6話 見習い騎士とのサバイバル
1
「あのさぁハウルぅ」
猫なで声の友人は、まるで少女のごとき甘さを含む声でもって、その声を貝殻を利用して作った専用通信機で受信した直後の彼にささやきかける。
「キモっ」
ハウルの口から反射的にそれが漏れた。
「ひっどぉい! ハウルのばかぁ! もう、怒っちゃうぞ?」
ハウルはこのあたりで、友人の恐るべき変化に気づき、身も心も引いた。
「お前……キャラ濃くなってないか?」
「冗談だよ。ちょっとストレスたまってて」
「大丈夫かお前。そんなに嫌なら、手を引いた方がいいぞ。そのキモさはかなりヤバイ」
「そう? 効きそう?」
「誰にするつもりだその嫌がらせ」
「救いようもない馬鹿ど……」
と、そこまで言ってラァスは黙り込む。何を考えているのだろうか。やがてラァスは切り出した。
「あのさぁ。ちょっとそっちに行っていい?」
「別にそんなことわざわざ了解取らなくてもいいに決まってるだろ。うちのババアが反対するはずがねぇ」
ヴェノムが弟子を追い返すはずもない。それはラァスなら十分に理解しているはずだ。
「いや、ちょっとさあ、山一つぐらい貸してほしくてさぁ」
「は? 山?」
「そう。出来れば危険極まりなくて、人を食べる凶悪無比な魔物の出るような、多少暴れてもいいようなところ」
「あるわけねぇだろ。この世に暴れていい場所はない! 自然は大切に、だ」
「そう言わずに探してよぉ。火事だけは起こさないようにしつけてあるからさぁ」
しつけてある。その言葉にハウルは顔をしかめた。
「何する気だよ」
「僕が預かってる聖騎士団未満を、立派な狩人にしてあげたくてさ」
「言ってる意味めちゃくちゃだぞ?」
「いいんだよそんなこと。ねぇねぇ、どこか練習できるとこない? 国の中でやると、遊んでるとか思われそうで嫌なんだって。それに大地に属するクリス様がいるせいか、魔物は滅多な事じゃ人を襲わないんだ」
彼の言いたいことはわかる。神の加護を受ける土地に住む者は、加護する神の性質による恩恵を受けるのだ。クリスの膝元にあって、魔物が人を襲うことは滅多にない。彼らが常に立つ場所が、神の領域だからだ。そして農作物もよく育つ。大地の神の加護とは、おそらくどの神の加護よりも人間にとっては都合がいい。だからこそ、大地信仰はどの国でも盛んである。風の国ウェイゼアは珍しく水神の方が人気があるが、それ以外の国は地神を広く崇めている。よってラァスは、本当に世界に影響を与える立場にいるのだ。その彼が「危険地帯ない?」というようなことをねだってくるのが間違いだ。
「お前、少しは自覚を……」
「んもう、ハウルじゃきりがない。師匠に変わって!」
「いいけどよぉ……」
ハウルは巻き貝を持って祖母の部屋へと向かう。
それは、そろそろキノコが美味しい秋の日の午後だった。
朝食を終えて、アヴェンダの薬作りのために、庭に生えた薬草を摘んでいた。その日はどんよりと曇っていて、外での作業は日焼けの心配がいらず、とても快適だった。キーディアは小さく可愛らしい手でせっせと薬草を摘んでいたが、時折子供が蝶々の後を追うように、幽霊の後を追いかけようとして、アヴェンダに止められていた。それをみて、ヒルトアリスはくすくすと笑う。可愛い女の子を見ているだけで、彼女は幸せだった。
とてもいい日だった。そんないい日に、それは来た。
馬のいななき、蹄の鳴らす足音、車輪の回る音。そんな音が聞こえた。一つではなく、明らかに複数。
それらを耳にし、ヒルトアリスは立ち上がる。
「どうしたんだい?」
「馬車が近づいてきます」
古びた門から外をうかがうと、城へと続く一本道を、軍用馬車が向かってくるのが見えた。馬車はずいぶんと古びて薄汚いが、クロフィアの紋章が描かれた旗が立っている。
「まあ大変」
ヒルトアリスは慌てて城内へ戻ろうと玄関に走るが、たどり着く前にハウルとヴェノムが表に出てきた。二人とも落ち着いており、ヒルトアリスは安心する。ヴェノムはいつものことだが、もしも異常事態であれば、ハウルが真っ先に幼いキーディアと、か弱いアヴェンダを保護しに走るだろう。彼は女性に優しく、とても心配性だ。
「お姉さま、あれは一体何事です!?」
