6話 見習い騎士とのサバイバル
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ヴェノムは弟子達の様子を見ながら、ラフィニアの金髪に可愛い髪留めをつけていた。小さなラーフちゃんのぬいぐるみがついてる物だ。販売元は、モデルであるラフィニアに、新作を次々と送ってくれるため、最近彼女はウサギと竜のグッズに埋もれている。
「ハウルは元気ですね」
壁に映る皆は元気はつらつと歩いている。
「ハウルは野宿とか好きだから。食べ物に困ることはないし」
ルートは育ての親について、冷静に判断を下した。彼は野山が好きだ。風に属するくせに、野山が好きでたまらないのだ。それは空には食べ物は実らないが、野山には食べ物がたくさんあるからである。
そんな彼を見ながら、ルートは朝食のサラダを食べた。ドレッシングはなしで、野菜には包丁も手も入れずに、大きなボールに載せる。ハウルはこれを、ただの野菜の丸かじりだという。
朝食には、味のない野菜を食べる習慣があるだけで、決して味のないものばかり食べているのではない。野菜炒めは好きだ。肉はほとんど食べないが、食べられないわけではない。本当は彼も雑食なのだ。ただ、竜の多くは野菜や果物が好きなだけである。ただ、何でも受け入れる胃を持っているだけだ。竜の胃液はどんな鉱物も溶かすらしい。
ラフィニアの髪が結われると、彼女はスープとリンゴを与えられた。小さな手でウサギ型に切ったリンゴを掴む姿は可愛らしい。
「キーディアはあんな生活は初めてだろうに、大丈夫だろうか」
「無論です。アーラインの者は多少のことでは物怖じしません。現に新しいペットを得て、嬉しそうではありませんか」
キーディアは、ゾンビと楽しげに並んで歩いていた。
「……本当に、あれを持ち帰るつもりだろうか」
「ラフィのいい玩具になるのではないですか。命令がなければ決して噛みませんし。生き物よりも安全です」
「確かにそうだが」
彼は未知の存在に懐疑的なようだ。帰ってくれば、そのうち慣れるだろう。
今は見守るしかない。
ルートは大きくあくびをして、取れたての芋にかじりついた。
「山はいいなぁ、空気が美味い」
「あんた、どうして生き生きしてるのよ」
朝から元気なハウルに、アヴェンダが冷たく言う。彼は低血圧とはほど遠く、年寄りでもないのに早朝が一番元気だ。それを見て、騎士達はくすくすと笑う。
カリムは意識を周囲に向けながらも、彼等の明るさに笑ってしまい、無駄な緊張感がほぐれる。自分たちだけなら、重苦しい雰囲気で進んでいただろうが、彼等が場を明るくしている。
──ラァスさんがああなのも頷ける。
彼等と出会って人生が変わったと言っていた。昔、どんな所にいたかは知らないし、決して話そうとはしないが、彼等に対する感謝だけは伝わってきた。
これが理由なのだろう。
「っとカリム、進むな」
「何か?」
「変な植物がある」
ハウルは荷物の中から干し肉を取り出し、振りかぶって投げつける。それが落下しようとした瞬間、森が動いた。
たった一つの肉めがけ、その周囲の植物が食いついた。森が動いたように見えたのは、そこに群生している実の付いた小さな木に見える植物が、一斉に飛びかかったからだ。
「…………いっ……今のは」
「よくある食肉植物だ」
「ありませんって! 一度も見たことありません!」
「ひょっとしたら、この地方独特なのかも知れねぇな。いい匂いするだろ。これで動物を魅了して捕食するんだ。植物だけど半分動物みたいなもんで、ある程度移動する変な奴らだ。
昔ラァスも襲われて、自力で抜け出してきたことがあってさ、普通の人間なら絶対に死んでるのにって驚いたことがある。お前等もそれぐらいにならないとな」
彼はにこにこと笑いながら、迂回を始めた。真っ直ぐ進めばラァスのような者でない限りは全滅必須ということだろう。
「あの人は人間の範疇を越えていますから、私たちには無理です」
「無理無理言ってると、死ぬんじゃないか? だって、お前達が相手をするのって、ああいうのが強力凶暴化した奴らだぞ」
