていませんが、ハウルに関係した名をつけようかと」
「まて。俺が女ならいざ知らず、男の名前を花につけんじゃねぇよ」
「ではハウラということで。これならばれません」
「つけてんじゃねぇよ。バレるだろ、オヤジとかラァスとかには」
 ヴェノムは視線を逸らし、バラを抱えて沈黙する。長年の経験から、寂しがっていると予想がついた。
「もっとあるだろ。風関係なら別に他でもいいだろ」
「仕方がありません。エリヴィッシにします」
「意味は?」
「風の乙女と呼ばれた女性の名です」
「始めからそっちにしておけばいいだろ」
 ハウルはため息をついてヴェノムからバラを取り上げる。手ぶらになったヴェノムは薬草を包んだ布を手にし、今度はカロンがそれを取り上げる。女に荷物を持たせているようでは男失格である。
「行こうかヴェノム殿」
「行くのですか?」
「アヴェインの名は私でも知っているほど。一度お会いしたい」
 ヴェノムはヒルトアリスを見るが、彼女は当然ヴェノムの側を離れるつもりはない。
「くれぐれも、大人しくしていてください」
 ヴェノムは仮面を手袋と装着し部屋を出る。


 のどかな村だった。
 人々は秋の恵みを喜んでいる。いい土にいい風いい水の気配がする。ごく普通の農村に見えるが、作っているのは魔法薬にも用いられる高価な薬草である。その薬草に宿る魔力が心地よい。酒に酔う気分と似ている。
 しかしそうなる原因が父親の血のせいだと思いつき、ハウルは何もかも忘れてこの心地よい雰囲気に浸る事にした。
「いいところだなぁ」
「そうだな。珍しい薬草の産地としても有名だよ。西側に大きな森があって、そこに多種多様な天然の薬草が生えている。
 だからこんな小さな村だが、理力の塔支部がある。薬草は魔道師にとっても大切だからね」
 カロンの説明に、ハウルとヒルトアリスは頷いた。小さな村に、他の都市と比べると可愛いと思う小さな建物で、白い髭の老人がのほほんと笑って出迎えてくれた。
「なるほど」
 そんなのどかな田舎の片隅で、彼らはぼーっと立っている。
「ところで、俺たち何でここに立ってるんだ?」
「アヴェイン殿がヴェノム殿と密談をしたいというから、私たちは庭で花壇の手入れをしてせめてもの手伝いをしているんじゃないか」
 そしてやる事を終えて空を眺めていた。
 ──何のために俺たちは……。
 面白い植物がたくさんあるので、楽しいと言えば楽しい。元々は手入れされていたので、水をやったり肥料をやったり草を抜いたりと、やる事は少ない。
「散歩でもするか?」
「そうだな」
 カロンは近くにあった井戸で手を洗い始める。ラフィニアは芝の上に敷かれたカロンのマントの上すやすやと眠っている。いい時期だ。
「殿下」
 ヴェノムの呼び声がした。彼女は窓から顔を出してこちらを見ている。
「なんだい、ヴェノム殿」
「散歩に行くならお使いをお願いできますか?」
「何なりと」
 ヴェノムは寄ったカロンにかごと赤いずきんを渡す。
「かごはともかく、ずきんは……」
「ラフィに。可愛いでしょう」
「ラフィは何をつけても似合いはするが……ありがたく頂こう」
 カロンはすやすやと眠るラフィニアを抱き上げる。
「ずきんをかぶせてくださいね」
「なぜずきん?」
 ハウルはずきんに固執するヴェノムに問う。
「森は、いつ上から何が落ちてくるかわかりませんから」
「……そんなに色々落ちてくる森なのか?」
「栗が落ちてきたら子供には危険ですよ。あなた達はほっといても平気でしょうが、殿下は肉体的には普通以下ですから」
 ヴェノムの言葉にカロンは何か言いたげに口をぱくぱくさせた。彼女の普通のラインは、一体どこにあるのだろうか。
「お兄様、ファイト」
「一般人以下か……私もまた身体を鍛えるよ。これでも昔は体力のある弟達にいじめられないよう、努力したものだよ」
