9話 理の都

 

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 古い建物にも新しい建物にも、どの建造物にもどこかに付けられた紋様は、理力の塔監修の元に必ず彫り込むことを義務づけられたもので、この町の特徴である魔素を呼び込む結界を作る要素の一つである。それらが精霊を呼び、魔道師達にとっての楽園を作っているのだ。形に力があり、言葉に力があり、文字に力がある。一文字だけでも力のあるこれらの紋様は、呪い語(まじないご)とも呼ばれこの町で親しまれている。
 人混みがない外れた裏通り。そんなところにでも、例外なくその紋様はあり、時に外壁一面に飾りのように掘られている家もある。
 この町の職人は、実に腕がいい。モルヴァルの職人を捜すには時間がかかるが、ここは一つの都市であり、職人が集まっているので、探しやすくて彼は好んでよくこの町に来ている。
「ラフィ、この町は本当に面白いな」
 ラフィニアはきょとんとした表情で、見慣れないこの通りを見回していた。時々何かに喜び声を上げ、彼女なりに楽しんでいるようだ。
 人が少なくなれば、非合法な店も多くなる。この町の非合法は、決まって魔道に関する物だ。時には竜の目玉まで売られていて、手に入らない材料があればこの通りに来る。なじみの店主に言っておけば、手に入れてくれることもある。
 住人達は異質な彼らに目を向けることはあれど、声をかけることはない。この町で絡まれることは滅多にない。それは何かが起こるときだけだ。
「ラフィ、ここが私の友人の家だよ」
 狭く小汚い建物の中に入ると、中には合法な品ばかりが並べられていた。非合法な物を、店内に並べる馬鹿はいない。秘密を守る者だけが手に入れる事が出来る。これらは塔長が目をつぶっているからこそ存在している。こういう世界がなければ、もっと別の厄介な組織が出来てしまう可能性も高いからだろう。世界の闇というのは、闇雲に潰そうとしても、次から次へと出てきてはより強固なものになっていく。しかし目に余れば駆逐されるだろう。その難しい絶妙なバランスが、この都市を支えている。
 何であれ手綱を取ることが最も大切なのだ。長が長く生きているだけはある。
「こんにちは、モロ」
 カロンは奥へと声をかける。高価な物を扱うのに店頭にいないのは不用心と思われるだろうが、万引きなどすればとんだしっぺ返しを食らうことになるはずだ。
「おや、王子じゃないか」
「その呼び方はやめてくれと言っているだろう」
 出てきた小柄な老人に、カロンは笑いながら言う。王子などと自ら言ったことはないし、彼もカロンの本当の素性など知らない。外見と言動を見て、勝手に付けたあだ名である。初めはぎくりとしたものだが、今では皮肉に笑うことが出来る。
「その子は……女性にも興味が持てるようになったかい」
「まさか。妹だよ」
「それはずいぶんとご両親は頑張ったね」
 カロンはくすくすと笑い、抱いていたラフィニアを床に下ろす。ラフィニアは不思議な人形に釘付けになっている。
「頼まれていたのはまだ手に入らないよ」
「そうか、残念だ。では、いつものやつだけ頂こう」
「ノーラちゃんの維持も大変だね。私にゃとても無理だよ」
「金で済めばいい方さ。あの子もいつか、私の手がなくとも存在を維持出来るようにしてやりたいよ」
 モロは眼鏡をかけ直しながら、奥へと戻っていく。手持ち無沙汰になったカロンは、ラフィニアにラーフのぬいぐるみを渡し、珍しい品がないかと周囲を見回した。奇妙に置物が気になり手に取ろうとすると、古びたドアがぎぃぎぃと音を立てて開き、見知らぬ少女が入ってきた。ヒルトアリスに並ぶのではないかという美貌の少女だ。
「あら、いい男」
 少女はカロンを見つめて手を合わせる。その手にはぐるぐると包帯が巻かれていた。
「だからお前は……ん?」
 少年二人が入ってきて、少女の後ろ頭を小突き、カロンに気づいて凝視した。
「やあ、リューネ君にカル君だったかな?」
 妖精のいる森で知り合った、少年傭兵達がそこにいた。突然の知り合いの来訪には驚いたが、彼らの前にいる少女は学章をつけていることから、理力の塔の学生である事が分かる。
