7話 ミスティックワールドへようこそ!

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 テーマパーク内にあるレストランの個室に案内された彼等は、そのファンシーな内装に目を丸くしたり、喜んだり、喜ぶ者を微笑ましく見守ったりしていた。
 ハウルはルー君型の陶器の花瓶を見て思わず吹き出す。ルートが腕の中に花を抱えているようでとても可愛い。その可愛い白竜のモデルとなったルートは、今頃可愛くも容赦なき恐ろしい子供達に遊ばれているのだと思うと、少し気の毒だ。幸い、頑丈なのが竜族で、叩かれても痛い思いをするのは相手である。イレーネの時は構えていなかったので柔らかいと言われていたが、乱暴に扱われることが分かっていて力を抜いているはずがない。相手を見て、対応を変えるだろう。人を殴れば痛いということを、子供達も知ることになる。
「申し訳ありません。まさかあんな事になるとは……」
 初老の男性にエスコートされて上座に案内されたイレーネは、心の底から申し訳ないと顔に出して謝罪した。
「いやぁ……思えばああいう珍しい生物がいたら、イベントだって思うのも仕方ないよな」
 あの子供達を蹴散らすのは、あまりにも哀れだった。まるで玩具を取り上げられそうなラフィニアである。そんな可哀想なことが出来ず、つい頑丈なルートは一日ぐらい平気だろうと思ってレンタルしてしまった。
「ははは、楽しい旅行にハプニングはつきものだよ」
 カロンは楽しげに笑っている。腕の中には、ラーフちゃんやルー君、その他知らないキャラクターだらけのこの部屋に夢中なラフィニアがいる。吸血鬼らしきものまで混じっているのがこの国らしい。
 皆は用意されたイスに腰掛け、給仕が運んでくる冷たい飲み物と可愛らしいラーフ型クッキーを見た。
「お口に合うか分かりませんが、どうぞ召し上がってください」
 言われるがままにそれを口にする。ごく普通の美味しいクッキーに、冷たいフルーツジュースだ。王族が口にするにしては、かなり質素かもしれない。土産品か何かだろうかと、クッキーを眺めた。
「これはまた君が焼いたのかい?」
「はい。待っている間、暇だったので。この型最近販売したもので、けっこう売れているんですよ」
 ハウルの手が思わず止まる。女王様が焼いたクッキーを今自分は食べているのだ。こんな素朴な味のクッキーを焼く女王様が世の中にいるとは思わなかった。
「味見をしていないので、出来が心配でしたが、どうですか?」
「とても美味しいよ」
 ラフィニアも夢中でクッキーを食べている。
「なんで女王様がそんなこと……」
「お菓子作りが、唯一許される趣味なんです。掃除も洗濯もさせてもらえないので……あらやだ、わたくしったら」
 ほほほ、と彼女は笑った。
 気のせいか「掃除」とか「洗濯」とか聞こえたような気がした。
 きっと気のせいだろう。何か似たような言葉の、高尚なものがあるに違いない。
「彼女は市井の生まれでね、十代始めの頃までは王族とは無関係だったんだ。だからとても気さくで優しい方だよ」
「田舎者の癖が抜けなくて、お恥ずかしい限りです」
「何を言うんだ、そんなところが君の面白いところじゃないか」
「嫌ですわ」
 この二人が交友を深めている理由が理解できた。
 男女問わず、カロンは実力があり面白い人間が好きなのだ。人は贅沢に慣れると、元の生活を嫌うというが、彼女はそういうタイプではないようだ。
「ところでカロン、お兄様のことを聞きました。
 逃げ回っていらっしゃると伺いましたが、国に帰らなくても大丈夫なのでしょうか? わたくしの元にも何度か使者が送られてきましたわ。匿っているのではないかと疑われたようです」
「それは申し訳ない。
 国のことは大丈夫だよ。賢者である私が出ていっても、結局は王にはなれないから意味がない。ウィトランも諦めたようだし、どうにかするさ。
 何より、あの愚弟と関わるのはもうこりごりだ。なまじ魔力が強いから、命がけになる。欲しがりの弟だから、きっと私が出て行けば余計にムキになるだろう。火に油を注ぐことになるのは目に見えている」
「確かに、そんな方でしたわね」
 カロンも身内には苦労をしているらしい。彼も苦労をかけている一人だろうが。
「それほどに王位が欲しいなら、マディアスぐらい殴り倒してしまえばよかったのに」