「お前、努力ですむ相手じゃなかった気がするんだが」
「昔はまだ普通だったんだよ。体力があって兄を振り回す可愛い弟だったんだ」
 可愛いには可愛かったのだろう。中身は皆どこかぶっ飛んでいるが、見た目はいい一族だ。
 カロンはラフィニアにずきんをかぶせた。ラフィニアは一瞬だけ目を覚ましたが、すぐに眠る。ずきんは本当に可愛かった。
「で、どこに行けばいいんだい?」
「家の前の道をまっすぐ行けばいいですよ。そうしたら、人がいますから。その方達に従ってください」
「了解した」
 ハウルはカロンからかごを受け取る。最近ラフィニアは重くなり、抱き上げ続けるのも一苦労らしい。


 スリングを使いラフィニアを抱き、カロンは不安定な森の道を行く。スリングとは、肩から斜めにかけて子供を背負ったり抱いたりする負んぶ紐の一種である。
「よく寝るな」
「寝る子は育ちます。寝顔も可愛い」
「寝ている子はけっこう重いのだよ。いつもならしがみついてくれるから楽なのだが」
 カロンはラフィニアを抱き直し、ぷにぷにとした可愛い頬にキスをする。
 森の鳴る音を聞きながら、深淵の森とはまた違う森の香りを楽しんだ。調整中のノーラも連れてこれば良かっただろうか。
「なんか、いい感じがする」
 ハウルが周囲を見回した。何かいるのだろうかと思っていると、彼は手を差し出した。その手の上に、緑色を帯びた光が落ちてきた。
「これは……」
 カロンが目を見張ると、ハウルが勢いよく手を引いた。そのまま背後に跳び退り、ヒルトアリスはカロンの前に出て鞘に収まったままの剣を振るう。
「な、何だ!?」
 ヒルトアリスの足下に、割れたどんぐりがころと転がった。
「んだてめぇ」
 ハウルは空を仰いで怒鳴り、風で周囲の空気を吹き飛ばす。その時初めて、カロンはまかれていた何かに気づいた。
 目に映る景色が鮮明になり、いくつもの気配が現れる。
「幻惑剤か」
 カロンの言葉に、舌打ちする音が聞こえた。ラフィニアをマントでかばい、周囲を伺う。
「妖精から離れなっ!」
 振ってきた声に、緑の光──妖精はおろおろと周囲を飛ぶ。
「子供を使って妖精をおびき寄せようなんて、いい度胸だね! これ以上そいつに近づいてみな。今度は鉛玉をぶち込むよ!」
 声は木の上からした。力強い子供の声。口調と声から女の子だと察する。子供を使ってというのは、ラフィニアのことだろう。妖精は子供を見ると寄ってくる習性がある。今回は神の気配があるハウルの方に強く引かれたらしいが。
「待ちたまえ。誤解だ」
「消えな。その妖精は人間が手を出していいもんじゃないよ。身の程をわきまえな」
 なんだろうかこの既視感は。
「聞けよ。俺はアヴェンダばーちゃんの使いだよ。知ってるだろ」
「ばーちゃんの?」
「ああ、薬もらってこいって」
「聞いてないね」
「知るかよ。俺はただ言われたから来ただけ……」
「ふあぁぁぁぁぁぁぁああ!」
 突然ラフィニアが泣き出し、ハウルは言葉を切る。カロンは彼女をあやす。しかし彼女はもぞもぞとして羽根を動かそうとする。仕方がないのでひも付きリュックを背負わせ空を飛ざせた。
「おおう!」
 ラフィニアは妖精に手を伸ばす。妖精は楽しげにラフィニアの周囲を飛ぶ。
「可愛い。お兄様、あれが妖精さんですか」
「ああ。緑に輝くのはとても珍しい。緑の光の妖精は幸運を呼ぶから乱獲されて絶滅寸前だ」
「幸運を?」
「ああ。幸運の元である羽根が高値で取引されるんだ。ささやかな幸運に過ぎないが、それでも幸運とはいくらで払ってでも手に入れたいらしい。ラフィの一族と同じ道を歩んでいる不運な妖精だよ」
 ヒルトアリスはうつむいた。正道しか知らない彼女にとって、世界の闇は辛いだろう。
「有翼人……なぜ」
 少し離れた木の上から、小さな影が落ちた。
 男の子のように髪の短い少女だ。迷彩シャツを身につけている。特筆すべきはその体型だろう。
