4話 剣持つ死霊術師


 平和とは何だろうか。
 ここは戦場だ。
 ああ、戦場だ。戦だ。女達の戦いだ。
「覚えがあるか、カロン」
「ああ覚えているさ」
 思い出すと気が遠のきそうである。
「あの時は焦げたシチューだったな」
「毒一歩手前の痺れる味はなんだったんだろうな。私はあの謎が解けなくて、ずっと本人に聞きたくてたまらなかった」
「ふふん。俺の母さんの料理は毒物そのもの。あの程度軽い軽い」
「では私の分も食べてくれ」
「毒物としてみれば軽いけど、料理とて見れば不味いものは不味いし、母さんのは一撃必殺で意識が飛ぶ。味覚ないから、なんか変なもの入れたがるんだよ」
「そうだったね。ああ、焦げてるだけならいいんだが」
「スミはまずいが、吐くほどじゃないからな」
「吐けないよ、本人の目の前じゃあ」
 どうしたら、この強烈な匂い放つものから逃げられるか、二人は考えていた。考えていたが、次第に胃袋の調子を心配するほどには諦めていた。
 それでもハウルは何とかならないかと周囲を見回し、わらにすがる思いで救いを求め、そして立ち上がる。
「よし、釣りに行こう」
「現実逃避かい?」
「お礼っつって自分で作る。ちょっと作りすぎて自分でも食べる」
「しかし食べなければいけないことに変わりはないぞ」
「ああ、なんでこうなる!? アヴェンダなんて、薬師のくせに、なんで料理ができない!? それともヒルトがそれを台無しにする程度は母さん寄り!?」
 だとしたら、救いようがない。もちろん彼女には母と違って味覚はある。だからとんでもない領域のことはしないだろう。
「ラフィにだけは食わせるなよ」
「誰がそんなことを! この子がショックで寝込んでしまうじゃないか!」
「そこまで言うか」
「それが親心というものだよ。兄を名乗るとはいえ、育てているのは私だ。私が育ての親として、しっかり管理せねばならない」
 まだ兄と言い張るのはやめないが、親としての自覚は十分だ。ラフィニアと言えば、先ほどからルートと遊んでいる。最近は積み木がお気に入りだ。時々ルートがそれで殴られているが、ラフィニアはなでなでしているつもりだろう。幸いルートは竜族で頑丈だ。積み木で殴られる程度では痛くもかゆくもない。
「ルート、お前も食ってみるか?」
「生野菜が好きだからいらない」
 肉がたべられないわけではないが、白竜の多くは好んで植物を摂取する。そのため、白竜は竜族の中では小柄な部類だ。彼の爪や角は身を守るためにあるが、牙はあまり発達していない。水竜などの肉を好んで食べる竜に比べての話だが。
「いいな、お前は」
「人間は大変だね」
 ルートは言いながら倒れかけた積み木をしっぽで修正している。できればずっとこの微笑ましい二人を見ていたい。
「しかし人間に冬眠はないぞ。冬は冬の楽しみがある」
「俺もそろそろ冬眠しなくていいかもしれない。冬眠するのは生まれたばかりの竜だけらしいから、赤ん坊は卒業していいと思う。もっと寒くなって、眠くなってきたら冬眠するけど、ならなかったらハウルと一緒に行きたい」
 健気な発言に、ハウルは自分の育て方について確信した。実にいい子に育った。
「そうだったな。君も少しだけ大人になる時期か」
「赤ん坊が幼児になる程度の話だよ。竜は人間みたいに成長が早くないからね。ラフィニアはもっと早いけど。俺、あっという間においてかれそう」
 無心に積み木を摘んではくずしているラフィニアを見つめるルートは言う。
「しかし有翼人は長寿の種だ。一度は抜かされても、そのうち追いつ……」
 カロンは突然言葉を切る。
 匂いがする。どれだけのスパイスを入れたのかと思うほど、すさまじいにおいの物体がこちらに近づきつつある。
「ここまでか」
「俺ちょっと散歩に行く」
 ルートは角のカバーで鼻を押さえ、ラフィニアにくくりつけたひもを口にくわえて窓から飛び出ていった。
 これでラフィニアの安全だけは確保された。
「に、逃げるか」