その言葉に、皆の身に戦慄が走る。
ハウルはもう一度、肉を投げた。
瞬時に食われる肉を見て、彼等は自分たちは本当に生きていけるのかと不安になった。ラァスのような人間離れした存在ならともかく、彼等は普通の人間だった。
「ラァスは魔力であの身体能力を手に入れてるけど、お前等よりも年下のガキだぞ。だけど、お前等よかずっと修羅場くぐってるんだ。あの身体能力はお前等だって術の多重掛けとかで手に入れられるだろ。一人が補助、一人が動く。そういう知恵もねぇのかよ」
ハウルの言葉は厳しかった。一人一人の向上も大切だが、チームワークも大切だ。
その肝心要のチームワークが、この隊には決定的に欠けている。一人一人の個性が強いと言えば聞こえがいいが、人の言うことを聞かない我が儘な集まりのため、統率が難しいのだ。
課題は山のようにあるが、彼の言った方法も一つの案だ。カリムのような魔道師肌の者は他にもいる。そういう者は、別の訓練方法を用意する必要もあるだろう。
「カリム、何か良からぬこと考えてんじゃねぇだろうなぁ」
「よからぬことなんてとんでもない」
自分自身が関わることだ。あまり無茶苦茶はできない。ただでさえ、流砂のお守りが大変なのだ。
「そういえば、流砂はどうして来なかったんだろう」
いつもなら、退屈しのぎと言って無理にでもついてくるのだが。
「そりゃ、ここに来るって知ってたからだろ。精霊とかは、自分の国からは滅多に出ないもんだ。他人の庭に入り込むには、相手が悪かったんだろ」
ここは太陽神の土地に近い。太陽神は四神とは距離を置いているため、四神の一人である地神配下が軽々しく来られる場所ではないだろう。彼が気軽に出歩くのは、四神の支配する場所、もしくはその眷属の支配する場所だ。
精霊というのも、勝手気ままに見えて難しいものである。
大きな木を見上げ、ラァスはひゅうと口笛を吹く。
今までで見た中で一番大きな木だ。その木の幹には大きな穴がある。木のむろの中は暗く何かが潜んでいそうな木がする。
「イス様、ただいま戻りました」
エティマは木に向かい言うと、大きな木のむろの中に気配が生まれた。一瞬、足に震えが来た。
「……なんだ、その男は」
低い声が響く。決して大きな声ではないが、はっきりと聞こえた。頭に響いている。
「男?」
エティマはこくりと首をかしげた。
「男?」
「うん男」
彼女はじっとラァスを見つめた。
「すみません、女性だと思っていました」
「いーえ、慣れてるんで。この格好ですし」
今更傷ついたりはしない。気にしないことが一番だ。それだけ可愛いということなのだと、自分に言い聞かせる。
問題は、姿の見えない『イス様』である。
「はじめまして、ラァスって言います」
「地神官が、なぜこのような場所に? その目なら、地神様直属だろう」
「今日は地神様に許しをもらって、みんなでハイキングに来ました」
訓練だが、地神の意識的にはハイキングで間違いないだろう。木のむろの中で、何かが動くのが見えた。
人が一人立つには小さな、しかし座る分には十分に大きさのそこに、気づくと男が腰掛けていた。
「わぁ」
木の葉のような色の衣を羽織り、長い萌葱色の髪を後ろに流し、鎖で手足を拘束されていた。
────
「何のプレイですかぁ?」
ラァスは極力明るく問うてみた。
「人を特殊な趣味のある人間のようないい方をするな。これは私の意ではない」
「あ、よかった。変な人だったらどうしようかと思いましたよ」
エティマに縛られて悦ぶような男なら、少し気持ち悪くて近寄りたくない。
「私はこの地に封印されている」
「それが視覚化したものですか? 鬱陶しいですね」
「あまり動かなければ消える」
「人間なら絶対にぶくぶくになりますね。それでそのスタイルなんて羨ましい」
鎖を巻き付けた怪しい人だが、それが妖しく美しくも見える。元がいいからなのだろう。
とにかく天然を装って、相手を呆れさせることが最も相手の油断をさそう。
「……変な人間を拾ってきたな」
