9話 理の都

 

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 かつかつと聞き慣れた高い靴音が響き、ミンスはピンと背筋を伸ばす。
 足音の方に歩けば、やがてこちらに向かってくる紫のローブを着た可愛い少女が見えた。黒髪で、少しきつめの藍の瞳の美少女だ。将来は美人間違いなしと思わせる、奇妙な迫力と説得力を放っている。
 そんな可愛らしい彼女は、彼の将来の娘になったらいいな、と思っている愛しい人の娘である。
「メディア、どうして怒っているの?」
 怒っている顔が似合ってしまうほど綺麗な顔立ちをしているため、彼はつい彼女に甘くなってしまう。
「あの馬鹿達はどこか知っている?」
「馬鹿達って、班のみんな?」
「そうよ」
 当然と胸を張る彼女は、年々母親のアルスに似てきている。これが甘くなってしまう最大の理由だ。もちろん彼女はアルスではないので、恋愛の対象にはならないが、娘として心からの愛情を持って接しているつもりだった。
「ハランは毎年恒例の趣味の屋台。残りの二人はお客様が来るって、それぞれが別の用件でカオスに呼ばれていたよ」
「あら、そうなの。てっきり遊びに出かけたのかと思っていたわ。カオスの用事なら仕方がないわね」
 彼女は自分と同じ班で、生活の半分を共にし、時に闘う事もある彼女の仲間達である。仲がいいとは言えないが、それなりに使えるチームである。ただし、制御するのは難しいため、リーダーは温厚で辛抱強く打たれ強いハランという、上から下までかなり異色系である。
「で、どうして怒っているの?」
「怒ってなんていないわよ。これから私にだって客が来るんだから」
「よかったね」
 彼女は出来が良すぎたため、昔は同年代の友人がいなかった。今やそんな彼女にも、遠方から尋ねてくるような友人が出来たのだ。半分彼女を育てたミンスは、一人になったとき思わず泣いてしまったものだ。
「紹介しようと思ったけど、用があるならいいわ。どうせ死霊使いとか苦痛の精霊憑きなんて、ラァスが脅えるだけだもの」
 今日のメディアは、髪を結ったりアクセサリをつけたり、いつもよりもおしゃれをしている。よほど再会が嬉しいのだろう。
「よかったねぇ、メディア。そういえば、ハウル達も来ると思うけど」
「ハウル? 別にいいんじゃない? 縁があれば嗅ぎつけてくるでしょ」
 メディアは誕生日にカオスにもらった懐中時計を取り出し、時間を見て顔を顰めた。ローブの裾を翻し、再びヒールを鳴らして歩き出す。
「待ち合わせ時間が近いから行くわね」
「うん、楽しんでおいで」
「ええ」
 ミンスはハンカチで目頭を押さえた。可愛い娘の成長を見ると、どうしても涙腺が緩くなるのだ。
 見守りたい親心をぐっとこらえ、ここから密かに彼女の幸せの時を祈ろう。


 はしゃぐ姿を見ていると、彼女が本当に普通の女の子のように見えて、気の迷いが生じてくる。
 世の中には決して触れない方がいい毒を持つくせに、見た目だけは可憐な花があると分かっていながらも、思わず摘んでみたくなるのは男のさがとも言える。
「あ、この置物可愛い!」
 彼女は翡翠で出来た竜の置物を見て、手を叩いて喜んだ。
「そんなのどーするんだよ」
「可愛いって言っただけなのに、そんなこと言わなくてもいいじゃないですかぁ」
 彼女はぷくりと頬をふくらませた。その顔は可愛い。誰がどう見ても可愛いと言うだろう。まだまだ成長途中だが、十代も多い若い彼らにとっては、まさに彼女にしたい年齢の女の子なのだ。一緒にいるだけで浮かれる者も出てくる。
「お兄様やカロン様なら賛同してくれるけど、貴方達には期待してませんから」
 唇をとがらせ拗ねる様は、ついつい男を謝らせる力があるらしく、皆動揺した。
「おいおい、拗ねるなよ。ただ、重そうだなって」
 非力な彼女は、先ほど面白いと言った置物を持とうとしたのだが、重すぎたらしく持たなかった。それに腹を立てて、ふんと顔をそらして歩き出す。
 兄と違って見た目通りで力も可愛らしいというわけではなく、理由があるからというのが少し残念だ。
