11話 友達以上恋人未満

 

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「アヴェンダさん、何をご覧になってるんです?」
 窓の外を眺めていたアヴェンダは、幸せいっぱいのヒルトアリスを横目に、ため息をついた。
 窓から見下ろせる場所に庭があり、その向こうには廊下が見える。
「あら、ラァス様とアミュさん」
「二人とも、どこに行くんでしょうね」
 ヒルトアリスとセルスが仲良く手をつないで歩く二人を温かく見守る。
 ──こうも仲がいいと、付け入る隙もありゃしない。
 しかもアミュの方は自覚がないところが付け入る隙と思っていたが、以前の時にはない『羞恥』が感じ取れ、女の目から見てもその様は可愛らしく映る。
 顔では勝てない。態度でも勝てない。
「世の中ってのは、不公平だねぇ」
 素材から中身まで彼女の方がずっと可愛らしい。
「どうしたんですか? 何か悩みでも?」
「幸せそうな女に言うことはない。あんたに話すぐらいなら、キーディアが寝ぼけて作ったゾンビにでも話を聞いてもらう方がマシだよ」
 可愛くないと言われ続けたこの人生、可愛い綺麗で満ち溢れた女に相談することなど皆無である。言っても理解できないだろう。
 ほろほろと涙を流し始めたヒルトアリスを、セルスが優しく慰める。綺麗な女は男女問わず優しくしてくれる。美少女同士のそのやりとりに、周囲の男達はざわめいた。アヴェンダが傷ついたとしても、こんな風に誰かに気遣われることなど少ない。気が強く、それを表に出さないからだが、きっとヒルトアリスならそれでも気付いて貰えただろう。
 本当に世の中不公平だ。これほど美しい女達が当たり前のようにいるのに、自分はそんな恩恵を受けていないし、才能もない。持っているのはせいぜい生まれ育った家の知識ぐらいである。
「…………はぁ」
 それでも憎めないのは、ヒルトアリスがどこまでも天然で、惚れっぽいところを抜きにすればその美貌に相応しい純粋さを持っているからだ。女性を好きになっても、見るだけで幸せというのだから、惚れっぽさもそう悪い部分でもない。
「せいぜい幸せになるんだよ」
「え? 急にそんなこと……どうしたんですか? 何をそんなに悩んでるんですか?」
「ほっといとくれよ。あたしだって、一人でうじうじしたいときもあるんだよ」
 どうしようもない目の前の現実と、騒がしい周囲。悩みたくても悩めない。まともに悩む時間をくれない。悩むのすら馬鹿らしいと言わんばかりに、世界は動いている。
「話を聞いてくれる子、いりますか?」
 こくりと首をかしげたキーディアは、両手に何かを持つような仕草をしていた。
「いらないよ。キーディアはダリとでも遊んでな。ルートが裏でお仲間と遊んでるらしいから、そっちに行くといいかもしれないねぇ」
 キーディアはダリの剣へと話しかけ、それからうんと頷いた。ダリもルートと遊ぶのなら安心だと判断したようだ。
 こうしていても空しいだけと、アヴェンダも残っていた茶を口内に流し込み立ち上がった。出口に向かうと、そこから知った顔が入ってきた。
「あら、アヴェンダさん」
「エヴァリーンさん。こんな所に一体何の用だい?」
 彼女は部屋で優雅に朝食を食べている方が似合うのに、何の用で学生用の食堂に来るのか理解できなかった。その隣に、知らぬ少女と異様に痩せた決して優美な吸血鬼の横に立つに相応しいとは言えない女が立っている。
「サディ、直ったぞ」
「ありがとう」
 痩せた女はサディに魔具を手渡し、肩を回して首を回した。ごきごきと音が鳴り、顔を顰めて首を振る。
「魔具の修理ぐらい自分でしろ。私の専門は魔動機であって、魔具は苦手だ」