「まあ、お知り合い?」
「知り合いだが、それほど親しくはないぞ……っておい!」
 リューネは顔を引きつらせて、カロンに接近する少女に手を伸ばす。しかし彼女はそれをするりとかわし、カロンの前までやってくる。
「はじめまして、私はリディアと申します」
「私はカロン。どうぞお見知りおき下さい」
 彼女の手を取り口付けしようとすると、その手に巻かれた包帯が実は札の類であることに気付いた。一見すると単調な、しかし高度で間違えればとんでもないことになる複雑な紋様が描かれており、一目でカオスの作品であることが分かった。彼が書いたか、彼が指示を出して書いたのだろう。
「封印?」
「あら、お目が高くていらっしゃるのね。顔も良くて知識もあるなんて、素敵。キスはしてくださらないの?」
「罪人を封じるのと同じ物で封じられている方に、そのようなことは出来ませんよ、お嬢さん」
「あら、彼をご存じなのね」
 カロンは笑って誤魔化す。
 彼女はあまり、関わってはいけない部類の人間のようだ。中身に何かある。これは何かを物体に封じるために使われる物だ。
「ねぇたねぇた」
 足下でラフィニアの声が聞こえ、うつむいて頭を抱えそうになる。ラフィニアはリディアの足下で彼女のローブを引っ張っていた。
「あら、可愛らしい女の子」
 リディアは彼女を抱き上げ、柔らかな微笑みを向ける。
「り、リディア!」
「ダメだよ、そんな小さな子に!」
 連れである傭兵二人は、リディアの行いに慌てふためきラフィニアを取り上げようとする。狭い店の中では、それが容易ではなく二人は振り回されている。
「娘さんですか?」
「妹ですよ」
 カロンはリディアからラフィニアを受け取り、強く抱きしめた。当のラフィニアはリディアに未練があるらしく手を伸ばしている。
「本当に可愛い子」
 以前から思っていたが、ラフィニアは初対面の危険人物にこそよくなつく。こうも誰にでも懐くのは困り物だ。
 そうこうしていると、奥から目当ての物を手にしてモロがやって来た。
「おや、絶望の魔女も来ていたか。カオスの旦那には許可は取ってあるのかい?」
「ええ、カオス様にこの方々のご案内をせよと仰せをいただいています」
「案内にこんな場所に連れてくるかい」
「私の特別な方ですから」
「あんたにゃ世話になってるからいいけどな。どうだい、カロン。苦痛の呪いはいらないかい」
 その言葉で、二人の関係が理解できた。近しい者同士、確かに特別である。封じられている理由も理解できた。苦痛の精霊憑きとは、実に珍しい。
「それはいいよ。私には必要ない。必要そうな知り合いがいたら、声をかけておくよ」
「悪いな」
 お互い様だ。いい客が増えれば、店も良くなる。いい客はいい客を呼ぶ。それがカロンにとっては有益となる。モロはこの周辺では一番顔が利く商人だ。自然と情報が一番先に回ってくる。
「ところでモロ、人を探しているんだが」
 彼は眼鏡をくいと上げて、その奥に隠れたよどんだ瞳で彼を見る。
「男か?」
「女性だよ」
 カロンは肩をすくめた。何か疑われている気がするが、問題ない。この件に関して彼は潔白だ。
「そういえば、地下の連中が変わった女の子を捕らえたって話だぞ」
「変わった女の子?」
 イレーネも変わった女の子ではあるが、見た目はどこにでもいるような普通の少女だ。だからこそ、どう伝えるべきか悩んでいた。
「ああ。上半身は武装しているのに、下半身はスカートだけ。全身に真珠や珊瑚をちりばめた、銀髪の女の子だったらしいよ。人間じゃないって見て連れたかれたらしいけど……よほど人間に慣れているのか、ほいほいついて行ったらしい」
 イレーネではない。しかし、どこかで聞いたような特徴の少女だ。
 人間に慣れている、人間を信じる妖魔など、そういるものではない。知り合いの中には一人だけ──
「その子は女の子にしか見えないほど綺麗で、人間に簡単に騙されたんだね?」
「ああ。さっき聞いたばかりの話だから、詳細は分からないけどね。しかしおそらく、人魚だって話だ」
 この辺りで人魚が住んでいるのは、嘆きの浜が一番近い。そして、去年の今頃は嘆きの浜によく通うらしいハディスとゲイルと出会った。
