6話 見習い騎士とのサバイバル

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 ラフィニアはルートにもたれかかりそれを見上げていた。
「ハウル……とことん舐められて」
 ルートはハウルの姿を見てつぶやいた。父であり兄である彼が軽く見られているのは嘆かわしい。あれだけハンサムなら、本命でなくてもそれなりの扱いを受けても良さそうだが、彼はとことん気に入る女性と縁がないらしい。
「はーる、ひーう、あぶー、きぃだぁ、だいぃ」
 ラフィニアは皆を指さして名を呼んだ。新しい住人達の名もちゃんと覚えている。
 壁にたらした白い布に映る彼女の大好きなお友達を見て、何度となく遊んでもらおうと飛んでいっては頭をぶつけているので、今はルートが彼女を抱えているのだ。
 カロンはその光景を見て、くすくすと笑うばかりで、ずっと機械いじりをしている。手元を照らす小さな明かりは、モノクルで反射されて少し怪しい。
 これだけなら、ミステリアスなハンサムで通りそうなのだが、誰もそんなことは思ってはくれなくなっている。
「らぁは?」
「ラァスはいないよ。迷子だよ」
「まご?」
「迷子。一人でどっかに行っちゃったんだよ」
「らぁ、まーご」
「そう、迷子の迷子のラァスちゃん。どこに行っちゃったんだろうねぇ。まあ、あの人なら問題ないと思うけど」
 何がいいのか不明だが、彼に恋するカロンも心配している様子はない。彼はずっと何かを組み立てている。
「カロン、何してるんだ?」
「ちょっと、新作を」
「新作?」
「ラフィの玩具をな」
「子供の玩具に、どうして魔石なんて組み込んで、そんなに細かな部品が必要なんだよ」
 どう見ても高度な魔具を作っているようにしか見えない。少なくとも、ゼロ歳児の玩具ではあり得ないことだけは確かだ。
「私はこれで商売をしているんだよ。
 ラフィの持っている羽根ウサギのラーフも元々は私が設計したものでね、けっこう売れてるんだよ。で、他にも作ってくれと言われているから、ちょっとね……」
「カロン、そういえば遊園地に技術提供してるんだっけ」
 ちよっとした都会に行くと、ポスターが貼ってある。かなりの贅沢だが、珍しさとその技術のおかげで人気が高いようだ。理力の塔もスポンサーで、理力の塔で移動すると、入場料が少し割引されるらしい。
 ルートが知るのは、せいぜいその程度である。あとはその収入で、彼は資金尽きることなく馬鹿らしくなるほど金のかかる研究を進められているらしい。
「子供達に人気が出るのは、なかなか嬉しいものだよ。そうだ。君をモデルにしたルゥくんも最近人気なのだよ」
「…………何、それ」
 初耳だった。
「ラフィがモデルであるラーフちゃんのお友達のルゥ君だ。ラフィのお友達と言えば君しかいないし、君は可愛いからちょっとモデルに……ね」
 ラフィがルート型の動くぬいぐるみを持っているのは知っていたが、てっきりラフィニアだけのために作られた物だと思っていた。
「聞いてない」
「今度好きなものを買ってあげるから許してくれ。グッズが増えるとラフィも喜ぶからな。世間では男の子が誕生日のプレゼントに親にねだるらしい」
 ルートは何か言うべきだと思ったが、ラーフちゃんとルゥ君をだっこするラフィニアを見て、小さくため息をつく。
「……本当に好きなもの買ってくれるのか?」
「常識範囲内でなら、と限定させてもらえるかな」
「考えておく」
 とは言っても、食べ物以外に欲しい物などほとんどないのだが。
 買ってくれるというならば、何か考えておこう。カロン相手になら、普通の常識外では常識内になるだろうから。

 闇が満ちていた。部屋の中とは全く違うし、都会の裏路地の暗さとも違う。ヴェノムの城にいたときは、野宿をすることはなかったし、今は都会の中心でベッドの中だ。