「それは無理だろう。弟はマディアス殿を私以上に嫌っていましたからな。私と君が恋仲だとしたら、分からなかったが」
 カロンはよほど弟に嫌われているようだ。もしもカロンがノーマルなら、もっと深い泥沼になっていたのではないだろうか。
「ほんと、マディアスはあの気の強い方をどうやっていじめたのかしら。あんな事しなければ、私も行き遅れる事などなかったのに」
 話を聞く限り、彼女とカロンの弟と縁談話のようなものがあったらしい。それを誰かがぶちこわしにした結果、カーラントは兄を殺すような男が王座についているのだ。
「しかし彼が反対するのも当然だよ。君が不幸になるのは目に見えているのに、賛成するような男なら何百年も国に寄生したりはしないだろう。ある意味、君のことを一番心配してくれる男だ。だから君は彼が納得する男と結婚するべきだろうな」
 彼女も、いろいろと苦労しているらしい。二十歳を過ぎていると言っていたが、それでもカロンより年上ということはないだろう。行き遅れとも思わない。
「でも、誰も認めないんですよ、あの頑固オヤジ」
「それでは、認めざるをえない男を用意するしかないな。しかしあの狂気の天才を認めさせるか……」
 と、彼はぽんと手を叩いた。誰かいい男でも知り合いにいるのだろうか。ヒルトアリスの兄など、地位もあり顔もよく魔力も高いかも知れない。
「こちらのハウル君などどうだろう」
 突然カロンはそんなことをのたまった。
 彼女はハウルを見て、こくりと首をかしげた。
 ハウルの頭の中は真っ白になる。
 今の話の流れは何だっただろう。
「ハウル君、君は恋人を欲しがっていたな。彼女はどうだろう。性格は保証するよ」
「え……と……え……と」
 ハウルは意味が分からず、混乱して舌が回らない。
「彼女の方が年上だが、その方が好きだろう。着やせするからわかりにくいが、スタイルも抜群だぞ」
「…………」
「彼女は今、お婿さん募集中でね、舅以上の力といびりに耐え抜く根性のある男が条件なんだ。君なら家柄も力も申し分ないし、あの男もぐうの音も出ないだろう」
 ハウルはようやく、すべてを認識した。認識して、さらに困惑した。
「ななななな、なんじゃって!?」
 ハウルは驚きのあまりろれつが回らず、喉からは珍妙な声が漏れた。
「そんな、ずるいですっ!」
 ヒルトアリスが嫉妬のあまり叫ぶ。
「二人とも落ち着きな」
 無関係とあって、冷静極まりないアヴェンダが言う。
 言われて、落ち着く。カロンはただ言っているだけだ。
 イレーネも余裕でころころと笑い、それから眉間にしわを寄せて言う。
「カロン、そんなことを言っては迷惑をかけます。これほどの方を望むほど、わたくしは大それてはいませんわ」
「良縁だと思うが。ハウル君は嫌ではあるまい?」
「え……えと」
 少し怒ったようなイレーネの顔を見ると、言葉が出てこない。カロンが馬鹿なことを言うから、気分を害したのだろう。
「ほら、嫌がっておいでよ」
「うーん。今までの傾向から、いけると思ったのだが」
「あなたの人を見る目は一般とは少々異なりますもの、当然です。風神様のご子息ともあろうお方が、わたくしのような者の夫となって下さるはずがないでしょう」
 彼女はカロンに対して責めるような、窘めるような顔をして言う。
 ハウルは勘違いされているのに気づき、あたふたと言葉を探した。
「あんなお美しい女性に囲まれた方が、わたくしのような者との縁談が来ても困らせてしまうだけです」
「それは違う!」
 この瞬間のハウルの舌は、異常なほどに滑らかであった。
「あいつら見た目だけだ!」
 その瞬間、ヴェノムの投げたストローが額に刺さる。ストローは普通投げたとしてもナイフのように飛ばないはずなのだが、額から血が出る程度には威力があった。
「まあ、大丈夫ですか? どうしてこんな血など……」
 ストローが当たる瞬間を見なかったのか、ストローがこんな風に凶器になるとは思っていないのか、イレーネが立ち上がりハウルの額に手を当てた。彼女は手袋を外し、額に触れる。イレーネの小さな顔が、目の前にある。
「い!?」
 大きな緑の瞳は、何度も瞼を上下させる。ばさばさと音が鳴りそうなほど長いまつげに気を取られていると、ハウルの額に唇が寄せられた。
 思わず身体に力が入る。
 紅の塗られた淡い色の唇は小さくすぼめられて、額に暖かい吐息がかかる。
 高鳴る胸を思わず押さえ──離れる唇を見て顔が引きつる。
 ──な……?