「仲間とはぐれたそうです。精霊使いがいるそうなので、ここに案内しました」
「そうか。では、仲間が来るまで中で待つがいい」
ラァスは彼の言う意味が理解できず、顔をしかめた。
「中?」
「中は広くなっている」
イスは鎖をじゃらじゃらと引きずり、むろの中へと戻っていく。ラァスは悩みながらも、エティマが姿を消したのを見て、しぶしぶながら中へと入る。
この先には、一体何が待っているのだろうか。
──アミュに土産話になるような楽しいところならいいのに。
思いながら中にはいると、そこにあったのはごく普通の、一般的な家庭のリビングだった。
木で出来たイスにテーブル、食器が飾られた棚、そして珍しい植物の数々。驚くほど簡素だが、それ故に木のぬくもりを感じる部屋だった。振り返れば、先ほどくぐり抜けてきたむろの入り口には、木の扉があった。開けているようで、閉じているらしい。
奥からエティマが木のトレイを持ってきた。
いい香りのするハーブティが乗っている。
「どうして生き物がいないのに、ここにはこんなものがあるんですか?」
「イス様が揃えてくださいました」
ラァスはイスを見た。見た目は怪しい人だが、いい人のようだ。ダリは彼を小難しいように言っていたが、それほどでもないようだ。
「エティマは元々人間だった。こうすれば少しは人間だったときのことを思い出すかと思い揃えたが……」
人間が精霊になることは稀にだがある。
深淵の森の城にいるマースは、水で死んで水の精になった。
「エティマさんは森で亡くなったの?」
「私が殺した」
聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。修羅場という奴だろうか。
どちらにしても、ラァスは気まずく沈黙する。
ちらと二人を見たが、二人ともぼーっとどこかを見ている。二人とも全く気にする様子がないように見える。アミュもぼーっとしていることが多いが、これほど無感情ではない。
──気まずい。
黙っていると余計に気まずい。
「お二人は恋人なんですか?」
「…………」
イスは迷った後に、首を横に振った。
「壊れてしまったこれに、そんな意志はない。もとより、そのようなものではなかった。ただ、契約を交わしていただけの間柄だ」
「契約?」
「力を与えるが、ある条件で死ぬという契約だ。この馬鹿は始めから死ぬ気で私と交渉した。だから死んだ。私の力で死んだから、そのまま精霊になった。だから側に置いている。それだけだ」
エティマは人事のようにその話を聞いていた。
壊れている、と彼は言った。
少なくとも、生きているときはもっと人間らしかったのだろう。イスはそんな心なき彼女を見て、眼を細めた。
「なぜだろうか、お前のような子供に話しても意味のないことなのに」
彼はへらへらと笑っているラァスを見てつぶやく。
「他人に話せば心の整理がつくからじゃないですか。一人で抱えていると、憂鬱になるでしょ? それは人間じゃなくても一緒だと思いますよ」
「そうか」
それだけ言い、彼は再び黙る。
今度の沈黙は、嫌な沈黙ではない。
エティマは膝に鉢植えを置いてじっと見つめ、イスはそんなエティマを見つめる。かなりおかしな関係だが、嫌いではない。
精霊になるには、己の魔力の質と、死因が重なることが大前提だ。二人は元々相性が良かったはずだ。
ラァスが大地の上で死ねば、地精になるのだろうか。
その時、自分はどうしているだろう。
そう思い、ラァスはくつりと笑う。
下手な考え休むに似たり。今はゆっくりと休もう。
ヒルトアリスの本能のまま向かった先には、大きな大きな木があった。
一本だけ突出したその木を見上げれば、木漏れ日が目に入りまぶしく顔をそらす。
葉の一つ一つ、根の隅々まで、魔力に満ちた木だった。この根はどこまで伸びているのか、ハウルには想像がつかない。
途中から強い魔力を感じるようになったのだが、これが原因だったのだと思うとぞっとする。
その力強さを、この木は全身で示していた。
「すげぇなぁ」