 どうやら修理工のようだ。寝不足なのか、濃いクマが出来ている。元々の顔立ちはいいようなので見苦しい感じはしないが、起きていても大丈夫なのかと問いかけたくなるほどただ事ではない雰囲気だ。とても不健康そうである。肌も荒れ放題だ。しかし色は白く、少し手入れすればすぐに綺麗になるだろう。素材がいいのに完全放置する女もいるのだなと、アヴェンダはため息をつく。
「アヴェンダさん達は、これから予定はありますか?」
 連れの女性がサディに正しい魔具の使い方を教え始めたためか、エヴァリーンが尋ねてきた。
「特にないよ。幸せカップル見てるのも腹立つしね」
「でしたら、私どもと一緒に来ませんか。アヴェンダさんは素晴らしく肌がお綺麗ですから、その秘密を是非お聞かせ願いたいものです」
「彼女たちとお茶会でもするの?」
「彼女たちはエステです。イレーネ様専属のスタッフ達はとても優秀ですの」
「え……エステ?」
「よい香りを嗅ぐだけで、よい香草を口にするだけでも十分に美しさを手に入れることは出来ますわ」
 イレーネという女を、ふと思い出す。
 そして、自分の『アヴェイン』の家名を思い出す。
 イレーネはきっと『アヴェイン』に興味があるのだろう。
「べつにいいけど」
 女王陛下に恩を売れるというのなら、悪い話ではない。モルヴァルにアヴェインの店はないのだ。
 アヴェインの女は欲深い。機を逃す馬鹿はアヴェインにはいない。
「キーディアも来る?」
「行きます」
 エヴァリーン見とれる死霊術師達は、一斉にこくと頷いた。修理工に叱られているサディと、他人事とすました顔をしていたアランも。
「アラン様、殿方はご遠慮願います」
「…………」
 アランははたと我に返り、赤くなって首を横に振った。
 この家系は、本当に死人が好きなようである。


 去年も来たし、昨日も走り回ったが、この町は本当に風変わりだと思い知らされる。
 ラァスが見える精霊と言えば、彼にとにかく好意的で積極的な者ばかりで、通りすがる精霊の翻る髪の一束が時折見えるこの街は、ただいるだけでセンスが上がるのだと実感する。
 そんな街をアミュと手をつないで、ふたりで買った揚げ菓子を半分こしたり、先行くハウル達を観察したりと、なかなか楽しいデートである。
「……アミュ、楽しい?」
「ラァス君は楽しくない?」
「アミュと一緒ならどこでも楽しいけど、あの二人に気付かれずにつかず離れずしながら楽しむのはなかなか難しいね。鈍ったかな」
 アミュを連れていたとしても、昔ならもう少し余裕があったのだが、今はすっかり毒のない生活をしている。おかげで彼女に気を使いにくくなっている。歩きやすく道を選ぶ事しかできない。彼女によい贈り物を見繕ったり、気の利いた話など考えている余裕はさすがにない。
「ごめんさない」
「何言ってるのアミュ。男が女の子の我が儘に付き合うのは当然のことだよ。姫様みたいに当たり前だってふんぞり返ってろとは言わないけど、ありがとうって言って笑いかけるぐらいの強かさを身につけないとね。女の子は男を利用するぐらいの気持ちでいないと、ヒドイ目に合うよ」
 もちろんラァスのようになれとも言わない。ただ彼女は男の親切についてもう少し知る必要がある。
 ラァスはアミュを連れて歩きながら、前方の二人の後を追う。振り返らないので気付かれない。振り返っても、帽子を被っているので気付かれることはないだろう。金髪など珍しくもないし、アミュの燃えるような赤毛さえ隠していればいい。
「見失ったらごめんね」
「別に謝られる事じゃないし、こんなに人が多いからついて行けることが不思議だよ」
 アミュはふるふると首を横に振る。わざと見失って二人きりになるという手があることを、彼女は考えているのだろうか。
