9話 理の都

 

5

 世の中、何かが間違っている。
 間違っているとしか言えない。なにせ、
「おじさま、おじさま、ロードはいらっしゃるかしら?」
 ラシィは手近な、しかし隙無く周囲を伺う、見える範囲では一番立場が上と思われる中年の男に、直球勝負と声をかけた。
「お嬢様は?」
「ロードに、会いに来ましたの。ローラが来たとお伝え下さい。あ、これを見せれば、すぐに思い出していただけると思いますわ」
 ラシィは大粒のサファイアの指輪を見せた。彼女が身につけている宝石の一つだが、まさかこんなところのボスに貢がせていたとは思いもしなかった。
 たったそれだけで、
「こちらへ」
 と、奥へと案内されてしまった。
 ロードとか呼ばれる男の趣味を知っているのか、指輪を知っているのか、どちらか知らぬが、とんとん拍子に話は進み、応接室で待たされた。
 ドタバタと近づく足音が聞こえ、部屋の前で止まり、息を整え、ドアがノックされたのは、待ち始めてから十分もたっていなかった。
「おじさま?」
 ラシィの弾んだ声を聞き、部屋の前にいた男はドアを開き、歯を輝かせて爽やかに笑い部屋に入ってきた。驚いたことに、まだずいぶんと若く見える。とは言っても三十代半ばといったところだ。ラシィが大人びて見えることを差し引いても、見た目の年齢的に倍以上の年の差がある。なかなかハンサムで、女性には不自由してそうにもない容貌でなければ、ラシィがあれほど懐くのはおかしいと感じたことだろう。ハンサムだからこそ、年の差があっても好かれている自信があるに違いない。だからこそ、哀れだ。
「ローラ!」
 カリムは、ローラとは誰だと思いながら、顔には出さずにその様子を観察する。
 ラシィは迷うことなく男の胸へと飛び込んだ。
「おじさま! お会いしたかった!」
 ラシィという少女の恐ろしさを、改めて知った瞬間だった。
 彼女は自分で言うだけあり、可愛らしい顔立ちをしている。しかし、それだけなら、並ぶ容姿の女は他にも多くいるだろう。彼女の友人でもあるアミュの方も綺麗な顔立ちをしている。系統が違うので比べにくいが、美しいという意味では、アミュの方が上だろう。しかし、女としての魅力は、ラシィの方が遙かに上だ。アミュは男を知らぬ純朴さで、本当は持っているだろう色気というものが消えている。
 反対にラシィはどうすれば自分がより愛らしく、より可憐に、より魅力的に見えるか、知っているのだ。そして、男がどんな仕草を好み、どんな表情に心動かされるか、理解しているのだ。
 彼女のあの表情で、あの仕草で、駆け寄られ胸に飛び込んでこられれば、彼女の本性を知っていても心動かされるに違いない。
 女の魅力というのは、顔ではない。美女よりも男にもてる、普通の顔立ちをした女がいるのは、そのためである。自分がどうすれば相手の気を引けるかを知る者が、一番もてるのだ。
「君から会いに来てくれるとは、驚いたよ。私が贈った指輪を、大切にしてくれているんだね」
 ロードは彼女の手を取り、指輪をはめた手にキスをする。
「もちろんですわ。おじさまに頂いた物は、全部とっても大切にしていますもの」
 夢見るような可憐な少女の瞳で、彼女はその男を悩殺する。
 ロリコンなら、たまらないだろう。
 そうでなくても、たまらないだろうが。
「おじさまにお会いできなくてずっと寂しかった」
 彼の胸に頬をすり寄せ、ラシィは鼻を鳴らして甘えた。酸いも甘いも知り尽くしていそうな色男が、鼻の下を伸ばしている。
 恐ろしい。もしもこんな女に狙われたら、自分の団の男達など、あっという間に陥落するだろう。カリム自身も危ない。今まで女性と縁がなかったのは、すべて流砂の嫌がらせの妨害工作のせいであったが、女慣れしているとはほど遠い。それでも彼は安全だ。彼女に狙われるほどの財力がない。彼は次男であり、だからこそ騎士などになったのだ。しかも自由に出来るのは、自分の給金だけである。