「あれは私の弟子が連れてきたクロフィアの聖騎士達です」
「聖騎士……?」
ヒルトアリスは、決して立派とは言えない、薄汚い軍用馬車を見た。とても中に聖騎士が入っているとは思えない。
馬車は門の前で止まると、次々と中から人が降りてくる。
「げっ」
ハウルが一歩退いた。
それもそのはず、聖騎士というよりは、傭兵といったようなあまり品がいいとは言えない出で立ちの男達が降りてきた。ヒルトアリスが最も苦手とするタイプの男性達だ。
「ど、どうしてあのような野蛮そうな方を呼ばれたのですか!?」
「とは言いますが、彼らはあれでも貴族が多いはずです。騎士ですからね」
「嘘っ!?」
あの傭兵上がりにも見える、品のない男達が、貴族。外に出るなり唾を吐き、互いに口汚く罵り、田舎がどうのと叫んでいる連中が貴族。
「本当です。成り立て見習いとはいえ、聖騎士ですからね。問題児とは聞いていますが。彼らはこれから少しの間、私の管轄になります。地神様に『よろしくねぇ』と釘を刺されましたから」
「伯父さんも、こういうとき容赦なく職権濫用するよな」
ヒルトアリスは宝石の国と呼ばれ、最も美しい国と聞くクロフィアの聖騎士があれであることを突きつけられ、思わずしゃがみこんで泣いてしまった。ヒルトアリスの知る聖騎士とは雲泥の差である。彼らは常に良くも悪くも身なりに気を使い、女性達を意識していた。
「ラァス! ラァスじゃないっ!」
アヴェンダが嬉しそうに声をあげ、誰かにひしと抱きついた。ヒルトアリスは、その人の愛らしさに、むさ苦しい男達も忘れて見ほれてしまった。
掃き溜めに鶴とはまさにこの事。
艶やかな黄金色の髪はまるで稲穂のごとき輝きで、瞳はまるで黄金のよう。大地の化身のごとき愛らしいその人は、アヴェンダの抱擁を受けて微笑んでいた。アヴェンダと頭一つ分の身長差があるが、周囲の男性達と比べると二人とも小さく可愛らしい。
「ラァス、その格好は地神殿の? すごく似合うよ」
「ありがとう。アヴェンダちゃんは、庭いじり?」
「ええ。薬草取りを。収穫時期だから」
アヴェンダは、いつもよりも声のトーンが高いが、これはこれで可愛らしくていい。
「そっか。薬師だもんね。少し見ない間に、大人っぽくなったね」
「や、やだぁ」
爽やかな微笑みは、その愛らしさを引き立てた。白に金のアクセントがある法衣は、その人を中性的に見せた。
「す、素敵な方」
ハウルもその素敵な少女の元へと向かい、頭をとんと押した。そして二人は楽しげに話し始める。
──ああ、羨ましい。
しかしヒルトアリスには遠い世界だ。あの世界に近づくには、あの肉肉しい集団を突破しなければならない。
そんなことを思っていると、死霊のごとき静かさで、キーディアが走って彼女たちの元へとやってくる。
「せんせぇ」
泣いていた。彼女も彼らが怖いのだろうか。
「あ、あの金色の人怖い」
どうやら、あの美少女が恐ろしいようだ。筋肉質な男は、ダリで慣れているのかも知れない。
「キーディアにとって、ラァスは天敵ですからね。でも安心なさい。彼はキーディアが恐れるような者ではありません」
キーディアは片目だけの緑の瞳でヴェノムを見上げた。不安げに剣を抱きしめて。
「師匠、お久しぶりです」
いつの間にかラァスという美少女が笑顔を振りまいてこちらに来ていた。キーディアはヴェノムの背に隠れ、ほんの少し顔を覗かせた。
「お久しぶりですラァス。元気そうで何よりです」
「身体が資本ですから。元気がないと舐められますし」
「そうですか。しかし、聖騎士と聞いていましたが、イメージと違いますね。もっとこう、貴公子の集団を期待していたのですが」
「期待してたんですか……」
ラァスは騎士達を振り返る。彼らはひたとヴェノムを見つめていた。ヴェノムのような美女がいれば、男性が興味を持つのは当然だ。
「せっかくいい男の集団を思い浮かべていたのに」
「いい男ばかりだったらどうしたの?」
「どうもしません。見て楽しいだけです」
ヒルトアリスは女のこの身が嘆かわしい。男であれば、ヴェノムに正面からプロポーズ出来たのにと、そう思うと再び悲しくなってきた。
「おい大将。お前の師匠って、ババアじゃなかったのか?」
「紹介しろ!」
「馬鹿、失礼だろ!」