「でけぇ」
混じりけのない人間である騎士達は、ハウルよりも鈍感であり、ただ見える事実に感心していた。魔力には気づいているだろうが、その原因がこれであることに気づいていそうなのは、ごく一握り。
「ここは……何なんでしょうか」
カリムは汗を滲ませつぶやいた。彼は気づいている一人である。
「精霊達が騒いでいます。地神官の連れが来たと、誰かに伝えています」
ヒルトアリスは周囲を見回し、微笑みながら言う。
地精の美女が見えているのか、ラァスとの再会が嬉しいのか、どちらに喜びを感じているのかは分からない。
「イーシヴィールさんって、すごい方なんですね」
ヒルトアリスは、くすくすと笑いながら言った。
「イーシヴィール!?」
ハウル、アヴェンダ、騎士達、その名を知る者すべてが同時に叫んだ。
「こ、ここにイーシヴィールがいるのか!?」
「イスって、イーシヴィールのことだったの!?」
ヒルトアリスは目を丸くして、詰め寄る二人をきょとんと見つめた。魔道の知識が浅い彼女は、何も知らないようだ。
「イーシヴィールも知らないの!?」
「ご、ごめんなさい」
「緑神、イーシヴィール。つまり樹木の神、森の神よ!」
「まあ」
ヒルトアリスは胸の前で手を合わせ、すごいですねと言うだけだ。一級神に付きまとわれていた彼女にしてみれば、二級神ごとき驚くに値しないのかも知れない。
「緑神ってのはね、邪神よ」
「ええ!?」
邪神とは、本人の意志にかかわらず、世界に悪い影響を与えた神を言う。その大半は、力を封じられ、身を封じられて、神として存在し続けている。
神が消えれば、世界に影響があるから、生かさず殺さず存在させられている者達だ。
邪神の代表が、このイーシヴィールである。
神を生み出そうとして、結果大陸一つを消滅させるきっかけを作った神の一人だ。魔道を本格的に学ぶ者なら、知っていて当然の知識なのだが、騎士達の中にも知らない者がいるようだ。ヒルトアリスが知らないのも当然と言える。
「ら、ラァス様が危ない!?」
ヒルトアリスは混乱し、止める間もなく走り出す。彼女の身体能力は、ラァスのような人間離れしたものではないが、先天的にラァスと同じように魔力を身体能力に変えることが出来る体質であり、基本的な身体能力は人間の範疇であるハウルに、足でかなうはずもなかった。
「ラァス様ぁ〜」
「ま、待て!」
最後まで話を聞くことなく、彼女は走り出した。
邪神という言葉に過剰反応をして、出会い頭に襲いかねない。相手が女であればともかく、イーシヴィールは男神である。
「緑神ってのは、すげぇ穏やかな神なんだぞっ!」
樹木を司るだけ有り、とても気が長く人とは違うゆったりとした時間を過ごす、変な道に誘い込まれなければひたすらのほほんとしていたであろう、それはそれは気の長いというか木の性質そのままの鈍いタイプだと、ヴェノムは言っていた。
「ああ、聞いてねぇ!」
「まったくあの子は……」
ハウル達は慌てて彼女を追った。穏やかな神でも、いきなり斬りつけられれば怒るだろう。神を殺せる武器でもなければ、ヒルトアリスにその力もない。しかし、怒らせるだけは出来る。
突然植物が消え、その巨木がはっきりと見えてきた。
その周囲には、緑神以外の植物は存在できないかというように、草一つないのだ。
そして木には大きなむろがあり、その中に力を感じる。
「ラァス様!」
ヒルトアリスは剣を持ってその木へと斬りかかろうとした。
「ヒルトさん、待って」
「はい」
ダリに担がれたキーディアが口に手を当て、小さな声をささやかな風に声を乗せたところ、ヒルトアリスはとても素直に振り返る。
女性の言葉には、どこまでも忠実なヒルトアリスである。
ハウルはこの歴然とした差に泣けてきた。
「ヒルトさん、ダリのお友達に乱暴しないでください」
「友達ではない」
ダリは即座に否定する。
友人と知人の差は、大きい。
「久しぶりに顔を合わせると思ったら、騒々しいのを連れているな」
ヒルトアリスが向かっていた大きなうろに、男が腰掛けていた。手足を鎖でつながれた、若草色の男。