「祭りに遊びに行ってもいいと言われて、とても嬉しかったんです」
「そうか、祭りに。よければ私が案内しようか?」
「嬉しいですわ。でも、お友達と一緒に来たから、昼間はちょっと。
 夜は夜で、護衛が絶対に離れないって言うものだから。本当は二人きりになりたかったけれど、彼らをないがしろにすると、もう見逃して貰えなくなってしまうから。おじさまは不快ですか?」
「仕事熱心ないい護衛じゃないか。魔法剣士か? なかなか優秀そうだ」
 一目で彼らに魔道の心得があると見抜くのは、さすが魔道都の裏組織の頭だ。
「ええ。とっても優秀なの。側からは離れてくれないけど、最低限の所で融通は利くし」
 心にも思っていないことを、と、カリムは真面目な顔の下で呟いた。
 両隣の二人も似たような心境だろう。
 彼女は自分が一番強いことを知っている。兄の名前をかたり、武術大会で決勝まで残ったのだ。あの時はごたごたがあってまともな勝負にならなかったが、女同士の対決がどうなったか、見てみたい気もする。
「おじさま、急に来てごめんなさい。本当はお忙しいでいんしょう? 今日から毎晩競りがあると聞きました」
「いいや。準備は終わったからね、それほどでもないよ。私がいなくても事は進む。それに、君の顔を見て元気が出たよ」
「まあ」
 恋する少女のようにはにかむ様は、演技とは思えない。純粋に好きな相手の所に来た、背伸びをする少女に見える。
 彼女には、ライアスの実家が実は一番金持ちだとは、言わない方がいいだろう。彼もほとんど家には戻っていない、勘当寸前まで追い込まれた仲の親子である。最近では出世らしきものをしたので、戻ることもできるだろうが、本人にそのつもりはなさそうだ。
「ローラ、食事はすませた?」
「街に面白いものがいっぱいあって、少しつまんできました。おじさまのお食事がまだでしたら、お付き合いいたしますけど」
 出来れば食べたくないのだろう。どんな薬が入れられるかも分からないのだ。そういうときのために、三人はついてきたのだ。
「私も軽食ですませている。時間がもったいないから、別のことをしようか。何か欲しい物はある? それともオークションを見ていくかい? 面白いよ」
 ラシィはうーんと難しい顔をして考え、ぱっと花が咲くように顔をほころばせた。
「そうだおじさま、今日は珍しい宝石や生き物がいるんでしょう。売られて無くなってしまう前に、近くで見てみたいんです」
「見るだけ?」
「とっても高くなるんでしょう? 私はそんな大金持っていないんです。でも、見て触るだけならお金が無くてもできますもの。私、綺麗な物、可愛い物が大好きだから、どんな物があるか近くで手に取ってみてみたいんです」
 謙虚な態度で、けっして欲しいとは言わずに、段取りが進んだ。
 欲しい欲しいとばかり言う女は、次第に鬱陶しくなるらしい。しかし、彼女のように、見たいだけと美術品を見つめるだけなら、快く思うだろう。誰も高価な美術品を買ってくれるとは思わない。それを買い与えるかどうかは、相手の男次第だ。
 売られる物をその前に見たい。少女のそんな言葉に、本気の打算があるとは、この町の闇である『ロード』と呼ばれる彼とて想像すらしていないだろう。せいぜい、宝石の一つだと思っているに違いない。彼はそれを与えるつもりでいるだろう。
「いけないかしら?」
「いけないことはないよ。ただ、ないしょだよ」
「はい」
 ラシィはぎゅっと彼に抱きつき、うふふっ、と可愛らしく笑う。
 純粋に見える女には、疑うことを忘れないようにしよう。男達は、そう誓った。