 周囲の音や空気が染み入るような、自分の小ささを痛感させられるような、大きく神聖な闇だった。闇は地神の次に──いや、口が裂けても言えないが、神としてならば一番信仰しているのは死神だった。ヴェノムに合う前に崇拝していたのは死神であり、一番親切にしてくれたのも死神の配下だ。地神も親切には親切だが、騒動が大好きで、何かと首を突っ込みたがるため、不出来で怖いがすごい上司という認識に落ちている。
 空を見上げれば、木々の間から藍の色に変化した空が見える。
 ラァスは木に登り太陽が最後の輪郭が姿を消す瞬間を確認した。これからここは完全な夜に支配される。それでも太陽神の配下である月は輝き、人間達を見張っている。ただし、月の一つは死に、もう一つは封じられ光のほとんどを失い昔からの輝きを持つのは一の月のみ。女である一の月の女神は、弟達と違い器用に生きているらしい。
「ハウル達はどうするんだろ」
 子供や女性を連れているのだから無理はしないだろう。休む準備を初めているに違いない。
 そう考えながらも、ラァスは木から下りて走る。先につかなければ意味がない。一人なら大した準備もいらないし、最近は闇の中でもある程度走れる。
「そーいや、僕がいないとろくな結界張れない気がするけど……大丈夫かな」
 仮にもラァスは地神殿に属している。ハウルがついてきているので、完璧な結界が張れるだろう。地属性の結界術の応用などは最近習ったので、ぜひ彼に見せたかったのだが、残念だ。
 結界術に関してはヴェノムには基礎を教わったものの、彼女自身が地属性の術を滅多に使わないタイプで、教えられたのは基礎と間を抜かして神から力を借りるような最も高度な術だった。それ以外は、まんべんなく学んだ。初心者には偏った知識よりも、全体を見た知識こそ必要だと思ったのだろう。実際ヴェノムに教えられた知識は地属性の魔法を学ぶ今、とても役に立っている。
 専門的な術を追求し身につけることで、少しぐらいはハウルに近づけるかとも考えたが、今思うとそれも馬鹿らしい。ハウルはハウルで、自分は自分と考えなければ、ただの傲慢である。
「うーん、僕って意外に寂しがり屋さん」
 一人になって、感傷的になっていると今自覚した。皆の事を考えると、つい心配になってしまう。あの不出来な騎士達は、ちゃんと生きているだろうか。
「ハウルとアヴェンダちゃんがいるし、きっと大丈夫だよね」
 魔道の知識はハウルが一番あるだろう。その他、こういう森の中で必要な知識はアヴェンダが持っている。騎士達が交替で番をすれば、問題なく休めるだろう。もしもの時は実は数日寝なくても平気な強い強い神様なハウルが何とかするだろう。出来ないのなら、笑ってやる。
「強い友達って、いると安心できて便利だなぁ」
 弱いと、安心して見ていられない。強くても、警戒心が無ければ安心できない。ハウルは強く警戒心も強い男だ。アミュとは違って、安心して放置できる。
 アミュは、優しすぎて、残酷すぎて、目が離せない。彼女に容赦なく力を使わせたくはないから。
 例え彼女が自分よりも強いと分かっていても、つい面倒を見てしまう。
「あーあ、早く帰ってアミュに会いたい」
 一人は不安だ。寂しくなる。精霊達が人を好く理由が、なんとなくだが理解できた。

 ハウルは使えない騎士達を見て、ため息をついた。
「ラァス並とは言わねぇけどさ、もう少し高等な結界を作れる奴はいないのか?」
「持続性を求めるなら、これが精一杯ですよ」
 これ、というのは気配を消し侵入者の気をそらす程度の、あってもなくても変わらないような結界だ。
「あんたが音を消せばいいでしょ」
「それこそ持続性を求めるなっての。風神官でも出来ねぇぞ」
 アヴェンダの言葉にハウルは即座に答える。音を消すこということが、どれほどのことか彼女は理解していない。物質により音を遮るのは簡単だ。しかし何もないところで音を遮るのは難しい。結界によって音を遮ることは簡単だ。しかし結界も張らずに音を漏らさないようにすることは、ラァス並の力で風に偏った者でなければ無理だろう。
「ここにラァスがいたら、二人で協力して気配も音も漏らさない上に疲れない、完璧な結界が張れたんだけどな」
