10話 砂を吐くほど甘い夜

(今回の話しは募集した甘い台詞アンケートを参考に書きました)

 

1

 ぷくりと頬を膨らませる姿が愛らしい。美少女だ。どう見ても美少女だ。それがいる。ここに。ラフな姿で目の前のベッドにあぐらをかいて座っている。美少女がのんびりと無防備に男が一人いる部屋に。
「なあ」
 その美少女は首をかしげ、大きな目で見つめてくる。ノーメイクだが、とても可愛い。まつげが巻いてなくとも可愛い。
 そんな中身男がこれから寝ようという、少年の目の前にいるのだ。
「なんで俺の部屋に?」
「だって、ひまだもん」
 これが本当は男だとは、嘆かわしいほど女らしい。
「だからなんでここ?」
「他の男の人だと自分が危険だし、女の子のとこだといろいろまずいし。安全なのはここだけなの」
 ハウルは顔を引きつらせた。男だと知っているハウルであれば万が一のことはないが、これもまずいに決まっている。
「あと、シャワー使わせてもらうためかな」
 ラァスは先ほどたっぷりと堪能したシャワールームを指さして言う。
 こんなものが部屋にある理由は簡単。ヴェノムとハウルのための部屋だからだ。いい年をして、祖母と一緒の部屋になど泊まりたくはないのだが、ただでさえ部屋数が足りなくなるこの時期に、我が儘は言えない。当のヴェノムは、カオスと話し合っているようでこの部屋にはいない。賢者同士の難しい話しだろう。
「お前に変なウワサが流れたらどうすんだ。ヴェノムに叱られるだろ」
 その言葉に、今度はラァスが顔を歪ませる。
「ハウル……そういう時は、せめて気になる相手の名前を口にしなきゃ」
「き、気になる相手!?」
 真っ先に思いついたのは、ヴェノムだったのだ。こういう場合は身内なのではないだろうか。母は遠い空の上だし、ならば祖母を思い出すのが当然ではないだろうか。
「それとも……イレーネよりも師匠の方がやっぱりいいの?」
「へ?」
「だって、君、イレーネのこと忘れてるでしょ」
「わ、忘れているわけじゃ……」
 もちろん覚えている。顔を合わせて挨拶もしたし、多少おしゃべりもした。だが、それ以上はしていない。
「ハウル、手をつないだりとかした?」
「し……してない」
「だから駄目なんだよ! せっかく相手がよく知らなくて、自分が知っている場所なんだよ! 手をつないで、二人きりでいい雰囲気の場所を散歩をしたりしないでどうするの!」
 言われてみれば、好意を持つ相手には、そうするのが一般的なのだろう。ハウルは己が関わるととたんに女心が理解できない自分に嫌気がさした。イレーネならそういう気の利く男に慣れているだろう。きっと気の利かない男だと思われているに違いない。
「…………」
「もう、ハウルは僕がいないと本当に駄目だね!」
「うう……」
 言われてみれば、本当に駄目な男だ。どうにもそういう意識をした相手と、それを目的とし接触するのが苦手なのだ。ラァスのように修羅場をくぐり抜けたこともない。告白されても全力で逃げてきた気がする。
 いざ『結婚』の二文字を突きつけられると、もうどうしていいのか分からない。
「ハウルの駄目なところは、女の子を異性として意識すると、とたんに余裕が崩れ去ること! これは駄目。まあ、幸いなことに相手が年上だから、可愛いって思ってくれるからいいけど、極端すぎると向こうもそのうち苛立つよ」
 こくこくと頷いた。仰るとおりと、心の中で相槌を打つ。
 本を読んでいても思う。煮え切らない関係は、見ていてイライラとするのだ。言われてみれば、まさにハウルはそのイライラする主人公よりも煮え切らない優柔不断な男である。
 自覚してみると、周囲にとんでもなく不快感を与えていたのだと、色々と思い出し頭を抱えた。
 次第にうーうー唸り、そうしていると部屋のドアがノックされた。
「師匠?」
「いや……ハディスだ」
 ドアの向こうから、小さな声が聞こえてきた。暗く、沈んだ声だった。
「なぁに? 開いてるよ」
 ただ事ならぬその声にラァスは一瞬目を輝かせる。他人の悩み事は、いい娯楽になるとでも言いたいのだろうか。
 声そのままの暗い面持ちのハディスが部屋に入り、ラァスを見て俯いた。
「何? まあ大体分かるけど。ゲイルちゃんのことでしょ?」
「………………そうだ」
 絞り出すような声に、ハウルは胸の痛みすら感じた。
「さては、ゲイルちゃんがボディスさんへのアタックが本格化してきたなぁ」
「……双子でもないのになぜそれか分かる」
 ハディスは不気味な物でも見るように、双子といった方が納得できる美少女を見つめた。