 もちろん可愛い彼女の中で、ラァスの評価が下がるようなまねはしない。それに見失ってもあれだけ目立つ二人である。この土地に住まう数多い精霊に聞けば分かるし、いつも彼の側についてくる精霊に一人が気を利かせて二人にひっついている。人間だってハウルのことは忘れるはずがない。見失う要素はない。
「さて、二人はどこに行くかなぁ」
 街をぶらぶらと今のこの都市の醍醐味である奇妙な露店を見て回っている。主にはしゃいでいるのはイレーネだ。はしゃぐと言ってもまあ、あら、といった大人しいものだが、目はかなり真剣だ。彼女のことだからきっと何か商売の事を考えているのだろう。
 おかげでいくぶんかの余裕が出来た彼も店の様子を横目で見ながら、アミュの役に立ちそうな物を探す。最近アミュは装身具の類は他人からよくもらっているらしい。
 もちろん忌々しいことに男からだ。
 幼いとはいえあれだけの容姿と家柄を持つサメラといれば、当然男が群がってくるしプレゼントももらう。彼女がただ人ではないのは誰にでも分かるし、魔力を感じることが出来れば何かあると感じるはずだ。ただし、アミュの方はサメラに近づくためだけに自分に接近しているのだと思い込んでいる。それもあるだろうが、彼女に送られた品からはかなり本気を感じる物も多い。アミュは物の価値を理解していないから、のほほんとしている。それが可愛い上に個人的に安心できる点でもあり不安な点でもある。
 この時期は店舗を持つ店も、よりアピールしようと店の前に商品を出して、しかも値下げされているので好きだった。ただし用途不明品が多く、誰かを尾行しながらではなかなかいい品を探し出すことは出来ない。気になって用とを聞くと、用無しの道具である場合が多いのだ。そのため買うのはもっぱら食料ばかりである。
「アミュ、欲しい物とかあったら言うんだよ。昨日たっぷりお小遣いをもらったから」
「…………儲けそこなせた上に、そんなことまでしてもらうのは……」
「何言ってるの。あれはあの人が悪いんだよ。ヤバそうだと思いながら手を出したんだから。で、金持ちのくせにあっさり騙される方が悪いの。
 いい、アミュ。世の中にはこういう人間がわんさかいるからね。姫様なんて格好の餌食だ。もちろん、餌食になるような可愛い性格はしていないから安心だけど、アミュをとっかかりにしようとかする人もいるからね。君はしっかりと見極める力をつけないと。判断に迷ったら僕に言うんだよ。知り合いに探偵もいるから」
「ダメな人はサメラちゃんがダメっていうから大丈夫。それとネフィル君に近づきたい女の子も多いんだよ」
「まあ、跡取りだもんねぇ。王位継承権あるし」
「優しいし綺麗だしね」
 他意はないのだろう。好意があっても普通の好意でしかないのだろう。分かっていても、なんだか悔しい。
 前方の二人はなかなかいい雰囲気だった。ハウルがイレーネの胸元に何かあてがっている。きっと装身具だろう。こんな所に売っている装身具などイレーネにとっては道ばたに咲く花に等しいだろうが、様々な格好での外出が多い彼女には不必要な物ではない。
「ラァス君」
「ん?」
「あの二人は、お付き合いしているの?」
 アミュの言葉にラァスは絶句した。まさかアミュからそんな言葉が聞けるとは。自分の恋愛には興味が無くても、他人の恋愛には興味があるのだろうか。
「まだだよ。でも、そうなってもおかしくはないね。イレーネ様にとってハウルはかなりいい物件だし、イレーネ様はハウルの好みだと思うし」
 ラァスはちらとアミュを横目で見る。彼女はじっと前方の二人を見つめていた。
「アミュはお兄ちゃんがとられて寂しいの?」
「え!?」
 きょとんとするアミュの様子に、ラァスは思わず笑ってしまう。
「僕は悔しいよ。僕より先に結婚しそうなんだもん。あのハウルが」
「……そうだね。お兄さんはずっとお姉さんと一緒にいると思ってた」
「結婚したら婿っぽいもんねぇ」
