7話 ミスティックワールドへようこそ!

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 玄関の戸を開けると、包帯まみれの男が立っていた。腕には木箱を抱えている。
「郵便屋じゃないの。誰に?」
「カロン殿に、ミスティックワールドから」
「ミスティックワールドって、あのテーマパークの?」
 世にも珍しい、魔道技術を駆使した大掛かりなアトラクションがある巨大テーマパークだ。理力の塔でよくポスターを見かける。可愛らしいキャラクター達も人気らしい。
「玩具かしら」
 ラフィニアのために彼は色々な玩具を買い与えている。
「渡しておくわ」
 言うと郵便屋は姿を消した。
 軽い箱を抱えて皆がいるだろう図書室へと向かう。今の時間はラフィニアのお勉強の時間だ。幼い内からの教育は大切だとカロンが徹底して毎日一時間行っている。
 途中、中庭で素振りをしていたヒルトアリスに見つかり、しかも興味を示してついて来たりとしたが、それ以外は問題なくたどり図書室に着く。
 図書室では皆がそろって読書をしていた。カロンはラフィニアに情緒教育にいいと話題の絵本を読み聞かせている。
「カロン、小包よ。ミスティックワールドから」
 カロンは片眉だけを器用に上げて、箱をじっと見つめた。
「そうか、出来たか。ありがとう、アヴェンダ」
 彼は箱を開けて中身を取り出す。
 それは白い翼であった。
「んだそれ」
 ハウルはラフィニアのものよりも大きな翼を持ち上げた。
 それには人が装着できるように、肩と腰で支えるような金具がついていた。
「義翼だよ」
「どうするんだ?」
「もちろん、空を飛ぶためのものさ」
 ハウルが目を丸くした。
「ようはラフィの翼を人工的に作り出したんだよ」
「よくそんなこと出来たな」
 人間が空を飛ぶには、自身の魔力に頼るか、道具に頼るしかない。空を飛ぶための道具は大きすぎて、慣れてくると自分で飛んでいるという感覚はなくなってくるらしい。
「知識と道具さえあれば簡単だよ。
 鳥や虫は羽で揚力と推進力を生み出しているが、有翼人は身体のサイズには小さすぎるあの羽の力だけでは飛ぶことは不可能だ。筋力も足りない。ならどうして飛んでいるかというと、魔力でそれらを補い飛んでいる。有翼人は、そのため、世界一魔力の強いと言われる生物になったんだ。だから身体に宿る魔力は、様々な奇跡を起こすのだよ」
 奇跡を起こすらしい有翼人は、暢気にお菓子を食べている。その血は、その涙は、その肉は、とても高価な薬となる。知ってはいるが、現物を見ても信じられない。
「私はその魔力の放出を観測して、人工的に作り出したのさ。それを量産してみたんだよ。そうすれば、ラフィの羽も珍しくなくなるかも知れない」
 彼の言うことは、そういう方面の学のないアヴェンダには理解し難い。今回は比較的分かりやすかったが、どうすればそんなことが可能なのか、想像もつかない。天才とは凡人に理解されないのが世の常だ。皆も彼のことを愉快で変な男色のお兄さんだと認識しているだろう。
 義翼を監査していたハウルは、カロンの説明を聞いてつぶやく。
「世界一の魔力があっても、それを狙う数には勝てなかったってことか」
 有翼人は絶滅したと言われている。ラフィニアは、最後の一人かも知れない。、たった一人の彼女は、無邪気に笑っている。本当の意味で、彼女の仲間はいないかもしれないのに。
「最近調べて分かったんだが、それがそうでもない。彼等は魔力をもてあましている影響か、けっこう好戦的な種族でね。襲ってきた相手を嬉々として殺していたらしい。そんな性格だから、隠れたりはしなかったのが一番の原因と思われている」
 隠れ住んでいれば、絶滅することなどないだろう。そういった少数種族は隠れ住んで絶滅を逃れていることが多いが、有翼人はそれを良しとしなかったようだ。
