11話 友達以上恋人未満


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 眠い目をこすり、ハウルはくわっと大あくびをした。隣を歩くラァスは、ハウルがたたき起こしたばかりで、彼もやや眠そうだ。しかし基本的に元は暗殺者で、現在は神官見習いの彼は早起きな上、数日寝なくても十分に活動できる体質だ。実際に夜恐くて眠れないと、四日目の朝に泣きついてきたことがある。その時も昼間は幻覚も見ず、勉強も頭に入っていた。その時は悪霊達が嫌がらせでラァスが眠りそうな時に音を鳴らしていたらしい。厳重注意して結界を張ると、次の日からラァスは安眠できた。それで安眠してしまうのが、実にラァスらしい。
 そんなラァスとは逆で、ハウルはよく寝ないと頭が働かなくなるタイプだ。
「寝不足?」
「っせぇ。部屋に帰ったら、ヴェノムに口説けとか迫られたんだよ」
 しかも嬉しげに。期待に満ちた眼差しは、無視してベッドに潜り込むことを許さなかった。
「わぁ、美人に迫られてうらやましい」
「不気味だろうが! おかげで庭の隅の方で寝たんだぞ」
「口説いてあげればよかったのに」
「できるか!」
 ハウルはこの愉快犯を忌ま忌ましく睨みつけた。朝早く起こして悪かったかなと少しでも考えた自分が愚かであった。
 二人は食堂に入ると知った姿を求めて周囲を見回す。ここは学生用の食堂ではなく、教師や研究者など、働く者達の食堂だ。学生が来ていけないわけではないが、距離があるのであまり来ない。メディアのように身内がこちらで食べる者が、時々足を運んでくるぐらいらしい。
「お、イレーネ」
 彼女のような高貴な客人までも食堂を使用するのに驚いたが、庶民派のイレーネにとっては、ある意味堅苦しい生活を忘れるチャンスなのだろう。楽しげに誰かと話しをしている。後ろ姿を見る限りは女性と子供なので、魔力をもらうための説得をしているのかもしれない。イレーネの横にはカオスが座っている。
「イレーネ、カオスのおっさん、おはよう」
 ハウルが声をかけると、彼女はこちらを向き微笑んだ。相変わらず春風のように爽やかな少女──に見える女性だ。カオスの方は、おっさん呼ばわりされて顔が引きつっていた。
「ん?」
 イレーネと話しをしていた女性が振り返る。
 ハウルは思わずぎょっとした。
 隣でラァスも目を見開いた。
 その女性は、痩せていた。やつれていた。しかも顔色が悪い。近くでただ茶を飲んでいる吸血鬼二人よりもずっと病人のような顔色なのだ。くまのせいだと気付くのに、しばし時間を要した。
 ハウルは、自分がまだまだ寝不足とはほど遠いと自覚した。世の中には、彼女のようになるまで働き続ける者がいるのだ。しかもそれは女性である。
「おはようございます、ハウル様、ラァス」
「お……おはようイレーネ。君の笑顔のように爽やかな朝だね」
 ラァスは言ってまた爽やかに微笑む。あまりの動揺で、昨夜の抜けきらぬ毒が強まったようだ。
 彼は今日からは男として、ラァスとして過ごすため、気持ち悪い女言葉はやめている。騎士達には、兄のために男装をしているように見えるだろう。
「ご一緒にいかがですか?」
「ああ」
 すると吸血鬼二人が隣のテーブルをさっと寄せ、二人のためにカウンターに向かった。セルフサービスのため、取りに行かなければならないのだ。
 さすがに女王に仕えているだけあり気が利く。
 ラァスはイレーネの隣を空けて座ったので、ハウルはその空けれた席についた。
「こちらは魔動機技師のマナラさんと、お弟子のイゼアさん。マナラさん。こちらは風神様のご子息のハウル様と、地神殿のラァス」
 二人は黙礼した。
 その女は見れば見るほど、早く寝た方がいいと思う顔色の悪さだ。時期が時期なだけに忙しいのだろう。そう思っていたところに、知った男の声が飛んできた。
「おや、マナラじゃないか! 今日はずいぶんと顔色がいいね!」
 カロンの爽やかな声に、ハウルとラァスの顔が引きつった。
 ──これで顔色がいい!?