「イーシヴィール、か」
封じられた邪神は、気だるげな表情でハウルを見た。
「風神様のお子か。ヴェノムの息子か」
「違う。あいつら別れた」
「もうそんな時期か。五十年に一度は距離を置くからな」
周期的にケンカをしていたのだろうか。常にヴェノムがウェイゼルを威圧しているイメージがあるのだが、昔は……と想像して、腹が立ってきたのでやめた。
「今度は本当に別れたんだよ」
「そうか」
彼は鎖を引きずり外に出た。じゃらりと引きずられた鎖は途中で切れており、地面に渦を巻いて落ちた。
彼がうろの中に手を差し出すと、中から白い手が出てくる。不思議と中は見えなず、ゆっくりと白い法衣が見え、金髪の頭が見えた。
「みんな、元気ぃ?」
ラァスは相変わらずラァスだった。どこでも誰かと知り合いすり寄っては、自分にとって過ごしやすい環境を手に入れる。
イーシヴィールに手を差し出され、どこぞのお嬢様のように穴から出てきた。
彼にとって、使えるものは人も神も関係ないようである。いや、知らないからこそ、普通の男のように使っているのだろう。知ればもう少し別な態度になるはずだ。
「ラァス、それ緑神イーシヴィールだって知ってるか?」
「ええっ!?」
ラァスはイーシヴィールを見上げ、瞳をうるうるとさせた。ラァスという男を知らなければ、男女を問わずこんな目で見つめられたら動揺する。
「無礼な事言って、ごめんなさい」
イーシヴィールはぽーっとラァスを眺め、首をかしげた。
「何かしたのか?」
「……何でもないですごめんなさい」
ラァスが負けた。しかし彼はめげずににっこりと笑う。
「そんなに偉い方なら、どうして教えてくれないんですか?」
「邪神が地神官に名乗るのもなんだろう」
「そんなことないですよぉ!」
無邪気を装ってじゃれつく彼を見て、騎士達が顔を引きつらせていた。
女達はうっとりと彼を見つめているのだから、世の中不公平だ。
「ラァス、帰るぞ」
「ええっ!? せっかくお近づきになれたのにぃ、寂しい」
「んじゃ泊まってくか?」
「そんなこと出来るわけないだろ。僕だって仕事があるんだから」
騎士達がラァスのやる気に嘆く。彼等にとって、ラァスがいない方が平和に違いない。
「寂しいけど、僕帰りますね」
「そうか」
イーシヴィールはやはり眠たげに言う。
「また来てもいいですか?」
ラァスがここを気に入ったらしい。
「好きにしろ」
イーシヴィールは人間の破壊活動には寛容らしい。
「それじゃあイス様、エティマさん。さようなら」
二人はよく似た動作で手を振り、そしてラァスはハウル達の元へと駆けてくる。
「ラァス様、お怪我はありませんか?」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ」
ヒルトアリスはラァスの微笑みに悩殺され、頬を紅色に染めた。もう何も言葉はない。彼女は一生こうなのかもしれない。
「お世話になりました」
「少年よ、元気でな」
最後の挨拶に、夢を見ていたヒルトアリスの目が点になる。
「少年?」
何も知らないラァスは、けたけたと笑って言ってしまう。
「やだなぁ、ヒルトさん。僕は男だよ」
その瞬間、ヒルトアリスは暴走するラァスの如く泣きながら走り出した。
「……えと……何!?」
ラァスはヒルトアリスが森の中に姿を消した方を指さし、首をかしげる。普通、意味不明だろう。
「ああ、言ってなかったけどあいつレズなんだ」
「…………」
ラァスは顔をしかめる。
女装していなくても女と間違えられるのを、彼は嫌っている。女装しているときはどうみても女性なのだが、今の彼もボーイッシュな女性にも見えるのは紛れもない事実だ。しかし彼はその事実を不快と受け止めるのが謎だ。
「いっちゃったけど、いいのかな?」
「……いいんじゃないか。危なければ、精霊達が守るだろ」
なにせここには、高位の精霊がいくらでもいるのだ。それは神がいる聖域だからだろう。腐っても、邪神は神である。封じられただけの神である。
