7話 ミスティックワールドへようこそ!
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耳を澄ますと遠くから聞こえる喧噪は、まるで何者かが侵入してきたようであった。
ハウルは一瞬だけぎくりとしたが、自分たちの事ではないと思い至り気付かれないよう深く息を吐いた。
聞こえる単語は、追え、逃がすな、そっちだ、などである。
「このタイミングで他の侵入者か? 誰だろな」
「ま、まさかマディアス様!?」
病人のように白いディートリヒの顔が、さらに青くなる。見ているだけでどんどん哀れに思えてくる。吸血鬼にとってマスターは、絶対的な存在である。
「まさか。彼が見つかって追いかけ回されるはずがないだろう。近づくことも危険だから、誰も近寄るまい。マディアス殿に見つかるまでが彼等のタイムリミットだったのだから」
「確かに。いつもマディアス様に見つかると、素直に返していたな」
ずいぶんと軟弱な組織である。
それにしても、舐められたものだ。吸血鬼には素直に返すのに、彼の鼻の先でイレーネと妹弟子達が誘拐されたのだ。屈辱である。
「マディアス様じゃないとしたら、一体誰が?」
ディートリヒは首をかしげ、忍び込んだ用途不明の部屋のドアに耳を押し付けた。彼の聴力なら、さして意味はないだろう。
ハウルも耳を澄ませて、様子を探る。
よくよく聞いてみると、状況がよく分からなくなった。
「そちらに行かれたぞ!」
「馬鹿! 乱暴なことはするなっ!」
「どうか、大人しくしてください!」
なぜ彼等は、丁寧に侵入者を追っているのだろうか。
嫌な予感が胸を占めた。
まさか、という気持ちがわき上がってくる。
「イレーネ様、お願いですから危険なことをなさらないでください!」
その瞬間、ディートリヒが飛び出そうとした。それをハウルが押さえつけ、関節技をかけ、そしてカロンが語りかける。
「落ち着きたまえ。貴方が出て行っても、騒ぎが大きくなるだけだ。ここは一つ、通りがかりの人間の衣服を奪い取り、そっと近づくのがいいだろう。危害は加えられないのは確かなのだから」
さすがは変装名人の怪盗。考えることが犯罪者的である。
ディートリヒはちっと舌打ちし、言われたとおり人が通りかかるのを待つ。
鬼気迫るとはこのことだろう。手の届くところで、彼の君主が追われて危険なことをしているのだ。何をしてでも彼女を助け出さなければならない。そういう気概が彼から発せられていた。
彼はドアの前で目をつぶり待つ。比較的人が通らない場所なので、なかなか通りがかる犠牲者がいない。彼は唇を噛みしめることでイライラを押さえつける。
イレーネが大切なのか、それとも自分のマスターが恐ろしいのか。
「来た」
彼は小さく告げると、そっとドアを開き、その人間達に音もなく襲いかかる。偶然にも、ちょうど三人いた。
一人はディートリヒの手で瞬時になぎ倒され、一人はハウルが鞘に収まった剣で鳩尾を打たれる。
「な、なんっ」
声をあげたところで、ディートリヒの回し蹴りが男の首を打ち付けた。壁にたたきつけられ、そのまま倒れる。死んだかとも思ったが、首の骨は折れた様子はない。ディートリヒが手加減したのだろうが、運のいい男だ。
一見非力にすら見える少年は、二人の首根っこを掴み、再び空き部屋に戻り、早速服を脱がし始めた。ハウルも一人を引きずり込み、服と仮面を奪い取る。
「あ、後々問題になるから、顔に何かしっかりとまいておいてやれ」
ディートリヒはカーテンを引きちぎり、彼らの顔を隠す。敵対組織の連中に、慈悲の心を向けるとはなかなか心が広い。
「イレーネ様を逆恨みしたりしたらやっかいだからな」
「そうかそうか」
やはりイレーネありきだ。ハウルも真似て顔を隠してやると、着替えて服は影に押し込んだ。並の魔道師ではこれを作り出すことは出来ないのだが、ここにいるのは並の魔道師ではないので、他の二人も似たようなことをして持ち物はちゃんと持ち帰る。モノクルを外してポケットに入れたカロンは、代わりに顔半分を隠す仮面を装着してにやっと笑う。