「ああ、でも、どこに行っちゃったのかしら? 変な人に絡まれてなきゃいいけど」
 彼女はため息をついて、共に来た少女を思うように空を見上げた。
「言う割には、真剣に探してねぇな」
「だって、この中で一番強いのは彼女だもの。今の私が迷子になったら、ナンパとか人さらいとかに会いそうで恐いけど、彼女ならそういうのに捕まるようなことはないでしょ」
 可愛い顔で、彼女は厳然たる事実を述べた。
 男達は少女の無体な言葉に小さく呻く。護衛をしている相手に馬鹿にされているのだ。可愛くなければつかみかかっていた者もいただろう。彼女の可愛い顔は、嫌でも兄を思い出させるのだ。
「あーあ。どこに行っちゃったのかしら」
「でも、一度来たことがあるなら、理力の塔に向かってるんじゃないか? あそこ目立つしな」
 ライアスの言葉に、彼女は塔を見た。
 魔道機関『理力の塔』のシンボルである、魔道の神が住まうとされる塔である。神はさすがにいないだろうが、何か秘密がありそうなのは確かだ。
 街の中心であり、あれを目指せば理力の塔の本部へと迷わずたどり着ける。
「まあ、その可能性もあるけど、もう少し探してみましょうよ。はぐれたなんて知られたら、サメラ様のお叱りを受けるわよ」
 彼女の言葉に、彼らは呻いた。
「でも、本当にどこに行ったのかしら? 彼女がぽーっとしているのはいつものことだけど、はぐれたことは一度もなかったのに」
 彼女はふぅとため息をつき、連れの少女を捜し周囲を見回す。
「……あら?」
 彼女はある一点を見て、目をこすり、目を細め、また目をこする。
「…………」
 目を細めたまま、彼女はずんずんと進んでいく。
 彼女が向かうのは、可愛らしい焼き菓子が売られている屋台だ。型に流し込み、その場で焼いているらしい。熱源が魔道器であるのが、実にアンセムらしい光景だ。
 彼女好みのそれぐらいなら、買ってやっても財布は痛くないと思っていた時。
「あの〜」
 彼女は屋台でじっと菓子を見つめていた女性に声をかけた。
「はい……って……」
 その女性の顔を見て、彼は度肝を抜かれた。
 見たことがあるのだ。一度だけだが、あの時はもっと着飾っていたが、間違いない。確かに彼が以前見た女性である。
「イレーネ……ここで何を」
 彼女は彼の考えを肯定するように、その女性の名を口にした。
「えと…………お久しぶり……でいいのでしょうか」
 モルヴァルの女王イレーネは、彼女に向かって微笑んだ。相変わらず気さくな女王様だった。
「ところで、どうしたんですか?」
 イレーネはきょとんとした様子で彼女に問う。
「それはこっちの台詞! 護衛も付けずに何をしているのっ!?」
 もっともな意見だ。女王が護衛も付けずに一人で出歩くなど、考えただけで気が遠くなりそうだった。
「こちらの焼き菓子がとっても可愛かったんです。ほら、ラーフちゃんなんですよ」
 イレーネは幸せそうに焼き菓子を指さした。
「あ、本当だ。これ、ミスティに許可取ってるの?」
 彼女は焼き菓子を指さして、焼いていた少年に問う。
「堅いことは言……って、君は確か、去年来たラァスじゃないか」
 少年は彼女を見て『ラァス』と言った。他人から見れば、やはり二人は似ているのだ。見慣れている彼らもでも、並べて見れば違いは分かるが、もしも同じ恰好をされたら区別は付きにくいだろう。
「ラァスじゃないよ。私は妹」
「へぇ、妹さん。姉妹揃って美人だね」
 どうやらこの少年は、兄の方を女性と勘違いしているらしい。どこまでも罪作りな少年だ。
「私のことはラシィって呼んでねっ」
 彼女は彼らには名乗らなかったのに、他人には名乗っている。もちろん偽名なのだろうが、これでようやく『君』『あんた』『ラァスの妹』などという呼び方ではなく、固有名詞で呼ぶことが出来る。
「ラシィか。これ、食べるか?」
「いいの?」
「ああ。そのかわり、内緒だぞ」
「ありがとう!」
 ラシィは惜しげもなく満面の笑顔を彼に向け、焼き菓子を受け取った。ラァスの妹なだけあり、自分の容姿をよく理解した世渡り上手だ。
「ラァスも来てるのか?」
「お仕事で来られないの」