 ならば、平時はどれだけ顔色が悪いのだろうか。
 思わず声に出して問いただしそうになったが、なんとか耐えて笑みを浮かべた。
「おはよう王子。ラフィも大き…………本当に大きくなったな」
 見た目は既に二、三歳児ぐらいのラフィニアを見て、マナラはじっとカロンの腕の中のラフィニアを見つめた。ラフィニアは今日も実に可愛らしい。背中の翼を出しているのは、最近発売されたラーフの翼と誤魔化せるからだろう。少なくとも、そういった物が販売されていることを、理力の塔の者なら知っているはずだ。カロンそっくりの彼女を有翼人と勘違いするよりも、過保護な親が買い与えたと思う方が現実的である。
「最近は一週間ろくに睡眠を取らなかったり、食事を取らなかったりというのはないようだね。安心したよ」
「は……ハードなお仕事ですねぇ」
「彼女のは趣味だよ」
 マナラは静かにジュースを飲んでいる。時々、趣味に没頭して食べるのを忘れる人間がいるが、彼女がそれなのだろう。隣の少年を見ると、少し顔色が悪いが、驚くほど痩せていたり不健康そうには見えない。
「あら、イゼアじゃない。カロンの知り合いだったの」
 カロンと一緒に来たのだろう、メディアがイゼアへと声をかけた。
「最近見ないと思っていたけど、どうしていたの?」
「メディアさん、お久しぶりです。今はこちらのマナラさんのところに弟子入りしています」
「あら、そうなの。そう言えば手先が器用だったものね。暴力馬鹿男からも逃れられるし、いい判断ね」
「そうですね、それが目的でしたから」
 と、ちらと離れたところの席を見る。そこには攻性魔法ではヴェノムも認めているという、キーオとかいう男と、見たことのある顔の少年が食事をしていた。
「あら、いたの暴力馬鹿男」
「暴力の化身に言われる筋合いはない」
「あら、暴力が理由で女に逃げられるような男に言われる筋合いはもっとないけれど?」
 ああ、逃げられたんだ。
 そんな目を回りは向けた。暴力的なのはいいが、それを相手の意思を尊重せずに押しつけるのはよくない。いいのはハランのような者にだけである。
「馬鹿はほっといて食べましょう」
 カロンとメディアだけではなく、アミュ、アルス、ミンス、傭兵の二人もいた。団体で朝食を取りに来たようだ。
「あら、どうしましょ」
「どうって……もう自分で持ってきてねって感じだな」
 トレイを持って戻ってきた吸血鬼達が、給仕するのを諦めて、ハウルとラァスの分だけ置いてさっと椅子に座ってしまう。二人が座るのは、日が差し込まない影になる部分だ。
「別にこき使おうなんて思ってないわよ」
 メディアはさっと空いた席を陣取り、カウンターへと向かう。カロンだけはこちらに残り、空いた席に腰掛けた。それを見て、エヴァリーンはよいしょと言って立ち上がった。相手は王族だから、渋々ながらも動くようだ。
「イレーネ、君にマナラの話しをしたのは私だが、さっそく勧誘しているのかい?」
「もう即振られました」
「おや、罪深いねマナラ。彼女の条件は最高のはずだよ。しかも彼女は魔動の革命者でもある」
 魔動技術で遊園地を作ってしまうのだから、確かに革命者とも呼べるだろう。伝統の破壊者であり、創造者だ。
「修理は趣味でやっているんだ。魔動機で遊園地を作ったって発想には尊敬するが、その技術提供なら私でなくても出来るだろう。発想が問題であり、それを現実化するのはある程度の技術者になら難しくはない。
 直す方が難しいから、私がやめれば、製造した工場が無くなれば壊れた物は捨てられるだろう。そうなると具神様が悲しまれる」
 どうやら、女王ではなく遊園地のオーナーとして話しを持ちかけたらしい。しかしマナラは真の職人魂を持ち、具神の寵愛を受けているようだ。イレーネが欲しいと思うのも仕方がない。
「そこまで言われては、わくたしも強くは出られませんもの。なので、技術についての相談に乗っていただいていました」
「ああ、あの新しい乗り物の?」
「ええ。実に有益な技術を教えていただきました。出来れば正式な設計図などあればいいのですが。お礼はモルヴァルの最高級の魔石でいかがでしょうか。いくら金銭があっても、手に入る物ではありません」