その笑み一つでご婦人のハートを根こそぎ盗めてしまうだろう怪盗は、怪盗にありがちな女性に弱いという弱点がなく、どちらかというと少年に弱いため、ディートリヒのために長かった袖を折ってやる。捕まえたのは、偶然大柄な男ばかりであったため、ディートリヒには大きかった。ハウル自身も、丈はともかくウエストがかなり大きく、自分のベルトをしなければならなかった。それだけ浮いているし、無理をして大きなサイズを着ていることが見て分からないか不安になる。マントを羽織っていたので、それでなんとか不格好さは誤魔化せるだろう。
「俺の美意識に反するが、イレーネ様のためだもんな」
言葉遣いを除き、動揺していないときは典雅とも言えるディートリヒは、その不格好さに腹を立てながらも、仮面をアルコール消毒してハンカチで拭った後に身につけた。
意外なところで余裕がある。
「さて、イレーネ様達に接触しなければ」
「しかし気をつけた方がいい。この恰好では、気付かれずに逃げられてしまう可能性の方が高い」
一人だけ自分と体格が近い男から服を奪ったカロンは、着こなし優雅で、本来のシンプルながらに凝ったデザインの衣装が似合っている。
ハウルが服を奪った男は、筋肉太りなので脱いでも見苦しくはないものの、このデブと内心思いながらアルコールを借りて拭いた後、仮面を装着する。仮面も大きい。
「イレーネ様、お待ち下さい。今すぐに参ります!」
ディートリヒは力強く呟き、部屋を飛び出した。吸血鬼のくせに、熱い男だ。
カロンは肩をすくめ、どこか楽しげに彼を追う。しんがりをハウルが走った。
上へ上へと向かっている。
階段を駆け上がる彼女は、息一つ切らしていない。そんな彼女の肩の上で、アヴェンダは事の成り行きを、舌を噛まないように傍観していた。
することはない。ただ祈るのみである。
「イレーネ様、バイブレット様は押さえつけますので、どうぞ落ち着いてください!」
背後で冷静になれというような言葉がかけられるが、イレーネは聞く耳持たず、危険行為を犯しながらも走り続ける。危険行為とは、具体的に言えば階段をひとっ飛びしたり、投げつけられた投網を避けるために壁を走ったりという、担がれている身としては鳥肌が立つような危険走行のことであろう。その他、立ちふさがる男達は、死体の男とヒルトアリスがすべて叩き伏せている。強いとは思っていたが、ヒルトアリスは常識はずれに強い。死体が強いのは、切られても痛みを感じない上、本来なら肉体を守るために本能的にあるはずのリミッターが外れているので、人間ではあり得ない能力を発揮しているのだ。薬によってもそういう状態を作ることは出来るが、完全にこうするにはやはり殺すしかないらしいと実感した。
「イレーネ様! お止まり下さい!」
「ああ、そっちに行ったぞ! お前達、捕まえろ!」
前方に、三人の男達が立ちふさがった。一人は中肉中背の男。一人は背の高い痩身の金髪男。そして、これが問題である。この世の中に、光を受けて輝きを放つかのような、見事なキューティクルを持つ銀髪の男が、世の中に何人いるだろうか。後光すらさして見えるような男は、アヴェンダの知る中では一人しかいなかった。どれだけ離れていても、彼だけは簡単に見つけられる。
「あら」
イレーネも気付いたらしく、嬉しそうに微笑む。
彼女はハウルと見合いをしていたのだ。彼も顔だけはかなりいい男だ。イレーネが本当に彼に好意を持っても、無理のないことである。そうなれば、彼は大した逆玉の輿である。
しかし助けに来たと言うことは、退路は確保してあるのだろう。これでイレーネが恐れるバイブレットという変態から逃れられる。
そう思ったときだった。
「イレーネ殿っ」
迎えに来た三人との間だにあった、たった一つの十字路から、赤い男が飛び出した。赤い衣装を身につけた男など、この建物の中には一人しかいない。そう、バイブレットとかいう変態らしい男だ。