「そっか。仕事してるのか」
「そうなのぉ。だからとっても悔しがってたの。一緒に来られたらよかったのに」
 赤いリボンで飾られた金髪をふりふりと揺らして、可愛らしくしなを作る。外面がいいのは兄と全く同じだ。しかし、兄の名前を使い、武術大会に出て実力で勝ち残っていくような女である。
「そうだお兄さん、もう一つちょうだい」
 ラシィは財布を取り出しながら注文する。ラァスが好きな可愛らしいウサギ型の焼き菓子を先に受け取り、イレーネに差し出した。
「あら、わたくしに?」
「うん。イレーネお菓子好きだものね」
「じゃあ、お代はわたくしが払います」
 と、イレーネは持っていた財布から小銭を取り出し、商品を受け取った。
「イレーネ、小銭なんて持ってるの!?」
 財布を持っていることにも十分驚くが、この中からしっかりと釣りのないように小銭が出てきたのだ。
「失礼ですね。わたくしはどこの世間知らずのお嬢様ですか」
 あなたは女王様です、とよほど口にしたかったが、それをぐっと飲み込んだ。
 女王でも露店で小銭を出して買い物が出来る。王宮を魔具で飾る裕福な国の女王が、しっかりとした経済観念を持っているというこの事実を、身の丈に合わないほど何でもかんでも買おうとする母に見せつけてやりたい。
「わたくし、財布ぐらいは自分で持ちます。商売をしているのに、物の買い方を知らないでは話になりませんもの。それに露天商は侮れません。話をしているととてもためになります。物を売っていると、自然と噂もよく知っていますから。話を聞く対価として、物を買うんです」
 とても女王の口から出た言葉とは思えない、しっかりとした考えのある言葉だ。
「そっか。そうだよね。ところで一人歩きはよくするの?」
「しません。いつもは侍女を連れていますの」
「護衛、連れ歩きなよ。仕事させてあげなよ」
「大丈夫です。身代わりを置いてきているので、楽をすることを覚えさせてはいません」
 ラシィは大きくため息をついた。彼女はイレーネを女王と知ってずいぶんと親しげである。
「ところで……ラシィ? その……色々と事情がありそうですが……どうしたのですか?」
 イレーネはちらとカリム達を見て、そして再びラシィを見つめる。
「クリス様に力とか封じられちゃったの」
「地神様にですか?」
 イレーネは顔を顰めてラシィを見つめた。
「遊んであげなかったら、すねちゃったの。遊びじゃないって言ってるのに、仕事に連れていけって言うのよ。無茶苦茶でしょ?」
「まあ、あいかわらずおちゃめな方」
「もう、イレーネには敵わないわ」
 女の子達の会話は、深く考えると恐ろしい次元の話題であった。『クリス』というのが誰のことか理解している彼らは、それに力を封じられたと明るく語るラシィと、それをお茶目で片付けるイレーネの堂々たる姿に脱力を感じた。
「お兄さん、ありがとうね! 行こう、イレーネ」
「はい」
 ラシィはイレーネを連れて、彼らの元へと戻ってきた。世の中なんて不条理なのだと嘆いているときではない。
「お久しぶりですイレーネ様。人目がありますので、ご無礼をお許し下さい」
「カリムだったかしら。以前は世話になりました」
 名前まで覚えられていたことに戸惑い感動を覚え、しかしそれは顔に出さず、周囲をさりげなく警戒しながら彼女に問う。
「失礼ですが、一体なぜこのように場所にお一人で?」
「恥ずかしながら、護衛の者とはぐれました」
「さようでしたか。では、私たちがホテルまで送りましょう。どちらのホテルにお泊まりでしょうか」
「理力の塔でお世話になっています。商売で協力しているので、塔長殿とは個人的にお付き合いがありますの」
 たおやかに微笑む彼女の腹の中は、一体何色なのだろうか。質素な生活態度からは私利私欲に走るタイプではないことがはっきりしているが、時折とんでもない発言をしたりするのだ。ラァスとイレーネの二人に、一日振り回され、その時にただものではないのは身に染みていたが、やはり普通の女王ではない。
「なぁ、カリム。彼女、誰だ? 紹介しろよ」
 最近恋人に振られたらしいダリウスが尋ねてきた。彼はいつも美人不美人問わず、スタイルで女性を選んでいる。