「ちょ……たかがあんな技術で、そんなにも? 金持ちはよく分からん」
「それでさらに転がり込んできますのよ」
 と、彼女は指で輪を作る。
 実に俗な話しである。国の台所を一人でまかなうこの女王様には、本当には手も足も出そうにない。夫を持っても、一人で何でもやってしまうだろう、彼女なら。
「でもマナラさん、本当にいいんですか? このお嬢様に雇われれば、好きなだけ趣味の世界をひた走れますよ」
「そうそう。いいことを言うなイゼア。彼女の所に行けば、もっと美容にも気を遣ってくれるよ。マナラは無頓着すぎるから」
「王子様、もっと言ってやってください」
 イゼアが拳を握ってカロンを応援する。弟子は師の不健康を快く思っていないようだ。
「ところで、その王子というのは……?」
「あだ名だよ。なぜか最近この町で広がっていてね」
「そうですか。少し驚いきました。ところでイゼアさん。お手を拝借してもよろしいかしら?」
 イゼアは首をかしげて手を差し出した。
「まあ、若いのにずいぶんと荒れていらっしゃるわ。爪の間に油も残っている。これはよくありません」
 美容の鬼とも言えるイレーネは、イゼアの手をまじまじと観察し、振り返った。
「エヴァリーン。せっかくですから、お二人をわたくしの部屋へ」
「え? ええっ!?」
「今日は一日ここで待機と仰いましたわね。でしたら、ぜひわたくしのメイド達による接待を受けて下さい。皆、優秀なエステティシャンです。マッサージと考えて下さい」
 実にイレーネらしい展開に、イゼアは目を白黒させる。イゼアはともかく、マナラの方はそうするべきだろう。彼女に必要なのは睡眠と栄養だ。食べるだけではなく、肌からもすり込まなければならないほど色々な栄養が必要だ。
「別に私はいらないが」
「貴女にこそ必要なんです。わたくしはまだ諦めたわけではありませんもの。優秀な人材は、わたしくのように優秀な者が統括してこそより高まるのです」
「自信家だな」
「ええ。そうでなくては、生きていけませんもの」
 図太いほどでないと、生きるのは大変だろう。周囲から、チクチクと嫌みを言われるのに慣れたハウルは、それが理解できた。
「ところで、イレーネはハウルとデートだと聞いたけど?」
 カロンは突然話を変えて、突っ込んだことを口にした。
「デート……ですか」
 離れたところで吸血鬼二人がイレーネにガンバ! と、エールを送っている。
「そうですね。デートです」
 やはり世間一般では、これはデートなのだ。ヒルトアリス達は、ラァスの意を察したアヴェンダが押さえているだろうし、他はラァスが手を回しているらしい。つまりは、二人きりなのだ。
「デートか」
 ジュースを飲んでいたマナラが、口を開いてハウルを見た。
「なら、通りにある迷路に行ってみるといい。見た目はただの一軒家だが、具神様から頂いた伝説級のアイテムで作られた迷路がある。全ては幻影だが、知恵と身体能力が試される造りになっている。デートにはもってこいだ」
 幻影を見せるだけなら、腕がよければ人間にでも作れる。伝説級ということは、よほどリアルな幻影を見せるのだろう。その中にあっては、痛みすら感じることが出来るというアイテムの話しは聞いたことがある。おとぎ話の中であり、実在しているとは知らなかった。
「なぜそんな物を学生が」
「貸してくれと言われたからだ。その代わり、魔力をスッカラカンになるまで頂いたけどな」
 カロンの言葉にマナラが答える。顔色が悪いせいか、何かよからぬ企てをしている悪い魔女のようである。どうやら彼女はヴェノム系の女らしい。見た目で周囲に誤解されやすい、見た目がホラー系。あんなに顔色が悪いのは、悪い悪魔を飼っているからだとか、噂されていそうだ。
「まあ、それは楽しみです」
「景品も高価な物らしいぞ。金持ちのボンボンの考えることはよく分からないな。ま、女にいいところを見せるのには、ちょうどいいだろう」
 だからデートにはちょうどいい、と。