「お兄さん、どうするんだろう」
「どーせろくに考えてないよ」
「その方がお兄さんらしいね」
 アミュはくすくすと笑い、何やら張り切ってゲームに参加し始めたハウルを見る。何やらざわめき景品をもらったハウルは、それをイレーネにプレゼントしていた。近づいて何をしていたか確認すると、魔力によってメーターが振れる魔動機のようだ。力自慢ではなく、魔力自慢を相手にするなど、この町らしい。ただ、ハウルは大人気なく計測不可能な魔力を込めてしまったらしく、皆がまだ騒いでいる。神の魔力が人間が作った道具で計れるはずがない。
 イレーネがいるから、かなり張り切ってしまったのだろう。
「ハウルも男の子だなぁ」
 魔力があるのはイレーネが一番よく知っているのだから、適度に力を抜く方が好感度は上がったのに、気付いていないところがうぶで可愛い。


 先ほど勧められた『迷路』というのを発見した。どう見てもただの店舗であり迷路には見えない。知識と知能に自身のある者を求むと看板に書いてある。中を覗くと、受付嬢がにこやかに──
「ハウル様!」
 理力の塔関係者のようで、その少女は目を輝かせ立ち上がり、そしてハウルの隣のイレーネを睨んだ。
「ハウル様がこんな意地の悪いところにまでおいで下さるなんて、光栄ですわ」
「い……いじ?」
 今変なことを言わなかっただろうか。
「棄権なさる場合は、こちらの腕輪を外して。それで元に戻れます」
 腕輪を手渡れて、イレーネは興味津々とそれを眺める。そして埋め込まれた石を見て目を丸くした。
「まあ、モルヴァル産の魔石。こんなことにこんなにお金をかけるだなんて、学生といえども侮れませんのね」
「そんなこと分かるのか?」
 魔石は同じ場所で発掘されても色も性質も全く異なる。もちろん土地の魔力で帯びやすい魔力はあるが、色は魔力に関係ない。
「モルヴァルの魔石を育てるのは女王です。わずかながら女王の気配を発しているんです。これが分かるのは本人や探査能力に長けた魔道師ぐらいですが。もちろん他の鑑別方法もありますが、そちらはできません。必要がなかったので。でもマディアスは出来ます」
 育ての親を自慢するように言うイレーネ。何だかんだ言っても、やはり育ての親は自慢のようだ。
「あいつ、見た目に反してそういうの得意なのか? かなり短気そうだったけど」
「彼は意外と繊細なんですよ。潔癖性ですし」
「ああ、なんか神経質そうだったな」
「ええ、かなり神経質です。わたくしとヒュームに関わらないときは」
 関わると無神経なのかと言おうとして、以前の事を思い出す。自分の下僕をあんな風に使用許可を出すのだから、無神経に過ぎるだろう。
 ハウルは気を取り直して腕輪を装着する。とくに変わったことはないが、迷路に入れば変わるのだろう。
「この迷路は行く先々に謎かけが用意されています。正しい道、正しくない道に関わらず、謎かけがあります。扉は一度開いても時間がたてば元に戻りますが、その場所にある謎は変わりません。そしてそれぞれの扉にある謎は一つ一つ異なっており、謎の内容によって現在地が確認できます」
「つまり、迷路に点々と問題があるって事か」
「はい。ただ、本当に意地が悪いんです」
「難しいのか?」
「はい。ゴールにたどり着いた方には豪華景品を進呈する事になっているんですが、まだ一人もそんな方はいらっしゃいませんの。塔の教師も挑んだんですが、半分ほどの行程でギブアップされてしまいました。解けない問題はありませんが、とにかく難しいんです」
 ハウルは肩をすくめて見せた。
 仕掛けがすごいらしいから試しに見たいだけで、ゴールする必要はない。
「まあ、楽しみですね」
 イレーネが浮かれた様子で迷路の入り口へと足を向けたので、ハウルはゆっくりとその後を追う。今にも走り出してしまいそうだが、かろうじて留まっている。帽子を押さえて振り返り、ハウルの腕を取るとぎゅっと抱えて並んで歩く。