「モルヴァルの女王陛下です」
 モルヴァルの女王は未婚で絶世の美女というのが世間の噂だ。それもあり、ダリウスは信じられないと目をこする。
「…………マジですか」
「マジだから彼女があんなに驚いてたんですよ。親しげですけど。
 ですから、間違っても失礼はないように。女王でなくても聖女という肩書きが残る、血筋も中身も立派な女性ですからね」
 肩書きを取ればほとんど何も残らない彼らとは、存在の格が違うのだ。これを理解して、噛みしめて、どこぞの無能の王を思い浮かべると、とても頭が上がらない。
「ラァ……ではなくて、ラシィはどうしてここへ?」
「塔長が兄の先生の昔の弟子で、仕事で来られない兄に代わって先生と塔長にご挨拶に来たの。本当は友達と一緒に来たんだけど、その子も迷子になっちゃって。この人達は、力が封じられて危ないからって押しつけられた護衛だから、好きにこき使ってね。仮とはいえ魔法騎士様だから、多少の頼りにはなると思うわ」
 騎士達の中から、正規の騎士だとブーイングが起こる。しかしこの中の何人かは一度彼女に場外に投げ飛ばされているため、沈黙する者もいた。
「お友達は探さなくてもよいのですか?」
「なかなか見つからないから、塔の方に行ってみようかって思って。うろうろしてても、そのうち戻ってくるだろうし。あ、でも一カ所寄ってもいいかな。友達と待ち合わせしてるの」
「ええ、かまいません。わたくしは観光に来たのですし、あまり早く帰ってはつまらないですもの」
「じゃあ行きましょう」
 二人は手をつなぎ、キャッキャと楽しげに会話をしながら歩いていく。その内容が景気についてや、貴石の相場についてでなければ、微笑ましいものがあっただろう……。


 この時期は、いつもここに来る。この時期でなくとも色々とあって面白い都市だが、やはりこの時期が一番面白い。
 なにせ、祭りがあるのだ。
 理力の塔のお膝元、魔道都市アンセム。
 そう、彼らは今年もエインフェ祭のために、アンセムにやって来たのだ。
「小さな頃に来たことがあるけど、やっぱ祭りだと違うねぇ」
 アヴェンダは感嘆の声を上げ、珍しい屋台が並ぶその町並みを堪能していた。場所が場所なだけに、食べ物以外のほとんどは何らかの魔力が関わる物が売っている。この町の商人達は、ここが勝負と観光客達に高価な珍しい商品を売りつけるのだ。ただし、吹っかけられることはあまりない。元々高価なため、普段以上の値段につり上げれば、高すぎて買わなくなるからだ。よほど財布の紐が緩そうで、物を知らなそうならそれもあるだろうが、値段交渉によってはいつもよりも安く買える場合の方が多い。そのため、ハウルはいつもより多くの金貨を持ってきた。
 他の面々の目的は知らないが──
「あ、待って首さん」
 キーディアが恐ろしいことを口にして『何か』を追って走り出し、
「こらこら、どこに行くんだい」
 カロンに首根っこを掴まれ大人しくなる。
 ヒルトアリスと言えば、異国のミステリアスな女性達に見とれて、真っ直ぐ歩けずこれまたカロンに引っ張られている。いつも彼が抱えているラフィニアはハウルの腕の中だ。もうよちよち歩けるのだが、人通りが多いためこうして抱き上げている。
 皆楽しそうには楽しそうだった。
「ラフィ、お祭りだぞ」
「おまちゅりー」
 羽隠しのための袖付きのマントを羽織るラフィニアは、浮かれて両手を挙げた。去年はまだいなかったのに、彼女はもうこんなに大きい。
 ヴェノムは仮面を身につけ、アヴェンダに手を引かれている。
「ハウル君、そろそろ代わらないかい」
「そっちの方が疲れそうだからやだ」
 ハウルはラフィニアをぎゅっと抱きしめ、なぁと声をかけた。
「やっぱり先に理力の塔へ直行しておくべきだったな」
 カロンは人混みに顔を顰めて言った。街の中にある転移魔法陣を利用したのは、初めて来るヒルトアリスとキーディアが、街を見てみたいと言ったからだ。祭り当日になればもっと混むので、なかなかゆっくりとは見物が出来ないだろうと、理力の塔へ向かうついでに見物に出たのだ。
