9話 理の都

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「きれーねぇ」
「綺麗だねぇ」
「なーにー?」
「何だろうねぇ」
「へん〜」
「変だねぇ」
 目の前にある、綺麗な宝飾品やわけの分からない像、そして変な顔の案内人に対して遠慮無く言うラフィニアに、カロンは笑顔で同意する。好奇心旺盛なラフィニアは、カロンの手を抜け出して、それらに触れたがっている。もちろん、ラフィニアのような希少種の存在を彼らに知られるわけにはいかない。ヴェノムに預けてくれば良かったかとも思うが、連れてきてしまったものは仕方がない。
 子連れなら、彼らも油断する。まさに今、目の前の男の力は抜け、カロンを見る目も鋭さを失っていた。
「可愛らしいお嬢さんでございますね」
 向かい合う身なりのしっかりした男は、食わせぬ様相で当たり障りのない発言をする。
「妹だよ。私と似て美人だろう」
 ラフィニアは愛らしい微笑みを男に向ける。男がどれほどの地位であるかは知らぬが、下っ端でないことだけは確かだ。
 ここでのカロンの肩書きは『謎の美青年発明家』である。謎と美青年がポイントだ。人によっては白馬に乗った王子様的とも付ける。カロンは白馬になど乗ったことはないが、もしも愛馬とするなら確かに白馬が似合うだろう。大きくなったラフィニアの翼がよく映えるに違いない。そう考えると、乗りもしない白馬が欲しくなる。
「さて、本題だが」
 カロンはラフィニアに、お気に入りのラーフちゃんぬいぐるみを持たせ、床に立たせて足を組む。飛べないように、しっかりと細工はしてある。
「人魚を連れてきただろう」
「はて、何のことでしょう?」
「大事にはしたくない。ぜひ、返していただきたい」
 カロンは麻の袋をテーブルに置く。
「タダとは言わない」
 男は中を確認し、すました顔でそれをカロンを案内した使用人に渡した。こんな所にいれば、あれの価値が分からぬはずがない。イレーネに分けてもらった魔石なのだ。捨てるには惜しいが、この際は仕方がない。
「残念ながら、この話は既に出回っています」
「おや、それは話が早いじゃないか。いったいなぜ?」
「生きた人魚を手に入れるなど、どんな富を手に入れるよりも難しい。それは、あなた様もご存じのはず」
 方法によっては、不死に近い身体を手に入れられる。ただし不死身ではないし、怪我をすれば痛い。肉がえぐれても回復はするが、その間の痛みは尋常ではないと聞く。ボディスほどの技術と魔力があれば、あのようになることも可能だが、彼とてさすがに不死身なわけではないし、苦痛は増しているはずだ。
 それを理解せずに、理解しても欲する者がいるのは、仕方のないことだ。人は死を恐れる。老化を極端に恐れる。
「ぜひ、競り落としてくださいませ」
「高いだろう。私も妹を育てなくてはならないからね。子供をしっかり育てるには、いろいろと、な」
「便宜は図りましょう。ただ、どうしても買いたいとおっしゃる方が何人もおみえで……」
「そうして下さるとありがたいよ。私も邪眼の魔女殿を大人しくさせるのは、なかなか骨が折れてね」
 くつりと笑い、師であり(子育ての)友であるヴェノムの名を出し、牽制する。ヴェノムの名の威力は大きい。彼女が多くの神に愛されているのは、この業界では有名である。世界一敵に回したくない女は、おそらく彼女だろう。友達で良かった。
「彼女が出て来る前に片を付けたい。よろしく頼むよ。君の上司は、私達を敵に回したくはないだろう。最近私は、先ほどの魔石の作り主と、邪眼の魔女殿の孫との見合いのセッティングもしてね。あまりごたごたを起こしたくはないのだよ」
 ねぇラフィ、とラーフで遊ぶ可愛い妹に微笑みかける。彼女は無邪気に「ねぇ」とラーフを差し出しカロンを和ませる。
「ここを潰されては、世界が少し、つまらなくなるしな」