「メディアが見たら怒りそうな」
「確かに」
 小柄な少女だった。メディア並みの身長だった。顔だけを見れば少年のような印象を受けるが、身体のラインは立派に大人の女性だった。
「胸でかいな」
「か、可愛いっ」
 ハウルとヒルトアリスは違うところを見ていた。彼女は小柄なので、胸が強調されて見えるのだろう。ヒルトアリスは女性に対しては褒め言葉以外を口にした事はない。ふくよかな中年女性に対しても『素敵なおばさま』というのが彼女である。
「は、はじめまして。わたくし、ヒルトアリスと申します」
「……あ、アヴェンダ=アヴェインよ」
「え…………と……アヴェンダ=アヴェインさん?」
 ヒルトアリスは首をかしげた。
「名前はばーちゃんにもらったのよ。ばーちゃんってもひぃばーちゃんだからすぐにくたばるとでも思ったんでしょ。おかげでややこしいわよ」
 と言って彼女はラフィニアを見上げた。
「絶滅したんじゃないの」
「最後の一人かもしれないね。私の可愛い妹だ」
「どうして紐でつないでいるの」
「こうしないと遠くへ行ってしまうだろう。子供の一人飛びは危険だ」
 ラフィニアは妖精に興味を持ち、捕まえようと追いかける。妖精は紐の届く範囲をひらひらと飛びラフィニアの気を引いて遊んでいる。
 それを見て、森の方から小さな囁き声が聞こえた。
「ねーちゃん」
「アーヴェ、そいつら悪い奴らじゃないのか?」
 森から子供達が次々と姿を見せた。その手には武器のスリング(パチンコ)や弓を持っている。原始的な手作りから、有名メーカーのものまで様々だ。
「な、何なんだ、ちびっ子レンジャーはっ」
「か、可愛い子がいっぱいっ」
「やっぱりお前、女なら誰でもいいんだろ」
「ち、違いますっ! 男の子も可愛いです!」
 ヒルトアリスの言葉はまさしくその通りだった。
 下は推定五歳児、上はせいぜい十四、五歳。そんな子供達が総勢二十人ほど迷彩服に身を包み、妖精を守ろうと武器を構えているのだ。
 健気な姿は実に愛らしいく美しい。
「こんな男が大ばあちゃんの使いだなんて信じられるか!」
「じじいならともかく、こんなキザったらしい若い男が来るもんか!」
 子供達の言い分にカロンはくすくすと笑った。
「年齢は関係ないよ。アヴェンダさんと知り合いなのは、彼のおばあさんだからね。私たちはただの連れさ」
「大人なんて信じられるかっ」
 カロンの言葉には聞く耳持たず、少年の一人が威嚇射撃をする。木の実ではなく石がカロンの横を通り過ぎた。
 少年を見れば、十歳ぐらいの将来はなかなかハンサムになりそうなまだ幼い子だった。
「可愛いな」
 必死になる姿というのは、笑顔の次ぐらいに可愛い。カロンの言葉で少年の頬に朱が混じる。そんな顔もまた可愛い。
「やめな、ロウラ」
「でも、ねーちゃん。大人なんて自分の利益しか考えてない生き物だぞ!」
「いいからやめな。あんたじゃ魔道師相手に喧嘩売ると、怪我するどころじゃすまないよ」
 ロウラと呼ばれた少年は頬をふくらせまた。
 ──……ああ
「ひっょとして、女の子かい?」
「ったりまえだ!」
 ロウラは元気よく食ってかかってきたが、その他の子供達には動揺が走る。超能力者かとか、選別のプロかとか、大人ってすげぇなどという言葉が聞こえた。
 言われた本人はたまったものではないだろう。
「うっせぇ!」
「いけないよ。女の子がそんな乱暴な言葉を使っては」
「よけーなおせわだ!」
 小さなうちはこれでも可愛らしい。大きくなれば、アヴェンダぐらいにはなるだろう。
 見上げると、ラフィニアはまだ妖精と遊んでいる。彼女は動くものが好きだ。今は言葉もほとんど話せずすべてに置いて愛らしいが、将来はどうなるのだろうか。表情や思想はともかく、ヴェノムやヒルトアリスのように上品な女性に育ってほしい。そう思うのは親のわがままだろうか。兄だが、親代わりである事には変わりない。