 ──そういえばラフィもけっこう……。
 カロンの頭を殴っていたり、誰にでも突撃したり、生物を追い回したり。
 カロンが必死で教育する理由は、それも大きな原因かも知れない。
「ラフィは仲間がいないから、きっと人間の感覚で育つだろう」
 なぁ、とカロンはラフィニアに微笑む。ラフィニアは勇ましく「おー」と答えた。彼女の将来は、どうなるのだろうか。
「そうなんだ……。
 しかし、これで本当に飛べるのか? 途中で落ちたりしないだろうな?」
「もちろん。魔石が仕込んであるからね、魔力が尽きることはないよ」
 よく見て見ると、背中を固定する場所に、モルヴァル産と書かれている。モルヴァルは良質な魔石の産出国として有名だ。
「モルヴァルの魔石なんて使って、正気?」
 モルヴァルの魔石は最高級品だ。理力の塔などでは多く実験で無駄にも使われるが、このような玩具に使われるなど聞いたこともない。
「ミスティックワールドはモルヴァルにあるんだ。モルヴァル王室も、出資者の一つだよ。技術支援もしてもらっている。というよりも、魔石と魔法のこと以外でも何か国興しをしたいと相談を受けて、いつの間にかこうなっていた。魔石はいくらでもあるから、金に糸目をつけないんだよ。まったくすごいよ、モルヴァルの財力は。思わず女王陛下のプロポーズを受けてしまいそうになるほど」
 カロンがそこまで言うなら、そうとうのものだ。
 普通、収入を得るために国興しをするものだが、モルヴァルは違うらしい。魔石しかない国というイメージ払拭にはいいだろう。
 モルヴァルは魔道王国として有名である。土地柄、そして魔力が高いことが条件の王族が、小国ながらも魔道王国として不動の地位を得ている。
 王族は珍しくその土地に住む神や精霊達に愛された一族で、支配者が変われば精霊達が怒り魔石が出なくなるので、侵略されることもないという有力な国だ。
 ただし、観光地としてはまったくの無名であり、それを改善したかったのだろう。見事に成功しているのは、自国に合った国興しをした結果だと言える。
 しかしこのような場所に、あのモルヴァル王室の人間と関わりのある人間がいるとは思いもしなかった。
「見た目は華奢だから不安になる気持ちは理解できるよ。何なら、私が一度試してみようか」
 この中で一番体重のあるカロンは、義翼を背負い金具で身体に固定させる。
 肩の部分にあるスイッチを押すと、まるで生きているように動き出した。ラフィニアの翼のように魔力を放ちながらふわりと浮き上がる。けして成人男性を支えられるようなサイズではないが、彼は安定して浮いていた。飛んでいるというよりも、浮いているといった安定感がある。
「うん、さすがだ。バランスがいい。オートなんだが、人間のわずかな動きと意志をくみ取って動くんだ。このセンサーは私の幼い頃の作品でね、今でも傑作中の傑作だと思っている」
 カロンは発明のこととなると熱く語り出す。研究者というものは、そういうものだと祖母は言っていたが、彼は軽度だがそのタイプだろう。こういうときは、とりあえず分かった振りをして褒めてやることだ。
「すごいですね」
 キーディアは理解しているのかいないのかわからないが、浮き上がったカロンを見て手を叩いた。子供の素直な反応は、カロンを笑顔にした。
「キーディア、君も試すかい?」
「いいんですか?」
 キーディアは嬉しそうに口元をほころばせ、カロンの元に近寄った。
 降り立ち翼を外したカロンは、キーディアの身体に合わせて金具を調節し、背中に取り付ける。しっかり固定されたのを確認すると、スイッチを押して浮き上がらせた。
「すごい、簡単。本当に思ったように動きますね。外に出てもいいですか?」
「もちろん」
 キーディアは窓辺に因ると、一度窓枠に足を置き、外に飛び出た。
「子供にでも簡単か。事故が恐いが、説明書と高さの制限を設ければいけるな」