 くつくつと笑い、カロンはラフィニアを抱き上げ立ち上がる。
「おめかしをしなくてはな」
「かし?」
「おやおや。お腹がすいたのかい。そうだね。もうおやつの時間はとっくに過ぎていたな」
 夜に備えて、腹ごしらえと正装の準備が必要そうだ。


 女の力というのは、いつも男を振り回す。
 どれほど強くなろうとも、その運命から逃れることは出来ないだろうと、リューネは考えている。彼らの父はいつも女で失敗している。彼自身も、心を乱すきっかけを作るのが女だ。
「リューネ様。あーん」
「じ、自分で食べる」
 歩きながら買ったばかりの焼き菓子を、千切って食べさせようと口元に運ぶリディアの手を止めると、彼女は傷ついたように俯いた。演技だ。これは演技だ。拒絶も憎悪も何もかも、凶の感情を彼女が平然と受け入れることを彼は知っている。それを知っているのに、自分は仕方が無く口を開く。
「何してるのよバカップル。これから乗り込みに行くのに緊張感のない」
 乗り込みに行くから、少し何か食べようと言ったメディアは、二人の様子を見てぴしゃりと言う。多少悲しくもなるが、心は乱れない。彼女の言葉は真っ直ぐで、含みのある言葉よりも心地よさを感じるのだ。もう何度か行動を共にしているので、リディアとの事で言われるのももう慣れた。リディアのことも、諦めた。
「ダメだよ、メディア。幸せそうな二人を邪魔したら」
 ゲイルがメディアをさとし、リューネはむしろ邪魔をしてくれた方がいいとも考えていた。
 これから、どうなるのだろうか。策もなく、それなりの組織に乗り込もうという無茶な女達に、何か言えるほど彼は口が上手くない。そういうのはカルの役目なのだが、彼は買ったばかりのパンを美味そうに食べている。野菜と肉を挟んだ、栄養価の高い物だ。彼は実に楽しげだった。
「カル……」
「大丈夫だよ。そんな気がするから」
 彼の勘は鋭く、なんなとなくと言う場合、従っていれば大きな問題は滅多に起きない。
 時折、逆に大事に発展することもあるのだが、カルはいつもそれを楽しんでいる様子だ。
「でも、実際問題、そんなことして大丈夫なわけないと思うんだけどねぇ」
 常識的な意見を言ってくれたのは、クレープを食べるアヴェンダだ。疲れた表情で、この大胆な一行に対して人生を諦めたような、沈んだ色の瞳を向けていた。
 彼女もまともな神経を持っている分、苦労をしているようだ。
「何も破壊しようってわけじゃないのよ。ただ、セルスを所有者である私達に返してもらうだけじゃない」
「そうそう。本人の意志に反して、勝手に売るなんて世界の常識から逸脱してるよ。こんな事をするのは人間ぐらいだ。人類の恥だね」
 メディアとゲイルは意気揚々と、これからすることに対して楽しげにそのきっかけを語る。二人とも、こういう世界の闇のを嫌悪している様子だ。メディアは根が真面目な少女である。こういう反応をして当然と考えるべきだった。
 彼は肩をすくめ、アヴェンダを安心させるように言う。
「まあ、私達をどうこうしようとする者はいないだろう。メディアは塔長殿の婚約者であるし」
 彼らはその塔長が最近なって提携した傭兵ギルド、『ダリミオンの剣』の長の息子達だ。世界的に有名な二つの組織の長を、敵に回す馬鹿はいない。知っていればの話しだが。
 もちろん彼らがメディアと塔長の関係までは知らないし、リューネ達のことなど知るはずもなければ、言うつもりもない。
 万が一の時の切り札程度と考えている。親のスネに囓るのは好かない。
「ようは、見つからなければいいのよ。侵入って一回したことがあるけど、意外と簡単にできるものよ」
「ああ、あの時。ラァス君は怒っていたけど、楽しかったね」
 メディアとアミュは暢気に語り合い、リューネは頭を抱えたくなった。あまりにも楽観的すぎる。実力が伴っているのは知っているし、彼女の母がどれほどの使い手かも知っている。しかし、問題は彼女だ。彼女は「一回」と言った。素人同然である。