「案外、簡単に紛れ込めるもんだねぇ」
 アヴェンダの言葉に、メディアはくすと笑う。
 偶然、人の多い場所に出てしまい、彼女たちは考えを改めた。こっそり行くのはやめにして、可能性の一つにあった『堂々と行く』を実行した。
 彼らの顔には仮面がある。ひょっとしたら、顔を隠しているかもしれないと思い、人数分用意してもらったのだ。後ろ暗い事をする者は、顔を隠したがるのは当然である。
 子供ばかりというのは怪しいが、顔をほとんど隠しているので、さほど問題にならない。世の中、背の低いご婦人はいくらでもいるはずだ。胸のないご婦人も。
 傭兵などをしているせいか、背も高く体つきもいいリューネを未成年だと思う者もいないだろう。立ち姿だけでも華やかなヒルトアリスは、顔を隠せば美少女ではなく美女になる。顔を隠すというのは素晴らしい。
 現在、よく分からないホールにいる。美術品が飾ってあり、立ち話をする者も人も多く、立ち止まっていても目立たない。椅子もあるし、紅茶を飲んでくつろげる。
 メディアは空になったカップを見つめ、問う。
「ゲイル、見つかった?」
「この階にはいないみたいだよ」
 ゲイルは小さな魔物を呼び出し、中を探らせた。見つけたら案内させるのだ。
 侵入する前からこうしていれば良かったのだが、召喚師本人が雰囲気に飲まれてころりとそれを忘れていたらしい。抜け目ないラァスと違い、やはり彼女は普通の女の子なのだ。普通ではない男に育てられていても、普通ではない教育を受けていても。
「下に行くね」
「そうね」
 わざわざ報告してくれなくても、彼女の好きなようにすればいい。売られる前に見つけ出すのが肝心だ。売られた先が、素直に返すとは思えない。
 目玉商品だから、競りにかけられるのも最後の方だろう。時間はまだある。見つけてから、連れ出すのに多少乱暴をすることも考えている。メディアの呪いで全ての人間に恐怖を与えるとか、ゲイルに巨大な生物を召喚させるとか。サディがいれば、それこそ未曾有の混乱を引き起こすことも可能だっただろうが、彼女はここにいない。彼女に暗黒の触手を召喚させるとか、実に楽しそうだったのだが。
 一番望まないのは、リディアの絶望とリューネの死である。
「あ」
 突然、ゲイルが声を上げた。彼女の目は召喚した魔物の目だ。今はここを見ていない。
「見つけた?」
「うん、女の人のスカートの中に隠れて移動してたんだけど、なんか絵とか壺とかがいっぱいある部屋に入った。魔動機もある。魔具もある。ここだね」
 仮面の下の彼女の瞳は、虚ろでどこかここではない遠くを見ている。
「これ以上は、この子じゃあ無理。重そうな扉だから。人も増えてきたし、見つかったら捕まっちゃう。隅の方で大人しくさせてるよ」
 生き物を閉じこめるなら、頑丈な扉を用意するのは普通だろう。ネズミのような小さな魔物が、そこまでたどり着けたのが奇跡だった。見つかったら、女性達が騒いだだろう。
「案内して」
「了解」
 ゲイルの目がこちらに戻ってくる。生き生きとした金の瞳は、この時ばかりはラァスと同じだ。生命力に溢れた、大地の精によく似た綺麗な瞳。
「こっち」
 ゲイルはゆっくりと歩き出す。田舎暮らしだが、歩き方は綺麗で彼女が着る白いローブがよく似合う。
 ここは魔道都だ。旅行者も多く、世間一般の正装をする者はそれほど多くない。それよりも、魔道師のような姿の方がよく目につく。それは一般人が魔道都を楽しむためにしている仮装の一種なのだろう。だからこそ、メディア達は手早く準備ができた。夜会服よりも魔石を織り込んだ高価なローブの方を多く売っているのがこの都市の特徴だ。
 メディアはちらと一同を見て、一人いないことに気付く。
「ヒルトは?」