 カロンは手応えを感じたらしく、拳を握りしめた。
「やっぱ……値段は高いのか?」
 ハウルは子供らしく、見えない誰かとはしゃぐキーディアを見て問う。
「もちろん上流階級向けだよ。魔動ラーフと違って、質が命に関わるからな……おや?」
 カロンは箱の中から封筒を取り出した。
「ラブレター?」
 アヴェンダはカロンの手元を覗き込む。
 それは女性らしい文字で親愛なるカロン様へから始まり、上品な挨拶が達筆で書かれた、薔薇の香りが染み込む手紙だった。
「なんだ、女か」
 ハウルがつまらなさそうに言う。普通は逆だが、カロンの場合は別だ。
「素敵なお手紙ですね。書いている方の人柄がうかがえます」
「ああ。素晴らしいお方だ。世界で五人しかいない聖女の一人だしな」
 聖女という言葉に、ヒルトアリスは夢見るように焦点の合わない目をしてほうける。
 彼女はまだ見ぬ女性にでも恋することが出来るらしい。
「気になるか。明日にでも会ってみるかい?」
「お会いできるんですか?」
「お招き頂いてね。明日イベントがあるから、皆さんもどうぞと」
 カロンはラフィニアを撫でながら言う。最近話題のテーマパークということで、皆子供のように喜んだ。
 ただ、竜であるルートが指をくわえて見ていのだが、そんな彼にカロンは笑顔で言った。
「とくに、ルートには是非来て欲しいようだよ」
「え、いいのか!?」
「ああ。本物の君が見たいそうだよ。なにせ今や君は人気者だ」
 その瞬間、ルートの尻尾が力なく垂れ下がり、耳が下を向く。
「俺って、玩具になってるんだっけ」
「一番人気のアトラクションのシンボルにもなっているよ。絶叫マシンで、大人達にも人気だ」
「……別にいいけど。俺も行っていいんなら」
 ルートは滅多なことでは人里には行かない。どんなに小さな姿でも、竜という生物に偏見を持つ者が多い。いや、人間と精霊以外に対して偏見を持つ者が多いのだ。
「モルヴァルの聖女殿ですか。先代にはお会いしましたが、新しい方にはまだお会いしていませんでした。さぞお美しい方なのでしょうね」
 ヴェノムはノートに書き込む手を止めて言う。
 ここにも一人、人脈の広い女がいた。
「容姿のことには、触れないでやってくれ。コンプレックスの固まりでね」
「そうですか」
「しかしとてもいい子だよ。とても熱心で、とびきり頭のいい。なにせ、机上の空論を実現させたのは、彼女だからね」
 頭脳明晰の聖女に、ヒルトアリスはさらなる妄想的な恋をしたようで、頬を抑えてため息をつく。
 その聖女がどんな女かはどうでもいいが、一度その噂に聞く奇跡の業は見てみたいものだ。


 そこは、見たこともないような独特の世界であった。大きくファンシーだったり、芸術的だったりする建物や、大きなよく分からない乗り物。
 人間の街にほとんど行かないルートでも、ここは日常とはかけ離れているのを肌で感じた。
 先ほどからものすごいスピードで、印のある場所へ場所へと向かって走る乗り物の、中央にある大きな竜の像が気になった。
 皆叫んでいるのに、なぜか長い列が出来ている。
「あれはね、機械よりも魔道の技術がほとんどでね、けっこう苦労したんだよ。乗り物の本体には、浮遊石が使われている。ハウル君の父君が住む、浮遊城はそれの固まりで、力がかからない限りは一定の場所に留まり続ける性質がある」
 ある点に向かって特定のものを引き寄せる魔法があるのだが、それの切り替えの連続で成り立っているアトラクションらしい。中央はルー君とやらなのだろうか。迫力はあるが、子供が泣かない程度に恐くはない。玩具のルー君は子供だが、あれは大人のようだ。
「ルー君は小さな俺がモデルじゃないの?」
「チビも大きい方も君がモデルだよ。実際に大きくも小さくもなる」