「その前に、着替えましょうか。この辺に知り合いの店があるの。夜になるまでには、準備も出来るでしょう」
 今日この場に、ハランがいないことが悔やまれた。彼ならメディアを上手く誘導できるし、信頼も出来る。だが、ここにいる大半が、あまり使えそうにもないお嬢さんばかりだ。そう、自分たち以外は皆『女の子』である。気楽にしているカルが少し羨ましいと感じた。


『彼は元気にしているようだし、こちらは問題ないよ』
 耳元で囁かれれば、うっとりと聞き入ってしまいそうな美声が、彼女の持つ手鏡から聞こえる。姿が見えずとも十分も魅力的であり、彼に口説かれて騙されない女など少ないだろうと思うが、残念ながら女が口説かれることはないだろう。フェミニストの彼は、女性をそのようにして騙そうなどという考えを持つことはない。
「競りですか。手持ちの方は?」
『ああ。そのことについては心配ない。私はけっこう裕福だよ』
 立派に社会の闇を渡り歩く青年は、ふふっと笑って頼もしく言う。
 彼が金に困っている所を見たことがない。それもそのはず、黄の賢者は、この世で最も金になる知識を持っているのだ。その上本人は有能で、さらに有能な友人ばかりを持っている。使えない人間など関心がないのだろう。
『貴方には子供達を塔に連れ帰ってほしい』
「殿下お一人ですべてを?」
『いやいや、それはお互い様じゃないか』
 子供達の事を彼女に押しつけてきた、と言いたいのだろう。どうせ彼女のことを脅迫材料にも使っている。
 ヴェノムも名前だけは知れ渡っている自覚はある。実際の所、それほど恐ろしい魔女ではないのだが、世間から見れば彼女は凶悪な女なのだ。
『まったくもって大変な一日だよ。私としては、もっと穏やかな祭りを楽しみたかったのだがね』
「そうですね。無駄な出費です。人魚達に返させましょうか」
『いいや。高値で競り落としても、素直に払うつもりはない。商品を見極めることが出来なかった、彼らの落ち度だ。彼らも訴えられたくないだろうしね。
 でももしも裏切ってくれたら──それはそれで面白いことになるだろう』
 彼は含みのある抑えた笑い声を発する。それすら心地よく、脳裏に浮かぶ彼の笑み。それら全てに、つくづく惜しいと思うのだ。
「カロン、大丈夫なのか?」
 ハウルが声しか聞こえぬ鏡を覗き込む。カロンが姿を映す魔具を媒介にしていれば見えるのだが、彼は声だけを送ってきている。
「殿下を信用しませんか?」
「いや、してるけどさ」
 ここがどういう場所か分かっているから、心配なのだろう。世界最高の魔道技術を持つ裏組織の一角に彼はいて、やんわりと喧嘩を売っている。心配するなと言う方が無理なのだ。
「ハウル、イレーネ様の所に戻りましょうか。あと、ラァスにもアミュ達に伝えるよう連絡を」
 アミュ達は、通信用の魔具など持っていない。あれはとても高価で製造も困難だ。ヴェノムも持ち運べるような物は一つしか持っていない。ハウルの魔具は、特定の相手としか話せないもので、普通あまり持ち歩こうとはしない。そういう欠点があるためか、それなりの技術で、それなりの材料で作ることが出来る。簡単でも安くもないので、自分で作ったというのは、かなりの進歩と感心したものだ。
「俺達も探さないのか?」
「イレーネ様を退屈させるわけにはいきません。貴方は婚約者候補の一人なのです。ご機嫌取りに精を出しなさい」
「な……こ……」
 顔を真っ赤にして口を開閉する孫を見て、ヴェノムは内心愉快に思う。イレーネの手の平で転がされるのではないだろうかと、孫が少し心配になる。ウェイゼルのようになって欲しいなどとは一欠片も思わないが、もう少し女慣れしてもいいのではないだろうか。彼の兄も一途な男だが、女性に寄られて対応できなくて困ると言う姿は見たことがない。良くも悪くも、自分の容姿を理解して、のらりくらりと生きている。ハウルにも、そんな器用さが備われば、どこに出しても心配することはないのだが、今のままではいつか悪い女に騙されそうだ。