 逃げたのは、あの男がきっと永遠に抱えていくだろう病気のせいだ。あれほどたくさんの悪霊にもまれても、いきなり出てくると周囲を見ずに逃げるのが彼だ。ここがひらけた場所なら戻ってこられるのだが、方角もろくに分からない森の中では、どうしようもない。戻って来ようにも、彼は暴走時の記憶はないので、どちらから来たかが分からないのだ。太陽の方角で漠然とした進むべき方角は分かるはずだが、どこから走ったのか分からない以上、目的地以外で出会うことはないだろう。
「あなたは多元魔法を使えるんですか?」
 今現在、あまり出来がいいとは言えない結界を張っている副団長だというカリムがハウルに問う。
「ったり前だろ。何年魔女の弟子やってると思ってるんだ」
 人間としての魔法も十分に使いこなしているという自負はある。むしろ神の力の方が使いこなせなくて悩んでいる。
「じゃあ、私がラァスさんの代わりをしますよ」
「できるのか?」
「出来ますよ。他人と同調するのは最も得意ですから。それが原因で、付きまとってくれる子供のような地精もいますし」
「子供……流砂か」
「知っているんですか」
「ん、俺の親戚らしい」
「貴方……地精には見えませんが?」
「片親が、な。詳しいことは知らないけど、おしめを替えられたこともあるらしい」
 流砂のことを彼は『神』とは認識していないらしい。もしも知っていたら、ハウルの言葉で彼の存在を理解するだろう。つまり彼は何も知らない。ならば言わないのが得策だ。何もわざわざ暴露する必要はない。
「んじゃ問題ないな」
 ハウルは手を差し出した。ラァスとなら離れていても出来るのだが、初めての相手は接触した方が同調しやすい。
 カリムと手をつなぎ、呪式の展開をする。
 二人がけ、同調魔法とも呼ばれるだけ有り、これは波を合わせることが大切だ。魔力が大きいのはハウルであり、彼が相手に合わせる必要がある。
 魔道式が解け合い、一つの物になる。彼はハウルよりもよほど慣れていた。
「怖いぐらいの魔力ですね。流砂とやってるみたいだ」
「そりゃどうも」
 それだけ言って呪文を唱える。ハウルに呪文は必要はないが、相手に合わせるという意味で呪文は大切だ。初めて出会った者が同調するためには、こういったはっきりと分かるものが必要だ。昔はそうは思わなかったが、限界が低い人間というものは不便だと思うようになってきた。メビウスやヴェノムのような人間の範疇を越えた女に育てられたためだろう。
「喧噪と静寂を」
「ここに無いが如く」
 式が広がり消えるようにはじけ、結界が生まれ、安定する。
 これなら一晩ぐらい保つし、見つかることもないだろう。騎士達はおおと感嘆しながら結界を出入りして、姿が見えず、音と気配が無くなったことが楽しいのか、子供のようにはしゃいで遊んでいる。
 ハウルはそんな『聖』騎士達を見て、ラァスの将来が心配になった。聖騎士は軍に所属していながら、神殿にも所属する特殊な存在だ。クロフィアにも、一団しかなかった、エリートの集まりだ。
 普通は訓練を積んで、神殿にも通って学んだ者がなるのに、彼らはその様子がない。つまりは名前だけで、実質これから学んでいく、見習いである。
「あれは……楽しいんですか?」
「キーディアよりも幼いのだろう。お前は気にする必要はない。お前は彼らよりも大人だ」
 子供にまで呆れられる大人達。ラァスが今まで怒鳴っていた理由が、今ようやく理解できた。
「みんな、そろそろ落ち着きましょうよ。恥ずかしいですよ」
 先ほど話しかけてきた、アレクシスと名乗っていた貴族らしい騎士が皆に注意する。まともなのもいることが、少ないながらも救いだ。
「お嬢さん方が冷めた目で見ていますよ」
その言葉に、結界内にいた者達は大人しくなる。戻ってきた騎士達も、突然ヒルトアリスに群がっていた仲間達を見て、我先にと声をかけ始めた。
 今までは魔物がいる森の中であることと、ラァスがいたということで自粛していたらしいが、そういった物がなくなった今、彼らに身の程という言葉はない。目の前の美しい少女に、ひたすらアタックするのみである。