 ハウルにこんな事をしたのは、おそらくラァスぐらいだっただろう。
 何度か体験したがどんな反応をしていいのか分からず、ぎくしゃくと歩くしかなかった。顔が火照っているが、イレーネはこちらを見ずにまっすぐの道を歩く。
 白い通路だった。真っ白な真っ直ぐな通路。
 どこかで見たことがあると思えば、去年入った『理力の塔』の内部に似ていることに気付く。さすがにあれほど無機質ではないが、質は似ている。
 先にある空間が歪んでいる。そこを通り過ぎると、奇妙な空間に迷い込んだ。
「理力の塔の再現……」
 ハウルは思わず呟いた。
 そう、理力の塔に似ている。それを作った者は、きっと理力の塔の内部を知る者である。
「まあ、素晴らしい! いったいどなたがお作りになったのかしら。宮仕えをするつもりがあれば、ぜひ声をかけたいものです」
 瞳をキラキラと輝かせてイレーネは壁をぺたぺたと触る。ハウルも触れてみて、意外と軽そうな素材で出来ている気がした。殴ったら割れるんではないかと思ったが、さすがに実行するのはやめた。不思議空間を再現できても、材質を再現できるはずがない。あの小さな店の中にこれだけのモノが入らないことは確かで、ここは拡張され作られた空間である。部屋を広げるのは簡単だが、そこにありもしない迷路を造るなど神懸かり的な技術だ。たとえその壁素材が多少薄かったとしても。
「あら、ハウル様。問題があります」
 イレーネは問題をにこやかに見て──
「1+1……は2」
 にこやかに、少し戸惑いながら答えを口にした。その瞬間、扉は消滅し奥への道が開けた。取っ手がついている癖に、なんて意味のない扉だろうか。あまりにも簡単な問いは、直線上にある扉だったので誰にでも答えられるようになっているのだろう。きっと徐々に難易度が上がるのだ。
 分かれ道があったので、左側に曲がりまっすぐ行くと再び問題があった。
 壁には黒い文字で『先代の塔長の名は』と書かれていた。
「先代などいたんですか?」
「そりゃいるよ。何千年もあるぞこの組織。馬鹿みたいにデカくなってきたのはカオスがバカバカ支部作って移動手段を提供し始めてからだけど。潤って仕方がないらしい」
「さすがはカオス様。魔力と麗しい見目だけではなく商才にまで恵まれていらっしゃるなんて」
「ちょっと変態だけどな。
 先代は確かあんまり評判良くない。だからあの変態のおっさんが簡単に蹴落としたんだ。
 確か名はロベルト・リド」
 扉が消滅して、道が開ける。おそらく魔道士向けに作ってある問題なのだろう。しかし一般の観光客も、ガイドブックでも持っていれば分かることだ。
 しばらく歩いて左へ曲がり続けると、再び問いの扉が立ちふさがる。内容を読もうと視線を向けし、ハウルは瞼をこすった。
「何このなぞなぞ」
「いやですわハウル様。ただの速度計算ですよ」
「え?」
 ハウルはじっと問題を眺める。そういう数学的な事はハウルの専門外だ。日常や魔道に必要な計算は習ったが、そんな役にも立たない計算は習っていない。
「答えは十時間」
 イレーネにとっては速度計算とは必要な知識だったのだろう。彼女はあっさり答えて前に進む。
 それから二人のほどよく被っていない知識をフル活用し、前へ前へと進んでいった。


「肌を白くしたいなら、クランの木の根が一番いい。ただ、純度の高いエキスを摘出するのは難しいし、根は高い。だから皮を茶にして飲む方がおすすめだね」
 うつぶせになりマッサージをされながら、尋ねられたことに答える。
 世間で流通している知識とアヴェイン独自の知識は違う。
「お茶ですか。味はどうですか?」
「悪くないよ。少し癖はあるが、不味いからと飲めないこともない。慣れれば美味いと感じるようになる。