「あの有翼人はどうしたの」
 アヴェンダはラフィニアを見上げて言う。何人もの妖精達が集まってきていた。彼らはハウルやヒルトアリスにも好感を持ったらしく、彼らにもたかっている。
「私が授かった」
「どういう意味よ」
「始祖という言葉を知っているかい」
「始祖……なるほど。妖精達も害はないって言ってるし、信じてあげるよ」
 アヴェンダはスリングを腰のベルトに挟み、唇を笑みにする。大きな目をした可愛い女の子だ。癖のある茶の髪が彼女によく似合う。メディアは貴族の飼うような上品な猫の印象だったが、彼女は山猫の印象だった。
「そういえば名乗ってなかったね。はじめまして、私はカロンだ。上の子はラフィニア。あちらのキラキラしている子がハウル君で」
 ヒルトアリスを指し示そうとした瞬間、彼女の姿がかき消える。周囲を見回すと彼女は神業的な早さでアヴェンダの手を握っていた。
「ヒルトアリスと申します。よろしくお願いします」
「よ、よろしく」
「あの……あの、ぶしつけですが、お友達になってください!」
 カロンは彼女の行動力に驚いた。ハウルは呆れて瞬きすら忘れて見入いる。
「別にいいけど」
 アヴェンダは彼女の行為の意図を理解できず、戸惑いを隠せない様子で頷く。可愛い女の子は怪しまれる事もなく得である。
「ありがとうございます」
 あの笑顔を見れば、多くは騙されてしまうだろう。もちろん彼女のそのような意図などないのだから当然だ。
「止めなくていいのか?」
「そうだね。そろそろラフィを呼ぼうか」
 間違って妖精を握りつぶしてしまう前に。


 意図があるのは分かった。ヴェノムが狙ったのは、彼らの対処だったのだろう。直接言えばいいのに、危険がないから言わないというのが彼女らしい。お使いは、目的を言ってこそお使いだというのに。
「で、なんでお前らみたいなガキがこんなことしてるんだ?」
「大人が当てにならないからさ。この地でいい薬草が取れるのも、こいつらのおかげなのに、あいつらは妖精を狩る奴らを止めない」
「止められないんだろ」
 今、ハウルらは子供達が木の上に作った小屋の一つにいる。子供達の遊び場だったらしいが、今では隠れ家として役に立っている。見上げれば一目瞭然だと思われるだろうが、薬師として知識があるアヴェンダが幻惑薬を振りまいているので、存在を知って見ない限りは認識する事ができない。この薬は誤魔化しに過ぎないが、魔道師以外にはこれで十分だ。
 小屋の中は敷物とクッションがあるだけの簡易なものだが、男勝りのアヴェンダが管理しているのだからこんなものだろう。
「そうだよ、止められないんだよ。相手はこの森の持ち主だからね」
「持ち主、誰だ?」
「領主のクソヤローよ」
「私利私欲に走ってんのか。最悪だなそいつ」
「親は良かったのよ。ドラ息子に替わってから最悪! 妖精の事を知るや否や、虫を取るように、同じ言葉を理解する生き物を捕らえようとすんだよ!」
 アヴェンダは怒りに肩を震わせ、床に拳をたたきつけた。そんな彼女を心配して、妖精達が集まってくる。
 ──いいヤツだな。
 警戒心が強いのも、この小さな妖精達のため。森に潜み狩人を追い払う彼らは、尊敬に値する。子供ならではの無謀にしては、内容も濃い。
「でも、暴力で追い払ってりゃ相手は暴力で反撃してくるぞ」
「分かってる。忘れたくなるような思いをさせてやるぐらいしなきゃダメなんだけど」
 アヴェンダは唇を噛んだ。殺してはいけない。手加減もできない。そんなとき、力なき者にできる事は少ない。そんな彼女を見ていると、どうにもやるせなかった。
「カロン、どうにかしろ」
「私にどうにかしろと言われても、どうにかできそうな人たちは今忙しいし、今のこのこと私が表に出れば、混乱しか起こらない」