「すみません、馬鹿な奴らで」
「だなぁ。あのヒルトアリスに男が寄るなんてなぁ」
 しばらくの後、彼らは泣きじゃくるヒルトアリスによって地に沈められることとなる。
 その間アヴェンダはかいがいしく食事の準備をして、一部の騎士達に熱い視線を向けられていた。
 彼らは、そんなにもてない生活を送っているのだろうか。

 木の上で目を覚ましたラァスは、一瞬自分がどこにいるか分からなかった。長い夢を見ていたのだろうか。友を得て、師を得て、地位を得て──それが一瞬夢であったのではないかと頭によぎる。自分は今、誰かを殺しに行くか、誰かを殺した後追われていたのか。そんな考えが頭に浮かび、くすりと笑う。
 いつもは綺麗なベッドがそうでないことを教えてくれる。今は、自分が着ている簡素な法衣が教えてくれた。しかしそれにしても、とんでもないところで寝たものだ。しかも熟睡していたようで、自分の大胆さに呆れた。
 自分の位置を確認すると、そのまま木の枝から飛び降り、重力に干渉し難なく着地する。昔ならこれで骨を折っていただろう。成長したものだと我が事ながらも感心した。
 屈伸をして、さらにあくびを一つしてから地の声を聞き、わき水を探して歩いていた。慣れてくると、水の動きというものが理解できるようになる。飲み水はまだあるが、顔も洗いたい。水を確保しておくのが、生きる事において最も重要である。食料は、そこらにいくらでもあるのだ。
「うーん。火を使うのもあれだし、何食べようかなぁ」
 携帯食は持ってきている。極力使わない方針だったが、一人それを貫徹するのも意味はない。ラァスはどこでも生きていける自信はある。ヴェノムに師事した一年で、基本的なサバイバル技術は身につけた。ハウルに野山を連れ回されたというのが正しいが。筋肉痛というものを味わったのは、ずいぶんと久しぶりだった記憶がある。
「んま、歩きながら食べよっと」
 干し肉を咀嚼し、固いパンを咀嚼する。ただそれだけなのだから、歩きながらでも問題ない。
 ラァスは腹ごしらえをしながら歩くと、やがて水が流れる音に気づく。地下ではなく、地上に流れている水の音だ。
 知らない樹木が混じる山道を、ラァスは淡々と歩く。真白く不気味な幽霊茸を踏みつぶし、行く手を阻む枝を鉈に近い短剣で切る。この場で自然破壊など気にする方が馬鹿らしい。ここには人の秩序など無く、完全な無法である。ならばそれに倣うのが礼儀だ。
 おそらく今の自分はひどい姿だと思いながらも、流れる水を見つけて微笑んだ。
「小川だ」
 ラァスは近づくと、その水が流れる上流を見る。水源はどこだろうか。
 ラァスは水を濾過(ろか)して水筒に入れるため、折りたたみ式の漏斗(じょうご)を取り出した。この漏斗には、ざると水を浄化する呪式が組み込まれている。異物は通さないという優れた道具である。これを使えば、一度熱を通して微生物を殺す必要もなく、例えどんな汚水でも清水に変えるのだ。ただし、酷使すれば式が摩耗し効果が消えるという、消耗品である。そうなったときは、式の部分を取り替えることができ、自然に優しく経済的。しかも魔道のことなので、自分で出来てしまうのが美味しい。その方法は、大きな石を取り除くためにつける網のふちに、魔石を原料にした顔料で浄化の式を書き込むのだ。そして水で落ちないように呪文をかければできあがる。
 適度に深い部分を見つけ、ラァスはしゃがみ込んで携帯用のカップに水を掬い、漏斗を通して水筒をいっぱいにする。
「このままでも飲めそうだけど」
 魔物の多いこの場所は、何に毒があるかも分からない。大抵の毒は体内で浄化できるが、出来ないものもある。何事にも恐れることは大切だ。
 水筒の水を口に含み、害がないと判断すると飲み込む。小川で手足と顔を洗い、近づいてきた魔物に石を手で投げつけ殺し、ラァスは立ち上がる。血が流れた今、長居は無用。あれが食べられている間に逃げなければならない。