 リュックの中に入れられているルートは、ハウルの背中越しに地図を見ると、ここは正面入り口を少し脇にそれたところで、ルー君の絶叫マシン『ドラゴンライド』は見た目よりも少し離れたところにあるらしい。
「しかしすげぇ人だな」
 ハウルは周囲を見回してつぶやいた。
「理力の塔が協力してくれているからね。理力の塔の手が届かない場所は、この大陸には存在しないと言っていい。理力の塔も交通機関に利用してもらえば利益になる。馬車にも広告が貼られたりな。相互利益を生む形の宣伝というのは、大切なのだよ」
 カロンはいつから商売人になったのだろうか。始めは怪盗で、次は賢者で、次はパパで、次は商売人。色々な顔がある。
「聖女様は、どちらに?」
 聖女のことしか頭にないヒルトアリスは、そわそわしながらカロンに問う。
「待ちたまえ。入り口で私を確認しただろうから、もうしばらくすれば……来た」
 カロンが手を振る先を見ると、二人の女性が歩いてやって来るのが見えた。
 一人は白い帽子に白い服。一人は黒い帽子に黒い服。
 一人は何の変哲もない品のいいの女の子。一人は美人だが、ヴェノムみたいな女性。目が赤くて美人なのだ。
「こんにちは、お久しぶりですカロン」
「お招き頂き光栄です、女王陛下」
 カロンは白い女の子の手を取り、手袋の上から口付けする。
 ルートを入れたザックを背負うハウルは、ヴェノムに「女王陛下?」と問う。
「やめてください、こんなところで。じゃないと殿下と呼びますよ」
「相変わらずだな、イレーネ」
「カロンも変わらず……ラフィニアはずいぶんと大きくなりましたね」
 イレーネと呼ばれた女の子は、ヴェノムに抱かれたラフィニアを見て目を丸くした。
「有翼人は成長が早くてね」
「そうですか。お久しぶりです、ラフィニア」
 ラフィニアはヴェノムの腕から抜け出し、飛んで彼女の腕に飛び込んだ。
「体重も増えましたね。羽根もしっかりして、立派に成長されましたね」
「イーネ、こんた」
「あら、私のことを覚えていてくれました? 嬉しいわ。こんにちはラフィニア」
 顔立ちは隣の美女に比べると地味だが、優しそうな女の子だ。立ち姿も綺麗だし、品があり、肌も白くて綺麗だ。女王様と言われて、ああと納得するような上品な雰囲気がある。隣に立つ邪眼の女性は、もっと色白だが、病気何じゃないかというほど不健康な白さで、イレーネの方がいい。よく見ればとてもスリムだが、出るところは出ていてスタイルが凄くいい。
 ルートが彼女をじっと観察していると、彼女と目があった。緑の瞳が輝き、手袋をした手が伸ばされる。
 なぜかハウルが身動ぎし、顔が強張る。らしくもなく緊張している様子だ。
「まあ、あなたがルートね」
「う……うん」
「なんて可愛らしいのかしら。触ってもいいかしら?」
「ああ、いいぜ」
 答えたのはルートではなくハウル。彼は女の子には優しいので、人事だと思い迷いもしなかった。女王陛下という言葉が、彼から抵抗力を奪っているようだ。自分は神の子のくせに。
 ハウルはザックを背から下ろし、中からルートを取りだしてイレーネに渡し、代わりにラフィニアを受け取った。
 ハウルはぼーっとイレーネを見つめていた。時々ヒルトアリスを見つめるときがあるが、あの時に似ている。
「思ったよりも柔らかいわ。本物はもっと固い物だと思っていました」
「大きくなれば固くなるけど、今は小さいから柔らかいよ」
「可愛い」
 ぎゅうと抱きしめられ、ルートは手足をばたばたとさせた。
 女の人に抱かれるのは苦手だ。胸があるから、ハウルに抱かれているのとは全然違う。
「ごめんなさい、苦しかった?」
「知らない女性に抱きしめられて、照れているんだよ」
 その通りだが、カロンに言われると腹が立つ。しばらく彼女になで回されていたが、その手に隣に立っていた邪眼の女が手をかけた。
「私も私も」
 邪眼の女性はイレーネにねだる。
「あんたが聖女?」