 そう考えると、嫌な予感は強くなる。赤の他人なら放置するが、万が一彼なら笑い話にはならない。
「……その人魚、知り合いかも知れない」
「そりゃはお気の毒様」
「嘆きの浜の長の長男だと言ったら?」
「…………本当か?」
 さすがの彼もその言葉には動揺したらしい。それは十分に、カオスが介入してくる口実となる。彼とて非合法な生物の売買を快くは思っていないはずだ。
「それはまずいな」
「ああ。カオス殿も世話になっているはずだ。嘆きの浜は彼の師である深淵の魔女の所有地だからね。ちなみに、その深淵の魔女は今このアンセムにいる」
「まずいが、私にはどうしようも出来ないよ」
「もちろんモロには迷惑をかけない。居場所の心当たりさえ教えていただければ構わない。
 あと、それとは別に、今日は万が一のことがあったらここが一掃されるような方がいる。それだけでも皆に伝えてもらえればいい」
「一掃?」
「下手なことがあれば、白の悪魔が動くぞ」
 その言葉にモロの顔色が変わる。
 どれだけ輝いて見えても、手を出してはいけない者が世の中にはごく稀にある。その一つがイレーネだ。それが分からない馬鹿はこの都市には定住していない。
「そうか。それを知れただけでもありがたいよ。今の女王は、理力の塔にも興味を持っているらしいね」
「ああ。ひょっとしたらひょっこり顔を出すかも知れない。今年だけは客に親切にしてやってくれ」
「分かったよ。じゃあ、私が教えたと口にしないのを条件で、人魚のお嬢ちゃんの居所を教えよう」
 幸い、人魚は新鮮さが命だ。海から離れているここなら、すぐに殺されることはない。彼自身もその時は抵抗するだろう。
 カロンはメモを受け取りをきびすを返すと、まだリディアが行く手を塞いでいた。
「大変なことになっているんですね。私も是非協力させてください」
「……いや、遠慮する」
 できれば彼女のようなタイプの女性とは、あまり関わりたくないというのが本音だ。


 一番小柄な少女が、肩で風を切るようにずんずん歩いていく。顔立ちは気の強さが現れ、可愛いというよりも綺麗。理力の塔の塔員で、声をかける先々で脅えられるという、普段の生活態度が伺えるメディア。
 その隣に並ぶのは、アヴェンダも知っている赤毛で邪眼の少女、アミュ。顔立ちがヴェノムに似ているのは、きっと親戚か何かなのだろう。ハウルのことも兄と呼んでいた。
 アミュを挟んでメディアの反対側にいるのは、ラァスにそっくりの少女ゲイル。ラァスの従姉で、性格も彼に似ている。アミュと腕を組み、実に楽しそうだ。
 それなのに、アヴェンダの隣にいるのはいつも通りヒルトアリス。そのヒルトアリスは、前方を行く美少女達の虜である。
 人間のことに疎い人魚が迷子になったということで、別れて探そうということになり、アヴェンダは本当はハウル達について行こうとしたのだが、ヒルトアリスが彼女たちと行くというので、渋々一緒に来たのだ。迷惑をかけるだろうし、ここで迷子が一人増えてはたまらない。仲のよい三人の邪魔にならないよう、極力ヒルトアリスの暴走を抑えるようと決意していた。
「探すっていっても、どこを探せばいいのやら」
「だよねぇ。珍しい物を見たら、全てを忘れそうだし」
「不案内な人が迷うと、どこまでも迷うから」
 彼女たちは真剣に探しているようで、ひたすら少女達を見つめる隣の周りが見えていない女の存在が恥ずかしい。
「そういえばあんた達、ラフィニアは一緒じゃなかったわね。あの変態王子は一緒じゃなかったの?」
 メディアが振り返って尋ねてきた。
 変態王子とは、考えるまでもなく見た目は白馬の王子様、中身は変人のカロンだろう。
「一人であんた達を探しに行ったよ。今頃どうしているやら……」
「そう。ラフィを独り占めにしているのね」
「殿下なら、一人で塔まで来るからいいね」
「問題はやっぱり田舎者人魚だよ。もう、うんと年上なのに、子供みたいに迷子になって!」
 都会暮らしが長いはずのヒルトアリスは、手を放すとふらふらとどこかに行ってしまう。人間の街に慣れない人魚と同レベルなのだ。それを彼女たちに知られるのは、まずい。恥ずかしい。