数少ない騎士らしさのある青年が、男のスネを蹴った。他の面々の色が濃すぎて分からなかった。
「あら、まともな方がいるじゃないですか」
「うん。副団長のカリムさん。カリムさん、こちらは僕の師匠の深淵の魔女ヴェノム」
ヴェノムはしとやかに一礼する。カリムは頬を朱に染め、ヴェノムの手を取り騎士らしい礼で返した。
それを見て、おばあちゃんっ子のハウルがその間に突如出現する。
「っ!?」
カリムは驚いて一歩下がる。
「ラァスがいつもお世話になっています」
「こ、こちらこそ……ところでいつの間にそこに?」
「俺はハウル。このババアのぐぁっ!?」
ハウルはヴェノムの裏拳を受けて、横倒れになる。
「ハウル、成長してないなぁ。年齢に関わることは禁句だろ」
ハウルは地面に頬をつけ、小さく頷いた。
「ハウル、人と話しているときに間に割り込んではいけません。私はそのように育てた覚えはありません」
「若い男が相手で浮かれてるだけだろ」
まともにはいっていたはずなのだか、ハウルはあっさりと立ち上がる。脳震盪を起こした様子もない。これが神の血だろうか。
「ところでカロンは? いつもなら真っ先に来て鬱陶しいのに」
「今はラフィニアのお勉強の時間です」
「ちょっと、ゼロ歳児にお勉強?」
「今が一番吸収のよい時期です。学とはいつから学ぶべきという決まりなどありませんよ。もちろん、それは年齢を重ねてからでも問題ありません」
ラァスはくすくすと笑い、玄関のドアを開けて城の中に入る。
「かろぉん!」
と、ラァスはカロンの部屋へと向かった。
ヒルトアリスから見ても素敵でハンサムなカロンの元へ。
「カロンお兄様、羨ましい」
「……ヒルトお前、あいつはああ見えてもおとっ」
突然、ハウルが後ろに仰け反った。彼の長身に隠れて、アヴェンダが背伸びをして髪を引っ張ったのだ。
「んだよ」
「いいからほっときなさい。いい薬よ」
「……それもそか」
何が薬なのだろうか。アヴェンダがどんな薬を作るのか、ヒルトアリスはまだよく分かっていない。
しばらくすると、ラァスはラフィニアを連れて戻ってきた。彼女に向ける愛おしげな瞳は、慈愛に充ち満ちており、ヒルトアリスの心臓が早鐘を打った。
「ああ、素敵」
ハウルとアヴェンダが何か薬がどうのと言っていたが、ヒルトアリスは優しき聖女に釘付けであった。
「ここから先は通称『返らずの山脈』といいます。昔はあちらにある山から下りてきた魔物が人里を襲うこともしばしありました。危険なので買い取り、魔物達を封じています。城に帰るには、あのなだらかな小さな山を一つ越えなければなりません。ハイキングとしては女性でも可能な道ですが、魔物が出るため普通なら死にます。ただし磁石は役に立ちません。まさに魔境。魔物退治中級者にお勧めです。求めていたはこういう物件でしょうか」
目の前に広がる森。そこから続く見渡す限りの山。その山だらけの方向には向かわないらしいが、ラァスは納得したらしい。
「ぐっ! 師匠サイコー! さすがは師匠、何でも持ってる。さすがは美人! 一生ついてきます」
美人の言葉が嬉しかったのか、彼女は上機嫌で頷いた。その上機嫌というのも、幼い頃から彼女の側にいるハウルだからこそ分かる。他人から見れば、どれだけ褒められても貶されても、氷のような表情を貫く女となるのだろう。
「ちょ……ラァスさん。聞いてませんけど」
「やだなぁ、カリムさん。楽しい演習キャンプだと思ったの? 僕らは元々魔物狩りになるために騎士になったんだよ。平和惚けして他の国に比べて、魔物に対する対策は何もしていないに等しいから、スペシャリストになるために、地神様の命令で作られた聖☆騎士団だよ。この程度生き残れないで、今後生き残れないからねぇ」
ラァスは顔だけは笑顔で、目は据わっていた。昔はこんな風ではなかったのに、いつの間にこんな風になってしまったのだろうか。
「あ、やっぱり手足切断を体験してからの方が良かったかな? 手足食われても、慌てることなく行動できるし」
「その話はやめてくださいっ! 聞くだけで気持ち悪い!」
「身近なことだよ」
「食われるのと、人為的な切断じゃあ意味合いが違います!」
「元に戻せるのに」
