8話 黒幻の悪魔再び
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いつものように郵便屋が来た。キーディアが喜び駆け寄り、アヴェンダが荷物を受け取る。この薬は希少価値が高く、なかなか手に入らないのだ。郵便屋が理力の塔に掛け合ってくれると言って期待せずに待っていたのだが、こんなに早く来るとは思っていなかった。キーディアが楽しげにまとわりついていなければ、彼女が抱きついていたところだ。
「うちのババアとかカロンにはないのか?」
「…………ヴェノム様とカロン様にはない」
なぜか歯切れの悪い言い方だった。いつもはヴェノム並みに淡々としているのだが、今日はどこか落ち込み気味だった。それが態度と言葉と表情から分かると言うことは、ヴェノムよりよほど感情豊かである証拠だ。
「じゃあ誰に?」
「…………ブリューナス殿に」
なぜかハウルの顔は、なんとも言えない引きつったもの表情に変化した。ブリューナスに届け物というのは、それほどろくでもないのだろうか。確かに死人に届け物など、墓石とか棺桶とか変な護符などが届きそうで不気味である。だが、キーディアの母親ならきっと彼が好きそうな物を無理矢理送りつけてくることもあるだろう。
「な……なんでまた?」
「断れない方からの依頼で」
「サメラ?」
「ともうお一方」
ハウルは天を仰いで無情を嘆く。なぜあいつにそんな権力者がつくのかとか、これではまたヴェノムの機嫌が悪くなるなど、嫌な予感を与えてくる。
「……よし、ヴェノムが気づく前にやらせろよ。思い出したら怒るから」
郵便屋が小さく頷き、城に入る。
「お前ら、静かにな」
「何を届けに来たたわけ?」
「まあ、見れば分かる。あ、キーディア、ダリ持ってるな。なら安心だ」
ダリがいないとキーディアが危ない。その言葉にアヴェンダは引いた。
「……な、何する気よ」
想像もつかない。
「大丈夫だ。アヴェンダにはあんまり危険はないから」
「確かに、少し育ちすぎています。
しかし油断は出来ません。顔立ちが幼いなら、時に成長した女性に興味を持つ事もあります」
「あ……じゃあ来ない方がいいかも。キーディアは慶びそうだから連れていくけど」
意味が分からない。何が育ちすぎなのだろうか。育ちが悪いとは言われたことはあるが、その逆はない。
「確かヒルトアリスが裏庭にいるはずなんだけど。最近いつも裏庭で剣の練習してるんだよ。一番の理由はたぶんローシャもいるからだろうけどね」
彼女の女好きも困ったものだ。皆が彼女に甘いから、世間に出たとき彼女を止めるのはなぜか同性のアヴェンダの役目になっている。ヒルトアリスのことは嫌いではないが、あの悪癖がなければ心の底からの友人にもなれただろう。
裏庭では、案の定ヒルトアリスがいて、ローシャとマースの二人に見学される中で──
「げっ」
アヴェンダは大口を開けた。ヒルトアリスはジェームス相手に剣の稽古をしていた。ジェームスは珍しく剣を持っている。斧を持つと野蛮なくせに、剣を持てば意外に綺麗な型で、ヒルトアリスを相手をまともにしていた。
「え、ブリューナス強かったわけ!?」
てっきり斧を振り回すだけの怪人だと思っていたが、意外な特技があったものだ。
「まあ……元々はいいところの坊ちゃんで常日頃暗殺の危機に面していたわけだから、成長途中で強くなっていても違和感はないだろ」
「でも……あのヒルト相手に」
ヒルトアリスは強い。下手な騎士が束になってきても返り討ちにできそうなほどには強い。相手が女性でない限りは、負ける姿を想像できないほどには強い。
「ブリューナス様は肉体を持たない死霊だから、人間の身では出来ない動きが可能です。元々素質があった方だから、こういうことも出来るんだと思います」
キーディアは仮面から覗く緑の瞳をキラキラと輝かせていた。彼女にとってこの光景は、ハンサムな俳優が剣劇を行っているのを見ている気分なのだろう。彼女の母がいたら、どうなっていたことか。
郵便屋は包帯だらけの顔をなで、やがて渋々と二人に声をかけた。
「ブリューナス様、お届け物です」
郵便屋の言葉に、二人は動きを止めた。ブリューナスは剣を捨て、郵便屋を見た。明らかに訝しんでいる。まるで苦虫を噛みつぶしたような不機嫌な表情だ。やはり前に何かあったのだ。
「まあ、ブリューナスさんに届け物? 何かしら?」
何も知らぬヒルトアリスは楽しげに微笑む。玉の汗をかく彼女は、どこまでも美しい。郵便屋はそんな輝く笑顔を眺めながら、虚空から巨大な箱を取り出した。巨大な、物置ほどのサイズはある、ピンクのリボンで乱雑にラッピングされた『プレゼント』だ。
「………………」
あまりにもの大きさに、皆は唖然とそれを見上げた。ハウルは目をこすりもう一度見上げている。しばらく観察していると、中で何かカサカサという音が聞こえた。
──まさか、生き物が入っている!?