 何が何でも、ヒルトアリスのことは隠蔽しなければならない。
 そう考えるアヴェンダの目の前に、ラァスを少し女性らしくした顔が現れた。
「さっきからどうしてそんなに難しい顔してるの?」
「べ……別に。ただ、心配で」
「そっか。そんなに心配しなくてもいいよ。世間知らずなだけだし」
「そう?」
 隣のヒルトアリスが喜んでいる。こんな胸のドキドキはいらない。
「あの、ゲイルさんはラァス様の従姉でいらっしゃるんですよね?」
「そうだよ。たぶん」
 たぶんというのは何なのだろうか。たぶんというのは。
「失礼ですが……ゲイルさんは女性ですか?」
 本当に失礼である。あのラァスを知っていれば、その気持ちは理解できるだろうが。
「女だよ。胸もちゃんと本物」
 ゲイルはヒルトアリスの手を取り、胸に触れさせた。アヴェンダは戸惑い、ヒルトアリスは真っ赤になった。
「アハハ、可愛い」
 ヒルトアリスは美少女の胸に触れた手を、おろおろしながらぎゅっと握りしめる。相手のことを知らないというのは、恐ろしい。
「疑ってごめんなさい。そんなつもりでは……」
「ラァスは男の子とは思えないぐらい可愛いからね。仕方がないよ。あんなけ可愛いんだもん」
 それは自分自身を可愛いと言っているようなものであるが、ヒルトアリスは素直にその可愛らしさに魅了されて骨抜きである。
 もしも彼女が男なら、女に騙される馬鹿な男になっていただろう。騙されても喜んでいそうだ。相手にされない分、女であってよかったのかも知れない。
「と……ところで、そのセルスって人魚は、どんな特徴があるんだい? 人魚なんて、話に聞いたことしかないからね」
 ヒルトアリスがボロを出す前に、アヴェンダは話をそらした。簡単な説明は受けていたが『武装しているが、下半身はスカートだけで丸腰の、ハウル並に目立つ銀髪美少女風』ではなかなか探しにくい。見つけても目が素通り……はしないだろう。隣には美女アンテナ内蔵の女がいるのだ。しかし、そう言えば話は誤魔化せる。
「あ、私、そういえば写真持っている」
 アミュが鞄の中から写真を取り出す。
「みんなで最後にとったやつね。持ち歩いてるの?」
「うん」
 写真を見ると、知らない人間の方が少なく、知っている顔はほとんど変わった様子はない。いまよりも小さなラフィニアが、時の流れを示していた。
「これがセルスだよ」
 ゲイルの指の先を見ると、言われていた特徴通りの美少女がはにかみながら微笑んでいた。
「こんな可憐な方が一人で迷っていらっしゃるなんて……」
 ヒルトアリスは口元を手で覆い、瞳を潤ませた。彼女の涙腺の緩さはどうにかならないだろうか。
 この反応を初めて見るゲイル達は、戸惑った様子でヒルトアリスを励ました。普通は逆の立場にいなければならないのだが、心配をかけてどうするのだろうか。
「別にそんなに心配するようなことじゃないわよ。馬鹿な……親切な男が無事送り続けてくれる可能性もあるし」
 下心丸出しの男に送られるのも不安ではあるが、人魚を相手に力づくなどということは不可能に近いため、彼女たちはそれほど心配していないようだ。
 これを機に、ラァスの従姉と親しくなる、というのも手である。積極的に話しかけよう。そう思ってたとき、前方から見覚えのある男達がやってくるのが見えた。
「あれ、リューネとカルじゃない?」
 知らない女と一緒にいるが、確かに少年傭兵の二人である。
「リディア、どこに行ったかと思えば……リディア! カル!」
 メディアが呟き、大きく手を振った。三人はきょろきょろと周囲を見回し、ヒルトアリスを見て寄ってくる。
「あら、メディアさんじゃないですか。姿が見えないから聞き間違いだと思ったんですけど、隠れているなんて人が悪い」
「隠れてなんていないわよ!」
 人が多いので、メディアやアヴェンダのように小柄だと、どうしても埋もれてしまう。それにしても、失礼な話しだ。人事とは思えない。
「お久しぶりです」
 ヒルトアリスはリューネとカルにぺこりと頭を下げた。
「お久しぶり。さっきもそこでカロンさんに会ったよ」
「まあ、お兄様に?」
 親しげに話し合う二人に、メディアが不審げな目を向けていた。