一体彼に何があったのだろうか。ハウルはそう考えるが、隣のヒルトアリスは大胆なラァスにきらきらと輝く熱い視線を向けていた。
(こいつもいつものことだから、職務を全うする敬虔な地神官だとか思ってんだろーなー)
女が関わると、人の言うことを聞かないのだ。耳に入らないし、思考能力が低下する。説明しても無駄だろう。
アヴェンダの言うとおり、たまにはいい薬かもしれない。後で知ったとき、泣き崩れるだろうが、性別のみで判断して好意を持つと言うことの意味を、きっと理解してくれるだろう。
ハウルは元凶であるラァスの姿を見てため息をつく。性別がわかりにくいこの法衣というものは、ラァスを男にも女にも見せた。知っている者が見ればどう見ても男だが、知らない者が見れば少年のような少女と思っても仕方がない。国ではどれだけの信者が、彼を女だと思いこんでいることやら。
「師匠、地図とかあります?」
「ええ、大ざっぱなものなら」
と、取り出したのは大ざっぱにこの辺りの地形が書かれたものだった。
「役に立つものではありません」
「でも用意してくれてありがとうございます」
「いえ、これでもなんとかなる人材がいます」
「え、誰?」
ヴェノムは静かにヒルトアリスを指さした。彼女は天然の精霊使いである。なるほどそれなら道なき道を行けるだろうと納得した。精霊の声を聞けばいいのだから。
「こんな綺麗な人を野獣の中に放り込めませんよ!」
「大丈夫です。この中で、剣の腕で彼女に勝てる方はいませんよ」
「え?」
「それに、ハウルもつけます。それなら彼女も安全です。ハウルなら慣れたでしょう?」
ヒルトアリスは不安げに頷いた。
「でも……」
不安だろう。今でも彼女に対して不埒な視線が向けられている。彼女にとって、これが最も嫌悪すべきものだろう。しかも相手はとても聖騎士には見えない傭兵崩れのような外見の者が多い。もちろん半分はそれなりの品も持っているが、残り半分の下品な雰囲気が強いので、そのささやかな品も吹き飛んでしまっている。
「どのようなコースで、どれほどの時間がかかるのでしょうか」
「山越えです。ここからこのように行くと、ハウルが知り尽くしている深淵の森へと出ます。このあたりに、我が城があります。行程は……三日ですね」
ヴェノムは地図の隅の方を指さした。
「そんなに……お姉さま達と離れるのは……悲しいです」
「じゃああたしも行くよ。それならあんたも文句ないだろ」
驚いたことに、アヴェンダまでもが行くと言い出す。いや、驚くようなことではないだろう。彼女は恋する乙女だ。ラァスのためなら、魔物の群れの中とて飛び込むというのだろう。
剣も魔法もなくして、その自信があるという点が、恐ろしい。彼女は一体何を仕込んできたのだろうか。荷物はそれほど大きくないが、相手はカロン寄りの趣味を持つアヴェンダだ。何を隠し持っていてもおかしくない。
「みんな行っちゃうんですか?」
今度はキーディアが寂しそうに目をうるうるさせて見上げてきた。死霊を愛する彼女だが、やはりよく遊んでくれる生きた人間達にも好意を持っているのだ。一人残されるのは、彼女にとってとても退屈だろう。彼女は寂しがり屋な年頃なのだ。
「キーディア、これは遊びじゃないからな。危ないんだ」
「どうしてですか?」
「怖い魔物がいっぱいいるんだ」
「魔物は怖くないですよ」
「食われるかもしれねーんだぞ」
「?」
純粋無垢なその瞳を見ていると、まるでアミュと向き合っているような気分になった。彼女の場合、根拠があったのでいいのだが、キーディアは根っからのお嬢様だからという理由が強い。こののほほんとした雰囲気は、アミュのような強固な地ではなく、周囲の環境によって作られたものだと言ってもいい。
「あのなぁ」
「キーディアにはダリがいるので問題ありません。彼の所有者を襲う魔物は程度が知れています。たまにはアウトドアもいい体験になるでしょう」
ヴェノムは無表情で弟子を崖から突き落とすようなことを、実は温かい目で見守りつつ言った。
「お前の師匠、厳しいな。あんなガキに……」
「師匠は優しいよ。出来ないことは絶対にさせないし師匠が大丈夫と判断するなら、彼女たちは大丈夫なんだよ」