考えると恐ろしくて、肯定されるのも恐ろしくて、口にすることは出来なかった。
「ハウル」
ブリューナスがハウルを呼んだ。彼の顔からは表情が一切消えて、目がどこか虚ろだった。今まで人間味があったので、本物の死人のようになりああ、死んでいるのだとしみじみとなる。
「な……何だ」
「鎖を持ってこい。魔を抑える凶悪なのを」
「い、今から?」
「そうだ。今度こそ縛り付けて海に沈めてやる」
「わ、分かった。世界の穢れなき少女の平和のためだな」
「そうだ」
つまりこの中には、ロリコンの変態が入っているということだ。反射的にキーディアを後ろ手にかばう。ここで幼女と言えばキーディアだ。
「ハウル、早くしな! そんな変態がいるんだったらさっさと始末しちまいな!」
「じゃあ、ヴェノムにそういうのがあるか聞いてだな」
「グズっ! さっさとする!」
「うぅ」
ハウルは呻きながら城に入ろうとしたが、そりよりも前に、
「その声はハウル!? 待って! いやマジに待って! つか助けて! ヘルプミーっ」
聞き覚えのある叫び声が響く。少年の高い声。つい最近聞いた声。ハウルは頭を抱えた。今日の彼はこんな表情が多い。
「…………ああ、なんでお前はそんな中に」
「ほっといてくれよぉ」
「ほっといていいのか?」
「中に憔悴しきったエヴァリーンもいるんだけど」
その言葉に、ヒルトアリスが動いた。女性のピンチに彼女が動かないはずがないのだ。
大きなリボンはほどかれ、大きなよく見れば継ぎ接ぎした紙も取り払われ、なぜか頑丈に護符で封じられた木箱が現れた。ヒルトアリスは護符を外し、蓋を外そうと手を伸ばすが、重いのか釘でも打ってあるのか外れない。諦めて剣を取ると、木箱をばっさりと切り抜いてしまう。切り抜いた木板が中からけり出される。
「ああ、外!」
感極まったやはり出てきたのは広いつばの帽子を被ったハンサムな少年、ディートリヒの声が響く。
「美味しい空気、暖かな光、瞳を焼く太陽、どこまでも広くまぶしい空! 生きてるって素晴らしい!」
「あんたら死んでるでしょう」
アヴェンダの言葉に、ディートリヒはふんと鼻を鳴らす。
「生死など関係ない。存在することに価値がある! ああ、憎々しい太陽すら愛おしい」
よほどまいっていたのだろう。彼は軽やかな足取りで踊り出す。キーディアがパチパチと拍手している。確かに金を取れるほどには上手い。これだけ動いて帽子が飛ばないのは不思議だ。
「エヴァお姉さま、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。少し……お腹がすいたけれど」
「まあ、それは大変! 私の血でよければぜひどうぞ」
「あら、いいの? 私は可愛い女の子の血も好きなの」
ヒルトアリスはこくりと頷き夢見るような瞳でエヴァリーンを待った。しかしその彼女の脇から、今度こそ見知らぬ男が現れ、ヒルトアリスの手を取った。
「これは清らかなるスノーフレークの乙っふぐをっ!?」
仰け反る男の眼前を、ヒルトアリスの容赦ない一太刀が通り過ぎた。男の長く黒い髪がひらりと舞い、風に乗って飛んでいく。
「おじさまっ、へへへ、変な男の人に触られましたっ」
涙を流すヒルトアリスは、練習相手になってくれるために懐いてしまったらしいブリューナスの元へと、剣を握りしめたまま駆け寄った。
「惜しかったな。あのまま真っ二つにしていれば……」
「まあ、申し訳ありません。気が利かずに」
「気に病むな。悪魔というのはしぶといものだ。多少切ったぐらいではすぐに再生するだけだ。お前が恨まれることもない」
「はい。至らず申し訳ありません。ですが、次の機会があるときは必ずしとめて見せます」