 額をハンカチで拭かれ、ハウルは思わず目を閉じた。
「綺麗なお顔に戻りました」
「へ?」
「ほら」
 彼女はハンドバックから手鏡を取り出し、ハウルの顔を映す。額に傷跡はなく、血も滲んでいない。治療をしてくれたようだ。吐息で傷がふさがるなど、聖女らしい特技である。
「あ、ありがとう」
 顔が熱いのを自覚しながら、ハウルは誤魔化すようにジュースを飲んだ。心臓がばくばくと鳴っている。勘違いした己が恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だ。
 イレーネの笑顔が妙にまぶしい。
「相変わらず、魔力の高い女性に弱いな君は」
「そ、そうなのか!?」
「自覚なしか……」
 そう言えば、いつもドキドキするのは魔力の強い女性だ。仲が良くなるのも魔力が高い人物ばかり。つまり魔力で人を判断しているということだろうか。
「始めから結婚と言ったのがまずかったか」
 カロンはくつくつと笑う。自分の恋愛は上手くいかないくせに、人のことに口出しするなど百年早い。
「どうだろう、ヴェノム殿。いっそ、見合いでもさせてみたら」
 ハウルは初めて自分に降りかかるそれに、戸惑いを覚えた。
 見合い。
 そんなものが自分に関わる日が来るなど、夢にも思わなかった。
「そうですね。しっかりしたお嬢さんですし、変な女に騙される前に婚約しておくのも悪くありません」
「………………」
 ハウルの胸に言いようのないもやもやが生まれた。ヴェノムが見合いに賛成するなど、まさに青天の霹靂である。
「ハウル君、婿に行ってもいいと言われただけで、そんな顔をしないでくれたまえ」
「……っち、ちがっ」
 うろたえるハウルを、ヴェノムが慰めるように撫でた。
 結婚するなら、嫁がいい。
 そう思うのは事実だ。
「ほら、嫌がっておいでです」
「あれは嫌がっているのではないよ。
 彼の数少ない欠点は、口が悪いのと──度を超えたおばあちゃんっ子なところだ」
 アヴェンダが物はいいようだとか何とか呟いた。
 祖母べったりという自覚はあるが、家族を大切にして何が悪いのだろう。
「しかしお見合いとは、どのように?」
 ヴェノムは孫の気持ちなど放置して勝手に話を進め始めた。
「普通は両者の後見人が立ち会って顔合わせだが、すでにしているから今更だな。互いに自己紹介するにしても、私たちがいてはやりにくいだろう、ハウル君の性格からして」
 カロンはどうしてか乗り気だ。
「ああ、いっそあとは若いお二人で、というのはいかがでございましょう」
 どうしてかイレーネの付き人であるエヴァリーンまで乗り気だ。
「幸い、外はデートスポット。お互いを知るには、いい機会ですわ」
「なるほど」
「ハウルも女王陛下に粗相のないよう、紳士らしく立派にエスコートなさい」
 話は勝手に進んでいた。
 ヒルトアリスに嫉妬され、キーディアには羨望の目を向けられ、アヴェンダは関係ないので無関心。
 そして大人達は、勝手に段取りを決めている。
「しかしいきなりデートというのは問題です。まずはやはり保護者同伴で食事をして、それからというのが、お見合いらしいのではないでしょうか」
 ヴェノムは淡々と提案する。
「そうだな、そろそろ昼食の時間だ。二人だけでは、まだぎくしゃくするだろう」
「ええ、ハウルは意外に照れ屋ですから」
「では子供達は私が見ていよう。ヴェノム殿とエヴァリーン殿は、二人の保護者として同伴していてくれたまえ」
 話はとんとん拍子に進んで行き、イレーネがハウルに向かって黙って手を合わせ、唇を「ごめんなさい」とだけ声を出さずに動かした。