「っ」
イレーネが足を止めた。ヒルトアリス達も足を止め、現れた変態を睨み付ける。
イレーネは肩に担いでいた二人をそっと下に降ろした。
「いけないな、イレーネ殿。レディがそのようなことをしては」
「どきなさい」
「どけないな」
イレーネは彼を睨み付け、ぎりぎりと歯を鳴らす。彼をどれほど毛嫌いしているか、ひしひしと伝わってくる。
「イレーネ殿、そうつんけんすることもないだろう。私たちは少ない同士だ」
「一緒にしないで頂きたいわ。私は作り出す者。あなたは影響する者。似てもにつかないではありませんか」
イレーネは嫌悪感を隠さぬ強い口調で突き放すように言う。
穏やかな顔を隠す仮面の彼女は、隠すことによりかえってその内面が強く出ているようにも見えた。
「君が望むなら、世界のすべてを捧げようと言っているのに、つれないものだ。こんな男はこの世に私一人だけだぞ」
「いりませんそんなもの」
げんなりとした様子で、迷うそぶりもなく拒否を示す。
「では何が欲しい? 私は望めば何でも手に入れることが出来る。君もそういう風になることが出来る」
「いりません」
「マディアスのような者の傀儡に甘んじるのか? 君ほどの才能があれば、世界の女帝になることもたやすいだろうに」
イレーネはますます唇をへの字に曲げて、目の鋭さが増す。
「わたくしは今以上を望んだことはありません。手に入れたいものはマディアスの妨害があろうと手に入れます」
「確かに、あなたはその力を持っている」
バイブレットは薄く笑う。
「わたくしが手に入れられないモノは、あなたでは到底差し出すことは出来ません」
「ほう。例えば?」
「そう、美貌とか……っく」
言って彼女は悔しげに唇を噛みしめた。自分で言って自分で傷ついていれば世話はない。
確かに彼女は左右で目の大きさが違っていたり、鼻が少し鉤鼻気味だが、醜いというようなことはない。笑えば十分に可愛らしいし、気にしているのは本人ぐらいではないだろうか。
「イレーネ殿はマディアスの言葉を気にしすぎている。あんな美味い食事と研究だけが維持されればいいというような男に、律儀に従うような器ではないだろう」
イレーネは仮面を殴り捨て、ふんと鼻を鳴らす。
「逃げられるものなら逃げています」
イレーネの言葉とほぼ同時に、身が凍るような冷たい風が吹き抜け、アヴェンダの全身を撫でていった。
その空気は、すべてを凍らせるように静かにさせた。
ただ一人、イレーネを除いて。
イレーネは静かに彼を見つめていた。
白い霧となって、彼はそこに現れたそれは、バイブレットをはさむようにして、イレーネと向かい合っている。
彼の背後にいるカロンは、彼女の瞳を見て苦笑する。
彼女がむっとしたような、普通の少女の顔になるのは、彼と向かい合うときが最も多い。彼女からあの反応を容易に引き出せるのは、マディアスとバイブレットぐらいである。もちろん、双方悪い意味だ。
「またこのようなところで遊んでいたのか。連絡の一つもよこさずに外泊とは、悪い子だなイレーネ」
古くさいデザインの白のインバネスに身を包んだその白の固まりは、腕を組んで彼の育てた少女を見つめた。カロンから見えるのは後ろ姿だけで、どのような表情をしているかは分からない。
少なくとも、彼は何らかの理由でイレーネを怒らせていたはずだ。すべてを好意的な目では見ていまい。
「そこの変態。僕の所有物を、勝手に持ち出してもらったら困るな」
「所有物と? 人間をやめて久しい化け物らしい言葉だな」
バイブレットは振り返り、殺意の込められた瞳で彼を見つめる。そのさらに背後にいるディートリヒは、頬を引きつらせてカロンの背に隠れる。彼が小柄というわけではないが、まだ成長途中で人間をやめたため、カロンですっぽりと隠せてしまう。
「お前、自分のことを棚に上げるな。それの母親が家出したのは元はと言えばお前が追い回していたからだろ」