「問題は、解決するんだな?」
 突然ハディスが真剣な面持ちで尋ねてくる。
「ええ」
「じゃあ、私は探してくる」
 ゲイルのことが心配でならないハディスは、本人に拒否されたためにこちらに付いてきたが、名目が出来たと知るやいなや、短く言って駆け出した。
 情熱的な恋の炎に身を焦がすその後ろ姿の、なんと輝かしいこと。
「……ああ、青春ですね」
 思わず、ため息が漏れてしまう。恋する若者は、見ていて心地よい。
 彼を見送り、そしてハウル達を連れて塔に向かう。キーディアは疲れた様子で、少しうとうととしていた。


 ラァスは頭を抱えた。
「マジで?」
「マジマジ」
 楽しげにそう返す女に、ラァスは詰め寄る。
「メディアちゃん達が、地下組織に乗り込んだ?」
「そうよ。面白い子達ねぇ」
 彼女はクスクスと笑った。楽しんでいるらしい。そして心配もしていないようだ。
 彼女は去年の今の時期に知り合った、酒場の女主人である。美人で女王様で、そしてメディアの親戚。
「止めてくださいよ」
「だって、止めて聞くような子じゃないでしょ。だから、出来るだけのことはしたつもり」
「ああん、もうっ!」
 ラァスは髪を振り乱した。アミュがまた変なことに巻き込まれた。最近はザインのせいで色々と危ない橋を渡っていたから、休みの間だけはと思っていたのに、なぜ彼女がそんなものと関わらなければならないのか。彼女は不幸の星の下に生まれたのではないかと思うほど、普通の人生からは道を踏み外している。今ここで、しっかりと彼女を捕まえていなければ、そのままずるずると、ろくでもない道に後戻りできないほど誘い込まれるに違いない。ヴァルナ達のように。
「しかし助けに行くにしても……この人数では」
 カリムが困ったように呟いた。
 素直に乗り込むつもりなのだろうか。だとしたら、愚かである。
「いいよ。僕一人で行く」
「一人って……いくら振りでも、見捨てたりはしませんよ。ところで……僕?」
 地が出たのに内心舌打ちしながら、取り澄ますのをやめて言う。
「じゃなくて、知り合いがいると思うから、事情を説明して中に入れてもらうの」
「知り合い?」
「ええ。知り合いのおじさま」
 騎士達の視線が、微妙に痛い。しかし今は手段を選んでいられない。
「だから、一人で行くね」
「まてまて。もしもの事があったらどうするんだ!? おじさまって、スケベジジイだったりしないだろうな!?」
 ライアスに詰め寄られ、ラァスは言葉に詰まる。もちろん、ロリコンのスケベジジイに決まっている。そういう男でなければ、心おきなく騙せない。
「平気よぉ。紳士だもの」
「紳士ぶった奴ほど、二人きりになると狼に変貌するんだぞ」
 男なだけあり、男のことをよく分かっている。
 しかしラァスも魔力が封じられても、技術が無くなったわけではない。きっと大丈夫だろうが、彼らの心配も理解できる。同じ立場なら、無理にでもついて行く。相手はか弱い女の子なのだ。
「ラシィ、アミュ達のことも心配だけど、お前のことも心配なんだ」
 こいつは自分に気があるのだろうか、きっとあるだろうと思いながら、ラァスはそれに気付かぬふりをして困ったわと小首をかしげた。ラシィと名乗る少女の姿は、我ながらとびきり可愛いのだ。可愛いとは何と罪なのだろうか。
「でも、こんなにぞろぞろ連れて行けないわよ。護衛にしても、三人までね。お嬢様の護衛を演じられる人だけ」
 と、言って、彼はここにいる人材に頭を痛めた。皆、傭兵と言った方が納得できてしまう不良騎士達である。
「あー……アレクシス、イレーネ様を送りに出しちゃった」
 数少ない品のいい青年だったのだが、残念だ。
「カリムと……あとは……」
「お、俺も行く」