 彼女も、色々と苦労しているのだろう。


 初めてのお見合いとは、だいたいこんな感じだった。
「わたくしはモルヴァルの女王、イレーネと申します」
「えと……俺は風神のハウル」
「趣味は読書と家……お菓子作りです」
「俺の趣味は釣りだ」
「釣りとは、どんな魚を釣られるのですか?」
「い、色々と……食べられるものを」
「まあ、素敵なご趣味」
「あんたのクッキー、美味しかった」
 など、ハウルのぎこちない言葉に、イレーネはフォローを入れつつ柔らかな笑顔で当たり障りのない会話を進めた。
 彼女は柔らかな調子で話すのだが、意外にはっきりと聞き取りやすい。そんな言葉の調子は、優しげな彼女の魅力を引き立てている。ヒルトアリスのような美女ではないが、十分可愛い女の子だ。結婚相手に困るような風には見えない。話していても、人の良さが伺える。
 よほど彼女の保護者とやらが、彼女を溺愛しているのだろう。
「ハウル、女王陛下に対する口の利き方がなっていません。人を見て口調を変えなさい」
 ヴェノムに後ろ頭を殴られて、ハウルは相手の身分を思い出す。
「う、あ、うん……いや、はい」
「お気になさらずに、普通でどうぞ。お料理も美味しいですよ」
 イレーネは緊張するハウルを落ち着かせるように言う。ハウルは目の前の料理をナイフでつつき、気を紛らわせる。しかしとても食べる気にはならない。
「さすが陛下はお心が広くていらっしゃる」
「ハウル様は見た目は大人びていらっしゃるけど、中身は年頃の男の子で可愛らしくていらっしゃいますもの」
 彼女はころころと口に手を当てて笑い、隣のエヴァリーンに目を向けた。
「ハウル様はお食事が進まないご様子。さっぱりしたものをお持ちして」
「では、デザートのシャーベットをお持ちいたしますわ」
「あ、いやいいや。さっきジュース飲んだし」
 緊張して、それどころではない。今シャーベットを食べれば腹をこわしそうだ。何に緊張しているのかはよく分からないが、イレーネよりもヴェノムの存在が一番気になる。
 ちなみに彼女は淡々と料理に舌鼓を打っている。女王に出すだけはあり、味はいい。それを満足に食べられない軟弱な胃が恨めしい。
「ハウルが食べないなど珍しい」
「俺だってそんな日もある」
「まあ珍しい。食事をしないのでしたら、いっそもう外に行きなさい。私達の視線が気になるようですし」
 ハウルを育てた張本人なだけあり、見破られている。イレーネを見ると彼女もほとんど料理には口を付けていない。
「食欲ないのか?」
「ええ」
 彼女はたおやかに微笑む。ヒルトアリスの身に染みた貴族的なものではなく、聖女的な慈愛に満ちた笑みだ。この独特の雰囲気は、市井に生まれたせいだろう。上品だが、カロンからも時々感じる嫌みを全く感じない。
 彼女は長い髪を指先で弄んでいる。三つ編みをアレンジした、自分自身ではとても出来ないだろう凝った髪型で、彼女によく似合っている。栗色の髪についたいくつもの飾りは、ふんだんに魔石が使われている。魔石は魔力を秘めた鉱物であり、宝石のように光る物も多く、上流階級の者はこれをお守り代わりに持つこともあるらしい。魔石はそこにあるだけであれば魔力を放ち続け、永遠にその魔力は枯れることはない。多くの魔石を利用する魔具は、この魔力を利用して永遠の効果の持続を得ている。しかし放たれる以上の力を引き出せば、どんどん小さくなり消滅する。永遠の動力とするには技術がいり、モルヴァルの魔具職人は世界一の魔石使いの多い国だ。魔具についてならば、理力の塔をも上回る技術と知識を有している。