 見た目ラァスが逃げ出しそうな女性だが、ヴェノムを見慣れているのでそう思った。
「まさか! 私のような下賤な者が聖女などとんでもない。
 聖女でありモルヴァル女王であらせられるのは、貴方を抱いていらっしゃるイレーネ様よ」
 ルートは自分を抱く少女を見上げた。優しげな微笑みは、ルートに安心感をもたらす。邪眼の女の方が美人だが、イレーネの方が好感が持てる。聖女と言われると疑問を持つが、アルスのような聖女よりはよほど聖女らしい。
「彼女はエヴァリーン。わたくしの側に使えてくれている世話役よ」
「邪眼が世話役?」
「彼女は邪眼ではありません。吸血鬼ですから」
 エヴァリーンはにこりと微笑む。吸血鬼は日光に弱いはずだが、平然とそこに立っている。
「今回は、天使の翼と絶対に落ちない日焼け止めクリーム『スノーホワイト』のキャンペーンイベントがあります。カロンをご招待したのも、そのためです」
「日焼け止め?」
「ええ」
 吸血鬼が日焼け止めで、ふと以前城に来たという男を思い出した。ハウルもまた、連想したらしく口を開く。
「ひょっとして、ヒュームとかいう吸血鬼知ってるか?」
「……ええ、あの方はよく遊びに来られますから」
 彼女は一瞬心の底から嫌そうな顔をした。
「彼から絶対に落ちない日焼け止めを作って欲しいと言われて、作ったのですが……それが?」
 吸血鬼である以上日光の光だけはどうしようもないので、それを防ぐことを強化し、自身の弱点を補ったらしい。どうやら、深淵の城の悪霊達に痛い目にあわされた吸血鬼は、少しは反省したようだ。反省して、その改善方法が人に頼り切りというのもなんであるが。
「落ちない日焼け止めですか。どうやって落とすのですか?」
 美容のことと有り、ヴェノムが食いついた。彼女は今、いつものような仮面ではなく、ヴェールをかぶっている。いつもはヴェールは突風でめくれ上がる可能性があると視界のない仮面を付けるのだが、今日は観光のためとカロンの説得で妥協したようだ。もしも人に見られても、ここから仮装で通るらしい。本物の吸血鬼までいるのだから、それも当然だった。地図の中には、ホラーゾーンもあり、お化け屋敷もあった。吸血鬼のエヴァリーンも、ただの仮装した従業員と思われている可能性がある。
「同時に販売するオイルで落ちますわ。肌の若返り効果があるエッセンスもあります。わたくし、これでも二十歳過ぎなのですが、誰にも気づかれませんわ」
「まあ」
 とても二十歳には見えない。彼女はどう見てもヒルトアリスと同じほどの年頃で、かなりの童顔だ。
「試供品を用意いたしますので、是非一度おためし下さい」
「ええ、ぜひ」
 商売上手な女王様だ。グッズ販売だけに留まらず、美容薬まで販売しているなど、商魂たくましい。ヴェノムも確かそのような店を経営しているはずだ。経営しているからこそ、気になるのだろう。
「イレーネ、せっかくだから、皆の魔力をもらったらどうだろう。ここにいるのは幸い魔力の強い者ばかりだ」
 カロンは突然奇妙なことを言いだした。
「いいのですか?」
「きっとそこの彼女と、彼は協力してくれるだろう。ルートなど魔力に溢れているから、秘密で数個分取ったところで気づきもしないだろう」
 鈍感と言われているようで腹立たしいが、魔力を多少抜かれて気づけるかと問われれば自信がないのも事実だ。魔石とは、他者から奪った魔力でも出来るのだと感心するだけに終わろうと自分に言い聞かせる。
「少し魔力をもらってもよろしいかしら?」
 イレーネは小さく首をかしげて問うた。
「もらった魔力はどうなるの?」
「他人の魔力は魔石の原料になります。竜属の魔石は見たこともないので、とても興味があります」
「別にいいけど」
 許可すると、彼女は突然ルートの額に唇をつけた。
 まさか口で吸うとは思わなかった。これは誰彼かまわず出来ない方法だ。