「僕を誰だと思っているの? この世の闇をたっぷり見てきた男だよ。ゲイルちゃんぐらいの行動なんて簡単に読めるさ」
 自慢にもならないことを胸を張って言うラァス。その張った胸がふくらんでいるのが、不思議でならなかった。
 ハディスはラァスの姿を見て、深く落ち込んだ様子でため息をついた。
「ハディス、ゲイルちゃんは一筋縄ではいかないみたいだね」
「だっだらこんなに悩んでない」
「で、ハウルに恋愛相談しに来たの?」
 彼はこくりと頷いた。人里離れた場所で育った彼には、同年代の知り合いなど数えるほどだろう。そしてその数えるほどの一人がここにいた。ワラをも掴む思いで相談に来たに違いない。
「駄目だよハディス。頼る相手間違ってるよ。この男に恋愛のことで相談するなんて無駄無駄。こいつは恋愛音痴の鈍感男なんだよ」
 ラァスはあっけらかんとして、ハディスの肩をバシバシと叩く。
「…………そうは思っていたが」
「思ってたのか!? 本当にワラ扱い!?」
「愚痴を言えればすっきりすると思って」
「うう……確かに聞くぐらいしかできねぇけどな」
 アドバイスをするにしても、あのゲイルをどうしたら心変わりさせられるかなど想像もつかない。
 ハウルは似たような思考回路を持つラァスをちらと見た。
「仕方がないね。僕が女性の心理も理解できない君らのために、アドバイスをしてあげよう」
 ラァスは腕を組んで自信満々に言う。
「アドバイス!?」
 ハディスの目に生気が戻る。そこはかとなく血走った、狂気の一歩手前といった感じの目だ。彼がどれほど追い込まれているのか、想像すると泣けてくる。
 ハウルの初恋は、父親によって散らされた。ハディスの場合、その初恋は積年の思いである。そんな玉砕をしたら、立ち直れないのではないだろうか。
「簡単だよ。告白しちゃえばいいんだよ」
 ハディスの目が見開かれる。
「こ……告白?」
「そう。一番の問題は、ゲイルちゃんがハディスのことをお兄ちゃんみたいに思って油断しまくっていることでしょ? 相手を男と意識すれば心も揺れるよ。ここは一つ、がつんと押し倒せ」
 ハウルは耳を疑い枕に倒れ込む。可愛い女の子の外見で、それを言うのは反則だ。
「そ、そこまでするのか!?」
「最終目的はそことして、雰囲気で多少のことはしておかないと。
 ああいう相手は、もう揺さぶって揺さぶって、おろおろしているところを突かないと!」
「そ……そうか。言われてみれば、方法はそれぐらいしかないな。しかし、揺さぶると言っても……」
「うぶな女の子を動揺させるのは簡単だよ。
 月夜の下で、夕日が沈む浜辺で、身が縮まるほど、砂を吐くほど、ウザイほど、歯の浮くような言葉で口説けばいいんだから」
 ハディスが身を引き、頬を痙攣させた。そういうものとは無縁そうだ。ハウルも然り。
「無理だ。口説くだけでも難しいのに、その上歯の浮くような台詞? 具体例すら思い浮かばない」
 ラァスはふふんと笑い、指を立てる。
「こんな事に使うために用意したわけじゃないけど、僕がメディアちゃんに頼んでとったもらったアンケートを利用させてあげよう」
 ラァスはカオスの部屋を出たときにメディアから受け取っていた分厚い封筒を見せた。何かと思えば、メディアを使ってアンケートを採っていたのだ。
「……アンケートって、なんの?」
「言われてみたい、言ってみたい口説き文句」
 ハウルはぽかんと口を開け、ハディスは間抜けな声を漏らした。
 ラァスは中身を取り出して、えへへと笑いながらハウルに差し出した。ハウルはそれを、異世界から流れ着いた未知の物体を見るような気持ちで、指先で受け取る。
「…………」
「君たちがそういうキャラでないことは分かっているよ。だから、今日は僕のことをイレーネや師匠だと思い、またゲイルちゃんだと思ってくれていいよ。
 さあ、口説きたまえ」
 まるでカロンのような口調で、彼は湿った前髪をかき上げる。
 ハウルは恐る恐るそのアンケートに目を通した。ハディスも未知の言語で書かれた卑猥な春本に挑むような複雑な表情で、それを覗き込む。
「…………なぁ……なんだこれ」
「…………よく分からないが、世間はこれを言われたいのか?」
 ハウルとハディスは顔を見合わせた。
「まあ、これを言うのに苦痛は感じないけどな」
「いや、本当にこれを言われたい人間がいるのか?」
 ラァスが首をかしげてみせた。可愛らしいいつも以上にゲイルにそっくりな彼を見て、隣のハディスが戸惑いの色を見せる。