 理力の塔では、魔石の粉末を儀式などによく利用しているらしい。魔具も魔石もモルヴァルからの輸入に頼っている。
 イレーネの身につけている宝石に見えるものすべて、魔石なのだろう。しかも最上級の力を持つ、最高級の魔石だ。力が強く、どんな美しい石は宝石よりも貴重である。あのラァスのコレクションの中にも、魔石は多く入っている。魔力を持つだけ有り、人の念がしみ込みやすいのだ。彼はオカルト嫌いなくせに呪われた宝石が好きだから。
 イレーネの頭から足下まで、ざっと数えただけで十以上の魔石があった。全身でいくらになるかなど想像もつかない。自分で作りだしたものを自分で身につけているのだから、世界一自分の力で自分を飾る王だと言える。
「では、イレーネ様。お着替えを」
「ええ」
 イレーネは音を立てずに立ち上がる。
「着替え?」
「ドレスでは軽装のハウル様と歩いていると浮いてしまいますもの。
 それにこのドレスを着ていると、わたくしであることを従業員の皆が意識します。仕事がやりにくいでしょうし、それでは利用者の目から見た欠点が分かりませんもの」
 仕事熱心な彼女の姿勢に、ハウルは感心した。真面目な性格なのだろう。
「イレーネ様。こんな時にお仕事の話は……」
「あら、申し訳ございません。無理を言って付き合っていただいているのに、つまらない話をしてしまいました」
 彼女は頬を赤らめ、ハウルに謝罪する。
「無理って事はないぞ。嫌なら逃げてるし。それにあんたの仕事の話は珍しくて面白い」
「ありがとうございます。では着替えて参りますので、少々お待ち下さいませ」
 イレーネとエヴァリーンはボーイに案内されて別の部屋に行く。ヴェノムと二人きりになって、ハウルは息をつく。
「緊張するのですか?」
「そりゃするだろ! いきなり見合いとか言われるし!」
 まともに食べたのは、初めに出てきた前菜だけだ。イレーネも似たようなところで、ハウルよりも食べていない。話す内容もぎこちなく、さぞつまらない男だと思われていることだろう。
「たまにはいい経験でしょう」
「っせぇ」
「イレーネ様に、そんな言葉遣いを続けるつもりですか?」
「…………」
「イレーネ様になら問題はありませんが……」
「いいのか!?」
「いけないと思うなら改めなさい。結婚するにしろしないにしろ、イレーネ様と関わることは今後もあるでしょう。魔道師として」
「…………」
 ハウルはイスの上であぐらをかいて頭をかいた。どうにもこういうのは苦手だ。ヴェノムはモルヴァルの女王と親しくなればメリットは大きいと思っている。それは理解できる。
 ハウルは自然とため息が漏れた。
 イレーネよりも、ヴェノムの存在が気になって仕方がない。
「そうそうハウル。結婚するにしても、婚前前に間違いを起こしてはいけませんよ。初めてのデートは何もしてはいけません」
「し……しねぇよっ!」
 遊園地でどうやったら間違いを犯せるというのだろうか。
「頑張りなさい」
「っせぇよ! 食べながら言うなっ!」
「これは美味しいですよ。後でレシピを教えてもらいましょう」
 どこまでもマイペースに無表情なヴェノムを見て、ハウルは腹を立てて部屋を出た。
 イレーネはどんな服に着替えてくるのだろうか。女王様の変装は、ほんの少し楽しみだった。


 鏡の前で自分の姿を見て、ため息をつく。
 冗談でも『美女』とは呼べない、平凡な顔立ち。普通の町娘なら可愛らしいと言われるかも知れないが、彼女はどういうわけか『絶世の美女』として名が通っている。その噂が一人歩きしてしまったため、滅多なことでは女王として他人に顔を見せられない身分になってしまった。人前に出るときはヴェールで顔を隠すことが多く、その下で吐き気を我慢して笑う振りをする。