「そうだな。二人には悪いが、ヴェノム殿が帰ってくるまで隠れて待つか」
「逃げんじゃないよっ!」
 アヴェンダの声と共に、ドアが乱暴に開かれた。正体不明の匂いが二人の鼻を直撃する。
「……何をしたらこんなにきっついのが」
「仕方ないでしょ。このお嬢様、あたしが分量をきっちり量ってレシピ通りに作ろうとしてるのに、勝手に目分量で入れるのよ」
 やはりヒルトアリスの仕業だった。よく見れば二人ともマスクとゴーグルをしている。内心ずるいと思った。
「目分量で入れたからって、なんでこんなことに」
「ケチャップとタバスコ、見た目は似ているわね。あたしが目を離している隙に、ほぼすべてそんなところで間違えてくれたんだよ」
 彼女の話し方からして、アヴェンダは何もかもきっちりと分量を量らないと気が済まないタイプだ。彼女の性格は大ざっぱだが、薬師という職業がらレシピには忠実なのだろう。
「これ、どうしたらいいんでしょうか?」
 ヒルトアリスの方はと言えば、半泣き状態で悪臭はなつ鍋を抱えていた。一瞬思わず慰めに行こうとしたが、この強烈な匂いが彼女の魅了に打ち勝った。ハウルは我に返り、ハンカチで鼻と口を覆い、そっと鍋を受け取る。息をすると気分が悪くなるので、呼吸するのをやめる。父の血のせいか、一時間ぐらいなら息をしなくても彼は意識を保っていられる。このときばかりはそれに感謝し、顔をしかめながら最近近づいていなかった裏庭に行った。
 閑散とした裏庭を懐かしい気持ちになりながら辺りを見回す。
「ローシャ、肥料やろうか」
「人の墓の上に危険物を捨てないでぇぇえ!」
 現れたローシャが半狂乱になって拒否する。女の子はきれい好きだ。ゴミを捨てられたらイヤなのだろう。
「んじゃ井戸の中に」
「その湖とつながってるから苦情が来てもしーらね」
 死人かつ精霊のくせに、顔色を悪くしたマースが井戸の方から叫んだ。
「ちっ」
 迷いに迷ってブリューナスの元に行こうとしたが、妙な圧迫感を感じてやめた。
「んじゃ、匂いがマシになるまで置いとくから。んじゃ」
 背後から聞こえる非難と罵声は気にせず、ハウルは屋敷の中に戻っていく。ちなみに、誰もついてこなかったのは、当たり前だろうか。
 それからハウルは、仕方なく自分で夕食を作り、カロンがキッチンを片付けた。
 知人のところに一人で行ったヴェノムが帰ってくるのは、明日の朝である。


 朝。
「いいかぁ、フライパンが暖まったら油をしいて、それから卵を入れンだぞ」
「はい」
 ハウルの言葉を真剣に耳を傾け、ヒルトアリスはフライパンがほどよく暖まるのを持つ。
「煙が出てきたら暖めすぎだからな」
「はい。煙出てますが」
「んじゃやれよ。おかしいと思えよ」
「は、はい」
 ヒルトアリスは慎重に油をしき、行き届いたかどうかの確認も怠らない。ここまではいいだろう。そしてここが一番の山。
 こんこんと卵をまな板の角で叩き、そして中身を投下する。
 じゅ。
 小気味よい音が耳に触れる。白身がぐつぐつと沸騰するように泡立ち、透明だったものが一瞬で白くなる。しかしそれは下の方だけで、上の方は透明なまま。黄身に至っては何の変化も見えない。
 ヒルトアリスは火が通るのをじーっと待った。黄身はどれほど火が通ればいいのだろうか。彼女の食べた朝食では、どんな程度だったかと記憶をたどる。
「焦げてるぞ」
 言われてみれば、白身の周囲が茶色く──黒くなっている。
「えっ、きゃあ」
 ヒルトアリスは慌ててフライ返しを構えて、目玉焼きを救い出す。焦げ付いていて、何度か差し込まないととれず、そこから黄身が漏れ出てしまった。
 フライパンを温めすぎたのか、火力が強すぎたのか、両方か、ちらと見た目玉焼きの裏は無惨に焦げていた。
「ああ……私は目玉焼きすらまともに作れないのですね」
「初めてだろ。もう一度やりゃいいんだよ」
「でも、卵は鳥の命一つ。私は命に一つひどいことをしました」