「ま、城で会えるだろ」
「そっか。なら、みんなビシビシいくからね!」
皆の心の支えがいなくなった上、鬼教官が戻ってきたことで、騎士達の士気は地面すれすれぐらいまでに下がった。
少し前までは暖かだった風に、冷や寒いものが混じっていた。
草花も枯れ始め、秋の実りもほとんど食べた。あと一ヶ月もすれば雪が降り始める可能性もある。それまでには、恒例のエインフェ祭があり、それが過ぎれば冬はあっという間にやってくるだろう。
「キーディア、美味いか?」
焼いたナスを食べるキーディアは、こくと頷いた。小さな口でちまちまと食べる様は、隣に有翼人の子供を背に乗せたゾンビがいても──ほんの少しは微笑ましい。
「そいつが来て、もう一週間か……」
すっかりラフィニアの玩具だ。抵抗もしないし、今のところキーディアの術で腐っていない。しかし、それも時間の問題だ。
名前はモラと付けた。名付けてしまい、ハウル達も愛着を感じてきたところだが、腐ることを考えると死んでいるのだと痛感する。
「でも、腐り始めたら土に返せよ。ラフィには腐った肉には触らせられないからな」
「……時々出してもいい?」
「……時々な」
物わかりのいいキーディアだが、死霊がいないと寂しいらしい。
ラフィニアはカロンに抱き上げられ、その口元に小さく裂いたナスを差し出した。ラフィニアはほとんど好き嫌いをしない、たいへんいい子である。ただ、刺激のつよいものは与えていない。ピーマンも嫌がり食べない。大人になってもピーマンの苦みが嫌いだというヴェノムは、そんなものを食べさせる必要などないと言い切るが、将来的には食べられるようにした方がいいだろう。
「俺のナスは美味しいか?」
「美味しいなぁ、ラフィ」
「んまー」
やはりこの時期は芋やナスを焼くに限る。
そんな時だった。
「やっほー」
突然、高い少年の声が響く。
私服姿のラァスが、門から走って来るのが見えた。
「何しに来たんだ?」
「お休みを使って、イス様の所に遊びに行ってたの。エティマさんに、似合いそうなアクセサリとか持っていったんだ」
約束通り、彼は遊びに行ったらしい。使える知り合いは多いに越したことはない、という彼の生き方がそこにすべて現れている。
「僕が来たとき君たちいないんだもん。予告なしで来た僕が悪いけど、ちょっと寂しかったぁ!」
「ああ、ちょっとみんなで泊まりで出かけてた」
「アヴェンダちゃんとヒルトさんは?」
「女はみんな買い物。男はお子様達のお守りだよ。キーディアは人混みが好きじゃないだけだけどな。ナス食うか?」
「ヒルトさんと仲直りしたかったんだけど、残念」
さっと味付けしたナスを囓り、彼は頬をゆるめる。こうしていると、去年のことを思い出す。ラァスもまだ大自然に慣れていなかった頃だ。
「最近粗食かご馳走だから、たまにこういう豪快な食べ方が懐かしくなるんだ」
「んじゃ、芋持って帰るか? 今年はたくさん出来てさぁ。あの騎士達に食わせてやれよ」
「忘れてるかも知れないけど、みんなある程度の家庭に生まれてるんだよ。まぁ食べると思うからもらってくよ。食べなかったら他の人にあげればいいし」
「アミュは元気か?」
「うん元気。サメラちゃんの所にいるせいか、最近ますます不思議ちゃんになって、ミステリアスな美少女って腐れ野郎どもの注目を集めちゃってさ、たいへんなんだ。他にも大変なことはあるけど」
アミュも十三歳。そろそろ男の目を引くようになる年頃だ。顔立ちがヴェノムに似ている以上は、注目されるのも当然だ。か弱い少女でない上、周囲にいるのがラァスよりも実力のある面々である。心配というものはないだろうが、気が気でならないのだろう。
カロンはラフィニアをモラの隣に座らせ、
「そういえばラァス君、君はゾンビには耐性がついたんだね」
と言った。
「え?」
ラァスは首をかしげ、そしてカロンの隣で尻尾を振る狼のようなゾンビを見る。なかなかの美人で、生きていれば自慢のペットになっただろう。
しかしラァスは、それから一時間ほど帰って来なかった。