 挙手したこのライアスという男は、口悪し品無し諦めが悪いと三拍子揃ったダメ騎士である。小悪魔美少女ラシィに気があるのであれば、気品ぐらいは身につけるべきだ。
「却下。あ、ダリウスとデリックでいいわ」
「ひでぇ。俺だって、やろうと思えば貴族らしくできるんだぞ!?」
 隠そうとも隠しきれない気品もない男が、ボロを出さないはずがない。
「着ている服がダメなの。この三人はちゃんとよそ行きの服と身元の分からない鎧と剣を身につけているし」
 騎士団と言えば皆同じ刻印のある同じ鎧を着ているものだが、やっつけ実働部隊であるこの騎士団に、そんな鎧はまだない。そのうち出来るかも知れないが、皆好きな格好をしている。訓練用の鎧もあるが、匂うからと誰も身につけない。
 そんな事情もあり、真面目だからか、ナンパ目的かは知らないが、皆独自のおめかしをしてきている。綺麗な魔女の恋人でも欲しかったのだろうか。彼らはラァスやヴェノム達を見て、理力の塔関係の魔道師に美形が多いと思い込んでいるかも知れない。
「三人とも、私のことはお嬢様と呼んでね。何があっても私に合わせてね」
「分かりました」
「ういっす」
「はぁい」
 真面目なのと軽いのと間延びしたのと、三者三様の返事に、ラァスはやっぱりカリムだけでいいような気がして、断りたくなった。
 しかし彼らは元々良家のご子息。やれば出来る子達なのだ。信じてやらねばならないだろう。信じなければ、始まらない。
「じゃあ、私の貞操のために頑張って護衛してね」
 スケベオヤジなど、いつもほとんど触れさせず、力も使わず行っている。しかし、まさかそんなことを彼らには言えない。


 月というのは闇を忍ぶ身としては厄介だ。
 紺色のマントを羽織り、下には正式な場にでも出られそうなローブを身につけたメディアは、その建物を見上げて唇の端をつり上げ笑みにする。
「ここ……が?」
「ふん。私の情報網を甘く見ないでくれる。さっき世話になったのも、元々は草の者よ。間違いないわ」
 リューネの疑惑の声に、メディアは鼻を鳴らした。親切な同朋の女は、有能な情報屋でもある。
「そう言えば、少し似ていたな」
 リューネはメディアを見て納得する。
「で、どうやって侵入するつもりだ? 目星もないのに」
 この大人数で、と言いたいのだろう。
「それは心配ないわ。ゲイル」
 メディアに呼ばれ、ゲイルはきょとんと首をかしげた。
「穴開けて」
「うそんっ!?」
 ゲイルは驚き、メディアは呆れた。
「後で元に戻せばいいでしょ。自分でやろうと思ったけど、あんたの方が上手いじゃない」
 仮にも金の聖眼の持ち主だ。地の術が苦手なはずもない。彼女は非常識だと笑いながら、人がかがんで何とか一人通れるサイズの大きな穴を壁に開けた。
 廊下には明かりが灯っているが、幸い人はいない。
 侵入するところさえ見られなければ、見つかってもマントを脱いで平然としていればいい。そして、ご苦労様。ところで、ママとはぐれたのだけれど、レストランはどこかしら? とでも問えばいい。ここには、そういう施設もある。ようは、とんでもなく迷い込んだ客だと思わせればいい。だから、身なりは整えてきた。その代わり、マントは闇に溶ける物を。こういう場所に来る者は、そういう姿をしていると相場が決まっている。
「でも、上手く修繕できないよ」
「暗いから分からないわよ」
「そっか。今バレなきゃいいんだもんね」
 彼女は楽しげに穴を開けた壁を塞ぐ。色が薄くなったが、薄暗いので問題ない。
「大したもんだねぇ。さすがはラァスの従姉」
「本当に、素敵です」
 アヴェンダとヒルトアリスがゲイルに賞賛を送る。ヒルトアリスの瞳には、星が輝いているような気がした。
「やだなぁ。ラァス君の方が上手いよ」
 彼女が一番の得手とするのは召喚だ。小細工が得意なラァスよりも小細工が上手ければ、ラァスの立場はないだろう。
「今度は床」
「はいはい」