と力強く頷く彼女の後頭部に、アヴェンダがぱしりと平手を食らわせた。
「あんたは見ず知らずの相手に斬りかかるんじゃないの! 茫然自失の体になってるだろ!」
ヒルトアリスは、腰を抜かして呆然と彼女を見つめる、黒髪黒服の顔色が悪い男が見えた。二人と同じ吸血鬼なのか、彼もまた一般とはレベルの違うハンサムである。
最近、身の回りに現れる者達の容姿レベルが高いような気がするのは気のせいだろうか。
それを思うと並んで歩いていて落ち着いたイレーネが懐かしい。
「で、ヒューム、何をしに来たんだ?」
ハウルがその黒い男に問う。彼は立ち上がり、こほんと咳を一つした。そしてカロン以上のキザったらしい仕草で髪をかき上げる。カロンのキザさは女に媚びない分可愛げもあるが、彼に可愛げは見い出せない。
「もちろん、今度こそ雌雄を決するために!」
その言葉に、ブリューナスがうんざりとした様子で首を横に振る。
ああ、何かあったのだな、とアヴェンダは覚る。
「なんでその二人巻き込んでるんだよ。モルヴァルの女王付きの吸血鬼だろ」
「ああ。彼らの主は私の無二の親友。そしてイレーネ陛下は私の薔薇」
「ああ、友達……なんだ…………可哀想にイレーネ」
断れない圧力というのは、マディアスのことだったのだろう。イレーネなら二人をこのような目にあわせるはずがない。今頃、何も知らずに二人の行方を尋ねている可能性は、かなり高い。
こういう変な人物と知り合いだからこそ、イレーネは女王でありながらあれほど神経が野太く育ったに違いない。
「で、何でわざわざマディアスの下僕なんて連れてきてるんだ?」
「相手は複数の下僕を持っている。露払いにもちょうどいいし、何より単身乗り込むでは寂しいじゃないか!」
「寂しいってお前……。
まあ、そういう馬鹿らしい理由はともかく、そんなの自分の使えばいいだろ」
吸血鬼といえば、自らの血を注いで下僕にすることが有名である。話の流れと彼の異様な目から察するに、彼も吸血鬼であり、下僕の一人や二人いると考えて当然である。
「いないから借りてきたのだろう。昔はいたが、うっかりダーナの飼っていたネズミを殺して……後は言わずとも分かるだろう」
「ああ、それはうっかりだな。おそろしくうっかりだ」
なぜネズミごときをうっかり殺して、言わずとも分かる展開になるのだろうか。やはりハウルの知人は侮れない。
「で、次の疑問なんだけどな、なんで封じられてたんだ? 自分で閉じこもったくせに。とうとうサメラに捨てられたか?」
「まさか。私の姫が私を手放すはずがない。彼女は強くて自分の言うことを聞く者が好きなのだから。
こうなった理由は簡単だ。この二人が嫌がった結果、我が友が無理矢理押し込んで出られないように封じた。後で自分も自力で出られないと気付いて、どうしたものかと考えたが、こうして出られた以上、予定通り雌雄を決するまで」
と、聞いていて馬鹿らしいことこの上ない理由を暴露し強引に会話を終わらせ、ブリューナスにすっかり乾燥した薔薇を持った手を向ける。
空腹だというエヴァリーンが哀れになる。食事をしたいようだが、ヒュームに脅えて動けないでいるのだ。
そして皆もあまりにもの馬鹿らしさで、呆気にとられて沈黙する。もはや何と言っていいのかも分からない。
「またくだらないことでくだらないことを」
絶対零度の女の声が、どんよりジメジメとしたとした沈黙を破る。ハウルが顔を引きつらせて振り返ると、そこにはいて欲しくない人物、ヴェノムと、ついでにラフィニアを抱き、背中にノーラをぶら下げたカロンが立っていた。
ヴェノムはいつもと変わらぬ表情に見えるが、全身から登り立つような黒いオーラが見えるような気がした。