 しかしさすがに祭りが明日から始まるだけはあり、既に人が多い。去年はヴェノムが講師をするため早めに来たためゆっくり出来たが、今年は前日とギリギリだ。やはり観光をするなら数日前に来るべきであった。
 カロンはやれやれといった雰囲気で、キーディアの手を握り──青い双眸でじっと一点を見つめた。彼が何に気とをとられているのかと見てみると、ハウルは知った顔を見つけた。
「……あれ、ハランじゃねぇか?」
 そう。理力の塔一の変態、ハランがそこで今年もまた飴細工を売っていた。店の前では理力の塔の関係者らしきローブの男女が、必死に何かを訴えている。
「よお、ハラン。今年もやってるんだ……」
 彼の店の前で、悩んでいた女性が振り返り、ハウルは絶句した。
 男の方は細面のやや目の細いハンサムな少年。問題は女の方だ。仮面被っていた。これだけで十分異常だが、その仮面はキーディアの物とよく似ていた。違いは、彼女のは両目とも見えるが、顔を覆う面積が多いという点だ。
「サディお姉さまにアランお兄さま?」
 キーディアはこくと首をかしげて彼女を見上げた。
「キーディア……どうしてここに?」
 サディというキーディアの姉は、彼女の前で中腰になって問う。
「ヴェノム様に連れてきてもらいました。今はヴェノム様のところでお世話になっています」
「それはすごいね」
 キーディアはサディに頭をなでられ、嬉しそうに微笑んだ。
「ヴェノム様の仮面とってもお似合い……」
 サディは仮面仲間としてヴェノムを認識したのか、うっとりと彼女を眺めた。見た目通り、変わった女性らしい。
「ところで、サディお姉さま達は何をしてらっしゃるの?」
「…………」
 問われた瞬間、二人の表情が曇る。サディの顔は見えないが、唇が震え、瞳がどんより暗くなって死んだ魚のようだった。
「どうしたんですか? 何か悲しいことがあったんですか?」
 キーディアは姉の様子に驚いきしがみついて尋ねた。しかし二人は暗い顔をしたまま答えない。そんな二人を見て、答えたのはハランであった。
「護衛していた偉い方がいなくなってしまったらしいですよ」
「偉い方? 誰だ?」
 キーディアの兄や姉である彼らよりも偉いとなると、かなりの身分ではないだろうか。
「あまり大きな声では言えませんが、モルヴァルの聖女様だそうです」
 ハウルの頭の中は真っ白になる。ハランは今なんと言った。モルヴァルの聖女は二人いるとは聞いたことがない。聖女は一人だ。つまりは──
「い、イレーネが迷子!? さ…………探せぇぇぇぇえ!」
 ハウルは周囲の精霊達に命じ、イレーネを探させた。ただし、魔力持ちと魔石の多いこの都市で、じっとしていれば魔石を身につけている以外にとくに特徴のないイレーネを、知能の低い下級の精霊達が見つけられるかどうかが問題だ。彼らは魔石と人の魔力の差など分からないだろう。
「これじゃダメだ! 顔を知っている俺等が直接探さないとっ!」
 もしもまた誘拐とか──されればまた自力で逃げるだろうし、チカンも自分で撃退するだろうし、唯一心配なのはスリなどの、傷つけずこっそり奪う系だが──
「よく考えたら、そこまで緊急じゃない気がしてきた」
 他人の魔力でどんどん強化されていく彼女は、生半可なことではびくともしない。
「確かに、私が堂々と外を歩くのとあまり差はない。どうせ地味な服装をしていることだし、何も知らない者にとって、彼女を狙う理由など皆無だ。もちろん、祭りの時期に女性の一人歩きは危険であることに変わりなく、早急に保護しなければならないが」
 カロンはハウルからひょいとラフィニアを奪い取り、それでもあふれ出る貴公子オーラを振りまきながら、
「私は私で彼女を捜そう。蛇の道は蛇、彼女の行動を私なりに推測して辿ってみよう」
 では、と言って彼は人混みに紛れていく。
 庶民派王族同士、気が合うのは理解できるが──果たして同じ道を行くのだろうか。
「んまあ、ちゃっちゃと探さないとな。金目の物はいっぱい持ってるから、危ないって言えば危ないし」
 生半可では彼女の守りは突破できないが、この祭りは土地柄生半可ではない者が多く集まっているのだ。