 アヴェンダに尋ねると、彼女は周囲を見回した。どうせどこかの美女に夢中なんだろうとか言いながら。しかし
現実はそれと異なり、ヒルトアリスは男性数人に囲まれ熱心に口説かれていた。顔を隠しても美形は美形のオーラを放っているのだろうか。スタイルもいいし、闇の帳を紡ぐ糸のように黒く艶やな髪は魅力的だ。
 ちっ、と舌打ちしアヴェンダが連れ戻しに行く。さらに彼女も声をかけられていたが、気の強さの違いか、はっきりきっぱりと断り戻ってきた。
「こ、恐かったです」
「はいはい。剣を抜かなかったのはえらいわね」
 半泣きのヒルトアリスをどうでもよさげになだめるアヴェンダは、手をつないでさっさとゲイルを追いかける。
 ヒルトアリスのことはよく分からないが、アヴェンダに対しては好感すら覚えた。理力の塔ではあまり見ない、実に面倒見のいい女だ。
「ここからは、人目につかないようにね」
 メディアは隣にいたカルへと声をかける。彼は年の割には背が高いのが憎らしい。同じ年だと言っても、なかなか信じてもらえないだろう。
「もちろん。そういうのは得意だよ、僕らは」
「そうでしょうね」
 彼らは彼らの父に鍛えられている。若くしてギルドの長に上り詰めた、恐ろしいほど優秀な男、とアルスが評価する者だ。
 こういう場合には、全面的に信用できる男達である。
 ゲイルの後に続き、皆は間隔を開けて歩く。団体がぞろぞろと歩いていては目立つのだ。メディアはカルの隣を歩く。アミュはカルを挟んで反対側だ。まさに両手に花という奴である。
 メディアは杖を手にしていないので心許ない。何かあれば、いつもあれで殴り倒している。そのために、丈夫な杖を買ってもらったのだ。
「メディアちゃん」
 今まで静かにしていたアミュが、突然呼びかけてきた。
「何?」
「…………ひょっとしたら…………」
 珍しく彼女は言葉を切り、俯いた。
「やっぱり、何でもない」
 アミュは曖昧に笑い、口を閉ざす。気になったが、今は問いただしている場合ではない。時間がたってからの方が話しやすいだろう。風呂に入ってから、寝る前にでも聞くことにした。
 人気が少なくなると、離れていた皆は集まり、巡回する警備を警戒しながら、リューネの指示で移動した。彼は人の気配に敏感で、壁の向こう側に潜む気配も分かるらしい。そのおかげで、一度の戦闘もなく事が済んだ。
 そうしている内に、ゲイルはここ、と言って扉を指さす。鍵が掛かっていたが、カルが針金などを取り出して、ささっと開けてしまう。傭兵とは、このような技能も持っているのだ。気をつけなければ。
 部屋の扉をわずかに開くと、アヴェンダが中に何かを投げ入れ、扉を閉める。
 中で、小さくはない破裂音がして、悲鳴が響き、ドアを開こうと扉を引っ張る者もいたが、カルとリューネが引き返し、次第に抵抗がなくなり、静かになった。
 アヴェンダは皆に軟膏を舐めさせた。ハッカのような風味だが、清涼感は強烈だ。しばらく眠れそうにもない。
「あ、これいい。どこで売ってるの?」
「これはあたしのオリジナルだよ」
 カルの問いにアヴェンダが答える。
「でも、アヴェイン系列の店なら買えるよ。強力な眠気覚ましって言えば通じるから。
 ああ、直接卸してもかまわないよ。住所教えてくれれば、サンプルとか送るけど……まあ、今は中を確かめるのが先だねぇ」
 ちゃっかり営業をして、アヴェンダは薬をポケットにしまい込む。
 アヴェインの店は魔道師内では有名だ。彼女はそこのお嬢さんのようである。そうとなれば、あとで話しをしてコネを作っておかなくてはならない。共通の知り合いであるハウルを利用しよう。あのウドの大木も、たまには役に立つではないか。
 リューネが口元を押さえて扉を開き、誰も起きている者がいないことを確認すると振り返る。メディアは腕を差し入れ、呪文を唱える。