 愛らしい鳥たちを、一匹無惨に殺してしまったのだ。彼女自身がもし食べられるなら、せめて綺麗に食べて欲しいと思う。こんな失敗して、なおかつ捨てられてしまったらと考えると悲しくなる。
「これは養鶏所で作った無精卵だ。元からひよこは生まれねぇ」
「でも昨日も肉を無駄に……」
「きっと、もう野生動物が食ってるだろ」
「そうでしょうか……」
 野生動物とは、あのように匂いのするものを食べるのだろうか。多少腐っているぐらいでは気にしないと聞くが。
「次は大丈夫だろ?」
 ハウルは気取らない笑顔でヒルトアリスを励ました。彼は他の男性と違ってそばにいると安心できる。それは精霊に似ているからではなく、この性格からなのかもしれない。
「はい、頑張ります!」
 今度こそ、皆のために目玉焼きを作るのだ。
 ヒルトアリスは再びフライパンに油をしいた。
 そして十分後。
 二人は四人分の朝食をダイニングに運んだ。自信のある目玉焼きをアヴェンダの前に差し出した。彼女はちらとそれを見て、匂いをかぐ。
「味付けはお好みで」
 調味料を差し出すと、彼女は塩をふった。
「この付け合わせは?」
「それ俺」
 目玉焼きを焼く隣で、彼はサラダ等を作っていた。
「そう。じゃあ安全だね」
「ごめんなさい……私は……私は……」
「うじうじ鬱陶しいね。いつまでも気にしてるんじゃないよ。人には段階ってもんがあるんだよ。気にしなさすぎてもダメだけどね、気にしすぎるのはやめな」
「はい。すみません」
「別に怒ってやしないから」
「怒っていらっしゃらないんですか?」
「ほら、食べるよ」
 彼女は一つに結んだ髪を後ろに払い、皿を引き寄せパンにジャムを塗る。
 一番焦げた目玉焼きは、ヒルトアリス自身が責任を持って食べることにした。


 ほとんどハウルが作ったであろう、ヒルトアリス作の朝食を食べ終えた頃だろうか。ダイニングのドアが開き、まるで葬式帰りのようないつもの姿をしたヴェノムが現れた。カロンは彼女の変わらぬ姿を見て立ち上がりかける。しかし行き先を告げていなかった彼女の背後には、小さな子供が……
「ヴェノム」
「はい」
「んだ、そのめちゃくちゃ怪しいガキは」
 怪しいと言われ、子供は顔を引っ込めてヴェノムのは背後でガタガタと震えた。
 ハウルが怪しいと言ったのには、明確なわけがある。その子供、背丈から十歳前後ほどだろう。その小さな子供が、民話伝承の中にあるような悪魔の面をかぶって、大人用の長剣を引きずっていたのだ。舞台的な派手なものではなく、場所と人によってはファッションで通るような仮面だが、子供がして似合うものではない。しかしそのサイズは子供用のものとしか思えないほどぴったりとフィットしていた。ヴェノムの背後にいると、まるで死霊親子である。夜中に見たらさぞ恐ろしいことだろう。
「んなの拾ってくるなよ」
「違います。数日お預かりしているだけです」
 その子供はヴェノムの背中から少しだけ顔を出す。仮面は片目だけにしか穴があいていおらず、綺麗な緑の瞳をしている。
「名前は?」
 アヴェンダが問うと、もじもじしながら答えた。
「き……キーディアです」
 どうやら女の子のようだ。恥ずかしがり屋なのか、ヴェノムの後ろから出てこない。仮面がなければ可愛いという印象を受けていただろう。もしくは、もっと普通の仮面なら。
「どうしたんだ、こいつ」
「知人の娘さんです。そろそろ大きくなったので、この城の中を見せてやりたいといわれ、預かってきました。アーライン家の次女、キーディアです」
 アーラインという言葉を聞いてカロンは少し考え込む。聞いたことがある。あれは……
「あのアーライン家?」
「そうです。殿下はご存じでしたか」
「一族の方に合ったことがある。私好みの美しい少年だったから覚えている」
「他の覚え方はないのですか」
「上流階級同士の付き合いは苦手でね。それ以外に興味は一切なかったんだよ。今は余裕も出て、ちゃんと人の顔を覚えるようになったが」
「そうですか。アーラインとも付き合いがあったのですね」