 イレーネが楽しみだと言ったので、一通り面白い場所に行ったら、寄るのも悪くはない。彼女の興味は、その魔動機に向いていそうだが。


 トイレの鏡に映った自分を見て、アミュはため息をついた。
 よく人から、ヴェノムに似ていると言われるが、彼女はそうは思わない。
 鏡に映る、よくはねてくれる中途半端な癖毛が憎らしい。ヴェノムのように何をしても癖がつかないような髪が羨ましかった。クロフィアの屋敷にいれば、サメラ付きのメイドがアミュの髪も綺麗に結ってくれるのだが、一人ではなかなか難しい。
「アミュどうしたの?」
 トイレから出てきたメディアが、手を洗いながら問うてきた。
「髪の毛が言うこと聞かなくて」
 深淵の森の城にいた頃は髪型など気にしなかったのだが、さすがに都会で生活していると気になるようになった。とくにサメラのような生粋のお姫様との生活だ。彼女達は王位継承権も持っているのだから。その友人がみすぼらしいでは、彼女の一家が笑い物になってしまう。
「あら、私はアミュのその髪型好きよ。癖だって気にならないわ」
「ありがとう」
「ラァスのこと気にしてるの?」
 ラァスの方が器用で、短い髪でも付け足したりと何でもしてしまう。アミュにとって、手のと届きにくい見えない場所で、あれほど器用に手が動く事が不思議でならない。
「デートだものね」
 アミュは自分とは無縁に等しいその単語に、身を強張らせた。
「…………」
「気になってたんだけど、ラァスに何かされたわけ?」
「べ、別に……。何というようなことは」
「じゃあ、どうして態度が変なわけ? 昨日も珍しくラァスとはぐれていたし」
 確かに、はぐれたのは初めてだ。いつもはそんな不注意はしない。逃げ腰になって、考え事をしていたのが原因だ。
「…………最近ね」
「最近」
「ラァス君がね」
「ラァスが」
「変なの」
「いつもの事じゃない」
 言われてみて、アミュの知るラァスを思い描く。
 少なくとも、女装をして金持ちの男性を騙したりする知り合いは、他にいない。彼は少し、いやかなり変わり者だ。
「…………」
「つまり、口説かれてるの?」
「っ!?」
 言われて、アミュは狼狽する。
 最近、ラァスの言動に妙な歯がゆさを覚えていた。『僕のアミュ』『今日も可愛いね』『君だけが僕の全てだ』と言ったり、誕生日には大きな花束と、その中に指輪がメッセージ付きで送られてきた。
 一緒に買い物に行くと、何でもかんでも買ってくれようとするのは昔からだが、それがひどくなっている気もする。
 だから友人に言ったりしたりするには、少し大げさかなとさすがに思い始めていた。
「……まあ、いいけど。無理はしないだろうし」
「…………」
「頑張りなさい」
「な……何を?」
「理解から」
「難しいね」
 よく分からない。ラァスがどうして前よりも甘やかしてくるのか、メディアがなぜそんなことを言うのか。人生経験の差では埋まらない何かを感じる。
「髪、やってあげるわ」
 メディアはアミュの背後に立ち、くしを取り出し髪をといた。といた髪の一部をねじり、ラァスにもらった髪留めが、綺麗に髪を押さえ込んでしまう。
 メディアも器用だ。
「これでいいでしょ。とにかく行きましょう。ラァスが待ってるわよ」
 アミュは頷き、メディアの後についてトイレを出た。
 どうしてか分からないが、ため息が出た。けっして嫌ではないのだが、気が進まない。
 トイレから出て、廊下を歩いていると、少し離れたところにハウル達と談笑するラァスがいた。ラシィと呼ぶべき女の子の身体だが、今は男装しているのでラァスだ。
「ほら、アミュ。行ってきなさい」
 メディアが背を押し、振り返ると彼女は踵を返して去っていく。メディアは用事があるようだから、仕方がない。彼女は理力の塔の魔女なのだ。
「お、アミュ。髪型変えたのか」
「可愛らしいですね。赤い御髪に、金色がよく似合います」
 イレーネも癖のある栗色の髪だが、彼女の場合は綺麗に巻いて整えてある。ヴェノムのようにスタイルもいいし、品もあって、素敵な女性だ。
 アミュも努力すれば、彼女のようにエレガントになることが出来るのだろうか。昔はアミュと同じで普通の田舎暮らしの女の子だったと聞いている。