「じゃあ、ハウル言ってみてよ。僕の可愛い顔を見て、ちゃんと言えたらいいこいいこしてあげる」
「なんでいいこいいこなんだよ」
「ほっぺたにちゅうの方がいい?」
「男にそんなコトされて嬉しいかっ!」
「身体はだめだよ。女の子の身体だって、アミュの物なんだから!」
「誰もそんなこと求めてねぇ!」
 冗談でも演技力が伴うため、彼は本気で脅えている少女のように見えた。
「じゃあ、とにかく言ってみたよ。よどみなく真顔で甘くささやけるようになったら、普通の愛の告白では恥ずかしくないようになるよきっと」
 そういう物なのだろうかと首をかしげ、しかしハウルは意を決した。
 ラァスにヘタレと言われて一年半。それを脱却する時が来たのかもしれない。
「ラァス」
「うん」
「ええと……君は俺の大事な根野菜。俺という土壌から愛という名の養分を君にいつまでも与えたい」
「へ?」
「ペンネーム、L.Vさんからの投稿でした」
「……は?」
「ええと他には……『俺と野菜を作ってくれ』投稿者平さん。『出来ることなら君に、俺の釣った魚を料理してもらいたい』投稿者カノンさん」
 どういうわけか、そのあたりでラァスの回し蹴りがハウルの側頭部に叩き込まれた。
 痛いのだが、力が封じられているために頭が潰れるなどと言うことはなかった。痛みもさほどない。やる気のない上に力もない蹴りなど、こんなものだろう。
「何なの!? そのふざけたのはっ!?」
「え、だってそう書いてある。だいたい三分の一はこんな感じだけど……」
 ラァスはアンケート用紙を奪い取り、何十枚もある紙にざっと目を通す。
「…………あ、手紙」
 最後の一枚の紙は、メディアの字で書かれたメッセージだった。『あんたに言われたとおり、ハウルみたいな美形を想像してね、って言ったら、こうなったけど、これで本当によかったの?』と書かれている。
「しまった! ハウルなんて単語出したから、こいつ固有のものになってる! みんなこいつを野菜釣り馬鹿だと思ってるんだね!? あはは、『もう君の瞳に完敗』さってか!?(匿名希望さん)」
 ハウルは半分壊れた様子でわめき散らした。
 目も通していない物を、他人に預ける方が間違っている。しかも、勝手に人の名前を出したのが悪い。
「なんでこんなアンケートを?」
「ほら、アミュって恥ずかしがり屋でしょ? 僕が真剣に口説くと、目を回すから。で、姫様が飛んできて『わらわのアミュに何をするかこの狼藉者めっ』って成敗されちゃうの。姫様、魔女姫と言われるぐらいの魔法の達人だしぃ。ヴァルナさんが教えたことになってるの」
 しかも中身があれでだ。サメラがそう成長してもおかしくはない。
「で、もっとまろやかな口説き文句はないかなぁって思ってさ。いっそしびれて動けなくなるようなのとか。君たちと違って僕は責任ある地位にいるからねぇ。色々とあるんだよ」
 今の話を聞く限り、地位とはまったく関わりがないような気がしたが、そっとしておく。ラァスはラァスで悩みがあるのだ。
「で、ハディスはどんなのだったら言える?」
 ハディスは倒れたままのハウルを眺め、やや緊張しながら受け取った紙を眺めた。まさか、野菜、魚ネタは使わないだろう。そうなると、徐々に厳しくなってくる。
「とは言っても、半分ぐらいは冗談だぞ。一見まともなこれは失恋の詩が元だし、有名作品のパロディも多い。それを排除していくと、残るのは二割程度だ」
「その二割の内からひねり出す」
 ハディスは戸惑いながら視線をさ迷わせ、そしてラァスを見据えていった。
「私と一緒の墓に入ってくれ!(四名様いたので名前は省略)」
 当たり前だが、殴られた。
「阿呆か貴様はっ! 最近の若い娘がそんなことを言われて喜ぶかっ!」
 慣れた様子で罵りながらさらに蹴りを入れる。死が二人を分かっても一緒にいましょうという、誠実な言葉ではあるが、確かにまったくもって甘くはないし、言われて喜ぶ若者はいないだろう。
「君たちの駄目な理由がよく分かった」
「…………」
「だいたいハディス、君はこの先何年生きると思ってるの?」
「言われてみれば……」
 彼は人魚だ。世界で有数の長寿種族。寿命で死んだ者がいないと言われるほど長く生きる種族だ。寿命で死ぬには、病も事故も乗り越えねばならない。長く生きるとそれが難しいという。
「というわけで、理力の塔の人は当てにならない。だから今度はこっち」
 ラァスは束ねられた大量の紙を差し出した。
「これはクロフィアの人達のだよ」
 ラァスは美しい物に目がないクロフィアの住人達に問うた結果を差し出した。