「ああ、知り合いの人魚が、どこかの闇組織に捕らわれたらしいから、助けに行ってくると話していたぞ」
 腕に美少女を貼り付けたリューネの言葉に、一同硬直する。
 天を仰ぎ、この最悪の事態に皆嘆息を付く。
「ああ、最悪の事態に……」
 アヴェンダは事の大きさに呆れ、カロンの手際の良さに感心する。
「た、助けに行かなくてはっ!」
「落ち着きなさい。カロンが行ってるなら、心配はないでしょ」
「で、でも……」
 一人で動揺するヒルトアリスは、やはり半泣きだった。
「な、何も泣かなくても……」
「きっと大丈夫だよ。話を聞いている限り、手慣れた感じだったし」
 男達は美少女の涙に戸惑い、慌てた様子で慰める。男は嫌いなのにもててしまう、実に難儀な女だ。
「男って……」
「単純だねぇ」
 何度も泣きかけているのを見ているメディアとゲイルは、二人の慌てようにせせら笑い、リューネにひっついた女はその腕をぎゅっとつねった。
「でも、それが本当なら理力の塔の問題よ。カロンに任せるのも問題ね」
「そうだね。殿下は今大変なときだもんね」
 メディアと、そしてアミュの言葉にアヴェンダは頭をかく。
「疑問だったんだけど殿下って、カロンのこと?」
「そうだけど」
「どうして殿下なの?」
「殿下は殿下だから。あ、内緒なのかな?」
 アミュが口元を抑え、メディアに額をコンと軽く殴られる。
「殿下……って、どこの?」
「……まっ、いっか。一緒に暮らして、内緒ってのも変よね。
 カーラントよ。家出した馬鹿王子」
 アヴェンダの中で、時々発せられるハウル達の奇妙な会話が反芻される。
「あいつか……」
「何が?」
「何でもないよ。ただ、祖国のグダグタとか、いろんな問題の原因の一つが、身近にいたことが判明しただけだよ」
 低く、くくっと笑うと、メディアは肩をすくめた。
「自業自得ね」
 どさくさに紛れて、一発二発殴ったところで、今更問題にはならないだろう。王位継承権を捨てて家出をしたのは、あの男だ。あの男が出奔をしなければ、カーラントも短期間であそこまでの問題を抱えることはなかっただろう。


 広い都市で、人捜しをするのは難しい。しかも今は祭りの最中。変な人間がたくさん紛れて、聞き込みをしてもあまり効果はない。
「やっぱり、一回塔に行こうか」
 ラァスは力の抜けた調子で言ってから、素の自分に戻りかけていたことに気付いて、慌てて笑顔を浮かべた。
「情報は塔の方が持っていそうだしね」
 正直なところ、女物の靴で歩くのも疲れてきた。都会の女性はいつもこんな靴で歩いているのだから、信じられない。
「マッサージのサービスとかないかなぁ」
 あれだけ人がいるのだから、そういう職種の人間も雇われている可能性もある。メディアに会ったら聞いてみることにしよう。
「おーい、ラァス!」
 聞き覚えのある、聞こえてはいけない声が聞こえたような気がした。
「お、ハウルじゃねぇか?」
「お前、ハウルにまでラァスなんて名乗ってるのかよ。そろそろ兄貴の名前を使うのはやめろって」
 隠れてしまいたいところだったが、現在数人の騎士達と一緒に捜索活動を行っている。この騎士達が邪魔なのだ。
「ラァス、どうしたんだ。お前等も久しぶりだな」
 ハウルはいい笑顔でラァスの肩を叩き、騎士達に気さくに声をかける。
「ハウル久しぶりぃ」
「ひさし……って、そう言えばお前何で」
 余計なことを言おうとする彼の股間に、ラァスは膝を軽く叩き入れた。
「ああっ、ハウル!? ごめんなさい、勢い余って!」
 悶絶するハウルを揺さぶり、抱えようとして自分の魔力が封じられていることに気付いた。力馬鹿が無力になると惨めである。
「今、わざとやらなかったか?」
「嫌がらせでここまでするとは……こえぇ女」
 背後で何やら言う騎士達は黙殺する。
「今日からは、ラシィ、って呼んでいいわよ」
「ら……ラシィ?」
 ハウルはラァスの肩に手を載せ、膝立ちになり、ふるふる震えながら言った。
「何しやがる」
「あん、ハウルがこわーい」
「恐いっててめぇ…………って、あの……」
 ハウルはラァスのまぎれもない胸の谷間をじっと眺めて、固まった。
「やだどこ見てるのよエッチ」
「どこって……あの……色々と、どうしたんだ?」