「流るる者 清浄なる乙女よ」
 式を組み立て、短い呪文を口にし、指を鳴らした。
「清めを」
 指を鳴らす必要はないが、杖を使わないので多少意識がそれる。そのため、こうして集中するのだ。額に意識を集めるやり方もあるが、それは術を発動させるまでに、少し時間が掛かる。その一瞬の差が、メディアには我慢ならないのだ。
「これで多少マシになったと思うわ」
 メディアはリューネの背中を押して中に入り、物品が乱雑に置かれた中を進む。高価な物だろうに、無造作に置かれている。これから売られるのだから、仕方がないだろう。扱う方は、細心の注意を払っているに違いない。
 全員が入ると、リューネが鍵をかけ直す。
「ああ、この剣欲しいです」
「ヒルト、あんたはこんな時にまでマニアぶりを見せてるんじゃないよ、恥ずかしい子だね。盗品かもしれないんだよ、まったく」
 剣を見て顔を輝かせるヒルトアリスの耳を引っ張り、アヴェンダは年寄り臭い言葉で叱る。彼女はどこかの世話好きの女将のようだ。
 ゲイルは分厚い扉を指さし言う
「この扉の向こうに、生き物が置かれてるみたい。生き物相手だから、厳重なんだね」
 カルが腕まくりをして再びドアの前に座り込む。彼を見ていると、ほんの少しだけラァスを思い出す。話し方もラァスに近いし、技能だってそうだ。魔法だって補助系が得意で、自分の身体能力を強化して特攻する。魔法で後援をするのが、体格のいい兄という、なんとも見た目と役割が反対の兄弟である。
「……あ、無理だ。これ物理的な方法に加えて、魔法が掛かっている。この扉が、魔動機の一種だね」
 彼は簡単に諦めて立ち上がった。状況判断能力も高い。
「物理的に壊した方が早いよ」
「馬鹿ねぇ。大きな音を立てたら気づかれるでしょ」
 カルは扉を見て、うーんとうなる。
「壁もきっと丈夫に出来ているだろうし……」
 ちら、と壁を見て呟く。脆かったら、どうしたのだろうか。
「少し、下がっていてください」
 ヒルトアリスがスカートをめくりあげながら言う。白くそして美しい筋肉のついた足を見て、咄嗟にカルの顔面に裏拳を入れてしまった。
「い、痛い」
 抗議は気にもせず、メディアはヒルトアリスが抜いた剣を見て目を輝かせた。
 剣の形をした、強力な魔具だ。禍々しいまでの暗い力を持つ剣だ。あんなものを長いスカートの下に隠していたのかと思うと、恐ろしいと感じた。女性が持つだけあって剣の長さが短めなのもあるが、彼女の足の長さがあってこそ、気付かなかったのだ。だから彼女は一緒に座らなかったと、今更ながら気付く。
「剣なんかでどうするつもり?」
 カルの言葉に、ヒルトアリスは抜いた剣を構える。極薄の、下手に木の枝にでも振り下ろしたら、ぽっきり折れてしまいそうなほど華奢で装飾的な剣だった。まるで彼女のように、美しいがか弱く見える剣。
「少し乱暴ですが、一刻も早くセルスさんを救出するためです」
 彼女は構えた剣を振り上げ、ドアノブのない側の隙間を切った。その意味を察したカルとリューネが、ドアを支えながら自分たちの方へと倒す。
 切り口を見ると、蝶番が綺麗にすっぱり切られていた。
「すごぉい」
 ゲイルがぱちぱちと拍手し、しかしすぐにそれをやめた。
「あれあれ。すごいねぇ、これ」
 ゲイルは並べられた檻を見て、呆れて半笑いした。
 どれもこれも珍しい生き物が、金や銀色をした綺麗な檻に入れられている。
「ひどい」
 アミュが呟き、何を思ってかふらふらと奥へ進む。どうしたのかと後を追おうとすると、メディアの視界にきょとんとした顔の知った人魚が入った。
「……メディアさん?」
 目的の人魚、セルスは驚き目を見開いていた。
「……なんというか……」