「権力じゃなくてさ、仮にも賢者なら知恵出せよ」
「うーん……魔物型のガーディアンを置くとか?」
「すぐにできるのか?」
「基本はノーラの時にできているから、一ヶ月もあれば」
 普通どこからか調達するものだろうが、彼の思考は『賢者』としての彼に切り替わっていて、かなり特殊であった。
「あいつら、日に日に護衛を増やして毎日来るんだけど」
 アヴェンダは言う。カロンが一から生物を作っている時間はなさそうだ。
「すぐにできる事……いっそハウル君の父君を少し置いておくとか」
「俺の親父をなんだと思ってるんだ。そんな事したら危ないだろ、アヴェンダとか。あいつは絶対に好きだぞ、この手のタイプ」
「すまない。軽率だった。ならばクロフ殿はどうだろう。高位精霊に逆らう愚かな人間はそうはいないぞ」
「馬鹿がそんなこと気にすると思うわけ? ああいう多少権力を持っているヤツは、神も妖魔も恐れないんだよ。恐れるのは権力だけ」
 アヴェンダの言葉にヒルトアリスは首をかしげた。天然精霊使いの彼女には、理解できない感覚だろう。彼女は血筋もいい。いい教育を受けているから信心深い。
「あたしらは今まで姿を見せずにやってた。幻覚を見せながらだから、たぶん魔物の仕業だと思ってる。でもそろそろ限界だね」
 彼女は言って爪を噛む。彼女の肩に妖精達が座る。
「だめよ」
「いたいよ」
 妖精達が彼女をたしなめる。
「大丈夫だよ。痛くないから」
「形が変わるよ。ダメダメ」
「ごめんね、わたしたちのために悩ませて」
「馬鹿言ってんじゃないよ。これはあたしたちの問題なんだ。あんた達は巻き込まれてるだけだよ」
 妖精達は光を振りまくように飛び、アヴェンダに大して愛情を示す。
 ──素直じゃねぇなぁ。友達のためだって言えばいいのに。
 しかし言葉を飾り立てない分、彼女には真実があり、好感が持てる。言葉を飾り立てる者は信用ならない。
「うぅん。ならばこっそり暗殺するというのはどうだろう」
「お前が?」
「いや、暗殺者の知り合いならたくさんいるぞ」
「そーいやいたな。でも却下」
 殺したら殺したでまた問題が起こる。それは最後の手段だろう。しかも、この場合は呪い殺すのが一番いい。そうすれば、手出ししてはならない場所に手を出した祟りという風に噂を広める事もできる。
 しかしそうなるとその場合、カオスに頼むのが一番になる。彼なら自然死のような呪殺を事も無げに行う。それは、極力避けるべきだろう。それでいいのならヴェノムが行っているはずだ。
「なぁ、妖精のことはどれぐらい知られてるんだ?」
「知られてなんていないよ。村の連中も信じてないヤツがいるぐらいだよ。この子達は滅多に姿を見せないからねぇ。
 あのボケがこの子達を知ったのは、道に迷っていたところを助けられたからだって言うのに。まったく、恩知らずなヤツだよ!」
 アヴェンダは怒りに任せて床を叩く。ヒルトアリスがその手を取り、そっと撫でた。アヴェンダは奇妙なモノでも見るように、彼女の行動を観察する。頬に大粒の涙を伝わせる、ヒルトアリスを。
「何を泣いてるんだい」
「なぜでしょうか」
 彼女の涙腺は驚くほど緩く、時々空を見ているだけで泣く。それを知らないアヴェンダは、ふんと鼻を鳴らし顔を背けた。
「まだ泣くような事にはなってないよ。させやしない」
 ぶっきらぼうに言う彼女を見て、ヒルトアリスは頬を朱に染めうつむいた。
 ハウルは仕方なく、ヒルトアリスの後ろ襟を取り、アヴェンダから引き離す。
「変なヤツらだね」
 片目を歪めて笑う彼女は、野性味溢れて魅力的だった。
 ハウルはぼーっとそれを見ると、頬をふくらませたヒルトアリスに頬をつつかれる。
「んだよ」
「なんでもありません」
 彼女はつんとして横を向き、しばらくすると再びアヴェンダを見つめた。


back       menu       next