「っとーしぃわね! 何なの、あんた達!」
 メディアはぞろぞろと後をついてくる男達に怒鳴りつけた。
 これが騎士なのだから、もう笑うしかない。彼らの大半はもう大人で、まだ幼い少女の尻を追いかけているなど滑稽である。なのに彼らはメディア達三人の所に来て、ラシィがいないと騒ぐのだ。
「だって、あいつ一人でこんな時間にハウルの所にいるんだろ!?」
「何かあったらどうするんだ!」
 何もあるはずがないというのに、彼らは信じない。ラシィは力を封じられて、普通の女の子と変わりがないそうだ。気持ちは理解できるが、もしもラァスが本当に女の子だったとしても、あのハウルが行動するとは思えない。そのことに関してのみ信用している。
 案内して和やかにじゃれ合う二人を見れば、彼らも納得するだろう。二人はどうせ、くだらないことを話し合っているだけに決まっているのだ。
 メディアはハウルの部屋のドアをノックもなしに開き、中を見る。
「可愛い人。憎らしいほど綺麗な人。そよ風を生むその瞳が、私の心を吹き荒らすの」
 ラァスがハウルの手を取り、顔を近づけて囁いていた。
「私達の小指には、赤い糸があるかしら?(匿名希望さん達より)」
 切なげな瞳はどこまでも真剣に見えた。
 鳥肌が立つ。演技と分かっていても、男同士のそれは気色が悪い。
「何してるの?」
「え? ハウルが練習でも何も言えないダメダメ男だから、とりあえず口説かれ慣らそうと思って」
 ラァスはえへへと笑いながらハウルから離れる。どれだけ口説かれ続けたのか、ハウルは固まったまま動かない。それもそうだろう。男に言われれば気持ちのいいものではない。
「気色の悪いことを」
「ひどーい。まあ、自分でも思うけど」
 ラァスは後頭部に手を当て、ぺろりと舌を出す。部屋の中を見ると、縁の方にもう一人いるのに気がついた。
「なんだ、ハディスもいたの。どうしてあんたまで固まってるの?」
 メディアは硬直しているハディスを見て首をかしげた。ゲイルは頬をふくらませて、どうして一人にするのと彼に詰め寄った。
 これだけ見ると、恋人同士だというのに、ハディスは実に哀れである。
「そうだ、ハウル。私に言うのが嫌なら、メディアちゃんで練習しなよ」
「は?」
 メディアはラァスの言葉の意味が分からず顔を顰める。
「女の子を口説く予行練習」
 それでハディスはゲイルの姿を見て固まったのだろう。
「じゃあ、ラシィ。ハウルとは何でもないんだな!?」
 騎士の一人がメディアを押しのけ部屋に入ってくる。
「何でもないわよ。どうして私がこんな力と顔だけの男なんて。
 男としては利用する価値もないじゃない。ただの友達よ」
 ハウルがじとーっとラァスを半眼閉じて睨むが、彼は気にした様子もなく胸を張っていた。彼はどこまでも彼らしい。こういうところは分かりやすくて嫌いではない。
 しかし、こんな馬鹿らしいことにはつきあえない。
「で、どうして私がそんな利用価値のない男の練習台にならなきゃいけないのよ」
「じゃあ、ゲイルちゃんで」
 ベッドに腰掛けるハディスの横で、ゲイルが瞬きを忘れてきょとんとする。そのゲイルを、慌てた様子でハディスが庇ってた。
「アミュでいいじゃない。素直に聞いてくれるわよ」
「駄目。アミュは私の」
 ラァスはアミュをぎゅっと抱きしめてふるふると首を横に振る。
「俺に一体どうしろと……。
 ラァスに言うにしてもよぉ、何を言えばいいのか」
 ハウルはぺらぺらと紙をめくってため息をつく。
「さっき何を聞いていたの?」
「頭が理解するのを拒否してた」
「んもう、ハウルってば本当に駄目な子!」
 ラァスはわざとらしく腕を組み、めっ、とハウルを叱った。
「ハディスは聞いていた?」
「ヴィジュアル的にショックでよく覚えていない」
 彼から見れば、ゲイルがハウルを口説いていたようにも見えただろう。二人の顔立ちは似ているが、完全に少女となったラァスは、本当に双子でないのが不思議なほどゲイルと似ている。もちろん区別がつかないほどにているというわけではないが、たかがいとこ同士の関係には見えない。
 ハディスにとっては理解していても、見たくない光景だったに違いない。
「んもう。駄目な男達め。仕方がないから、もう一度やってみせてあげるよ」
 ラァスはそう言って、笑顔でアミュを見つめた。
 一体何をするつもりなのやら。

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