 ずいぶんと綺麗に着飾らせられたものだ。つい彼女と言いたくなるほど、彼は綺麗だった。白い凝ったいかにもなワンピースに、真珠や珊瑚、その他宝石で飾られている。
 男のとして誇りは、きっとないのだろう。
 なにせ彼は、ほろほろと少女のように泣いていた。
「助けに来たわよ。まったく、あんたってホントと陸の上ではとろいわね」
 メディアは檻を蹴り、舌打ちする。
 魔物を閉じこめてあるだけあって、檻の一つ一つが魔力に強い素材で作られ、魔法を封じる結界が張られている。檻には、その手の紋様が書かれているのだ。しかも材質は堅く、こんな物に閉じこめられたら、どうしようもないだろう。人間というのは、知恵と道具で自分よりも優れた生き物を上回り、狩る側に回ってしまう生き物だ。
「メディアさん、さがってください。セルスさん、今、お助けいたします」
 ヒルトアリスが再び剣を構える。
「この部屋の壁にも、その檻にも、封魔の紋様が描かれているわ。剣の魔力もほとんど削がれるわよ」
「魔力は問題ではありません。魔力があれば刃筋が立っていなくても簡単に切れます。だけど、刃筋が立っていれば、封じられていてもこの子の力は削がれることはありません」
 剣の腹を撫でてから、それをゆっくり持ち上げ、斜めに構え、振り下ろす。落ちた刃を返し、そのまま斜めに振り上げる。
 そして彼女はスカートをめくりあげて剣を鞘に戻し、金色の檻の格子をつかみ、引き抜いてはぽいぽいと捨てる。あまりにも綺麗に切られており、抜け落ちなかったようだ。
 喜んでいるだろうと中で捕らわれているセルスを見たら、メディアは呆気にとられた。
 彼は状況も忘れて、頬を染めてヒルトアリスにぼうっと見惚れていた。太股が効いたのかもしれない。彼は面食いだ。しかも、人間の女性が大好きなのだ。
「お怪我はありませんか?」
 ヒルトアリスは手を差し出し、騎士が姫君にするような礼を取る。女騎士と人魚のお姫様。見た目はそんな雰囲気だ。現実は魔女と人魚の王子様。
「は、はい」
 セルスはぽーっと手を差し出し、手が触れ合ったところで互いは一度手を引っ込め、そして再び手を前に出し、手を取り合う。互いに一目惚れでもしたのだろうか。実に面食いな二人である。
「お気をつけて。切り口は鋭くなっています」
 とがった格子で肌を傷つけないように促し、セルスは自分の衣装を鬱陶しそうに持ち上げながら檻から外に出た。魔女と王子様は、ようやく立ち上がった状態で目線を合わせた。尾びれのないセルスは、愛らしい顔立ちから予想するよりは背が高く、ヒルトアリスが少し見上げる形となる。手を取り合う二人は、とても初対面には見えない。見つめ合って、手を放さない。ようやく再会できた恋人同士のような熱のこもった瞳だった。
「こ……こら、ヒルト」
 なぜか顔色のすぐれないアヴェンダが、ちょいちょいと手招きをするように、ヒルトアリスを呼ぶ。
「め、迷惑……じゃなさそうだけど……まあ、世の中が平和になっていいような気もするからいいとしてね、見つめ合ってる場合じゃないよ。そろそろ行かないと、人が来るよ」
「は、はい。そうですね」
 ヒルトアリスは頷くと、男ならたちどころにとろけてしまいそうな笑みを浮かべ言った。
「セルスさん、参りましょう」
 セルスは、乙女のように静かに頷いた。
 なぜか、ヒルトアリスの方が凛々しく見えるのは、彼女の剣の腕を知った後だからだろうか。
 そんなことはどうでもいいほど、二人は愛し合う恋人同士であった。
 急に馬鹿らしくなり、メディアは早急に戻ろうとして、アミュが別の檻を見つめていることに気付いた。

 

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