 しばらく唇が額にひっついたままで、ルートは身を小さくして耐えた。緊張して身体が震える。下手に動けば角が彼女を傷つけるかもしれない。女王様に傷を負わせたとなれば、普通なら極刑ものだろう。
「っ……ありがとうございました」
 彼女は大きく息を吸い、ルートに感謝の言葉を述べた。呼吸を止めていたらしく、息が荒い。
「魔石はいつできるの?」
「しばらくかかります。出来上がったら少しお分けいたします」
「いいのか? 魔石って高いんだろ?」
「魔石を作れる魔力を持つ者はあまりいません。私の魔石には属性が魔力を借りた者によって変化します。貴重なものを作ることができるのは貴方のおかげですから、それを分けるのは当然のことです」
 ルートは感心しながら、どんな物が出来上がるのかが楽しみだった。彼を抱いているイレーネからは、花の香りがした。薔薇の花の香りだ。カロンの手紙についていた匂いと同じだと気づく。
 女王様にしてはやけに親しみやすく、とても優しい。
「わ、私!」
 突然、ヒルトアリスが前に出た。彼女はとても興奮している。
「私もぜひ!」
 イレーネは一瞬きょとんとして、それから微笑む。
「いいのですか?」
「はい!」
 ヒルトアリスは瞳をキラキラさせ、喜びに充ち満ちた表情をしている。
「こらヒルト!」
 ハウルが叱るが、聖女の口付けの前に夢見る彼女の耳に、そんな言葉など届くはずがない。女性がからむと、彼女の理解力は著しく低下する。
 ハウルが額を抑え、カロンに慰められる。
「では、失礼します」
 イレーネは彼女の頬に唇を押し当てた。しばらくするとヒルトアリスはやや疲れた様子で、しかし満ち足りた顔をして解放された。
「そんなに魔石の出来上がりが楽しみなんでしょうか?」
「違うと思うけど」
 彼女に言う必要はないだろう。
「私も」
 好奇心旺盛なキーディアは『吸血鬼を連れた優しそうなお姉さん』に好感を持ったらしく、聖女の肩書きにも恐れず前に出た。イレーネは座り込み、キーディアの顎に唇を付ける。キーディアは初めての体験に興奮して、アヴェンダに走り寄って抱きついた。今日、キーディアの保護者ダリは、主の影の中に留守番だ。ここには危険物の持ち込みは禁止されているので、剣の精霊である彼を連れ歩くことは不可能なのだ。そのため、キーディアはアヴェンダにべったりとひっついている。
「イレーネ様、そろそろ私にも抱かせてくださいませ」
 すねたような様子で、エヴァリーンがイレーネを促す。
「ええ……って、ええ!?」
 彼女は目を見開いて硬直した。ルートもそれを見てあんぐりと口を開いた。
「お姉ちゃん、早く代わって」
 少年がイレーネに抗議した。
 気づけばそこには、子供達による列のようなものが出来ていた。
「ほら、坊やも並びなさい。ルー君が抱けますよ」
「ルー君、可愛い! こっち向いて!」
 どうやらこの徐々に増えつつある列は、ルート目当てのものらしい。
「あの、この子はこの方達のペットなんですが」
「えー、抱かせてくれないの!?」
「ええと……」
 イレーネは困ったように飼い主たるハウルを見た。ペットというのは違うが、一般の感覚で言えばそうなると言うことは理解している彼は黙っている。
 ハウルは子供達に見つめられ、困った顔をし始めた。どうやって断るかに困っているのだろう。目の前で女性が困っているのにも困っている。
「よし、一回十リーブだ!」
「ちょ!?」
 あっさりと子供の小遣いにもならない端金で売られた。
「何考えてるんだ!?」
「パパ、十リーブちょうだい!」
 ルートは子供達に手渡され、やがてもみくちゃにされて、いつの間にかいた可愛らしい服を着た従業員に助けられつつ、いろいろとさせられたりしながらその日は終わった。

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