 靴を履き荷物を持ち、振り返った瞬間、ラァスは目を細め武器を持った。
「この子は水を飲もうとしただけだったのよ」
 その人は水の流れのように涼やかな声だった。森にとけ込んでしまいそうな、不思議な女性。
「不用意に近づいたから。理由はそれで十分だよ。僕は臆病だからね」
「そうですね。それは十分な理由です。相手に敵意があるかどうかなど、頭を割って見ても分かるものではありません」
 と、その女性は立ち上がる。
 白い髪がさらりと流れ、虚ろな灰の瞳は彷徨う。やがてラァスへと視線が定まると、彼女は首をかしげた。
「人間が来るなど珍しいこと」
「おじゃましています。僕はラァス。お姉さんは?」
「私はエティマ。イス様の小間使い」
「イス?」
「あの巨木におわす方」
「この山の主?」
「いいえ、あの方はただ封じられているだけ」
「封じられているの? 何か悪いことをした?」
「ええ。大罪を」
 ラァスは行く先を見て不安になる。大罪とは何だろうか。
「僕、そこに向かえば仲間に会えるだろうって言われたんだけど……」
「そうですか。それは親切な方に巡り会いましたね。あそこは待ち合わせにはちょうど良い」
 ラァスは笑みを向けながら彼女を観察した。
 人ではないのは明らかだ。ぼーっとしていて、害はなさそうに見える。ただ、外見から判断するのは危険だろう。
「お姉さんはそのイスさんのところで何をしているの?」
「私はただイス様の側にいるだけ。貴方は何をしにここへ?」
「ちょっとキャンプに」
「人間とは時に理解を超えることをする」
 ラァスも理解できないだろう、そんな人間。訓練という名目がなければ、理由もなくこんなところにやって来たりはしない。
「あの、おたずねしてもいいですか。仲間と合流するには、どの当たりで待っていると探しやすいですか?」
「イス様のお側に自然と導かれるでしょう」
「そっか」
 ラァスはちらと彼女を見た。彼女もじっとラァスを見つめた。ラァスはお願いしようかどうか悩んでいると、彼女は口を開いた。
「ご案内しましょう」
「ありがとう!」
 やはり日頃の行いがいいと、いい人と巡り会える。むさ苦しい男達と一緒にいるより、綺麗な女性と二人でいる方がいい。

 朝起きると、アヴェンダは石を手にしてスリングで空を狙う。
 頭上に美味しそうな鳥が鳴いているのだ。相手からはこちらを感知することは出来ないので、こちらの動きに気づかれることはないが、習性から息を殺し焦らず狙いを定める。
 アヴェンダは狙いをつけ、飛び立とうとした瞬間、それを打ち落とした。地面に落ちてばさばさと羽根を動かそうとするそれの首を捕らえ、素早く絞める。一見ただの見たことのない鳥だが、魔力を持っているかも知れない。何かされる前にしとめるのが一番だ。
 鳥が落ちた音を聞き、拾った狼にもたれかかり眠っていたキーディアが目を覚ました。
「可愛い」
 案の定彼女は死骸に興味を示した。
「こら、これは朝食だから術はかけんじゃないよ」
「食べるんですか?」
「そうだよ。毒がないか調べてからね」
 アヴェンダは湯を沸かしていた傭兵──にしか見えない騎士を見た。
「ど、毒味なんてしねぇぞ!」
「誰がそんなことするんだよ。あたしは腐ってもアヴェインの薬師だよ。人を生かすが仕事なのに、殺してどうするんだい!」
「いや、ラァスに気があるんなら、性格も極悪かなぁって……」
「ラァスならやりかねねぇもんな」
 アヴェンダは騎士達に摘んだ砂をぶつけてやる。
「本人がいないからって、無茶苦茶言うんじゃないよ」
 アヴェンダはナイフで鳥をさばきながら言う。スープにすれば、ダシにもなるし皆の口にも入る。
「なんであんな顔が可愛くて馬鹿力なだけの奴がいいんだよ」
「その顔だろ、やっぱり」
「顔か。顔なのか!?」
 ラァスの人受けの良い可愛らしさに彼らは悪態をついていた。その間、せっせと真面目に朝食の準備をしているのはカリムとハウル。ヒルトアリスはキーディアの髪を櫛でとき始めていた。