 言われるがままに床に穴を開け、カルが穴の傍らにしゃがみ込み、鏡を差し込み下の様子を見る。人気がないのを確認し、下の階へと飛び降りる。
 地下で、何やら怪しい取引をしてるらしい。地下は広く、この建物の敷地を越える大きさと聞いた。この周囲が全て、この組織の所有物らしい。黙認されていることをいいことに、とんでもないことをするものだ。
「ここからは地道な捜索ね。手分けしましょうか?」
「って、別れられると護衛のこちらが不安なのだが」
 心配性のリューネが、顔を引きつらせて言う。
「そうです。皆さんにもしものことがあったら、私、お姉さまに合わす顔がありません」
 ある意味、一番の不安要素であるヒルトアリスは、瞳に涙を浮かべながら言う。こんなお嬢様がここにいることが間違っている。
「でも、大所帯だと見つかりやすいわよ。一人ならいくらでも隠れられるけど……」
 これでもアルスの娘だ。スパイ活動のまねごとぐらい出来るし、もしもの時も対処できる。問題は、他の面々だ。傭兵二人の心配はないが、ヴェノムの新しい弟子二人の事は不安だ。よく知らないが、精霊使いと薬師だという。荒事には向かないタイプだろう。
「リューネ様。あなた方はお客人で、私が案内だと言うことはお忘れですか?」
 リディアの囁き声に、彼はむぅとうなる。最近の彼はリディアの言いなりだ。二人にも、色々とあるのだろう。成人したら結婚しそうな雰囲気なので、どんな関係になっても問題はない。リューネにとっては不幸かも知れないが、リディアに幸せにおなり、と心の中で呟いた。彼女の幸せは、世界の美男子の幸せでもある。
「でも、どうやって別れるのよ。たぶんこれ、彼らの所には行きたがらないし、私は見張りだからついてかなきゃならないけど、私は荒事は苦手よ」
 アヴェンダはヒルトアリスを指さし言う。メディアはアミュと離れるつもりはないし、ゲイルもそうだろう。
「それもそうね。無理をして別れる必要はないものね」
 目の届かないところでリディアやカル達以外の者が危険な目に合っていては大変だ。
「静かに、人が来るよ」
 カルの言葉に、メディアは顔を顰めた。曲がり角の向こうから、人の足音が響いてきた。
「って、ここじゃ隠れる場所ないじゃない」
 メディアは杖を握りしめ、殴り倒す準備をした。
「仕方がないねぇ。みんな壁に寄ってはいつくばって、ハンカチ口に当てて息を出来るだけ止めてな」
 アヴェンダに言われるがまま、壁に寄って身をかがめ、息を潜める。アヴェンダは何かに火をつけ宙へ蒔く。やがて見回りの傭兵二人がやって来て、目の前を通り過ぎていく。実に便利な力だ。
「どうやったの?」
「単調なことをしているときこれの匂いを嗅ぐと、強い衝撃を受けるまで、その単調さに取り込まれる。ま、一種の幻覚を見せたのさ」
 アヴェンダはハンカチを口に当てたままそろそろと移動する。見張り達が来た方へと移動する。彼女の言う匂いの下からでると、立ち上がって裾についた汚れを払う。
 ヴェノムに弟子入りしただけあり、なかなか腕がいい。
「やるじゃない」
「多少は」
 彼女はため息をついて、ぼーっとしているヒルトアリスの側頭部を殴った。変な女達だ。
 それよりも、セルスが売られて刺身にされる前に、なんとか救い出してやらなければならない。鈍感な彼も、そろそろ現実に気付いた頃だろう。そして売られるのも時間の問題だ。手の届くところにいる内に、救出しなければならない。
「でも、こういうのって最近一人でよくするけど、みんなとした方が楽しいな」
 社会人となったアミュは、ぽろっと、とんでもないことを口にし、思わず抱きしめたくなるいじらしい微笑みを浮かべた。
 最近物わかりのよすぎる彼女は、ザインの手でこき使われているらしい。今度抗議しなくてはならない。

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