見た目は若くも見えるが、実際に彼はそれほど若くない。どちらかというと闇の賢者カオスに近い存在だ。人間は捨てていないが、恐ろしいほどの才能がある。
破壊することにかけては、おそらく──。
「壊れてしまえ!」
彼に敵う者は、いないだろう。
「っく」
カロンは慌てて前面に全ての端末を集め、前に出る。
目に見えぬ力がマディアスをすり抜け、カロンが『GOM』によって展開したの結界によって、力を横へいなす。欠けた一つはすでに戻しているのだが、それでも前面に全ての力を集めなければならないほどの、力である。
力が通過した左側面に、見事な大穴が空いていた。彼の力はかなり制御されているため、効果の範囲がこれだけであるが、まとめてくれなければ、この城ぐらい簡単に崩壊する力を簡単に出せるのだ。もちろん、自分も巻き込まれるため、彼は滅多なことで本気を出さないらしい。
そんな力を素通りした白の悪魔は、くつくつと笑う。
「僕を誰だと思っている? 雪を欺く白き闇。雪原の粉雪に漠然と殴りつけても、意味はないぞ」
怪しく笑う彼は、突然首だけ後ろにひねり、その狂気すら見え隠れする整った顔をこちらに向けた。
「あんな道具を頼る小物に防がれるような力で、僕をどうにかしようとは」
「そう言えば、今お前は弾いたな。いつの間にそんな技術を!? 誰だ、私に黙ってそんな事を推し進めたのは!?」
どうやらカロンは気付かれていない様子で、バイブレットは振り返り部下達に怒鳴りつける。
その横を、実はイレーネ達が這うようにしてこちらに走っていたのだが、バイブレットの視線は彼女たちとは反対側を通り過ぎていった。マディアスはイレーネを見て頷いていたが、イレーネはさらにその横を通り抜けて、ハウルの元へとやって来た。カロンの元へは小さなキーディアがやってきた。そのキーディアをひょいと抱えると、カロンは肩をすくめた。
腕を広げたマディアスは、そのまましばし固まった。娘のように育てた彼女は機嫌を直して、彼の腕へと飛び込むとでも思ったのだろう。子供ではあるまいし、そんなことはありえない。
「さて、馬鹿らしいし帰ろうか」
目的を果たしたカロンは、提案した。
「だな」
ハウルは人間の耳には聞こえない笛を吹き、イレーネを連れてちょうどよく横に空いた大穴から外に飛び出た。
化け物達の争いに巻き込まれては、さすがの彼も身が持たない。カロンは体重の軽いアヴェンダも抱え、外に飛び出しハンググライダーで風に乗る。ヒルトアリスがやって来たルートの背に飛び乗り、アヴェンダとキーディアをその上に乗せた。
背後で、「何だその男は!?」やら、「飛ぶとは何事だ卑怯者!」などという言葉が聞こえてきた。彼等が目当てのイレーネは、ハウルが風のごとき速さで連れ去ってしまっている。
あの空の王子様は、さぞかし浮かれていることだろう。
マディアスも彼の速度には敵わないだろうし、こちらには興味がないはずであり、カロンはどんどん離れていくハウルの背を見て、小さく笑う。
ルートの背に乗ったヒルトアリスは、ヴェノムの腰に手を回し、指をくわえてハウルを見送っていた。ルートは、カロンに合わせてくれるつもりらしい。
用意してもらったスイートルームにつくと、ハウルはソファに横になる。仰向けになると、貝殻を取り出し、話しかける。
「ラァス、ラァス」
向こうでラァスが暇をしていない限りは出てくれないが、この時間なら出てくれる。ラァスという言葉を聞き、カロンとアヴェンダが寄ってくる。
『なぁに?』
「ラァス、こんばんは〜」
アヴェンダが必死の形相で貝殻を奪おうと手を伸ばし、猫なで声でラァスに話しかける。必死の形相は、見ていて辛い。
『こんばんは。みんないるの?」
「ああ。ミスティックワールド内にあるホテルのスイートルームにいるんだ。広いからみんな泊まれる」
本当はもう一部屋用意すると言われたのだが、丁重にお断りした。
『じゃあ、ひょっとしてイレーネさんに会った?』
「お前も知り合いなのか?」