「一度だけだがね。彼らには信奉者が多いから、色々な場所に招待されるらしい」
 カロンは怯える少女に目線を合わせ、極力優しく微笑んだ。
「はじめまして、キーディア。私はカロンだ」
「ひっ」
 キーディアは逃げ出した。
 子供には好かれる自信があったカロンの中で、何かがもろくも崩れ去る。
「固まってんじゃねぇよ。お前の変態ぶりを感じ取ったんだろ。
 おーい。出てこいよ。菓子とジュース出すから」
 少女は戻ってきてドアの隙間からすこしだけ顔を出し、すぐに引っ込めた。
「ハウル君の乱暴さを感じ取ったのでは?」
「俺は平和主義者だぞ」
「自覚はないのか」
 そんな会話をしていると、今度はヒルトアリスが近づいていく。女性相手なら怯えることもないだろう。
「キーディアさん、一緒に遊びませんか?」
「ふぇぇえ」
 キーディアはついに泣き出し、廊下にいる誰かにすがりついた。よく見えないが、大人の男に見える。
 振られたヒルトアリスも泣き出したが、彼女の場合は常にあることなので気にする必要もない。
「ダリ、みんな恐い……」
 キーディアは泣きながら廊下の人物に訴える。皆平等らしい。
「なんだい、対人恐怖症かい。あんたたち、邪魔だよ。あっちにお行き!」
 アヴェンダはしっしと三人を追い払うそぶりをする。
「見ろ、キーディア。普通の人間もいたぞ」
「本当……よかった」
 わずかに開いたドアの向こうから、そんな会話が聞こえてくる。
「普通じゃない……って、私もか!?」
「ヴェノムは平気なのになんで俺たちが!?」
 そしてさらに泣くヒルトアリス。
 ヴェノムは三人を見回し、少し頷く。
「すみませんキーディア。彼らに害はありません」
「でも、神聖な光を放っています」
 キーディアの言葉は彼らにさらなる混乱を与えた。神聖でなぜ恐ろしいのだろうか。いや、ハウルとヒルトアリスは理解できるが、カロンのどこがどう神聖なのだろうか。ひょっとしたら、彼の背中にひっついているラフィニアが原因なのかもしれない。
「大丈夫です。中身はどちらかというと黒いです」
「ダリのようなものですか?」
「そうですね。似たようなものではないでしょうか。あの銀色のが私の孫のハウルで、黒髪の女の子がヒルトアリス。金髪の男性がカロン。背中の子がラフィニア。普通の子がアヴェンダです」
 キーディアはヴェノムに手を引かれ、再び部屋の中に戻ってくる。廊下にいた男性も共に入ってきた。
「むぅ」
 カロンは思わずうなってたじろいだ。
 その男を一言で言い表すとすれば、簡単だ。
「んだこのマッチョは」
 ハウルはさらりと一言で言い表した。
 さらに付け加えるなら、態度は普通だが、奇妙な威圧感を感じた。筋肉隆々の男から威圧感を感じるのは普通だが、これはまったく別の種の物に思えた。分からない。小さなキーディアと並ぶと、さらにわけの分からない。
「こちらはダリ。キーディアの保護者で……よろしいのでしょうか?」
「問題ない」
 ダリという男は腰にひっつくキーディアの頭を撫でて言う。
 マッチョだけならすさまじい威圧感だろうが、ひっついたキーディアがそれを殺いでくれている。いい組み合わせなのかも知れない。
「キーディア、多少まぶしくても我慢しろ。きっと面白いものを見せてくれるぞ」
 まぶしいという言葉に、カロンはハウルを見た。カロンは普通の人間であり、決してまぶしくはない。ヴェノムが平気というのなら、顔で選んでいるわけではないだろう。
「君が原因じゃないのかね」
「っせぇ。ヒルトもいいかげん泣きやめ! 子供の前でみっともねぇ」
 ハウルに叱られ、ヒルトアリスは泣きやんだ。彼女はすぐ泣くが、すぐに立ち直るところが救いだ。延々と泣かれていたら、どうしていいのか分からなくなる。女性の涙とはそれだけ力があるものなのだ。
「してヴェノム殿。一体どうしてアーラインのお嬢さんを預かった?」
「もちろん、恐怖と悪夢の深淵の城の体験ツアーです」