 アヴェンダは荷物の中から人差し指ほどの白い針を取り出した。それの先端を肉に押し当ててしばらく待つ。
「んだそれ」
「ユニコーンの角よ」
「な、そんな馬鹿高いもの持ってるのかお前!?」
「うちのばぁちゃんが生え替わり時期のユニコーンと親しかったらしくて、もらったんだよ」
「角って生え替わるか!?」
「三度だけね。人間の歯だって入れ替わるだろ。それでも絶対数が少ないから、貴重品には変わらないけどね」
 騎士達は物珍しげにユニコーンの角のまわりに集まった。さすがに元魔法騎士団。こういう物には興味があるらしい。
「毒を持っていたら、銀色に変色するんだよ。光るからよく分かる。どうやら、これは大丈夫みたいだね」
 騎士達はへぇといいながら覗き込んでくる。アヴェンダは気にせず肉を解体していく。キーディアが指をくわえてみているのは、さすがに少しだけ気になった。
「器用だなぁ」
「あんた達、この程度もできないの? ずいぶんとお綺麗な訓練しか受けていないんだねぇ。スポーツ以外で狩りなんてしたことないんだろ」
 彼らは互いに顔を見合わせる。図星らしい。
 何もない場所で生きるには能力がいる。ラァスのように一人になっても心配しなくていいような、生きる力に溢れる者は少ない。
 アヴェンダは都会の暮らしも長いが、半分は田舎で暮らしていた。森で遊び、山で何日も薬草を探し、それなりの能力を持っている。
「こういうとき、食料を持参しなくても生き残るのは大切だよ。ラァスがあんたらに何を求めているかは分からないけどね、出来ることが多ければ多いに越したことはないよ。
 魔術で傷を治しても、身体に負担をかけるだけだし、魔術じゃどうしようもないのが、病気や毒だ。
 魔法薬ってのは、そこんところをフォローするためにあるんじゃない。魔法っていう隙間だらけの看板は、医者の世界じゃ魔法薬の後ろにあるんだ。
 毒を持つ生き物はごまんといるけど、解毒魔法じゃその十分の一ぐらいしか直せない。分かったね」
「ああ」
「帰ったら薬草の一つについて勉強しな。医療の出来る魔道師は世界で最も必要とされている存在だよ。殺すか女を口説くしか脳のない騎士と違ってね」
 彼らはうんうんと首を縦に振る。
 思ったよりも素直な反応に、アヴェンダは鍋に肉を放り込んで、彼らを見回す。
「そうだよな。あいつの相手をしてたら、魔法や剣なんて意味ないって痛感させられるもんな」
「んだな。剣も魔法も届かないけど、怪我だけは増えるからな」
「治療術は疲れるからなぁ」
 彼らは何の話をしているのだろうか。副団長は昨夜寝る前に研いだ鉈の様子を見ている。隊長はいないらしい。
 ──こんなことを許す隊長か……厳しいんだろうね。
 彼らは普通の騎士達とは違い、キザったらしいところが皆無であり、その分いい動きをしている。いい動きとは、もちろん実践的な剣だという意味だ。騎士達のお行儀がいい剣とは、やはり少し違う。
「そういや、さっきアヴェインって言ってたけど、薬屋のアヴェインか!?」
「そうだよ」
「さすがはあのババアの親戚。こんなガキでも、いろいろと知ってるんだなぁ」
 祖母は顔が広い。貴族にも何人もの知り合いがいる。友人ではなく、彼女は様々な相談を受ける立場だ。知識が広く、経験も豊富で職業柄口が堅いし、本当に必要とする言葉を言う。必要ならば、どんなに耳に痛い言葉でも口にする。そういう性格が、一部の人間には賢者のごとく崇められる結果をもたらした。
 アヴェンダが簡単な料理をしていると、そこにひょっこりハウルが帰ってきた。今までいなかった事にすら気づかなかったので、皆がああっと驚いた。
「アヴェンダ、魚取ってきたぞ」
 彼は満面の笑顔で自慢げに言う。年上の女性には、可愛いと言われて年上の女性にうけそうな、そんな大人気ない態度だ。
 この中で一番野性的なのは、このどんな姿をしていても貴公子の如き輝きを放つ、この男であることは明確であった。

 

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