 カロンの連れの黒髪の女性は、同じ人とは思えないほど美しかった。彼女のような容姿であれば、苦労することはなかったのだろう。
 だから伴侶は、イレーネの平凡さを打ち消すような美しい男性がいいとは思っていた。子供が美しければ、条件のいい伴侶を得ることが出来る。イレーネももっと美しければ、もっと早く結婚できただろう。彼女が目を付ける男性は、ことごとく面食いであったからだ。
「こんな事になるとは思っていませんでした」
 まさか見合いと称した食事とデートをさせられるとは、思うはずもない。しかも一目見ただけで神と分かる、人でなき美しい少年とデートするのだ。
「お化粧、始めからもう少し気合い入れてしておいた方がよかったですね」
 今更顔が変われば、彼が引いてしまう可能性がある。多少手を入れたが、やはり美女ではない。元のレベルが低ければ、どう足掻いても追いつくことは出来ないのだ。神に並ぼうと思う方が間違っているのかも知れない。
「仕方がありませんわ。カロン様にお会いするだけと思っていましたもの」
 カロンはイレーネが幼い頃からの知り合いだ。彼と出会い、初めて魔石を作れるようになった。兄のようであり、尊敬する憧れの男性だ。彼が女性にも興味があれば、何をしてでも結婚に持ち込んだだろう。
「油断大敵でした」
「大丈夫ですわ。あの純情そうな坊やなら、イレーネ様の魅力でイチコロですわ」
「でも、あんなに綺麗な方達に囲まれた方よ」
「何をおっしゃいます。男なんて、所詮身体が目当てです。既成事実さえ作ってしまえば」
「わたくしに何をさせる気です」
「あら、それはまだ先の段階ですわ。今日の所は、イレーネ様のナイスバディで少年を悩殺あるのみです!」
 顔はどうしようもないので、せめてはと思い身体は大金をかけて磨いてきた。体つきや肌に関しては、それなりの自信もある。
 それだけには自信がある。
 大金をかけているから。
「吸血鬼でもない限り、わたくしに悩殺される美しい男性などそういません」
「何をおっしゃいます。男は結婚相手には性格と身体の相性を求めます。イレーネ様なら大丈夫。ガンバっ」
 イレーネはため息を漏らし、髪飾りを直す。髪型はそのままに、ごてごてとした髪飾りを取り替えた。
 花がなくなり、余計に惨めだ。高価な化粧水のおかげでそばかすなどはなくなって昔よりはマシになったが、低めの鼻はどうにもならない。
 大金をかけているだけあり、標準よりは上になっただろうが、あの美しい少年と比べればどんぐりの背比べである。
「それに、ゲットできればラッキー、ぐらいの気持ちでいいんですよ。確かに相手はレベルが高いですもの。ゲームのつもりで挑めば気が楽ですわ」
「そうですね」
 どうせ視察は必要だった。アトラクションの安全は設計に関わった彼女が一番よく理解している。ただ、それを利用する側が何も理解していなければ、安全なものも危険となる。それは包丁の使い方と同じで、何でも当てはまることだ。
 そのついでに、夫候補を得る可能性があるという、ただそれだけに過ぎない。
「さて、お待たせしては心証を害してしまいます。わたくしは参ります」
「いってらっしゃいませ」
 イレーネは両頬を軽くぴしゃりと叩き、気合いを入れて立ち上がる。
 純情な少年をたぶらかすのだと思うと心苦しいが、これも未来の国のためである。魔力が強く、ついでに美しい跡継ぎを生むことが出来れば、マディアスも満足するだろう。

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