ラァスは話しかけてきた青年に、ヒルトアリスをうっとりさせるような笑顔で答えた。身長は本人曰く多少伸びたようだが、救いようのない女顔は健在だ。
「さて、ぐずぐずしていると日が暮れるし、そろそろ行こうか」
ラァスが言うと、騎士達はうぃーすっ、と気のない返事をした。
「カリムさん、うちの子達をよろしくお願いします」
声をかけられたカリムは、頬を朱に染めこちらは軍人らしく、はいと切れよく答えた。
「命をかけて彼女たちを守ります」
「いえ、命に関して心配はしていません。迷ったり、怪我をしたりということはないでしょうが、すねたり泣き出したり銃を乱射したり何か見えないものを追いかけていく可能性があるので、何かとご迷惑をおかけするかも知れません」
カリムは理解できないため、はぁ、と気のない返事をした。
「最善を尽くします」
それでも彼は真面目に答えた。すねると言われたハウルは、実際にすねて唇をとがらせる。そこそこ顔が良くて、誠実そうな青年。つまみ食いにはいいタイプだ。
いらいらと二人を見ていると、それを察したかのように、カロンがやんわりと二人の間に割ってはいる。
「ヴェノム殿。ラフィがぐずりそうなのでそろそろ帰りましょう」
「そうですね。ではごきげんよう」
ヴェノムはきびすを返し、彼女の所有する小さいながらも堅牢な石造りの家に向かった。中には転移用魔法陣がある
三人を見送ると、ラァスは屈伸をした。
「さて、行こうか。日があるうちに進まないと。師匠が3日と言ったからには、女の子の足でも3日で抜け出せる場所なんだし、遅れたら馬鹿にされちゃうよ」
言って彼はヒルトアリスのもとへと近づき、笑顔で彼女を悩殺した。
「よろしくね、ヒルトさん」
「はい、猊下」
「ラァスって呼んで。僕はまだ見習いだし、何より猊下って可愛くないから」
「は、はい、ラァス様」
彼女はこの可愛い顔に完全に騙されている。アヴェンダはそんな二人をじっと睨んでいた。
「気になるんなら、言えばいいだろ」
「そんなに心配はしてないんだけど……あたしは顔じゃあヒルトに勝てないからねぇ」
彼女は己を理解していた。つまりは顔以外でなら勝てると言いたいのだろう。
実際にそれ以外で彼女が劣っている部分は、剣の腕と上品さと身分ぐらいだろう。知識、常識、家事など、様々なことで彼女はヒルトアリスを上回っている。
それもまた個性だ。
「キーディア、しっかり剣を抱えているんだぞ」
「はい」
キーディアはぬいぐるみでも抱える子供のように、重い剣を軽々と抱える。そのあたりのことは、ハウルは気にしないことにしている。彼女の腕は細く、腕力であれをしているわけではない。彼女ほど魔道師としての才能に恵まれているのであれば、ラァスが無意識にしていることを、意識して継続することも可能なのだろう。
「手をつなごうか」
「はい」
彼女の身体について心配するのは無意味ということだ。それはラァスの身体能力を疑うに近いものがある。
足がついてくるならば、問題は何もない。
眠るラフィニアを揺りかごに横たわらせ、カロン自身も椅子に座る。手にはヴェノムが入れたハーブティの入ったカップを持っている。
「行かなくていいのですか?」
「行ってどうなるものでもない。ラァス君は遊びではないから、私にかまっている暇もないだろう。ならラフィニアといることの方が重要だよ」
ヴェノムは、ふっと小さく笑ったような音を出す。
「魔物と遊ぶ趣味もない」
「確かに、お遊びに過ぎません。が、遊んでいる本人達は、必死でしょうね」
彼女は自分の入れたハーブティを飲みながら言う。美容と健康によいとされる、高級品らしい。
「そんなに厳しい場所ですか?」
「そうですね。非情に厳しい場所です。森全体に悪意があります。呪われていますから」
「…………」
「協力すれば、問題はないでしょう」
「うーん。そんな協調性が皆にあるか……」
騎士団はもとより、ハウル達にも協調性はない。ラァスは組織に属していたため、己を殺すことを知っているが、今は彼が頭だ。そういった経験が少ない彼が、あの面々を制御できるかどうか……。
「今の様子を見たいですか?」
「見られるのか?」
「抜かりありません。もしもの時の救済を含めて」
彼女は立ち上がり、リビングのカーテンをすべて閉めた。