「一緒に行くんですか?」
 期待を込めて問うてみる。アミュはイレーネとよく話したことがない。尋ねてみたいことも色々とあった。
「だめだよアミュ。今日は二人っきりのデートって約束でしょう」
 彼の言葉に、アミュは小さくうなる。
 それを見て、ハウルとイレーネは同時に笑い出した。
「ラァス、俺達行くから」
「ええ、参りましょう。でも、本当に可愛らしいお二人ですね」
「アミュが可愛いからな」
 などと楽しげに会話をしながら、去っていく。恋人同士というよりも、友達同士のような会話だ。メディアも言っていたが、あの二人に本当に進展があるのか、疑問である。
「お兄さん達、心配だね」
「ほっとけばいいよ。ハウルももう子供じゃないんだから。イレーネは大人だし」
 確かにイレーネはもう大人で、ハウルももう子供ではない。
「心配だね」
 二人は上手くいくだろうか。
「それも大丈夫。ハウルはヘタレだから、そんな勇気ないよ。それよりも、僕らは僕らで楽しもうよ」
 ラァスはそっとアミュの腰に手を回す。
 もやもやする。
 こういうとき、いつもはどうしていただろう。メディアなら、ラァスなら──
「お兄さんが心配だから、追跡ごっこしよ?」
 きっと後をつけ回すだろう。昔ならそうした気がする。
「ははは、心配性だなぁ、アミュは」 
「で……でも……」
 嫌、というわけではない。しかし、落ち着かない。二人きりになると、どうしていいのか分からなくなる。
 ちらとラァスを見上げると、彼は不快を示すことなく微笑んだ。
「仕方がないなアミュは。君がそうしたいなら、こっそり後をつけようか」
 アミュの手を取り、いつもの優しい言葉をくれた。
 彼の心は穏やかだ。男の子の時のように、いつもの街にいるように、彼の心は穏やかだ。女の子になってからはピリピリしていたのに、今はとてもとても静かだ。
「…………ラァス君」
 ラァスが魔力を強めるほど、彼の心が見えなくなる。今ではなんとなく、感情の起伏を読み取れる、顔色をうかがう程度のと変わりない。だから本当に彼が怒っていないかは、分からない。
「アミュ、行こうか?」
「うん」
 彼が手を引き、アミュは彼の流れにただ身を任せる。彼が手を引いて誘導する先は、アミュが歩くよりもよほど楽な道だ。人がおらず、道が綺麗な部分を彼は選んでくれている。一人で歩いていて誰かにぶつかったことは多々あるが、彼と一緒にいて相手の故意以外でぶつかられたことはない。
 彼は、本当に気遣い上手だ。
「ラァス君……ごめんなさい。ありがとう」
 悪いことをしたような気になり、同時に嬉しくて感謝する。
「別にいいのに」
「だって……」
 せっかく時間を空けてくれたのに、本当は忙しいはずなのに、我が儘を言ってこんなことをしている。それに罪悪感を覚えるのだ。
「じゃあ、今度一緒に芝居でも見に行こうか。もうすぐクロフィアに有名な一座が来るそうだよ」
「お芝居?」
「アミュは劇場には行ったことがないでしょ? 僕もあそこの劇場は初めてなんだ。かと言って、男や知り合いの巫女さんなんて誘えないでしょ?」
「うん」
 たしかに男性と一緒に行く場所ではないし、巫女が相手では変な噂が立つ可能性がある。ラァスのクロフィアでの知り合いは、聖職者か騎士達が中心だ。
「じゃあ、一緒に見ようね」
 ラァスと一緒にいると落ち着かないが、でも楽しい。
 戸惑うが、断ることは出来ない。それに劇場なら、人がたくさんいるし、集中していられる。
 ずっとこんな関係が続けばいいのにと思うが、自分がしている世間に知られてはいけない仕事を思い出し、ため息をついた。
 ──私もヴァルナさん達みたいに、強くて賢ければいいのに。
 そうであれば、もう少し余裕も出来て、楽しめるかもしれない。だが、アミュはまだ子供と呼ばれる歳で、経験も知恵もない。
 だからこういうとき、本当はどうすればいいのか、よく分からない。


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