 ハウルは頬を両手で叩き気合いを入れて歩き出す。走ると知らずに通り過ぎてしまいそうだからだ。


 つややかな黄金の髪と元気いっぱいに動く黄金の瞳。手足は若さで輝き、一挙一動が力に溢れている。彼女を例えるなら真夏の太陽だろう。
 最近めっきり綺麗になった彼女は、同じく大人びてきた美貌の友人と並ばせて歩くと、大変危険である。
「ねぇ、彼女たち。見ない顔だね。観光?」
「急いでどこ行くの? よかったら案内しようか? 俺達、理力の塔の魔道師なんだ」
 少し距離が開いた隙に、二人は早くも見知らぬ男達に絡まれていた。
「別にいい」
「知り合いと待ち合わせをしているので結構です」
 どうでもいいとばかりの態度と、何者に対しても礼儀を欠かない態度。この差は何だろうと思いながら、彼は二人に追いついた。
「連れに何か用か?」
 二人は彼を見てぎょっとする。少しばかり妖魔混じりの彼は、見る者が見れば一目でそうと分かる。見る者が見なかったとしても、己の分をわきまえるだろう。魔力も容姿も身長も彼の方が上である。
「ハディス、何恐い顔してるの?」
「そう思うなら勝手に走るな。アミュが怪我をしたらどうする。お前みたいな身体はしていないんだぞ。焦ってどうにかなる問題じゃない」
 地属性の者特有の頑丈さや、活発さはアミュにはない。むしろ、運動神経はあまりいい方ではないため、引きずって走れば転ぶ。ハディスですら、時々ついて行けずに転ぶのだ。水妖混じりである彼は、走ることが苦手であったが、それでもアミュよりは動けるだろう。
「ごめんなさい。私が声をかけたから彼がいなくなっちゃったのに、私とろくて」
 アミュはしゅんとして、そのままにしても死にはしないだろうゲイル以上に丈夫な男のために顔を曇らせる。
「あいつはアミュがいなくてもそのうちはぐれていただろうから、気にすることはない。むしろゲイルが話し込んでしまったから、アミュもラァスとはぐれただろう。きっと心配しているぞ」
「ラァス君とは待ち合わせ場所や塔の方に行けばすぐに合流できると思うから大丈夫。
 でも……彼はこの辺は初めてだし、知らない人里を見て興奮していると思うから」
 アミュは申し訳なさそうに肩を落とした。ゲイルにこれだけの気配りとか淑やかさ──いや、気の小ささとかを見習ってもらいたい。ゲイルがもう少し臆病になれば、ハディスも安心できるのだが、彼女はどこまでも体当たりで突き進む。
「……人間に騙されて実験台にされていなければいいが」
「胆を抜かれてミイラにして売られるの!?」
 ゲイルはどこで読んだのか知らない本を真に受けて言った。
「そこまで言っていないだろう。ミイラよりも、切り身にされるだろうな」
「ええ!? じゃあ早く見つけなきゃ! ミイラぐらいなら水をかければ復活するかも知れないけど、切り身は無理だからね。ここ、その手の事好きな人が人いっぱいいるし!」
 さすがに、ミイラに水をかけても復活はしない。
「確かに……水辺なら心配もしないが、ここには噴水ぐらいしかないからな」
 だからこそ、こうして地道に探しているのだ。ラァス達に合流できたら、人でも増えて助かる。
「ねぇ、今は何時かな?」
 アミュに問われ、彼は持っていた懐中時計を見ると、アミュが言っていた待ち合わせの時間が差し迫っていた。
「あと少しで時間だ」
「メディアちゃんが来るから、一緒に探してもらったらどうかな。カオスさんに言えば、きっと手を貸してもらえると思うし」
 この町の最高責任者に頼れば、確かに解決ははやいだろう。
「……メディアか。地元民に頼む方が発見は早いだろうな。幸い、あいつは今特徴的な服装だ」
「そうなの?」
「ああ。かなりハデだ。だから見つけられないのが信じられないのだが……もしも誘拐されたというなら、目撃者が出てくるだろう」
「そっか。じゃあ、とりあえず中央広場に行こうか。遅れたらメディアちゃんに悪いし」
 二人はアミュの言葉に頷き、彼女について中央広場へと向かった。

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