当たり前のようにイレーネのことをラァスは口にした。カロンと親しいイレーネと、カロンにたかるラァスが知り合いでもおかしくはない。ここにも何度か連れていってもらっているようだ。
『うん。お見合いさせられた』
「お前も!?」
『あ、もちろん双方合意でお断りしたよ。元々、上が勝手に決めたお見合いだったからね。イレーネさんも騙されてうちに来たんだよ』
ハウルは思わず頭を抱えてうずくまる。
『でも、お前もってことは、ハウルもお見合いしたんだ。いいんじゃないかな』
「そ、そうか?」
ラァスの言葉に、ハウルの心臓が早鐘を打つ。どうしてか、落ち着かない。うずうずして、無意味に外に出て走りたい気分だった。
『ハウルフリーだし、イレーネさん性格美人で巨乳で年上だし』
性格美人まではいいとして、その後の言葉に顔をしかめる。
「お前、まだそんなこと本気にしてるのか?」
『え、イレーネさんタイプじゃない?』
「そうは言ってないけど、別に巨乳の年上が好きなわけでは……」
『いいじゃん。玉の輿だよ』
「別に玉の輿に乗りたいわけじゃ……」
『いい人だし』
「ああ」
普通の家庭だとしたら、いい嫁になるだろう。年上ということもあり、優しく抱擁してくれそうだ。などと考えると、頭に血が上る。
『そうなったら、魔石の横流しお願いね』
その言葉に、何かがぷちりと切れて、ハウルは貝殻を床に投げつけた。
アヴェンダが慌てて拾い、ラァスに話しかけている。
この胸の中のもやもやを、聞いて欲しくて連絡したのに、まさかあんな話の流れになるとは。
「寝る」
ハウルはふてくされてベッドルームへと向かった。
イレーネ達は、今頃マディアスのところだろう。つまらない。
「いいこと、ディートリヒ。何があっても、ミスティのことは言ってはダメですよ」
イレーネは不機嫌と上機嫌が顔を合わせたような、何とも言えない態度で、ディートリヒにそう言った。
ここはモルヴァルの王宮であるが、イレーネ専用の魔法陣の上であるため、マディアスであろうが盗聴は不可能だ。
客人であるハウル達を置いて帰るのも気が引けたが、長居をしてはマディアスに気付かれる可能性があった。ミスティックワールドは彼女の心のオアシスだ。何をするのも自由。マディアスに何か言われることもない。
彼女から、ようやく手に入れたあの地を奪いたくはないのは、ディートリヒもエヴァリーンも同じ気持ちだ。。
が──。
「でも、俺はマディアス様には逆らえない体質ですが」
「私も」
ディートリヒとエヴァリーンは、互いに顔を見合わせた。
このどうしようもないやりとりは、今まで何度も繰り返している。
「大丈夫です。詮索するなら、わたくしは本当に家出をしてやると言っていたと言いなさい。そうですね、昨日見たあの方と駆け落ちする、とでも言ってください。詮索しなくなります」
イレーネは、まだ二十年とそこそこしか生きていない小娘である。マディアスとは十年程度の付き合いの小娘である。しかし、マディアスのことをとても理解している。反対したがために駆け落ちされた過去を持つため、駆け落ちという言葉にはかなり弱いのだ。
「あの……じゃあ、イレーネ様。俺達がお仕置きされないよう、言ってみてくれませんか? 腹立ち紛れにお仕置きされるのは、ちよっときついんで……」
「わかりました。では、説得してみます。どうせ、血を吸わせないと言えば渋々諦めますから」
彼女は、すっかりマディアスの扱いを心得ている。歴代の女王以上に、彼女はマディアスを理解している。彼女はマディアスによって育てられ、マディアスによって教育されてきたのだ。彼女の才能を伸ばしたのもマディアスであり、全てマディアスの自業自得であると言える。
「イレーネ様、一生ついて行きます」
見栄えだけは良かった歴代の女王達よりも、多少見栄えが崩れていても、誰よりも心得ているこの女王に、彼は惹かれ、個人的な忠誠を誓っている。
闇に囲われ育った光の女王は、子供のように微笑みそして勇ましくマディアスの部屋へと足を向けた。
そんな姿も、素晴らしい。