そしてヴェノムは鼻で小さく、ふっ、と笑う。
笑った。
ヴェノムが、笑った。
アヴェンダの顔から血の気が引いていく。
何が起こっているのだろうか。今、ここで、何が起こっているというのだろうか。
ヴェノムが笑った。不笑のヴェノムが笑った。彼女が笑うなど、祖母の口からも聞いたことがない。
「ああ、来ちゃった」
ハウルが深く、深く息を吐く。
地上はこんなに黒いのに、空は爽やかに晴れ渡っている。不気味なほどに。
満面の笑みを浮かべたラァスは、アミュの手を取り軽い足取りで鼻歌を歌っていた。彼はいつも元気で、暖かい。そんな彼と手をつなぐのは、よく知らない人ばかりに囲まれて生活しているアミュにとっては心地よい。
クロフィアに来てからも、ラァスは暇を無理矢理作っては遊びに来てくれていて、それを楽しんでくれているのがアミュには嬉しかった。
今日もこれから買い物に出かける予定だ。サメラからは給料としてかなりの額をもらっている。いいと言っているのだが、サメラの私兵である以上は給料を受け取るのは当然だと、毎月くれるのだ。
ヴェノムも金に魂を売るのは愚かだが、あればそれだけ役に立つとも言っていた。だから大した事はしていないが、出されたものはありがたく頂くことにしている。
貯めるだけでほとんど使わないが、時々こうしてラァスと買い物に行くときには使うことにしている。そうしないと、ラァスが何でもかんでも買ってプレゼントしてくるのだ。社会人として独立した以上、それではいけないのでこうして財布にはそれなりの金額を入れている。
「あ、バラが咲き始めてるんだ。綺麗だねぇ。さすがは花男が手入れしてるだけはある」
ラァスは庭に咲き始めたバラを見て喜んだ。秋のバラは香りよく、美しい。
「あれ、珍しく庭師さんがバラの手入れしてるね。いつもは花男がしているのに」
ラァスの言う花男とは、ヒュームのことだ。
「本当だ、珍しい」
手入れしていたのは、珍しく庭師の息子の少年だった。いつもは大切な花には触らせてもらえないのに、ヒュームに認められたのだろうか。
「あ、アミュお嬢さん。お出かけですか? 今日はいいお天気で、デートにはもってこいですね」
デートと言われて驚いた。ラァスは嫌がっていないし、世間から見ればそう見えるのかも知れない。否定して説明するのも手間なので、そのまま聞き流すことにした。
「うん。ところで今日はヒュームさんはどうしたの?」
「さぁ。確か雪辱がどうのとか、ジェームスがどうのとか、友がどうのとかブツブツ言って出かけましたけど、行き先までは」
アミュの隣で、ラァスが天を仰いだ。
「俺に任せるほどだから、きっと大切な用なんですよ」
ブリューナスに挑戦するのは、それほど大切な用なのだろうか。アミュにはとても理解できない。
「そーいえば、ジェームスを題材にした演劇が大成功してたな……」
「え、おじさん、ホラーなんでしょ!?」
「ホラーにも、色々あるんだと思うよ。僕見てないけど、騎士団の人が彼女と見に行って面白かったって」
「でも、それでどうしておじさんのところに? お祝い……するような仲じゃないと思うし」
ラァスはさぁ、と言って肩をすくめた。
理解しにくい男性の中、ヒュームはさらに理解できない人だった。
「まっ、ジェームスはしっかりしてるから、また追い返すでしょ」
城にいた頃のことを思い出し、アミュはくすりと笑う。あの頃は、まさか彼と同じ屋根の下で生活するとは思っていなかった。運命の女神とも呼ばれる人に仕えているのに、運命というものが不思議でならない。それは時に残酷で、時に愉快だ。
「行こうか」
「うん」
こうしてラァスのような人と買い物に行くのも、昔を思うとまた不思議だ。