 ただ、クランの木の皮を大量に手に入れるのは難しいよ。ほとんど自然に生えているのを薬師が採取するぐらいだからね。知る人ぞ知る素材だ。昔の……カーラントの美貌で有名なリリア姫様は、このことを知っていて毎日茶を飲んでいたそうだよ」
 美術館に肖像画が飾られているが、色の白さを強調された、人間とは思えないような美女だった。特徴である白さをとにかく強調したのだろう。
「量産することは可能でしょうか」
「可能だよ。でも木だから時間はかかるし、必要なのは根の一部と薄皮だけ。柔らかいから木材としての価値はほとんどないけどね。
 だからそっちの日光を防ぐ薬を使って防御していれば必要ない物だよ。日光を浴びることによって生成される栄養もあるけど、食べ物で取れば問題ないし」
 落ち着くオイルの香を嗅ぎながら、アヴェンダはそう打ち切った。
「それは違います。守ることも大切ですが、内から生まれる白さというのも大切です。
 元から白くて日光を浴びても焼けにくく焼けてもすぐに色が白くなる方と、元から黒くて日光であっという間に焼けて元に戻らない肌では、まったく異なります」
「そうだけどねぇ」
 アヴェンダは色が白いことにこだわりを持っていない。それでも日に焼ければクランの木の根のエキスをローションに混ぜて叩き込んでいた。しみを防止するなら若い内からの手入れが大切なのだ。
 何もしなくても奇跡の美貌を保っている女もいるが、あれは別格だ。精霊達に過保護に守られまくっているのである。反則だ。
「イレーネ様の肌は今で十分じゃないかい。肌の質ならヒルトにも劣っていない」
 肌の美しさは容姿を飛躍的によく見せる。だから彼女は目立たない顔立ちをしているが、ぱっと見は着飾らなくても美人の部類に入るほどの容姿に底上げされている。あれで化粧をして着飾れば、女王としての威厳は十分保たれるだろう。絶世の美女という噂が無ければ。
「イレーネ様は十分お美しいのに、イレーネ様自身がそれをお認めになっていません。そりゃあヴェノム様のような名実共に絶世の美女のようなお方と比べれば劣りますが、それは一握りの美女以外全てに言えることです」
「その一握りの内の一人に言われれば、落ち込むだろうねぇ」
「…………」
 立ち上がって熱弁を始めたエヴァリーンは、アヴェンダの言葉に落ち込み椅子に腰おろす。事実なのだろう。恩があろうと、親しかろうと、親身に世話をしてくれようと、二人の間にあるのは主従関係に過ぎない。
「アヴェンダさんからも言ってやってください」
「それはあたしが美形に囲まれた十人並み顔という共通点があるからかい」
「いえ別にそのようなことは」
 いいのだ。その通りである。アヴェンダは自虐的に笑い隣ですよすよ眠る師弟を見た。よほど寝不足だったのだろう。マッサージであっという間に夢の世界だ。イレーネ付きのメイド達が、マナラの肌の手入れに苦心している。
「あっちはあっちで、どんな生活しているんだか。肌への無関心ぶりには驚くね」
「まったく。男性でももう少し気遣うと思うのですが」
「女が我を忘れてのめり込むモノが出来ると悲惨だね。弟子の方も大変だよ」
 肩をすくめて目を伏せた。アヴェンダも薬品に関する研究は好きだが、夜は決まった時間に寝て決まった時間に起きて決まった時間に学んで決まった時間に研究している。摂取するものにも気を使っているし、それだけで十分それなりを保つことは出来る。
 イレーネほど多くを望むことはしない。上を望めばきりがない。
「女ってのは、どうしてこう面倒なんだろうねぇ」
 それでも女に生まれて良かったと思うのだから、実に不思議である。


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