 アーライン。それは死霊使いの家系として有名な家である。


「ローシャ、おーい、ローシャ人形。ラフィはいないから出てこーい」
 ハウルは廊下を歩きながら、誰かに向かって呼びかけた。ローシャなる人物をヒルトアリスは知らない。どんな人物だろうかと思い待っていると、前方から何かが近づいてきた。
「に、人形がっ」
 歩いてくる。
「からくり人形?」
 アヴェンダが少し目を細めてその歩く人形を指さす。
 始めに見た時は驚いたが、近づいてくる仕草はとても愛らしい。キーディアもそう思ったのが、走り寄ってその前に座り込む。
「に、人形の中にいるんですか?」
「あなたは何です。怪しい方ですね」
「ご、ごめんなさいっ」
 動く人形に怪しいと言われ、キーディアは小さくなって謝った。そんな彼女の元に、ダリがかけより慰める。
「何この人形。なんでろくでもない言葉しゃべらせてるわけ?」
 アヴェンダは人形をつまみ上げてカロンに問う。彼はよくラフィニアのために玩具を作っている、とても器用な人物だ。しゃべる人形ぐらい作り出すだろう。
「それは私の作品ではないよ」
「じゃあ誰が作ったんだい」
「それには天然の幽霊、ローシャちゃんが入っている」
 その瞬間、アヴェンダは硬直して人形を落とす。人形は床に落ちる前にふわりと浮き、アヴェンダを睨み付けた。少し恐いが、可愛い。
「昔々に裏庭の花壇で死んだ女の子だよ。年頃は君たちと近いはずだから、仲良くしてやってくれ」
 ヒルトアリスはそっとローシャに近づき、人形の顔を覗き込む。
 本当に、何かいる。やはり女の子のイメージだ。人形と同じで可愛らしいドレスを身に纏い、なぜか血の印象がある。血は彼女のものではなく、他の印象だ。人形に入っているのでおぼろげであるのが残念だ。
「どうして血まみれなんですか?」
「彼女の趣味は拷問だ。まあ色々と人には言えない事があったらしい」
 拷問とは、彼女は一体どのような生活をしていたのだろうか。しかし見目愛らしい美少女が人形の中にいるというのは、なんともロマンティックだ。
「ああ、よく分からないけど謎なところが素敵っ」
「お前は女ならほんとなんでもいいんだな」
 いつものようにハウルが呆れて言う。ただ素敵だと思うのは、誰にでもあることなのに、彼は理解してくれない。
 彼女はローシャに触れようと手を伸ばす。
「き……」
 今まで固まっていたアヴェンダが、小さな声を出す。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!?」
 彼女は突然我に返り、走り出した。向かう先は、彼女達が来た方向ではなく、逆のまだ足を踏み入れたことがない地下の方向だった。
 皆はただその姿を黙って見送る。
「……あれは、まさかひさびさの普通の子っ!」
 ローシャは走り去ったアヴェンダの消えた方向を見つめ、感極まって声を出す。
「んまあ、今までのを考えると普通だよな、あいつ。ラァスとも違うし」
「しかもあの反応。素晴らしいです。これは歓迎しなくては」
「するなするな」
「では私、手配がありますのでこれにて失礼いたします」
「いや、お前に案内してもらう予定なんだけど」
「では、しばしお待ちくださいませ」
 そういって、彼女は空をすうっと滑るようにしてどこかへ去っていく。
「……アヴェンダは大丈夫か?」
「しかし、元々の目的がその歓迎会なのだから、阻止するわけにもいかないぞ。すみやかに彼女を回収する必要はあると思うが」
 二人が何を言っているのか、ヒルトアリスにはよく分からなかった。
 アヴェンダはなぜ逃げたのだろうか。ひょっとしたら、血が苦手なのだろうか。ここには男性が少ないので、ヒルトアリスにとっては天国のようなところなのだが、血が嫌いな者にとっては地獄のような場所だろう。
 なにせ、ほとんどの者が血だらけなのだから。

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