 ハウルはじっとラァスを見つめている。当然だ。ラァスが逆の立場でも、同じ気持ちであったに違いない。
「ああ、これ? ほら、私達とカロンって、趣味の遠足に行っていたでしょ」
「まだやってたのか!?」
「誤解よ。今はないわ。でも、それをどうしてかわからないけど知ったクリス様に、自分も連れて行けって……言われたからちょっと断ってみたら、力を封じられて、ねぇ」
 ついでに女の子にされてしまった。
 地神相手では抵抗のしようもなく、仕方なしに呪われて外に出られない兄にかわり、妹としてやってきた。
「今、流砂が説得してくれているけど、最悪の場合は私がお兄様に変装して式典に出るの。カオス様も、きっと納得してくださると思うし」
 なにせ本当は本人である。
「…………そ、そぉなのか」
「そぉなの。でも、ちょっと胸が成長してきたから、上手くごまかせるかしら」
 一度だけでも胸が出来たらと思っていたので、一度だけならいい体験である。理想よりも小さめなのだが、それは我慢だ。
「ラァスは断ったのですね」
 ハウルと一緒にいたヴェノムは、低くしかし感慨ふけって呟いた。
「私は断れた試しがないというのに……。これが弟子が師を超えた瞬間というのですね」
「そんなことで超えてもなぁ」
「そうそう。呪われちゃったし。力が出ないと、もう不安で。
 騎士の皆さんに護衛をしていただいているのだけど、ちょっぴり頼りなくて」
 ラァスははぁとため息をつく。普段は自分よりも弱い連中だ。いや、今でもそうだ。腕力がなくなったからと、技術が生かせないわけではない。
「ああクリス様はどうしたら許してくださるかしら?」
「さあ。あの方は昔から『スパイごっこ』や『探偵ごっこ』が大好きででした。高貴なお方を巻き込んだ遊びは、本人にとっては遊びでも、端から見れば危険際まりないことばかりで……。
 仕事だというのに黒装束に身を包んでついてきたり、嬉々として人間の使う道具を使ってみたり。何度止めても、よほど退屈なのか聞く耳持っていただけず」
「……」
 ラァスは自分が思ったのとは違う手のハードな道を歩んでいるのだと、師の言葉で気づく。このまま一生、彼の思いつきに付き合わねばならないのだ。シーロウの心が広いのは、ひょっとしたらその道を歩んできたせいかもしれない。
「聞き分けのない方ですが、国の代表として参加するなら、当日までには元に戻してくださるでしょう」
「そ……そっか。きっとそうですよね」
 ほんの少し不安だが、ここはクリスの良心というか常識を信じるしかない。
「もしもの時は、ウェイゼル様を呼びましょう」
「そういえば毎年来るんだっけ」
 料理を食べに。
 本当に最終手段だが、それでも女のままで参加するよりはいいだろう。
「ところで、セルスがいなくなったって聞いたけど」
「ああ。あと、イレーネもいないんだ」
「イレーネなら、途中でばったりと会ったから、騎士達が塔にお送りしたわ」
「そりゃよかった。後はセルスだけだな。アミュ達も探しに行ってるんだけど、上手く見つかるといいな」
「まあ、きっと大丈夫よ。セルスだし」
「だな」
 彼らは楽観的に笑った。そしてラァスは振り返り言う。
「あ、私はハウル達と行くから。ごきげんよう」
 ハウルと腕を組み、手を振ってみた。
「待て! ここまで利用しておいて、いらなくなったらはいさよならか!?」
「私たちは貴女の護衛をするって名目で祭りに来てるんですよ。ハイごきげんよう、なんて分かれたと知れたら、信頼されて任してくださった兄君に申し訳が立ちませんよ」
 腹を立てる他の男達と違い、カリムだけはまじめな発言をする。頼んだ自分を考えてくれる彼のことは好きだ。
「そーねぇ。でもデートの邪魔されても」
「保護者同伴のデートがどこの世界にあるんですか」
「冗談よ。ハウル、私は私でセルスを探すわ」
「そうしてくれ。人手は多い方がいい」
「じゃあまた後でデートしましょうね」
 ハウルは笑顔を引きつらせた。その頬にキスをして、ラァスは騎士達を引き連れて再び捜索活動に戻った。

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